「ヒーローのサポートはサポーターのリノがするの!!」
彼女、リノの大声が背中から伝わる。
反動で深く息を吸い、吐き出す時に制服越しに温かな吐息を感じた。
きっと、こんな温かさとは無縁な顔をしているだろうけど。
この声を傍で聞いた相手でもあるクリーブランドもまた、リノが急に後ろから抱きついてきて思わずバランスを崩しかけた俺を支えようと前から支えるように抱きついてきてそのまま。
怒ってる彼女とは反面に嬉しそうに頬を緩ませながら背中に回した手を強くしたり弱くしたり……。
既に一人で立つことの出来るようになった俺を今度はぬいぐるみ代わりのように感触を楽しんでいるようだ。
「クリーブランド先輩は早く離れてください!」
思わぬ気持ちの代弁に便乗するように困った視線を送る。
無意識で遊んでいたのに気づいたのか、顔を赤くし慌てて俺から離れる。
「あっ! ご、ごめ──」
海を渡っている最中の船の上。
甲板という陸とは違う常に不安定な足場で急にあわて出すとどうなるのかなんてすぐにわかった。
今度は彼女が自分の足につまずき、後ろに転びそうになる。
早めに予想できたからそうなるよりも早くに彼女の手を取って今度は俺から支える立場に。
少しだけ前に重心が動いたけど、ずっと後ろから強く抱きしめているリノのおかげで俺まで転ぶなんて事はなかった。
ただ、その締め付けは少し強くなったけど。
「む〜」
「あ、ありがとう」
俺を境目に二人の温度差はますます反発する。
握られた手をぎゅっと強く掴みながら更に顔を赤くするクリーブランド。
普段ならば彼女がこんな風に誰かを助ける側なのだろう。
兄貴と言いたくなるような逞しさと、男の俺でも負けてしまうような颯爽とした格好良さが売りの彼女ならば。
普段行う立場だからこそ、自分がされることに慣れていないのだろうか気恥ずかしさを隠すように無理に作った笑顔が目を引く。
ただ、その繋がれた手は先程のように遊ばれている事の方に気は向いてしまう。
それと、一連の出来事に後ろのリノはますます不機嫌になっているようだ。
「う〜」と低い唸り声のような何かが聞こえ始めた。
構ってほしい時に構ってもらえない猫のような我儘さを感じる声が。
そして、声で伝わらないならと他の動作で注目を誘うようになる。
俺を抱きしめたその腕の力は弱まる事を知らないようだ。
クリーブランドに手を離してとも、リノに腕を離してとも言えないぐらいに回された手に切迫される。
サインであり抵抗としてでもあるが空いた手で何度もリノの手を叩くが反応は変わらない。
構ってほしい時に構ってるのに満足してくれない。
我儘な所も似ている気がする。
「り……リノ……苦し」
「もー! 指揮官はヒーローなんだからこれぐらいでギブアップしたらだめ!!
指揮官は憧れのヒーローとしてもっと輝く人にならないといけないんだからね!!
それに、リノを放って他の女とフラグ立てるのもダメ!!」
「指揮官が苦しがってるから早く離すんだ!!」
俺の様子にようやく気づいてくれたクリーブランドは、手遊びを辞めて回された腕を離そうと掴む。
ようやく動けるようになった両腕で俺も掴んで離そうとするが微動だにしない。
むしろ火に油なのかもしれない。
クリーブランドは良いのに、リノはだめなの?
クリーブランドの時は黙っていたのに、リノの時は怒るの?
クリーブランドには優しいのに、リノには厳しいの?
