IS 喜んで引き立て役となりましょう!   作:ゆ~き

16 / 64
16.凰鈴音を初めて見た時、同級生の女子に右ストレートを叩き込んでいた。

 

 

 

 凰鈴音を初めて見た時、同級生の女子に右ストレートを叩き込んでいた。

 

 

 

 さすがにあの光景は忘れようにも忘れられない。

 

 あの時の鈴は今より少し低い百四十五センチ程度で、対する相手は身長が鈴よりも十センチ以上あり、体格も細身の鈴とは段違いに強そうだった。

 だが鈴は平手打ちしてきた相手に対し後ろへ一歩下がって軽く躱す。そしてそこでできた隙を逃さない。手が空を切って前のめりになってしまった相手の頬へ、全体重をかけた右手のグーを振り抜いた。

 殴られた相手はその勢いで半回転し、そのまま地面へと倒れこんだ。

 

 とんでもないところに来てしまった、と正直思った。

 当時の俺は中一で身長百四十センチもなく、そこらの女子よりも小さく弱かった。

 ただでさえ喧嘩でもしたら負ける状態なのに、ここには小さくともそれをものともしない女子までいる。

 どう考えても俺に生き残るすべはない、そう恐怖したものだった。

 そして小さな怪物の顔がこちらへと向く。俺は思わず息を呑んだ。

 ところがその怪物は急に笑顔になり、両手を振っている。

 意味が分からず混乱していると、隣にいた一夏が呆れたような声を出した。

 

「しょうがねえなあ。あいつまたやってるよ」

 

 どうやらその笑顔は一夏に向けられたもののようだった。

 

 

 

 

 

「どういう人かって、努力家だよ」

 

 殺気立った雰囲気の中、俺はそう返答をした。

 放課後、今日も主人に忠実な秘書としての勤めをこなした後、職員室を出てすぐに俺は女子に取り囲まれた。

 これが他のクラスの一年生なら待ち望んだエサにかかった獲物なのだが、残念なことに目の前にいたのはよく見知ったクラスメイト達だった。

 篠ノ之さんにオルコット、そして相川さん他一夏に落とされた女子多数。

 話があるから来いと問答無用で連れて行かれ、今俺は寮の会議室にいた。

 

「努力家ですか?」

「確かに負けん気の強そうな顔をしていたが」

 

 話題はもちろん鈴のことである。

 あの後俺に対する理不尽な誤解はなんとか解けたのだが、別の疑念が残っていた。一夏と鈴の関係だ。

 一夏は笑って小学校からの友達だと答えていたが、再会即抱きついてくるような相手だ。この連中が警戒をしないわけがない。

 かくして鈴を連れてきた俺に詰問タイムが設けられることとなった。

 

「自身の努力を惜しまない人だよ。努力すればいつか願いは叶う。努力しない人間は何も手に入れることができない。だから自分は常に努力を続ける」

「まあ」

「殊勝な心がけではないか」

 

 とはいえ何事にも限度はある。目的のために努力するのはいいが、努力すれば何でもかんでも願いが叶うかと言うと、俺はそうは思わない。

 努力以前に人には向き不向きがある。そこそこで満足できるのならそれでもいいだろうが、どうしても達成できない事柄が出てきたとき、努力のみに責任を押し付けるのか。

 一流を目指すのなら才能だって必要だろう。運も味方してくれないと困るだろう。それに何より、男がISを動かすことは努力以前の問題だった。

 別に鈴が努力するのを否定するつもりはない。ただ努力で全てを解決できると信じている鈴のことを、俺は努力ジャンキーだと思っているだけだ。

 

「そうやって努力して織斑君の友達になったの?」

「そうだよ。一夏にとって唯一の女友達だね」

 

 周囲が息を呑むのが分かった。これは強敵出現だと目に力も入っている。

 

「ま、待て。私は一夏の友ではないのか?」

「わ、わたくしはまだそこまで行くことさえできていないのでしょうか?」

「あー……」

 

 篠ノ之さんとオルコットの声が震えている。やはり最近は一夏の側にいるのが当たり前になっていて安心しきっていたようだ。

 対して相川さんはまだ自覚があるか。

 

「篠ノ之さんは小さい頃の幼馴染ではあっても友達かと言われるとちょっと違うかな。オルコットさんはどうだろう、正直壁は越えられてないだろうね。相川さんは自分でも分かってるみたいだけど、ようやく名前覚えてもらえたところだもんね。他の人は一夏から自分の名前呼んでもらったことある?」

 

 冷水を浴びせかけられたように、全員が黙りこんで下を向いた。

 鈴と自分との間にある圧倒的な差を感じているのだろう。

 この程度で諦めるようならそれまでだ。篠ノ之さんやオルコットには多少のフォローくらいしてもいいが、簡単に心が折れるようなら俺が何かをするまでもなく自滅するに決まっている。

 今後の一夏のことも考えると自分の心くらい自分でどうにかしてもらいたい。

 

「つまり奴がまず私の目指すところになるのか……」

「いいえ、それはきっと違いますわ」

「どうして? 差を縮めないことには何も始まらないよ」

 

 恒例の一夏対策会議が始まってしまった。

 攻略の糸口が全然見えないこともあるからか、最近はこの連中に協力姿勢が見られるようになっていた。

 もちろん隙あらば抜け駆けしようという意思は全員にある。だがそれ以前に一夏の思考回路がまるで理解できないため、まずはお互いに情報交換して一夏の心を理解しようとしているらしい。

 一夏の訓練に付き合っているうち、その合間などに一夏トークをして仲良くなってしまったようだ。

 今や相川さんも篠ノ之さんと普通に会話をするまでになっている。

 

「友達では駄目なのです。そうなってしまっては一夏さんの中でおそらく甲斐田さんと同じ括りになってしまい、むしろ女としては遠ざかってしまうのですわ」

「なるほど、確かに奴は数年来一緒にいながら友の先へと進めていないようだ。同じ方向を目指しても二の舞いになるだけなのだな」

「思えば今日のあれも絶対失敗だったんだよね」

「女の子に抱きつかれて何も思わないとか、織斑君っていったい何なんだろう?」

 

