大体タイトル通りです。

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助けた少女が強引に弟子入りしようとして来る件

「お願いします! 何でもするので私を弟子にしてください!」

 

 買い物の帰り道、ヴィントの耳に飛び込んできたのは、まだ年若い少女の必死な叫び声だった。

 

 視線を向けると、無病息災(むびょうそくさい)流と書かれた怪しげな看板を掲げた屋敷の前で、十五歳ほどの少女が涙ながらに頭を下げている光景が目に入る。

 

 身に付けているのは白いシャツの上から羽織られた紺のローブに緋色のスカート。この街でよく見かける魔術学園の制服だ。

 

 そんな少女が頭を下げている相手は、鍛え上げられた肉体の上に白装束を着て頭に白の鉢巻をした禿親父。

 

 彼は首を横に振り、腕を組みながら少女を冷たい瞳で見下ろしている。その姿は取りつく島もないといった様子で、とても少女の願いが叶うとは思えなかった。

 

「ああ、もうそんな時期ですか」

 

 隣を歩くメイドのアセリアが思い出した様に呟く。

 

「ご主人様、今年はどうするんですか?」

「ん? そりゃあ決まってる。いつも通り無視だ無視。お前だって面倒事なんか引き受けたくねえだろ」

「ですね。あ、そろそろ腕が辛いのでこれも持ってください」

 

 そう言ってアセリアは手に持ったトイレットペーパーを自然な仕草で渡してきた。

 

 今ヴィントは両手にニ十キロ分の飲料水を持っている。対してアセリアはトイレットペーパー二つのみ。子供でも持てる程度の荷物でしかない。腕が辛いというより、楽がしたいと思っているのは明白だった。

 

「おい、お前俺が主人だってこと忘れてねえ?」

「まさか。私が敬愛するご主人様を忘れる筈がないじゃないですか」

「そうかよ」

 

 一切悪びれた顔をせずにすまし顔で即答するメイドからトイレットペーパーを受け取り、視線をもう一度だけ少女に向ける。彼女から感じた歪な魔力の流れを感じ、きっとこのまま何日経っても同じようにあしらわれるのだろうなと少し同情した。

 

「……ご主人様」

 

 感傷的な気分になったのを敏感に察したのか、アセリアが小さな声で心配そうに囁いてきた。

 

 五年程度の付き合いだが、このメイドは自分の表情に敏感でいつも鋭い指摘をしてくる。ヴィントは己の心情を出来るだけ隠し、アセリアに振り返った。

 

「なんだ? 別にお前に心配されるような事は何にも――」

「こっちのトイレットペーパーは持ってくれないんですか?」

「そうだよな! お前はそう言うやつだったよ!」

 

 結局、ヴィントはアセリアの荷物も全て持たされて歩き出す。隣で機嫌良さそうに鼻歌を歌っているアセリアの両手に荷物はなく、実に楽そうだ。楽しそうなのではない。楽(らく)そうなのだ。

 

「ねえ、ご主人様」

 

 赤くに染められた地面を歩いていると、唐突にアセリアは前に駆け出した後、くるりと振り返り、後ろに手を組みながら甘えた声を出してきた。

 

 夕陽を反射するように輝く長い黒髪や凛とした表情は美しく、彼女と歩いているだけで周囲から嫉妬の視線を向けられるものだ。毎日寝食を共にしている自分でも時折ハッとさせられる時があるのだから仕方ないことだろうと割り切っているが、煩わしいと思ったことは一度や二度ではない。

 

「なんだ?」

 

 そんな彼女が少し恥ずかしそうに自分を呼ぶ。その意味を考えて、ヴィントは警戒心を最大にして真っ直ぐアセリアを睨んだ。

 

「くすぐってもいいですか?」

「それ以上一歩でも近づいてみろ。俺は両手の荷物を全て捨ててでもお前を撃退するからな」

 

 二人の一週間分の飲料水を人質に取り、卑怯ですと訴えかけてくるメイドを無視して、ヴィントは己の屋敷に向かって歩き出す。もう彼の脳裏には、魔術学園の少女の事は消え去っていた。

 

 

 冬が終わりに近づき、暖かい風が新たな季節の到来を告げる。各国に建設された魔術学園では、真新しいローブを身に付ける新入生達が、それぞれこれからの未来に期待しつつ、笑顔で走り回る姿が見受けられていた。

 

 イセリア王国において街に住む者は十歳になると魔術学園に入学することが求められている。そこで五年ほど世間一般の常識と魔術について学び、そこから各業界へと就職していくのが一般的だ。

 

 とはいえ、学園を卒業してすぐに使い物になるような生徒などほとんどいない。特に軍事関係に就職しようと考えた場合、一度国が認めた流派に所属し、数年は己を鍛え上げてからでなければノンキャリア組として出世に希望が持てなくなってしまう。

 

 騎士団や王宮魔術師などは国が運営しているので給金も安定して福利厚生もしっかりしている職業だ。逆に個人経営の商店などに就職した場合、いつ潰れてしまうかわからない上よほど良い場所に就職しない限りは給金も安い。

 

 そう言った意味でも、魔術学園卒業後の就職先で最も人気があるのは軍関係だった。

 

 特に今は魔王が倒され平和になった世の中。周辺諸国との仲は良好で、戦争が起こる可能性もかなり低い。安全で、給金もよく、何より国が潰れない限りリストラすらない安定職業と言えば、人気になるのも頷けるものだろう。

 

「……はあ、今日も駄目だったなぁ」

 

 これから魔術学園へ入学する子供達の希望に満ちた明るい姿とは対照的に、今年魔術学園を卒業予定のルリレラは、死んだ魚のような瞳でトボトボと寮に向かって歩く。

 

