三体系のエントロピー 作:朝雲
10 Nature and nature's laws lay hid in Night
夢を見ていた。
それは中学二年生の時の過ぎし日の記憶。僕がまだ数学に挫折しておらず、理学の道に進むことを夢見ていた時の話だ。
その日、僕と弥生は学校の委員会の仕事が長引いて、家に帰るのが遅くなってしまった。学校の委員会は強制参加だったから、同じクラスだった僕と弥生は示し合わせたかのように一番ラクと言われていた美化委員に所属していた。しかし、この日は学期末が近いということもあり、珍しく終了の時刻が長引いてしまったのである。
学校の外に出るとそこは既に暗闇に包まれていて、十数メートル間隔にぽつぽつと並んでいる街灯と、集合住宅から漏れ出る灯り以外にめぼしい光源はない。
横浜とはいえ昼夜問わず人で溢れかえっているのは中区といった海側だけで、内陸側はどちらかと言えば閑散としているところがあった。
僕は弥生と二人きりで歩きながら、遊歩道を通って家へと帰る。弥生はあまり多くをしゃべる子ではなかったから、いつも帰り道は静かで、僕はそのことに少し物足りなさを感じていた。とはいえ、それは心地よい沈黙であったから、そのことに大きな不満を抱いていた訳ではなかったのだが。
本人は気が付いていないようだったが、弥生はいつも僕の少し前を歩いて、時折僕がちゃんと後ろから付いて来ているかを確認する癖があった。その姿が、年端のいかない妹が大人ぶって兄の前を歩こうとするのだけど、不安を隠せずにちらちらと後ろを振り向く姿に重なって見えて、僕は心の中で微笑ましいものを見るかのように笑っていた。実際、弥生は早生まれで、僕は遅生まれだったから年齢的には兄妹という比喩も間違ってはいない。ただ、弥生の方が僕よりもずっと賢くて分別があったから、こうやって弥生が僕より幼く見えるような行動をするのは貴重だった。
しばらくして遊歩道を抜けると、またアスファルトの地面が現れる。弥生はしばらくその道を歩くと、水銀灯からダイオードに換装されたばかりの街灯の下で歩みを止めて俯いた。
「ねえ、これ。面白いよね」
街灯の下で弥生は立ち止まると、道路にできた自分の影を指で指して僕に微笑みかけてきた。ここで何か気の利いた返事が出来たらよかったのだが、生憎凡人の僕には弥生の突飛な思考回路など分かるはずもなく、彼女が何に面白さを感じているのか理解することはできなかった。
「ほら、これだよ。影の縁が少しぼやけている。これは光が回折した影響なんだ」
「回折って何だい」
「ああ、まだ学校でやってない範囲か。回折というのは簡単に言えば光が物陰に回り込む現象だよ。というか、光以外にも音や電波と言った波動一般に言えることだけど。そうだね…、たとえば姿も見えないのに塀の裏から音が聞こえたりするのも回折の現れだね」
弥生は一通り説明しきると、得意げな顔をした。弥生は余りしゃべらないと言ったけれど、時折こうやって物理現象を見つけては僕に解説する事を好んでる節があった気がする。
弥生はしばらくの間、街灯の下で回折現象と戯れると、おもむろに街灯の光を見上げて一つ詩を吟じた。
「『自然と自然法則は闇夜の中に眠っていた。神は仰せられた。ニュートンあれかしと。すると全てが光りだして白日の下に現れた』とさ」
「何、それ」
「アレキサンダー・ポープという英国人の詩だよ。十七世紀頃に起きた科学革命を比喩的でありながら適切に詠んだ詩。…旧約聖書の『創世記』にはこうある。神は光あれと言った。すると光ができた、と」
いったん言葉を区切ると、弥生は街灯の下でクルッと回って僕の方を向き「さて、長話をしようか」と言った。それは、いつも弥生が僕に講義を始める合図と化していた。
