三体系のエントロピー   作:朝雲

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17 事象の地平面

 目が覚めると、僕はガムテープで手と足を拘束されていた。服は着ておらず全裸でどこか知らない布団の上に寝かされている。少なくとも僕の家や由紀の家でないことはすぐに理解できた。

 

「あぁ、慎也。起きたんだ」

 

 女の声が聞こえた。その声のする方を向くと色白の美しい女性が一人、妖艶に笑っている。

 

「弥生…」

 

 それは弥生だった。弥生はバスタオルに身を包み、おそらくその下は何も着ていない。そこで僕はこれから彼女が何をしようとしているのかを直ぐに理解した。

 

「やめろ、弥生。それは犯罪だぞ」

 

 強姦。それは国語辞典的にも社会通念的にも、男が女を犯す際に用いるのが常ではあるが、逆がないとは限らない。現に弥生は今まさに僕のことを犯そうとしている。由紀に操を立てた僕を彼女色に染めようとしているのだ。

 

「そうだね、犯罪だ…。でも、いったい誰がそんな話を信じるのかな」

「それは…」

 

 性犯罪の弱いところ。それは圧倒的に男が加害者で、女が被害者であることが多いから、男が被害に遭ったとしても真面目に扱ってはもらえないということ。なまじ信じてもらえても「役得だっただろう」で済まされてしまうことすらある。

 

「警察に駆け込めばどうにかなる」

「警察ねぇ…。それこそ彼らが仕事をするとは思えないけど」

 

 そう言って弥生は頭の悪い生徒を窘めるかのように笑った。僕はそんな余裕を醸し出す弥生を追い詰めようとして、助けを呼ぶために携帯を探してみるが、何処を見渡してもそれは見当たらない。腕が拘束されていても携帯くらいならば動かせると思っていたのだが、そもそも携帯が手元にないのではどうしようもなかった。

 

「携帯を探してるのかい。だったら無駄だよ。それは慎也が眠っている間に、君の家の庭に放り投げてきたからね」

 

「なんて事をしたんだ」

 

「はは、まあ落ち着いてよ。それにしても驚いたよ。まさか慎也の携帯にGPSが入っているだなんて想像もしなかった。どうやらあの女の執着度合いを私は少し舐めていたようだね。今頃由紀は慎也が家に帰ったと思って安心しているんじゃないかな」

 

「…手の込んだことを。それより、ロックはどうやって解除した」

 

「それくらい君の手の動きを毎日見てれば分かるさ。あと助けが来ると思っても無駄だよ。私のお母さんは名古屋に出張中でしばらく帰ってこないし、君のお母さんには『弥生の家に泊まる』と()()()()()()メールをしておいたから。あと()()にもメッセージを送っておいたよ」

 

 弥生は、少なくとも僕が考え付くような危険性は全て排除しているようだった。やはり彼女は変なところで鋭い。観測こと人間観察が得意な弥生だからこそできた芸当だろう。

 何よりも僕を驚かせたのは由紀にしていた定時報告が弥生にバレていた事だった。定時報告が来ないのを心配した由紀が探しに来てくれるという一縷の望みは、もはや潰えてしまった。

 

「なぜバレたって顔をしてるね。君のメッセージアプリの対話記録くらい携帯を奪ったときに確認したさ。そしたら毎日のように由紀に安否確認を送ってるんだから笑っちゃったよ。よくもまぁ、同じような定型文ばかり送れるものだね。だから勝手にこう書き込んでやったさ、「ごめん由紀、体調が優れないから明日の報告は寝過ごしてできないかもしれない」ってね。…そういえば、慎也はメッセージアプリが苦手なんだっけ」

 

 詰んだ。完璧に詰んでしまった。せめて普段から由紀に送るメッセージをもう少しユーモアに富んだものにしておくべきだった。確かに僕が由紀に送るメッセージはいつも簡素なものだったから、きっと弥生がメッセージを偽造したところで由紀は気が付かないだろう。由紀は僕が弥生に監禁されていることに、少なくとも明後日までは気が付かない。

 

「さあ、慎也。私と一緒に理性を忘れて堕落しよう。快楽に溺れてしまおう」

 

 絶望に染まる僕を尻目に、弥生はどこか蠱惑的にそう言うと、自らバスタオル脱いで生まれたままの肢体を晒した。それは由紀よりも肉感に欠けるが、白い大理石のように美しい躰で、僕の体は理性に反して本能的に興奮を告げる。

 

「僕は由紀以外とは絶対にしないぞ」

「あぁ…、そっち初めては由紀に奪われちゃったか…」

 

 僕が由紀と既に性体験があることを匂わせると、一瞬だけ弥生は何か躊躇う素振りを見せたが、直ぐに「まぁ、最終的に私のモノになればいいか」と小さな声で呟いて僕の方へ歩いてきた。

 彼女の瞳は明確に僕を犯すという気概が伝わるほどギラついていて、僕は今の発言が逆に彼女の独占欲に火をつけてしまったのではと後悔する。

 

