IS 喜んで引き立て役となりましょう!   作:ゆ~き

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5.逃亡

「正直よく分かんない」

 

 と、俺は野次馬共の期待に応えるような真似をせずしらばっくれる。

 

 

 

「そうか。まあ俺も時々そういうことはあるしな」

「えー」

「今のに対してそれはないよー」

「いやいや、よく考えてみてよ。今起こったのはどういうことだったのかって」

 

 なおも野次馬共は食い下がる。相川さんなどは何を他人のことにそこまで必死になるのかという勢いだ。

 さて、どうすればこの連中は納得して引き下がるか。

 宮崎先輩はまあ問題ない。一夏があそこまで言うからには相当に深刻な表情をしていたのだろう。今思えば明らかに言い過ぎだったと思うし、つまりは良心が咎めたというようなことか。

 鷹月さんについては自爆というか全部が一方的だったので、特に俺がどうにかするようなことでもない。それこそ一方的に怒られてよく分からないでいい。

 となると四十院さんか。なるほど、赤い顔で走り去ったのが誤解を招いている要因に違いない。部屋から出て行く時は笑顔だったのだから、つまり廊下に出た途端我に返ったということなのだろう。

 それならば答えは一つしかない。

 

「なるほど、そういうことか」

「なになに?」

「やっぱり人間触れられたくない過去ってあるよね」

「は?」

 

 俺は真剣な表情を作り、俺に詰め寄っていた相川さんは理解できず目を細める。

 

「ねえオルコットさん、たとえみんな分かっていたとしても触れて欲しくないことってあるよね?」

「えっ!? それは……あっ!」

 

 いきなり振られたオルコットは驚き、だがすぐに気づく。

 そう、身に覚えがあればごく当然の話なのだ。

 

「とてもじゃないけど野次馬根性で突っ込むようなことじゃないよね」

「その通りですわ! 他人の失敗をあげつらうなど、とても人として美しい行為ではありません!」

「だよね、その人に対する思いやりが少しでもあれば、そっとしておいてあげるのが優しさだよね」

「まったくもってその通りですわ!」

 

 オルコットが強い表情で何度も頷く。

 それはそうだ。オルコットは入学初日一夏に対して意味もなく突っかかるというとても恥ずかしい黒歴史を作成してしまっている。

 クラスメイト連中も仲良くなる前は自重していたのだが、仲良くなった後誰かが冗談混じりに口にしたところ、オルコットは頭を抱えて悶え始め、やがて涙目で震えてしまった。

 その弱々しく震える姿があまりに哀れだったこともあり、それ以来何となく口にしてはいけない空気ができあがっている。

 

「そういうことか……」

「あー、黒歴史作っちゃったか……」

「それなら仕方ないね」

「えっ? いやあれはそんなんじゃ……」

 

 なおも相川さんだけは諦めきれていないようだが、概ねほとんどは納得してくれた。

 今思い返せばさっきの四十院さんは恥ずかしくなるような台詞を連発していた気がする。

 本人が自覚してしまった以上、俺も一切をなかったことにしてあげるのが優しさというやつだろう。

 

「あっ、そういうことか! 大丈夫だよオルコットさん! 入学した日のことなんて今はもう誰も気にしてないから!」

 

 時が止まった。

 穢れない笑顔の夜竹さんを除いて。

 

「だから心配しあがっ!」

 

 だが幸いなことに、みなまで言い終わることもなく夜竹さんは腹を押さえて膝をつく。

 彼女の目の前には拳を握った篠ノ之さんが立っていた。目から生気の消えた、無表情で。

 

「どうした夜竹? 食べ過ぎで具合でも悪いのか? それはいけないな。あちらへ行こうか」

「あれ、一人で立ち上がれない? じゃああたしも肩を貸してあげるよ」

「な、なにが……」

 

 急に笑顔に変わった篠ノ之さんと相川さんに抱えられ、苦しそうな夜竹さんは退場していった。

 後に残されるは涙目で震えるオルコット。

 

「セシリア?」

「い、一夏さ~ん!」

「あー!」

 

 ところがピンチはチャンスとばかりに、オルコットが一夏の胸に飛び込む。

 当然周囲からは抗議の声が上がった。

 

「おいおいセシリア、みんなの前でそんな子供みたいな真似したらまたからかわれるだけだぞ」

 

 笑顔で一夏に背中を叩かれ、オルコットが凍りつく。

 それは以前鈴がやって失敗したのに、学習していなかったか。

 そして一方俺は地雷があったらまず夜竹さんに踏ませればいいという有用な作戦を学習した。

 

「よかった」

「えっ?」

「かいだー、ちょっと元気になった」

 

 左を見れば、いつの間にか側に来ていた布仏さんがいつもの笑顔を俺に向けている。

 やはり態度に出てしまっていたか。

 

「あの拳の動きはすごかった。あれはぜひ見習わないと」

 

 反対側ではやはりいつの間にかいた谷本さんが訳知り顔で頷いている。

 もちろん俺は谷本さんを甘やかすような真似などしない。完全にスルーされて、谷本さんの目にはやがてじわじわと涙を浮かんでいった。

 

 

 

 

 

「いやー、愛されてるねえ」

「何ですかそれは」

 

 博士が満足気に頷いている。

 

「何なんですかあの人は! いくらなんでも酷すぎます!」

「いやそこまで怒らなくても」

 

 一方クロエは憤慨している。

 

「くーちゃん、あれこそが愛のなせる技なんだよ」

「どういうことですか! あんなのが愛だなんてとても認められません!」

「いいかいくーちゃん、褒めるだけが愛ではないのだよ」

 

 したり顔の博士がこの上なくうざい。

 俺が部屋に戻った途端待っていましたかのように出てきた。

 その時から今も語りたくして仕方ないオーラが蔓延している。

 