 今日は三つの流派の面接に向かった彼女は、その全てを門前払いされてしまったのだ。

 

「当たり前だよね。元々書類選考で落ちてたんだもん……そりゃあいきなりアポなしで行ったって駄目に決まってるよ……ぐす」

 

 視線を空に向けると、夜空に浮かぶ三日月が自分を馬鹿にして笑っているようにも見えた。それが悔しくて、少しだけ涙ぐんでしまう。

 

 彼女は巷で言われる流活生(りゅうかつせい)だ。流派活動生の略で、魔術学園卒業後、流派へ入りたい者は学園を通して書類を提出し、書類選考が通った者だけが師範と面接を受ける事が出来る。そしてその師範に気に入られた者だけが、流派に所属することになるのだ。

 

 最高学年である五年生になると、流活は盛んになる。実家を継ぐなどの例外を除けば、大体の生徒が流派への所属を希望するのが一般的だった。流派に所属せずに就職すると、それだけで偏見な目で見られるような時代だからという意味もある。

 

「もう卒業まで一か月しかないのに……ヤバイよぉ……」

 

 早い者なら、流活を始めて一月ほどで所属流派が決まる場合もあるが、逆に一年通して決まらない者もいる。いわゆる流活負け組と呼ばれる者達だ。魔術学園の中でも最底辺の成績しか修められなかったルリレラは、希望流派へ書類を送っても全てお祈りされていた。

 

「何が『慎重かつ厳選な審査の結果、今回は見送らせて頂きます』よ! こんな紙切れ一枚で厳選な審査が出来るの!? 何が『今回我が流派とは御縁がありませんでしたが、貴方に見合った流派があるはずです。今後のご活躍を期待しております』よ! 心にもないこと言わないで!」

 

 思わず怒りに身を任せて本音をぶちまけてしまう。

 

「大体! 五年前までは流活バブル期だったんじゃない! 望めば誰でも自由に流派に入れるって話だったのに、何で今はこんなに厳しいの!?」

 

 五年前、魔王を名乗る人類の敵対者が生きていた時までは流活バブル期と呼ばれていた。逆に今は流活氷河期と呼ばれている。

 

 これは単純な話で、魔王が生きていた時代はとにかく優秀な魔術師がいつ死んでも可笑しくなかった。当然、流派に所属している人間も、騎士団も王宮魔術師も数を減らす一方で、ヘボい魔術師数いりゃ当たると言わんばかりに誰でも入派することが出来たのだ。

 

 だが魔王が死んで世の中から戦争がなくなり、魔術師達の数が減る事が極端に減った。そして現在、そうして入派した魔術師達が多くなりすぎて飽和状態となった流派は数知れず。どこも今いる者を育てるので精一杯で、とても新しい入門者を受け入れられる状態ではなかった。

 

 これが流活氷河期。

 

 平和になったのはいいが、その分こうして流活や就活に苦しむ学生がここ数年で見受けられるようになった。中には面接や書類選考に落ち過ぎて自分の人生に絶望し、無気力になってしまう学生も少なくないと言われている。

 

 ――魔王さえ……魔王さえ生きていてくれれば……

 

 そんな声が学生の間で流行る程、流活に厳しい時代となっているのであった。

 

 このまま流派が決まらなければ、就職も決まっていないルリレラは流活浪人として次の一年を過ごさなければならない。そしてそれは彼女の人生の一歩目から躓いてしまうことに他ならなかった。

 

 ただ一度も面接まで漕ぎ着けられた事もなく、書類選考で全て落ちてきた彼女は最終手段として街に存在する流派へ訪れて直接面接をお願いしたのだ。紙ではなく、実際に自分を見て貰えれば。そう一縷の望みに賭けてみたが、やはり駄目だった。

 

 三十戦全敗。学園に求人応募があった流派は手当たり全て訪れ、もうルリレラが受けていない流派は存在しない。残りは求人すらしていない流派を探すしかないのだが、そもそも弟子を求めていない以上厳しいと言わざる得ない。

 

「……やっぱり、魔術が使えない私には……王宮魔術師になるなんて夢物語なのかな……」

 

 風に乗って消えてしまいそうな程小さな声で呟く。彼女の声に反応する人などどこにもいなかった。

 

 既に時間は遅く、すでに照明が消えている家も少なくない。街には街灯があるとはいえ、十五歳の少女が歩いていては危険な時間帯だ。特に最近は変質者が多いため早めの帰宅をするよう学園でも忠告されている。

 

「ふふふ、どうしたんだいお嬢ちゃん? 元気がないじゃないか」

 

 にゅっと、街灯の近くで通りがかる人を待っていたかのように、四十過ぎの親父が出てきた。妙にブカブカのローブを身に纏っており、髪の毛は手入れをしていないのかボサボサだ。怪しい事この上ない。

 

「そんな時は……これを見て元気になっておくれ!」

 

 男は勢いよく身に纏ったローブの前を広げると、その下には何も身に纏っていない裸体があった。興奮しているらしく、男の下半身は月に向かってそびえ立っている。

 

 巷で有名になってきた変質者だ。彼はまだ幼い少女達に自分のモノを見せつけて興奮する性癖があった。

 

 ――さあ叫べ。俺のイチモツを見て叫ぶのだ!

