娘トークが始まった。
しかし、この状態は俺もよく知っている。
特定の女によくある語りモードだ。
この状態になると女という生き物はひたすら自分の頭に浮かんだことを口から吐き続ける機械となってしまう。
とはいえ目の前の四十院母の状態はまだ軽度だと言えるだろう。まだ俺という存在を意識して話している。俺の反応を見る余裕がある。
説教中の篠ノ之さんや自己演出中の生徒会長よりはよほどましだ。
「でもまあいいわよ。有言実行で見事IS学園に合格したんだからさすがに行くなとは言わないわよ。でもね、合格して初めて気づいたんだけれど、あの子は果たしてIS学園でやっていけるのかって。今まで全部他人にやってもらっていたのにいきなり寮生活だなんて、生きていけるのからして不安だわ」
「いやいやいや、無人島に取り残されたんじゃないんですから。そういうのは四十院さんに限った話でもないですし、きちんとIS学園のサポートがあります」
ルームメイトという協力者もいるとはいえ、三年という長期間親元を離れて暮らすのだ。
当然IS学園も分かっていて、生活のための支援を行っている。
俺と一夏には必要なかったが、家事に関する事柄は頼めば教えてもらえるそうだ。
「ああ、甲斐田君はきっとできる人ね。でもね、できない人がちょっと教えてもらったからといってすぐできるようになるとは思わないで。洗濯一つにしてもできない人は本当にできないんだから。甲斐田君も例えば寮で洗濯物が干されているのを見てこれはひどいと思わなかった?」
「寮の裏手には僕と一夏は行かないで欲しいって懇願されているので見たことないですね」
「あ、それはそうね」
施設で生活していたので別に俺も一夏も今さら気にしたりはしないのだが、女とはそういうのをとことん気にする生き物らしい。
施設にいた時も十歳くらいから俺に洗濯されるのを嫌がるようなのが出てきていた。もちろん全く気にしないのも普通にいたが。
とはいえ弾や数馬を見る限り、きっとそれは正当な反応なのだろうということで俺も一夏も文句を言うようなことはない。
「甲斐田君はできる人みたいだけど、それなら家事とか生活の部分で相談はされなかった? 例えばクラスの人とか」
「そういえばないですね。入学してからずっとばたばたしていたというのもありますけど、誰かが寮で生活してて困っているような話は聞いたことないです。だから四十院さんも大丈夫だと思いますよ」
「あー、さすがに男の子には言えないか。本当はそういうのは男の子の得意分野なんだから積極的に聞きに行くべきなんだけどね」
主夫という一つの未来選択肢が存在している以上、男の方が意識して身に付けるというのはあるだろう。
一夏は別段意識していなかったが今や超一流の主夫になっていたりする。実はズボラな姉のせいも半分入っているだろうが。
「聞かれれば僕も一夏も普通に答えますよ。聞かれたらの話ですが」
「本当に? でもあの子プライドだけは一人前だし、最近は私の言うことも聞いてくれなくなってきたし、たとえ甲斐田君が声をかけてくれたとしても大丈夫だって言い張るだろうね」
「反抗期ですか」
「そこまでは言わないけれど、年々邪険にされるというか、一緒にいてくれなくなって。背伸びしたいんだろうなと思って接したらそれも気に入らないらしくて、子育ては本当に難しいわ」
「大変そうですね」
愚痴まで入ってきた。と言ってもそれくらいは最初から予想していたので、別にだからどうだというわけでもないが。
こういうのは口に出せばそれなりに満足してくれるし、別に本気で他人の意見など求めているわけでもない。
「そういう子だからね、大丈夫かって聞いても問題ないとしか答えてくれないのよ。ねえ甲斐田君、あの子は、神楽は本当にちゃんとやれているのかしら?」
「いや、生活の部分まではさすがに分かりませんけれど、少なくとも見ていて戸惑っているような感じではなかったと思いますよ。むしろ中庭で優雅にお茶してるイメージでしたね。オルコットさんやリアーデさんと」
「あら、それは本当でいいのね。この前の時お二人からご挨拶されたけれど、社交辞令かなと思っていたわ」
