奇跡とは祈るものか頼るものか、それとも諦めるものか。
頼るのはさすがにないだろう。奇跡と言われた時点で可能性はものすごく低い。さらにその時点で運命は自分の手から離れてしまっている。起こることを普通に期待できるのであればそれは奇跡とは言わない。よって当てにはできない。
ならばすっぱりと諦めるか。だがそれには後ろ髪を引かれてしまう。可能性がすごく低くとも、ゼロではないのだ。ほぼ無理だけれども絶対に無理ではない。奇跡と口にしてしまった時点で起こって欲しいのだ。だから諦めきれない。
祈る。可能性が高まるのであれば誰だって全力で祈るだろう。だがもちろんのこと、祈ろうが祈るまいが結果には何の影響ももたらさない。ならばまるっきり無駄かと言われると、ひとつだけ、あることに効果があると思う。それはすなわち、現実逃避。祈っている間は他のことを考えなくて済む。待つしかない状況になってしまったら、もう精神安定上無心に祈っておくのがいいのではないだろうか。
倉持技研が社内で協議した上での結論を出してきた。
奇跡が起こらない限り一週間で一夏の専用機を用意するのは無理。
まあ、予想の範囲内の話ではあった。
一夏が渋い顔をしていたので内容はすぐ察することができた。夜に頼んで次の午前中で結論を返してきたのだが、少なくとも即諦めたという空気ではなかったようだ。
さすがに倉持技研はIS学園に一番多くのISを提供しているだけあって、クラス代表のあれこれも理解していた。一夏曰く、倉持技研的にはクラス代表になれるものならぜひなって欲しいとのことだ。間に合わないならと織斑先生に模擬戦の日程を延ばしてくれるようにお願いまでしたとのことである。もちろん即断られたらしいが。
形だけポーズだけでやっているようではなかった。元々諦めていた話らしく、倉持技研は降って湧いた幸運に全力で飛びつこうとしていた。
間に合わない原因は技術的なところにあるようだった。一夏がまるで理解できなかったらしく俺への説明も要領を得なかったが、搭乗者の安全に関わる部分でどうしてもクリアしなければならない問題があり、その解決にはどうあがいても時間を必要とするという話だそうだ。
模擬戦を行う上ではどうにも目をつぶるわけにはいかないらしく、技術者として一夏の安全を考えれば血の涙を流して不可能だという結論に達したようである。
とは言っても完全に諦めたというわけではなく、奇跡が起こったときのために準備だけはしておくとのことだ。この場合の奇跡とは、技術的問題を解決できるか織斑先生の気が変わるかである。
技術的な方は半分諦めているようで、どうやら織斑先生の気が変わることを期待しているようだ。
時間があれば技術的な問題は何とかできる自信があるらしく、今倉持技研は全力で織斑先生への説得工作を行っている。
対する織斑先生は着信拒否状態に入った。元々一夏を勝たせる気もないしいちいち会話するのが面倒になったのだろう。昼は職員室に居座らず、放課後は俺と山田先生を連れて別室にこもって事務作業にかかりきりになるつもりのようだ。その日は同時に余計なことをしでかしてくれた俺への、実にしつこい説教も行われた。
作業で手を動かし説教を右から左へと聞き流しながら、その時俺は何かデジャヴのようなものを感じていた。
そして織斑先生から解放された後、自主訓練をしている一夏と篠ノ之さんの顔を見た時にそのデジャヴの正体が分かった。
ああ、篠ノ之さんの説教好きは織斑先生の影響だ。
このIS学園に限らず男が一人で歩いていると、やたら見られる。
日本の男女比は一対三から四なのだから別にそこまで珍しくもないと思うのだが、女にとって男とはどうにも異質な存在のようだ。女性上位主義者が憎々しげに見てくるのは男そのものが気に入らないのだろうから理解できなくはない。でも負の感情はなしにじっと見られてしまうと非常に居心地が悪くなる。観察しているのか真顔で見てくるのは、こっちはただ歩いているだけなのになんなのかと思う。
一人でいるというのも心細さが増すのだろう。基本的に男は固まって数人で行動するのが常だった。
そしてこのIS学園、全校生徒四百人に対して男子二人、男など存在しないも同然だ。
そんな中男一人で行動するとどうなってしまうのか。誰も声はかけてこないのに視線だけが俺に集中していて、居たたまれない気持ちでいっぱいになり即安全な場所に逃げ出したくてたまらない。