 

 だが――

 

「あ、そう言うのいいですから本当に。今そういうのに構ってられる気分じゃないんで」

「え? あ、その……ごめんね?」

 

 それを無視して、ルリレラは変質者の横を通り過ぎる。考える事が多すぎて、正直どうでも良かったのだ。

 

「…………ローブ着よ」

 

 未成熟な少女の叫びを聞いて楽しもうと思っていた男は、己のイチモツに一切の興味も持って貰えず自信を失ってしまったのだが、それはまた別の話。

 

 

 

 

 歴史的に、最初に魔術が確認されたのは五百年前。最初の魔王であるブルスケッタが魔界の魔物を率いて地上に侵攻してきた時まで遡る。

 

 当時はまだ魔術などなく鉄製の武器を頼りに兵士達は戦っていたが、強大な力を振るう魔王と猛獣を遥かに超える凶暴さを持った魔物達に人類は為すすべもなく、壊滅的な打撃を受けることになった。

 

 このままでは人類は絶滅し、地上は魔物達の物になるだろう。蹂躙されていく兵士達を見て、各国の王族達は人類の生存を諦めた。そんな時、一人の少女が立ち上がる。

 

 ――聖女ミルフィーユ。

 

 元々はイセリア王国の片田舎で生まれた彼女は、ある日魔物に対抗する術、魔術を神より授けられた。その力は正に万夫不当と言うに相応しく、万を超えた数で侵攻してくる魔物達をたった一人で殲滅し、己の生まれた村を守ったとされている。

 

 その噂を聞きつけた各国の対応は早かった。

 

 聖女より魔術を学ぶ事により、魔物に対抗する術を手に入れたのだ。聖女ほどの力を持つ者はいなかったが、それでも魔物相手には十分過ぎる力を手に入れることに成功する。

 

 人類の反撃が始まった。聖女を旗印とした聖人軍の扱う魔術は、魔物に対して致命的な威力を発揮し、あらゆる地域で活躍する事となる。

 

 聖人軍は破竹の勢いで突き進み、そしてついに聖女ミルフィーユの手によって魔王ブルスケッタを滅ぼされることになった。魔王がいなければ知能の低い魔物達など凶暴な獣と大差ない。これまでの反撃と言わんばかりに殲滅戦が開始され、ついに人類は平和を取り戻した。

 

 もちろん、平和になったからといって浮かれることなど出来る筈もなかった。

 

 人類側からすれば、魔王が何を思って地上に侵攻してきたのか、魔界とはどういった場所なのか、そして何時また次の魔王が現れるか、そんな不安は尽きることがなかった。何より、今回の被害は平和になったからと言って喜べるレベルを遥かに超えていたのだ。

 

 街は破壊され、大地は力を失い、そして人は死んだ。聖女もまた、魔王との戦いで力を使い果たし、戦える姿ではなかったとされる。

 

 各国の復興と同時に、人類側の戦力増加は急務だと考えた当時の為政者達は、聖女の魔術を出来るだけ正確に伝える機関が必要であると判断した。そして生まれたのが聖女をトップとした魔術協会と、それに連なる魔術学園だ。

 

 これらは国からの干渉を一切受けない独立した機関である。その役目は聖女の魔術を後世に残し、再び魔王が現れた時、聖人軍として最前線で戦うといったものだ。

 

 魔術学園で基礎を学び、そして魔術協会で認められた流派に所属することで本格的な魔術を習う。流派が生まれたのは、聖女の魔術を一人の人間が全て扱う事が不可能だった為だ。そのため当時最も聖女に近い力を持った十聖人と呼ばれる弟子達が、それぞれ聖女の魔術の一部を受け継ぎ、後世に伝える役目を請け負った。

 

 最初は十しかなかった流派だが、年月と共にその教えは枝分かれしていき、更には新たな魔術を生み出す者なども現れ、今では大陸全てを含むと千を超えると言われている。

 

 聖女の魔術を受け継ぐ者達、ということで流派の師範達は当然、相応の実力者ばかり。それぞれが秘奥の魔術を身に付け、魔術協会が国に干渉されない為に必要な最強の切り札とも言えた。

 

 実際、魔術協会の持つ力は大陸中の国家を全て敵に回してなお上回る程である。かつて人類の為にその生を使い果たした聖女の意志を継ぐため人類の敵に回る事はないが、一つの国に肩入れすると言う事もあり得ない完全な独立組織と言えた。

 

 実際、五年前まで魔王と戦っていたのは、この聖人軍である。そうして魔王討伐に成功した彼等は再び己の力を高めるため、こうして門徒を募集し続けるのである。

 

 

 

 白亜の塔、とも揶揄される魔術協会本部を中心として東西南北エリア別に分けられた街――セントラル。

 

 イセリア王国の領域内にこそ存在するが、大陸中心部に近い場所に建てられたこの街は唯一どこの国にも属さない独立都市として機能していた。

 

 ここ数十年、魔術の発展によって便利な世の中になり、こうした都会の街では貧しい者もだいぶ減ってきた。その分娯楽が多くなり、都会の街は昼間だというのに活気に満ち溢れている。

 

 家を建てるのも、街道を整備するのも、些細な日常ですら人力で苦労する部分の大多数は魔術によって行われ、今や生活に欠かせない技術となっていた。

 

 街を歩いていると、時折流派の看板を掲げた屋敷や道場が目に入る。

 

 ――魔術を学ぶならセントラル。

 

 そう囁かれるほどこの街の魔術師達は他国のそれに比べて一歩も二歩の先を行く。この街で流派の看板を掲げるからには相応の実力と権威を持っていなければならず、求められる魔術師としての実力も自然と高くなっていた。

 

「ま、だからこそああいう学生が出てくるんだろうけどな」

 

 ヴィントの視線の先には落ち込んだ少年がおり、そのすぐ前には立派な門構えの屋敷があった。その様子から面接で落とされたのだと容易に想像出来る。

 

 大陸一の魔術都市で活動しているというプライドが高く、求める生徒の質も上がっているのだ。当然、学園内での成績が振るわない者はその門の前に立つことすら許されない。

 