そんな気持ちを伝えるように回された腕に入る力が増していく。
人間の俺なんかじゃ相手できないような力が。
これでもセーブしてくれてるのはわかる。
本気なんて出されたらあっという間に意識を失って倒れているだろう。
ただ、そうなるのは遠くなさそうだ。
ペシペシと俺も叩いてせめてものサインを送る。
ペシペシ、ペシ……ペシ、ペシ……ペシ……ペシ…………。
と、彼女とは反比例するように俺の腕に入る力はなくなってきた。
もう限界と伝えるように、そして演技では逆上した彼女がどうなるかわからないから本当にキツイ状況だと伝わるように精一杯のサインを。
伝わってほしい相手よりも先にわかってくれたクリーブランドの顔つきが険しくなる。
思いっきり力を入れて必死に俺を少しでも楽にさせようとしてくれたおかげで少しだけ息がしやすくなった。
「…………反省してる?」
「してる、してるから!」
何に対してだとか、どういう意味だとか聞く余裕はない。
ただ言われた事に対しての同意と肯定。
指揮官になって何千と繰り返してきた作業をするだけだから、脳を通す事もなく反射的に口が動いた。
自分を楽にさせるための言葉を伝えるために。
「…………」
少ししてようやく腕の力が抜かれた。
一瞬ふらついたが、抜かれただけで依然として回されたままの腕がふらつく事さえ許さない。
逃げる事も動く事も出来ずにただ、足の力が抜けた俺は与えられた力の向きに従ってリノの身体にその身を預けた。
「いい加減その手を離せよ」
そんな姿が面白くないのか、それとも俺の身を案じてかクリーブランドは鋭い目つきで俺のすぐ横にある顔を見る。
ようやく目に入ったリノの顔はそんな状況とは不釣り合いな程に嬉しそうに喜色を表していた。
ようやく満足いくまで遊べた。
そんな風に俺は感じた。
「甲板は足元が危ないですから、リノがサポーターとして指揮官のサポートをしなきゃいけないんです。
ヒーローが戦闘前に転んでたらおかしいじゃないですか!
そんな事にならないように、リノがしっかりとヒーローの傍で見ててあげないといけませんから」
「だから離さないって?
そんな風に抱きついてたら指揮官も邪魔になるし、さっきみたいに力入れたらまた苦しむ羽目になるんだぞ!!」
「あれはベタベタと女にくっつく指揮官への罰です!!
ヒーローはヒロインとだけ仲良くしてればいいんですよ。
サポートであり、ヒロインであるリノとだけ仲良くしてればそれでいい……
そうですよね、指揮官?」
ふふふっと嬉しそうに笑いながらの同意を求める声。
ヒーローなんていう身不相応な役職を、これまたお飾り役職な立場と共に押し付けてくる。
明らかに不機嫌になっているクリーブランドの視線が俺に向いたのをタイミングとして応えた。
「……そうかもね、気をつけるよ」
何に気をつければいいのかなんて自分にもわからないが。
ただ俺の口はそう言った。
「クリーブランド」
付け加える様に彼女の名を呼び脳を働かせる時間を稼ぐ。
本格的に俺へと視線が動いた事で鋭さは一端失われた。
ただ、その刃を受け継ぐようにすぐ横で強い視線と共に脅すように回された手がピクリと動いたけど。
合わせるようにピクリと反射的に震えた自分の体が、他人ごとのようで面白かった。
だからか、少しだけ自然な笑みが出できた気がする。
「リノももすぐ戦闘だから興奮してるんだよ。
緊張もしてるだろうし、少しハイになってるだけ。
今ぐらいはちょっとぐらいの事は大目に見てあげよう」
「でも……」
「大丈夫だよ。俺は怒ってないし気にしてないから。
クリーブランドも気にしなくていいから」
怒った所でせっかく落ち着いたのがぶり返されては溜まったものではない。
気にした所で俺じゃどうしようもない。
結局、叶わないことは望まず触れずが一番だ。
自分自身に言い聞かせつつ、彼女に伝えた言葉。
それを彼女が受けて噛み砕くまで時間は少しかかった。
その間は戻った目つきでじっとリノを見ていたから、いつ俺にまた苦しみがくるのか不安で身体が震えた。
そんな不安を無くすように優しい包容を受けても、それが原因だから救われない。
彼女は賢い。
沢山いる妹達の世話を日頃から焼いている彼女ならば、俺の我儘な娘に対する扱い方も少しはわかってくれるだろう。
間違ってることに間違っいると言わない事に理解は得られないだろうけど。
だからこその少しの時間だ。
この気持ちを汲むまでの時間。
「……わかったよ」
そう言って彼女は一歩下がる。
その目は申し訳無さそうにしながら俺に向けられていた。
下がった事から察しがつく。
この場に自分が居たらまた同じ展開になるからと文字通り身を引いてくれるのだろう。
本当に、優しくて頼りになる艦船だ。
「ただ、リノは母港に帰ったら話があるからな!!」
「えー、リノは悪い事何もしてないのに」
「うるさい!!
優しい指揮官に何時までも甘えちゃいけないって事をまた教えてやるからな!!」
そう言ってクリーブランドは憤然としながらこの場から足早に立ち去った。
残された俺とリノの間に言葉はない。
ただ、今の二人っきりを楽しもうとしてるのか軽快な鼻歌が聞こえていた。
そんな歌と波の音を聞きながら俺は次の言葉を探す。
何時までも抱きしめられたままでは気が重い。
何時他の艦船と出会ってああなるかなんてわかったものじゃない。
もう懲り懲りだ。
お腹周りに感じてきた鈍い痛みが早く逃げたいと脳に訴えかけてくる。
しっかりと考えながら言葉を選ぶ。
「リノ、少し苦しくなってきたかな」
「えー、でもヒーローとヒロインは仲良くするのが常識だよ?