昨日一昨日と俺と一夏は放課後に別行動だったが、一夏は女子とはいえ知ったクラスメイトや幼馴染と一緒で、俺も一人で行動したのは職員室から訓練場のアリーナへと移動した時くらいだった。
あの時は放課後で人も少なかったし、また一夏の訓練が気になっていて周囲もそこまで気にならなかったのだが、今は違う。昼休み、学園は生徒、すなわち全て女子で溢れている。対して俺は一夏とも離れて一人、知り合いのいない廊下を歩いている。
自分で選んだこととはいえ、始まる前から試練があるとは誤算だった。これから交渉をしなければならないというのにゴリゴリと自分の中のエネルギーが失われていくのを感じる。数分の距離で本当に助かった。
と、目的の教室に到着した。脇目もふらず歩いていれば誰も声をかけてこないというのはここでも有効なようだ。今後もそうしよう。
教室の扉が空いていたので入り口に立ち、失礼します、と教室内へ向けて声を出す。
瞬間、教室内の全ての視線が俺へと飛び、教室は無音となった。それは魔剣出席簿が振り下ろされた時とはまた別の種類の沈黙で、クラス内の女生徒の表情は綺麗に驚き一色だ。
「宮崎先輩はいらっしゃいますか?」
俺が喋らないと当然話が進まないので教室の中へと呼びかける。
呼ばれた本人であろう黒髪セミロングの女生徒が弾かれたように椅子の音を立てて自分を指差した。
「私!?」
「宮崎先輩ですか?」
「え、ええ……」
「ご相談したいことがあるんですけれど、今お話させてもらってもいいですか?」
笑顔を作るのはさすがにわざとらしいかと思ったのでそこまではせず、できるだけ柔らかい声で話しかける。
予想外の展開に動揺しているであろう先輩は忙しく体が動いていた。
「い、いいけど……」
「あ。別に変な話じゃないです。それに隠すようなことでもないので、ここでそのまま話させてもらえれば」
「な、ならどうぞ……」
とりあえず話は聞いてもらえそうだ。最悪の場合有無を言わさず追い返される可能性もあった
何しろ俺はこの人について成績と評価以外は何も知らないのだから。
俺は教室に入って先輩の隣の席に立つ。そして促されてから席に座る。初対面なだけにつまらないことで機嫌を損ねたくない。まあ先輩は混乱中でまだそういうところにまでは頭が回っていないようで、周囲の方々もまだ理解が追いつかないのだろう、無言で俺を見守っている。
「それでご相談したいことなんですけれど、一言で言うと来週ISでの模擬戦をやるので、初心者がそれに勝つための知恵を貸して下さいという話です」
まず俺は事情を説明することにした。こっちが喋っている間に向こうも落ち着くだろうし、助けてくれるにしろ断られるにしろ、何より状況を理解してもらわないことには始まらない。
俺は自分ではなく一夏が模擬戦を戦うこと、相手はイギリス代表候補生で専用機を持っていること、こちらは専用機が間に合わないので量産機で戦わなければならないこと、そして織斑先生に絶対負けると言われていることなどを話した。
話しているうちに先輩方も平静を取り戻したようで、話の後半には時折俺の話に確認や補足を求めるようになっていた。目の前の宮崎先輩だけでなく周囲の先輩達も会話に加わってきていた。
「とりあえずこんなものでいいでしょうか?」
「そうね。事情は概ね理解できたと思うわ」
意外と細かいところまで聞かれたので時間がかかった。これからは交渉の時間だ。
「じゃあ甲斐田君のお願いに返事をする前に私から質問なんだけれど、どうして私のところに来たの?」
さあ来た。
「それは先輩が三年生で一番の成績だからです。だから真っ先にここに来ました」
「なるほど、でも甲斐田君はまだ入学して三日目だよね。どうしてそんなことまで知っているの? 私の友達と知り合いとかならその人と一緒に来てもいいと思うんだけれど」
「伝手があればもちろんそうしたんですが、何もないのではこうやって直接行くしかなかったんです。あと成績とかは別に隠されているものじゃないですよね。まして先輩は一番なんですからすぐ分かりました」
目の前の先輩が、へえ、とでも言いそうな感心した顔を見せた。
俺は暗に上級生の成績を調べましたと答えた。もちろんはったりだ。IS学園の成績の調べ方など当然の如く知らない。そもそも成績上位者が公開されているのかさえ知らない。