この前とはリーグマッチが終わった後午後にあったらしい国家、企業間の交流会のことだろう。一夏はお偉いさんの相手と言っていたが。
その時俺は医務室に軟禁されていたので出ていないが、一夏経由で俺の居場所を知った人達はわざわざ医務室まで挨拶に来ていた。四十院母もその一人でそれが初対面だった。
「この目で見たので本当ですよ。それも一回きりというわけでもないです。入学してからしばらくはそういう光景をよく見た気がしますね。すぐにリーグマッチの準備が始まったので一緒にいられる機会は減ったみたいですけれど」
「そう。それはほっとしたわ。あ、でも留学生の方々と仲良くしていたということは、裏を返せば他のクラスメイトの人達とは仲良くできなかったんじゃ……?」
「え?」
なんだろう、これは心配症なのだろうか。それともある種の親馬鹿なのだろうか。
「甲斐田君、もしかしてうちの神楽は村八分にされていたりする? それでオルコットさんとリアーデさんが見かねて声をかけてくれたというのが真相じゃ……」
「そんなことはまったくもってないです。今いた二人以外でなら、今は鷹月さんとよく一緒にいますね。あとは……布仏さんと谷本さんかな。この二人も四十院さんと会話しているのをよく見ます」
「鷹月さんに、布仏さんに、谷本さん。それくらい?」
「それくらいって、そんな全員と満遍なく仲いい人なんていませんよ。みんな三、四人くらいで行動してますし、四十院さんも別に例外というわけじゃないです」
だいたいリーグマッチの準備が始まる前と後でつるむ人間が変わったように思う。
例えばちびっ子コンビ、布仏さんと岸原さんは入学当初一緒にいた記憶がない。布仏さんはあまりつるまず基本一人で行動していたようだったし、岸原さんは鏡さんとセットだった気がする。
「それならいいけど……じゃあその鷹月さん達とはどんな感じなのかしら? 仕方なく付き合ってるというような感じではない?」
「なんでそんなに娘さんを貶めるのか分かんないですけれど、鷹月さんとはこの一ヶ月指揮班としてずっと一緒にやってましたから相当に仲いいですよ。鷹月さんも指揮科を目指していて、二人で一緒に勉強しよう的な感じでやってますね」
だがそこに俺まで巻き込もうとしているのは気に食わない。
もちろん俺に宣言した通り鷹月さんの策略だが、今や四十院さんも完全に乗ってしまっている。
ゴーレム戦について、まあ鷹月さん達はその名前など知らないが、あの時の反省をしよう、先輩に言われたことについてはっきりさせておこうと持ちかけられた時、俺は断固としてノーを貫けなかった。自分の中に本当のところはどうだったんだろうというモヤモヤが残っていたせいだ。
もっともそれによって少しでも隙を見せてはつけ込まれると悟ったので、以後は拒否を貫けているが。
「なるほど。指揮科を目指しているのはクラスでは二人だけ?」
「そうだと思います。もしかしたら整備班の数人は密かに目指していたりするかもしれませんが、表立って言っているのはその二人だけですね」
「それが布仏さんと谷本さん?」
「そういうことでは全然ないです。整備科と、衛生科に行くのか? という感じですし、そもそもその二人は人を仕切れる人間ではないですね」
ここでは特に関係ない余計なことを言ってしまった。
俺が勝手に怪しいと思っているのは鏡さんだ。整備班を纏めていたりして割と仕切りたがりな面がある。こっそり指揮科を目指しているような気がするが、まあ今は下衆の勘ぐりレベルだろう。
だが布仏さんと谷本さんに至ってはまずない。普段から何を考えているのか分かりにくい二人ではあるが、少なくともあれでは人がついてこないだろうと言える。
「じゃあどの二人とはどういう経緯で?」
「それは……そういえばいつの間にかって感じですね。リーグマッチ中そこまで接点があるわけでもなかったですし、僕の知らないうちにというか……いや、というかそもそも僕がクラスの人間関係を全部把握してるとかないですから。四十院さんと鷹月さんについては指揮班で一緒だったから知ってるだけで」
