「大変な事になりましたね、指揮官様」
穏やかな口調で同情の言葉こそくれるが、その上品な笑みと先程とは違って立たせた尻尾と獣耳は楽しそうにゆらりゆらりと左右に揺らしている。全く内面を隠すことなく天城は言った。
「…………」
俺はそんな彼女を恨めしそうに見つめるだけで何も言えない。ただ、頭の回る彼女の事だ。きっと俺には見えていないだけであの場を効率的にかわせる回答があれだと判断したのだろう。もっとも今の所は絶望を先延ばしにしただけのようにも感じるが。
「ふふふっ、そう怒らないで下さい」
俺の反応を見てると子供をあやすように軽く頭を撫でられた。身長差の問題もあるのだろう。母親とまではいかないが、姉弟のように傍目では映る光景。もっとも、彼女は俺の事を出来の悪い弟と思っている節があるのだが。
「この天城、指揮官様の事は何でもお見通しです。秘書官を変えるのもきっと皆の不満が溜まっているから一時的に変えてきちんと皆に向き合ってると言う姿勢をとるため、でしょうか?」
彼女にもシリアスに対する不満が溜まっていることを相談た事は幾度もある。それでも今まで変えようとしなかった事もよく知っているはずだ。だからこそ、今回の事変に対して手を差し伸べてくれるかもしれない。優秀な仲間に少しだけ期待を込める。
「……そんな感じかな」
「して、次の秘書官は決まっているのでしょうか?」
「ベルファストにお願いしてるよ。演習が終わったらまたシリアスにお願いしようと」
「それは……」
口ごもりながら細長い綺麗な指を顎に当てて考える素振りをする。数秒考えた後にそっと顔を横に振られた。
「いけません、それでは皆の不満は解決しないでしょう」
考えの浅い俺の浅はかな策は、戦術家によって早速否定をされてしまう。別にそこに不満の感情は沸かない。むしろ嬉しい。少なくとも、天城は俺に協力してくれそうだ。彼女の知恵を借りれれば、きっとより効率的に効果的に皆の不満を解消できる話をくれるかもしれない。少しだけ前のめりにながら、次の言葉を急かしていく。
「いいですか、指揮官様。
シリアスもベルファストもロイヤルの陣営。陣営に拘る人も少なくありません。
一時的とはいえ、変えるのならば他の陣営の人にしたほうがいいでしょう」
「ロイヤルは駄目かな?」
「拘りがあるのでしょうか?」
「……うーん」
俺自身はないが、エリザベスがロイヤルの艦船を秘書官にしたがっている。自身のメイド隊の、しかもメイド長を秘書官にあてがう程なのだから。そこまでしてくれた彼女に今更やっぱりやめたと言うのは少し申し訳なく感じる。
「指揮官様、秘書官を変えるのも一時的なものというならば、ここは他の陣営の。更に、指揮官様の事情をしっかりと把握してくれている人に任せるべきかと。
指揮官様の耳には届いてないかもしれませんが、ロイヤルを贔屓されているという声もよく天城は耳にします」
「贔屓目してるつもりはないんだけどなぁ」
「そう思っていても、態度と行動の問題。
ずっとロイヤルのシリアスを秘書官として置いていると他陣営からは嫌でも贔屓してると映ってしまいますよ?」
「うーん……」
「指揮官様、何も永続的にシリアスから離れるわけではなく、あくまでも一時的とおっしゃるのならば、他の陣営でも指揮官様の隣に立てる権利がある事を示すまたとない機会。これを活かさない手はありません」
「そうか……」
もし私が初めに着任してたら、私は秘書艦としてずっと傍にいれたのに
先日会ったエンタープライズがシリアスに向けて言った言葉。彼女の顔を思い出す。それだけじゃない。今日あった艦船達も秘書艦になりたいと強い希望を口にしていた。
「どうかご一考を」
様子を伺うように見てくる天城。そんな彼女の顔を見た次に思い出した言葉はベルファストだ。
秘書官の変更をお願いに参りました
