病みつきKAN-SEN   作:勠b

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「あの下僕は何がしたいのよ」

「あの下僕は何がしたいのよ」

 

 彼女、クイーンエリザベスの呆れた声が静かな部屋に響く。

 隣で聞いていたウォースパイトもまた、今回の顛末に呆れた顔を見せていた。

 そんな二人の前で膝をつくベルファストだけは、内心溢れる嬉々とした気持ちを隠しきれずに口元に薄っすらと笑みが見えていた。

 

 秘書艦を変えてほしい

 そんな自身の一言から始まった騒動は、望む結末とは言わないまでも充分に妥協出来る程度にはいい結末を迎えたからだ。

 秘書艦を変えることはしないが、枠を増やすことにする。

 結局はそんな結論で終え、その増えた場所はベルファストが収まることになる。

 

 眼の前の女王同様に仕える主の傍でこれからの日々を過ごすという未来は、彼女には充分過ぎる幸福な未来であった。

 

「‥‥まぁ、結局はロイヤルメイドがあいつの面倒を見ることになったのは良い事なんだけど」

 

 納得したような口振りだが、クイーンエリザベスはその不満そうな顔を隠す気はない。

 演習の結果で秘書艦を決めるという話が決まり、彼女はそれに対して未来を見据えていた。

 今迄の演習では、ロイヤルがこの母港でも強さを見せていたからだ。

 次点のユニオンに負ける事もあったが、勝率で言えば大差つかないが此方に分がある。

 今迄通りに挑めば、きっと自身の何れかの部下がその席に座ると見据えていた。

 

 しかし、現実は違う。

 

 今迄真っ先に挑まれてきた鉄血を撃退してから次の敵を見据えていた。

それはユニオンだった。

 彼女達も自分達のように挑んできた重桜相手にケリを着けていたのだ。

演習ではそんな流れが既に出来ており、誰もがそう思っていた。

 ユニオンとロイヤルの皆は。

 

「‥‥‥‥」

 

 彼女が演習での出来事を思い返すと、その不満げな顔はより色を増す。

 それを見たウォースパイトも主の考えを察して気まずそうに顔を背ける。

 

 初めての経験だった。

 海域での本戦でも見せられなかった程の圧倒的な力の差を見せつけられたのは。

 前衛にいた艦船達は殆どなんの成果も上げられずに沈み、主力として、主の傍に立ち守るための剣として佇んでいた自身もまたその力の前に沈んでしまった。

 

 オールドレディと他称され、自身もその渾名を用いるのは自信の顕れからだ。

 数々の戦場を経験し周りと比べても長い艦歴を持つ自分の呼称に相応しいと思っている。

 そのプライドを傷つけるには充分すぎるような出来事に言葉が出ない。

 

 結果だけ見てしまえば、増やした枠にはベルファストが入ることになった。

 元からの枠は、変わらずシリアスが務める事にもなる。

 何ら変わらないどころか、ロイヤルがより指揮官の傍を固める形になり喜ばしい事。

 しかし、ベルファストを除いてそれを喜ぶものはいない。

 彼女の横で未だに頭を下げ、口を開こうとしない者もその顔に感情は顕れていなかった。

 そんな彼女を見てクイーンエリザベスは言った。

 

「で、シリアスはどんな手を使って秘書艦に戻ったのかしら」

 

 名前を呼ばれて初めてその顔を上げる。

 クイーンエリザベスの目を見て、一度逸らしてしまう。

 自身の行いに恥ずべきことがあったのは確かだ。

 だが、陛下にそれを聞かれた以上は隠すことはできない。

 視線を戻してから、彼女は自らの主人への行いを口にする。

 

 早めに帰ってきた彼が、わざわざ自室まで来てくれたことを。

 疲れた主が横になって休んだ事を。

 邪な気持ちがあった事は流石に隠し、服にしわが着くことを恐れたと名分を作ってその服を脱がそうとした事を。

 その話の時にベルファストは明らかに不機嫌になったが、その気持ちはすぐに逸れる。

 

 主人の首元に、誰かのキスマークが付いていたという事実に皆が絶句した。

 

「本当に、あの馬鹿下僕はなにをやってるのよ!!」

 

 直ぐに口を開いたのはクイーンエリザベスだ。

 怒りに湧いた力を足に込めて地面を蹴り上げるように椅子から立ち上がる。

 優雅とは程遠い振る舞いと共にその感情をぶつけていく。

 

「本部で仕事をするって言うから見送ってやったのに! 

