机に突っ伏しウトウトしていると、タッタッタッ! とこちらに走って来る足音が聞こえてくる。この足音の重さ的に小柄な女の足音だろう。
理子か?
重い頭を持ち上げると飛行機全体が期待の前方の方へ傾いているのに気付いた。
リキュールをグラスに注ぎグラスに口を付ける。俺好みのベリー系のまったりとした甘みが口の中に広がる。丁度いい甘みとアルコールで、酔いが回ってきているのを実感しつつ深呼吸する。
「ったく・・・」
カウンターの裏のシンクに置かれていたアイスピックを手に取ると、足の傷の上に巻いたネクタイに差し込むと強く捻じりもう1度アイスピックをネクタイに差し込み固定する。
かなり痛いが行動も問題なく行動できるだろうし、簡単に外れる事も無いだろう。グラスに残っているリキュールを飲み干すと椅子から飛び降り止血具合を確かめる。
「よし! 止血もちゃんとできてるし痛みも酷くない」
軽く足を曲げたり伸ばしたりしても特に問題もなさそうだ。少し歩き辛さもあるが松葉杖を使ってた時ほどではないので動くのも大丈夫だろう。
走る音が近づいて来たので振り向くと、そこにはいつものツーサイドアップのテールがバッサリと切り取られた理子が居た。
「あいつ等・・・追い詰められたからって女の髪切るなよ・・・」
「遙・・・もう動けるのか・・・」
「
軽く肩を竦ませて見せると、理子はバーの奥の方へ歩いていく。バーの片隅の窓に凭れ掛かる様に立っていると──
「狭い飛行機の中──どこに行こうっていうんだい、仔リスちゃん」
「キンジッ!! 生きとったんかワレ!!」
最近ふざけてなかったので、ここぞとばかりに思い付いたネタを入れてみる。キンジはどことなくいつもより落ち着いた表情で、いつもより低くリラックスしているような声音だが、俺の顔を見て驚いているようだ。
「無事だったのか遙!?」
「肉抉れた状態が無事だって言うなら無事だ」
肩を竦めてみせると理子の方へ向き直す。
「くふっ。キンジ、それ以上近づかない方がいいよー?」
理子は白い歯を見せながらニヤリと笑みを見せる。その理子が背にする壁には理子を中心に円状に粘土状の何かが──おそらく爆弾──が仕掛けられていた。
「ご存じのとおり『
理子は制服のスカートをちょこんとつまみ少し持ち上げ、慇懃無礼にお辞儀する。こういった芝居がかった仕草が好みの俺にはやはり趣味嗜好的には理子と相性がいい。
「ねぇキンジ。この世の天国──イ・ウーに来ない? 1人ぐらいならタンデムできるし、連れて行ってあげられるから。あのね、イ・ウーには──」
理子はそこまで話すと眼を鋭くして──
「
理子は金一さんの存在を再び出してきた。理子は金一さんに拘り過ぎだ。やはりあの人は生きているという事なのだろうか・・・
「これ以上・・・怒らせないでくれ。いいか理子。あと一言でも兄さんの事を言われたら、俺は衝動的に
武偵法9条
武偵はいかなる状況に於いても、その武偵活動中に人を殺害してはならない。
ヒステリアモードは元来子孫繁栄のためにβエンドルフィンを分泌させ身体機能を向上させる特異体質であり、そのため女性に対しキザな態度になったり、異常に優しくなる傾向がある。それなのに理子にこのような発言をするのだからキンジにとって金一さんの大きさが窺い知れる。
「あ。それはマズイなー。キンジには武偵のままでいてもらわなきゃ」
理子はウィンクしたかと思うと、両腕で自分を抱きしめるような姿勢を取る。
「遙はどう? イ・ウーに来ない? 歓迎するよ?」
「武偵でやるべきことはしたからな。別に行っても良いぜ」
あかりちゃんの時と同じ理由で言ってる訳だが、あの子と違い1言だけ付け加えておく。
「それが本当に理子の望む事ならな」
「・・・・・・」
理子は俺の言葉に答えず黙ってこちらを見詰めてくる。理子自身の言葉に嘘は無かったのだろうが、本気で理子が望むかどうかという面において思う所があったのだろう。
軽く溜息をつくと更に続ける。
「その様子じゃ本気で俺を望んでる訳じゃないんだろ? それなら悪いが今回のお誘いは遠慮させてもらうよ」
肩を竦めると目立たない程度に1歩前に出る。
「じゃ、アリアにも伝えといて──あたしたちはいつでも、3人を歓迎するよ?」
理子がウィンクをしたと思うと──
ドゥッッッッ!!!
