IS 喜んで引き立て役となりましょう!   作:ゆ~き

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8.賽を投げてしまった。

 

 

 

 賽を投げてしまった。

 

 

 

 もう決める前へは戻れない。

 俺に対して誰も何も言わなかった。

 一夏は当たり前のように頷き、篠ノ之さんはすぐにISを装着するよう促した。

 宮崎先輩は一夏に再度確認事項を復唱させている。

 俺はぼんやりと模擬戦の準備を眺めるだけだった。

 

 模擬戦が始まる。

 会場はいつも訓練をしていたアリーナで、IS学園におけるイベントは基本ここで行われるそうだ。

 他にもいくつか訓練場はあるのだが、一番大きいのはここだ。数千人も収容できるらしい。

 今回は一年一組のクラス代表を決めるだけの模擬戦なので観客はほとんどいないが。

 

 そんな中、三年生の先輩方が見に来てくれていた。

 今は月曜の朝でしかも授業中なのだが、先輩方は後でその分の補習を受けると先生と交渉して見に来てくれていた。三年生は学年で百人、今はそのほとんどが見に来ているようだ。

 もっとも応援団というよりは野次馬で、飲み物食べ物を用意して完全にスポーツ観戦気分なのだろう。

 

 応援団になっているのはむしろクラスの連中だ。もはや完全に一夏派となってしまった相川さん他数名の女子が一夏の名前を呼んで応援している。その他のクラスメイト達は中の良い者同士で固まって談笑しながら模擬戦が始まるのを待っていた。

 俺は他のクラスや学年の人達も呼べないかと画策をしていたが、授業中だということで普通に一蹴されて終わった。まあこれに勝って来月のリーグマッチで華々しく一夏デビューをしてもらうことにしよう。

 そしてそれなら見ている人が少ないなら逆に希少価値をつけてやろうと思い、映像や写真の準備は万全だ。後に一夏のファンになった女生徒達は、このときのことを一夏の本当のデビュー戦として語るようになるのだ。

 

 俺と篠ノ之さんは一夏の準備を見届けた後、急いでアリーナの観客席へと上がった。このまま待機室の映像で見ようと思っていたのだが、先輩が最初は生で見なさいと勧めたためだ。

 もう俺も篠ノ之さんもやることはない。後は一夏が戦うだけだ。

 俺達がアリーナの席につくのを見計らったかのように、一夏とオルコットがISを装着してアリーナの舞台へと姿を見せた。

 歓声と拍手が上がる。歓声を上げたのは相川さん達で、拍手は先輩方だ。アリーナの広さに対しては寂しいものだが、一夏にはちゃんと伝わったようで、笑顔と共に手を振って応えていた。

 対するオルコットは緊張しているのか硬い表情だ。観客席には一夏寄りの人間が多いといっても、そもそも数が少ないのでアウェーという程ではないのだが。

 始まる前から対称的な姿ではあった。

 

 やがて二人は少し離れて対峙する。

 本当は模擬戦の始め方にもルールはあるのだが、まだ授業で扱ってはいないし、そもそも二人の間で確認し合ってすらいない。俺がどさくさ紛れに口頭で一般的にと言っただけだ。

 織斑先生は基本的に最低限度のことしか説明をしない。だから今この二人の頭の中には、始まりの合図である鐘が鳴ったら開始、相手の機体の持つエネルギーを全部削ったら勝ち、くらいしかないだろう。

 鐘が鳴らないので痺れを切らしたのか、オルコットが苛立った声を出す。

 

「まだ始まらないので一言注意させていただきますが、その顔どうにかなりませんの?」

「いきなりひどいこと言われたぞ俺!」

 

 ちなみに二人の会話は会場にも聞こえるようになっている。

 

「模擬戦とはいえ真剣勝負の場なのですよ! それ相応の態度というものが普通はあるでしょう!」

「いや、そんなこと言われても俺模擬戦とかやるの初めてだし」

「そういうことではありません! ヘラヘラと笑っているのは相手に失礼だと思わないのですか!」

「そうか? 変に緊張するより自然体でいるのは大事なことだと思うぞ?」

 

 オルコットにとってはヘラヘラ、相川さんにとってはうっとりさせるような笑顔で一夏は軽く返す。

 確かに真剣勝負の場でやられたら即殴りたくなるな、と俺の横で篠ノ之さんは顎に手を当てて怖いことを言っていた。

 