「どういうことでしょうか?」

「あの先輩はね、智希君に嫌われてでも智希君の命を守ろうとしたんだよ」

「命!?」

「何を大げさな」

「いやいやいや、だって智希君はあの篠ノ之束さんに目をつけられちゃったんだよ。次にあんなことがあったら智希君は間違いなくゴミのように潰されてしまう。だったらもういっそ三年間安全な場所でじっとさせてよう! って話だよ」

 

 腕を組み、満足気な顔で博士は頷く。

 宮崎先輩の脳内ではということだろうが、また極端な。

 

「あの人がそう思っているということでしょうか?」

「そうそう。もう完全にビビっちゃってるわけだ。でも分からなくはないでしょ? だってIS学園に突っ込もうと思って実際にできちゃうのなんて世界で束さんくらいしかいないんだし。命に勝るものは何もない、くらいの勢いだね」

「なるほど……あ、でも、それなら最初からそう言えばいいのでは?」

「智希君が素直に人の言うことなんて聞くと思う?」

「あー……あっ!」

 

 クロエは納得しかけてすぐ俺の存在に気づいた。

 ほう、クロエまでが俺のことをそういう風に見ているのか。

 

「ち、違います! そういうことじゃありません!」

「へー、何が違うの?」

「そ、それは……」

「まあまあ、でも実際そうでしょ? だって智希君だけは命の危険なんてないことが分かってるわけだし」

 

 それとこれとは全く話が別なのだが、クロエが本気で涙目になって震えているのでここは流してやることにする。

 

「だからまず僕の心を折ろうとしたわけですか。やっぱり調子に乗ってるように見えたのかな?」

「智希君の行動を見てたらまるで怖いもの知らずだからね。話半分に受け止められて中途半端なことになるくらいなら全力で叩き折る、ってことだと思うよ」

「まあ正直効きました」

「いいところを突いたと思うよ。いっくんの邪魔になるだなんて智希君には一番効くよね」

 

 悔しいが、宮崎先輩にはよく見られている。

 確かに俺の身が危ないでは、俺からすれば鼻で笑って終わりだ。たとえ博士云々を抜きにしても。

 だが一夏の邪魔になってしまうと言われては考えざるをえない。

 なるほど危険に見える俺の行動を問答無用で封じるには、まず俺の心を叩き折るのが一番の近道だ。

 そしてきっと明日にでも三年の衛生科の先輩が俺の心のケアに来るのだろう。

 あえて一人で来たあたり、役割分担までされているに違いない。

 

「博士、ちなみになんですけど、もし博士が僕のことを知らなかったとしたら全力で潰しに来ますか?」

「そうだねー。昔の束さんなら二度三度同じことがあったらロックオンだね。そしてその次で智希君を潰すために何かしてたかな。だからあの先輩の心配はあながち間違ってもいないと思うよ」

「なるほど、そこまでヒステリックな反応というわけでもないのか」

「ただ場所が場所だからねー。どんどん警戒が厳しくなるだろうし、智希君ばかりに構ってても本末転倒になるから、どこまで智希君が邪魔をしてくるかによると思うよ。それにいっくんがどう反応するかでも智希君の扱いは変わってくるだろうし」

 

 まあ、博士ありきで俺が今この場所にいる以上、そういった仮定は意味をなさない。

 そもそも博士の存在が念頭になければ、俺はあの場で飛び出せてさえいないだろう。

 

「あっ、でもそれならどうして選べなんて言ったんでしょう? 大人しくしておけだけでいいのでは?」

「そ、れ、こ、そ、が、愛、なんだよ。もちろん命は大事だ。だけど、甲斐田智希はどんな苦難や逆境があろうとそれを乗り越えていける才能ある人間だ。だから彼を奮起させるためにも私は鬼になる! って感じだね」

「なるほど! つまりお兄様のことをとても期待しているんですね! そのために自分を犠牲にしようとするなんてすばらしい人です!」

 

 博士が下手くそな演技で滔々と語り、クロエが手のひらを返して目を輝かせる。

 二人のことはどうでもいいとして、じゃあ宮崎先輩の意図はいったいどちらなのかと言わざるをえない。

 大人しくしておけなのか全力で前に出て来いなのか、はっきりして欲しかった。

 

「あ、いっくんが戻ってくる。じゃあ楽しみにしてるよー」

「ああ、宮崎様のことは全く意識にありませんでした。これからはチェックをしていかないと……」

 

 映像が消える前に俺は無言で部屋を明るくした。

 

 

 

 

 

 片付けを終えて部屋に戻ってきた一夏は、ラッピングされた小さな箱を持っていた。

 上機嫌でかなり嬉しそうな顔をしている。

 

「プレゼントだ」

「誰から?」

「そんなのクラスのみんなに決まってるだろ。鉢植えだってさ」

 

 最大のアピールチャンスだったのに、クラスメイト連中は日和ったか。

 一夏への感謝の気持ちをそれぞれが示せと言ったのに、結局は横並びになることを選んでしまうとは情けない。

 

「へー」

「この部屋には緑が足りないと思ってたし、ちょうどよかった。今は苗木だけど、そのうち育って綺麗な花が咲くからな」

 

 本当に優秀な主夫思考だ。女が泣いて喜ぶような。

 

「ふーん」

「あ、もちろんこれは俺にじゃないぞ。みんなから、智希と俺にだ」

「僕? なんでまた?」

「みんなの感謝の気持ちなんだからむしろ当然だろ」

「さっき一夏からみんなに感謝して、そのお返しにみんなからってわけじゃないの、ってことなんだけど」

「まあそれもなくはないだろうけど、みんながまず感謝をするのは智希に決まってるだろうが」

 

 そんな当たり前のように言われても困る。

 