だが結果だけは知っている。なぜなら、この二日間織斑先生の元でやった作業が今の二三年生の成績表の整理だったからだ。
昨日の放課後俺は織斑先生の説教を聞き流しながら、俺は全力で成績表から優秀な生徒を探し、そして目の前の宮崎先輩に白羽の矢を立てた。教えてくれるのにもっと適当な人はいたかもしれない。だが時間もなかったので成績が良くて人格がまともそうならいいかということで、夜に一夏と相談して数名の候補の中から決めた。
もちろんこれが偶然だったとは思わない。昨日の放課後、最後はもうあからさまに怪しい動きをしている俺を織斑先生は咎めなかったし、第一俺に必要のない成績表を触らせている時点で間違いないだろう。
遊ばれているのか試されているのか、何も言わないあたり織斑先生はとてもいい性格をしていると思う。
「でもそれなら模擬戦は実技なんだからそっち方面で優秀な人にお願いした方がよかったんじゃないの? 隣のパイロット科なら私よりもできる人はたくさんいるわよね?」
予想通り乗ってきた。きっとこういう会話好きなんだろうなと想像していたが、さすがは指揮科の生徒だ。目が笑ってるしきっとディベートとか大好きな人だ。
「ええ、ですがもう一週間もないので、操縦技術を磨くには付け焼き刃にもならないかなと思いまして。だったら指揮科の宮崎先輩なら戦略レベルでひっくり返してもらえるんじゃないかと期待して今ここにいます」
持ち上げることも忘れてはいけない。何しろ俺には思いつけない解決策を出してもらう相手だ。
しかも織斑先生に絶対と言わせてしまうほどの無理難題。せめて取っ掛かりくらいは切実に欲しい。
「こちらは素人で、量産機で、相手は専用機持ちの代表候補生。しかも準備する時間も全然ない。普通に考えたらとても勝てそうにない話ね」
そう、交渉とは言っても絶対的にこちらの立場は弱い。基本的に相手に全部ぶん投げるお願いなので、相手にその気になってもらわなければ何も始まらない。
余裕を取り戻したらしき先輩はにこにことこちらを見ている。さあ私をやる気にさせる言葉は何? と目が言っている。
「やりがいのある話だとは思いませんか? 絶対的不利を跳ね返すってすごく楽しいと思いますよ?」
「あら、でもそれはうまく行く見込みがあってこその話よね。今の状況じゃちょっとそれは厳しいかな?」
「つまり先輩ではとても不可能な話だということですか?」
先輩がむっとした。軽い挑発ではある。お願いする相手に対して挑発なんてよろしくないのは俺も分かっているが、不毛な会話に時間をかけている余裕はあまりない。断られたら次に行けばいいし、いざとなればここには連れて来なかったが最終兵器一夏のお願いもある。
「いえ、織斑先生が絶対勝てないと言うような話ですから、無茶なお願いだというのは十分理解しています。先輩が無理だと言うのであればそれも仕方ないと思うので、はっきり言ってください」
「君はせっかちね。もうちょっとこう会話を楽しもうとかそういう気持ちはないの? どう厳しいのかとかどれくらい差があるのかとか話せることはいっぱいあるわよね?」
どうやら先輩がむっとしたのは挑発されたからではなく、俺が結論を急いだことにあるようだった。
「いや、こっちもあまり時間がなくて駄目なら駄目で次に行きたいので」
「会話を振ってきたのは甲斐田君なんだから、中途半端じゃなくしっかり付き合って欲しかったなあ」
正直知るかという話だが、確かに話を振ったのはこちらだ。相手がけむにまいてきそうな予感があったので踏み込んだが、勝手だというのはまあその通りか。
「まあまあ、それくらいにしといていいんじゃない」
「綾、ここまで男子一人で来た度胸は認めてあげようよ」
「少なくとも男子であることを前に出してこなかったのは評価していいと思うな」
と、ここで周囲の先輩方が口を挟んできた。言われた内容は俺も考えた上での話だった。多分指揮科の人達はそういうのを嫌うだろうと想像してのことだ。他のパイロット科や整備科、衛生科の先輩が相手なら一夏を連れて行って惹き付けたり母性本能に訴えたりして全力で同情を誘うつもりだが。
「うーん、じゃあ最後にこれだけ。どうして君はそこまでがんばってるの? これは甲斐田君自身の話じゃないよね? やっぱり友達だから?」