「相手を馬鹿にする行為は断じて自然なことではありません!」

「別に俺オルコットのことバカにしてないぞ? むしろ今は尊敬してる」

「白々しいことを!」

「いいや、本当のことだ。じゃあこれからその気持ちを見てもらおうかな?」

「わたくしのことを口説くのでしたらもっと気の利いた台詞にしていただきたいものですね!」

 

 オルコットの発言が終わると同時に鐘が鳴った。これ織斑先生も実は楽しんでいるな。

 会話をしながらお互いに始まる予感はあったのだろう、戦闘態勢を取っていた二人は鐘の音に弾かれたように動き出す。

 一夏は右手にブレードを持ってオルコットへと特攻し、オルコットは自身の持つ巨大な銃を構えて突っ込んでくる一夏に向かって放った。

 当然予期していた一夏はすぐさま回避し、そのまま浮かび上がってオルコットと距離を取る。

 

「あら、少しはやるようですわね」

「おいおい、今のでやるとか思われるようだと俺ちょっと悲しいんだけど」

 

 笑顔のまま一夏は答えるも、オルコットは本当に意外だという顔をしていた。

 

「打鉄で突っ込んでくるくらいですから被弾覚悟の相打ち狙いかと思いまして」

「いやー、喰らわないに越したことはないと思うぞ」

 

 俺は専用機を選ばなかった。

 

 

 

 

 

 どちらを選んだとしても正解だ。なぜならどちらを選ぼうと一夏は必ず勝つのだから。

 

 俺は確率の迷路の中で迷ってしまっていて、どちらが正しいか、どちらの方が可能性があるのかと、何を大事にすべきかが分からなくなっていた。

 物事を数字に置き換える時、そこで出てくる差は何なのか。

 一割より二割、二割より三割、三割より四割。どうせなら五割と思ってしまうが、それでも半分は負けてしまうのだ。たとえ勝つ確率が九割あろうと、十回に一回は負ける可能性がある。そしてその一回が一発勝負のときに来ないとどうして言えるのか。

 結局のところ確率というのは何かを保証してくれるものではない。

 

 元々俺が専用機を欲したのは、一夏専用機の一発逆転に頼らざるをえなかったからだ。不利な状態で無理やり勝利を得るには、どこかで何かしらの博打を打たなければならない。普通にやったら負けてしまうから。

 その後専用機が無理そうだから量産機で行くしかないとなり、一発逆転が使えなくなった俺は先輩方に全てを投げる。そして先輩達がやったことに博打の要素は一切なかった。相手との差を明確にし、その差を埋めるために何をしなければならないかを一つ一つ積み上げていく。俺は運という不確定要素に頼ったが、先輩達は逆に曖昧な部分を潰していった。俺にとっての確率とは起こって欲しい可能性だったが、先輩達にとっての確率とは起こって欲しくない不安要素だった。

 篠ノ之さんなら八割勝てそうなのは、安定して同じ行動ができるので不確定要素が少ないから。一夏の勝率が六割以下になりそうなのは、動きにむらがあり過ぎて不確定要素だらけだから。

 織斑先生や先輩の言う完璧などないというのは、どうしても人の手が及ばない部分はあるということだった。

 

 そう考えると、このギリギリのタイミングで専用機に乗り換えるのははっきり言ってない。

 何より機体に専用化処理の負荷がかかった状態での戦闘は全く想定されていない。専用化処理が終わった後のことは考えられているので、その状態なら一夏も問題なく動けるだろう。だがそれまで打鉄未満の性能で三十分耐えなければならないというのは、リスク以前の問題だ。

 ただでさえ一夏は動きが安定しないのに、これ以上不安要素を増やしてどうするのか。

 それに頼るしかないならまだしも、もう量産機で勝てる見込みは十分にある。

 だから俺は専用機を選ばなかった。

 

 もちろんこんなことを先輩や倉持技研の専門家が分からないはずはない。それでも専用機を勧めてきたのは俺にとっては不安要素でも倉持技研にとってはそうではないからだ。素人の一夏だろうと三十分耐えられる自信があるからこその発言だ。

 だからどちらを選ぼうと勝負には問題なく、彼らは俺に選ばせた。

 

 まあ、宮崎先輩の差し金だろう。倉持的には言っていた通り一夏が勝ってクラス代表になればよい。無理をしたとはいえ一夏が今後専用機を使うことも決まっているので、今専用機を使わせることに固執する必要はない。

 結局宮崎先輩が見たかったのは、俺が決断に際して何を重要視するのかということだろう。

 ここで専用機を選ぶのは、自分から見えない部分に目をつぶってでも義理や信用を大事にするということだ。量産機を選ぶのは、何よりも自分が見聞きしたことを大事にするということだ。

