二年の階の廊下は全く空気が違う。
三年は俺に対して優しい。歩いていると普通に声をかけてくるし、時には某写真の取り引きを求めてきたり某組織への勧誘をしてくるのもいる。クラスメイト連中のように俺をけなしたりしないので、正直なところ一番居心地が良かったりもする。
特に指揮科の先輩達は確実に俺に目をつけ、いやかけているようで、いろいろと学園の話を聞かせてくれる。このIS学園は非常に不親切な場所で、ただ口を開けて待っているだけでは情報など何も落ちてこない。だからこちらから主体的に動く必要があるのだが、情報収集に三年指揮科の教室はうってつけである。
学園生活のあれこれに始まって、IS知識、行事、体験談。予め知っておけるのははっきり言って大きなアドバンテージだ。もちろん経験してみるとまた違って見えるのかもしれないが、事前に準備を行う上では何も知らないのとでは天と地ほどに違う。
もっとも、先輩方は俺の質問の仕方が悪いと相応の返事しか返してくれないし、しばしば答えを言わず俺に考えさせようとするのが面倒ではあるけれど。
一方、一年はエリアによって大分状況が変わってくる。
鈴やハミルトンのいる二組は相変わらず俺に対して関心を持っていない。変わったことといえば一夏に興味を示すようになったくらいか。ただしそれはリーグマッチ優勝者という点で関心があるくらいで、せいぜいアリーナで訓練する一夏の姿を見ている程度だ。普段は寄ってくることさえない。
三組は概ね俺に対して好意的なままである。クラス代表のベッティによって統制が取れているので、トップダウンな形だがある意味一組より集団として纏まっていると言えるかもしれない。
そしてあのラウラ・ボーデヴィッヒがここに転入してきている。
四組はあまり良く分からない。クラス代表を更識妹に押し付けておきながら持ち上げることもなく、今も完全放置のままという意味不明な状態が続いている。
更識妹本人がコミュニケーションを取ろうとしないというのもあるのだろうが、奴は仮にも日本の代表候補生という肩書を持っている。多少は近づく奴がいてもいいと思うのだが、少数のグループに分かれて固まったままなそうだ。ここは二組と並んでクラスの体をなしていない。
五組はリーグマッチ終了後クーデターが起こって、当時代表だった佐藤がその座を追いやられた。リーグマッチ全敗の責任を追求されて辞任とかどこの政治組織だと思わざるをえない。
追われた佐藤も個人戦を通じて奪い返す気満々だし、外に対しては一組三組と対立状態。はっきり言って一年の火薬庫状態だ。
俺にとっても新代表の杉山が男子否定路線なので、できることなら近づきたくない場所である。
とまあ上も下もいろいろだが、真ん中の二年は基本接触が少ないのでどうにも掴みづらい。
はっきり言えるのは、今すれ違う二年生達の目にあるのは俺に対する警戒心であるということだろう。
「はいどうぞ。砂糖は一つでいい? ミルクもいる?」
「砂糖だけで大丈夫です」
黛先輩は空気を読んだ。
二年のエリアは俺にとって居心地の悪い場所だろうと認識していたようで、話があると訪れた俺をそのまま下の中庭まで連れ出した。
このコーヒーはわざわざ新聞部の部員に持ってこさせたようだ。別に自販機ので十分だと思うのだが。
「ごめんね~。部室にお菓子までは常備してなくて」
「いや、さすがにそこまでしてもらわなくても」
黛先輩が顔の前で両手を合わせる。そういえば姉も似たような動作をしていた気がする。
「いえいえ、甲斐田君に失礼があってはいけませんから」
「それお姉さんに言われたんですか?」
「だってすごい怖い声で言うんだもん。あの姉がビビるって相当なことだよ。甲斐田君はいったい何をしたの?」
「何をしたと言う程でも……というか聞いてないんですか?」
ビビるはさすがに言い過ぎだと思うが、俺の機嫌を損ねたくないという気持ちは分からないでもない。
雑誌記者黛姉にとって、俺は是が非でも取材をしたい一夏に繋がる貴重な存在である。
もし万一俺を怒らせて一夏へあることないこと言われてしまった日には首を括りたくなるだろう。
「負けたとしか教えてくれなかった。私じゃ相手にもならないから絶対に変な気は起こすなって」
「負けたって別に勝負とかしてないです。というかそれって黛先輩が伝えた僕の噂を真に受けてるんじゃないですか? 噂が変な方向に膨らんでるのは先輩も知ってますよね?」
「説教部屋の件はほんとごめん!」
「ああ、あれですか。僕が説教部屋に呼び出されるも一歩も引かずに織斑先生と激論を交わしたって。しかもそれを二度三度って。どう考えてもおかしいです」
「それは……甲斐田君なら絶対やったに違いないという謎の説得力があって……」
「ないですよ一ミリも。説教部屋に呼ばれた生徒がどうなるかは上級生の人ならよく知ってる話じゃないんですか?」
実際鈴はトラウマレベルにまでダメージを受けていた。
「待って。ちょっと待って。確かに普通はそうなんだけど、うん、普通そんなことないのは分かってる。でも甲斐田君ってこのIS学園で唯一織斑先生に楯突いてる、じゃなかった立ち向かってる生徒なの。だから説教部屋の件はきっとその一環だろうって……」
