こんな光景が艦これにあっても良いと思うんだ。
結局のところ艦娘ってなんなのだろうか。
そんな疑問を天井に漂う煙へ問う男。
特徴的な苦味と香りを纏うそれはやがて姿を溶かし、消えてしまうように、されど再び火をつければ生まれるように。
幾度となく繰り返した行為、生産。
それは今、背もたれを軋ませながら中空をぼんやりと見やる彼のものだけではない。
突如として現れた日本を脅かす存在と守護する存在。それが艦娘と深海棲艦。
わけがわからないままに始まった戦争。
圧迫される生活、奪われる自由。
当然民衆は不満の声をあげる。
何が起こっているのかと、何故なのかと。
かくいう彼もその一人で。
前代未聞の事態へ戸惑いよりもスクープの匂いを嗅ぎつけたのは彼が記者魂に骨の髄まで沈めていたせいか。
「恐縮ですっ! 重巡洋艦、青葉ですっ! 失礼しますっ!」
部屋に響き渡る声へと振り向いたのは少数。
もはや聞き慣れたやり取りで、光景のため振り向いた人間もすぐに自分の作業へと取り掛かり直す。
そんな中、指で挟んでいた煙草を乱雑に灰皿へと押し付けた彼は、相変わらずキョロキョロと興味深そうに室内を見渡す青葉へと視線を投げかけ続ける。
「あっ……」
年甲斐もなく浮かべられた青葉の笑顔に胸が高鳴ってしまったのか、それとも彼女の目的が自分であるという、分かっていたことを再確認できたのが嬉しいのか。
頭を気恥ずかしげに掻く彼の下へと足取り軽く青葉は歩を進める。
「こんにちはっ! 少尉さんっ! お仕事進んでいますか!」
「あはは、青葉くんはいつも元気だね。ご覧のとおりだよ」
誤魔化すような苦笑いを返してデスクの上に置いてあった白紙の原稿用紙を見せると、青葉は一瞬残念そうな表情を浮かべた後それをかき消すように笑顔を煌めかせる。
「ならば青葉の出番ですっ! 今日はですね――」
楽しそうに懐から手帳を取り出す青葉が快活に口を開ける。
大本営広報部。
国民の疑問、不満へと情報を開示して理解を求めるために設立された部門。
そこに無理やりと言っていうべきか配属させられた彼もまた疑問ばかりだった。
いや、もっと言ってしまえばこの部門に所属している全員がそう。
わけがわからないまま各部情報局からすっぱ抜かれてきた人間ばかり。
だから。というわけではないが広報部のやる気は低かった。
艦娘の成果、戦果をその活躍をと規制の上で書かされる記事にどうして熱がいれられようか。
所属している多くの人間はかつて悲鳴をあげながらも、やりたいことができた過去へと想いを馳せるばかりで。
そんな人間たちを纏める室長、少尉だけが一人違っていた。
「おっと、青葉くんの話をすぐに聞きたいのは山々だけど場所を変えようか」
「あっ、はい! 恐縮です!」
これから行うは取材。
青葉が各鎮守府で行ってきた取材を聴取する、取材。
ならば然るべき場所があると彼は椅子から立ち上がり、にこやかに取材用の部屋へと青葉を誘導する。
この部屋は、空気が悪い。
煙草の煙がそうなのはもちろん、艦娘のせいで自分たちはここに追いやられたなんて、八つ当たりに近い意識を持っている人間だって少なからずいる。
そんな空気に目の前の少女を晒し続けたいなんて彼は思わなかった。
彼だけが。
そう彼だけが強制された仕事に対してやりがいを感じていたのだ。
だから、楽しげに。
片や報道という行為に憧れる艦娘。
片や艦娘という存在に魅了された人間。
二人は冷えた視線に背を刺されながらも、温かい気持ちに包まれ共に歩いた。
「じゃあ……確か新設された鎮守府、しかも初めて民間から選ばれた提督がいるところだったね。まずは雰囲気はどうだったのかな?」
「はいっ! すごく楽しそう、いや幸せそうな鎮守府でしたっ!」
互いに机の上へと開かれた手帳。