 俺そっちのけで相談が始まってしまった。

 さすがにオルコットは以前俺がアドバイスしたこともあり、鈴がいい方向に進んでいないことは理解しているようだ。

 俺としても一夏の心を動かす方向性が全く見えないので、ぜひともこの連中にはがんばってもらいたいと思う。

 

「ということはあの人のことはそこまで警戒する必要もない?」

「いやー、あれはガンガン間に入ってくると思うよ。気が強そうだし」

「あー、むしろ邪魔してやるくらいの気持ちで向かってきそー」

「というかさっきまさにそれだったじゃん」

 

 たった一度鈴を見ただけなのに、クラスメイト達はかなり鈴の行動を理解していた。

 鈴も勝ち取ったその座に安穏としていたわけではない。一夏に近づく女子を追い払ってその立ち位置を維持してきたのだ。

 そしてその姿に俺や弾といった男子がつけたあだ名が一夏の番犬である。

 特に俺は一夏が興味をもつ女子を調べていろいろやっていたので、しばしば鈴とは対立していた。

 

「でもそんな人が織斑君の側に居続けられるのかなあ?」

「確かに。そういうの織斑君がすごく嫌がりそうだよね」

「うーん……そこんとこどうなの甲斐田君?」

 

 もう俺の存在など忘れてしまったのかと思っていたが、そうではなかったようだ。

 言い方からしてどうも俺はアドバイザー的立ち位置にいるらしい。

 

「すごく嫌な言い方をすると、一夏にとって都合がいいから」

「またそれは本当に嫌な言い方をするな」

「甲斐田君、それどういうこと?」

 

 鈴の口が非常に悪いこともあって、俺の方も鈴については言い回しに遠慮するつもりはない。

 

「一夏は基本女子の気持ちが分からない」

「うん」

「そこに女心を教えてくれる人が現れたら?」

「えー」

 

 つまりは女心のアドバイザーだった。

 篠ノ之さんと一緒にいた頃はそうでもなかったようだが、小学校高学年ともなると一夏もその本領を発揮し始めていたらしい。

 周囲の女子をもちろん無意識のうちに魅了し、数多のアタックを受けるようになっていたと、小学生から付き合いのある弾は言っていた。

 だがそれと同時に、親やテレビなどの影響を受けて男である一夏に問答無用の敵意を向けるようになるものも出てくる。

 かくして一夏の周囲は好意悪意が入り乱れて相当ややこしい状態になっていたそうなのだ。

 ある日突然態度が変わってしまう同級生達に一夏も困惑し、その気持ちが全く理解できないこともあってかなり精神的に参っていたと弾はしみじみと語った。

 

 そういう状況で出て来たのが鈴である。鈴は男子に対する偏見を特に持っていなかった。そして筋の通らないことを許さないという正義感もあった。

 その結果男子というだけで一夏を蔑む女子連中を文字通り叩きのめして回った。最初のうちは言葉を使っていたようだが、そのうち面倒になったらしい。文句があるならもう拳で決めようとばかりに自分より体の大きい相手に対して向かって行った。そしてことごとく打ち倒してしまっていた。

 

「バトル漫画の主人公だね」

「ちょっとかっこいいかも」

「あのちっちゃな体で自分より大きな相手に向かっていくとかある意味燃える展開」

 

 鈴自身の意識も自分が世界の中心だった。

 だから俺は鈴が一夏の隣に立つことを認められない。主人公は一夏一人で十分だからだ。自分を物語の主人公とし、一夏を自分のヒロインにしようとするその所業は、到底俺にとって受け入れられるものではなかった。

 

「あれ? それと女心との関係は?」

「一夏が鈴に感謝して、その笑顔にいつものごとく鈴がやられてしまったんだって」

「いつものごとくってその言葉すごくおかしいよね?」

「私達も人のこと言えないけどね」

 

 失笑が漏れる。今ここにいるのはそのいつものごとくにやられてしまった人間ばかりだ。

 

「そして一夏は鈴のことを何かと頼るようになる。特に女子の行動の意味とか聞いたり」

「うわっ、それ織斑君いいようにされてない?」

「凰さんにとって都合のいいことばっかり吹きこまれたんじゃないの?」

 

 そこで好き勝手しなかったのが鈴の賢いところだ。

 弾によると初めのうちはそういう兆候もあったらしいが、すぐに改めたようだ。

 一夏はその感覚でなんとなく相手の後ろめたさや嘘を感じ取ってしまう。だから俺も変に正面から嘘をつくようなことはせず、意識を別の方向に向けたりそもそも話題に出さなかったりとその感覚に引っかからないよう小細工をしている。嘘をつくときも堂々と目を見る。

 鈴も当然それを理解し、むしろきちんと答えることで一夏の信頼を得る方向に持っていったようだ。そして実際に見事信頼を得て唯一の女友達の座を勝ち取るに至る。

 だがそれと引き換えに、信頼を得たがゆえに、一夏に対してアプローチができなくなってしまっていた。

 変に他の女子と同じ行動をして一夏に同類と見られてしまうのが怖いのだ。

 

「僕が知り合った時にはもう一夏の友達だったけど、かえってそれがブレーキになってるね」

「そういうことかー」

「ある意味八方塞がりだね」

 

 もちろん鈴自身もそれはよく分かっている。

 どうにかしなければと中学時代もいろいろ試みていたが、最後は怖くなってヘタレてしまうのが常だった。

 そして半ば八つ当たり的に一夏に寄ってくる女子を追い払ったりしていた。

 そういう姿を見て俺は鈴のことを一夏の番犬と呼んでいる。

 

「邪魔はしてくるんだ」

「今まさにやられたしね」

「貴重な織斑君との訓練タイムだったのに」

「ああ、そういえば今日の訓練はどうしたの?」

 

 そうだ、この連中は毎日放課後は一夏の訓練に付き合っているはずだ。

 それなのに今この時間に寮にいるということは、鈴に何かやられたか。

 

「甲斐田さんが織斑先生に強制連行された後凰さんが教室にやってきたのですわ。一年ぶりの再会だから話をしたいと」

「なるほど。でも別に僕は連行されたわけじゃ」

「一夏さんには毎日の訓練がありますので、当然最初のうちは断ろうとされていたのですが」

「甲斐田の意を受けた鷹月が許可を出してしまったのだ」

「僕別に鷹月さんには何も言ってないんだけど」

「この際凰をスパイに仕立て上げろなど、どうせ甲斐田の考えであろう?」

 