「そういう話ですか……」
はっきり言うと、入学時から俺は織斑先生に対して負け続けていた。
敵はまるで最初から俺の手の内を知っているかのように、先読みして対応してくる。
これは明らかに大人だからというような問題ではない。他の先生達は話をしていてもそこまでやりにくい相手だとは思わないのだ。
やはり相性が最悪だということなのだろう。
俺の手法など全て事前に経験済みで、対処方法まで心得ているという程の状態だ。旗色が悪いとかそういう次元の話ですらない。
もしかしたら俺のような人間が側にいたので全部分かるというような不運な事情があったりするのだろうか。
「ま、まあ全部誤解だって分かったんだし、人の噂もね!」
「三年生は爆笑するし、二年生の廊下ではじろじろ睨まれるし、なんか僕の立場がおかしなことになっていってる気がします」
「あー、二年はちょっと負のスパイラルに入っちゃったかもしれない。どうもこういうことが笑い話になってないんだよね」
「最初から笑い話じゃないです」
しかしここ数週間で二年生の視線が厳しくなっているのは感じる。
リーグマッチ直後はもう少し興味的な目もあったのだが、会見のあたりから胡散臭いもののように見られている気がする。少し前だが食堂で二年らしき生徒達が俺の近くで邪魔だとばかりに机を叩いていたし、影に隠れていたものが顕在化しつつあるのかもしれない。
「この学園の空気なら絶対そういうのは面白がるはずなんだけどなあ」
「それはそれでどうかと思います」
「やっぱり織斑先生にたっちゃんという大きな存在があるのよ」
「だから生徒会長はいじめじゃないですって」
「でも本人がまた騙されたとか今回もやられたとか悔しがってるのを見ると、二年としてはどうして同情する方向に行っちゃうの」
「生徒会長っていつもあんな感じじゃないんですか?」
「全然違うわよ。いつもはもっとしっかりしててとても頼りになるくらいなんだけど、甲斐田君の前に出ると途端に余裕なくなって力入り過ぎなのが不思議。もしかしたらそれが素なのかもしれないけど、いつもかっこいい姿を見てきた周りとしてはね」
つまり俺は二年生の間で何様だこいつ状態になっているわけだ。
元々男という存在を快く見ていない生徒もいるだろうし、意外と根は深いのかもしれない。
「話がずれました。とりあえずそっちはいいです。いやよくはないですけどすぐにどうこうできる話でもないので。それで話というのは実はお願いがありまして。無理なら無理で全然構わないんですが」
「なるほど、つまり私がそれを自主的に実行すればいいんだね?」
「なんでそうなるんですか」
「だって、今の私には甲斐田君にお願いをされたら断る選択肢はないんだよ? 姉にも言われてるし説教部屋の件もあるし」
黛先輩は両手を頬に当てて眉毛をへの字に曲げる。
しかしそれはいくらなんでもビビり過ぎだ。姉妹揃って何をやっているのか。
そもそも無理にでも聞いてもらわなければならない事態なら最初からそういう風に話を持っていくわけで、今回は多少なりとも下手に出たつもりだったのだが。
いや、会話の最初で責める方向に行ってしまったのが失敗だったかもしれない。
「というか、実行も何も先輩にできないことだったらどうするんですか?」
「甲斐田君が言ってくるんだからきっと私にできるギリギリを狙ってくるんでしょ?」
「先輩の限界を見極めてるとかいったい僕は何者ですか。もういいや、ええと、お願いというのは一人新聞部で面倒を見ていただきたい人がいまして」
「待って! それだけで監視をつけられるとか甲斐田君はどれだけ厳しいのよ!」
「どんだけ僕に後ろめたいんですか」
もしかして俺の噂を一番信じているのはこの人ではないだろうか。
俺の話題に詳しい割には直接話をする機会が少ないので、勝手に脳内で俺の虚像を増幅させているような気がする。
「甲斐田君落ち着いて。いくらなんでもそれはやり過ぎだわ。私達を信頼できないのは分かる。でもね、そういうことをして行ったらきりがないの。行き着く先は本当に恐怖政治よ」
「先輩はさっきから怖がり過ぎです。今の僕には先輩に対して含むものは何もないです。純粋に困っているから先輩の力を借りたいんです」
「今の甲斐田君……はいなんでもないです。うん、えっと、それでその人はどういう人なの? 面倒見るって私に何を求めてるの?」
ようやく本題にまでたどり着くことができた。
できる限り円滑なコミュニケーションを、と思って雑談には応じるようにしてきたが、この分ではさっさと言いたいことを言ってしまった方がかえって話がスムーズに進むのではないだろうか。
「うちのクラスに夜竹さんと言う人がいまして、映像とか写真とか得意なんですけどその人を新聞部で面倒見てもらえないかと思いまして」
「まさか人員の斡旋をしてくるとは思わなかった」
「その人写真撮るのはいいんですけど、一夏の写真を撮って売りさばいたりしてるんですよ。そういうことされると困るし、かと言って趣味を禁止するのは可哀想なのでそちらで役立ててもらえないかなあと」
「なるほど……でもそれは甲斐田君もいや何でもないよ。ん? ちょっと待って。今夜竹さんって言った?」
「言いました。知り合いでした?」