「あら、そうなの? 神楽は、甲斐田君はクラスの人間関係を全て把握してコントロールしている、とまで言っていたんだけれど」
「それ僕はいったい何者なんですか」
むしろコントロールできなくて強権発動ばかりしていたくらいなのだが。
わりと側で見ていたはずなのに四十院さんは俺を何だと思っている。
「でも神楽が言ってたわよ。誰々と誰々がぶつかると火が大きくなるから近づけさせないとか、誰々と誰々は仲いいから一緒に作業させると効率が上がるとか、そういうコントロールを甲斐田君はしてたって」
「そういう話ですか。それはむしろ対処療法的な話で」
そっち方面の話か。
最初のは相川さんと鏡さんはぶつかると喧嘩するくせに俺に対しては結託して向かってくるので、面倒だから最初からかち合わないようにしたという話だ。
効率が上がるというのはきっと、夜竹さんと田嶋さんは一緒にすると遊び出すという話だろう。だから効率以前に仕事をさせるには鏡さんを監視役に置いておく必要があるというという対処が誤解されている。
四十院さんにそこまで言った覚えもないので、きっとクラスメイト経由でねじ曲がって伝えられたのだろう。
「やっぱりコントロールしてるじゃない。甲斐田君的には自分はまだまだだって言いたいのね」
「まだまだとか言えるような次元でもないです。というか僕のことはどうでもよくて、四十院さんは人間関係で問題とか特に抱えてないと思いますよ」
「日常生活の方はまだ大丈夫そうね。じゃあ神楽は、指揮の方をうまくやれてないでしょう?」
「なんでそんな決め付けるんですか?」
もしかして俺に否定してもらうためにあえてそういう言い方をしているのだろうか。
これも親馬鹿の一つの形だったりするのか。
「この前会った時ね、入学して鼻っ柱を叩き折られましたって顔してたのよ。入学する前はこれでもかってくらい自信満々だったくせにね」
「入学前は知りませんが、別にそんな感じでもなかったような」
「トップに立つだけが全てじゃない、なんて言い出して、ああこれは敗北感挫折感を味わったんだろうなって思えたのよ。それまではとにかく自分が一番! って感じだったのに」
「それ普通に成長したじゃ駄目なんですか?」
「なにくそ負けるもんか! じゃなくて、もっと別な道もある、だからね。たった一ヶ月でもうそんなことを言い始めるんだから、これは相当にうまくいっていないんだろうなって。日常生活で躓いたかなって思ってたけれど、聞く限りじゃ指揮の方みたいね」
この一ヶ月であったことならもうリーグマッチしかない。
そしてリーグマッチでうまくいかなかったことと言えば、対三組四組戦だろうか。
俺などは、なんだかんだで勝てたからよし、なのだが、主導していたあの二人はそれなりにショックを受けているようではあった。
色んな意味で考えが甘く足りなかったのは事実だが、俺としては何もかも手探りだったしそんなものだろう、という程度だ。
「思い当たる節がありそうね」
「思い当たるも何もリーグマッチしかないわけですが」
「全勝して優勝したのに?」
「見てたのなら分かると思いますけれど、あれは何一つとしてうまくいってないですから。全部一夏が自分の力で何とかしてくれただけです。あと運が味方についていた」
「そう。もっとうまくやれたはずだ、とは思わなかった?」
鷹月さんがよくそういう言い方をする。こうしなきゃいけなかったと。
リーグマッチ本番中ではよく聞いた言葉だが、確かにその通りではあるが、果たしてその時の自分にそういう選択ができたかと考えてみると、怪しいことが多々あったりする。
もちろん俺だって失敗した日にはああすればよかったと後悔して反省する。
だがその選択だってそれなりに考えた上で決めたわけで、その時はそれが最善の選択なはずだった。
だからその時の自分にそれ以上のものを出せたかと考えてみると、実際どうなんだろうと思う。
「本当にやれるはずならその時やれています。でも実際やれてないんだからできなかったんですよ。もちろん反省としてそう思ったりはしますが」
「甲斐田君ってもしかして人生をやり直したいとか考えないタイプ?」
「記憶とか持ち越さなければ同じことを繰り返すだけだと思いますし、そういうのにはあんまり興味もないですね」
