~side 佐々木志乃~
私達はあれから吉野先輩に連れられ、駅から自宅とは逆の方向に10分ほど歩いた所に小さなビルに来ていた。
そのビルには『坂井株式会社』と書かれた看板が掛けられている。
「かったるい・・・」
吉野先輩はどこか気の抜けたような表情で呟くと、右手で1度顔をなでるように強く擦り顔を引き締めるとため息を付きビルの中に入って行く。
私と翔悟さんも吉野先輩を追いかけてビルの中に入る。エントランスには受付と、その前にいくつかのロビーチェアが並んでおりエントランスの端の方に自動販売機が設置されており、右側の壁にはエレベーターがある。
「話を通してくるから少し待っててくれ」
吉野先輩は夾竹桃の時ほどではないがそれなりに真剣な表情で受付に歩いていく。
受付の人に何かを話すとすぐに戻って来る。
それからしばらく待っていると、髪の毛をお団子にした事務服姿の上にこの時期には少し暑そうなセーターを着た女性がエレベーターから降りてくる。
「お母さん!!」
翔吾さんはその女性の方へ駆け寄り、吉野先輩はその女性に会釈するので私も吉野先輩に倣い会釈する。
「息子がお世話になりました」
「いえ、自分達は大した事はしてないんで。ただ、1つお話良いですか?」
「ええ・・・」
「ごめん佐々木さん。翔悟君の事少し頼むよ」
「わかりました」
吉野先輩は私に翔悟さんを任せると、翔悟さんのお母様と一緒に離れて行く。
一体吉野先輩は翔悟さんのお母様とどの様な話をする積もりなのだろうか、吉野先輩が話さなければならない事が私には思いつかない。
そこまで考えた所であることに気付く。
(私、最近吉野先輩の事ばかり考えてる?)
最初はあかりちゃんの事を考えようとすると自然に顔が浮かんできて何とも言いようのない苛立ちを感じていたが、何時からかは分からないがその苛立ちすら感じなくなって来ている。
私の吉野先輩に対する印象が変わってきている?
ただそれがどういう風に変わっているのかが分からない。
私は吉野先輩とどういうあり方を望んでいるのだろう。
その時──
「お姉ちゃんってあの兄ちゃんの事が好きなの?」
翔悟さんの言葉に一瞬思考が止まった。
ただ、創作物の様に鼓動が跳ねたり、顔が熱くなるような事は無い。
純粋に思考が止まった。
しばらくして、思考が動き出し先程まで考えていた事を口にする。
「分からないんです。初めて会った頃は嫌いだったはずなのに、今は多分嫌いだと思えないんです。好きか嫌いで言えば間違いなく好きなのにそれが先輩として好きなのか、1人の男性として好きなのか、それとも1人の武偵として好きなのか、1人の人間として好きなのか・・・」
私の思いを口にすると同時にふとある事が思考の端に過る。
吉野先輩は私の事をどう思ているのだろう。
翔悟さんと会う前まで話していたように好意は抱いているらしいが、それがどういう意味の好意なのかは分からない。
一体吉野先輩は私のどこに好意を抱いているのだろうか。
そこまで考えたその時──
「お待たせ。なんか話してた?」
「いえ、もう話し終わったので・・・」
「そっか、よし翔悟ちょっと来い!」
吉野先輩は少し屈み、手招きしつつ翔悟さんを呼ぶ。
「安心しな。お前のした事は黙ってやる。だからもう二度とするな。もし何かあったり、今回みたいな事をしなきゃいけないと思ったら遠慮無く掛けて来い」
小声で翔悟さんに話すと吉野先輩は自分の名前と電話番号が書かれた紙を手渡す。
「なんでここまで・・・」
「別にお前の為じゃないよ、俺はちゃんと見返りを求めてる。だから、お前も精々俺を利用すればいい。俺も必要な時に使えるのならお前を利用する」
吉野先輩の言葉に翔悟さんはしばらく考えると、力強く頷く。
吉野先輩もその様子に納得がいったのか、翔悟さんの頭を軽く撫で立ち上がる。
「さて、そろそろ行こうか佐々木さん」
「そうですね」
私達は会社を後にしようとしたその時、翔悟さんに呼び止められる。
「兄ちゃんはそのお姉ちゃんの事が好きなの?」
その質問に吉野先輩の動きが止まる。
そして数秒ほど考えた後笑みを浮かべる。
「あははははは!! 俺が佐々木さんの事が好きかだって?」