「いえ、それ以前にけしかけたのが僕ですし、最後まで責任は持ちますよ」
答えると先輩方はみんな揃って意外だという顔になった。そこまで変な解答をしたつもりはないのだが。
「男子ってこういうものなのかな?」
「かっこつけてるとか?」
「あー、素直じゃないってやつ?」
いや、本人の目の前で思いきり聞こえるようなひそひそ話とかされても反応に困るのだが。
「あの……」
「ごめんごめん。ちょっとびっくりしちゃった。てっきり親友のためなら当然ですとか言うと思ってたから」
もちろんそういうのが効果的な相手なら迷わずそう言うつもりだ。目の前の先輩方には鼻で笑われて逆効果になると踏んで言わなかったのはかえってよくなかったのだろうか。
「そうだね、その表情が本心なのか背伸びなのかは今後の君を見て判断しようかな」
ああ、何となく理解できた。相手に合わせて話そうとしたことが背伸びしているように見えたのか。今まで年上の先輩と接する機会なんてほとんどなかったが、年下として振る舞うなら多少青臭くても許されるのかもしれない。
いや待て、それ以前に。
「うん、いいよ。手伝ってあげる」
今後という意味に気づいて顔を上げた俺に先輩は笑って答えた。クラスメイト達よりも大人な笑顔だなと何となく思った。これが二年間の差なんだろうか。
「ありがとうございます。それで……」
「うんうん、言いたいことは分かるよ。実際勝てるのって話よね?」
「はい」
俺はじっと先輩の目を見る。先輩は軽く俺の視線を受け止めて、はっきりと言い切った。
「勝てる可能性があるかないかと言われたら、十分ある」
「織斑先生は絶対勝てないと言いましたが」
「それ」
と、先輩は俺の口を指差した。
「それって……?」
「織斑先生が絶対勝てないと言ったこと」
どういうことだろうか。
「えっと、絶対という言葉自体は使ってなくて、万に一つも勝ち目はないと言ったんですが」
「一緒ね。織斑先生は絶対とか完璧という言葉は使わない」
この人も一夏みたいなことを言い出した。
「いや、実際使いましたし、確かに弟の一夏から織斑先生はそういうこと言わないとは言われましたけど」
「なんだ、そこまで知ってるんじゃない」
「どういうことですか?」
全く意味が分からない。普段使おうが使うまいが実際に俺は面と向かって言われたのだが。
「普段絶対という単語を使わない人があえて使った。おかしいと思わない?」
「いや……それだけの差があるということじゃ……」
「なるほど、素直に受け止めちゃったわけね」
織斑先生は俺に嘘を言った? 何のために? 諦めさせるため?
「例えばね、模擬戦の日、相手の子が風邪引いて立つのもフラフラになってたら十分勝てるわよね?」
「えっ、そういう作戦ですか?」
そんなのはいくらなんでもない。
「そうじゃなくて、そういう可能性がすぐ考えられる時点で万に一つもないとか崩れてるわよねって話」
「理屈としてはそうですが……」
どちらにしても厳しいことに変わりはないのだが。
「まだピンとこないか。それならどうして織斑先生は全く勝ち目がないなんて言ったんだろう?」
もちろん俺と一夏をビビらせるためとかそういうことじゃないんだろうが。
「うーん、じゃあ質問変えるね。甲斐田君にとって勝ちってどういう状態?」
「勝ちですか? この場合は模擬戦で一夏が勝つこと?」
「模擬戦で勝つってどういうこと?」
「それは……相手の機体のエネルギーを一夏がゼロにすること?」
「それは誰が決めたの?」
「誰って、模擬戦ってそういうものじゃ……」
「そこよ。君は模擬戦という単語を使っているだけで、何をもって勝ちとするか考えていない」
「ルール?」
先輩は笑った。
「そう。模擬戦なんだから好きにルールを決めて相手を納得させればよかったのよ。別に半分削ったら終わりでもいいし、何か競争的なことで勝敗をつけてもいいし」
「つまり僕は自分が勝てるルールで提案をするべきだったって話ですか」
「過去形で言うってことは理解したようね。織斑先生が言いたいのはね、甲斐田君はそもそも勝とうとしていないんだから勝てるわけがないってことよ。絶対なんてありえないというところから紐解いて、自分にとっての勝利とは何かを考えなさいってね」
俺の勝利のイメージ。オルコットが地面に倒れ伏してその前で一夏が剣を高々と掲げる。それが俺にとっての英雄の姿だった。
