—―とある少年の、手を離すことのできないものとは・・・・・・
「――、――――――」
ここは一体どこだろう。
この景色は、水の中……? いや違う、息もしっかり吸える。そして、ふわふわとしたこのどこか安心するような浮遊感に加え、耳元では心地いい音がうっすらと響いている。
「――――――、――――――――」
先ほどから響く、ぼやけたこの声は何だろう。はっきりとは聞こえない、けれどどこか昔聞いたことがあるような声のような気がするのは何故だろうか……?
それに向こうに見える、あのシルエット。絶対に見覚えがあるけれど、思い出そうとすると頭には鈍痛が響いてしまう。
「――――、――――――っ」
あれ、呼ばれる少しクリアになってきたな……それも、悲しそうな声だ。顔も若干はっきりと見えるようになるのと同時に、年齢を重ねたようなものに変わっていく。それに加え、首も見え始めてきた。
この覚えていないといけない、しかし忘れてしまっていた記憶を掘り起こされるような不快とも何とも言えない感情に段々と苛まれていく。
「――――ゃ――、ぉ――――――」
っく……何だ、急に頭が痛くなって……この感覚に今のぼんやりと聞こえた取り乱した悲痛な声、もしかして聞くのは初めてじゃない……?
徐々にうっすらと見えてくる顔や首から下の見覚えのあるような、けれど思い出すことはできない人物の全体像が見えてくる。髪はセミロングの……女子なのだろうか。
それを認識した瞬間、いつの日かの思い出がよみがえる。
「なぁ――――、次はあそこに行くか!」
少しテンションが高い僕がとある道の向こう側を指差しながらそう言うと、横断歩道の信号が青であることを確認しそちらに向かって走っていく。そんな僕の後ろから彼女が走りながら付いていくのを、二人の後ろの少し離れた位置に立ちながら眺めている。
その女子の顔が気になって見たいと一瞬思ったものの、なぜか見るための行動には移せなかった。
「ちょっと――――くん、走ると危ないよ!」
なんて少し大きめの声でそう呼びかけながらも、彼女の声は飽きれ声が混じっていた。そんな声を聞きながら“昔はそんなことをよくやってたな……”と思ったその時、絶対に忘れてはならなかったはずの、次に起こる事を瞬時に思い出した。
「おい危ない、飛び出すなっ‼」
そう叫ぶことの意味がないことなど、自分でも分かっていた。しかし、そのシーンを目(ま)の当たりにすれば本能的にそう叫ばざるを得なかった。その、数舜後。
「い、いやぁぁぁぁっ!」
後を追っていた少女の、その現実を認めたくない悲痛な声が辺り一帯に響き渡ると同時に、視界も段々と暗くなっていく。
「ねぇダメだよ――――くん、死んじゃ嫌っ‼ 約束したじゃない、二人で一緒に……」
彼女は倒れるもう一人の僕の近くに駆けて行き、頭を抱きかかえながらその後も続いていたであろうそんな精一杯呼びかける言葉は、視界がどんどんと暗くなりつつも自分の記憶が途切れるまで彼に向けて、そして辺りに響かせていた内容を僕に思い出させた。
その後は後遺症もなく奇跡的に無事に回復したものの、この件がきっかけで時が経つにつれ二人の間に溝が出来た。その為かこの水の中のような空間に来る直前の僕の生活には、彼女が記憶の片隅にしか存在しなくなってしまっていて、この忘れてはならないはずの出来事については、今さっきまですっぽりと抜け落ちていた。
ただ、今回は何で彼女の悲痛な声が……そうだ、思い出した。その時はいい天気の休日だからと一人暮らしをしているところの近所を散歩しようと交差点の横断歩道を歩いてたんだ。そしたら、あまりスピードは出ていなかったものの、信号がついてない細めの道から車がいきなり飛び出してきたせいで衝突して気を失ったんだな……
詳細は違うものの二つの出来事のいきさつを思い出し、そのせいで彼女が僕へ呼びかける声を思い出した……などと思っていたが、しかし次の瞬間。
「お願い――――くん、起きて……っ! もうあの時みたいに、離れ離れにはなりたくないの……‼」
その声は震えていて、しかしその言葉とともにぎゅっ、と手を握られると、その感触も含めて彼女の物であるとすぐに気づいた。その手を目頭の辺りまで持ち上げられると、自分の手の甲や指がそこへたまった涙に触れる。そんなに悲しませていたのか、と思いつつも、自分のせいで彼女を傷つけ、そしてその後もその時の自分の行動の後悔から関係がこじれさせたのに、まだそんなことを言われるのは……
「私は――――くんがいない生活を送って、本当に辛かったの。昔からずっと一緒で、何でも話せて、バカやれた時間がとても安心できて……だから、この数年間は寂しかった。だから、ここで永遠にお別れなんてやめてよ……っ」
その言葉に“はっ”とさせられた。僕にとっても確かにあの毎日が楽しかったのは事実で、特にあの事故の直後は何度も後悔したくらいだった……そして、僕はそれを二度と思い出さないよう蓋をしてしまっていた。
でも、彼女にとってはその言葉通りに思い続けるものであり、ある種の希望でもあったのか……なら、覚悟を決めよう。目を覚ましたらまずは彼女に謝り、自分の思いを伝えるしかない。この事故の事だけではなく、今までの事も……ここまで思い続けてくれているから、それに対するお礼も付け加えないといけないか。
多少の照れくさや余計な申し訳なさはあるけれど、そんなものはこの、よく分からない空間に置き去りにしよう。ここはもう記憶を貯める役割は果たした上に魔法使いの秘密の部屋でもなんでもない、そんなところに置いたものを取りに来るのはもうこりごりだ。