 それなら俺は後者を選ぶ。というか、ほとんどそっちに誘導されていた。

 

 

 

 

 

 何度かお互いに牽制の動きと攻撃を行って、本格的な戦闘が始まろうとしていた。

 一夏の攻撃を躱したオルコットが宙に上がり距離を取った。そして自身の周囲にビット型の兵器を四つ展開させる。

 

「さあ、そろそろ本番と参りましょうか。このまま十分に戦えると勘違いさせたままではかわいそうですから」

「何か変なのが出て来たな。ひいふうみい、よっつもあるな」

「変かどうかはこれから体験できますわ」

「ふーん。ところでオルコットに聞きたいことがあるんだけど」

「命乞いなら聞きませんわよ?」

「イギリスの料理がまずいって本当?」

「は?」

 

 笑顔を維持したまま、一夏が再びオルコットへと突進する。

 オルコットは意味を測りかねて一瞬動きが止まるも、すぐに四つのビットからレーザを発射させた。

 一夏はそれを綺麗に回避して離れる。

 

「おっと危なかった。なるほどね」

「いきなり何を言い出しますの?」

「だって不思議だと思わないか? 普通そんなこと言われたら美味しくしようって思うだろっ!」

 

 言いながら再び一夏はオルコットへ近づこうとする。

 オルコットはビットからレーザーを繰り出して一夏の接近を阻止した。

 

「戦闘中にいったい何を言っているのですか?」

「メシがまずいと言われるのってすごい屈辱だと思うんだよ。俺なら絶対そのままにはしておかない。オルコットはそう思わないか?」

「だから何が言いたいのですか!」

 

 一夏は相変わらず笑顔のまま、今度はひたすらオルコットに語りかける。同時に隙あらばオルコットに接近しようと繰り返す。

 

「そういえばオルコットって自分で料理とかするのか? それとももしかして料理人とか雇ってたりする?」

「はあ!?」

「それでメシがまずかった場合ってどうなるんだ? イギリスの料理が全部まずいならもう我慢するしかないの?」

「急に何なのですか!」

 

 口も休まず、手も休まず。

 一夏はひたすらに同じ作業を繰り返す。

 ブレード片手にオルコットを狙い、同時にああだこうだとどうでもいい質問を繰り返す。

 もちろん全部作戦だ。

 

「分かってはいたが、あまり美しい光景ではないな」

「美しく勝つには実力差が相当ないとね」

「さもありなん……しかしオルコットがあれを四つしか繰り出さないのは何故だ?」

「温存してる? あるいはここぞでいきなり出すつもりかな?」

 

 ブルーティアーズの武装は全部把握している。ビットが今は四つしか出ていないが、本当はもう二つあるはずなのだ。

 一夏もそれを分かっていて、まだ本気で攻めようとはしていない。今は様子を伺いつつひたすらに無意味な質問を浴びせかけている。

 それに対してオルコットは次第に苛立ちを募らせていく。オルコットは模擬戦が始まってからまだ一発も一夏に当てていない。さらに一夏から理解不能な質問攻撃を浴びて、無傷ではあるも精神的には疲労が少しづつ蓄積されているように見えた。

 

「俺思うんだよ。イギリス人は実はおいしい料理を隠してるんじゃないかって。どうオルコット?」

「知りませんわ!」

「だって英国紳士とかってなんかすげえプライド高過ぎてひねくれてそうだし、家の中だけでこっそりおいしいもの食べてるんだろ? オルコットの家とかもさあ?」

「だからそのだらしない顔をどうにかしなさい!」

 

 始まる前から一貫して、一夏は笑顔を作り続けている。相川さん達はさわやかな笑顔で戦う一夏の姿を見られて実に幸せだろう。俺からすればこいつは戦闘狂かと思ってしまうが。

 数日前、衛生科の先輩から寮でやることリストを渡されたのだが、その中に笑顔の練習があった。

 やれることは全部やりたいと言ったが何をやらせるんだと話を聞けば、オルコットに精神的プレッシャーを与えるためだそうである。

 戦闘中での笑顔は相手に対して精神的優位を示せる。逆に苛立ちや怒りは劣勢であることを見せてしまう。相手に観察され余裕を与えてしまわないように、ひたすら笑顔でいなさいと言われて一夏はそれを素直に実行している。

 実際何度かヒヤリとさせる場面があったのだが一夏は全て笑顔で誤魔化して、オルコットは一夏の笑顔に対して苛立ちを見せるようになっていった。

 