「僕なんかしたっけ?」

「おいおい、ここまでみんなを引っ張ってきたのは他の誰でもなくお前だろ? 最後にきっちり後始末までつけて、誰も文句のつけようがないぞ」

「後始末?」

「お前千冬姉のところに行って、優勝の特典をよこせって交渉したそうじゃないか。あの日はみんなあの乱入でそれどころじゃなかったのに、お前は一人冷静に行動してたわけだ。本当に頭が下がるぜ」

「なんでそれを……」

「昨日の放課後お前が千冬姉に連れて行かれた後、山田先生が教えてくれた。みんな智希のことをすごいって言ってたぞ。確かに途中で中止になったんだから全部なしって言われてもおかしくないのに、お前はその日のうちに動いてたんだからな」

 

 どちらかと言うと俺の行動は責任回避の意味合いの方が大きい。

 クラスメイト達に後でつつかれるのは分かりきっていたことでもあるし、さっさとけりをつけておこう程度のことでしかない。それに結果などどうでもよかった。

 しかし山田先生も余計なことをしてくれる。

 俺が目立っても何の意味もないと言うのに。

 

「別に僕が言おうが言うまいが同じことだったけど」

「山田先生はお前が千冬姉を説得したって言ってたぞ。嘘つくような人じゃないし、謙遜するなよ。お前らしくないぞ」

 

 おかしい。山田先生の脳内で事実がねじ曲がってしまっている。

 どう考えても山田先生が押し切っただけの話なのだが。

 それに俺は謙遜をしない人間だと思われているのか。

 

「ま、そういうわけでまず智希に感謝しなきゃって話になったんだ。何をしたらいいかっていうのはすぐ決まったんだけど、それはそれとして何か形にもしたいってことになってな。その結果この鉢植えになったわけだ」

「はー、なるほど」

 

 そう言って一夏は得意気に手に持った小さな箱を前に出す。

 だがそれではメインが俺になってしまうではないか。

 

「あ、別に世話とか気にしなくていいぞ。どうせお前が何もしないことくらい分かってる。だから俺へのプレゼントってことにもなってるから」

「それじゃ一夏はおまけじゃないか」

 

 唖然とする俺に、一夏は何を当然なとでも言いたげな顔を返す。

 

「そりゃこれを世話するための口実だからな。智希、俺も含めてみんな本当に智希に感謝してるんだ。この一ヶ月間みんなをまとめて、引っ張って、いつも道を示してくれてた。みんなすごく仲良くなったし、ためになったし、楽しかった。本番も色々あったけど、鈴にも言った通り俺は全然負ける気がしなかった。いつも最後はお前がどうにかしてくれたしな。誰かが言ってたけど、智希は安心と高揚感を与えてくれるリーダーなんだと」

「いきなり褒められたりすると気持ち悪いな」

「茶化すなよ。分かってると思うけど俺は真面目だ。本当はさっきみんなのいるときに言うつもりだったけど、鷹月さんとかいなくなるしあの場も変な感じになってたししょうがないから今こうやって言ってるんだ。でも智希、お前は誰も文句のつけようがないくらいによくやってくれた。はっきり結果も出てるし、クラスの全員がそう思ってる。そして何より一番感謝してるのは俺だ。ありがとう。智希のおかげで俺は入学前じゃ想像できないくらい毎日を楽しくやれてる」

 

 一夏が深々と頭を下げる。

 確かに一夏はそういう人間だ。クラスメイト達にあれだけ義理深いのだから、必然的に俺にもそうなってしまうのだろう。

 本当はただ俺が一夏の意思も聞かず無理矢理引っ張り回しただけなのだが。

 

「どういたしまして」

「うん。そして今度は俺の番だ」

「は?」

「今度は俺が智希に何かをしてあげる番だって話だ」

 

 いきなり雲行きが怪しくなってきた。

 いったい一夏は何を言い出すのか。

 

「智希、おととい乱入してきた人の乗ってないIS、あれを送ってきた犯人は誰だか分かってるか?」

「えっ?」

「まあお前ならもう分かってると思うけど、あれは束さんだ」

「それって……」

「ああ、箒のお姉さんで、ISの開発者だ」

「ど、どうしてそれが分かったの?」

「勘だ」

「は?」

「こんなことをしそうなのは束さんだってなんとなく思っただけだ。でも千冬姉に聞いてみても否定しなかったし、あの感じじゃまず間違いないな」

 

 真剣な表情のまま一夏はベッドに腰掛ける。

 正直驚いた。まさか一夏の口から博士の名前が出てくるとは。

 

「狙われたのは俺だ。正直言うとここにも来たかって感じだよ。あの人昔から俺に変なちょっかいかけてくるし、IS学園なら安心かなって思ってたけど、やっぱり甘かったな」

「ちょっかいって、何されたの?」

「あ、別に嫌われてるとかそういうことじゃないと思う。むしろ好かれてるんだろうなって思うんだけど」

「思うんだけど?」

「何がしたいのかさっぱり分からない。いきなり現れて意味不明な話をしてすぐいなくなるし、だいたい行方不明になってるはずなのにわざわざ俺に会いに来る意味が分からない。親友の千冬姉じゃなくて俺なんだぜ。まあ何かを企んでるんだろうけどさ」

 

 一夏は基本的に博士のことを口にしない。それは篠ノ之さんもそうだが、一夏の場合は口にしたくないという感じで話題に出てもすぐ話をそらそうとしていた。

 基本的に一夏は人を嫌うような真似をしないので、そういう態度を取られれば周囲もすぐ気づく。

 篠ノ之さんの存在もあって、結果一組内では博士のことについて会話がされることはなかった。

 

「ふーん」

「何て言ったらいいかな……そうだ、お前みたいな人なんだ」

「はあ!?」

 