 流活中、あまりに自分を否定され過ぎて鬱になる者も現れ始め、近年での社会現象の一つとして問題となっているという。さらにここ二、三年はそんな生徒に付け込んだ流派詐欺なんてものが流行っていて、被害にあった学生の数は年々上昇の傾向にあるらしい。

 

「流活を諦めきれない学生を狙った悪質な詐欺。流派の運営に必要だからと不当な入会金を要求したり、酷いのになると流派の儀式だと言って女子の身体を要求してくるやつもいるんだとさ」

「最低ですね。しかし魔術協会は別に無能の集まりではありませんが、気付かないものなのですか?」

「これがまたタチが悪くてな、大抵の学生達が納得済みで相手の要求を受け入れてるせいで発見が遅れるんだ。そして見つかった頃には詐欺師はこの街を離れていたり、証拠が完全に揉み消されていたりして立証出来ない。残るのは騙された学生達だけってな」

 

 何より、魔術協会の人間は魔術のプロフェッショナルであって詐欺師のプロでもなければ警軍でもない。その道のプロ達に一歩も二歩も遅れを取ってしまうのも仕方がないことだろう。

 

「そこまでしてどこかの流派に入りたいと思うものなのですかね? たかが将来就職の時に履歴書で書けるだけだと思うんですけど」

「少なくとも本人達にとってはそのたかがが大切なんだろ。それにいい師範に巡り合えばその分実力も付くし、もしかしたら正式に跡取りになれるかもしれないんだ。将来を考えれば優良な流派に入る事はプラスになる事はあってもマイナスにはなりにくいさ」

 

 柄にもなく真面目な話をしてしまったと、ヴィントは自分の発言にハッとする。隣を見ればアセリアが恍惚とした表情で自身を見て、その後視線をヴィントの持つ籠へと移動させる。

 

「玉ねぎ、茄子、人参、ジャガイモ、そしてお肉。完全にカレーの具材を手に持ちながらでも格好いいです流石ご主人様」

「馬鹿にされてるようにしか聞こえねえよ! つかなんで従者のお前が手ぶらで俺だけ両手に籠持ってんだよ可笑しいだろ!」

「……え? いやいや何言ってるんですかご主人様。私・女、ご主人様・男。荷物を持つなら?」

「男だよ畜生が!」

 

 一体どっちが主人かわからない状態のまま、ヴィントは屋敷までの帰り道を機嫌悪くする。元々目付きの悪いヴィントが不機嫌になると一層人相も悪くなり、近くにいた子連れの親子がそそくさと離れていった。

 

「…………」

「ちょっとへこんでますね……ぷぷ、ご主人様かわいーです」

「うっせぇ」

 

 活気に満ち溢れていた南区を抜け一度中央通りへ戻ると、そこから更に歩いて西区へと入る。セントラル西区は爪弾き者通りとも呼ばれ、荒くれ者や怪しい店が多く並ぶ区域となっていた。 

 

 中央や富裕層が多く集まる北区に比べ治安の悪いため、他の区域から人がやって来ることはあまりない。とはいえ元々この区画に住むヴィントとアセリアの二人は慣れた様子で堂々としたものだ。

 

 小汚い路地を通っていると、明らかに男を誘う際どい衣装の女性がヴィント達に気付き顔を上げ、掃除していた手を止める。

 

「相変わらず綺麗ねぇアセリアちゃん。やっぱりウチで働かなぁい? 貴方ならすぐにナンバーワンになれるわよぉ」

「結構です。私の体は髪の毛の一本から爪の先まで全てご主人様に捧げていますので」

「あっは。相変わらず意味わかんないくらい愛されてるわねぇヴィント。そんなに目付きを鋭くしちゃってもう怖いわぁ。そんなんだから一人も弟子が出来ないのよ」

「ダーナ、お前は勘違いをしているぞ。出来ないんじゃない。取らないだけだ」

「そんな言葉は一人でも弟子を取ってから言いなさいな」

「ちっ」

 

 ヴィントは昔からこの女性が苦手だった。少なくともヴィントが孤児としてこの路地裏を闊歩していた時代からすでに娼館を経営しているのだから年齢も相当なはずだが、見た目はどう見ても三十代。年齢不詳なこの人物は昔から妙に世話焼きで、こうして大人になった今でも頻りにお節介を焼こうとしてくる。 

 

「昔は悪ガキだったヴィントが今じゃ魔術協会最高戦力の証である流派の師範だなんてねぇ。月日が経つのは早いものだわぁ」

「昔に浸るなんて老けた証拠だなババア」

「ああん!? 誰がババアですって!?」

「うっ!」

 

 あまりに凄まじい形相と殺気に思わず視線を逸らしてしまう。背中からは汗が流れ、体は竦み、強大な魔獣を前にしたとき以上の恐怖がヴィントを襲った。

 

「大体アンタはそんなんだから弟子の一人も――」

「女心の一つくらい学ばないと――」

「いつまでもフラフラしてて情けない――」

「昔のアンタはまだ愛嬌があって――」

 

 ダーナの説教はどんどんエスカレートしていき、ヴィントを攻め立てる。その内容は最初から随分とかけ離れていき、ヴィントの顔色も悪くなっていく。

 

「……ううぅ」

「魔術協会最高戦力も近所のおばちゃんには勝てないということですね」

 

 正座までさせられて叱られている自身の主人の情けない姿を見て、アセリアはそう呟くのであった。

 

 

 

「くそっ……まだ足が痺れやがる……」

「突いてもいいですか?」

「やめろ!」

 