間違っているとは思わない。だがそのための道筋を作っていなかったのは紛れもない事実だ。専用機のことを知ってこれなら一夏はやってくれるだろうと丸投げしただけ。メンタル弱そうなオルコットなら揺さぶれば余裕だろうなどと甘すぎる見積もりしかしていなかった。
挙句の果てに一夏の立場を窮地に追い込んでしまっていた。まあ一夏本人は今も負ける気は微塵もないだろうけれど。
「もちろん、これは私達、つまり指揮科としての意見。パイロット科の人達ならまずどうやって相手を捻じ伏せるかを考えるわ。整備科なら機体の性能差をどうするか考えるでしょうね。衛生科なら安全第一で勝負そのものを止めることを考えるかもしれない」
そこで先輩は言葉を切った。君はどうしたい? と目が言っている。
「確認なんですが、模擬戦のルールはもう一般的なもので行くしかないんですよね?」
「今からできるのはルールの確認くらいね。でも甲斐田君はそれすら知らないんでしょうけど」
非常に耳が痛い。何が自分の力で一夏を勝たせるだ。
「模擬戦までにできることはなんでもやって、オルコットに勝ちたいです」
「よろしい。希望は聞きました」
元よりなりふり構うつもりはない。一夏の評判が落ちること以外は。
「私だけじゃ手が足りないからみんなにも手伝ってもらっていいわよね?」
「それはもちろん。というかむしろ有難いです」
「やった!」
「よかった。ここでハブられたらどうしようかと思った」
周囲の先輩方までやる気になってくれている。好奇心を突けばもしかしたらとは思っていたが、これは俺にとって最上の成果だ。三人寄ればではないが考える脳が多いのは確実に可能性の上昇だ。船頭が一人であればそうそう無茶苦茶なことにもならないだろう。
「それは大丈夫、指揮科が指揮系統ぐちゃぐちゃとかありえないから。全体は私が見るけどみんないいわよね? 直接頼まれたのは私なんだし」
心の中まで読まれてしまった。が、不快感など全くない。
あるのはなんとも言えない高揚感。
「で、具体的な作戦を今すぐ出せってのはもちろん無理よ? 時間ないのは分かってるけど今日の夜までちょうだい。それまでに大枠と織斑先生の弟さんがやるべきことだけは決めておくから」
「こういうときみんな寮ってのは便利だね。あ、君まだ見てないだろうけど寮に会議室あるから夜だって平気なのさ!」
「いっそ会議室借り切って作戦本部とか作っちゃう?」
「それいいかも! その名もオペレーション……何がいいかなあ?」
あっという間に先輩方が盛り上がり始めた。こうなればもう俺が役立たずなのは確かで、楽をできると言うべきか、考えたけど無理でしたごめんなさいと手のひら返されることがないのを祈るべきか。
「でも私達が考えるよりそっちの分野は任せた方がいいよね? そこにいる人達!!」
と、いきなり先輩が俺の後ろに向かって投げかけた。
振り返ると、なんと教室の窓、入り口が女生徒達で埋め尽くされていた。俺は余裕がなくて気付かなかったが、一部始終を見ていたということなんだろう。まあいきなり男子が一人でやって来たら何事だと思うのはよく分かるが。
「さっすが綾!」
「よく言った!」
「当然です!」
「言われなくても乱入する気満々でした!」
「指揮科だけにおいしいところは持って行かせないよー!」
女生徒達から歓声が上がる。もしかしてこの人達は暇なのだろうか。
「はい甲斐田君! お願いがあります!」
その中から手が上がった。もう蚊帳の外にいる気分だったので、急に現実に引き戻されて思わず身構える。
「いや、そこまで怖がらなくても……」
「それはきっと顔が怖いんじゃないでしょうかー!」
「なんだと!?」
「あ、すみません。何でしょうか?」
やっぱり女子が集まるとそのエネルギーは凄まじい。三人集まれば姦しく、それ以上ではもはや男の手には負えなくなる。
「はい! 餌をください!」
「え?」
この人は何を言っているんだと一瞬考えたがすぐに思い当たった。
「いやね、馬は目の前にニンジンがあると頑張って走るんですよ」
「自分のこと馬とか言ってる」
「馬車馬のようにはたらけー!」
「例えよ例え!」
どうして女はすぐ脇道に逸れたがるのだろうか。女子と会話していると話題があちこち飛んで油断すると何を話していたのか分からなくなってしまう。