すると黛先輩が思い出したかのように手を叩いた。
これは何かあったか。
「その子って前に私が食堂で甲斐田君と話してた時に引きずられてきた子だよね?」
「そういえばそんなことありましたね」
「実は私その後夜竹さんを勧誘してたんだよ。自前で機材を持ってるレベルだなんて欲しいってもんじゃないから」
「なるほど。ということは断られたんですか?」
「うん。どこかに属するんじゃなくて自由気ままにやりたいんだ的な理由で。だから聞きたいんだけど、それはその夜竹さんの意思?」
「違います」
それは罰である。
自由気ままにしているから余計なことをするのであって、それならどこかに縛ってしまえばいいのだ。
「違うんだ……あ、商売敵だからいやなんでもないです」
「駄目ですか?」
「いや、さすがに本人の意思を無視しては……」
「もうかなり目に余る行動なんですよ。知り合いにちょっと売るくらいならまだしも、クラスを超えて広くやり始めてて、完全に商売化するんじゃないかってくらいで」
「でもねえ……うーん……」
確かに夜竹さん本人を飛び越えてやる話ではない。普通は。
「先輩、僕思うんですけど、一夏や僕のクラスメイトが新聞部にいたらすごく便利だとは思いません? 情報の齟齬がなくなるし、意思の疎通をしやすくなるし、相互理解が深まるんじゃないかと思うんですよ」
「それは……いや……」
よし、即座に断らなかった。思いの外ぐらついてくれている。
ならば押す。
「それに夜竹さん本人も全然役に立たないってわけじゃないですし。先輩も勧誘をしたのなら分かると思いますけど、僕もやめさせるのは可哀想だと思うくらいうまいですよ、写真撮るの。リーグマッチの時映像撮ってもらってたんですけど、こちらのあやふやな意図をきちんと汲み取って撮ってくれて、作戦を考える上ではすごく助かりました。そういう優れた能力を学園に知られたら禁止されてしまうようなつまらない行為で無駄遣いをしてしまうのはもったいないと思いませんか?」
「それは、まあ……」
黛先輩自身にとってもいると嬉しい存在ではあるのだ。そして夜竹さんのためにもなる。
外堀はどんどん埋まって行っている。というわけでもう一押し。
「僕も夜竹さんにそういう行為はやめて欲しいって言ってるんですけど、全然聞いてくれないんですよ。この前も他のクラスの人に一夏の写真を売ろうとしてましたし、このまま続けて行ったら先生達に見つかってしまうのは時間の問題です。もしそうなったら機材を取り上げられてしまうかもしれないし、それは夜竹さんにとっても不幸なことだと思うんです」
「そ、そうね。それは確かにその通りね」
「でも今なら止められるんです。僕の力だけじゃ無理かもしれませんが、先輩や新聞部の方々のお力を借りることができれば」
「……」
まだ葛藤している。意外と意思が強かった。
それなら解放してあげよう。責任という名の重圧から。
「じゃあ先輩、今からその夜竹さんのところに行きませんか? 僕から夜竹さんに新聞部に入ってもらえないかってお願いをします。それで断られるようならこの件は諦めますから」
「な、なるほど……」
「夜竹さんも当事者だしバカじゃないから、意味は分かると思うんです。その上で僕らの気持ちが伝わって受けてくれるのであれば、それは何も問題ないと思いませんか?」
「そ、そうね、その通りね」
「それならさっそく行きましょう」
言うや俺は立ち上がり、紙コップの中身を飲み干す。
黛先輩も慌てて立ち上がった。
道中ここから先はもう考えることをさせない。姉の話一夏の話俺の話、いくらでも話題はある。先輩にとって気がついたら終わっていたでいいのだ。俺にそそのかされてしまったでいいのだ。
我関せずの姿勢を貫けず関わってしまった以上、もう次善の策を取るしかない。終わってから気が変わって放逐しても何もいいことはない。夜竹さん本人も納得しているのだから、きちんと更生させれば何も問題ない、でいいのだ。
その後夜竹さんのところに行って話をしたところ、それだけでいいのかと逆に喜ばれてしまった。むしろがんばりますとなぜかやる気まで見せている。
もう少し絶望感を出してくれるかと思っていたので拍子抜けである。この数日かなり元気がなかったのだがいったいどんな想像をしていたのだろう。そもそもきちんと理解をしているかさえ怪しい。
黛先輩は後ろめたさもあってか心の底からほっとしたようで、作り笑顔から本物の笑顔になってよろしくと挨拶をしていた。
誰も困ったりしないのだからきっとこれがいい解決方法だったのだ、と俺は思うことにして、仲良くカメラトークを始めた二人の姿を眺めた。
放課後のアリーナには大勢の見物客が詰めかけていた。
それはそうだろう。何しろ第三の男性IS操縦士がIS学園に来て初めて訓練をしているのだから。
見渡して、俺の保護観察者二人の元へ向かう。
「甲斐田君こっちよ。用事ってかなり遅かったじゃない」
「何かトラブルでもありましたか?」
「別に何事もなく終わったよ。それでどう?」
「デュノア君のこと? それはもちろんかっこいい、じゃなくてさすがは専用機持ちという動きね」
「あまり才能という言葉は使いたくないのですが、ISに触って二ヶ月程度でここまでとはある意味織斑君よりもその単語を感じてしまいます」
