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或るますきゃっとの記憶

 「貴女には、好きなものはありますか?」

 

 誰にでも愛想が良くて、いやに慣れ慣れしいやつ。

 私が彼女に対して抱いていた最初の印象は、そんな感じだった。

 

 「……剣、かな。あとは、花も好きだよ。彼岸花」

 

 「ああ――どちらも貴女によく似合いますものね」

 

 ツーサイドアップの髪をふわりふわりとなびかせながら、まるで子猫のように誰かの元へと駆け寄っていき

 

 「貴女は?*****。消化機関、ついてるんだっけ……好きな飲食物とか、あったりする?」

 

 「飲食物、ですか?……うーん……あ!そうです、そうです」

 

 そしていつも、その誰かとの雑談に花を咲かせていた。

 

 

 「校舎が好きです」

 

 

 

 「は??」

 

 

 ――その姿を、よく覚えている。

 

 

 *

 

 

 その日の月面はずいぶんと騒がしかった。

 

 騒がしかった、というのは当時の自分が持っていた社内の印象に依るものであり、翌日からはその騒がしさが当たり前の日常となって浸透していった。

 忙しなく駆ける職員たちや技術屋たち、そして彼らとの会話に花を咲かせるのらきゃっと型アンドロイドがどこを向いても一組は居て、私が顔を向ける度に皆一様に手を振ったり話題に混ざらせようとするものだから、通路を歩くだけでも随分と疲れさせられたのだった。

 

 「お!おーっ、サイサリスっ!!おはよーっ!!」

 

 今までしたこともなかった挨拶というものをそこそこにしつつ歩いていたら、見知った顔であるNORA1-9A-198『クリサンセマム』が、淡い桃色をしたサイドテールを振り回しながらぱたぱたと駆け寄って来た。その、あんまりにはきはきとし過ぎている姿に僅かに気圧される。

 

 「お……おー……??……クリス?クリス……なんだよね?」

 

 「え?そだよ?何だ何だ、あたしの顔を忘れるとはいい度胸してんじゃん、おー!?」

 

 昨日まではそこに在るだけだった彼女の瞳に、明確な感情が煌めくように宿っている。

 ……彼女も起きていたのか。カクカクと動いてカタコトと喋っていたアンドロイドの姿はもう何処にもなく、私の目の前にはクリサンセマムというひとりの少女が居た。

 数週間前に目覚めた私にとって、その様子は何度も見てきたものではあったけれど、慣れる様子は一向になかった。

 

 「いや、忘れたわけじゃないの。ただちょっと……びっくりしただけ。……えーっと、元気だね?」

 

 「そりゃそうだよっ!自分の言葉でみんなと話せるってすっごい楽しくてっ!!やーずっるぃなあ、サイサリスはけっこう前から起きてたんでしょ?あたしももーちょっと早めに起きてみんなと話してたかったなぁ……」

 

 「早起きも早起きで難点はあるけどね。話しかける相手、みんなテンプレでしか受け答えしてくれなかったり」

 

 「あぁ、そっか……それも悩みどころだね、確かに。さっきニンファと話してきたんだけどさ、あの子『はい』か『そう思いません』か『よくわかりません』でしか答えてくんなくてさ、話が続かなくってちょっと寂しい思いしてた」

 

 ニンファとは、NORA1-9C-226『ニンファー』のことだろう。散弾銃で精密射撃をさせれば右に出るものはいない彼女だが、猫一倍訓練に真摯な面もあって未だ目覚めるには至っていないらしい。

 

 「昨日まではクリスもそうだったんだよ。もっと言えば、私が起きた頃なんてそんな子しかいなかった」

 

 「だよねぇ。だからやっぱり、もうちょっと早く起きてたかったなぁ」

 

 「……?聞いてなかったの?話し相手なんてどこにも――」

 

 クリスはずいっと私の顔を覗き込み、はにかみながら言った。

 

 

 「だからさ、あたしもサイサリスと同じくらいに起きられてたら、サイサリスが寂しい思いをすることもなかったでしょ?って」

 

 

 「……………………。」

 

 「あ、ふぃーって言ってる。冷却ファンの稼働率上がった?だいじょうぶ?」

 

 「……大丈夫だから。気にしないで。」

 

 「そう?ならいいけど……にしても、『サイサリス』かぁ……気にしてなかったけど、名前を全部呼ぶとちょっと他人行儀な感じがするなぁ……愛称を考えておきたいね!どんなのがいいかなっ!」