 思わず俺は一夏に詰め寄る。

 それだけは聞き捨てならない。

 

「す、すまん。そこまで怒るとは思わなかった。えっと……そう、何をしてくるか分からないというか、その場その場の気分で動いてるというか、好奇心を燃やして生きてるというか、なんかそんな感じ?」

「ああ、そういうこと」

 

 理解して俺は自分のベッドに座る。

 要するに行動原理が読めないという類の括りか。確かに俺も博士も他人に腹の中を見せていない以上、そういう風に取られてしまうのは仕方ない。

 

「智希すまん。よく考えたら束さんに似てるとかすごく嫌だよな。悪かった」

「いや、こっちこそごめん。それで篠ノ之博士がどうかしたの?」

「ああ、つまり俺は束さんに目をつけられてるってことなんだ。今までは特に害もなかったし、変に心配かけたくなかったから千冬姉にしか言ってなかったけど、こうなったら智希にも知っておいて欲しい」

「別に僕が知ったところで何も変わらないと思うけど」

「そうじゃない。俺の側にいるとお前も巻き込まれるって話だ。束さんのことだからあれで終わりってことは絶対にない。おとといはお前のおかげで助かったけど、また今後もああいうことが起きると思う」

 

 当の一夏にまで警戒されてしまうとは、やはり博士のやったことはやり過ぎだったのだろう。

 まあ絶対安全だと思われていたIS学園に風穴を開けてしまったのだ。それ相応の影響はどうしても出てくる。

 俺からしたら博士の邪魔立てが困難になってくるので、この状況は大歓迎だが。

 

「ま、そうだろうね。分かった」

「いやいやいや、そんな軽く言うな。お前の話なんだぞ。智希が巻き込まれるって話なんだからな」

「その時はさっさと逃げるよ」

「何言ってんだ。そんなことがあったらお前は真っ先に突っ込んで行くだろうが。おとといみたいにさ。あ、俺はすごく嬉しかったし、その気持ちを否定するつもりなんてない。それに智希が後ろにいてくれたからこそ俺は何の迷いもなく全力でやれたと思う」

 

 嫌な予感がする。

 そしてこういうとき大抵その感覚は正しい。

 

「あの場で智希は誰よりも頭を使って動いてた。だけど、お前には明らかに足りないものがあった」

「まさか……」

「ISの操縦技術だよ。見てて思ったけど実技訓練の経験が全然足りない。故障機だとしてもだ。智希、お前入学してからロクに訓練とかしてねえだろ。その結果があれだ」

「それはいろいろ忙しかったからで……」

「そりゃ忙しかったのもあるだろうけど、箒とかセシリアとかちゃんと自分のこともやってたぞ。それに鷹月さんとか四十院さんも時々IS乗りに来てたし。でもお前って最後までまるで興味なしだったよな?」

 

 場の空気が一転する。

 そもそも俺をIS学園の生徒達と比べること自体が間違っているのだが、今の一夏にその論理は通用しそうもない。

 

「だいたい故障機に乗って出てくるところからしておかしい。智希、俺あの時言ったよな。これ終わったら特訓だって」

「え!?」

「別に意地悪しようとして言ってるわけじゃないからな。これからのお前に絶対必要だけど、お前自身にやる気がなさそうだから言ってるんだ」

「いや、そんなのはIS学園のカリキュラムに沿ってやっていけばいい話だし……」

 

 冗談ではない。

 俺は自主的に何かをやるような熱心な生徒ではないのだ。

 

「そんなこと言ってられないんだよ。これからは束さんのちょっかいがやって来るんだから、普通にやってちゃダメなんだ。最低でも自分の身を守れるくらいにはなってないと」

「それなら一夏はまず自分の心配をすべきでしょ?」

「もちろん俺は俺でやるつもりだぞ。でも俺はこの一ヶ月である程度動けるようになったし、智希は何もやってないだろ。だから最優先の話としてまず智希が自分で自分の身を守れるくらいのレベルにまで引き上げないと」

「はあ!?」

 

 何を言い出すのかこの男は。

 他人に構っている暇があったらまず自分の心配をすべきだろうに。

 

「心配すんなって。別にスパルタしようって話じゃないし、お前のできるペースでやっていけばいいんだからさ。クラスのみんなも協力してくれるし」

「みんな?」

「おう。智希への感謝はどうしようかって話になって、今の俺達が智希にしてあげられるのはこれだってな」

「はい?」

「あ、あと鈴も協力してくれるって。あいつも智希には感謝してたからな。かなり張り切ってた。明日は日曜だし一日やるぞ!」

 

 もうため息しか出てこない。

 全く邪心のない笑顔の一夏が、今はこの上なく憎らしかった。

 

 

 

 

 

「あの野郎! どこ行きやがった!」

「セシリア、そちらは!?」

「おりません! これはもう寮の外かもしれませんわ!」

「智希! 隠れてないで出てきなさい!」

 

 出てこいと言われてのこのこ出て行く馬鹿はいない。

 当然のごとく、俺は逃げた。

 

「なんかすごいことになっちゃってるね」

「すいませんいきなり押しかけて」

「そんなの全然気にしない。あと敬語も使わない」

「ありがとうベッティさん」

 

 俺は三組代表ベッティの部屋に逃げ込んだ。

 クラスメイト連中は絶対にここは突き止められないだろう。

 

「クラス全員で甲斐田君を鍛えてあげるねえ……。完全にいじめじゃない」

「いや、みんな別に悪気があるわけじゃないんだけど」

「でも本人が嫌がるようなことしちゃダメでしょ。少なくとも甲斐田君の意思を無視したものであることには間違いない」

「まあそうだね」

 