「あら意外。ISに関わらなかった場合の人生とか考えちゃうものだと」
そんなもの、今の方が断然いいに決まっている。
クロエに出会えて、お陰で博士と出くわしてその後日本に来て一夏と知り合って、何の文句があるだろうか。
少なくとも、今の俺は自分の意思で考え行動できている。たとえそれがおまけの人生だとしても。
「そういうのって自分にプロのスポーツ選手並の才能があったらとか妄想するのと一緒ですよね。さすがにありえない想像をしてられるほど暇ではないので」
「ふうん。甲斐田君はこんな状況になっても前向きでいられるんだ」
「別に自分の現実を否定することはしないってだけですよ。まあここまでそういうことを考える余裕もないくらい目まぐるしいだけかもしれないですけれど。……いや、だから別に僕の話はどうでもよくて、娘さんの話ですよね。確かに四十院さんが本番中うまくいかなくて凹んでいたのは事実です。でも今はもう完全に立ち直ってますよ」
「あら、そうなの?」
本当に、話の逸れる人だ。
そんなに娘が心配なら娘のことだけを気にしていればいいのに、変に気を遣っているのか俺はどうなんだと振ってくる。
それともこういうまわりくどいことをするのが上流階級の嗜みなのだろうか。オルコットなども余裕があるときは雑談から入って本題に入るのが遅いし。
「鷹月さんもそうでしたが、その時の四十院さんが自信を失っていたのは確かです。でも今はもう普通に元気ですよ。別に現実逃避をしてるとかじゃなく、きちんと起こったことは事実として受け止めています」
「本当に?」
「先週に反省会しましたけど、引きずってる様子は全くなかったですね。むしろとても糧になるいい経験だったと前向きでしたよ」
「そう」
「四十院さんは終わって数日もしないうちに元気になってました。今はもうやる気に満ち溢れている感じです。来月には個人戦が控えてますし、凹んでいる場合じゃないということかもしれませんが」
リーグマッチが終わって十日ほど経ち、クラスの中もそろそろ優勝の余韻は薄れてきている。
そして一方で、六月末から七月頭の二週間もかけて行われる全員参加な個人戦が待っている。
今度は見ているだけではなく自分が当事者なのだし、何より負けたら終わりのトーナメント戦だ。IS学園の生徒である以上ISに乗って試合を行うのは夢だったろうし、クラス代表以外の生徒にとってはむしろそちらの方が本命だろう。
「そう。それならよかったわ。神楽は何を聞いてももう大丈夫だからとしか言わないんだもの」
「確かにリーグマッチはいろいろあったせいで四十院さんもどこか変だったと思います。たった一ヶ月しか見てないですけどらしからぬおかしな行動をしてたりしました。でも今はもう完全に元気になってますし、張り切ってやってます」
「おかしな行動?」
「んーまあ、そのへんは本人の名誉のためにノーコメントで」
鷹月さんと一緒にクラスメイト連中を煽って俺を軟禁したり、黒歴史を作ったり。
やはりあの頃は四十院さんも情緒不安定になっていた部分があったのだろう。
「何をしたか聞きたいけどダメ?」
「仲間を売るような真似はしません」
「えー、神楽の母親なんだから本人のことくらい聞かせてくれてもいいじゃないの」
「尚更ですよ。十年後に笑い話として本人から聞いてください」
「今だと笑えないんだ……」
入学初日のオルコットの例を鑑みても、自分の黒歴史を暴かれると非常に痛い。
だから俺は十年後に爆発する時限爆弾を仕掛けることにした。
たまにはこういう仕返しもいいだろう。よく考えたら俺は軟禁されたことへの仕返しをまだやっていなかった。
「そういうわけなので四十院さんは大丈夫です。この調子なら初志貫徹して見事指揮科に進むと思いますよ」
「ということは個人戦の方がダメージは大きそうね」
「なんでダメージを受けるのが前提なんですか。もうちょっと自分の娘を信じましょうよ」
これはやはり否定して欲しい系の親馬鹿か。
「甲斐田君、個人戦が終わったらまた神楽の話を聞かせてもらえる?」
「それもはや勧誘の口実捨ててません?」