思えばその一言でこの騒動が始まったのだ。彼女らしい俺を思った一言で。最も、遅かれ早かれこの事態は来ていたのだろうと今は身を持って痛感しているが。
天城の言う事は最もなのだろう。きっと、他の陣営の顔を艦船に一任したほうがいい。ロイヤル、というかエリザベスは怒るかもしれないが他の陣営の艦船にお願いしたほうが皆も納得してくれる。少なくともロイヤルだけ贔屓してるなんて言葉は消えると思う。
「そうだね、そうしようかな」
同意の言葉に天城は笑を強くして尻尾の揺れが大きくなった。参謀格として真剣な眼差しで目の前の事象を見る姿とは違った、本来の彼女らしい愛くるしい仕草に少しだけ見惚れてしまう。
エリザベスには後で謝りに行こう。ベルファストにもだ。楽しみにしていた彼女には申し訳なく思う。怒るだろうか、それとも悲しむだろうか……。何れにせよ、何らかの苦言は受けるだろうけど行く行く来るトラブルを避けるため。そう思うことにしよう。
「では、秘書官は誰を」
「でも、それは今度にするよ」
地雷を踏み抜いたのかもしれない。そう感じたのは尻尾と耳の動きがピタリと音を立てて止まったからだ。崩さないその笑みが徐々に怖く感じてくる。それでも、言える余裕がある内に言わないと。
「もうベルファストにお願いしちゃったからさ、断るのは申し訳ないし」
「指揮官様は母港での立場は最上位。細かな約束等、今後の大事のためなら反故するのもしかたないかと」
「でも、約束は約束。立場があるからこそ守らないと」
食い下がる俺の言葉に天城は口を閉じて静観する。俺のために考えてくれた提案。だからこそ、天城にも申し訳なさを感じる。それでも、これだけは譲れない。
「仲間なんだ。俺の手で傷つけるような事はしたくない」
この思いだけでも、っと真摯に伝える。
天城は表情を変えずに数秒程ジッと眺めると、根負けしたのだろうか、重い溜め息と共にその顔は落胆の色を見せた。
「天城はその言葉に傷ついてしまいます。
指揮官様を思っての言葉なのに、その思いは届かず一向に耳に入る様子がございません。
そのようなお気持ちがあるのなら、安易な約束を受け入れるのは如何なものかと。
是非とも、次は軽率な判断で約束を結ぶ前に天城に1言相談して下さい」
「ごめんね、気をつけるよ」
溜め息と共に萎れていく耳と尻尾。それらを見ていると本当に落ち込ませるような事をしたと痛感させられた。
何か言わないと。その気持ちだけで頭が働く。
「あ、天城の話を聞いてないわけじゃないんだ。ただ、えっと、今回は急だったから……その……」
「……指揮官様」
たどたどしい俺の言葉を遮りつつ、天城はそっと近づいてくる。目の前迄来て初めて、彼女が笑顔になっているのに気がついた。先程のような笑みと振り上げた拳に。
「えいっ」
「いたっ!!」
思わず言葉を反射的に出したが、正直全く痛くはない。軽く乗せられた、という感じだろう。少なくとも、先程聞いたような轟音は響くことはなかった。
ただ、驚きはそれ以上に続く。そっと腰に手を回されると天城は切なそうな顔をしながら俺の胸に顔を埋めるように抱きついてきたのだ。
何とも言えず、ただ、彼女の頭を軽く撫でる。これがいいかどうかもわからないまま。すると、彼女は上目遣いで俺を眺めて口を開いた。
「指揮官様、その優しさはとても大事な事だと天城も感じています。
ですが、そのように艦船1人1人に優しさを振りまいてしまっていたら、今後指揮官様の身が持たない時が必ず来るでしょう。
ですから、どうか。
細やかな決め事でも、簡単な疑問にでもかまいません。
この天城の知恵、指揮官様の為に使わせて下さい。
指揮官様の身と心を守るために。
この天城の全てをお使い下さい。
さすれば、心優しい指揮官様を守る鬼として、この母港を守り大きくする事を約束しましょう」