 もうなりふりなど構っていられない。

 上級生のところに逃げ込むことも考えたがそちらは一夏達にも面識があり、喜んで差し出されてしまう可能性がある。

 それに宮崎先輩の意思がどこにあるのか分からない以上、すぐ思い浮かぶのは三組代表のベッティくらいしかいなかった。

 スパイ活動の一環でここには何度か来たことがあったのが幸いした。

 

「アニータ、一組の人達は寮の外に出てったよ」

「お、ありがとう」

「まあ二組の人もいたし全員じゃないかもしれないけど」

「じゃあもうちょっとこのまま隠れてようか」

「うん」

 

 とりあえずの危機は去ったようだ。

 IS学園はそれなりに広い。ざっと探すだけでも骨だろうし、俺が隠れていそうな場所はたくさんあるのだ。

 何しろ俺は織斑先生のお使いでIS学園のいろんな場所を訪ねた。だから一般の生徒達があまり行かないような場所まで知っているし、いざとなればそこに逃げられる。

 そしてそれを一夏も理解している。

 

「でも今はいいけどさ、これからどうするの?」

「んー、昼を早めに食べて、後は適当に」

「そうじゃなくて、今後の話。これで諦めてもらえるの?」

「それは……ないな……」

 

 確かに、これくらいで諦めてくれるような物分りのいい連中ではない。

 鈴などは俺がやる気ないと言っても必要だと押し切って無理矢理やらせようとするだろう。

 

「相手が諦めるまで毎日鬼ごっこする?」

「それはあんまりやりたくないな……」

「じゃあ一度きちんと話をしないとね」

「話か……」

 

 どうすれば連中は諦めてくれるか。

 もちろん最終的には俺は嫌だと押し通すしかないのだが、連中は好意と義務感で言っているから始末が悪い。

 受け止め方の違いはあるにせよ博士の脅威というものが存在している以上、そこに対して何かしらの回答を示さなければやはり納得はさせられないだろうか。

 

「私達が間に入ろうか? 別にそれくらいやるよ?」

「いや、それはさすがに迷惑だし」

「それは言わない。迷惑に思うくらいなら言い出したりしないし、そもそもこうやって君を匿ったりしない」

「そうだよ。水臭いこと言わないで」

「ごめん。でも正直そこまですることとも思えないし」

「甲斐田君が嫌がってるならそこまですることだよ。だいたいどうして甲斐田君を鍛えなきゃいけないの?」

「それは……まあいろいろ事情があるみたいで」

 

 さすがに博士のことは公の話ではないので言えない。

 いや、むしろ言ってしまった方がいいのだろうか。どうせ公然の秘密になりそうだし。

 

「ずっと思ってたけど一組の人達って甲斐田君のことを何だと思ってるんだろうね。織斑君がああだから何か変な勘違いしてそうな気がするんだ」

「どういうこと?」

「ほら、身近で見てたら分かると思うけど織斑君って要は天才じゃない。ねえアニータ?」

「たった一ヶ月でゼロからあそこまでやれちゃうんだし、さすがは織斑先生と同じ血が流れてる弟って感じ」

「だから甲斐田君も鍛えればああなれる的な幻想を抱いてそうな気がするんだよね。男子ってだけで一括りにしてさ」

「それは違うよねー。というか甲斐田君は適正Dランクなんだし、そういうのを求められてここにいるわけじゃないんだから」

 

 ベッティのブレーン達が口々に意見を言う。

 だが言われてみればそうだ。確かに俺に求めるようなことではない。

 となればこれが俺にとっての突破口だろうか。

 

「よし」

「どうするの?」

「まずは自分で言ってみる。やっぱり最初から出てきてもらうのも何だし」

「そんなことないよ」

「そうじゃなくて、むしろ揉めた場合に出てきて欲しい。僕側に付くというよりは第三者的な立場で仲裁役として。それならまだ変な軋轢とか生まなくて済むし」

 

 正直なところ、余計な対立構造など作りたくない。

 元々三組と五組は仲が悪い。そして今五組は新しい代表の下不穏な空気を醸し出している。近々俺か一夏に対して何かしらのアクションを見せてくるだろう。

 そこに一組と三組がぶつかってしまったら、もう完全に三つ巴だ。

 俺が間に挟まった三国志など本気で冗談ではない。

 

「自分が我慢すればいいって考え方、私一番嫌いなんだけど」

「我慢はしないよ。自分でできることは自分でやるってだけ。そして無理なら助けて欲しいという話」

「その考え方ならまだ分かるけど……こじれると分かってるのに何もせずただ見てるだけって言うのも……」

「みんな悪気があって言ってるわけじゃないんだ。きちんと話せば分かってくれるよ」

 

 実際に悪気など一切ないから困るというやつなのだが、三組の人達はクラスメイト達を誤解していて、反感まで持ってしまっている。

 今出てきてもらっては売り言葉に買い言葉で戦争が始まってしまう可能性が非常に高い。その場に鈴がいた場合など最悪だ。

 だからまずは俺が言葉で説得したという姿を見せて、ちゃんと話せば分かる人達だということを示すことから始めなければならないだろう。

 本当に一夏の言った通りになってしまった。さっさと決着をつけなかったが故にややこしい事態に発展しそうになってしまっている。

 

「でも……本当に納得してもらえるの? 大丈夫?」

「うん。今ここでみんなと話してて大丈夫だってはっきりしたから。ありがとう」

「そう。うーん、でもなあ……」

 

 昨日からここまで俺は説得のための言葉を持っていなかったが、既に作戦は頭の中に浮かんだ。

 なし崩されるのだけはまずいと拒否の姿勢を貫いて逃げ出したが、冷静に考える時間を作れたのはよかった。

 多少の手間はかかるがこれならいけるだろう。

 