「大丈夫、表向きは甲斐田君への勧誘ということにするから」
「そういう問題ではなく」
もしかしたら四十院さんは過保護な親に嫌気が差して自立を志したのかもしれない。
「勧誘だけでは理由付けとして弱いか……。じゃあ業界の話とかもう少しもっともらしい理由を考えておくわ」
「ええとですね、四十院さんが心配なのは分かりますけど、もう少し信じてあげられませんか。それに自分の娘が心配なのはIS学園の生徒の親みんなですよ。娘経由以外では知ることもできないのが普通なんだから、自重しましょうよ」
「あら、甲斐田君を通じて知ることができると分かっているのに、どうして自重する必要があるのかしら?」
「今回は僕も織斑先生も知らなかったからです。というか次は建前を捨てた時点で織斑先生が許しませんよ」
「つまり織斑先生を説得すればいいわけね」
「できるものならどうぞ」
この場にいるのは俺と四十院母だけではない。
部屋の入口にIS学園警備の人が立っている。
今はなじみの人ではないが、それでも話は聞こえているだろうし、当然終わった後織斑先生に報告するだろう。
俺の話だけならともかく、第三者の報告付きでは織斑先生にこいつはダメだと思われるのは間違いない。
「よし、聞きたいことはだいたい聞けたし、今日はこれくらいにしておくわ」
「それはよかったですね」
「今日はありがとう。甲斐田君は本当に話しやすかったし、興味深い話がたくさん聞けました」
「それは何よりです」
「だいぶお疲れみたいね。甲斐田君の今日はこれでおしまい?」
「いえ、もう一件残ってます」
精神的疲労の主な原因は目の前にあるのだが。
「あらそれは大変。でもこういうのって慣れの部分が大きいから、そのうち何とも思わなくなるわよ」
「そうだといいですね」
言いながら俺達は立ち上がる。
だがそれ以前に俺自身が無防備過ぎた。
知り合いの親だということもあって気を抜いていて、正直何も考えていなかった。
「ではまた次の機会に」
「次があるといいですね」
まあ今回は俺にとっての練習のようなものだし、第一織斑先生がこんなくだらないことに時間を使わせるような真似はしないと思うけれど。
「初めまして。デュノア社の黒木和海(くろきかずみ)と申します」
最後の一人は男だった。
年は三十前後くらいだろうか。黒髪短髪な爽やか好青年という見た目で、技術者と聞いていたがむしろアウトドア系な印象だ。
スーツではなく白衣でも着たらそれっぽく見えるのかもしれないが。
「甲斐田智希です」
「今日はお会いしていただいて本当にありがとうございます。心より感謝申し上げます」
「とんでもないです」
なんだかすごく社会人という感じだ。
一回り以上年上の相手に敬語を使われるとむず痒いような感覚に襲われることを知った。
「……」
「な、なんですか?」
「失礼。間近で見るとこういう感じなのかと思いまして」
笑顔から急に真剣な表情に変わってじっと見られた。
値踏みでもされたのだろうか。
「想像とは違っていましたか?」
「いえ、どういうタイプのリーダーだろうと思っていましたので。一口にリーダーと言ってもいろいろありますので」
「リーダー? 僕が?」
「ええ、あなたは誰よりもリーダーをやっていましたよ。あの集団模擬戦の場で」
いきなりストレートに突っ込んできた。
黛姉はそれ以上突っ込まないと言った。四十院母は流した。
だが目の前の社会人は二言目で切り込んできた。
「それは……」
「座りましょうか。このまま立ち話では足も疲れてしまうでしょう」
あくまでにこやかに、俺を席へと促した。
「改めまして、本日この場を設けていただいたことに心よりお礼申し上げます」
「お礼なら織斑先生に言ってください。決めたのは織斑先生ですから」
「なるほど。では後ほど織斑千冬様に感謝を。ですがそれはそれはそれとして、拒否をすることもなく快く受けていただいた甲斐田様にも感謝致します」
「とんでもないです」
今日会った三人とも、わざわざ俺について言及している。
織斑先生が全てを決めているであろうことくらい分かっているだろうに。