「へえ」
それは素直にすごいと言わざるをえない。
一夏は入学から毎日のように訓練を続けてここまで来た。
その結果穴も多いとはいえ、初心者揃いの一年生の中では頭一つ抜け出るくらいに成長している。
それに匹敵するような動きとはどの程度のものだろう。
「今は……一夏がクラスの誰かの相手をしてるのか」
「今日は岸原さんと国津さんね。今やってるのは岸原さんかな。ついさっきまではデュノア君もやってたんだけど」
「休憩中ですね。あちらで囲まれているのがデュノア君です」
四十院さんに示された方向には笑顔のデュノアが整備班連中に囲まれている。
と言ってもせいぜい数名だが、一夏に興味のない連中はあっさりデュノアに食いついていた。
今のところ一夏から鞍替えするようなのはいないようだ。
「休憩に入ってもう長いの?」
「ついさっきだからもう少しかかるんじゃない?」
「なるほど」
「甲斐田さん、どちらへ?」
「シャルルと話をしてくる」
「えっ!?」
鷹月さんに驚かれた。
もしかして逃げるとでも思われたのだろうか。
「別に真っ直ぐ行くよ」
「ではお供させていただきますね」
「信用ないんだなあ」
「あ、当たり前よ。甲斐田君のことだから一時間後になるかもしれないし。うん、仕方ないからついて行ってあげるわよ」
なんだか鷹月さんが押し付けがましい。
四十院さんを見ると特に何も気にしていない様子だ。気のせいか。
「デュノア君と何を話すの?」
「シャルルも疲れ気味だったからね。体調とか大丈夫かなって」
「そうなの?」
「まだ慣れてなくて眠りが浅いみたい。朝見るとあんまり回復してないなあって顔なんだよ」
「そうなんだ。それは心配」
「枕が変わって眠れないようなことなのでしょうか」
「というかそれ大丈夫なの? 織斑君は気づいてないわけ?」
「気づいていないわけじゃないけど、眠るのは本人だからね。一夏も気は遣ってるみたいだけどシャルルが遠慮深いというか、共同生活には全然慣れてない感じ」
俺も一夏もそのあたりは完全に慣れてしまっているが、何もかも初めてのデュノアにはやはり勝手が違うのだろう。
聞いてくれば俺も一夏も教えてやれるのだが、どうもデュノアは人に頼るよりもまず自分でやろうとする性格らしい。
別にそんなところで気を張らなくてもいいのに、根が真面目なのだろう。今日だってようやくISが届いたのだからとアリーナにまでやって来ていた。
「やあ智希!」
IS姿のデュノアはこちらを見つけると笑顔で手を振ってきた。
ぱっと見だが疲れているという感じではなさそうだ。
「休憩中?」
「うん、別に全然大丈夫なんだけど、一夏が休めって」
「何かあったの?」
「そうじゃなくて、今は疲れる前に休んでおくべきだって言うんだよ。智希もそうだけど一夏も少し心配性じゃない?」
「シャルルが朝元気な顔して起きてくれれば言わなくて済むんだけどね」
「あはは、それはごめん」
「ちょっとデュノア君、本当に大丈夫なの? 織斑君の言う通り無理することないのよ?」
鷹月さんが割って入ってきた。委員長気質にでも引っかかったか。
「君は鷹月さんだよね? 全然大丈夫。そうでなきゃこうやってISなんて動かせないから」
「眠れないのなら医務の先生に相談してみたら? 睡眠導入剤は出してくれると思うわよ?」
「そうだね、日常生活に支障が出るようならそうしてみるよ。ありがとう鷹月さん」
「べ、別にこれくらいお礼言われるようなことじゃないから」
おや珍しい。鷹月さんが照れている。
そう言えば鷹月さんは人の世話を焼く割に感謝を伝えられることが少ないかもしれない。
整備班に感謝の気持ちを伝えるのは効果的だったし、今度俺もやってみよう。もしかしたら鷹月さんの俺への態度が和らいでくれるかもしれない。
「それがシャルルの専用機?」
「うん、見ての通りラファールだって分かるよね?」
「と言っても専用機なだけあってかなり改造されてるね。ここにある訓練機と何が違うの?」
「そうだね……やっぱり一番の違いは汎用性を捨てて射撃に寄せてるところかな」
「へー、汎用性ってラファールの代名詞だった気がするけど」
「うーん、捨てるは言い過ぎか。射撃関連ならなんでもこいにしたって感じかな?」
「え、どういうこと?」
「甲斐田くん甲斐田くん、この機体すごいよ。バススロットの中に銃関連の武装が二十個もしまってあるんだって」
デュノアを囲んでいた一人である鏡さんが横から口を出してきた。
武装を二十個。さすがにそれは多過ぎではないだろうか。
「それ意味あるの? とてもいっぺんには使えないでしょ?」
「だから、デュノア君はそのたくさんの武装を高速で切り替えて使うのよ。さっき見てたらぱっぱぱっぱ出てきて、みんなもうびっくり!」
「高速で切り替え?」
「うん、それが僕の特技なんだ。だから機体もそれに合わせてこういう形になってるわけ」
「なるほど」
通常、バススロットにしまってある武装を取り出すには数秒の時間がかかる。これは競技において重大な問題で、はっきり言ってその時間は大きなタイムロスであり隙となる。