 女と遊ぶのが仕事ってわけなの!!」

 

 当てる宛がいない矛先をシリアスに向ける。

 それを言われたところで、彼女は何も言えない。

 静かに聞くことでその怒りが落ち着くならと傾聴する。

 

「誰が私の下僕に手を付けたわけ!! 

 そんなやつ、処刑よ!」

「相手に関しては尋ねましたがわからないと仰られてしまい」 

「何よっ! 

 遊んだ女は名前も知らない奴って事なの!!」

 

 収まるどころが増していく感情。

 ウォースパイトも収めようと考えはするが、彼女もまたその相手が気になって仕方がない。

 ベルファストも同じ気持ちだ。

 2人は共にこのまま陛下が直接向かった方が知ることが出来るのではないかという考えに至ると鎮めようという気持ちが少し薄れる。

 

「もういいわっ!! 私が直接聞いてくる!!」

 

 2人の願いを聞いたかのように言うと、その小さな足が大きく前へと運ばれる。

 しかし、二の足が出る前にシリアスは言った。

 

「今回はローンさんと共に本部に行かれたとの事です。

 話を聞くと、夜間も彼女と同室で過ごされたそうで……。

 緊張で余り眠れなかったと言われていましたが、ご主人様は少しはそこで休まれたとも話されていました」

「なら、犯人は鉄血の新顔なのね」

「……可能性が高いのは、彼女かと思います」

 

 鉄血の言葉を出して益々機嫌が悪くなる。

 歩みを戻して椅子に乱暴に座ると、組んだ足を指で軽く突いていく。

 不規則なペースで音も出ないが、その姿を見ただけで怒りを感じる程にはわかりやすかった。

 

「本当になんなのよっ!!」

 

 演習では散々な結果を送られた。

 自身の部下達が不甲斐ない結果を叩きつけられたのを目の当たりにした。

 そして、その演習の裏では指揮官にキスマークを付ける。

 まるで、自分達の所有物だと言われていると思うと腹の虫が居所を失う。

 

「……それで、シリアスはどうして秘書艦に戻れたのかしら?」

 

 聞きたいことを聞けたウォースパイト。

 ウォースパイトもまた主と同じ気持ちではあるが、その感情を陛下の前で見せるわけにもいかない。

 話を変え、自身を落ち着かせる為にも次へと促す。

 

「……それを見てしまい、気が動転してしまって思わずご主人様を突き飛ばしてしまいました」

 

 申し訳無さそうに呟く。

 それを聞くベルファストは眉をピクリと一瞬動かす。

 喉元まで咎める言葉が出てきたが今は抑える。

 陛下の手前で、粗相を犯すことはメイドとして許されない。

 言及も仕置も後で行えばいいだけの話だと言い聞かせる。

 

「ふんっ!! いいざまね!! 

 よくやったわシリアス」

 

 それを聞いてクイーンエリザベスは少しだけ機嫌を良くすると続けた。

 

私達(ロイヤル)以外の艦船に粗相を犯したんだからいい躾よ!! 

 せっかく人員を割いてまで世話をしてやってるのに、他の奴らに目移りされたら困るわ!!」

 

 指揮官自身は何もしていない。

 そんな事は彼女もわかっているが、やはり許せない。

 例え一方的にされた事だとしても、彼自身が気づいていなかったとしても──。

 他の陣営に勝手を許したのは自分のミスなのだからと責め立てた。

 

「……まぁ、指揮官にした事は置いといてその後はどうしたの?」

 

 ウォースパイトはこの中で1人悩んでいる。

 シリアスの様に後悔する理由もないが、クイーンエリザベスのように当然の報いだと喜ぶ気持ちもある。一方で、ベルファストのようにシリアスが主に手を上げた事に対する怒りも少しはあるのだ。

 複雑な気持ちだが、それらを決めるのは今後で良い。

 話を聞き終えた後に、指揮官をどう思うかは決めればいいのだから。

 

「その後は、秘書艦を外れたくないと我儘を口にしてしまいました。

 シリアスは誇らしきご主人様のお傍を離れたくない、と。

 そう口にしたら、心優しきご主人様が何とかすると言っていただけたのです」

 