それに、最近会えてなかったからこうして憧れの人を抱きしめられる幸せをもっと感じてたいし。
これから鏡面水域に行くんだから、それまでにヒーローの温もりを感じてたい!
一杯感じで一杯頑張るパワーを貰いたい!」
そう言って腕に力が入ってきた。
全然マシな力加減。
優しく、壊さないように気を使ってくれているのはわかる。
ただ、鈍い痛みに鋭さが増してくるのが我慢できない。
早く逃げろと脳に訴えかける言葉が強くなる。
「そっか、リノは今から戦場で頑張るもんね」
「うん! 正義は必ず勝つってことを教えてあげないとね!」
「……そうだね。俺もリノ達が頑張れるように今から用意しとかないと」
「用意? それなら、リノも手伝うよ!
ヒーローのサポーターとしてリノが何でも手伝ってあげる!!」
「……いや、リノは戦いの前に少し休憩して良い戦果を上げてもらわないといけないからさ」
「大丈夫! リノはヒーローのサポートをする事が一番の幸せで、それが一番リラックス出来る時間なの!!
だから、指揮官の仕事を手伝えるならそれが一番リノを落ち着ける時間になるの。
ほら、困ったことがあるならリノに何でも言って。
書類の片付けでも、機器の整備でも──」
あぁ、やばい。間違えだ。
そう直感する。脳に強く訴えかけられる。
何間違えるんだ、と。
「──どんな些細な細かい事でもリノが全力でサポートするよ。
他にも、緊張を解すためにお茶を入れて欲しいとか、お話をしたいとか、こうやって抱きつかれて甘えたいとか!
ヒロインじゃないとやっちゃいけないような甘々な事も今ならリノが全部叶えてあげるよ。
クリーブランド先輩みたいな他の艦船達にお願いするぐらいなら、サポーターのリノが全部やってあげる。
リノは憧れのヒーローである指揮官のサポーターだもん。
ヒーローのサポーターとしてサポートするのがリノの仕事。
そして
ヒーローのヒロインとして精一杯尽くすのがリノの役目。
他の艦船に目移りしちゃうような悪いヒーローがいるなら、優秀なヒーローに戻れるように早く修正しないといけないよね。
サポーターなしじゃ満足出来ないようにヒーローの事を支えてあげないとね。
他の艦船に支えられるような弱い指揮官じゃなくて、きちんとリノ一人を求めるようなヒーローにならないといけないよね。
だって、指揮官を支えるのはサポーターのリノなんだから!!」
徐々に力が入ってくる。
優しさはもう消えた。
押し付けるような思いと共に、受け入れろと胸に訴えかけるように、この胸にねじ込むように増していく。
クリーブランドを行かせたのは多分失敗だった。
1人じゃ解決できそうに無い。
ヒーローだなんて呼ばれても所詮は人間。人外に勝てる道理がない。
力の増す速度が早い。
クリーブランドが離そうと掴んでくれたおかげで大分加わる力が弱まっていたのがよくわかる。
あっという間にさっき感じた限界と思える領域は超えた。
ここからは、さっき以上の痛みと苦しみが襲っくる。
「……ッ!! ……ッ!!」
必死に腕を叩く。
けど自分の世界に入ってしまったリノには届きそうにない。
息が苦しくなってきた。
叩こうと振り上げた腕も、最後は宙をだらりと下がる。
死ぬことはない。
そう思ったたら抵抗するのが無駄に感じた。
きっと寸前で止めてくれるだろう。
少し興奮してるだけ。
そう思うことにしよう。
そう思うことにする。
そのほうが楽だから。
そんな風に考えていると霞んできた視界に素早く何かが映る。
瞬間、俺を拘束していた腕は外れた。
支えを失った俺は当然のように自分のあしでは立てず、かといって重力に従って落ちることもない。
今度こそ、優しい腕にこの身を支えられたのだ。
「大丈夫ですか!?」
聞き慣れた落ち着く声が俺の意識を繋ぎ止める。
彼女、ダイドーは珍しく両目を大きく開けながら何度も俺に声掛けをしていた。
「ゲホッ、ゲホッ」
「あぁ……ダイドーが離れている間にこんな事になるなんて」
少しぶりの呼吸のせいでむせこんでしまう。
俺を落ち着かせるようにそっと座り込むとその膝に俺の頭を乗せた。
柔かく、温かい感触に包まれながら必死に息をする。
ようやく呼吸が落ち着いた所でリノの前にいるもう一体の艦船に気づいた。
秘書艦シリアス、がリノの腕を掴んでいた。
後ろ姿でもわかる。かなり怒ってくれているようだ。
「リノ様。
ご主人様はただでさえ慣れない海上で疲労気味です。
それなのにこのような危害を加えるのはどういった理由があるのでしょうか?」
「危害じゃないよ! リノ以外の艦船とイチャイチャしてた指揮官にお仕置きしてただけ!!」
「あっ、無理はいけません。ゆっくりと休んでください」
そんな二人の言い合いが始まりそうになるのを見ながら立とうと体を起こす。
ダイドーはそれを止めようと手を伸ばしたが、立つ意思を見せる俺を見てそれを止めて慌てる。
シリアスはそんな姉を横目に立つ俺のサポートをするように肩を貸してくれた。
そんな姿をリノは当然心良く思わない。
彼女も俺を助けようと一歩足を出していた。
ただ、シリアスの方が近かったというだけだ。
「ヒーローのサポートはリノがするの!