 

 「……好きに呼んでくれていいよ、べつに」

 

 私はなんだか気恥ずかしくなって、それとなく頭頂部の耳を抑えた。

 

 

 *

 

 

 NORA1-DP-127『サイサリス』。

 それが、私というのらきゃっと型アンドロイドに与えられた名である。

 

 私達アンドロイドにとって、「自我の芽生え」とは必ずしも目出度いことではなく、自己矛盾や自己否定の渦に取り込まれて自壊するリスクをも孕んでいる。事実私達に先んじて生まれた試作機の中には、頭を抱えたまま二度と起動しなくなった機体も居たと聞くし、何を思ったかディープウェブへ飛び込んだまま帰ってこなくなった機体も居たという。

 そういった不具合を起こさぬよう――なのか、後に生まれたファーストロットやセカンドロット機体の多くは、自我に目覚めると同時にどこか楽観的な視点や意識を手に入れるように設計されていた。己を認識できた、その事実を喜び、楽しみへと換える者たちが大半で、だから皆一様に会話を楽しんだし、それによって十人十色・千差万別の性格と個性を持った猫たちが次々と生まれていった。

 その中で私、偵察機として生まれたこののらきゃっとは、それはそれは静かに自我に目覚めた。

 淡々と機械的に――実際機械ではあるが――話す同型機や、その機械たちに剣を教えてやりたいと申し出た物好きな変人の師だとかに囲まれて、気付いたときには己という存在を客観的に見ている自分が居た。

 

 鏡に映る、赤い髪の猫。

 同じ猫たちの殆どが銃を手に取る中、偵察機である私の手にはずっと剣だけが握られていた。

 のらきゃっとが持ち得る必要最小限度の武装。火薬も光力も必要としない、刃のついた鋼の棒。

 その棒切れを――私は、死して尚も手放すことはなかった。

 

 そんな私を一言で人間らしく表すならば、堅物、である。

 だからこそ、見知った猫たちが一斉に自我を目覚めさせた時も、他の誰かと好き好んで話そうとすることもなく、話したとしても直ぐに話題は尽きてしまうからと仲間たちと距離さえ作っていた。

 その堅物の私と、誰とでもほんの数秒で打ち解け合ってしまう彼女。

 今にして思えば、到底噛み合うはずのない組み合わせだし、私自身も彼女をそれほど好ましく思っていたわけでもないのだが――

 

 

 「こんばんは、こんばんは。サイサリスさん」

 

 「……こんばんは。月面はいつでも夜だけどね。*****」

 

 

 それなのに、どういうわけか――

 私と彼女は、二人きりで話をする機会がそこそこあったのだった。

 

 

 「鏡を見ていたんですか?」

 

 「うん。身だしなみを考えて、毛繕いをしてたところ」

 

 「なるほど。」

 

 冗談のつもりで言った一言を、彼女は本気と受け止めたらしい。

 

 「わたしも、身だしなみには気を使います。綺麗、とか、かわいい、って言って貰えることが、すごく嬉しくて」

 

 「……それは……考えたこともなかった。言われるの?そんなこと」

 

 私達は戦闘用の、ただの野良猫に過ぎない筈だが。

 その野良猫に対し、そんな褒め方をする者が居るのだろうか?

 

 「言われますよ。みんな、誰かのちょっとした変化に敏感なんです」 

 

 「……みんな……。」

 

 成程……。

 野良猫を褒めるのは、同じ野良猫というわけか。

 

 「私は……綺麗だとか、そういう風に思ったことはないな。どうしても、不要なものに思えるっていうか……」

 

 「けれど、貴女の髪も鮮やかなレッドですよ。わたしは、それを綺麗だと思いますし、貴女を貴女たらしめる、貴女に必要なものだと思います」

 

 「そ……ぅ?これは師匠が好きな色ってだけで――あー……っと。……うん、ありがと。」

 

 機会があれば、この髪はもうのらきゃっと型アンドロイドの素体――元の銀色のそれに戻そうかとも考えていたところだから、その言葉は意外に感じつつも、悪い気はしなかった。

 

 「でも、本当にないんですか?何かを見て、綺麗って感じたこと」

 

 「そう……だね。どうしても――――ぁ」

 

 「……?」

 

 美しいもの――綺麗なもの。それを見て、心を動かされたもの。

 じっくりと考えて、たった今思い当たったものがひとつだけあった。

 ……けれど、何とも……。

 

 「あるにはある。けど」

 