熟練者ならまた話は別だろうが、学生レベルでは致命的ともいえる次元だ。だから少人数の競技で武装切り替えを活用するのは相当に難しい。実際リーグマッチでベッティは使い切れず鈴にその隙を突かれて敗北してしまっている。集団戦になってようやく使い道が出てくる程度だろうか。
もちろん武装が剣一本しかない我らが織斑一夏には全く関係のない話である。
「実際どういうものかはこの後見せるよ。すごく便利なのは分かってもらえると思う」
「ん? 特技?」
「そうだよ」
「それってもしかして、ワンオフ・アビリティ?」
それなら納得だ。
俺が専用機込みでISを動かせるように、デュノアも覚醒済みなのだろう。
やはりデュノアは未覚醒な一夏と違ってこちら側なのだ。
「え?」
「甲斐田君、何言ってるの?」
「いくらなんでもワンオフって、言葉の意味分かってる?」
「あれ?」
だが俺の目の前にあるのはクラスメイト連中の失笑と、困った顔で笑うデュノアの姿だった。
この空気は知っている。授業中一夏が的外れなことを口にして笑われる時のものだ。
「そんな大層なものじゃないよ。言葉通りで得意なだけだから」
「ワンオフねえ……個人で使えるのは世界に十数人しかいないんだっけ?」
「なんか必殺技に目覚めるようなものなんでしょ?」
「必ずしも攻撃技術ということではないそうですが」
「それにしてもワンオフもらえてそれが高速切り替えだったら泣くわね」
「というか甲斐田くん、それじゃ織斑君のこと馬鹿にできないよ」
またどさくさ紛れに鏡さんが俺のことをディスってきた。
この女は隙あらば攻撃してくるので面倒臭い。
とはいえ俺の発言は余りにも的が外れていたようだ。
「ごめんごめん、もしかしたらそうじゃないのかなと思っただけ」
「さすがにそれはないよ」
「鷹月さんと四十院さんに聞いたんだけど、シャルルってISの操縦技術がすごいそうじゃない。ISを動かせるようになってたった二ヶ月でそこまでできるようになるだなんて、そういう何か特別なことでもあったのかなと思って」
だから俺は別の方向に踏み込んだ。
ワンオフや特技など別にどうでもいい。問題は俺と同じような出来事があったかどうかだ。
ISを動かせるようになる過程での出来事が。
「うーん、特に思い当たることはないかな」
「そっか。残念」
「甲斐田くん、恥ずかしいのは分かるけどちょっとしつこいよ」
「ごまかすには苦しいわね」
「甲斐田さん、その程度で甲斐田さんの評価が下がるわけではありませんので大丈夫ですよ」
外野は何か言っているが、十分だ。
今一瞬デュノアの素が出た。すぐ取り戻して笑ってみせたが、ほんの一瞬だけ、デュノアは固まった。
やはり何かはあったのだ。
もちろん今すぐ語ってもらえるようなことではないのは分かっている。だがお互いに同じような経験をしていることはこれで伝わっただろう。
いずれ機会があれば、どちらからともなく口にすることになるのは間違いない。
「そういえばさっきからなんか騒がしくない?」
と、鏡さんがあたりを見回すが、確かにアリーナは騒然としていた。
俺達の会話が聞こえていたはずもないし、別に聞かれても困るようなことも話していないのだが。
「甲斐田君!」
声に反応してその方向を見ると、ラファールに乗った岸原さんがこっちに来るのが分かった。
一夏に何かあったのか。
「あれを!」
岸原さんの示す方向を見て、納得した。
アリーナの中を一夏に向かって真っ直ぐと、自分のISに乗ったラウラ・ボーデヴィッヒが歩いていた。
その漆黒のISは俺にとって不快な色だった。
「やあ織斑一夏君、私のことは覚えているか?」
「三組の転入生だろ。悪いけど名前は覚えてない」
「そうか、では改めて名乗ろう。ラウラ・ボーデヴィッヒだ」
「ボーデヴィッヒね。それで?」
「何かまだ説明が必要か?」
「話しかけてきたからには用事があるんだろ。さっさと言えよ」
「これは嫌われたものだな。少しは会話を楽しみたかったのだが」
「あんだけガン見されたら気味悪いって普通は思うだろ」
一夏にしては珍しく、塩対応である。
本人も言っている通り、初対面の印象がよくなかったのは間違いない。
だがそれだけなら今までも普通にいた。
きっと一夏は今何とも言えない感覚を味わっているのだろう。例えば目の前に自分の姉の空気があるような。
「それは改めて謝罪をするが本当に失礼なことをした。申し訳ない。君に対して確かに教官と同じ遺伝子を持っていると感じてしまい、気づけばその有様だった」
「お前も千冬姉が神なわけね。別に好きにすりゃいいけど俺は千冬姉じゃないんだからな」
「それはその通りだ。確かに君は教官ではない」
「そうだな。話は終わりか?」
「いやいやこれからだ。どうだろう、今から私と手合わせをしてもらえないだろうか」
まあ、ISに乗ってやってきたのだからそれしかない。
そして当然一夏も乗り気ではない。
「お前の相手をしてる暇はねえな」
「何を言っている。君は今訓練をしているのだろう?」
「ああそうだ。だからお前を相手にしてる時間なんてねえんだよ」
「これはおかしなことを。初心者を相手にするよりは自分より上位の人間を相手にする方が何倍も有益なはずだ」
「ふーん、お前は俺よりも上だって言いたいわけね。で?」