 確かに放課後働かされているのは俺の意思ではないし、鈴をスパイにしようと心の中では考えている。

 だが別に俺は嫌がる中織斑先生に引きずられていっているわけではないし、鷹月さんに鈴のことは何も言っていない。

 結論。これは著しい風評被害だ。

 

「ですから今日は整備班の方々に譲ってきたのですわ」

「武装の確認をさせて欲しいとは前々から言われていた。であるからちょうどいいであろうという話だ」

 

 俺が抗議の目を向けるも連中は何ら意に介する事なく会話を続けている。

 もうオルコットも篠ノ之さんも完全に俺のことをナメきっている。どうも一夏から俺の中学時代の話を聞いているようで、たまに俺のことを優しい目で見てきたり俺を見て残念そうにため息をついたりしていた。

 どこまでも失礼な話だが、今この場で俺のことはどうでもいい。問題は鷹月さんがそこまで一夏に言ってしまったのは大きなミスであるという事実だ。

 

「まずいな、急いで一夏を探さないと」

「あら、何か問題でも?」

「凰鈴音がどうかしたのか?」

「相手をそそのかすとかそんな芸当一夏にできると思う? もしできたとして、鈴がそれをはいはいと受け入れるような人間かみんな知ってるの?」

 

 目の前の連中がハッとした。

 そもそも一夏との出会いからして、鈴は強い正義感を持った人間だ。それなのに一年ぶりに再会した想い人からスパイの打診などされたらどんな反応を見せるのか。そんなのは恋心以前の問題だ。

 ストレートに言うのではなく、結果としてスパイ行為になるように仕向けなければならなかったのだ。だから俺は数日かけて作戦を考えようと思い、まだ誰にも言ってはいなかった。

 

 答えを聞くこともなく俺は会議室を飛び出す。

 二人はどこで話をしているだろうか。鈴はまだIS学園の地理を知らない。つまり場所は一夏の行ったことがあるどこかだ。

 一夏は基本適当な人間だ。そのへんでいいと言うだろう。だが鈴は昼の雪辱を果たそうとするはずだ。IS学園の地理を知らなくとも、場所の希望は述べるだろう。つまり雰囲気のある場所、屋内の密室ではない。そんな場所では鈴本人が緊張してしまう。

 ならば景色のいい場所。屋上か、学園の外れで周囲が広く見渡せる場所。この一ヶ月一夏は部活見学ツアーくらいでIS学園の探検はしていない。そして深くも考えはしない一夏なら、まず屋上を選ぶ。

 そう結論づけて俺は寮を出て校舎へと向かって走る。後ろからクラスメイト達が追ってきているのが分かった。

 

 そして俺の予想は正しかった。

 ちょうど校舎の前に着いた時、中から鈴が出て来た。

 そして俺の危惧も正しかった。

 

「智希じゃない、ちょうどいいわ。面貸しなさい」

 

 鈴の表情は明確に怒りだった。

 遅れて一夏も出てくる。痛そうな顔で頬に手を当てていた。きっと鈴に殴られたのだろう。鈴は平手打ちなどかわいいことはしない。攻撃する時は常に拳を握る。

 これは難しい立場に追い込まれた、と俺はこれから始まるあれこれについて気が重くなった。

 

 

 

 

 

「で、智希はこのIS学園でいったい何を企んでるわけ?」

「何か僕が諸悪の根源みたいな言い方だね」

 

 頬が赤く腫れて痛そうにしていた一夏をクラスメイト達に託し、俺は鈴と一対一で対峙した。

 さすがに責任を感じた連中は残ろうとしていたが、迷わず俺は全員を帰した。多対一など鈴の神経を逆撫でする行為でしかないからだ。それにこれ以上余計な発言をされても困る。

 もうここは俺が何とかして口先一つで乗り切るしかない。

 

「根源も何も、あんたしかいないでしょうが」

「それはとても心外だな。僕が一夏に対して鈴に殴られるような真似をさせるはずはないのに」

「また白々しいことを」

 

 鈴が苦々しげに吐き捨てる。

 内心はともかく、俺は表情だけは平然としてみせた。まだ鈴の口から何が起こったのかを聞いてはいないし、心当たりがあるような後ろめたさを出すわけには絶対にいかない。

 

「あたしにスパイになれとか、智希あんたふざけてんの? 一夏に何言わせてるの?」

「スパイ? 何の?」

「しらばっくれてんじゃないわよ。なんかクラス対抗の模擬戦があるんでしょ。あたしに二組の様子を探ってこいとかバカにしてんの?」

「そんなこと一夏が鈴に言ったんだ。確かにきっとうちのクラスの誰かだろうけど、分かった。一夏にそんなことをさせたのは誰だか聞いてみるよ」

「だから! その嘘くさい態度はやめてくれない? そんなこと言い出すの智希以外に誰がいるって言うのよ? もうほんとそういうのムカつくんだけど」

 

 鈴は暖簾に腕押しな俺の態度に苛立ちを隠せない。

 俺としても一歩も引いてはならないのだが、かといってこれ以上鈴を怒らせて実力行使されてはたまらない。

 生身の体でも鈴に勝てるわけがないし、俺には基本言葉しかないのだ。

 

「あのさ、鈴こそ僕のこと馬鹿にしてない? 鈴は一夏に言われたら何でも言うこと聞くとか僕が考えてるとか思ってるの?」

「だから一夏に言わせたんじゃないの?」

「鈴って本当にそうなの?」

「そんなわけないじゃない」

「僕だってそれはよく知ってるよ。もしそうなら鈴はとっくの昔に一夏から他の女子と同じ扱いされて見向きもされなくなってる」

「それは……」

 

 まずは鈴が一夏の特別であるということを思い出させる。一夏を全面肯定するでもなく全面否定するでもなく対等な友達という立場で横にいたのが凰鈴音だ。

 というかその程度なら俺は何より先にスパイになれと一夏にそそのかせていただろう。

 

「そりゃあさ、今度のリーグマッチで勝ちたいよ? でもそんな卑怯なことして勝っても意味がない。人前でやるんだから堂々とやらないと」

「そう? 智希なら喜んでそういうことしそうだけど?」

「いや、模擬戦をやるのは僕じゃなくて一夏だよ。だいたい一夏がそんなズルして勝って嬉しがると思う? 鈴にスパイのことを言った時も一夏は言いにくそうにしてなかった?」