なんで皆わかってくれないの!!」
自分がしたかったことを他者にされる。
それをどうしても納得できない彼女は再び激昂する。
怒りを込めた視線をシリアスに向ける。
クリーブランドの時と同じ自身の感情を隠す気など一切ない視線を。
「……リノ」
まだ脳が働いているわけではない。
それでも、心は少しだけ落ち着いている。
見慣れた存在がすぐ横に居てくれるだけで気持ちが落ち着いていた。
「リノの俺を助けてくれるって気持ちは嬉しいよ。
今度困ったことがあったらリノにお願いするから。
だから、今は戦場の事を考えてほしいな。
リノ達が怪我なく帰ってきてくれることが今俺が一番願ってる事だから」
「……嘘」
「嘘なんてついてない」
「嘘! いつも困ったことがあったらシリアスにお願いしてる!」
ゴン! と甲板を強く蹴ると共に勢いよくシリアスを指差す。
自身の持つ牙をも隠す気などないのだろう。
ただ感情のままに彼女は怒鳴る。
「リノがサポーターなのに!
リノがヒーローのサポーターなのに!!
憧れのヒーローをサポートするのがリノの夢なのに!!
指揮官の事をサポートするためにリノはいるのに!」
「……リノ様」
そんな、彼女の言葉を受けて尚シリアスは毅然とした態度で向かう。
「誇らしきご主人様の手助けはシリアスが行います。
まだまだ未熟者だとは思いますが、シリアスなりに精一杯行いますのでどうか今後ともご指導の程をよろしくお願い致します」
……ただ、その態度の割には注いだのは油なようだ。
当然自分の役目と言い切るものを真っ向から否定されてはリノも立つ瀬がない。
更に力強く足を甲板へと叩きつける。
その目の鋭さも増していく。
「あなたなんて初めて指揮官の所にきた艦船ってだけで秘書艦のくせに!!
そんな雑に選ばれただけなら、やりたい艦船に早く譲ってよ!!」
「シリアスはこの立場を譲る気等ございません。
ご主人様がそう命じても、シリアスはそのお傍を離れるような事は決して。
リノ様が求めるように、シリアスもまた、誇らしきご主人様の傍で尽くす事を目的としてここにいますから」
互いの主張が混ざることはないだろう。
俺の手助けをしたいという意思をぶつけ合う。
二人で仲良く、なんてしてくれないだろう。
少なくともリノは。
全ての手助けを自分一人でしたい、なんて気持ちはもう嫌になるほど詰め込まれた。
「……リノ」
「なに、指揮官」
「俺が今望んでることは本当にリノ達が怪我なく帰ってきてくれることだよ」
「…………でも、他の事は全部シリアスにお願いしてる」
「シリアスが傍にいるだけだよ。
リノが傍にいたら真っ先にリノにお願いする」
「リノがサポートしたら、褒めてくれる?