 長い説教からようやく解放されたヴィントは、西区に存在する門を抜けた先に存在する森を歩いている。この森はヴィントの私有地であると同時に魔術協会が特殊侵入禁止区域に指定した場所でもある。

 

 ヴィント達は危険かつ貴重な魔獣が多数生息しているこの森の生態系の調査をしながら、極力人と関わらないように暮らしているのだ。

 

「しかしご主人様。ダーナさんの話が本当なら少し面倒ですね」

「ん? ああ、魔術学園の生徒が流派を探してるってやつか」

「はい。わざわざ治安の悪い西区にまで聞き込みしてくるほどですから、よっぽど切羽詰まってるんだと思います」

「ま、普通じゃないのは間違いないな」

 

 魔術学園は魔術協会の直営組織。流活生には募集を行っている流派の斡旋も行っている。そして生徒達はリストにある流派を見て、自分の所属したい流派を決めるのだ。

 

 中には自分の望んだ流派が募集を行っていない事を理由に留年を決めるような猛者もいるが、そんなものは数年に一度いるかどうか。基本的には紹介された中から決めるか、流活戦争に負けてすぐに就職するかのどちらかになる。

 

「直接聞き込みをしてると言う事は、募集している流派は全滅したと言う事でしょう。何かしらの問題を抱えているのはまず間違いないと思います」

「随分と気にしてるけどなアセリア。俺らには関係ない話だ」

「……そうですか?」

「ああ、何せここは特殊侵入禁止区域。魔術協会から許可証がない人間は入れないんだからな。どれだけ街で流派の事を聞き込みしたって、ここまでやって来る学生なんているはずない」

「ではあれは?」

 

 アセリアが指を指した場所を見ると、魔術学園の制服を着た少女が尻餅を付いた状態で魔獣に囲まれていた。ヘルハウンド、ブラッディベア、バジリクス。この森に棲む魔獣の中では比較的弱いものばかりだが、それでも危険度Cを超える猛獣達である。学生程度がどうにか出来る相手ではない。

「……」

「ここまでやって来る学生なんているはずがない!(キリッ) でしたっけ?」

 

 無表情ながら内心ニヤニヤしているのだろうアセリアの物真似に若干イラっときつつ、ヴィントは少女を見る。幸い魔獣達は互いを警戒し合って中々少女に食い掛かる事が出来ないようだ。

 

「……よし、見なかった事にするぞ。運が良ければ逃げられるだろ」

「はい」

 

 面倒事は避ける。というのがヴィントの信条だ。元々特殊侵入禁止区域に入った少女が悪いと結論付けて、自身の屋敷へと足を向ける。もう少女の姿は視線から外れた。

 

「あわわわわ! わ、私を食べても美味しくないよー!!」

 

 そんな少女が絶体絶命のピンチに泣きながら叫んでいるのが背中から聞こえる。だが関係ない。見ず知らずの少女を助けるほどお人よしではないのだ。

 

「助けてー! パパー! ママー! 誰かー!」

 

 依然として少女は泣き叫ぶ。足を前に進める度にその声は遠ざかるが、それでもまだ鳴き声は聞こえてきた。

 

「……ひぐ、うぐ、うぇぇん……やだー、やだやだ死にたくないよ……ごめんなさい。ごめんなさい」

 

 少女の体力も尽きかけているのだろう。その声は段々と弱弱しくなっていく。それと同時に魔獣達の気配が変化したことにも気づき、思わず足を止めて振り向いてしまった。

 

「ご主人様?」

 

 そこには地面を涙に濡らした少女と、もはや早い者勝ちと言わんばかりに一斉に飛び掛かかろうとしている魔獣達。

 

「……いや、いや、いやぁぁぁぁぁ!」

「ああああああ! もうわかった助けてやるから泣くんじゃねぇぇぇぇぇ!」

 

 魔獣達の牙が少女に届くよりも早く、ヴィントの拳が三匹纏めて殴り飛ばす。何本もの巨木を打ち倒しなお止まることなく魔獣達は遠くへ飛んでいく。

 

「……え?」

 

 何が起きたのか分からない。そんな声を上げる少女を見下ろして、ヴィントはガリガリと頭をかきながら手を伸ばす。

 

「おい、大丈夫か?」

「え? え? ……あの」

 

 だが依然状況把握が出来ていない少女は戸惑うばかりでその手を取らない。この森の中で逃げ惑ったのだろう。魔術学園の制服はボロボロになり、転んだのか両ひざからは血も流れている。

 

「腰が抜けてるのか? ああくそ面倒臭ぇな!」

「わ、うわわ!」

 

 ヴィントは少女の膝裏に腕を入れ、背中を支えながら立ち上がる。お姫様抱っこ状態の少女は瞳に溜まった涙を拭う事も忘れているようで、ただされるがままに持ち上げられた。

 

「お前、名前は?」

「あ、えっと……ルリレラ……です」

「じゃあルリレラ。そんなドロドロの服じゃ帰れねえだろ。それに傷が残ったら面倒だ。治療もしてやるからとりあえず一回家まで来い」

「そ、そんな! 助けてもらったうえにそこまでしてもらうわけには!」

「うっせぇガキは黙って大人に甘えときゃいいんだよ。おいアセリア! そう言う訳だからコイツ連れてくぞ。夕飯の食料はお前が持て!」

 

 ルリレラの言葉を一声で遮り、少し離れたところで事の成り行きを見ていたアセリアに命令する。が、どうにもアセリアの動きは鈍い。というよりもヴィントをじっと見て動かない。

 