 最後は嬉しそうに話した。

 笑いながら自身を求めてくれた主の顔が思い出すと不思議と笑みが漏れてしまう。

 多少ぎこちなさも感じたが、それは気のせいだろうと補完する。

 無意識に、勝手な修正を加えていた。

 

「で、下僕は何とかして秘書艦をシリアスのままにしたの?」

「何をしたかまでは聞いておりませんが、ビスマルク様と話した結果そうなったと言われておりました」

「……そう」

 

 結果だけ見ればロイヤルは勝ち組だ。

 演習には確かに負けたが、大切なのは指揮官の傍を固める事。

 それが今後において最も比重が置かれる。

 

 それは、鉄血も同じはずだ。

 指揮官の傍に居られる機会をわざわざ放った事に意味があるのだろうか。

 それに、演習で見せつけられた圧倒的な力の差も。

 

 本人達はここ最近の海域での戦闘で経験の差が開いたと言っていたが、それだけでは説明できない何かを感じていた。

 重桜に負けたユニオン達も皆何か疑問を抱いていた。

 その力に不思議な違和感を。

 口に出来るほど明確ではなく、自分達が負けた言い訳と思われるのはプライドが許さないためおおっぴらに口には出来ないが。

 

「……まぁ、今は考えても仕方ないことね」

 

 誰にも聞かれないように呟きつつ一度思考を止める。

 例え眼前の壁がどのような大きさだろうと、自身の優秀な部下達ならば超えられる。

 そう信じて彼女は止まらない。

 

「ウォースパイト」

 

 彼女の名を呼ぶが、その視線はその先にあるテーブルに向かれていた。

 窓際に置かれたそれは、夕焼け空に照らされて鈍く輝く。

 だからこそ輝かない一枚のメールがその存在感を確かにさせていた。

 

「……はい」

 

 視線の先にあるものを彼女はわかっていた。

 いや、彼女にしかわからない。

 メイド長としてメイド隊を束ねているベルファストも、指揮官の傍に長くいるシリアスもその中身は欠片も知らせていない。

 知っているのは、自分の忠実な部下であり最も信頼している彼女唯一人。

 その中身を他の艦船達に知らせるわけにはいかない。

 ウォースパイトはその視線に対してその身を傅かせて忠誠を見せる。

 それだけで、クイーンエリザベスは満足気に微笑み頷いた。

 

「ベル、暫く他のメイド隊にも指揮官の世話をさせなさい」

「僭越ながら、ご主人様にはベルファストが付いております。

 他のメイド達が居なくとも当面は不便はないかと思われますが」

「いいから! 

 あいつが何も不満を覚えないよう、全てにおいて満足させるようなサービスを徹底的にさせなさい!! 

 ニューカッスルと相談して、具体的な形にしといて頂戴」

「……かしこまりました」

 

 渋々といった様に一礼しその指示を受けた。

 その仕草を見終え、隣に立つシリアスへと移る。

 

「シリアス、あなたはもっとあいつの傍にいて頂戴。

 今後あなたにはきっと、今迄以上に他所から厳しい事を言われるわ。

 わざわざ指揮官がその言葉を曲げてまであなたを秘書艦にしたんですもの、他所からは疎ましく見えるでしょうね。

 でも、そんな奴らの事なんて何も気にしなくていわ。

 あなたは誇り高いロイヤルのメイドの一員。

 秘書艦にも成るべくして成ったと思いなさいっ! 

 一々負け犬の遠吠えを聞いていてもきりがないわ!!」

 

「今後とも誇らしきご主人様の傍に居られる様に精進致します」

 

 シリアスもまた、ベルファストのように一礼する。

 ベルファストのような優雅に魅せるようにとは言わないが、少しでもそれらしく見せようと努力をした形跡が伺える。

 それは、ここに来る前のシリアスを知っているロイヤル艦船達には微笑ましく見えた。

 誇らしいと称する主の為に、その傍に居られるためにと必死にメイドとしての責務をこなそうと努める姿を。

 実を伴っていないとはいえ、その姿を指揮官に見せるだけでも良い。

 その努力する姿をきっと、あの指揮官は評価するとクイーンエリザベスは思っていた。

 

「あいつは私達のモノよ」

 

 今度の呟きは傍にいるウォースパイトにも聞こえた。

 だからこそ、小さな頷きと共に応える。

 

「他の艦船達にも経験を積ませるために、海域見回りの強化として出撃機会、ロイヤル間の演習増加を指揮官に伝えておきます。

 栄えあるロイヤルネイビーとして、次は無様な結果を出さないように私も鍛錬に励まないと」

「そうね」

 

 ウォースパイトの言葉に頷いて返す。

 

「私達栄光あるロイヤルは欲しい物は必ず手に入れるわっ!! 

