すっかりと日が暮れ町の人混みが増えて来た頃、割と早い段階で佐々木さんとの特訓は切り上げ、あかりちゃんに次回までの課題として『1日10回限界ギリギリまで息を止める』という比較的楽ではあるがそれなりにきつい物を言い渡した。
これで簡単に肺活量や体力を手早く増強できるだろう。俺もランニングの際にしており、キンジ達にも勧めたがキンジ曰く『殺す気か! こんなの人間が軽くでする事じゃねぇ!!』だそうだ。
そんな訳であかりちゃんには普通に息を止めるだけにとどめて置いた。
その後、平岡さんにサンドバックやジョイントマットの修繕費に2万5千円ほど払い『レンタルスペース平岡』を後にした。
そんな訳で俺達3人は帰宅する事になり、俺はこのあと目黒の方に野暮用があったので1番近いあかりちゃんから送って行き佐々木さんを家まで送る事にし、現在俺達は、電車に揺られながら帰路に付いていた。
「やれやれ、今日は意外と大変だな・・・あかりちゃんは予想内だったけど、佐々木さんがここまでだとは思ってなかったし、急に野暮用が入るし・・・」
軽く溜息を付く。最近面倒事に巻き込まれ過ぎな気もするが、それでも平和的な案件なので良しとしよう。
だが・・・
「すみません吉野先輩。ご迷惑をお掛けして・・・」
佐々木さんから、らしくない反応が返ってくる。
あれ? 君そんなキャラだっけ? 俺の記憶では君はもっと『行け行けゴーゴー!!』なキャラなんだけど!? 『押せ押せレッツゴー!!』なキャラなんですけど!? 今回の特訓に付いて来たのもそんな行け行け押せ押せな感じで俺に詰め寄ってきたからだよね!? そんな感じできてくんない!? 俺今みたいな佐々木さんがモロ好みなんすけど!?
「後輩が何言ってんの? 何かを本気でしたいと思うなら迷惑なんて気にしない! 男の先輩には精々格好つけさせて迷惑かけとけばいいんだよ! 去年なんてこれの比じゃ無いくらい迷惑掛けられ捲ったしな・・・」
実際に去年の後輩は面白い位どうでも良い様な面倒事を毎日毎日飽きもせずに持って来ていた。それはもう経験したことないような恋愛話ばかりで、やれ『今の彼女と分かれそうだから仲取り持って』だの『最近彼女の様子がおかしいからそれとなく聞いてみて』だの『最近彼女に気になる男ができたっぽいから先輩と同じ学年の奴らしいから探りを入れてほしい』だのと・・・
1言だけこの件について言わせてほしい。
F〇〇K!!
そんな奴に比べたら佐々木さんが掛けてくる迷惑なんて、迷惑なんて言えない様な可愛い物だ。それに自己中心的なだけではなく友人を心配する純粋な優しさもあるんだ。そんな子の手助けなら喜んで手を貸そう。
「そういえば吉野先輩。この次は何をするんですか?」
「この次か・・・取り敢えずは今日出した矯正案を実際に実践レベルでも使えるのかを試すのと、
今回のような特訓が週に1度と考えれば、だいたい2週間に1つ技の矯正ができるかどうかと言うとこだろう。
そもそも技と言うのは1週間や2週間ではなく、最低でも1月、長ければ数十年と掛けて極める様な物だ。人よりも技に適応する事に特化した俺でも、既存の技の理論に頼らず既存の技には無い効果が得られる技を作ろうとすれば最低でも1週間は必要だろう。
あかりちゃん技の矯正や
努力を欠かさないのは大前提だが、それでも運の良い子だ。
「ただし、この特訓の理由である人を殺さない為に技を作り替えるって趣旨から外れてたりしたらその分この特訓の終了が長引くからそのつもりで!」
結構当たり前の事を言ってみるとあかりちゃんの表情が少し強張ったように見えたが、俺はそれを無視した。
~side 佐々木志乃~
あかりちゃんのアパートの最寄り駅であかりちゃんと別れた後、そのまま吉野先輩と共に白金高輪駅で降り街を歩いていた。
「すみません。こんなところまで送ってもらって・・・」