「このどちらの詩と文にも光が出てくる。光は本当に奥が深くて神秘的なんだ。昔から物理学では光が大きなテーマとなっていた。ホイヘンスの『光についての論考』、ニュートンの『光学』、そしてあのアインシュタインもノーベル賞をとったのは特殊相対性理論でなくて光量子仮説だった。昔の人はね、光が波か粒子かで論争を繰り広げていたんだよ。ニュートンは光を粒子だと考えていたんだけど、その後に行われた多くの実験結果が光が波だという事を示していた。決定的だったのがマクスウェル方程式だね」
「名前くらい聞いたことあるだろう」と言って弥生は挑発的に笑う。なるほど、これは復習か。
知っているとも。だって、それはこの前弥生が話したことだろう。
「ああ、知ってるよ。たしかその基礎方程式から電磁波の発生が導けるんだっけ?」
「そう。マクロ世界の電磁気的な現象が僅か四つの方程式から全て導ける。それはとてつもなく美しいことで、だからこそ光は波だということを疑う人はしばらくの間皆無だった」
でも、
「それは二十世紀に入るか否かの頃。ある奇妙な実験結果が発表された。軽く概要を説明すると金属薄膜に光を当てると電子が飛び出てきたんだ。いわゆる光電効果ってやつだね。新しい事実が分かると物理学者は今まである理論でそれが説明できるかをまず試してみる。でも、結果はどうだったと思う、慎也」
「そりゃ、話の流れから言って。説明できなかったんだろう」
「正解。光を電磁波と仮定するとどうしても結果が説明できない。これは大変だと物理学者達が頭を抱える中、アインシュタインは「光を粒子と思えばいいんじゃない?」と言って見事その実験を説明して見せた。でも、光の粒子は今までの実験で否定されたのではないか?という矛盾が発生する」
「さぁ、どうする。どうすればいい…。慎也」妙に演劇じみた声で弥生はそう質問してきた。でも、残念。この話の続きは昔テレビか何かで聞いたことがある。弥生にとってはつまらないことかもしれないけれど、僕は見栄を張りたい気持ちもあって、弥生の質問に真面目に答えた。
「光は粒子性と波動性を持っているんだろう」
「…正解。なんだ、知ってたか。まぁ、これが前期量子論の誕生さ。これ以降様々な実験が行われて次第に量子力学が完成されてゆく。二十世紀はハイゼンベルク、ボーア、プランク、シュレディンガーなど錚々たる顔ぶれが同じ量子論という目標に向かって研究をしていた現代物理の黄金時代だったんだよ」
「光は本当に奥が深い」再びそう弥生はつぶやいた。弥生は改めてダイオードの街灯を見つめると小さな声で次のように言った。光源の周りには、光に吸い寄せられた小さな蛾が三匹舞っていた。
「でも、それと同時にどことなく気味が悪くもある。波でありながら粒子であるとは一体どういうことなのだろうか、とね。直感に反する。理性に反しているように見える。あまりにも醜い…。でも、その結果は何よりも理性的で、演繹的な数学により組み立てられ、他でもない実験物理が事実だと証明してみせた」
「光は、まるで人間だね…。どこまでも不条理に見え、そしてあまりにも理性的だ」
そう言うと、弥生はククッと自嘲するかの如く笑った。
(注1)
ポープの詩の原文
Nature and nature's laws lay hid in Night.God said,Let Newton be!and all was light.
(注2)
マクスウェル方程式から導かれる有名な帰結c=1/sqrt(εμ)は「光の速さ」=「電磁波の速さ」を示しているだけであり、可視光が電磁波の一種である可能性を提示しただけです。よって本文中で記述したように「マクスウェル方程式から光が波であることを導いた」というのは些か論理的に飛躍があります。実際、光が波であることを決定付けたのは1850年にレオン・フーコーが行った水中での光速測定でした。誤解を招く表現をして申し訳ございません。しかし物理あるいは科学史的な正確性は本文で追及していませんので、ご容赦ください。