頑張ったらリノの事サポーターとして傍にいさせてくれる?」
「リノがトラブルなく俺のサポートを頑張ってくれたら考えるよ」
「……約束してくれる?」
「うん、約束」
落とし所、なのだろうか。
少なくともクリーブランドのようなユニオンの艦船ではなくロイヤルの艦船が来たことは彼女にとっても風向きが悪いだろう。
仲間内だからとなぁなぁでは終わらない。
トラブルが大きくなれば、お互いの信用問題にも発展するかもしれない。
そこまで考えてくれてるかはわからないが。
ただ、こんな言葉でも少しは納得したのか彼女は何も言わずに頷いた。
「それなら、リノ頑張ってもっとヒーローのサポートするね」
「……よろしく」
これ以上頑張らないでほしい。
頑張られたら余計な火の粉が火球になりそうで怖い。
今度は火傷で済みそうにない。
そんな気持ちを顔に出さないようにしつつ、肩を借りたままでは余計な邪念を孕みそうだと思いそっとシリアスから離れる。
彼女は手を伸ばして俺を捕まえようとするがそれを静止し、側にあった手すりに見を預ける。
「よろしくね、リノ」
「……うん」
まだ不満そうな顔はしていたが、彼女は短くそう言い残してこの場を去っていった。
重い足取りが十分に離れていくまで生きた心地はしなかったが、そんな俺の気持ちを察するようにシリアスは俺の横で同じように手摺に身を預ける。
ダイドーもそれを見て反対側で真似をした。
「……申し訳ございません誇らしきご主人様。
シリアスが常に傍に居ればあのような事になる前に未然に防げていましたのに」
「いいんだよ、見回りがあったんでしょ?」
謝る必要なんてない、シリアスとダイドーがこの場に来てくれた事に感謝だ。
以前約束した通りにダイドーを護衛として選んでいたけど、執行室で座りっぱなしで、殆どの雑務をこなすベルファストを眺めるだけの仕事をしているシリアスにも活躍の場をと抜擢したのが良かった。
ダイドーだけなら、多分俺も慌てて注いだ油の処理を出来なかった気がする。
注いだのはシリアスだけど。
「……なんか疲れたかな」
まだメインとなる仕事も終わってないのにドット疲れが押し寄せる。
独り言のつもりで呟いた言葉にダイドーはいち早く反応した。
手摺から離れると俺の前で一礼をする。
「ダイドーでよければ疲れを取る効果のある紅茶をお淹れいたしますが」
「……いや、いいや」
リノに言われて直ぐに誰かにお願い事をする気になれなかった。
ただ、それがダイドーの地雷に触れたのかもしれない。
急に涙目になるとどこからか取り出した妹に似た人形に顔を押し当てる。
「あぁ……やっぱりダイドーは頼りにされてないんですね……
紅茶を淹れる事すら断られるなんて……
リノ様のような方に頼ったほうがマシ……と思われていんでしょうね。
ダイドーは……ダイドーはこんなにも……ご主人様をお慕いしてるのに」
「……やっぱり紅茶飲みたいな」
もう疲れた。
これ以上戦闘が始まる前に疲れたくない。
そんな気持ちをダイドーにぶつけると、人形から涙を貯めた片面を出してくる。
「本当に……ダイドーの淹れた紅茶でもよろしいでしょうか?」
「うん、ダイドーの淹れた紅茶を飲みたいな」
「……ッ!! 畏まりました!
ダイドー、下ごしらえは既に済ませていますので直ぐにお持ちいたします。ご主人様はお部屋でお待ちになっていてくださいね」
一転して嬉々としながらダイドーはこの場を離れていった。
嬉しそうにしつつも主の前では慌てて走るようなことはしない。
ゆっくりと優雅に歩いていく。
そんな姉の後ろ姿を共にのんびりと眺めるシリアスにも指示を出す。
「シリアスも手伝いしてあげて」
「ですが、またあのようなトラブルが起きてしまっては」
「大丈夫。すぐに部屋に戻るから」
心配そうに何度も顔を見ては姉を見るシリアス。
そりゃ帰ってきて早々にあんな事を見せられたら心配にもなるだろう。
ただ、彼女は俺の言葉を聞いてくれる。
例えそれが多少納得出来ない事だとしても。
今回も結局数十回程繰り返したら一礼して姉の背へと駆けていく。
優雅な姉とはまた違うのは、慌てて走ったために転びそうになったからだろうか。
静かになった。
波の音を聞きながら、不快な気持ちがこみ上げてくる。
ポケットに仕舞っていた飴玉を1つ咥えて、手摺に更に身を預けていく。
人肌のような温かさも、柔らかさもない無機質な冷たさを背中で感じる。
さっきから感じていた温かくも苦しい感触は終わったと実感できるようで心地よい。
ここには人は1人しかいないと実感できて、嫌に心地良かった。
ダイドーやシリアスも帰ってきた。
他の艦船達も次々に戻ってきているのが横目で目に入る。
鏡面水域付近の見回りを終えている艦船達。
メインとなる戦場傍の下見を終えたモノ達が戻るという事の意味を理解しながらも、今はまだこの心地よさを手放す気にはなれなかった。