隣には湯気が立ち昇る珈琲が添えられていて、それは取材から帰ってきてそのままここへと来たのだろう、青葉の少し寒さで赤くなった手を暖めるためか。
少なくともそうだと気づいている青葉は記されたメモをニコニコと確認しながら、気遣いに察しをつけられていると理解した少尉は少し恥ずかしさを覚えながらも、その快活な笑顔を楽しみながらメモを書く。
広報部へと民間人が引き抜かれたように、鎮守府へ提督としても選ばれるようになってすぐ。
モデルケースとして選ばれた人間は紛うことなき一般人だった。
「幸せそう、か。たとえばどんなところがかな?」
「そうですね、やはりなんと言っても人間あつか……あっ、いえ、なんででしょう? 青葉にもよくわかりませんが確かにそう感じましたっ!」
言いかけてやめた言葉は人間扱い。
青葉にしてもそうだが、軍部からは人間と言うよりは人間のような兵器として扱われていた艦娘。
人間のように思考し、意思を持っている。だが、その力はより海上で振るう力を高めるためという認識。
だから彼女たち艦娘に向けられる視線といえば道具といった意味合いが強い。
青葉が特別といえば少し良く聞こえ過ぎかも知れないが、何ということはない、海の上で戦える彼女がただ戦っている艦娘の様子を観察するに相応しいというだけの理由。
故にこうして鎮守府の戦力や様子を確認という名前の取材役として選ばれた。
大本営の戦力として見るにはやや不足している重巡洋艦の力をそうして補うことを命じられたのが青葉。
「そうかい。ならばきっとその提督も素晴らしい人間なんだろうね」
「あっ……はいっ! 艦娘の皆さんととても仲良く過ごしていてですね! 何処か少尉……い、いえっ! 恐縮です! とっても優しそうな司令官さんでした!」
そういう青葉は慌てて珈琲へと手を付けるがその熱さに驚いて更に慌ててしまう。
一瞬口をひらけたままだった少尉は、途中で止められた言葉に頬を染めながらもハンカチを青葉に手渡す。
「す、すみませんっ! と、とんだ失礼を……」
「い、いやいや構わないよ。そ、それで? えっと……戦っている光景はどうだったのかな? 演習も見てくるという話だったけど」
もう何度も繰り返した聞き、聞かれるこのやり取り。
そして繰り返したのはこのもどかしいという言葉が似合う光景も同じように。
青葉は、嬉しかった。
報道、取材。
そういった行為へ持つ興味は何処から来たものか。
それでもその興味は間違いなく存在していて、同時にそういった事を生業としている人間へも憧れを覚えていた。
だが、そんな事へと興味を持つ、持っていいとされる余裕はなくて。
毎日行われる演習、訓練。そして、出撃。
偉い人に気づかれれば間違いなく怒られるだろう、未熟でよかったなんていう想い。
そのおかげでこうして紛い物ではあるかも知れないが、憧れと興味に触れられる機会を得られたことを嬉しく思っている。
忙しさの合間を縫うようにして行われるこのやり取り。
それを大事に、とても大事にしている青葉。
更に言うのならば青葉の対面に座る少尉。
彼は艦娘に対して兵器という視線を向けることに疑問を覚えていて。
国民の艦娘に対する感情をなだめるという目的よりも、理解してもらおうと日夜奮闘している。
先程魂が抜けたように煙草の煙へと意識を飛ばしていたのも、書き上げた記事がそれに寄りすぎていて軍部の思惑に沿っていないと一蹴されてしまったため。
真実の追求。
それこそがマスコミ、報道に身を置く者の存在意義であると彼は心底思っている。
だからこそ宥め賺すような記事を書く等、彼のプライドが許さなかった。
何処の鎮守府が何処の海域を突破した。
生活改善に繋がる一歩は軍部の一歩。
それをもたらしたのは誰だ?