「でもそんなことを言ってもさ、慎也のカラダは正直みたいだよ。口では由紀以外としないと言ってたのに、君のアソコは私に夢中だ…」

 

 僕の目の前に来た弥生は、僕の体を押さえつけるようにして跨ると、軽く僕のことを抱擁しきた。そして、そんな何処から仕入れて来たかも分からない扇情的な台詞を耳元で囁く。

 

 弥生はそのまま正面を向いて、その控えめな胸を主張するかのごとく僕にもたれ掛かってきた。そして僕の耳たぶを、薄紅色の芳醇な口唇を使って甘噛みしだす。その熱を帯びた艶やかな肌がふれる感触と、細い首筋から垂れる樹液のような汗。そして、くちゃくちゃとした彼女の唾液が絡まる音が僕の獣性をどうしようもなく刺激した。

 

「ねぇ、慎也。私ってそんなに魅力が無いのかな」

 

 弥生は甘噛みを中断すると、透明な唾液の糸を引きずらせながら、その端正な顔を上気させて上目がちに僕を見てきた。

 

「いや、…」

 

 正直、今の彼女はかなり魅力的だ。だがそれを言う訳にはいかない。それを口にしまったら、その時点でもはや強姦ではなくてただの浮気になってしまう。

 

「そうか…。まだ正直になれないんだね。だったら慎也が素直になるまで、私が君のその汚い欲望を絆してあげるよ」

 

 そして弥生は僕にキスをしてきた。それはあの日の再現。ただ一つ違うのは、あの時とは違い弥生は自棄になっていて僕を犯すという明確な意志を持っていること。そしてなによりも、僕は平静ではなくて興奮しているということ。

 

 弥生の舌が僕の口の中を侵略してくる。そのザラザラとした彼女の暖かい舌と唾液が僕の歯茎を、舌を、内頬の肉を舐め回す。水を弾くような、そんな僕と弥生の唾液が絡まる音が寝室に響き、しだいに淫猥な空間を形成していった。

 

 あぁ、もういいかな…、このままでも。

 

 二回目のキスは余りにも甘美だった。そしてその甘露なキスに絆されて、僕は一瞬由紀への信義を、愛を。社会通念すらも忘れてその本能へと耽美する。しかし僅かに残った理性が僕をその快楽へと堕落させることを引き留めた。

 

 弥生を突き放さなければまずい。このままでは僕の中の何かが無理矢理にでも変質させられそうな気がして、僕は恐れ慄いた。その得体の知れぬ恐怖から、僕は彼女を少しでも遠くへ押し退けようと、身体を動かして後ろへと逃れる。

 

「あっ…」

 

 そうして姿勢を動かした瞬間、弥生が今までにない甲高い嬌声を上げた。それは姿勢を動かした際に彼女の性感帯を人知れず刺激してしまった結果。

 ぬるりと、僕の肌に彼女の愛液と思われる粘性を帯びた液体が擦れる暖かい感触がした。

 

「やっと、乗り気になってくれたんだね」

 

 弥生が勘違いをして嗤った。

 

「もう、いいよね」

 

 何かが壊れた。僕の中の何かが。そして弥生の中の何かが。

 

「愛してる、慎也。たとえ君が従兄だとしても」

 

 死ぬほど愛してる。だから、私のことも死ぬほど愛して。

 

 愛に飢えた崩壊星(collapsar)

 

 彼女はその引力で僕の事を惹きつける。事象の地平面とは、光がブラックホールから逃げられなくなる境界のこと。その境界線より先は、外から観測することができない。中の様子を知りたければ、その境界の中に入るしか方法はない。

 

「本当に愛してる」

 

 弥生は僕を見下ろして、まだ口元に残る僕の唾液を淫魔のように艶めかしく舐め回すと、恍惚とした表情をしてそう言った。それを見た瞬間、僕は完全に由紀のことも忘れて目の前の淫乱な従妹から目を離せなくなってしまった。

 

 ただひたすらに美しい、可愛い、いやらしい。たとえ従妹だとしても目の前の雌を犯してしまいたい。

 

 ブラックホールは完全に僕の理性を呑み込んだ。

 

 その日、僕は事象の地平面を越えてしまった。

 

 

 

「やってしまった…」

 

 僕は隣ですやすやと眠る弥生を見て後悔と、ある種の絶望に浸った。弥生を警察に突き出すのも吝かではない。しかし、途中から僕はどこか彼女との行為に乗り気になっていた。完璧に理性が吹っ飛んで、獣性の赴くままに彼女と交わってしまったのだ。それは間違いなく僕の中では浮気に部類される行為で、弥生だけの責任にするのは気が引けた。

 

 まだ僕の拘束は解かれていない。彼女は僕が抵抗することが不可能だと知っていて、僕の身体に身をもたれ掛けながら寝ている。

 