「駄目なら駄目で助けてって言うから。嘘ついても様子を見てればすぐ分かることだし、結果はちゃんと報告する」

「うーん……」

「そうだ甲斐田君、担任の織斑先生に相談してみたら? 織斑先生の言うことだったらみんな聞くと思うよ?」

 

 それこそ論外だ。

 織斑先生に裁定などさせては間違いなく俺が困る方向へと持って行ってしまうだろう。

 そういえば、この人達は俺が入学一週間も経たずブラックリストに載ってしまっていることを知らないのだった。

 

「そうだね、それも考えてみる。でも大丈夫。嫌だってはっきり言って分かってもらうってそれだけの話だから」

「それはそうだけど……やっぱり心配だなあ」

「まあまあアニータ、甲斐田君がやるって言ってるんだからまずはやらせてみようよ」

「無理なら無理で私達が出て行けばいい話だしね」

「甲斐田君も駄目なら駄目でちゃんと助けてって言うんだよ?」

「う、うん」

「うーん……まあ自分でやると言ってる以上は仕方ないか」

 

 意外とあっさり引き下がったなと思ったが、すぐにこの人達は俺ではうまくいかないと思って言っていることに気づいた。

 

 

 

 

 

 日曜の廊下は意外と静かだった。

 ここ一ヶ月はリーグマッチだなんだで毎日忙しくしていたこともあり、あまり周囲に意識を払っていなかったように思う。

 俺を取り巻くややこしい環境など全く関係ないという感じで、今の寮内には穏やかな空気が流れていた。

 まあ日曜の午前中でもあるし、生徒達は勉強しているか、体を動かしたい人間は外に出ているのだろう。

 それに今はリーグマッチが終わって一息ついたところで、来月の個人戦まではまだ一ヶ月以上も時間がある。

 エアポケットの時間という感じで、本来はのんびりと気を休める時なのかもしれない。

 

 しかし、そんなことは今の俺には許されていないようだった。

 どうやら俺の後をつけてくる人間がいるようだ。

 それは尾行と呼ぶにはあまりにお粗末で、気配を消すどころか足音さえ消せていないことがある有様だ。ドラマなどでよく素人の尾行シーンがあったりするが、なるほどこれでは確かにバレて当然だ。

 じゃあその間抜けは一体誰だということになるが、まずクラスメイトではない。連中であれば遠慮など何もなく問答無用で俺を捕獲しようとするだろう。

 おそらく面識のある人間ではない。俺と会話をしたことのある人間であれば、話しかけるに躊躇などしない。上級生であろうと、他クラスの生徒であろうと、俺のことを知っていれば俺自身など別に怖い存在でもない。

 となれば犯人など限られてくる。三組代表のベッティが俺に尾行をつけたか、あるいは四組代表の更識妹だ。

 ベッティは俺のことを心配しているようだったし、更識妹は間違いなく俺に目をつけている。

 どちらにしてもこのままついてこられるのは困るので、俺は目的地にそのまま行くのを取りやめて、屋上へと向かうことにした。

 尾行自体は俺が気づいたそぶりでも見せればすぐ逃げていくだろうが、それでは今後も同じことが起こりうる。

 三組の人であれば注意しておく必要があるし、更識妹には一度こちらもお前の存在に気づいているということを示しておいた方がよさそうだ。

 

 寮の屋上は開放されていて、ここはすごく眺めがいい。

 先輩曰く煮詰まった時には最適な場所だとのことで、勉強疲れや落ち込んだ時に来るとすっきりできるそうだ。

 そういえば整備班の連中はここでたむろって俺への文句を言い合っていた。

 と、尾行者が屋上に足を踏み入れたのを確認して、いきなり俺は振り返る。

 あれで気づかれていないと思っていたのはどうかと思うが、間抜けな尾行者は完全に虚を突かれて固まってしまった。

 

「えっ!?」

 

 そして目が合い、俺の方が驚いた。

 俺の後をつけていたのは三組でも四組でもなく、二組の代表ハミルトンだった。

 

 

 

「どうして後をつけたりしたの? 普通に話しかけてくれればよかったのに」

「だって……そんなことしたら甲斐田君が逃げちゃうと思ったから……」

 

 逃げるようなこともなく観念して寄ってきたハミルトンは申し訳なさげな顔だ。

 確かに、鈴のルームメイトであるハミルトンが声をかけてきたら俺は間違いなく逃げる。

 うかうかしていては近くにいそうな鈴が襲ってくるかもしれないからだ。

 

「なるほど、それはそうだ。でもだからって後をつけるの? 鈴に言われて?」

「あ、別に鈴に何かを言われたわけじゃないから。鈴も一組の人達も甲斐田君が三組の人のところに逃げ込んだのは知らないよ」

「ということはハミルトンさんはそれを知ってるわけだ」

 

 そこまで見られていたということは、つまり俺はハミルトンに見逃してもらったということに他ならない。

 どういうことだろう。俺は何かハミルトンに貸しでもあったか。

 ああ、前に鈴が暴走した際の後始末の話か。あれは織斑先生に全部持って行かれてしまっただけなのだのだが、ハミルトンは俺のおかげだと勘違いをしているのだった。

 表向きは俺と一夏が中国とカナダの間に入って仲裁したことになっていた。

 

「あっ、それは食堂で甲斐田君がそっと抜け出したのを見て、いったいどこへ行くのかなって……」

「そこから見てたんだ……」

 

 要するに初っ端から全部見られていたという話である。

 食堂でクラスメイト連中が恒例の騒ぎを起こしてくれたので、その隙に綺麗に抜けられたと思っていたのだが。

 一応はベッティの部屋に入る前に周囲に注意を払ったつもりだったが、甘かったかそれともタイミングが悪かったか。

 