「……ありがとう」
本当に感謝しかない。
自身の病弱な身体に悩みながらも、母港の事、艦船達の事、何よりも俺の事を気遣う彼女の優しさに。
「なら、天城。俺を助けてくれないかな」
その優しさに甘える俺はいけないのかもしれない。それでも、困り果てた現状ではある。
秘書艦の事も、演習の報酬とやらも、シリアスの事も。
俺1人では手一杯だと感じていた。
だから、甘やかしてくれる彼女の言葉に溺れたのかもしれない。
それでも、それでよかったと感じてしまったのは嬉しそうに笑う彼女の顔が見れたからだろうか。
「えぇ。
指揮官様にこうして頼られ、この老いぼれに生きる価値を見出しくれるこの瞬間こそが今の天城の生きる希望。
その言葉、優しさが天城の特効薬です。
ですから、何なりと。
どんな細やかな問題でもかまいません。
天城の前では強がらず、弱い指揮官様を見せてくださいませ」
頬に置かれた手とその潤んだ瞳で下から覗き込む姿はまるで何方が縋っているかはわからない。そんな彼女の頼りになる言葉に俺はここ最近の近状と悩みをぶつけていった。
「指揮官、はるばるご苦労だった」
綺麗に背を伸ばして正座をしつつ、丁寧に頭を下げるその威厳ある姿と、戦艦と言われたら少し悩んで納得するような子供のような容姿のギャップの何とも言えない奇妙な感覚に未だに慣れない。少なくとも、それに戸惑いつつ礼を返す俺を軽く微笑みながら長門はそう言った。
重桜のトップ。見た目からは想像出来ないがその威厳ある態度と、彼女にあてがわれている大きな和室がそれを嫌でも納得させられる。
「さて、今回の報告だが」
淡々と続けていく長門の話に相槌をうっていく。といっても、どの話も他愛のない話ばかり。ここ最近は大きな争いもなく、平和な時間が続いているというのを改めて実感した。それでもわざわざ定期的な報告会を開く辺りが彼女の真面目さを感じる。
「近況はこんな所だ」
「うん、わかったよ。ありがとう」
一通り話終えた彼女に礼の言葉を伝える。少し頬を赤く染めてると「この程度どうという事はない」と感情的な声を荒げた。褒められて照れる辺りは年相応に見えてとても可愛らしい。
「さて、余からは以上だが指揮官からは何かあるか?」
「うん、1つね」
いつもは特にないと端的に返していたが、今回の珍しい反応に彼女は目を大きくして「ほう」と興味深そうに視線を向けた。
「秘書官を変えることになったんだ」
「何っ!」
想像などしてもいなかったのだろ。急な言葉に彼女の耳がビクッと大きく反応した。
「……指揮官」
詳しく話そうとした所に長門は口を開く。
「それは重桜の艦船か?」
「いや、ロイヤルだよ」
「……そうか」
残念そうに呟く長門は嘆息混じりに続けた。
「指揮官、重桜の艦船達から秘書艦に対する不満の声が溢れておる。
余もその一人。
指揮官の身を守り、共に歩むモノとしてあのモノにその器があるのか疑問だ。
そのような大役はそうそう務めれるモノはいないだろう。
指揮官、ロイヤルの主はお世辞にも人の上に立つ器とは思えん。
重桜の長である……その、よ、余を秘書艦とすれば、この不満も幾らか解消されると思うが……」
徐々に尻すぼみになると長門はよそよそしくチラチラと俺の顔を見てきた。
重桜四代目連合艦隊旗艦
そんな肩書も持つ彼女が秘書艦として隣にいれば、余程のモノでなければそりゃ不満は出ないだろう。少なくとも重桜の艦船からの不満は大鳳ぐらいになりそうだ。あとは、同じ長として比べても少し劣るエリザベスが大きな不満をぶつけてくるのは彼女の言葉を聞いてすぐ目に見えた。
魅力的な提案を受けるとついつい目移りしそうになるが、しっかりと伝えないと。
「長門は長門で忙しいだろ?」
「むぅ……、重桜での席は三笠様にお譲りすれば事済む話だ」
「三笠は三笠で嫌がると思うけど?」