吉野先輩は本当に愉快そうに笑っている。
翔悟さんの質問に吉野先輩はなんて答えるのだろうと思うと心なしかドキドキしてくる。
「そんなの、大好きに決まってるだろ!? そうじゃないと一緒に居たりしないさ!」
その発言に唖然とさせられる。
翔悟さんの質問は恋愛感情的に好きなのかどうかと聞いているのだろう。だが、吉野先輩の答えは人としてなのか後輩としてなのか武偵としてなのかは分からないが、おそらく親愛や友愛であろう事は明らかだ。
吉野先輩はここまで鈍い人なのだろうか・・・
「いや、そういう意味じゃなくて・・・」
「? ああ、恋愛的な意味で好きなのかって聞きたいのか? 正直な話、今は好きって思いにカテゴリーを付ける必要は無いと思ってる。仮に俺のこの好きって気持ちが恋愛的な物だったとしても、今のこの俺じゃ佐々木さんと結婚するどころか付き合う事すらできない。精々今の距離から眺めてるのが俺にできる精一杯だ。なら、無理にこの感情をカテゴライズせずにいた方が俺にとってダメージは少ないんだよ。恋愛に付き物の悩みにも悩まされなくていいし、もし佐々木さんに恋人ができたとしても少ないダメージで切り替えられる」
別に私の事が好きだと言ってほしかったわけじゃない。
でも、吉野先輩の考え方は保守的すぎる。私から言わせれば吉野先輩は学生時代において重要な青春と呼べる物を丸々否定しているように聞こえる。
「この考えは俺が怖がりの臆病者だからだ。だから、お前はこんな男になるなよ」
吉野先輩はその言葉を残すと外へと向かって行き私もその後を追いかけた。
~side 吉野遙~
「まったく、いい気分が台無しだ・・・」
むしゃくしゃする気持ちを前髪を強く掻き上げつつ溜息を付く。
この様な気分は久しぶりだ。
「吉野先輩。もしかして、怒ってますか・・・?」
佐々木さんは俺が少しイラついているのを察しているのか、おずおずと言った様子で聞いてくる。
後輩に気を使わせているこの状況に嫌気がさしてくる。
「ごめん大人げ無かった。翔悟の母親が嫌いなタイプだったから少し機嫌が悪くなってた」
「嫌いなタイプ?」
佐々木さんが不思議そうな表情を浮かべている。
まぁ、翔悟の母親はよく言えば当たり障りのない、敵を作りにくいタイプだろう。
「佐々木さんは気付いた? 翔悟の様子」
「はい。父親のワードが出た瞬間動揺してましたね」
「それに前腕の骨の歪みに、万引きしたのも食料品。母親の時期が若干ズレたセーター。虐待の典型だろこんなの・・・」
前腕の骨の歪みは日常的に暴力を受けており、骨が歪んだ状態でくっついていたと考えれば納得がいくし、食料品も普段から満足な食事を与えられていればあの年の子ならお菓子やジュースを取るだろう。
母親のセーターも暴力の後を隠すためと考えれるし、母親のそんな状態に父親のワードが出たら動揺するあの状況を見たら父親にDVを受けていると思うのは自然だろう。
「佐々木さんはさぁ、こんな状況であの母親は何て言ったと思う?」
「えっ・・・?」
行き成りの俺の問いに佐々木さんは困惑しているようだ。
普通の母親なら出てこないだろうセリフが出てきたので分からないのは仕方ないだろう。
「『お酒を飲まなければいい人なんです』だってさ。馬鹿げてるよな本当に、本当に良い奴は自分に酒乱の毛があるのに気付けば酒を飲もうとすら思わないって言うのに・・・」
本当にあの手の女は腹が立つ。
人に依存して守るべき対象も定める事も出来ず、守るべき相手を常に危険に晒し続ける様なあの性格や態度が気に入らない。
出会った当初のアリアも気に入らなかったが、あいつは傲慢さもあったが貴族特有の庶民や弱者を助けようと言う意思があった。
だが、あの手の女にはその意志が薄い。自分が悪い、自分が我慢すればいいと思い込んで巻き込まれる人間を一切考えない。
翔悟が今後平穏に良きれることを祈ろう。
「まぁ、やれることはやった。後はあの母親の決断と、翔悟の判断に任せるしかないしもう考えるだけ無駄だ」
「そうですね・・・」
話を切り上げると、ため息を付きつつ張り詰めてた気を解す。
最近シリアスになり過ぎてる。俺のキャラじゃないってのに・・・