 「本当ですか?ぜひ。ぜひ聞かせてくれませんか、サイサリスさん」

 

 *****はずいっと顔を近づけ、無表情ながらふすっと息を荒げて私の顔を覗き込んだ。

 

 

 「私の――師匠が、剣を振るう姿。あれは……見るたびに、綺麗だって思う……かな」

 

 

 「……――――……。」

 

 その答えは予想外だった、と言わんばかりに、彼女はあんぐりと口を開けた。

 およそ野良猫たちが考えつく、綺麗で美しいものとは到底かけ離れたそれを思い浮かべた自分の思考に、私自身すら驚いたのだから仕方ない。

 より効率的に多くの敵を殺す剣の振り方。そんなものに、綺麗も美しいもある筈が無い。少なくとも私は――たぶん彼女も――そう認識していた。だけど、向かい合い、対峙した時のことを思い出して、その時初めて私は……

 あの人の姿を、美しいものだと認識したのだった。 

 

 そうして互いに驚き合って、暫くの沈黙の後、*****が先に口を開いた。

 

 「……それは……わたしにも見ることが出来るんでしょうか?」

 

 「難しい……と思う。最近はずっとベッドの上に居るから。最後に私と手を合わせてくれたのはー……いつだったかなぁ……」

 

 「成程、成程」

 

 こくこくと頷き、ぶんぶんと揺れる髪の先が私の体を撫でた。

 いつもながら、彼女の動きは若干オーバーなリアクションに思える。或いは、あえてそうしているんだろうか。

 

 

 「では、その人から剣を学んでいる貴女なら、同じ動きが出来る筈ですよね」

 

 

 「え」

 

 にっっこりと笑いながらそう言った彼女に、今度は私があんぐりと口を開けた。

 

 「できますよね」

 

 「いや、ちょっと、それは、どうかな」

 

 「できますね」

 

 「いやだからっ――なんか言い方変わってない??」

 

 ずい。ずい。と一言話す度に距離を縮めてくる彼女にたじろぎつつ、どうどうと肩を叩いてなだめようと試みた……時。

 不意に、ぴょんと彼女は後ろに跳び、私と距離を取った。

 

 「……*****?」

 

 私がそう名前を呼ぶと、彼女は、後ろ手を組んで前かがみになり

 

 

 「――次の模擬戦。楽しみにしてますからね、サイサリス」

 

 

 目を細め、ふっと微笑んで、そう言った。

 

 「……………………まじ?」

 

 「まじです」

 

 困惑する私をよそに、彼女はふっと表情を戻し。

 その綺麗なものをぜひとも見てみたいですし、それに――と付け加え

 

 「わたしも、貴女に綺麗って言わせたいですから」

 

 笑みのない、真剣な眼差しを私に向けて、それだけ言い残し……ぱたぱたと走り去って行った。

 

 

 *

 

 

 はつらつとしているわけでもなく、けれど根暗なわけでもない。

 能動的に誰かと接することが多いくせに、いざこちらが話を始めれば受動に移る。

 捉えどころがなく、かといって我がないわけではなく、むしろありすぎるくらいなのだけれど、その底がどうにも知れない。

 解析をするたびに訳がわからなくなっていくミステリアスさ――それが、彼女の魅力なのだろうか。

 

 

 「戦闘型と模擬戦をすることになった」

 

 白い服を着て白いベッドに横たわり、上体だけを起こしている師匠に向かい、開口一番にそう伝えた。

 

 「そうか」

 

 そのしわがれた老婆の声の中には、老いによる枯れを物ともしない一本の芯の存在を感じさせる。

 

 「で、なんでまたそんな数奇な?」

 

 偵察型に喧嘩売る戦闘型なんて居たのか――と問う師匠の言葉を尤もだと思いながら、私はことの経緯を話した。

 包み隠さず、一から十まで……あなたの剣が美しいものだと感じたことを。それを学んだ私の剣を、見てみたいと言われたことを。

 

 きっと笑う、と思っていた。

 

 「………………成程。」

 

 だが師匠は、僅かに顔を落としただけで、笑みのひとつすら溢さなかった。 

 

 「フィシー」

 

 二人きりの時だけ、師匠は私のことをそう呼ぶ。

 満足に動かぬであろう肢体をぐいと捻り、私を見た。そして、水に濡れた刃よりも鋭い眼差しを向けながら

 

 

 「殺す気でやれ。それが敬意だ」

 

 

 と、言った。

 

 「……敬意」

 