三笠は重桜どころか、この母港の仲間達と比べても長カンレキを持つ艦船。本来ならば彼女が長門の変わりに重桜を指揮するはずだが、そんな大層な役はやれないと辞退して長門に譲り渡した。その彼女に再び白羽の矢が立つのは長門も避けたいのだろう。自分で名前を出しながらも、「むぅ」と再び唸りながら黙る事になる。
「それに、次の秘書艦は決まってないんだ」
「……どういうことだ?」
ついさっきまでの俺ならば、こんな事を言わなかっただろう。きっと誤魔化すように考えようとしてたはず。それでも、今は違う。
天城に相談し、今回の事態の解決策を教えてくれた。それを目指して舵を取る。
「今度の演習でいい結果を残した艦船を秘書艦にするよ。それまでは臨時でベルファストにお願いする事になったんだ」
そう、天城はそれが良いと言ってくれた。
艦船達が出る模擬戦に出て結果を残したモノが秘書艦となれば皆不満を口にする事はなくなるだろう。そこまでいかなくても減ることは確かだ。赤城達の勘違いが役に立った。彼女達も挑んた演習で結果を残せなければ不満はあれど口にする機会は減ると思う。
シリアスには伝えていない。今決めたこと。それでも、彼女なら……。
彼女なら、きっと最高の結果を出してくれる。そう信じるしかない。俺の優秀な秘書艦ならば。
「指揮官、演習は遊びではない。訓練の一環でそのような大事を決めてもいいのか?」
「報酬があったほうが皆頑張れるでしょ? 嫌なら断ってくれれば他の艦船にお願いするし」
「そうか、報酬か」
長門は軽く笑を作るとそっと俺を見る。
「ならば、最高の結果を出した艦船ならば指揮官は文句なく迎えるという事だな?」
「……そのつもりだけど」
はっきりと肯定は出来なかった。彼女の笑口元のみに比べて全く感情を感じ取らせない瞳に何が映るのか想像もしたくない。
「ふふふっ、面白くなってきた」
少なくとも、そんな恐ろしい事ではないだろうが……。それでも、俺は少し後悔をした。
「指揮官、余は争いは好まぬが、此度は別だ。
特別にこの長門、全力を持って全ての艦船達に挑もう。
指揮官、その隣の席は余が貰い受ける」
「……ほ、ほどほどに頑張ってね」
偉く熱の籠もった瞳に変わると、そんな彼女の頼り甲斐のある言葉に苦笑する。
……シリアス、大丈夫だよね?
自分の秘書艦の身を心配しつつ、軽くため息をつく。
あぁ、これからは一言相談する癖を作ろう。そんな自らの愚かさに対して。
今日は疲れた。何時もの3倍は疲れた。
自室のベッドに横たわると1日を振り返る。今日だけで色んな艦船達に出会った。
大鳳、赤城、加賀、天城、長門。それ以外にも重桜の艦船達と何人か出会って軽く挨拶をした。
今日会った艦船達には秘書艦の事をきちんと伝えた。演習の事を。皆張り切ってくれてたけど、その熱意が少し怖くなる。
結局、明石には会えなかったから本当の豪華報酬についてはわからなかったけど、説明は天城がしてくれると言っていた。明石に伝われば後は勝手に広がるだろう。それだけ彼女の顔は広い。
問題は、シリアスだ。
天城の話ではこれでシリアスが結果を残せば何も問題なく元に戻れると言ってくれた。俺自信そう感じる。シリアスがその実力を示せば、きっと皆彼女を蔑ろにしなくなる。
……応援することしか出来ないのが情けないが、それ以外特にできる事はない。
それよりも、目先の問題だ。
スケジュールを確認しなくてもわかる。重桜の報告が終わったら次に行くところは決まっている。
先の問題と先延ばしにしていた問題がついに目先となって立ちはだかる。
溜め息が出てくるが、久々に会うことになる彼女を思うと少しだけ嬉しくなった。
元気にしてるといいんだけど。そんな風に不機嫌そうな顔をすることが多い彼女を思っていると。
新しい連載を投稿しました。またよければ読んで頂けると幸いです