提督の存在が大きいのは言うに及ばない、だが、それを成し遂げたのは軍、提督の力だけではないだろう。
そんな想いが彼にあった。
今、自分の目の前で熱心に話す艦娘、その存在あってこそだろうと。
青葉はその想いを知っている。
少なくとも自分が知る中で誰よりも自分に、艦娘対して熱心に耳を傾け、発する言葉を吟味してくれていることに。
故に、だろう。
自分が報道という行為に憧れを持ち続けることができるのも。
「――それでですね」
「青葉くん」
話を止める声が少尉の口より。
首を傾げ、どうしたんだろうと見た少尉の目は真剣そのもので。
「ありがとう」
「は、はい?」
一瞬告げられた言葉を理解し損なってしまった感謝の言葉。
理解して尚傾げた首を戻せず、困惑に駆られるその言葉。
「僕は、いや、僕たち人間は君たちのおかげで生きている。こうして僕の仕事を助けてもらっていることもそうだけど、いつも感謝している。だから……」
遮られる前に話していた内容は何だったか。
それは話の鎮守府が出撃して戦果をあげている様だった。
その話を聞いて、唐突に心が止められなくなったのだ。
艦娘は戦うもの。
ペンは剣より強いなんて言っても、それは剣を持つものがいた上での話。
こうして呑気にペンを走らせることができるのは誰のおかげなのだろうか。
想いが溢れた。
感謝の気持ちが、自身をプライドごと守ってくれている彼女に、艦娘に。
「生きてくれ。僕は、こうして君の話が聞けるのが……何よりも楽しみだから」
「あ、あう……」
青葉にすれば不意打ちも良いところ。
顔に持った熱を自覚して、心の臓が飛び跳ねていることを止められなくて。
無意識だろう、掴まれた手を気にする余裕すらない。
その手は青葉の生存を心から願っていると伝えてくるようで。
この時間がずっと、ずっと続けばいいと思っているのは、青葉だけではないということを思わせるようで。
「っ!?」
「……あ、あはは。ごめんなさい、時間切れみたいです」
鳴り響き、二人の手を別つ警報音。
深海棲艦の出現を知らせる、無粋者。
「……気をつけて」
「はいっ! 青葉、しゅざ……いいえ、出撃してきますっ!」
赤い顔をそのままに、されど勇ましさを感じられる姿を少尉に向けて海へと向かった。
結局のところ艦娘ってなんなのだろうか。
そんな疑問を天井に漂う煙へ問う。
特徴的な苦味と香りを纏うそれはやがて姿を消してしまうように、されど再び火をつければ生まれるように。
幾度となく繰り返した行為、生産。
大本営はケッコンカッコカリというシステムを公表した。
曰く、艦娘と結んだ絆の証明。
兵器扱いをしていた者とは思えない粋とも言えるシステム。
そんなシステムのおかげか、目に見えて強くなっていく艦娘達。
各鎮守府の提督達が、国民が艦娘に対して向ける意識が。
そんな事に頭を抱えていた時を懐かしく思い返す大尉。今では多くの人間が艦娘に対する理解を深め、艦娘と共に海へ挑みたいと提督を目指す人間すら多くいる。
そこに、彼の力があったのは間違いない。
尽力は実り、今では発刊すれば瞬く間に売り切れる月間艦娘。
あっけないとも、長い時間を要したとも思える。
だが、多くの話題はあの民間人から選ばれた初めての提督が奪っていき。
月間艦娘に掲載される記事の多くは彼の鎮守府に着任している艦娘のもの。
少し悔しいなんて思いもあるが、残りの多くはそれで良いという思い。
真実とはきっかけ。
人の思いが、見方が、少し変わることへの手助けであったならそれで十分。
「大尉! 記事確認! お願いしますっ!」
「あぁ、わかった」
蔓延していた空気の中で変わらないのは煙草の煙だけ。
活力に満ちた広報部には未だに慣れず、苦笑いが勝手に浮かんでしまう。
記事に目を通してみればやはりと言うべきかかの鎮守府。
それしか書くことがないのかなんて少し頭を抱えてしまう大尉ではあるが、どうやら時の人とは中々時代が逃してくれないらしい。
「ども、恐縮です。青葉ですー」
「あ、お疲れ様! ……また大尉かい?」
「ま、またってなんでしょう!? あ、青葉は――!」
記事に集中している大尉の耳には届かない入り口で、そんなやり取りが笑顔のもと繰り広げられた。
活力を満たしたきっかけは真実だけではないと、その存在が笑顔で誂われている。
「ふむ、ケッコンカッコカリをついに……」
記事に書かれた内容は提督がついにケッコンカッコカリを決めた!? というもの。