理子の背後に設置された爆弾が一斉に起爆し壁に穴を開ける。理子は穴から機外へと飛び出す。
パラシュートも持たずに──
「理子ッ!!」
その光景を見た瞬間、俺は咄嗟に韋駄天を発動させ壁の穴に走り出していた。右足で地面を蹴ると、足首と太ももに鋭い痛みが走ると同時にフックショットを左胸から引き抜きバーカウンターの方へノールックでフックを撃つ。
足の痛みで体制が崩れるが、左足で強く床を蹴り気圧差も味方につけ外に飛び出す。
「遙ッ!?」
キンジの驚愕の声が耳に入るが気にせずに進む。冷たい雨がぶつかって俺の体温を奪い、傷が染み痛みをが全身に走る。視界も雨に反射し、線の様になった光を除き真っ暗でほぼ何も見えない。
だが、目標は把握できているのだから視界なんて必要ない。
思考する必要性はない。ただ目標に向かって翔けるのみ!!
「理子オオオオォォォォォォッ!!」
理子は俺の声で気付いたのかこちらに振り向く。残り数mの距離を、俺は体の角度を変え落下速度をコントロールし詰める。
手を伸ばせば届く距離。俺は理子の右手を掴もうと左手を伸ばす。
左手の指が理子の指先に触れ──
つるっ
「なっ!?」
指先が雨に滑り掴めない。そして──
ガクッ!!
フックショットのワイヤーが出尽くした。
更に
ビュン!!
飛行機の推進力と風で身体が大きく煽られる。当然飛行機にワイヤーが繋がれているので、飛行機の方へ体が引っ張られる。
ワイヤーでぶら下がっているので身動きもほぼ取れるわけもなく、ジャンボジェットの速度では受け身が取れるわけもない。故に──
ダンッ!!
「ガハッ!!」
飛行機の外装に背中から衝突し、口から血の塊を吐き出す。
感覚的に肋骨が数本折れた様で、ダブルショルダーホルスターとフックショットを繋いで体重を分散させているので、引っ張られ肋骨に負担がかかりモロにダメージが来る。
だが、痛みは気にならない。
「クソッ・・・クソッ!」
苛立ちばかりが募り、苛立ちを左手に乗せ外装を叩きつける。
「クソッたれがアアァァァッ!!」
怒りの全てを吐き出すように叫んだ声は、夜空に吸い込まれ消えた。
叫ぶことにより冷静さを取り戻し、フックショットのトリガーを引きワイヤーを巻き取り移動する。飛行機は期待に穴が開いたときに自動的に塞ぐ為に化学物質をばら撒く仕組みがあると聞いた事がある。急がないと壁の穴が塞がり着陸まで外にいる事になる。
「ッ!!」
風の抵抗でいつもより巻き取る速度は遅くなっているが、それでも何とか機内に戻り一息つく。
窓からチラッと理子の方を見ると、理子が背中のリボンを解くと、布面積の多いブラウスとスカートが不格好なパラシュートになっていくのが見える。理子の方は分かっていたとはいえ危険がないのが分かった。
取り合えず自分の今の状態を確認する。肋骨数本に右足首も使えない。俺が今1番するべき事と言えば病院に行く事くらいだろう。
「ハッ! まるでゴミの様だ! てか・・・」
バーカウンターの椅子に座り息を整える。
今日はいつも以上にきつい事が多いな・・・
「遙。大丈夫か?」
「だいじょばないに決まってんだろ。ダメージデカ過ぎだ・・・」
溜息を付こうとしたその時、窓の外に恐ろしい速度で雲間から飛来する2つの光が見える。俺は咄嗟に韋駄天を発動させその光の正体を目を凝らし確認する。
ミサイル、だと・・・!