「さて、今日お伺いしたのは私個人の話であって、特に会社に言われてどうこうというわけではありません」
「そうなんですか?」
「はい。実を言えば話を聞きつけた我が社の社長から言伝を預かって参りましたが、それは全く気にしないでいただいて結構です」
「それでいいんですか?」
社会人ぽいと思っていたらあるまじきことを言い始めた。
「本当は一科学者として一個人としてお会いしたかったのに、こんなお使いを頼まれたせいで余計な重しがついてしまいました。このために来たと思われるのは非常に不本意なので、むしろ甲斐田様には全く気にしないでいただけると嬉しいです」
「内容にもよりますけど……気にしてしまうような内容なんでしょうか?」
「正直申し上げて。社長のデュノアは織斑一夏様へ面談を申し込んでいたそうなのですがあっさり断られ、そこへ私のことを聞きつけて無理やりねじ込んできたのです。最後は懇願までされたので従いますが、できれば甲斐田様には聞き流していただければと」
不満やるかたないという表情だ。
だが聞き流せはさすがに言い過ぎではないだろうか。
「余計なお世話かもしれませんが、立場的にそこまで言わなくてもいいのでは……」
「私の見解も同時に甲斐田様に伝えることまで込みでの話ですから。それに聞かされたところでどうしろという話でもありますし」
「とりあえす先に伝言の内容を聞かせてください」
「失礼致しました。では申し上げます。『私の息子を助けてやって欲しい』 以上です」
「は?」
「どういう話かと言うとですね、我が社の社長デュノアの息子は男性IS操縦者だという話なのです」
とんでもない爆弾発言が飛び出してきた。
世界には四人の男性IS操縦者がいると言われている。
一人目はもちろん我らが織斑一夏。二人目は甲斐田智希、俺のことだ。二人とも日本国籍。
そして三人目、四人目がフランスとドイツにいると言われている。
言われている、というのは国がそう発表しただけで、顔も名前も公表されていないからだ。
だから本当にいるのかと実在すら疑われているのが現状である。
発表から二ヶ月経った今も、両国は沈黙を守ったままだ。
「なるほど。でも助けて欲しいというのはどういうことでしょうか?」
「単純な家庭内不和です。実の息子であることに間違いはないのですが、それは妻の子ではなかった。愛人の子だったそうです。しかも長年妻には隠してきたとのことで」
「はあ」
「ああ、ここは日本でしたね。他の国ならいざ知らず、フランスで妻がいるのに愛人を作るなんて唾棄すべき行為です。それにきちんとけじめをつけるならまだしもずるずると二十年も続けるなど、正直呆れてものも言えません」
そういえば、純愛を謳う国家フランスとは一夫一妻制最後の牙城だった。
「当然社長夫人やその娘達は大激怒で、今フランス国内は大騒ぎです。デュノア社長一家はフランスの模範的な家族だと思われていたこともあって余計に非難一色ですね」
「そんなに大騒ぎなんですか?」
「もちろん息子が男性IS操縦者であることは伏せられています。というよりこの様相ではとても公表できないという状況でしょうか」
「そんなに問題なんですか? その、愛人がいたというのは」
「複数の女性と付き合いたいのであればイタリアにでもスペインにでも移住して『自由恋愛』などと嘯いていればいいのです。デュノアはことフランスにおいて、常日頃は最愛の妻と娘達というポーズを取っておきながら裏でそういう行動をしていた。だから非難されるのです」
二十年も隠し通してきたのならそのまま隠しておけばよいのに、どうして明らかにしてしまったのか。
自分の息子がISを動かせると知ってしまったからなのか。
「なるほど、事情は理解しました。でもどうしてそこで僕や一夏に息子を助けて欲しいなのでしょうか?」
「息子と同じ男性IS操縦者である、この一点だけです。私も問い正しましたが、同じ境遇であることから同情を引こうとしているように見えました。有り体に言えば、お二人を利用して自分の立場を守ろうとしているようです」
「子供に罪はないから子供だけでも守ろうとしての話では?」