「確かに……無理矢理口にしてた感はあったわね……」

 

 我ながら嘘臭さ過ぎて危なかったが、一夏を引き合いに出して何とか事なきを得た。

 一夏だって友達にそういう真似をさせるのは抵抗があるだろう。だから俺が裏でこっそりやろうと思っていた。

 

「そういうこと。その人は昼の鈴の姿を見て勝手に想像してたんだろうけど、鈴のことを知ってたらそんな鈴が絶対に怒るようなことなんて言えるわけがない」

「うっ、あれを引っ張るとかあんた鬼ね……」

 

 思い出した鈴の顔が赤くなる。鈴が一夏に抱きつくだなんて運動会でのどさくさ紛れくらいしか記憶にない。

 よし、怒りのボルテージは順調に下がってきている。

 

「確かにうちのクラスの人間が鈴を怒らせるようなことをしたのは申し訳なかった。後でその張本人を連れてきて鈴に謝らせる。それじゃ駄目?」

「それは……まあ本人が本当に反省したのなら受け入れないわけじゃないけど……」

「やっぱり嫉妬みたいなものはあるんだよ。一夏に抱きつける女子なんてこのIS学園には一人もいないし、羨ましくて仕方ないんだろうね」

「そ、そうなの!?」

 

 鷹月さんには悪いが今回は泥を被ってもらう。余計な勘ぐりを鈴にされても困るので、鈴に嫉妬したがゆえの暴走ということにした。

 一夏にまるで惚れてもいない鷹月さんにはいい迷惑だろうが、勝手なことをした報いだ。きっとこれでまた俺への扱いがひどくなるんだろうけれど。

 

「うん、どうせ聞かれるだろうと思ってたけど、一夏は相変わらず女子に囲まれてるよ。今クラスの三分の二くらいは一夏に夢中になってるかな」

「ほんとデタラメな話ねえ……まああたしが言えた義理じゃないけど」

「でも一夏の態度も相変わらずだから、正直一年前と状況は変わってないね。ただ周りにいる人間が変わっただけ」

「そ、そう? それは正直助かった……。女しかいないIS学園とか、もう飢えた猛獣の檻の中に一夏を放り込むようなものだと思ってたから」

「だから不安になってあんな思い切ったことをしたんだ?」

 

 鈴は顔を真っ赤にして下を向いた。

 それを一夏の前でやれないのが鈴の最大の弱点だと思う。

 

「あ、あんたこそどうなのよ? 一夏とまではいかなくてもここでなら智希にだっていろいろあるんじゃないの?」

 

 顔を赤くしながら、鈴が俺に対して照れ隠しの反撃に出た。

 言われて俺に寄ってくる女子について考えてみる。

 そして、今や俺は周囲からぞんざいな扱いしかされていないことをはっきりと悟ってしまった。

 クラスの連中は言うまでもなく、織斑先生には要注意人物扱いでこき使われ、五組の代表には本題と何の関係もないところで馬鹿にされていた。

 一人で歩いていても陰口ばかりで声をかけてくるような者もなく、救いは挨拶してくれる三年生と真摯に俺に挑んでくる生徒会長くらいではないか。

 

「と、智希……じょ、冗談だから、気にしないでね。そのうち智希のよさ? に気づいてくれる人もいるだろうから、ね?」

 

 俺はどんな顔をしていたのだろう。鈴があからさまにまずいこと言ってしまった的態度で俺を気遣う発言までしている。

 基本他人に興味のない鈴にまで気を遣わせてしまうとは、俺も落ちてしまったものだ。

 いや、別に俺の評判など本来どうでもいいことなのだが、かといって不当な扱いをされることについてはちょっと違うと思ってしまう。

 だがそれならいっそ評判にふさわしい行動をしてやろうか。

 今の俺ならもう何をしても下がりようなどない気がしてきた。

 

「と、智希、もういい時間だし一夏も一緒にご飯でも食べよっか? お腹が空くからよくないことを考えちゃうのよ。そうだ、ここの学食ってすごいんでしょ? あたし日本は久しぶりだし、日本食食べるの楽しみにしてたんだ」

 

 誤魔化しきった。だから既に俺の目標は達成されている。

 だがどこか釈然としないのはなぜなんだろうかと、挙動不審な態度で笑顔を作る鈴を眺めながら思った。

 

 

 

 

 

 寮の食堂で夕食を一夏と鈴と三人で取った。

 鈴のみならず一夏までが俺に優しくなっている。

 一夏を呼びに行ったとき部屋の前で俺だけ待たされて、部屋の中で鈴と一夏が何事かを話していた。

 そしてしばらくして部屋から出てきたとき、一夏はかなり気まずそうで無理矢理に笑おうとしていた。間違いなく鈴に説教されたのだろうが、どうも自分自身にも最近の俺の扱いについて思い当たる節が多々あったらしい。

 珍しく俺におかずをくれたり、デザートをおごってくれたりとあからさまにも程があった。

 もちろん俺はそんな不自然な態度に突っ込むような野暮な真似はせず、笑顔で素直に感謝を述べる。だが感謝の言葉を口にする度になぜだか一夏の表情に怯えの色が深まり、張り付いた笑顔の鈴が忙しなく口を動かしてその場を取り繕おうとしていた。

 

 やがて一夏にとっては悪夢のような夕食が終わりを告げ、その後鈴を部屋までエスコートする。

 部屋の前に着いて、鈴はせっかくだから上がっていけとドアを勢いよく開けた。そんなルームメイトもいるだろうにと呆れていたら案の定、中では金髪の女子がベッドの上で寝転がってスナック菓子を食べていた。

 一夏だけならきっとここで着替えのシーンにでも出くわすのだろうが、まあ俺もいるしこんなものだろう。

 ラフな格好をした金髪の女子がぼんやりとした顔でこちらを見上げた。そしてみるみるうちにそばかすのついた頬が赤くなっていく。

 

「えええっ!?」

「ただいまティナ。するまでもないだろうけど一応紹介しとくわ。織斑一夏に甲斐田智希。あたしの中学時代からの連れよ」

 