「俺の料理のレパートリーにまだイギリス料理はないんだけどなんかいいのない?」

「知りませんわ!」

「イギリスって何作ってるんだっけ? ジャガイモとか?」

「ああもうどうしてこうも当たらないのですか!」

 

 あ、来た。

 

「口に出たな」

「だいぶ余裕なくなってきたね」

 

 一夏が攻撃を当てられないのは近づけないからだが、オルコットの攻撃が当たらないのは機体の性能でオルコットの予想を全てずらしているからだ。

 一夏の乗っている打鉄K、Kが甲斐田のKでないことを祈るこの機体は、見た目は元の打鉄そのままに改造をしている。

 機動力を強化してあるので無改造の打鉄よりも動きが少し早い。だから一般的な打鉄のイメージでオルコットが攻撃しても当たりそうで当たらない。

 もちろん熟練したISパイロットならすぐに気づいて修正してくるだろうが、オルコットは経験値が足りないからか打鉄が改造されていることにさえ思い当たっていない。

 そもそも基本は前衛盾型相打ち上等の打鉄が動き回っている時点で相当おかしいのだが、一夏の言動に振り回されてオルコットには考える余裕がなくなってきているようだ。

 

「一夏が料理の話題しか出さないのなぜだ?」

「一夏が喋り続けられる話ってそれしかないからだよ。あ、一夏の料理スキルはすごいよ。食べたら絶対驚く」

「そ、そうか。よし、機会があれば頼んでみよう」

 

 内心は必死だというのもあるが、一夏もよく声を出し続けている。声が枯れないようにと発声練習までさせられて、俺もしかして遊ばれてるんだろうかとこぼしていたが十分に成果は出ている。明日はきっと声ガラガラだろうけれど。

 涙ぐましい程の小細工の雨あられだが、そもそも実力差はどうしようもない。ならばせめて相手の実力を出させないようにしようということで、ひたすらオルコットを精神的に追い詰めていた。

 

「しかし思ったよりもオルコットの攻撃は単調だな」

「それは疲れてきたからじゃ?」

「いや、最初からだ。ビットの展開の範囲が狭い上に、そもそも四つしかないのでは逃げ場がどうしてもできる。一夏はもう完全に慣れてしまっているな」

 

 それを聞いて先輩の感想を思い出した。

 パイロット科の先輩がブルーティアーズの性能を聞いて、この機体は扱いが非常に難しいと言っていた。ビットを使っての複数同時攻撃ができるということは、裏返せばそれらを全て制御しなければならないということになる。高機能であるがゆえにパイロットにも高い技量を必要とするという話だ。

 それを使いこなすだなんてオルコットの操縦技術は相当にあると思っていたが、そうではない可能性もあったのだ。

 

「分かった。オルコットさんはビットを同時に四つしか使えないんだ。技術が足りなくて」

「なるほど。三ヶ月では使いこなすまでには至らなかったか」

 

 こちらはオルコットの技量をビット六つに本体の射撃可能という想定で準備してきている。だが実際はビットは四つが限界で、さらにビット制御時には本体の持つレーザー銃を撃つことさえできていないようだ。近距離ではビット、一夏が離れた時はレーザー銃と使い分けているようだが、同時でなければ今の一夏でも十分に回避可能だ。

 そして相手の目の前で死に物狂いで対峙している一夏がそれを分からないわけがない。

 今は罠である可能性を危惧して自重しているが、そろそろ勝負に出るだろう。

 一夏はひたすらに同じような攻撃パターンを見せてオルコットの行動をルーチン化させている。そこに変化をつける時が勝負の始まりだ。

 

「俺やっぱり日本人だから日本食が一番好きなんだよ。そうだ、オルコットって刺し身食べたことある?」

「もういい加減にしてくださいませ!」

「じゃあ終わりにしてやるよ!」

 

 そして一夏が笑顔も捨てて勝負に出た。

 ここまで一夏は距離を取った後オルコットのレーザー銃を躱してから次の攻撃に入っていたが、それを距離を取ると見せかけて再びオルコットに向かって突進する。

 ビットとレーザー銃を同時に撃てないオルコットはどちらを使うかの判断が遅れ、一夏はその隙を見逃さず一気に肉迫して右手のブレードを突き出した。

 オルコットは反射的にレーザ銃で受けるも改造され強化されたブレードに破壊され、ブレードはそのままオルコット本人にまで届いてそのエネルギーを大幅に削った。

 

「一夏!」

 