「表向きはそういう言い方だったので私もお伝えすることに同意しました。ですが個人的に信用できないと思いましたのでこうして私の見解を付け加えることを条件として出しました。社長のデュノアも認めたことですので、甲斐田様が心配するようなことは何もありません」
自分の社員に反対意見も込みだと言われても認めざるをえなかったとは、デュノア社長は相当に切羽詰まっているのか。
社員にここまで堂々と批判されてしまうようではもう風前の灯なのかもしれない。あるいは目の前の社員は反社長派とか。
「確かにだからどうしろという話ですね」
「男性IS操縦者という誼から介入をして欲しいのでしょう。お二人だけでなく、織斑千冬様やIS委員会にも。何しろ我がデュノア社はラファール・リヴァイブによって今や世界中に大きなシェアを持っていますし、社長個人の話とはいえ長引いては社会的な影響も出かねないという懸念もなくはないのです」
「確かに僕らに何ができるというわけでもないですし、僕らの後ろにいる人達が目的なら分からなくもないですね」
ラファールの会社だったのか。
ISラファール・リヴァイブはIS学園にも置かれている。先輩やクラスメイト達曰く、ラファールは汎用性なら世界一らしい。
IS学園では前衛盾型の打鉄、後方支援型のメイルシュトロームと比べて万能型という位置づけだ。
基本性能は他の特化型二つよりも劣るが、その分拡張性に優れている。後付の武装によって様々な役割をこなすことができるというのが売りだそうだ。
リーグマッチでは三組五組の専用機のないクラスが採用していた。
「デュノアの息子は国の庇護下にあるそうですし、身体的な意味での助けなど必要はないでしょう。そして精神的な意味ではそれは家庭の問題であって、騒ぎの元凶とも言えるデュノア本人がどうにかすべきことでしょう。ですからそんなあやふやな言葉で甲斐田様がわざわざ出て行かれる必要などないのです」
「なるほど」
「男性IS操縦者であるデュノアの息子についてはいずれ国を通じた交流があるでしょう。今何の得もないしそもそも関係のないゴタゴタに巻き込まれに行くことなどないです。それは決着がついて落ち着いてからで何も問題はないと思います」
「デュノア社長が社長をやめて一般人に戻ってからでいいということですね」
試しにつついてみると、目の前の社会人は俺を見てそれから頭を垂れ、残念そうに深い溜息を吐いた。
イラッとはしなかった。だから言いたくなかったんだ的な顔だったからだ。
「やはりそう思いますよね。社長派と反社長派の権力争いが行われていると。そして私がそういう政治的な意図を持ってやって来たのだと。だから言いたくなかったのです」
「すいません。そこまで反対されると何かあるのかなと」
「あるとすれば社長個人に対する軽蔑の思いです。誰に対しても誠実でない、そして国家の尊厳を踏みにじった唾棄すべき行為に対して、憤りを感じているからなのです」
「黒木さんはフランスの方なんですか? 名前から勝手に日本の方かと思っていましたが」
「名前の通り生まれは日本です。今はフランス国籍ですが」
「それは……」
「はい。私はフランスを選びました。世界で唯一、男性を女性と対等と認めている国家、フランスを」
そういう人達がいるというのは聞いたことがあった。
女性優位でない社会があるならこうやって窮屈に暮らしてないでそこに行けばいいじゃないか、と言って本当に行ってしまった人達がいるそうだ。
男女が対等でなければ愛は成立しないと言うお題目を本気で掲げている国、それが一夫一妻制最後の牙城にして『純愛』至上主義国家と呼ばれているフランスである。
そもそも、もはや世界レベルで男の数は女に比べて少ない。
人工授精の技術発展によって子孫を繋いでいくことについてはかろうじて維持できているそうだが、一夫一妻が原則の結婚制度についてはもうどうにもならない。男女一対一で結婚しては女が二、三人余る勘定だから、結婚できない方が多数派になる。