エクステンションマークとクエスチョンマークにゴシップさを感じてしまうのは否めないが、これもまた民衆が求めたものなのだろう。
提督と、艦娘の絆。ただ一つの指輪がその証。
デスクの引き出しから取り出すのはそんな指輪。
何故自分に手渡されたのか、その意味を部下に問うも教えてはくれなかった。
中には呆れたものすらいたが、大尉はまるっきり理解できなかったそれをマジマジと煙越しに眺める。
「ケッコン、カッコカリ……か」
言葉と共に思い浮かぶのは一人の艦娘。
世がこうなるまで生き抜き、二人三脚とも言える程共に戦い抜いた一つの存在。
もしも。
もしも自分が提督であったなら。
そんな夢物語に没入しそうな考えに頭を振った時。
「あ、青葉、見ちゃいましたっ!」
「えあっ!? あ、青葉くん?」
口元に手をあて目を丸く。
想像していた姿がそこにいた。
「た、大尉さん! おめでとうございますっ! お相手は!? 一言お願いしますっ!」
「ちょ、ちょっと待って!? 待ってくれ!?」
何処から取り出したのかマイクを片手に大尉へと向ける。
すっかり様になったその姿にひたすら慌て、しどろもどろになる大尉。
「軍の方ですか!? あっ! 受付の方ですか!? 美人ですもんねっ! 器量よしとの噂も青葉の情報にありますよ!」
やけにノリノリで問い詰めてくる青葉。
その姿を周囲の人間は何処か痛々しそうに見守る。
中には鋭い目を大尉に向けるものもいたが、それに気づくわけもない。
「いやー! 長い間一緒に頑張ってきましたがっ! ついに大尉にも春が来るのですね! 心配していたのですよっ! 青葉は、青葉は……」
「……青葉、くん?」
勢いはやがて尻すぼみに。
向けられていたマイクは地面を指し、青葉の視線も同じ場所へ。
そんな様子の青葉に大尉は声をかけようとするが。
「ぐすっ、お、お待ち下さいね! 笑えますからっ! 青葉、ちゃんと祝福できますっ! だって、だって……ずっと一緒に頑張ってきた……大事な人、大事な、人、ですからっ!」
「……」
青葉の頬を伝う、澄んだ雫。
それは一体どのような意味を含ませているのか。
友への祝福か。
それとも……。
「……ありがとう、青葉くん」
「い、いえっ! 恐縮ですっ! 申し訳ありません、ちょっと時間を下さい! きっと、次にお会いするときまでには――」
「青葉くんっ!!」
だから包みたくなった。
理屈ではない、ただその涙は自分が流させたものであると理解した。
回した腕が想像していたよりも遥かに華奢であることを教えてくれた。
感じる体温が何よりも大事であるということを伝えてくれた。
そして何より。
「君が、大事だ」
ここまで共に戦った彼女が、何よりも大事な存在であることを知ることができた。
何よりも大切な女性であるということに気づいた。
「たいい、さん?」
「僕だって同じだ。ずっと一緒に頑張ってきた君が大事だ、大事なんだ。だから……」
離れていく熱に寂しさを感じる。
寂しい、だから彼は青葉の手を取った。
「僕は提督じゃ、司令官じゃあないけれど……それでも」
ケッコンカッコカリは絆の証明。
そう、まさしくそうなのであるならば。
「受け取って欲しい。給料三ヶ月分じゃあないかも知れない、ただの紛い物なのかも知れないけれど。込められた想いだけは真実だから」
抵抗は、ない。
ただただ信じられないような、夢を見ているのではないかというのような表情のままの青葉。
その目の前で、左手の薬指に鎮座したのは。
「キレイ……」
シンプルな指輪。
取り外そうとは思えない、ずっとずっとそこにあり続けてほしいと思える、絆の証明。
「大尉さん」
「なんだい?」
その手を包み込むの二人分の手。
感じ直した体温と、金属なのに不思議と温かく感じる重み。
「これから、青葉、ずっとずっと……大尉さんのこと取材しちゃいますよ?」
「うん」
「好きな食べ物も、好きな服も……なんでも、取材しちゃいます」
「うん、して欲しい」
「それだけじゃいやです。青葉のことも、いっぱいいっぱい取材してほしいです」
「うん、いっぱい教えてくれ」
「大尉さん」
「うん」
「不束者の青葉で恐縮ですがっ! これからもよろしくおねがいしますっ!」
抱き合う二人。囃し立てる部下たち。
その一人の部下が、大尉のデスクにある記事の原本を手に取り、記し直した見出し。
――大本営に訪れた春!? 取材バカのケッコンカッコカリ!
それもまた、誰かが望んだモノ。