「それが理解できておきながらその先が分からないとは君も不思議な人間だな。簡単な話だ。初心者などより優先すべきはこの私であるというだけのことだ」
「何言ってんだこいつ?」
一夏にその論理ではとても無理だ。
何しろ一夏は自分のためではなくクラスメイト達のためにこうやって訓練に付き合っているのだから。
リーグマッチのお礼だと毎日早朝から張り切っているくらいなので、ボーデヴィッヒの論理は一夏にとって論外である。
「本当に分からないのか? 分からない振りをしているだけではないのか?」
「だから、俺にとって何より優先すべきなのはクラスのみんなであって、お前のようなどうでもいい奴じゃないんだよ。それに俺よりも上の人間なんていくらでもいるし、自分の訓練ならその人達とやればいいからお前なんて必要ない」
これまた珍しい。一夏が頭を使っている。
それはつまり本気で苛立っているということでもある。
「なるほど、よく分かった。つまり君は怖気づいているのだな」
「は?」
「そうだろう? 私に打ちのめされて地べたに這いつくばるのが怖いからそうやって言い訳を重ねて逃げようとしている」
「なんだと?」
あ、これはまずい。
苛つき度全開の一夏にシンプルな煽りなど、着火させるには最良の条件だ。
「やれやれ、ウォーミングアップ程度で本気を出すつもりなどなかったのだがな。気の緩んだ私に怯えてしまう程度ではただの姉の七光なだけだったか」
「言ったな」
「はいはいそこまで! 二人とも落ち着いて!」
一触即発の二人の間に入ったのは俺ではなかった。デュノアだ。
いや、俺も間に入ろうとしていた。だがISに乗っている分、デュノアの方が早かったのだ。
声を出そうとしたらデュノアが俺の前を進んでいて、タイミングを逃してしまった。
はっきり言ってこれは、嫌な予感がする。
「シャルル」
「どうした? 同じ境遇の人間同士、傷の舐め合いにでも来たのか?」
「ボーデヴィッヒさんはウォーミングアップしたいんだよね? ちょうどよかった。僕も体を動かしたいところだったんだ。相手をしてもらえないかな?」
「ほう」
「おいシャルル!」
予感的中。
これは想定していた中で俺にとって非常に嬉しくない展開だ。
「一夏はみんなと休憩しておいて。こんなルーキー程度なら肩慣らしにちょうどいいし、終わったらまたみんなの手伝いをするから」
「ふっ、アンティークに乗っていると脳まで古くなってしまうようだな。であればさっさとスクラップにしてしまった方が新装できそうだ」
「あ、智希。ルーキーとかアンティークとかどういう意味だ?」
「後で聞いてみればいいと思うよ」
こういうカッコつけた言い回しも含めて、まさにヨーロッパだ。
机の上で握手して机の下で蹴り合う。逆もまた然り。
本当は近寄らないのが一番なのだろう。
「いや、それはどうでもいいからやめさせてくれよ」
「二人とも乗り気だからいいんじゃない? やらせときなよ」
「何言ってんだお前!」
「あ、一夏は二人の邪魔だから下がって。始められないから」
「おい智希!」
俺は連中に背を向けて元いた場所へと歩き始める。
本当はこのまま帰ってしまいたい。
だが二人の動きを見ることができるのだからそれは我慢すべきだ。
「分かったよ! でもシャルルが危なそうなら問答無用で入るからな!」
「安心して一夏。時間ももったいないしさっさと終わらせるよ」
「好きな時に入って来い。まとめて相手をしてやる」
そして一夏も離れ、フランスVSドイツ、専用機同士の俺にとってどうでもいい争いが始まった。
とは言うものの、どちらも全く本気ではない。
ジャブの応酬、もしくは小手調べと言ったところか。
まずデュノアは昨日の夜自分の専用機がIS学園に届いたばかりである。
デュノアの専用機は本人とは別に一旦デュノア社の日本支社に送られていて、と言ってもこの近所だそうだが、整備点検が行われた上でここまで届けられていた。
だから今日は機体の動作確認が主目的になっているはずであり、模擬戦のような大掛かりな動きをする公的な予定はなかっただろう。
実際喧嘩をふっかけておきながらデュノアは機能確認、武装の試し打ちという感じで、次々に武装を切り替えてはボーデヴィッヒに向かって発射していた。
一方のドイツ人も似たようなものか。
昨日までボーデヴィッヒがアリーナに現れたというような話は聞いていない。自主訓練でもしていれば話題にならないわけがないし、一夏達も毎日この場所にいたのだ。訓練場所はいくつかあるのでかち合わなかった可能性もなくはないが、それでも新たな専用機が動いているとなれば話の種になる。現五組代表と違って俺はクラスに引きこもっているわけではないので、そんな目新しい話題があれば上級生同級生どこからか聞こえてくるはずだ。
そんなボーデヴィッヒの動きは回避の練習という感じで、雨あられと飛んでくるデュノアの銃撃を空中で旋回しながら避け続けている。
特に攻撃を試みるような動作もなく、全くの無表情で飛び続けている。今はお前の番だとでも言うように、まるでデュノアに武装のお披露目をさせているかのように。
「すごい……」
「何が?」
鷹月さんが見惚れたように視線を送っている。その先にあるのはデュノアだ。