「……じとー」

「……なんだよ。言いたいことがあるなら言ってみろ」

「食材を持つのは渋々のくせに女の子なら喜んで持ち上げるんですね流石ご主人様変態です」

「おいこら曲解するような言い方すんじゃねえよ! つか誰が変態だ!」

「つーんだ」

 

 そのぞんざいな態度にヴィントの米神の血管が浮かび上がる。

「テ、ンメェ……いいか勘違いするなよ! 俺の管理してる森で魔術学園の生徒が怪我したとか死んだとかになったら後々面倒だから拾うだけで、別に助けようなんて思ってねえからな!」

「はいはいツンデレツンデレあとロリコン。夕飯も作らなくちゃいけないので私は先に帰ります。ご主人様はその女の子と森の中でラブチュッチュでもしながらごゆっくり」

「あ! おいこらちょっと待て! つか誰がツン……じゃなくてロリコンだ!」

 

 ヴィントの怒りの声も拗ねたアセリアには届かない。買い物籠を両手に持つと、そそくさと歩き出してしまう。歩いている筈なのに妙に速く、あっと言う間にヴィントの視界から消えてしまった。

 

「あーくそ何だアイツ……」

「あのー、早く追いかけてあげた方がいいんじゃないでしょうか?」

「ん? ああ気にすんな。どうせ追い付けねえし、急いだらお前の傷にも響くだろ?」

「でも……」

「いいんだよ。アイツも一人になりたいときだってあるだろうからな」

 

 そう言いながらルリレラを抱えたヴィントも歩き出す。何が気に入らなかったのか、不機嫌なアセリアをどう宥めようと考えつつ、こっそり頭の中で溜息を吐く。

 

 

 

「ぜひ師匠と呼ばせてください!」

「呼ぶな!」

 

 森の奥に存在する屋敷の一室。そこで治療を終えたルリレラの第一声がそれだった。

 わざわざ特殊侵入禁止区域である森まで入ってきたのだ。ここに住む人間がどういった存在なのか知っていたのだろう。

 

「な、なら師範、師父、先生、マスター、ええと後は……あっ、お兄ちゃん! 貴方の望む呼び方にします!」

「呼び方の問題じゃねえんだよ……っつか最後の何だ!」

「お兄ちゃんがいいんですか?」

「ちっげぇぇぇぇ!」

 

 話が通じないルリレラにヴィントが叫ぶと、背後に控えていたアセリアが真剣な声色でそっと耳打ちしてくる。

 

「では……兄たま、というのはどうでしょう?」

「どうでしょう? じゃねえよ何さも名案ですみたいな顔で提案してんだふざけんなゴラァ!」

「ですが涙を流して懇願する少女を足元に侍らせている姿は正に外道にして鬼畜。ご主人様は今、大陸中のロリコン達の夢を叶えているのですよ。よっ、流石は大陸一のロリコニアン。調教先生の名は伊達ではありませんね」

「俺をロリコン代表みたく言うんじゃねえ! つかそんな不名誉な仇名を貰った記憶もねえよ! つーかルリレラ! テメェもいい加減離れやがれ!」

「いぃぃやぁぁぁでぇぇすぅぅ! ここで離れたら絶対に追い返されるぅぅぅんですぅぅからぁぁぁ!」

「よくわかってんじゃねえかこのガキィィ!」

 

 アセリアの言葉の通り、ソファに足を広げて座ったヴィントの股の間からルリレラが縋りつくようにひっついている状態だ。

 

 必死に引きはがそうとするも、余程必死なのか少女とは思えない力で抵抗してくる。確かに傍目から見れば嫌がる少女に夜の奉仕を強制させているようにも見えるが、本人からすれば誤解もいい所である。

 

 互いに全力で攻防を続けるも決着はつかない。驚いたことに、少女は成人男性であるヴィントの力に対抗出来ているのだ。それどころかその力はどんどん増していき、このままでは完全に押し切られてしまいそうだった。

 

 どう考えてもルリレラには普通ではない力が働いている。これだから余計な厄介事を拾うのは嫌なのだ。そう思いながらヴィントは背後の従者に命令する。

 

「はあ、はあ……アセリア!」

「はい」

「貴方だけが頼りなんです! もう街にある流派は全部当たって、面接も全部落ちちゃって、あとは侵入禁止になってる森の中にいるって噂の師範……きゅぅ」

 

 音もなくルリレラの背後に回り込んだアセリアが首をトン、と手刀で叩くと、それまで騒ぎ立てていたのが嘘のようにルリレラが倒れる。

 

「よくやった」

「メイドですから」

「メイドというより暗殺者だな」

 

 ヴィントは倒れたルリレラを見る。本来なら美しかった筈の翡翠色の髪は見る影もなく泥だらけで魔術学園の制服はボロボロ。薄く塗られた化粧で隠しているがその顔にも疲労の色が濃く酷いものだ。体力的、精神的に追い詰められていた事がよく分かる。

 

「……どうすっかな」

 

 必死だったのだろう。ここまでボロ雑巾のようになってなお前進することを諦めない闘志は感心するものだ。まだ学生の身でありながらここまで真剣になれるのはきっと、どうしても叶えたい願いがあるのだと思う。

 

「捨ててきましょうか? この森の中なら証拠も残りませんし」

「いきなりそう言う発想が出てくるお前が怖えよ。普通街まで送り帰そうとするだろ」

「ですがこの少女、多分もう諦めませんよね? 何度追い返してもここまでやって来ますよ?」

 

 暗に、ここで街に返しても死ぬだけだとアセリアは言う。そしてそれはヴィントも同じ考えだった。ルリレラがこの森を抜けて自分の屋敷まで辿り着ける実力者ならば話は変わるが、そもそもそれなら今日あんなところで死にかけてはいない。

 