 その様子に僕は呆れと同時に、どこか小動物のような可愛らしさを感じてしまい、一人罪悪感に浸った。今度こそ由紀に合わせる顔がない。何より、僕が犯されたことを知った由紀がどんな凶行に走るかを想像して、僕は恐怖心に身を震わせた。

 

「うっ…、ん、しんやぁ」

 

 弥生が寝言で僕の名前を呟く。本当に憎たらしいほど可愛らしい寝顔だった。保護欲をそそるとでも言おうか。寝ている弥生がこんなにも年相応か、むしろ幼く見えるなど、彼女と寝なかったら僕は決して知ることがなかっただろう。

 

 弥生と話していて気が付いたが、彼女は見た目に反して実はかなり幼い。それはいきなり幼少期をすっ飛ばして大人になってしまったかことからくる歪さ。彼女は甘えることを知らずに育ったから、愛情の表現が下手くそで、こうも極端になってしまうのだろう。

 

 要するに、弥生はお気に入りのゲーム(新垣慎也)を取り上げられて喚く子供の精神構造に近いのだ。いつか弥生が言っていた光の二重性のように、彼女は「大人」と「子供」といった性質を同時に併せ持っているのだろう。

 

「…ひとりに、…しないで」

 

 弥生がまた小さく寝言を呟いて、僕の体にぎゅとしがみついてきた。それは寂しさを紛らわそうと親に甘える子供の姿に重なって見えた。

 

「まいったなぁ」

 

 本当にまいった。弥生がどこまでも利己的で残忍ならば、僕は迷いもなく彼女を切り捨てられただろう。しかし彼女はそうではなかった。愛に飢えた孤独で可哀想な少女。なにより僕の従妹。

 

 そんな女の子を切り捨てられるほど僕も無情にはなれなかった。

 

「はは、本当に僕は優柔不断で軽薄だな」

 

 乾いた笑いがでる。由紀との関係を考えれば、弥生のしたことは到底許される事ではない。僕は由紀と添い遂げると決めていたのだ。しかし、ここに来てその決心が揺らぎ始めているのを感じていた。

 

 それは弥生の女としての味を知ってしまったから。弥生という少女の本質を知ってしまったから。

 

 一線を越えてしまった今となっては、僕の中にあった従兄妹という忌避感や、倫理的な抑圧はもはや意味を成さなくなっていた。その障壁は、僕の気持ちを由紀へつなぎ止める(もや)いであったのに、弥生はそれを無理矢理に断ち切って僕を感情の渦の中に投げ込んだ。

 

 女から従妹に成り下がったはずの弥生は、また女に返り咲いたのだ。それも、かつてよりも遙かに僕の中で重大な位置を占める女になってしまった。捨てたはずの淡い恋心がまた地獄の底から這い上がってくるのを自覚する。どうしようもなく僕はクズだった。

 

「ふぁ。…おはよう。慎也」

「ああ、おはよう。弥生」

 

 考え事に身を投じていると、いつの間にか弥生が目を覚ました。小さく欠伸をしたその姿は、やはり彼女が僕より年下なのだと言うことを如実に物語っていた。

 

「いっぱいシタね」

 

 弥生はそう言って、自らの下半身を優しく撫で回して、したり顔で僕を見上げた。

 

「赤ちゃん出来るかも」

「ああ…」

 

 弥生は避妊をさせてくれなかった。弥生はあくまで僕のその白濁とした欲望の固まりを彼女の内に受け止めることに拘った。それは明らかに愚かな行為。愚かな行為なのだけれど、間違いなく僕に効く鋭利な楔。

 今なら分かる。由紀はずっとこの楔を欲していたのだと。しかし、その楔を最初に僕に打ち付けたのは由紀ではなくて弥生だった。

 

「そしたら…責任とってね。慎也」

 

 それは詐欺的な責任の押しつけ。責任の押し売り。僕は何度もやめるように言ったのに、聞き入れなかったのは弥生の方だ。

 

「クソ、…その時はそれまでだ」

 

 諦めよう。諦めた方が楽だ。

 

 僕は浮気をして、もしかしたら相手を孕ませたかもしれないゴミクズです。

 

 血は争えない。僕は伯父のことを笑えないなと苦笑すると、弥生の方を見て彼女の額にそっとキスをした。

 

 どうにでもなれ。

 

 崩壊はもう始まっている。誰にもその崩壊を止めることができないのなら、せいぜい最後は本能の赴くままに楽しみましょう。

 

「愛してるよ、弥生」

 

 軽薄な、その場限りの愛を彼女に囁いた。それは決して由紀に知られてはいけない最低な言葉。その言葉を言うのは、もっと忌避感があると思っていたのに、意外なほどすんなりと出てきて驚いた。やはり、僕はどこかで弥生への恋心を捨てられずにいたのだろう。どんなに御託を並べたところで本能には勝てない。

 

 僕はブラックホールに呑み込まれた哀れな光だ。

 

 そう言って、屑な自分を正当化した。

 




※犯罪行為を推奨するものではありません。
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