 それも、向こうから寄ってくるような輝きを持ってして。

 一流のメイド達による奉仕に、一流の艦船達による戦歴。

 次の演習では、あんな惨めな真似はさせないことを余所者たちに見せつけなさい!! 

 そして、あの馬鹿下僕にロイヤルこそがこの母港で必要な存在だと思いしらせるのよ!!」

 

 その号令と共にクイーンエリザベスは再び立ち上がる。

 視線の端で捉えたその手紙に誓うように呟く。

 

「誰にもあいつは渡さない。触れさせすらしない。

 あいつは、私達が貰うんだから」

 

 それが、ロイヤルの為になると彼女は信じて疑わなかった。

 

 

 

 

 

 

「キスで満足するって、まるでおこちゃまじゃないの」

 

 話を聞いてからかうように笑いながら彼女、プリンツ・オイゲンは少し呆れた声で言った。

 話し相手であるビスマルクはその言葉に笑う。

 

「好きな相手にキスをされたら、誰だって満足するものじゃないかしら?」

 

 言葉でこそ反論するが、おこちゃま扱いにバツが悪い。

 普段仕事に使うテーブルへと視線を反らして逃げる。

 月明かりに照らされたテーブルには、明日の分にと仕分けた書類と共に普段被っている帽子が照らされていた。

 その明かりにこれも照らすようにと、プリンツ・オイゲンは手にしたジョッキを伸ばす。

 中に入ったビールが振動で零れそうになるのを見ると、慌てて口元に寄せて軽く含んだ。

 

「されたらっていうかさせたの間違いじゃない」

「……私はされた側だ」

「はいはい」

 

 友人の少しムッとした顔にクスクスと笑みが溢れた。

 キスをするのではなくさせた事に拘りを見せるその姿が益々子供に見えて愛らしい。

 

「でも、私だったらもっと過激なお願いをしたのに」

 

 酒も良い感じに回り軽くなった口から出た言葉にビスマルクは笑う。

 

「過激なお願いなんてしたら、嫌われるかもしれないわ」

「やり方があるのよ。

 女として見てほしいなら、もっと上手くやらないと」

「……そういうものか?」

 

 肩をすくめるビスマルクに対して、その豊満な自身の胸をプリンツ・オイゲンは寄せる。

 同じ女性の形をしたビスマルクから見たら、邪魔な物と思っていたが今はそれが羨ましく思えてしまう。

 

「どんな場面でも武器は必要よ。

 戦場でも、恋愛でもね。

 相手は何時だって1人とは限らないんだから、自分だけの得意な得物を把握しておかないとね」

「オイゲンはその胸が得物なのかしら」

「当然、生まれ持ったものは有効に使わないともったいないわ」

 

 今度はプリンツ・オイゲンが肩をすくめた。

 

「ビスマルクももっと魅力を出さないと、他の艦船に取られちゃうかもしれないわよ」

「……それは困るわね。

 彼にはまだ知って欲しいこともやってほしいことも沢山ある。

 まだ私は全く満たされてないわ。

 この乾きや飢えに似た感触を取り払ってくれるまで、指揮官を取られるのはお断りよ」

「そう」

 

 短い返事の後に再びビールを一口含む。

 自身の喉の乾きは直ぐに満たされるが、目の前の相手はそう簡単にはいかないらしい。

 真似るように口に含んではいるが、こんなものでは乾きは拭えないのだろう。

 

「なら、尚更秘書艦を下りることなかったじゃない」

「…………」

 

 その言葉に返事はない。

 

「秘書艦として傍にいたほうが、もっと距離を詰められたでしょ。

 そうすれば、もっと自然な距離で好き合えたのに。

 それに私も、あなたが秘書艦でいてくれた方が自然と指揮官に会えるから嬉しかったのに」

 

 残念そうに呟きつつもその口元は笑っていた。

 ビスマルクはからかう様な言葉に対して、今度は付き合う素振りは見せない。

 真剣な眼差しは再びテーブルへと向かっていた。

 

「……時間がないんだ」

「まぁ、でしょうね」

 

 プリンツ・オイゲンは静かに目を閉じた。

 事を急いては仕損じる。

 そんな言葉があるが、物事は慎重に進められるほどいつも簡単ではない。

 大抵の事には、必ずリミットが設けられる。

 唐突に、突然に。

 

「自然に距離を詰めるのには時間が掛かりすぎるし結果が見えない。

 だったら、印象に残る終わり方にした方がいいでしょう? 