 だが鈴は平然と、何も気にすることなく一夏と俺を順に手で示した。

 まさかとは思ったがこれは明らかにルームメイトの羞恥心など眼中にない。

 自分は小奇麗な格好をして一夏の前に立とうとするのに、他人のことはどうでもいいのか。

 ルームメイトなんだから、せめてノックして伝えて服を着たり心の準備をする時間くらい用意してあげるべきだろう。

 他人事ながら、鈴の無神経による被害を受けた目の前の女子に同情してしまう。

 

「こっちは知らないだろうから紹介しなきゃね。あたしのルームメイト、ティナ・ハミルトンよ。カナダから来てるんだって」

「よ、よろしく……」

 

 知らないどころではなかった。求めて止まなかったと言うと言い方があれだが、その名は正体を探ろうとしていた二組の代表だった。まさか鈴のルームメイトとは。

 知り合いの少ない他国の留学生同士だから同室になったのだろうか。

 

「織斑一夏だ。鈴のことよろしくな。鈴と一緒の部屋だなんてこれからほんと大変だろうけど」

「何よ一夏その言い方は?」

 

 笑顔で挨拶する一夏に文句を言いながらも、鈴は嬉しそうだ。

 対する二組の代表はベッドから飛び降りて立ち上がったものの、真っ赤になっていてろくに顔も上げられていない。もちろん一夏の笑顔にやられたからとかそういうことではなく、自身の醜態を見られてしまったという恥ずかしさによるものだ。

 Tシャツ短パンに裸足と別に部屋の中ならおかしくもない格好だろうが、完全にだらけた姿をあの織斑一夏に見せてしまうとは、まあご愁傷様としか言えない。もしオルコットがそれをやってしまったとしたら恥ずかしさの余り飛び降り自殺でもしてしまうかもしれない。

 鈴や弾の妹蘭を見ているとつくづく思うが、女という生き物はオンとオフの差が著しく大きい。女子しかいない場や俺や弾の前ではだらけているくせに、一夏が姿を見せると途端に背筋を伸ばして笑顔になる。化けの皮が剥がれた日には一夏からの株が大暴落してしまうと危機感を持って、普段からきちんとできないのかと常々思う。それでも弾が未だに女に対して夢を抱いているのは賞賛に値するが。

 ちなみに一夏自身は家で姉のだらけた姿を見飽きているので、実はそういうのは全く気にしなかったりする。

 

「ほら智希、あんたもさっさと挨拶なさい」

「はいはい。甲斐田智希です。確かに鈴は無神経だけど、ある一点にさえ気をつければいい奴だから大丈夫だよ」

「なんだそれ?」

「何よそれ」

 

 一夏の疑問と鈴の抗議には答えず相手を見る。

 数秒して、二組の代表はハッとして顔を上げた。それから一夏を見、鈴を見、最後に俺の目を見て首を何度も縦に振った。

 察しはいい。この場で怒り出さないあたり性格も悪くなさそうだ。

 結局のところ、自分は一夏とこんなに仲がいいんだぞ、と鈴がルームメイトに自慢をしたいだけの話だ。

 そして鈴は一夏が絡むと見境がなくなるとも理解してくれたようだ。

 

「じゃ、僕らも部屋に戻ろうか」

「え、もしかして今ので通じたのか? 智希お前たまにすげーな。結局何なんだ?」

「そんなの暴力に決まってるじゃない」

「あっ……だよな! ほんと気をつけろよ。俺もさっきやられたけどマジでいてーから」

「ちょっと二人とも何言ってんのよ」

 

 俺達の会話を聞いていて、二組代表も俺達の関係性を理解したようだ。

 ようやく平静さを取り戻して笑っている。

 

 帰り道、鈴のルームメイトが一夏の対戦相手であることを教えると、一夏は本気で驚いて後ろを振り返った。

 

 

 

 

 

 ようやくこれで騒がしかった一日も終わりかと思っていたが、まだあった。

 部屋に戻ると、ドアの前に三人ほど立って俺を待っていた。

 一夏を待っていたわけではないと分かるのはそれが指揮班の三人だったからだ。鷹月さん、四十院さんにオルコット。まあオルコットは普通なら一夏だろうが、今日に限ってはその態度から違うことが容易に分かった。

 もちろん、鈴の件だ。三人共不安そうに申し訳なさそうに立っている。

 

「おっ、どうしたんだみんな?」

「一夏さん……」

「もちろん放課後のことです」

「……」

 

 珍しく、鷹月さんが言葉も発せずしおらしい。

 

「放課後?」

「鈴のことだよ。殴られたの一夏だよ?」

「ああ、そういやそうだったな」

 

 実害を受けておきながら他人事のような言い方だが、一夏的には悪いことをしようとして罰を受けた程度の認識でしかない。元々友達にスパイをさせることに乗り気でなく、鈴にも殴られた後説教されて納得してしまっている。自分がやるならまだしも、人にはやらせたくないと言うのが織斑一夏という人間だ。

 また姉にしばしばやられていることもあり、一夏は自分への暴力に対する耐性が非常に高い。タフと言えば聞こえはいいかもしれないが、つまりは多少殴られたところで堪えないという話だ。

 ただし自身についても暴力自体に抵抗が少ないので、本気で怒った時は男女の体格差など関係なく手を出す。三年間で一度しか見たことはないが、大人の女の顔を容赦なく殴って一撃で失神させてしまったこともあった。

 とはいえ基本は寛容だし、相手が謝れば根に持たずすぐ許してしまう甘い人間ではある。

 

「織斑君はそれでいいのですか……?」

「さすがは一夏さん、素晴らしく寛容な精神をお持ちですわ」

「それでも私のせいよね。本当にごめんなさい……」

「ああ、大丈夫大丈夫。もう痛みも引いたし、鈴も機嫌直ったし」

 

 別に気遣いでもなんでもなく、一夏は本気で気にしていない。別に鈴に殴られることも初めてではないし、鈴が理由もなしに殴るような人間ではないことを一夏は理解している。

 鷹月さんが顔を少し上げて不安そうに俺を見る。俺は軽く頷いて一夏が嘘を言っていないことを伝えた。

 尚も鷹月さんは信じきれていないようだったが、相手が許すと言っている以上はありがたく受け入れる以外にない。

 話を進めることにして、俺は鈴の怒りを収めたことを報告した。

 