「で、でも誰にも言ってないから。鈴に聞かれても知らないって答えたし、一組の人達も怪しんでなかったから大丈夫だよ」

「ちょっと待って。それってもしかして廊下で見張っててくれたってこと?」

「見張ってというか、甲斐田君的には入って来られたら困るんだよね?」

「それはもちろんそうだけど……」

「じゃあ別にまずくはなかったと思うんだけど……もしかしてダメだった?」

「いや、そんなことは全然ないよ。むしろすごく助かったし」

「よかった」

 

 ハミルトンは嬉しそうに笑うも、俺としてはそこまでしてもらう意味が分からない。

 性格がいいのは分かっていたが、それはさすがに聖人過ぎはしないだろうか。

 それとも一夏並に義理堅いのか、あるいは実はあの時ハミルトンは相当に困っていて、俺に対して大感謝状態になっているのか。

 

「ま、まあ鈴の味方じゃないならいいんだ。合図で鈴が飛び込んでくるかもって警戒してたけど、そうじゃないのなら全然」

「大丈夫だよ。甲斐田君と鈴のどっちにつくかって言われたら迷わず甲斐田君の味方するから」

「それはそれですごくドライだね」

 

 ハミルトンに対しては前も同じようなことを思った気がする。

 いい人なのは間違いないが、時折すっぱりとした割り切り感を見せられるというか、最後は自分が一番的な感覚というか。

 まあ、よくよく考えればハミルトンは鈴と出会ってからせいぜい半月程度なのだし、そこまで鈴には義理も何もないか。むしろ余計なかき回しをされて、ある意味マイナスかもしれない。

 

「そうかな? 普通だと思うよ。それにだいたいこういう場合は甲斐田君の方が正しいんだって分かってるし」

「正しい?」

「鈴に聞いた程度のことしか知らないけど、甲斐田君は鈴の言ってるような次元でものを考えてるわけじゃないんだと思うし。でしょ?」

「それは……そういえばそうだね」

「やっぱり。目先のことだけじゃなくて先まで見てるんだよね。それなら絶対甲斐田君の方が正しいよ」

 

 正確にはそういう次元で話をしないと連中を納得させられないという話で。

 しかし、それにしてもハミルトンは俺に対して相当な過大評価をしている。

 鈴のあれこれをその場で見ていたというのが大きかったか。

 俺を下に見ている三組の人達とは完全に逆方向のベクトルだ。

 

「まあ何をもって正しいとするかって話だけど、少なくとも僕は自分のやりたいようにやるだけかな」

「うん、それでいいと思うよ。じゃ、じゃあ……あたしにも何か手伝えることってある?」

「ハミルトンさんが?」

「あっ、別に無理にとかそういうことじゃ全然なくて、何かあればってだけなんだけど」

 

 ここまで来ればさすがに俺にも読めてきた。

 要するに、ハミルトンは母国から言われているのだ。男性IS操縦者である俺や一夏と仲良くしろと。

 夏休み俺と一夏はカナダに行くことが決まっている。だからそれまでにできる限りの友好関係を築いておけということなのだろう。

 道理で俺に対して友好的過ぎると思った。そういえばおとといカナダのIS関係者達と一緒に医務室に来た時もそういう空気があった気がする。

 だが別に俺としても異存はない。わざわざ敵対関係を作るなどあり得ないし、仲良くしたいと言ってくれているのだから喜んで応じるべきだろう。

 

「あ」

「何!」

「いや、お願いとかじゃなくて、質問。昨日どうして一組がパーティをやること知ってたの? 特に告知とかしてないはずなんだけど」

「そ、それは……」

 

 期待に満ち溢れた目から一転、ハミルトンが困ったという顔になり言いよどむ。

 これはどのみち聞こうと思っていたことだ。まあ鈴に誘導尋問をかけるつもりだったのだが、ハミルトンが答えてくれるのであればそれでもいい。

 

「別に言いたくなければいいよ」

「あっ、そういうことじゃなくて……その……一組の人に聞いて……」

「うちのクラス? 誰だろう?」

 

 はて、一組にそんな親切な人間などいたか。

 鈴はリーグマッチ前にオルコットをボコボコにしたので、クラスメイト連中からは嫌われていたはずだ。

 一応仲直りをしたとは言っていたが、だからといってそこまで親切なことをしてやる義理などないだろう。ましてパイロット班連中にとっては恋敵にもなるのだから。

 そしてハミルトンの知り合いがクラスにいないことはリーグマッチ初期の段階で分かっている。

 余計なことをした馬鹿はいったい誰だ。

 

「その……夜竹さんという人に……」

「夜竹さん……写真か!」

 

 俺の言葉にハミルトンがビクッと震え、みるみるうちにそばかす顔が赤くなっていく。

 これは間違いない。

 そういえば昨日鈴が夜竹さんに接触していた。おそらくその際に取引が成立し、気分をよくした夜竹さんが口を滑らせたとかそういうことなのだろう。

 しかし、そんなことはもうどうでもいい。

 既に夜竹さんは一夏の写真を売り捌いている。これは俺にとって由々しき事態だ。早急に叩き潰さなければならない。

 

「ご、ごめんなさい……」

「ハミルトンさんも写真を買ったんだ」

「……はい……」

 

 ハミルトンは顔を真っ赤にしたままうつむき、消え入りそうな声で返事をした。

 そうか、いつの間にかハミルトンも一夏推しになっていたのか。

 以前はそういう感じでもなかったのだが、やはりリーグマッチでの一夏の姿は相当に効果があったということなのだろう。

 今後はクラスの外にも目を向けていくつもりだったので、これは好材料だ。

 