しかしかと言って単純に一夫多妻を認めてしまうと、今度は社会の構造上女が男のために働くという構図になってしまう。女性上位の社会が形作られていく過程で、男達は出世はもちろん職業選択の自由まで奪われている。男がいなくても回る社会になってしまったので、今はもう事実上男は女に養われている状態だ。だが結婚相手を養うならまだ許せても、多数で一人の男を囲うのは男尊女卑時代のハーレムを思い出させて立場が逆転したみたいで抵抗があるらしい。少なくとも、女性上位を主張してきた偉い人達にとっては。
俺からすればハーレムの定義から間違えていると言いたいくらいだが。
と言っても結婚制度が現状に合わないのは事実なので、各国はそれぞれお国柄に合わせて対応している。
あくまで維持するか、いっそなくしてしまうか、あるいは現状追認でなし崩していくか。
やたら自己主張の激しいヨーロッパでは特に顕著で、フランスでは国ごと心中する勢いで守り、イギリス、ドイツは下からのなし崩しで事実上形骸化させ、イタリア、スペインは結婚制度そのものを撤廃した。
その他新たな形を作ろうとしている国も世界にはある。
そして今、俺の目の前にいるのがフランス人である。
見た目は日本人だが中身はもう完全にフランス人だろう。ある意味フランスで生まれた人よりも気持ちは強いかもしれない。
しかし男でよかった。フランス人の女など俺の中で絶対に一夏には近づけたくない存在の筆頭だ。
誰が純愛思想に凝り固まった女など一夏の側に置かせるものか。
「リーグマッチを見るために日本に来て、そのまま滞在しているという感じですね。もちろん遊んでいるわけではなく、こちらにも支社があるのでそこで仕事はしていますが」
「何のためってまさか今日のためとか言いませんよね?」
「もちろん今日のためです。正確には、こうやって甲斐田様とお話する機会を得るためですが」
「は?」
俺? 一夏ではなく、俺?
当然面識などないし、遠く離れたフランスにいたのでは得られる情報など大したものではないだろう。
そもそも日本のマスコミですら俺に興味を持たなかったこともあって、この程度かという取材内容だった。
あれからアメリカに飛んだのもいるだろうが、俺についてはあちらで調べる方が困難なはずだ。いろんな意味で。
「いえ、最初から興味を持っていたという話ではありません。リーグマッチを見て、の話です」
「一夏ではなく?」
「当初の目的が織斑一夏様であったことは否定しません。果たして男性IS操縦者とはどの程度のものかと興味を持つのは私でなくてもそうでしょう」
「じゃあ僕についての話の前に実際に一夏を見た感想聞いてもいいですか?」
「なるほど。……では一言で申し上げると、さすがは織斑千冬様の血縁者、でしょうか」
血で括ってきたか。
「一応血とか遺伝は関係ないことになっているのでは?」
「IS適性の話ならそうでしょう。ですが適正のみで競技が行われるわけではありません。運動神経や反射神経、その他とっさの判断力や経験など、競技である以上はスポーツ選手とそう変わらないでしょう」
「そういう理屈ですか」
「もちろんIS適正が大きく関わっているのも事実です。実力が同じくらいなら適正の差は大きく響きます」
「下駄の高さの違いというわけですね」
織斑先生が努力でどうとでもなると言い切るのはこういう話だろうか。
篠ノ之さんの意見を付け加えると、学生の身分のうちなら、だが。
「偉大な姉とはまた違ったスター性を持っていますね。女性に夢を見せられる男性もいるのだなと感じました」
「へえ」
なるほど確かに篠ノ之さんは一夏に夢を見ている。
だが一方でクラスメイト達は見ていない。それはオルコットも、また鈴も。
この人の言ったことが本当なら希望の持てる話だ。まあ夢の意味が俺と同じであればだが。
「三日間、それも数時間程度外から見ただけの話ですので、まるで的外れかもしれませんが」
「いえ、なるほどと思えました」
「それは何よりです。ではもう少し具体的に述べた方がよろしいですか?」
「一夏の話をしに来たわけでもないと思うので十分です」
「お気遣いをありがとうございます。では、本当にようやくですが本題です。今日私は、甲斐田様にエールを贈りたいと思いこうやって参りました」
「エール?」
なんか気持ち悪いこと言い始めた。