「さすがですね」

「智希は散々やり合ってきてるから鈴のことはよく分かってる。俺的にはいいタイミングで出てきてくれて助かったよ」

「僕いなかったらあの後一夏はどうなっただろうね?」

「やめろ。想像したくもない」

 

 目の前の三人が相当に凹んでいることもあって、珍しく一夏までが気を遣っている。

 軽口を叩き合う俺達を見て三人の表情も少し緩んだ。

 

「まあそういうわけだから……あ、一夏、先に風呂入ってて。ちょっと指揮班の話をするから」

「そうか? じゃあお先に」

 

 軽く手を上げて、一夏が部屋の中に入っていった。

 一夏がいると話せないことも言っておかなければならない。

 とりあえず俺は鷹月さんへの罰を説明した。

 鷹月さんが鈴への嫉妬の余り暴走したというストーリーを作ったということだ。

 

「甲斐田さんは本当に人が悪いお方ですわ」

「最近増々進化しているようにさえ見えますね」

「本当に屈辱だわ……だけど、今の私は何も言える立場じゃない。甘んじて、その役割、受け入れさせてもらいます……」

 

 あっさりと受け入れてしまった。

 正直なところもっと嫌がるかと思っていたのだが。

 少々物足りない気がしないでもないが、素直に聞いてくれるのならもう一言くらい言っておこうか。

 

「あとさ、一組二組とか置いておいて鈴の友達として言わせてもらうけど、再会した初日からそういうことを一夏に言わせるのはさすがにないよ。正直なところ僕も似たようなことは考えてたけど、今日そこまでするつもりはなかった」

「ごめんなさい……これはまたとない機会だから逃してはいけないと思って……」

「むしろ事情を知らないうちに誤魔化してしまえばと……」

「一夏さんに会えて喜んでいて機嫌がいいなら受け入れやすいのではないかと……」

 

 幸運の女神は前髪しかないからチャンスを逃すな、などと言ったりするが、これでは女神に飛びついたらその場で殴り返されたようなものだ。

 せめて鈴の知り合いである俺に相談してからにして欲しかった。ひとまず送り出すだけ送り出しておいて、後から俺が邪魔にでも入れば何かはできただろう。

 とはいえ後からたらればを言っても、終わってしまったことはもはやどうしようもない。その場にいなかった時点で俺にできることはなかった。もしかしたら鈴は俺がいなくなったのを確認してから教室に入ってきていたかもしれないし。

 結局のところ、俺が組織の統制を取れていない、手綱を握れていないということなのだ。

 

「うん、分かった。僕もその場にはいなかったし、もう終わったことをどうこう言っても始まらない。同じ過ちは繰り返さないということで、今後は焦らず無理せず四人で確認しながらやっていこう。無事新聞部の号外も出たし、僕らが有利なのは変わらないんだ」

「うん……」

「仰る通りです」

「肝に銘じますわ」

「それに完全に失敗に終わってしまったわけじゃない。新たに得られた情報だってある」

 

 そして俺は二組の代表が鈴のルームメイトであることを説明した。

 鈴繋がりがある以上ある程度は二組やその代表の情報を得ることもできるだろう。さすがに味方させるのはもう無理だろうけれど。

 

「つまり私は余計なことをしただけじゃない……」

「こうなってしまうと本当に悔しいですね」

「なんと浅はかな行為をしてしまったのでしょうか……」

 

 希望を持たせるつもりが逆に凹ませてしまった。

 こういうのは本当に難しい。

 

「でも二組の代表と面識を作れた。今後は僕が情報を取りに行けるから大丈夫だよ。一夏を鈴にあてがっておいて、雑談交じりに二組の代表からいろいろ聞いてくる」

「それはそれでわたくし個人としては非常に憤りを感じますわ……!」

 

 しまった、オルコットの前で言うことではなかった。

 人間関係まで考慮しなければならないとは本当に面倒だ。

 

「あ、言っておくけど僕は鈴のことは応援してないから。それに三年かけても何もできなかった人間が今さらどうにかできるとも思ってないし」

「そうなのですか?」

「意外。誰でもいいかと思ってた」

「興味本位だけではなかったのですね」

 

 油断するとこの連中は俺に毒を吐く。

 今の今まで凹んでいたくせに、現金にも程がある。

 

「そうだよ。一夏に合ってない人にどうこう言うほど僕も暇じゃない」

「まあ」

 

 オルコットが嬉しそうに目を輝かせて、鷹月さんと四十院さんは俺がオルコットの機嫌を取ったことを理解した。

 

 

 

 

 

「ねーねーねー、ちょっといい?」

 

 振り返って、ついに来たと思った。

 

「君最近よく一人で歩いてるの見るんだけど、一人で怖くないのー?」

「どうして怖いって思うの?」

「そんなの当たり前よー。女子の群れの中に男子一人とか、肩身狭いってもんじゃないでしょ?」

 

 俺に声をかけてきたのは日本人ではなかった。髪の色は茶髪、背が高くて俺と同じくらい、ヨーロッパ系だ。クラスメイトではイギリス人のオルコットよりスペイン人のリアーデさんに近い。きっと北ではなく南の方だろう。あるいはヨーロッパ以外のどこか。

 

「別に何かされるわけでもないし。それどころか誰も話しかけてこないくらいだよ」

「だからってちょっと油断し過ぎじゃない? 世にも珍しい男性IS操縦者なんだから、もっと自分のこと心配したら?」

「でもここはIS学園だし、変な人は入って来られないからむしろ安心なくらいだと思うけど」

 

 話す内容に反して、目の前の女子は笑っている。別に俺のことを本気で心配しているわけではなく、話のとっかかりというところなのだろう。

 胸元のリボンは俺と同じ青色、一年生だ。

 

「ふーん。確かにそんなバカなことするようなのはここには合格できないんだろうけど、でも君あんまりいい目で見られてないよ」

「それはわざわざご忠告をありがとう。僕からしたら一人でいるのに何もしてこないって天国みたいなものだから。僕の方から余計なことをするつもりはないし、大丈夫だよ」

「男なのに度胸あるんだねー。もしかしてもう一人の方もそうなの?」

「どうだろう。一夏はいつも女子に囲まれてるし、そもそも一人になる機会ってあんまりないんじゃないかな?」

 