「あ、別にハミルトンさんを責めてるわけじゃないから。僕が怒ってるのは夜竹さんが勝手に商売を始めてることに対して」

「そ、そうだよね。知らないところでそういうことされてたら嫌だよね」

「それはそうでしょ。夜竹さんには僕から言っておくけど、もう夜竹さんから一夏の写真を買うとかやめてね」

「えっ?」

「あ、別に買っちゃったものを捨てろとか寄こせとは言わないからさ。それに一夏の写真が欲しかったら僕も持ってるし」

「あっ……うん……」

 

 ハミルトンは驚きの顔を見せた後、一気に気持ちが落ちた様子で返答した後うつむいた。

 どうしたかと思って、すぐに気づく。

 しまった。これでは商売敵から買わずに俺から買えと言っているだけでしかない。

 

「あ、僕から買えって言ってるわけじゃないからね。そういうのでお金のやり取りをするのはどうなんだって話で」

「うん……」

「だ、だから別にお金なんて出さなくても僕に言ってもらえれば」

「別にいい。それじゃ」

 

 もう俺とは話したくないという感じで無理矢理切って、ハミルトンは走って行った。

 やってしまった。急に変わった態度からしてハミルトンを失望させてしまったようだ。

 元々俺に対して過大評価を抱いていたのもあって、あまりに落差が激し過ぎたか。

 まあそれが俺への適正な評価である以上は仕方のない話なのだが、もう少し言い方に気を払うべきだったのは間違いない。

 本音を言えば自分も買っておいて何を言うかという気がしないでもないのだが、こういう時自分を棚に上げるのは世の常だ。俺が言っても喧嘩を売る行為でしかない。

 と言っても俺との関係を悪化させるわけにはいかないだろうし、カナダ本国の人から諭されて頭を冷やすことを期待するか。いや、一夏に対する便宜を図って機嫌を直す方が早いかもしれない。クラスメイト連中を見る限り、そのへん女子は意外と現金だから。

 とりあえずはどこかで話す機会を作って、きちんと謝っておこう。

 

 と、またも異質な視線を感じて屋上の入り口へ振り向くと、慌てて誰かが隠れたのが分かった。

 もう一人、尾行者の後ろに尾行者がいたのか。

 全速で走って追いかける。

 階段を降りて廊下を見ると、ちょうど廊下の向こう側の階段を降りていこうとする姿が一瞬だけ見えた。

 言うまでもなく、四組代表の更識妹だった。

 ハミルトンと同じく食堂にいたか、あるいは一夏達が大騒ぎしたので気づいたか、どちらにしても俺を見つけて追ってきていたようだ。

 俺を尾行したところでどうなるものでもないと思うが、更識妹からすれば得体の知れないものに対してまず観察から入っていくというところなのだろう。

 おそらく更識妹は自分について俺について自分だけが知っているという優越感を持っている。俺がそうだったからよく分かる。

 だがそんなものは幻想であるし、自分の足を引っ張ってしまうような傲慢でしかない。

 更識妹はむしろ知っているからこそ自分の危うさに細心の注意を払うべきなのだが、今はひたすら墓穴を掘り続けている。

 放っておいてもらえないかと淡い期待を抱いていたのだが、やはり俺としてもきちんと対処をしなければならないようだ。

 正直なところ更識妹は何が不満なのかと思えるような恵まれた立場だが、人にはそれぞれ悩みがあるのだろう。上を見ても下を見てもきりはない。

 まあ行動からして、結局自分が何をしたいかも分かっていないのだろうな、と思った。

 

 

 

 

 

 三年生達の住む寮の別棟に入った途端、あっという間に取り囲まれた。

 とはいえ殺気立つような空気とは真逆で、深刻そうな、明らかに俺を心配している顔だった。

 きっと俺が逃げ出したと聞いて自分達の責任だと感じているのだろう。

 宮崎先輩に話があると伝えると、すぐ呼んでくるからと一人が走って行った。

 そして近くのソファーに座らされ、お客様扱いでお茶まで持ってきてくれた。

 

 IS学園は元々一学年の定員が百人だったのだが、織斑先生が来たことによって飛躍的に受験希望者が増え、定員が年々増やされている。

 それ以前に入学した今の三年生は百人だが、二年生は百二十人、今年は一気に百五十人にまで増えている。

 だから三年間住むべき寮も増築されて、今年から三年生は新しく建てられた別棟に移ったそうだ。

 だが食堂などは共用で、去年までとは明らかに混み具合が違うと先輩達はぼやいていた。

 

「ごめん待たせちゃって」

「いえいえ、こちらこそいきなり押しかけて」

 

 走ってやって来た宮崎先輩の顔はひどいどころではなかった。

 目には深い隈ができていて、その顔は相当にやつれている。

 これは明らかに寝ていない。

 

「あ、ごめんねひどい顔で。ちょっといろいろ忙しくて。別に甲斐田君は何も関係ないから」

「そうですか。そんな時に押しかけてすみません。どうしても話しておきたいことがあったので」

「そんなの全然構わないけど、話って……」

「もちろん昨日のことです。何よりまず誤解を解いておかないことには始まらないなと思って」

「誤解?」

「はい。昨日先輩は篠ノ之博士の出現によってIS学園はもう安全ではなくなったかのように言いました。それでいいですか?」

「え、ええ……」

 

 やはり、先輩はピンと来ていない。

 宮崎先輩ですら分かっていないことなのか。

 

「僕と一夏はですね、IS学園が安全な場所だなんて最初から考えてないですよ」

「えっ?」

 

 理解できず、寝不足の宮崎先輩はフリーズする。

 

「みんな外から隔離されて安全だみたいな言い方してますけど、僕らからしたら逃げ場のない場所ですから」

 

 ようやくその意味を理解して、宮崎先輩のみならず周囲に立つ先輩達も息を呑むのが分かった。

 

 

「IS学園に男二人だけで乗り込む時の気持ち、想像できますか?」

 

 


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