 それに、困った彼を助けた事もきっと強く印象に残るはずよ」

「あなたがそこまで恋愛に考えが回るなんて珍しいわね」

「……女狐の入れ知恵よ」

 

 女狐と言われプリンツ・オイゲンは目を細める。

 そんな表現を鉄血の艦船達には決してしない。

 皆を大切に思う彼女なら、決して。

 狐の正体に何となくの当たりをつけると一気に気分が悪くなる。

 

「今回の一件は、彼を困らせただけの茶番劇だったのかしら?」

「そうなったのか、そうしたのかはわからないわ。

 でも、火付け役はロイヤルメイド。

 私達は彼を困らせた彼女達を窘めただけよ。

 その案を教えて叶えてあげただけ」

「……そう」

 

 それを聞きまだ半分以上入ったビールを一気に口に流し込む。

 最後の一滴まで飲み干すと、ジョッキをそっと机に戻した。

 それは、もう終わりという合図だ。

 

「まぁ、指揮官を困らせるのはいけないことよね。

 人気者の彼はただでさえ大忙しなのだから。

 私達のような理解者がきちんと面倒を見てあげないと」

「そうね。

 手綱は常に握っておかないといつか面倒事になるに違いないわ」

 

 互いの気持ちを確認し合うと、プリンツ・オイゲンは立ち上がる。

 それを見て、ビスマルクのジョッキも空になった。

 

「彼にはわかってもらわないといけないわ。

 この世界には必要なものが決まっている事に。

 不必要な存在にまで手を広げたら、余計な足枷になってしまう事に」

「そうね。

 取捨選択を迫られた時に大切な物をすぐに思い出せるように私達が助けてあげないといけないわ。

 冷酷な判断を出来ない彼に、私達が答えを事前に教えておかないといけない」

「鉄血には、指揮官が必要な存在よね」

「そうね、必要なものは守ってみせるわ。

 もう失ってばかりは嫌だもの。

『この世界』でぐらい幸福を守りたいものね」

 

 互いの意識が揃った事に対して不思議と二人揃って微笑み合う。

 互いの顔を見て最後、プリンツ・オイゲンは部屋から出ていった。

 

 扉が閉まる音が響く。

 静かな部屋に反響した音が消えると、ビスマルクは小さく呟いた。

 

「……守りたいモノの幸せのために、私達はなんだってするわ。

 鉄血の皆もそう言ってくれてる。

 私達だけは、何時までも貴方の味方よ。

 指揮官

 あなたは誰の味方なのかしら?」

 

 そんな呟きを言い終えると、再び扉が開く。

 誰か来たかと少し警戒した視線を向けるが、扉の隙間からひょこっと顔を覗かせたその笑みに緊張の糸が解けた。

 

「……ローンか、どうした」

 

 名前を呼ばれるとローンはそっと部屋に入る。

 手にした大きな封筒を彼女に見せびらかす様に手前に持っていた。

 その中身に見当が付かないビスマルク。

 中身を尋ねる前に、と彼女を自分の対面に座らせるように促した。

 

「ふふふっ、ありがとうございます」

 

 笑みを崩さず案内された席に座ると、目の前の空のジョッキに目が行った。

 自分の前に置かれたそれと、ビスマルクの前に置かれたものに。

 

「誰かと飲まれていたんですか?」

「あぁ、オイゲンと少しね」

「珍しいですね、ビスマルクさんが飲まれるなんて」

「今日は良い事があったから、その祝に飲もうと誘われたの」

 

 友人の飲みのだしに使われただけだが、久々のお酒というのもあり短いながらも楽しい時間を過ごせたと彼女は感じていた。

 今日は楽しい事が多くあった。

 その最後になろうイベントが楽しくなる事に期待を寄せつつ、視線を封筒へと向けた。

 