ドドォォォンッッ!!
今まで一番大きな振動がこのANA600便を襲う。落雷や防風などとは明らかに違うその衝撃に、全身から嫌な汗が噴き出す。
「キンジッ!! 外確認!!」
「ああッ!!」
キンジは窓にしがみ付く様に外確認するが、俺はキンジを置いてバーの出口の方に急いで移動を始める。この飛行機は理子が操縦しており機長と副操縦士は無力化されていた。その理子がいない今、普通に着陸するにしても不時着するにしても操縦桿を握る人間が必要だ。もちろん俺は飛行機の操縦なんてできないが、操縦室に移動しない事には状況を把握するのも対策を立てるのもできない。そして俺は右足を負傷しているので移動速度は常人よりも遅い。ならば状況確認をキンジにさせておき、俺だけ先に移動し追いついてきたキンジに情報を聞いた方が効率が良いだろう。
「クソッたれが! ちょっとは休ませろや!!」
ここ最近の不満を漏らしながら機内の通路を歩きだした。
移動の途中に追い付いてきたキンジの肩を借り操縦室に移動する間に、外の様子をキンジが聞かせてくれた。ミサイルは片翼の2基のジェットエンジンの内側のエンジンが1基ずつ破壊された様で何とか持ちこたえているそうだ。
「かったるい事してくれるな・・・」
理子に無力化された機長と副操縦士は、麻酔弾を撃ち込まれたらしく昏倒しており起こして操縦させるのも不可能だろう。
「──遅い!」
機長たちから拝借した非接触ICキーで操縦室に入ったらしいアリアが、やってきた俺達に犬歯を向いて叫ぶ。その足元にはあのセグウェイの銃座にも似た機械が転がっている。おそらくこれで理子は髪の毛に隠したコントローラーで機体を操作していたのだろう。
アリアは操縦席に座るとハンドル状の操縦桿を握る。
「アリア──飛行機、操縦できるのか」
「セスナならね。ジェット機なんて飛ばしたことない」
民間の乗り物ならその程度が精々だろう。アリアは大きく操縦桿を引きとそれに呼応して機首を上げ安定させる。だが状況は少し安定しただけで脱した訳じゃない。
「上下左右に飛ばすくらいは、できるけど」
「着陸は?」
「できないわ」
「──そうか」
飛行機は水平になり、窓の方を見ると機体が驚くほど海面に近い場所を飛んでいた。高度は300mそこそこだろう。
キンジはもう片方の席に座ると無線機を探し当て、インカムからスピーカーに切り替える。
『──31──で応答を。繰り返す──こちら羽田コントロール。 ANA600便、緊急通信周波数127・631で応答せよ。繰り返す、127・631だ。応答せよ──』
声が聞こえ、キンジは計器盤に備え付けられたマイクをONにする。
「こちら600便だ。当機は先程ハイジャックされたが、今はコントロールを取り戻している。機長と副操縦士は負傷した。現在は乗客の武偵2名が操縦している。俺は遠山キンジ。もう1名は神崎・H・アリア」
キンジの報告に無線機の向こうで安堵驚きが混ざったような声が上がる。取り敢えずはこの状況を外部に報告し指示を仰げる状況になった。
俺はキンジが報告をすると同時に、キンジの席の背凭れの後ろに座り込んで凭れ掛かり、先ほど機長から拝借しておいた衛星電話を右手で操作する。携帯に似た形のこの電話は船舶通信などにも使われ、人工衛星を開始地上のどこからでも電話回線に接続できるものだ。コールと同時に電話機を、Bluetoothでスピーカに繋いでおく。
「誰に電話してるの」
アリアの問いに、繋がった電話の向こうの人物が答えてくれる。
『もしもし?』
「よう武藤! お前から買ったハーレー最高だぜ!」
『は、遙か!? いまどこにいる!? キンジのカノジョが大変なんだぞ!』
「えっ? お前ら付き合ってたの?」