「何がすごいってあの攻撃の多彩さよ。しかもそれらを近距離から遠距離まで澱みなく切り替えて、全く無駄にしていない。次はどれにしようじゃなくて完全に武装全てを把握して自分のものにしているのよ。ただ切り替えるのが速いんじゃなくて、高速で適切に切り替えられるのよ」
「まさしくこれこそが技術ですね。ただ使えるではなく使いこなす。言うだけなら簡単ですが、それ相応の訓練をしなければ普通は身に付けられないものです。ちなみにこれは織斑君の一番弱い部分ですね」
「一夏の?」
「はい。織斑君の基礎能力はご承知のように非常に高いのですが、それを十全に発揮することができていません。それは自分の能力をきちんと理解して使えていないからです。ですがどうしても感覚先行になってしまう織斑君では体に覚えさせるしかなく、お世辞にも効率はよくないですね」
「それでも相当よくはなったんだけどなあ」
今考えればリーグマッチの時は、本番なら一夏はきっとやってくれるだろう、というかなり危うい期待で一夏を送り出していた。
実際にやってくれたしうまく行ったのでよかったのだが、可能性だけなら全試合何もできずに終わってしまうことも十分あり得たのだ。
「同じ男性IS操縦者でも見れば見るほど織斑君とは対照的ね。感覚型の織斑君に対して理論型のデュノア君。そしてどちらも自分の方向に飛び抜けている」
「なるほど」
「あっ、甲斐田さんは甲斐田さんでISとはまた違った別の方向に飛び抜けていますから」
「別に何も言ってないよ」
頼んでもいないフォローをご苦労様だが、鷹月さんの意見はおもしろい。
デュノアは一夏並みの才能を別方向で見せているというわけだ。
一夏もリーグマッチで優勝したが、それはあくまで同世代での話になる。先輩達からすればたった二ヶ月でここまで、という感覚であり、同じ土俵に並べてみれば及ぶべくもない。
一夏が期待されているのは才能という名の成長速度であり、未来である。そしてデュノアにも同等の期待ができるという話だ。
つまり、俺にとっては一夏のISにおけるパートナーとしてこれ以上ない存在になれるということなのだ。
男というのもまた都合がいい。今の篠ノ之さんのスタイルではその場所を勤めることができない。他の人間では帯襷の痛し痒し。いずれどうにかしなければと考えていたところだった。
「ねえ、いつまで逃げ回るの? いい加減飽きて来たんだけど」
「もういいのか?」
「何かを頼んだ覚えはないよ」
「そうか。観客もいることだし気を利かせてやったのだがな。その程度も分からないような輩に気遣いなど無駄だったか」
「何もできなかったの間違いじゃないの?」
「ふん。一分後に同じ言葉が吐けるかな?」
ようやくボーデヴィッヒの攻撃ターンだ。
さあ最新のVTシステムは俺に何を見せてくれるのか。
「まずは景気づけだ」
ボーデヴィッヒはその右肩に巨大な銃を、それを銃と言っていいのか知らないが出す。そしてデュノアめがけてぶっ放した。
「シャルル!」
その威力は銃の見た目通り広範囲に渡り、デュノアの周辺を巻き込んで弾ける。
一夏はデュノアに何かあったら即飛び出す勢いだ。じりじりと前に進んで俺達からも距離がある。
「その程度でっ!」
「当たり前だ」
回避して空中に飛んだデュノアめがけてボーデヴィッヒが突っ込んでくる。
ボーデヴィッヒは突撃しながら機体から、先に刃のついた紐、いやワイヤーのようなものをいくつも出す。まさかこんなものがボーデヴィッヒの攻撃手段なのか。
一方デュノアは即座に反応し、機関銃を出して弾幕を張る。だが威力が足りなかったようだ。ボーデヴィッヒの装甲を貫けずボーデヴィッヒはそのまま突っ込んでくる。
そして刃のついたワイヤーが伸び、デュノアに襲いかかった。
「気持ち悪いもの出して来るね!」
デュノアはそのままの姿勢で後ろに飛び、即座に武装を切り替えて大きめの銃を出す。そして器用にワイヤーの刃を連続で撃ってその向かう方向を逸らして四散させた。
ボーデヴィッヒに向かっての道が開かれる。
「これでっ!」
そのままデュノアは真っ直ぐ特攻する。
シールド状になっていた左腕が開き、太さのある銛のような鉄の棒が現れる。
ブレードにしては丸いなと思ったがもしかしてあれを打ち出すのだろうか。
「ふん!」
だがボーデヴィッヒも全く動じていない。
弾き飛ばされたワイヤーを再び制御してその矛先をデュノアに向ける。一方で両手にブレード、いや手刀くらいの長さの小剣を出し、構えてデュノアに突撃する。
デュノアはそのまま左腕から射出するのかと思いきや、右手の銃を乱射した。ボーデヴィッヒはデュノアの左を警戒していたのか回避しきれない。何発かもらう。しかしボーデヴィッヒの勢いは止まらず、デュノアに肉薄する。そしてワイヤーの刃がデュノアに迫る。
「もらった!」
一歩早かったのはデュノアだった。左腕から銛が射出される。
ボーデヴィッヒもそれは予期していたのだろう、体をそらしてギリギリでの回避を試みる。見るからに連射できるものではないし躱せば勝ちだ。そして銛はボーデヴィッヒを貫くことなく通り過ぎていく。