「あぁ、これですか。

 向こうにいた重桜の艦船がビスマルクさんに渡してくれと渡されたんですよ〜」

「重桜の艦船からね」

「はい、とても古い型でしたので艦歴が長い方なんだと思いますよ。

 なんでも、指揮官の昔からの知り合いだそうです」

「……そう、彼の知り合いね」

 

 誰が送ってきたかにビスマルクは興味がなく流し聞きをする。

 重要なのは、重桜の艦船がローンを通じて送ってきたこと。

 公的な手段ではなく、人伝いに渡してきたような書類。

 封を開けると、中から数十枚の紙が出てきた。

 どれも両面一杯に文字が刻まれたその膨大な量に酔いが覚める。

 

「…………」

 

 どうやら楽しいことではなさそうだ。

 そんな思いに辟易としながらも最初から順に目を通していく。

 

「そういえば、あの人今日も指揮官とお会いしたそうですよ。

 わざわざ私を置いて母港に返しちゃったんですよ……。

 せっかくなら、帰りの船旅も楽しく帰りたかったんですけどね」

 

 ローンの言葉に返事もしない。

 彼女が話し終える頃にはビスマルクはもうその書面に夢中になっていた。

 そんな彼女の真顔に目を細めつつ、楽しそうに微笑みながらローンは1人続けた。

 

「これ、他の艦船達に見せたらいけませんよ?」

「……見せたらきっと暴動が起きるでしょうね」

 

 その言葉に反応するとビスマルクは顔を上げて書類を封筒に戻した。

 その顔にはもう、楽しさの欠片もない。

 

「量が量ね。

 時間をかけてゆっくり見させてもらうわ」

「そうしてください。

 当面は、ビスマルクさんと重桜の艦船の何名かにだけ知らせる話だそうですよ」

「……重桜の艦船は知ってるのがいるのね」

「ですから、向こうはユニオンやロイヤルが嫌いなのかもしれませんね〜

 無理矢理奪ってこんな事してるんですから」

 

 そう言ってローンはクスクスと笑った。

 彼女が何に笑っているのか気になるビスマルク。

 先程の自分もこのように笑っていたのだろう。

 そして、それは尋ねられても素直に皆に話せるかと言われればそうでもない。

 キスをされただけで浮かれているなど、余り多くの艦船には言えない。

 プリンツ・オイゲンのようにからかうのもいれば、自分の行いに苛立つモノもいるだろうから。

 応えられなければ答えてくれなくてもいい。

 そう思いつつ尋ねてみた。

 

「そんなに楽しいものかしら?」

 

 その疑問にローンは口元を手で隠す。

 手で隠していない目は、楽しげな表情を映したままだが。

 

「いえ、これからきっと楽しくなると考えると思わず……。

 すいません、これの中身が楽しいと思ったわけじゃないんですよ〜」

 

 自分でも隠しきれていないと察し、ローンは一度目を閉じる。

 再び開けた時には、感情を隠すように無理をしていた。

 

「こんな、指揮官が本部でどんな扱いを受けていたかなんて……知った所で、喜ぶ私じゃありませんから」

 

 指揮官と呼ばれる彼が、どんな扱いを受けてきたか等ビスマルクは知る由もない。

 なかった。

 しかし、報告書の始まりを読んだだけで何となくの察しはついた。

 セイレーンの関係者の疑い、等という一文だけで。

 監禁した等という物騒な言葉も視界の隅で見えていた。

 ただ、中身が気になるのも事実。

 自分が止めた先には彼が関係者と疑われる理由についての記述があったからだ。

 指揮官という人間をよく知るためにも、中身は把握しなければいけない。

 

 中身は時間を重ねて読むことになるだろう。

 これを読みながら、自分の気持ちをより固めなければいけない。

 ついさっき口にした、彼を守るという気持ちを。

 そのために、何をするかをより明確にしなければならない。

 

「……ふふふっ、いっぱい敵が出来たら私もこんな平和な世界で退屈しなくてもいいですもんね」

 

 そんなローンの小さな呟きは、考えに没頭していたビスマルクには届かなかった。

 

 

 

 

 

 

 秘書艦を変えてください

 

 そんな言葉で始まった騒動が終わった。

 その翌日、俺は当たり前のように部屋にいるメイドの膝枕で起こされてしまう。

 