この環境は少し良くない。やはり武藤や理子のようなネタ要因と一緒の方が俺の精神衛生上良いのだろう。
あぁ、ネタが欲しい・・・
「真面目に生きるのが辛い・・・もっと気楽に生きたい・・・」
「この際もっと真面目に生きて見たらどうですか?」
「前にアリアにも似た様な事を言われたよ。必要さを感じたらそうする」
本当にかったるい・・・
確かに真面目なのは苦手だが、そこまで不真面目でも無いだろうに何で皆俺の生き方を矯正したがるんだ・・・
「明日はとりあえず
「吉野先輩はそれだけの事ができるんですか?」
「不可能じゃないと思う。だけどそれが1週間でできるかと言われれば微妙なラインだな。どうしても時間が十分だとは言えないし、練習するタイミングと場所を確保できるかはその時次第だしな・・・」
そう、
そんな事を考えていると気付けば佐々木邸の門が見えて来ていた。
「さて、俺はこの辺で別れるよ。そろそろ行かないといけないし」
「はい。今日はありがとうございました!」
「これくらい大した事ないよ。じゃ、また学校で」
佐々木さんと別れ少し早めに人混みに紛れるように歩いていく。
これで1人に成れたので、やっと自由に行動ができる。
「まったく、本当にかったるい・・・」
人混みに紛れつつ背後に意識を向ける。
(居るな。一体何者だ?)
そう、俺は何者かに今朝から監視されている。
あかりちゃんや佐々木さんが狙いかもと思ったが、別れても俺の方について来る。
どんなに気付かれないよう意識を向けてもその主の顔を拝む事ができない。大きめの黒いパーカーのフードがその主の顔を隠し、輪郭は何となく分かってもその素顔が拝めない。
(狙いを確かめたかったが見せる気配が無い。そろそろ鬱陶しいし、撒くか)
そう決めたと同時に俺は、ガードレールを飛び越え車道に向かって走り出す。
車の通りが多く常人では渡りきる事も出来ないだろうが、韋駄天を使える俺なら車を避けつつ渡りきれる。
多少は車にぶつかるもそのたびに受け身を取り、大したダメージも無く渡りきるとガードレールを飛び越え裏路地に入る。
(付いて来てる。かなりできる奴らしい。ならば!)
路地裏の十字路を右に曲がると、大きく飛びあがり壁を蹴り、室外機の上に飛び乗ると更に大きく飛び、ウエストポーチから引き抜いたフックショットのフックを建物の屋上まで飛ばしワイヤーを巻き取り屋上に移動する。
「これで奴も諦めて──はくれない訳ね・・・」
ダンダンダンッ!!
俺が昇ってきたルートを三角飛びで上って来る音が聞こえてくる。
確かに三角飛びでなら壁を上る事も可能だろうし、やろうと思えば俺でもできるだろう。だが、尾行中にそれを実行できるとなれば相当の実力者だ。
少なくとも、俺よりも強いと思って良いだろう。
「やれやれ、折れるまで付き合ってやるよ」
その言葉を漏らすと、目黒方面へ走り出す。
そうして、誰とも知れない鬼を相手にした鬼ごっこが幕を開けた。
~side 佐々木志乃~
その日、夢を見た。
いつの頃かは分からないが幼い頃の私がお父様に連れられて都内のホテルにお父様の友人に会いに行く夢だ。
お父様の友人とホテルで集合するとお父様たちは挨拶を交わす。だが、私の目を引いたのはお父様の友人の隣にいた私と同じ年頃の男の子だ。引っ込み思案な私は同じ年頃の男の子と言う事でお父様の背後に隠れる。
男の子は少し困った表情を浮かべ、1歩前に出ると私に向かった右手を差し出す。
「よろしく志乃ちゃん!」
一見男の子が私の事を心配して仲良くしようとしてくれているように見えるだろう。
だが、私の目から見ると男の子は何かに縋る様な怯えと救いを求める様な目をしていた。
この時、私は目の前の男の子の手を拒否してはいけないと、私がこの子を助けてあげなくちゃいけないと子供ながらそんな使命感を抱いてしまった。
だから──
「よろしくね、お兄ちゃん」
少し躊躇いながらも、目の前の男の子の手を取った。
男の子はその瞬間、驚いた様な目をしつつも嬉しそうな表情を浮かべた。
私はその事実がどうしようもなく嬉しく、この子の手を取ってよかったと思ったのだった。