「カノジョじゃないが、アリアなら隣にいるよ武藤」
武藤剛気。
改めて俺はコネクションの有難みを思い知った。
『ちょ・・・お前等! 何やってんだよ・・・!』
「羽田空港ハーレー爆走事件を起こして、ジャンボジェットの中で武偵殺しと拳骨ファイトしただけだぜ?」
『お前はマジで何してんだ!?』
後ろを見るとアリアは顔を真っ赤にしており、キンジはそんなアリアの唇に人差し指を当てて黙らせている。アリアは恥ずかしさの成果硬直しているが今の状況には好都合だ。
「羽田コントロールにしか連絡してないはずなんだが、なんでアリアの事分かったんだ?」
『客の誰かが機内電話で通報でもしたんだろ。乗客名簿はすぐに
「それはそれは、お勤めご苦労さん」
キンジは、羽田コントロールと武藤に手短に状況を説明する。機がハイジャックされ、犯人が逃亡したこと。ミサイルを撃たれエンジンが2基破壊されたこと。
『・・・ANA600便、安心しろ。そのB737-350は最新技術の結晶だ。残りのエンジン2基でも問題なく飛べるし、どんな悪天候でもその長所は変わらない』
「ほう・・・そいつぁここ最近で1番いいニュースだ」
キンジとアリアも羽田コントロールの声にホッとした表情になる。
『それよりキンジ。破壊されたのは内側の2基って言ったな。燃料計の数字を教えろ。
まるで今ここに居るのような正確な支持に脱帽しつつ、キンジと一緒に計測器を見る。
「数字は──今、540になった。どうも少しずつ減っているようだ。今、535」
武藤の盛大に舌打ちする声が聞こえる。
『くそったれ・・・盛大に漏れてるぞ』
「予想通りだよコンチクショウ!」
「ね、燃料漏れ・・・!? と、止める方法を教えなさいよ!」
アリアのヒステリックな声を上げるが、その数秒後──
『方法はない。分かりやすく言うと、B737-350機体側のエンジンは燃料系の門も兼ねてるんだ。そこを破壊されるとどこを止めても漏出は止められない』
「正に風穴開けられたって訳だな。史上最高のクソみたいな状況だな」
「あ、あとどれくらいもつの」
『残量はともかく漏出のペースが速い。言いたかないが・・・15分ってとこだ』
「さすがは最先端技術の結晶だな」
「科学の発展万歳だな本当に・・・」
俺とキンジは1言つずつ羽田コントロールに愚痴ってやる。
『キンジ、さっき
「元からそのつもりよ」
アリアが武藤に返す。
『ANA600便、操縦はどうしているんだ。自動操縦は切らないようにしろ』
「自動操縦なんて、とっくに破壊されているわ、今はあたしが操縦してる」
殺気から計器盤の一部でランプが赤く点滅し、同じテンポで警告音が鳴っているのはこの為だろう。
理子の奴、本当にやってくれるな・・・
「──というわけで、着陸の方法を教えてもらいたいんだが」
『・・・すぐに素人にできるようになるものではないんだが・・・現在、近接する航空機との緊急通信を準備している。同期型のキャリアが長い機長を探して──』
「時間が無い、近接するすべての航空機との回線を同時に開いてほしい。できるか?」
『い、いや・・それは可能だが・・・どうするつもりだ』
「彼らに手分けさせて、着陸の方法を一度に言わせるんだ。武藤も手伝ってくれ」
『1度にってキンジお前、聖徳太子じゃねーんだから・・・』
「できるんだよ、
アリアが驚きの眼差しでキンジの方を見る。キンジはそれに気づくとウィンクで何か言いたげなアリアを黙らせる。
確かに、中枢神経系に作用し常人の30倍にまで向上するHSSならそれくらいできても不思議ではない。
無線機の向こうで11人が一斉にしゃべりだすの確認したと同時に、俺はキンジが座る操縦席と壁の隙間に放置されたこの飛行機の説明が書かれたファイルを拾い上げ開いた。