デュノアの体が揺らいでいる。反動と言うよりはどうやらワイヤーの刃が先に届いていたようだ。デュノアは狙った通りに撃てなかったか。
それから二人が態勢を整えるのはほぼ同時だった。だが取った行動は違う。デュノアは回避、ボーデヴィッヒは攻撃である。そしてそれは肉薄されていたデュノアに不利だった。
デュノアは全てを回避しきれずワイヤーの刃をいくつかもらう。だが高威力の銃を至近距離で当てることによってボーデヴィッヒの勢いを削ぎ、そのまま脱出した。
「シャルル!」
今にも一夏が飛び出しそうだ。
潮時か。
「一夏! 来ないで!」
「ほらさっさと入って来い。このままでは友人がやられてしまうぞ?」
「言われなくても!」
「あーちょっと待った。みんなもう十分でしょ?」
「智希!?」
俺は制服姿という生身の体のまま場に入る。
ボーデヴィッヒもデュノアもここで俺が介入するのまでは想定していなかっただろう。
残念だが俺だって大事な登場人物の一人なのだ。
「シャルルは体を動かせたし武装の確認は十分できたでしょ? ボーデヴィッヒさんもウォーミングアップをしに来たのであればこれ以上やる必要ないんじゃない?」
「智希……?」
「ふん、雑魚は引っ込んでいろ」
デュノアは困惑し、ボーデヴィッヒは吐き捨てる。
だがISスーツさえ着ていない生身の体である俺がここにいる限り、再開はできない。そして強制的に排除するなどこの二人はその立場的に絶対にできない。俺の身に何かあってはいけないのだ。二人とも感情的にやっているわけではないので、理性のブレーキがどうしてもかかる。
つまりここからは俺の時間だ。
「ねえ、ボーデヴィッヒさん、あなたにとって千冬さんは何?」
「いきなり何を言う」
「てっきり千冬さんみたいになりたいのかと思ってたけど、今見た限りじゃ全然違うなと思って」
「だから何を言っている」
「ISに乗ってる時も乗ってない時も、この人は千冬さんになりたい人なんだろうなって感じだったのに、動き始めたら急に別人になっちゃったからさ、不思議に思って」
「何意味不明なことを言っている」
「ねえ一夏、一夏もそう思うよね?」
「俺?」
「一夏と話をしてた時は千冬さんみたいな空気を出そうとしてたのに、動き始めたらさっぱりそんな雰囲気がなくなったと思わない?」
「それは……確かに言われてみるとそうだな。ああ! 智希お前よく分かったな。そうだよ、さっきのムズムズする感覚は千冬姉だよ!」
「なんだと!?」
VTシステムは織斑千冬の現役時代の動きを完全コピーしている。そしてそのプログラムは搭乗者を記録された織斑千冬のように動かすことさえある。搭乗者本人が知らないままに。
さすがにそれはISに搭乗してる時だけなので、さっきの俺の台詞は半分嘘である。
だがボーデヴィッヒがその動きをVTシステムに支配されていたのはデュノアと戦い始める前だけだった。デュノアとの茶番中ボーデヴィッヒはボーデヴィッヒ本人であって、エセ織斑千冬では全くなかったのだ。
これはどういうことか。俺にはすぐ分かった。ごく簡単な話で、矯正されたのだ。それをやったのは誰か。もちろん教官としてドイツでボーデヴィッヒを教えていた織斑千冬だ。
そんなことをした理由も何となく分かる。暴走させないために、VTシステムの支配から脱却させたのだろう。まだ完全ではないようだが動き始めれば支配の範囲外に出られるのだから、暴走の危険はほぼない。
と言ってもVTシステムの構造さえ知らないのにどうやってそんなことをしてのけるのか大いに疑問だが、まああの織斑千冬だ。篠ノ之束に勝るとも劣らない規格外なのだし、凡人の俺が考えても仕方ないことなのだろう。
「智希、一夏……いったいどういうこと?」
「えっ? えーと……すまん智希説明してくれ」
「はいはい。要するにボーデヴィッヒさんはよくいる千冬さんに憧れている人で、千冬さんみたいになりたいって思ってるし普段はそれなりにそれっぽくできてるんだけど、ISにおいてはまるでできてないってこと」
「やめろ!」
グサグサと俺につつかれてボーデヴィッヒがたまらず声を荒げる。
別にこの説明はVTシステムとは関係ない。織斑千冬信者が言われたら嫌なことを羅列しただけだ。よくあるやつだと言われ真似すらできてないと笑われそれを言う相手は自分の神を名前呼び。俺が織斑千冬信者だったら絶対に殴りかかる。自重できているボーデヴィッヒの忍耐力は賞賛に値するだろう。
「あ、ごめんなさい。本人の前で言うことじゃなかった。口が過ぎました」
「お前今のはいくらなんでもひど過ぎだろ」
「でもまあ、よくあることだし。ほら、篠ノ之さんとかも全然できてないじゃない」
「ああ、確かに箒は千冬姉じゃなくてもはや箒以外の何者でもないな」
「ちょ、ちょっと二人とも……」
慌ててデュノアが俺達をたしなめようとするが、残念、もう遅い。話の腰は完全に砕かれた。こういう時空気を読まない一夏は大いに役に立ってくれる。
「えーと……」
「興が削がれた。失礼する」
案の定、デュノアは困ったように頭を掻き、ボーデヴィッヒはこの場はもうどうにもならないと諦めた。
そして俺は全神経を集中させる。
その結果、デュノアとボーデヴィッヒが一瞬目を合わせて合図したのを見逃すことなく目撃することができた。