学園島の寮に住んでいるはずの吉野先輩は、なぜか学園島の最寄り駅を過ぎても電車を降りず、今でも私の隣を歩いている。吉野先輩になぜ一緒にいるのか聞くと送ってくれると言うので一応お礼をしておく。
「別に良いよ。俺も目黒の方に用事ができたし、それにレディーのエスコートは紳士の基本って言ったろ? 男って言うのは格好付けないと生きていけない生き物なんだ。だから助けると思って『すみません』じゃなくて『ありがとう』って言って格好付けさせておいてくれ!」
吉野先輩はいつもの様に楽し気に笑う。本当に楽しそうに笑う吉野先輩を見ていると武偵に向いていないと強く思う。吉野先輩は武偵と言うには考え方が常識的すぎる。それなのに、時折行動や発言が一般常識から大きく外れ、何を考えているか分からなくなる時がある。
「吉野先輩。1つ聞いてもいいですか?」
「ハイハイなんでございましょう?」
吉野先輩は私の問い掛けにおどけた様に、私の質問を促してくる。そんな吉野先輩の態度を含め、私が自覚している初めて会った日から気になっていたことを聞いてみる。
「私は傍から見れば失礼だって思われてもおかしくない態度を吉野先輩に取っています。吉野先輩に嫌われても当然だと思っています。それなのに何で吉野先輩は私をあかりちゃん達と接する時と同じ様に接してくれるんですか?」
ずっと気になっていた。
今でこそ吉野先輩の事を信用できるし尊敬もできる。だが、それはここ最近で吉野先輩が私達に示してくれたからであって、最初からそれ程に信頼していた訳ではない。むしろ、私の大好きなあかりちゃんに近づく悪い虫として敵対心を持っていた。
それなのに吉野先輩は多少怖がって見せたり、困ったような表情を見せつつもあかりちゃん達と接する時の態度と変わらずに接してくれる。
それは確かにありがたい事だが、私が吉野先輩の立場なら係わりを絶たないまでも態度が悪くなるのは間違いないだろう。
「これは俺が武偵として初めて対決した相手からの受け売りなんだけどさ・・・」
吉野先輩は少し懐かしむように微笑むと話し出す。
「自分が相手を嫌っているからって相手が自分を嫌ってくれるとは限らないぜ。むしろ、その感情を向けているからこそ好意を持たれる事だってある」
「好意!?」
吉野先輩の言葉に一瞬で顔が熱くなってしまう。
こんな事を言うという事は吉野先輩は私に好意を持っているのだろうか?
それに吉野先輩の言っている意味も良く分らない。ふつうは自分の事を嫌う人間を好意的に捉える事は無いのが普通だろう。
「俺に対して正常に嫌悪感を持てるのはそれだけ正しい判断ができるからだ。その理由が教育からなのか、将又誰か大切な人を守りたいからなのかは分からないが、それを露骨な態度で見せてくるあの子は面白い、興味深いからもっとしっかりとした繋がりを持ってみたい。そう思う人間もいたりするんだよ」
吉野先輩のその言葉は、まるで「自分は正常な人間じゃない」と言っているように聞こえる。
今だけではなく稀に吉野先輩の言葉には自虐とも取れるような発言をする事がある。吉野先輩自身は喋る気は無いようだが、私達に何かを気づかせようと、もしくは私達に吉野先輩を遠ざけさせようとしているように感じる。
吉野先輩は一体何を隠しているのだろう。
その時──
「ん?」
吉野先輩が何かに反応した。
吉野先輩の視線の先を追うと、コンビニから出て来たばかりであろう速足でこちらに歩いて来る10歳ほどの少年の姿があった。
一体何が吉野先輩の興味を引いたのか良く分らず私は首を傾げてしまうが、少年とすれ違う瞬間に吉野先輩が動く。
「ちょっと待ちな少年」
「!?」
吉野先輩がすれ違う彼の腕を掴む。
「お前、取ってきた物を出しな」
「はぁ!? 何も取ってねーし! いい加減な事言うんじゃねーよ!!」
「ほう。ならポケットの中身見せろよ。問題ないだろ?」
吉野先輩はかなりの確信をもって少年に言い切る。