 オルコットの悲鳴とともに篠ノ之さんが思わず立ち上がり、観客席から歓声と黄色い声が上がった。

 そして一夏はオルコットの理解が追いつく前に追撃の体勢を取り、間髪入れず上から思い切りブレードをオルコットに叩きつける。

 守るものもなくオルコットはその一撃を体で受け、勢いよく地面へと落下した。

 

「そこまで!」

 

 織斑先生の声がアリーナに響き渡った。

 止めを刺そうとオルコットへと向かっていた一夏は慌てて速度を緩め、ゆっくりとオルコットの倒れた側に着地する。

 

 アリーナにささやかな歓声と拍手が沸き、クラス代表を決める模擬戦が終わった。

 

 

 

 

 

 終わってみれば無傷の完勝。一夏は本番で百点以上の行動をしてのけた。

 先輩達が一夏に与えた模擬戦における大原則は四つ、いつも笑う、喋る、よける、動く。

 もちろん攻撃方法などひと通りの作戦もあったが、その四つだけは絶対に守れと口を酸っぱくして言っていた。

 昨日は一日それを叩き込むことに終始したくらいだ。

 

 笑う練習などあるのかと思ったが、顔の筋肉を動かして笑顔を自然と作るという練習があり、一夏と一緒にやらされて、人は意外と顔の筋肉を使っていないんだなという発見もあった。

 喋ることについては一夏にアドリブなど無理なので、料理について思いつく限りの事を紙に書かせた。会話するつもりもないので思い浮かんだ単語についてひたすら適当に喋るという練習を行い、一時間はネタに詰まることはないようにしていた。

 よけることはパイロット科の先輩方が相手をしてくれた。驚いたのは攻撃する時に必ず逃げ場を用意しておいて、そこに逃げるようにと指示していた。普通そんなことはありえないだろうと思ったが、先輩方はオルコットに死角なしの攻撃をできる技量はないと見切っていた。実際には想定以下で、一夏は最後にはもう余裕を持ってよけられるようになっていた。

 動くというのはよけるも含まれるが足を止めず常に攻撃か回避か移動を行なえということだ。できるかぎりオルコットに思考をさせないためである。相手に落ち着いて冷静になる暇を与えるなということだった。

 

 単純なようだがこれら全てを同時に行うというのは意外と難しい。

 何かに気を取られてしまっては他の何かが疎かになってしまう。昨日の時点では一夏は百点満点の六十点がいいところだっただろう。ダメなときはただよけることだけに集中しろと言われていた。

 

 一方攻撃についてはもう当たらないものと思えだった。

 もちろん当たればそれに越したことはないが、まあ無理だろうと言われて一夏はかなり不満そうだった。

 もし当たるとすればそれはオルコットの精神が焦りと混乱の極みにあるときくらいだろうという話で、つまり一夏が勝つためにはオルコットをその状態にまでもっていかなければならない。従って模擬戦でのほとんどはオルコットを精神的に追い詰めることに費やされた。

 ところがその前に攻撃を当てて倒してしまったのは一夏の強運か実力か。本当はあそこから恐怖や焦りの感情を植え付けてオルコットの動きを鈍らせる予定が、なんと一夏は一撃目でオルコットを沈めてしまった。

 オルコットの技量が想定以下だったのもあるが、きっちりと機会をものにしてしまえるのはやはり俺の知っている織斑一夏という人間だ。

 多少不利でも本番では華麗にひっくり返す姿をいつも見てきたので、正直俺に驚きはない。

 実に賭けがいのある相手で、華があり、そういう姿が女子に夢を見させ虜にしていくのだろう。

 

 

 

 

 

 急に観客席から歓声と悲鳴が上がった。

 何事だとアリーナの中を見ると、なんと一夏がオルコットを抱き抱えている。

 その姿はいわゆる、お姫様抱っこ。

 意識のなさそうなオルコットを抱き抱えて一夏はゆっくりと出口へ歩いて行く。

 

 どこまで絵になる男だと思い眺めていると、急に隣の篠ノ之さんが立ち上がり、客席の出口へと駆けて行った。

 ああ、お姫様抱っこ第一号を取られて悔しいのか。

 自分も同じことをしてくれと一夏に……篠ノ之さんが言うわけない。

 入学初日のことが頭によぎった。一夏の命が危ない。

 俺は慌てて篠ノ之さんの後を追い、おそらく一夏のいるであろうアリーナの医務室へと向かう。

 そしてそこで、俺は一夏が本領発揮している光景を見てしまった。

 

 オルコットが幸せそうに、一夏の胸に顔をうずめていた。

 

 


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