 ルリレラにとってこの森の奥に住む師範を訪ねる事は、最後の手段だったに違いない。そしてそこで命の危機に颯爽と現れ、助け、屋敷で手当てまでしてくれる望みの人物。当事者であった彼女にとっては正に物語の一幕、運命にも思えたことだろう。

 

「安易に助けて、余計な希望を見せるからこうなるんですよ。自業自得ですね」

「ぐっ……」

「大体いつもいつもご主人様は甘いんですよ。だから余計なトラブルに巻き込まれて、口ではぶっきらぼうな事を言いながら色んな女の子助けて、惚れられて……もしかして狙ってるんですか?」

「狙ってねえよ! つうか別に惚れられてねえし!」

「私は惚れ、いや愛してますよ?」

「ありがとよ!」

 

 色々追究したいことのあるヴィントだが、藪蛇になりそうだったのでそこで無理やり会話を終わらせる。

 

「とにかく、こいつを街へ送ってこい! ダーナにでも渡しときゃあ、あとはアイツが勝手に何とかするだろ!」

「そうして自分専用の娼婦に育て上げようと。流石はご主人様、計画的ですね!」

「なんで間髪入れずにそういう返事が出来んだよお前はよぉ! いいからさっさと持って行け!」

「はいはい……どうせ無駄だと思いますけどねぇ」

 

 ひょいっとアセリアはルリレラの首根っこを持つと、そのまま屋敷の外へと出ていく。

 

 それを見送ってようやく一息吐けたヴィントは、深くソファへと腰かけた。

 

「はあ、ようやく行ったか」

「ただいま帰りました」

「早えなぁおい!」

「転移魔術は得意ですから。あ、ところでご主人様、一応ダーナさんに渡しましたけど、多分無駄に終わると思いますよ」

 

 ――ダーナさん、まるで良い物を見つけたと言わんばかりに目を輝かせていましたから。 

 

 そんなアセリアの言葉に、ヴィントは頬を引き攣らせる事しか出来なかった。

 

 

 

 それから数日後――

 

「師匠! おはようございます!」

「帰れ」

 

 一週間後――

 

「師範! 今日は絶好の修行日和ですね!」

「アセリア、捨てて来い!」

 

 二週間後――

 

「ヴィント、私を弟子にしなさい!」

「今度は何なんだよお前は……」

「ダ、ダーナさんがヴィントはドMだから強気で行けば何とかなるって……ご、ごめんなさい!」

「謝るなら最初からすんなって……」

 

 三週間後――

 

「お兄ちゃん朝だよ、起きて」

「………………」

「起きないなら、悪戯しちゃうよ?」

「アセリアァァァ! これお前だろ教えたのぉぉぉ!」

 

 そして一か月後――

 

「……来ねえな」

「何ですか。もしかして期待してたんですかご主人様? もしそうだとしたらちょっと性癖が歪んでるかと思いますが」

「してねえよ! つかマジ口悪いなお前!」

 

 とはいえ、毎週毎週さまざまな趣旨趣向を持ってやって来るルリレラが、この森で半引き込もり状態のヴィントの生活に刺激を与えてくれていたのは間違いない。

 

 そもそもこの危険な森を超えてやってくるルリレラの根性だけは認めてやってもいいと思っていたのだ。もし今日もう一度来るなら、ちょっとくらい話を聞いてやってもいいとさえ思っていた。

 

「色々ダーナさんに吹き込まれていたみたいですけど、流石にそろそろネタ切れですし、いい加減諦めたのかもしれませんね」

「……ああ」

「あ、意外とショック受けてる。ちょっと可愛いです」

「受けてねえよ! だいたいまだ昼だろ!? 夕方くらいに突然やって来ても驚かねえよ!」

 

 だが、その日は日が暮れ始めてもルリレラがやって来ることはなかった。

 

 ヴィントは窓の外を眺める。ポツポツと雨が降り始め、この森の魔物達も自分達の巣へと戻っているころだろう。

 

 別に期待していた訳ではない。元々弟子など取る気なんて元々なかったし、相手はただちょっと関わっただけの、通りすがりの少女でしかないのだ。

 

 だがそれでも、あの必死さと真っ直ぐな瞳は、かつての自分を思い出させる。ただ、それだけだ。

 

 ――コンコン

 

 そう思いに耽っていると、屋敷の扉から控えめなノックが聞こえてきた。

 

 アセリアは夕食を作っているため、近くにいない。仕方ないと扉に向かう。

 

 期待などしていない。弟子などという煩わしい存在、欲しいとも思った事もない。

 

 ヴィントがそっと扉を開ける。そこにはびしょ濡れになったルリレラがいた。

 

 ルリレラは何も言わない。ただじっと、ヴィントを見上げてくる。身に付けているのは白いシャツの上から羽織られた紺のローブに緋色のスカート。この街でよく見かける魔術学園の制服だ。

 

 これまでと変わらない格好。だが一つだけ異なる点をあげるなら、その胸には一つの華が添えられていた。

 

 それは、魔術学園卒業の証。彼女は今日、魔術学園を卒業したのだ。それがどういう意味を持つのか、ヴィントにわからないはずがなかった。

 

 だがだからと言って、優しくしてやる道理はない。何故なら彼女は今、自分の意志でここにいるのだ。ならば、その意思を貫かせなければならない。

 

 それが、魔術師としての根源の強さなのだから。

 

「おいルリレラ。黙ってないで、言いたい事があるならはっきり言え」

「――っ!」

 

 その言葉にルリレラは怯えた顔を見せる。だがヴィントはそれに対して何も言わない。ただ無言で見下ろす。

 