最近注意深く吉野先輩を見て気づいた事だが、吉野先輩は物事を言い切る事があまり無い。基本的に「多分」、「おそらく」と言った言葉を入れるし、言葉の最後に「~だと思う」と言った言葉を付ける。
そんな吉野先輩が言い切るのだから何か確証があるのだろう。
少年は観念したのか赤い長袖のシャツの袖口からおにぎりを取り出す。
「・・・・・・」
居所の悪そうな表情の少年の光景を見て、吉野先輩の表情が一瞬怒りに染まる。
だが吉野先輩の怒りは彼本人には向いていない。
一体吉野先輩は何に、誰に怒っているのだろうか私には良く分らなかった。
「・・・付いて来な」
吉野先輩が少年の腕を引きコンビニへと向かっていく。
私は吉野先輩たちの後を追いコンビニへと向かった。
数分後
私達はコンビニを後にする。
吉野先輩はあの後、少年をコンビニの店長の所まで連れて行った。
私は少年を店長に引き渡すだけで終わると思っていたのに吉野先輩の行動は私の予想を大きく超えてきた。少年を引き渡すだけで良いはずなのに、吉野先輩は店長に少年が万引きした商品の代金を支払い少年と一緒に頭を下げて見せた。
それだけに止まらず吉野先輩のSランク武偵と言う立場を存分に使い、1回無料で依頼を受けると言う普通の武偵では考えられない方法で少年の処遇をほぼ御咎め無しの状態にまでして見せた。
やっぱり私には分からない。
一体吉野先輩は何がしたいのだろう・・・
「さて少年。お前さんの名前聞かせて貰おうか?」
「・・・・・・翔悟」
「翔悟か・・・なら翔悟、家の人に連絡しな。説明は俺がする」
吉野先輩は翔悟と名乗る少年に携帯を差し出す。
彼は吉野先輩の言葉に一瞬反応する。
(いや、これは反応したと言うより・・・)
一瞬表情が強ばり、身体が少し震えているように見える。
これは親に自分のした事がバレるのが嫌だとかそう言う事では無いのだろう。
吉野先輩もそれを察したのか頭を掻きながら溜め息を付く。
「かったるい・・・家の人じゃなくても良い。誰か信頼できる人に掛けな」
吉野先輩にそう言われ、翔悟さんは誰かに電話を掛ける。
翔悟さんの話を聞くにお母様に掛けているようで、しばらく話すと吉野先輩に携帯を返す。
「もしもし、翔悟君のお母様でしょうか?」
少し吉野先輩らしくないしゃべり方で応対する。
夾竹桃の時のような真剣な表情でも無く、何時もより真面目な態度と表情が意外だった。
「はい。息子さんが高校生に絡まれていたので其方まで送りたいのですが・・・」
吉野先輩の発言や行動は過剰だと思う。
今回の件で吉野先輩がそこまでの事をする必要があるとは思えない。
私ならここまでの事はしないだろう。
いや、ここまでする武偵は世界に何人いるだろう。
「ええ、今はそちらの近くに居るので10分ほどで其方に着くと思いますんで・・・はいでは・・・」
吉野先輩はそれだけを言うと電話を切りこちらに向き直る。
「悪い佐々木さん少し付き合って貰っても良いか?」
「はい」
「そっか、じゃあ翔悟。お母さんに会いに行くぞ」
翔悟さんは吉野先輩の言葉に頷くと、吉野先輩は翔悟さんの手を取り歩き出す。
私も吉野先輩達を追いかける。
「変な事になったな・・・かったるい・・・」
「優しいんですね吉野先輩は」
「そんな事無いよ。こんなのはただの打算だ・・・」
吉野先輩の顔は何時になく嫌そうな表情を浮かべている。
この状況は吉野先輩にとって嫌な事なのだろうか?
ならば吉野先輩の言う打算とは何を指しているのだろう。
やっぱり私じゃ吉野先輩の言葉も行動も理解できない。
「吉野先輩の言う打算ってどこからどこまでの事を言ってるんですか?」
私の問い掛けに吉野先輩は大きく溜息を付くと、今までとは違うどこか寂しそうな表情で考える。
一体吉野先輩は何を考えているのだろうか。いや、何を思っているのだろう。
10秒ほど過ぎただろうか、吉野先輩は一言だけ答える。
「全てだよ。俺が生きて死ぬその瞬間まで全て」
私にはその言葉がまるで迷子の少年の泣き声に聞こえた。