「分かるよね? 報酬ってこと。指揮科に頼みに行くくらいだからそういうの用意してないかなーっていう期待?」
俺に問いかける女生徒が言葉通り期待に満ちた目で俺を見ている。
もちろん、考えてはいた。金目の物はまだ無理なので、それ以外でここの人達が喜びそうなのは何だろうと昨日の夜あれこれと一人で悩んだ。こういうとき一夏は全く役に立たない。
宮崎先輩一人なら終わった後一夏とデートでもさせればいいかと思っていたが、さすがにこの人数ではきっと休日が足りなくなる。なので第二の案を提示してみることにした。
「写真なんてどうでしょうか?」
「君の?」
「まさか」
「じゃあ……織斑先生の弟君?」
それもありと言えばありなのだが、一夏の写真はプレミアをつけた上で広めたい。このIS学園において一夏はまだ織斑先生の弟君でしかないのだ。篠ノ之さんのように一夏本人に対して惹かれてくれれば、その写真には大いなる価値が生まれてくる。今から安売りするつもりは全くない。
「いいえ。織斑先生の写真はいかがですか? 写真なら焼き増しすればみなさんに行き渡ると思いますし」
「ほう」
女生徒の目が光った。つまり、食いついた。
織斑先生と言えばISの世界においてカリスマ中のカリスマだ。そしてIS学園に限らず学生の憧れの的である。織斑先生がIS学園の教師として赴任することが決まった時、IS学園への入学志願者が桁違いに跳ね上がったそうだ。今や日本一入学が厳しい学校だとまで言われている。
目の前の三年の先輩方はそうなる前の入学だが、織斑先生に憧れる気持ちに違いはないようだ。
「なかなかいいところに目をつけたね。ここまで一人で来たことと言い、まずはさすがだと褒めておこう。だがしかし!」
芝居がかった動作が一昨日の生徒会長っぽいと思った。そういえばあの芸人志望の生徒会長は昨日も来るかと思ったが結局来なかった。
「何でしょう?」
「悪いけど、私は千冬様に関しちゃものすごくうるさいよ? 誰でも持ってるようなの見せられたって心は動かないからね?」
千冬様ときたか。中学時代にそう呼んでいる女子がいたが、なかなかに織斑千冬マニアだった。
ならば俺の想像の範疇だ。
俺は勝利を確信し笑ってみせた。
「ほほう、よほど自信があるようだね。それは何か言ってみてごらん?」
「織斑千冬十五歳、入学式にて」
「ええええーーーー!?」
驚きの声は目の前の女生徒だけでなく、この場にいる全員のものではないかという程のボリュームの大合唱になった。しまった、効き目がありすぎた。
「甲斐田君見せて! それ見せて!!」
後ろから宮崎先輩に思い切り肩を掴まれた。これでもかというほど力が入っていて、おまけに小刻みに震えている。あっという間に周囲を他の先輩方に取り囲まれた。さっきまでの騒がしさはどこへやら、一瞬で空気が張り詰める。俺を見る目が真剣すぎて怖い。
「どうぞ、これです」
宮崎先輩に肩を掴まれていて腕を動かしづらかったが、なんとか胸の内ポケットから写真を取り出して見せる。
餌を要求した先輩が食い入るように見、それから震えながら涙を浮かべた。
「これが……千冬様……」
写真の中では俺や一夏と同い年の織斑先生が立っていた。もちろん本人なので面影はそのままに、でも今の先輩達よりも幼い織斑先生がぎこちなく笑っていた。有名になる前なので今のように表情をうまく作れていない、素の姿がそこにはあった。
この写真は俺が入学前に揃えた中でも最大級の代物だ。
「見せて見せて!」
どこからか伸びてきた手に写真は取られ、女生徒達の奪い合いが始まった。見た者まだ見ていない者の差は明らかだ。見る前は殺してでも奪い取る状態だったのが、見た途端に顔が崩れて涙を見せる。そして次第に泣き顔が広がっていく。廊下から教室へと雪崩れ込んできた女生徒達は、揃って伝染病にでもかかったかのようにすすり泣きを始めた。
ここは誰の葬式会場だろう。織斑先生は今も元気に生きている人なのだが。
「がんばるね! 私がんばるからね!」
宮崎先輩が泣きながら俺の肩を揺さぶった。
それなら今すぐ作戦を考えてくださいと声を大にして言いたいが、今この場で正常な思考ができる人は俺以外いないのでとても無理だ。
こういうときこそ場に平穏をもたらす聖剣シュッセキボの出番なのだが、と俺はなんとなく思った。
もっとも、本当にやってきたら真っ先に剣の錆となるのは俺なのだろうけれども。