「お、お願いします……」

「ああ? 雨の音がうるさくて聞こえねぇなぁ!」

「っ! お願いします! お願いします! 雑用でも何でもします! 私には夢があります! 私は王宮魔術師になるんです! 魔術を使えない私を捨てた父を見返すために! そして、そんな私を生んでしまったがゆえに迫害された母が間違っていなかった事を証明するために! だから、だからお願いします! 私を、私を弟子にしてください!」

 

 外の雨が一層強くなり、豪雨となって大きな音を立てる。だがルリレラの声はそんな雨に負けないほど大きく、そして力強いものだった。

 

 それは初めて聞いた、ルリレラの本心。彼女の生い立ち。別にそれを聞いたからと言って心が動かされるわけではない。だがそれでも、そんな生き方をしている者を放っておけるほど、ヴィントの性格は歪んではいなかった。

 

「お願いします! お願いします! お願いします!」

「……もういい」

「――あ」

 

 雨の中土下座し、喉が枯れてしまうほど声を出し続けるルリレラの肩を掴むと、無理やり立たせる。そして、雨と涙でぐしゃぐしゃになったその顔を真っ直ぐ見据えた。

 

「なんつー顔してやがる……」

「だって、だっでぇぇ」

 

 ここまで全ての流派に断れ続け、魔術学園を卒業してしまった。これから彼女の生きる未来は一気に選択肢が狭まる。もっと言えば、王宮魔術師という道は、完全に閉ざされたことになるのだ。

 

 それがルリレラの心を締め付け、我慢しようにも涙は流れ感情は抑えきれない。

 

 そんな情けない顔をしたルリレラに、ヴィントは大きく溜息を吐いた。それはこれまでの自分の言動と、これから行う事に対する溜息だ。ルリレラの顔をハンカチで拭いてやり、しっかり目を合わせる。

 

「いいかルリレラよく聞け」

「……ぐず、はい。もういい加減諦めます。この一ヶ月、ご迷惑をお掛けしました。もう二度とここには来ませ――」

「俺の弟子になるなら、半端な事は許さねえからな。父親だけじゃねえぞ。たかが魔術を使えない程度で馬鹿にしてきたこの世の全ての奴らを見返すくらい強くなれ! それで、お前を生んだ母親こそ偉大だと大きな声で張り上げろ!」

「んから……え?」

「聞こえなかったか? 弟子にしてやるって言ってんだ! 返事はどうした!?」

「――っぅ! ハイ!」 

「わかったならさっさと入れ! いつまでびしょ濡れで玄関前にいるつもりだ! 風邪引いたらどうすんだテメェ!」

 

 ルリレラの腕を掴み、家の中へと居れる。玄関先が濡れるが、掃除はアセリアがするから問題ない。

 

「あ、あの……ありがとうございます! 私、一生懸命頑張りますから!」

「んな当たり前のことはいいんだよ! アセリア!」

「はい、ここに」

「近いなおい!?」

 

 振り返りながら台所にいるアセリアを呼んだはずが、目の前にいて驚く。その手には柔らかく白いタオルがあり、言いたいことは分かっているという表情で笑っていた。

 

 若干イラッとするが、今は彼女に構っている暇はない。ヴィントはタオルを受け取ると、それをルリレラの顔に投げる。

 

「わっ!」

「おら、そこの通路曲がったとこに風呂があるから、入ってこい。話は全部それからだ」

「は、はい!」

 

 ぽたぽたと滴を垂らしながら速足で風呂場に向かうルリレラを見送り、ようやく一息つける。そう思っていたが、アセリアが珍しく満足げな表情で笑っていたのを見て、気を引き締めざる得なかった。

 

「ほら、言った通り無駄に終わりました。まったく、ご主人様は甘いんです。あんな状況の少女を放っておけるわけないんですよ。私はわかってましたからねぇ」

「うっせぇよ」

「あーあ、これでご主人様を独占出来なくなりました。どうしてくれるんですか?」

「その割には結構嬉しそうじゃねえか。そういやテメェ、何度か手引きしてやがったな」

「……ま、そうですね。ああいうの、意外と嫌いじゃないのかもしれないです」

 

 ――初めて知りましたけど。

 

 そう言葉を続けながら、アセリアは再び台所に向かって行く。珍しく、鼻歌なんて歌いながら。

 

 不意に、外の雨音が聞こえなくなっていたことに気付く。窓の外を見ると、雲は晴れ大きな満月が辺りを照らしていた。

 

 ――そういえば、と思い出す。

 

 かつて聖女は己の力を自覚していなかった時、その感情と共に天候を変動させたと言われている。あれだけの大雨から一転して不自然なほど雲一つない満天の空。そして普通ではありえない、歪な魔力の流れのせいで魔術を使えないルリレラ。

 

「……まさか、な」

 

 聖女など、もう五百年も前のお伽噺レベルの事だ。ただの偶然だろうとヴィントは結論付ける。こんな妄想に耽るなど自分らしくもない。

 

 それにしても――

 

「ああ畜生。アセリアといい、ルリレラといい、これからうるさい日が続きそうだ」

 

 そんな悪態を吐きながらもその実、窓に映る自分の顔が嬉しそうに笑っている事に、ヴィントはまだ気付いていなかった。

 

 

 

 これより先の話。魔王が復活したときに最前線で戦うのは、とある流派の三人だったが、それとこの話が繋がっているかは、まだ誰も知らない未来であったとさ。




ここまで読んでくださりありがとうございます!

この作品はここまでですが、これを元に書いた『正しい弟子の育てかた!』を連載しています!
漫画の読み切りと連載くらいの違いがあります!

これを気に入ってくださった方なら恐らく楽しんでもらえると思うので、ぜひ読んでみて下さい!





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