 予想通り、一夏の話を振ってきた。

 さてこれは一夏への個人的な興味か。それとも。

 

「ああー、いつもすごいよねー。人だかりできてるからすぐ分かるし、いつ見ても女子に囲まれてるなあ。日本の男子ってみんなああいう感じなの?」

「僕を見ればそうじゃないって分かると思うけど。どこから来たの?」

「愛と情熱の国、イタリアよ。アニータ・ベッティ。一年の三組。よろしくね」

「一組の甲斐田智樹です。知ってると思うけどもちろん日本出身」

 

 大物だ、大物が釣れた。

 見たか指揮班の連中よ、散々俺のことを馬鹿にしてくれたが十分な成果は上がったぞ。

 目の前にいるのは三組代表、イタリアの代表候補生だ。

 

「じゃあやっぱり織斑先生の弟だから?」

「姉が姉だし、それもないとは言えないんじゃないかな」

 

 自己紹介もそこそこに、三組代表はすぐ一夏の話に戻した。

 俺に話しかけた目的は間違いなく一夏だ。

 さあお前が気になることは何だ。

 

「ISを動かした男子があの織斑先生の家族だなんて、きっと何かあるんだろうなあって思っちゃうね。もしかして君も親戚とか?」

「残念だけど、一切血は繋がってないよ。それに僕はISを動かせると言っても本当に動かせるだけだし」

「それならIS開発者の方? 一組にいるんだよね、篠ノ之博士の妹が?」

 

 やけに詳しいな。もしかしてゴシップ好き系だろうか。

 

「確かに篠ノ之さんはクラスにいるけど、僕はそっちでもないよ。全くの赤の他人」

「そうなんだ。やっぱり不思議な話なのかな。自分でもどうしてISを動かせるか分からないんだよね?」

「うん」

 

 このまま踏み込んでくるかと思いきや、そうでもなかった。

 単純に昨日出た新聞部の記事を読んで興味を持った程度だったのだろうか。

 にしては相手が相手なので気にかかるところでもあるが。

 

「うーん……初対面でこんなこと聞くと変な奴って思われるかもしれないけど、君大丈夫?」

「何が?」

「IS学園の新聞を読んだんだけれど、もしかしてクラスに溶け込めてないんじゃないかなと思って」

 

 まさかの俺に対するぼっち疑惑だった。

 確かに記事では俺はほとんど喋っていないし、一夏がこれでもかというくらいに推されていたが。

 

「最近よく一人でいるみたいだし、放課後は毎日一人で職員室に行ってるそうだし、IS学園の生徒会長もよく様子を見に来てるって聞いたし」

「ああ、そういうこと。クラスから浮いているとか別にそういうことはないよ」

 

 言ってから、別の意味で俺は浮いているんじゃないだろうかという考えに思い当たってしまった。

 クラスメイト達は基本俺のことをぞんざいに扱うくせに、一方で俺の発言に怯えたりしている。

 どうも整備班パイロット班の連中は個別会議初日にあった俺からの制裁が相当に堪えたらしい。

 大勢の前で辱めを受けたという俺の精神的苦痛を考えれば当然の処置だと思ったのだが。

 

「あっ、そんな顔をするってことはやっぱりそうなんだ。生徒会長もそうだけど三年生がよく君に声をかけて気を遣ってるって聞いて、もしかしたらそうじゃないかって思って」

「いや、それは全然違うことだと」

「いいよ、無理しなくても。上級生は今度のリーグマッチに一切協力を行わないって話知ってるよね? きっと何か事件があってそうなったんだろうけど、君と織斑先生の弟君との間でいざこざがあって三年生が激怒したってみんな言ってる。当たらずとも遠からずでしょ?」

 

 遠からずどころではない。

 もはや水平線の彼方までぶっ飛んでいってしまっている。

 俺と一夏の間に不仲説まで出ているとは、もう三年生が聞いたら間違いなく大爆笑だ。

 

「そして悪いのは向こうなんだよね? だから三年生は怒って一組の代表になった織斑弟にリーグマッチで勝たせまいと声を上げた。でもそれで君はますます居場所がなくなって、こうやって一人でいる」

「僕はもう何をどう言っていいか分からないよ……」

「辛かったんだね。自分で選んだ場所じゃないし、馴染めないと本当に大変だよね。でもクラスだけが居場所じゃないよ。視野を狭くしてしまって自分から不幸の道を歩むことはないから」

 

 いや、むしろこれはある意味理想的な展開なのかもしれない。

 俺と一夏の不仲説などというゴシップが出回ってその話題で占められれば、リーグマッチのことは関心を持たれず隅に追いやられてしまうだろう。

 

「だからさ、こうやって一人でいるくらいなら三組においで。あ、言い忘れたけど私は三組の代表、クラスのみんなには話をつけておくから。大丈夫、うちのクラスに君の敵なんていない」

「はあ……」

 

 俺にとって全く悪い話ではない。

 向こうから来いと言ってくれるのなら喜んで三組の様子を探らせてもらおうと思う。

 とはいえ今現在一夏が悪役にされているのは非常に気に喰わないので、三組の連中を使ってもう少しマイルドな、不幸な行き違いがあった的な話に書き換えてしまわなければならない。

 

「それは一度うちのクラスに来てみれば分かるよ。と言っても明日から休みだった。じゃあ居場所なかったら私達と適当に遊ぼう。部屋にこもってじっとしてるよりは全然ましだと思うし」

「まあ、気が向いたら」

「それでいいよ。別に無理させたいわけじゃ全然ないし。でも休み中はいい天気みたいだし、外に出た方が気分は晴れると思うな」

「うん、ちょっと考えてみる」

 

 即答はしない。

 指揮班の連中に言った手前、俺も勝手な行動は控えようと思う。

 今こうやってふらふら一人で出歩いているのはどうなんだという話ではあるけれど。

 

「それじゃ、明日の昼前にでも君の部屋までちょっと様子を見に行かせてもらおかな? もちろん無理強いはしないよ」

「じゃあまたその時に」

「うん、また明日」

 

 笑顔で手を振って、三組代表は歩いて行った。

 どうやら二組代表に続いて三組の代表も俺が担当になるようだ。

 とりあえずは指揮班の三人と話をして今後どうしていくか決めよう。

 自分の考えを纏めながら、俺は自分の教室へと足を向けた。

 