 秘書艦の枠を増やす

 そんな強引のような、解決とすら言えない手段で幕を閉じた騒動に当然皆納得がいかない。

 

 朝から行列と共に色んな艦船達が俺と、いや、殆どがシリアスとベルファストに向かって強い言葉が部屋に響く。

 仕事どころの騒ぎじゃない。

 

 そんな艦船達に俺は、秘書艦を増やして仕事を減らして皆ともっと会えるようにする、シリアスが秘書艦のままなのはビスマルクには鉄血を纒めて貰ってて忙しいから、と同じ言葉を何度も口にした。

 それに対する反応は様々だ。

 

 納得行かないが渋々引き下がる艦船

 怒りをぶつけて止まない艦船

 やっぱり秘書艦はシリアスから変えてくれないのだと涙ながらに訴える艦船

 …………

 本当に、皆違った反応を見してくれる。

 

 まるで、本当に色んな人を相手にしているようだ。

 …………

 

 また1人、勢いよく扉を開けて入ってきた艦船がきた。

 今度の彼女も凄く怒っている。

 怒声を浴びながら、今日だけで何十回と言い続けた言葉を言う。

 そこに不満はない。

 結局、俺が何をしたかったかなんて俺自身わかっていないのだから。

 変えるとか変えないとか、やっぱり増やしましたなんて……。

 本当に、俺は何がしたかったのだろうか。

 

 困った時に手を差し伸べてくれる艦船が居ることだけが救いなのかもしれない。

 困らせるのも艦船なんだけど。

 

 ようやく彼女の怒りが収まってきた。

 俺は言い慣れた謝罪の言葉を重ねる。

 

 人の姿をした彼女。

 人の姿をしているだけで、人間ではない。

 でも、人間のように感情を持ち思考をする。

 本当に人のようだ。

 でも、人ではない。

 

 なら、人と艦船の違いは何だろうか? 

 簡単だ。

 戦えるか、戦えないか。

 

 幼児のような艦船にさえ、俺は勝つことは出来ないだろう。

 根本的に出来が違うのだ。

 だから、人じゃない。

 

 そう思う気持ちもありつつ、でも、人として接さないとと思いつつ……。

 人ではない、化け物かもしれない存在。

 セイレーンという化け物の力から生まれた存在を。

 俺は、今日も大切にしなければならない。

 

 ようやく帰った彼女の背を見て、テーブルに置かれたコーヒーを一口含む。

 エグみを感じる甘さが、油断していた俺を襲う。

 吹き出しそうになったのを耐えれたのは、ベルファストが俺をじっと見ていたからだ。

 彼女に悟られないように笑みを作って飲み込んだ。

 

 紅茶を差し入れしてくれたシリアスは、ベルファストの顔色を伺いつつ俺に視線を向けてくる。

 あぁ、甘いのが飲みたいってリクエストしたっけ。

 ……本当に、何がしたいんだろう。

 

 自分自身に呆れつつも、「ありがとう」と伝えた。

 それだけで、嬉しそうに微笑むシリアス。

 

 …………あぁ

 

 何故だろうか。

 艦船達を振り回し、振り回された後だからだろうか。

 不思議と、気持ちが戻ってしまう。

 ここで過ごすと覚悟を決めるより前の自分に。

 

 今だけだ。

 

 そう思いつつ、紅茶を再び口に含む。

 

 きっと、時間が経てば忘れるはず。

 

 自分の気持ちなんていらない。

 仕事に私情を挟んではいけない。

 そう、三笠さんに教えてもらった。

 

 だから、今だけ。

 もう少ししたら、そんな人と人型の区別なんて忘れるはず。

 何時ものようにソファーに座るシリアスと、彼女の淹れた甘い紅茶。

 違いがあるとすれば、ベルファストの存在ぐらいだ。

 それもきっと、すぐに日常になる。

 日常に浸れれば、自分の気持ちなんて忘れた習慣になる。

 

 ただ、今はまだ忘れられそうにない。

 

 嬉しそうに笑う彼女。

 人である自分よりも圧倒的に強くて、それこそ、気まぐれで俺を殺す事なんて簡単に出来るのだろう。

 実際艦船達は──

 

 諦めたように笑いつつ、俺は口の中の甘い液体を飲み込んだ。

 

「気持ち悪い」

 

 幸いなことに、不思議と漏れた言葉は誰にも聞かれなかった。


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