 

 

 

 

 教室まで戻って扉を開けて、中が重苦しい雰囲気に包まれているのが分かった。

 いつもは実に騒がしいクラスだ。相川さん達が一夏を取り囲んで黄色い声を上げていたり、何かを思いついた谷本さんが突然大声を出して鷹月さんに説教されていたり、布仏さんが爆笑していたりと騒音には事欠かない。

 だが今教室内を支配しているのは無音、とまでは行かなくとも、静音、くらいだろうか。

 教室に入ってきた俺を見る目が事態の深刻さを物語っている。

 さて今度は何があった。

 

「甲斐田君、扉閉めて」

 

 言いながら、険しい顔をした鷹月さんが手招きして呼んでいる。

 クラスメイト達は会話も止めて俺を見ている。

 俺は言われた通り扉を閉め、鷹月さんの前まで足を進めた。

 

「甲斐田君、ついにリーグマッチの価値に気づいたクラスが出た」

「なるほど。やっぱり新聞部の件は失敗だったね」

「それはもう分かってたし仕方ない。それで気づいたのはよりによって一番情報のない三組よ」

「は?」

 

 思わず聞き返してしまった。

 

「気づいたかもしれないじゃなくてもう確定よ。三組の人と部活が同じなうちのクラスの子がいろいろ聞かれたりとか、訓練機の予約の時に出くわしたとか、アリーナで三組の集団が私達を観察してたとか、決定的なのはリーグマッチの詳細が書かれたあの紙を持ってる人がいた。偶然かもという希望的観測はもうできないわ」

「うん」

 

 もう色々合点がいってきた。

 不思議でも何でもなかった。

 

「個人がばらばらに動いてるんじゃなくて、集団としてきちんと行動してる。私達と同じね」

「そうだね」

 

 今で誰も話しかけてこなかったのに、急に話しかけてきたのが三組の代表だなんて、火を見るよりも明らかではないか。

 五組の代表がああだったので、俺としてもどこか油断していたんだろう。

 

「このことから三組の代表はそれなりのリーダーシップを発揮していると思われるわ。私達が想定していた動きとかなりの部分がリンクしている。私達がきちんと考えた上で出した動きの話だから、行き当たりばったりでやったことでは決してない」

「だろうね」

 

 人間考えるのは似たようなことなのだ。

 俺が鈴のことをスパイにできそうだと考えたように、三組の代表だって俺をスパイにできないものかと考えるのだ。

 外から見える俺の姿はさぞかし扱いやすいものに見えたことだろう。

 

「でも三組の代表本人が何をしているかはまだ分からないわ。そもそも訓練機が手に入らないでしょうし、周囲にブレーンがいるんじゃなくて自分の頭で考えて指示をしていくタイプなのかもしれない」

「どうだろうね」

 

 三組の代表なら既に重要な役目を果たしている。

 俺という誰も話しかけられないような危険な対象にたった一人で接触しているのだ。

 度胸もかなりあるだろう。

 

「甲斐田君」

「なに?」

「どうしてさっきからそんなに嬉しそうなの?」

 

 指摘されて、俺は自分が笑っていたことに気づいた。

 それは利用するつもりが利用されそうになっていたことへの自嘲からだろうか。それともクラスの中と外で俺の印象に大きなギャップがあることへのおかしさだろうか。

 いや、きっとそういう次元のものではない。

 

「そうだね。いよいよ始まるんだなあと思って」

「何が?」

「もちろんリーグマッチのことだけど」

「は? 本番まであと十日あるんだけど?」

「そういうことじゃなくて……ここからが本当の始まりってことかな」

 

 俺達が相手をするのはプログラミングされた行動しかしないロボットではない。

 自分の意思を持って行動する人間だ。そしてその人間の集団だ。

 自分がアクションして、相手がリアクションして、また自分がそのリアクションをして、それが延々と続く。それはキャッチボールかもしれないし、豪速球の投げ合いかもしれない。

 重要なのはどちらも意思、意図を持ってやっているということだ。利害がぶつかり合ったらお互いに相手を邪魔しようとするだろうし、自分の目的を達成しようと試みるだろう。

 最終的にどちらが相手を上回れるのか。結局はそういう勝負だ。

 

「どういうこと?」

「別に悲観するようなことは何もないってこと。僕らは本番までやるべきことをやればいいし、邪魔してきたら排除すればいいし、たまにはこっちからちょっかいをかけてもいい。目的は最初からはっきりしてる。一夏が本番で勝つことだ。そして僕らは三組よりも二週間分も先を行っている。相手の想定だってしてるし、怖がるようなことは何もない」

「またそれは楽観的というか、相手のこと何も分かってないのに適当な話ね……」

 

 そうは口で言いながら、鷹月さんの表情が和らいだ。周囲の雰囲気に飲まれていたクラスメイト達も、苦笑しつつさっきまでの深刻そうな顔はない。

 前々から予想されていた事態で、そもそも深刻がるようは話では全くないのだ。

 

「バレたんならもういっそ余裕を見せつけていこうか。そんなことも知らないの? 的な話をして相手の焦りを誘ってみるとか」

「あのね、言っておくけどこっちだってまだ織斑君はイグニッション・ブーストを使えてないんだからね。昨日は練習さえできてないんだし、油断は禁物よ」

「大丈夫、やると言ったからにはきっとやるよ。ねえ一夏?」

「俺!? いや、それは確かに言ったけどさあ……」

 

 急に振られて困った顔になる一夏を見て、誰かが笑い出した。

 そして笑いが教室中に伝染していく。

 深刻な顔をしていた方がいいならあのままでもいいが、この脳天気な連中にそんなのは全く似合わない。

 それに谷本さんが一夏に言ったように、楽しんでやった方が精神的にもいいのだ。

 問題はそこら中に転がっていて分からないことも山とある。

 だが一発逆転の秘技がない以上は一つ一つ潰していくしかない。

 ならば全部笑って蹴飛ばしてしまえ。

 そうだ、今しがた俺にあったことを話せばさらに雰囲気は和らぐだろう。

 

 そう思って三組代表との会話を話したところ、なぜかクラスメイト達は揃って深いため息を吐いた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。