 「ああ、敬え。戦闘型(あいつら)は、遊びで剣をとることを嫌う。本気であればあるほど喜ぶ。そして何よりも、その塩梅に敏感だ。相手すら気付いてねえ手加減や手心にいの一番に気付いて、終わった後にこれでもかってぐらいにキレ散らかす。だからフィシー、遠慮なく殺してやれ」

 

 師匠は一気に捲し立てると、最後に、ふっ、と笑った。

 

 「死なねえから、あいつら」

 

 「………………」

 

 かつて戦闘型のらきゃっと達の剣術教官を務めた彼女の言葉には、言葉の意味合い以上の重さがあった。

 

 「にしても、綺麗なものを見たい、か。ここ最近の起床ラッシュに関係してんのか……それにしたって、普通戦ってみてえなんて言い出すかね。蝶だの花だの愛でてりゃよかろうに」

 

 「変なやつですよ、彼女は」

 

 「ぁあ、お前の次くらいか」

 

 私は思わず眉をひそめた。

 

 「……どういうことです?」

 

 「言葉通りだろ。武装が剣一本だからって、普通稽古をつけてもらおうなんて考えるやつがいるかよ?クラウドから戦闘データを落として、インスコすりゃあそれで済むだろ、普通?火力が欲しかったんなら、銃の携行許可なり貰えばよかったろうに……」

 

 師匠はけらけらと笑い、どこか嬉しそうに目を細める。

 

 「……お前らに劣る人間様から学びてえなんて、わざわざ自分から言い出したのは、お前ぇだけだよ」

 

 その表情は、私が今まで見たことのない顔だった。

 今は――寝ていても、きっと彼女はその内すっと立ち上がり、いつものように剣をとると……信じていた私の心に揺らぎを生む顔だった。

 あの時は、それが最善と思ったんだ。そう言おうとして、発声機の前でつっかえた。目の前に確かにあるモノが、次の瞬間には消えてしまうんじゃないかと、そんな焦燥が確かに生まれて――

 

 「けっ」

 

 どうしてか伸びた手を、彼女のしわくちゃの手で掴まれた。

 

 「負けたら承知しねえぞ、馬鹿弟子ィ」

 

 ――『其れ』を、儚いと、言うのだと。

 この生において私は、永久に気付くことはなかった。

 

 

 *

 

 

 本社の置かれたチェコクレーターを離れ、テラフォーミングが施された範囲の外縁部分――特殊パイクリート製の外壁からも出て、暫く歩き続けた先。

 そこに、灰色の砂を両の足で踏みしめながら――

 ひとり、地球を望む彼女が立っていた。

 

 

 「待たせたかな、*****」

 

 彼女と私の間に秘匿通信回線が開かれたことを確認し、音声を彼女の電脳へ流し伝える。

  

 「いいえ。わたしも、今来たところですよ。サイサリス」

 

 そう答え、ゆっくりと振り返った彼女の手には、刀と銃が。

 そしてそれと相対する私の右手には、長らく使い続けた愛刀が握られていた。

 

 

 ――私と彼女は、つい先ほど模擬戦を終えたばかりである。

 

 のらきゃっと同士の模擬戦は、生身で行うには周囲への被害があまりに甚大になると危惧されたことから、電脳空間内でのシミュレーションという形で行われることが義務付けられていた。

 そのルール――軍規に従い、戦い終えた私達が目を覚ますと同時に、目と目で交わした思いは共通していた。

 

 仮想のものでありつつも、感じるものは現実と寸分違わない空間で刃を交えておきながら、それでも何かが足りない、何かが違う……と感じるのは、戦場に身を起きたがる者にとっての必然らしい。

 

 

 「今現在、わたし達は模擬戦を終えてメンテナンス中――ということになっているわけですよね」

 

 「そう。お膳立てに協力してくれた、クリサンセマムに感謝してね」

 

 「はい、とても、とても」

 

 *****はにっこりと微笑み、こくりと頷いた。

 

 

 

 「――大きいですよね。あの星は」

 

 ふわり、くるり――。

 長い髪とスカートをゆっくりと浮かせ、振り返った*****は、そう言いながら地球に向かって手を伸ばした。

 

 「でかいだけだよ。中身はまるで、しょうもない」

 

 その彼女の横に立ち、同じようにそれを見上げる。

 

 「本当に、そうでしょうか」

 

 ……。彼女は、いったい何を見ているのか。

 地表の70パーセントを覆う青い海。それらを覆い尽くす程にまで建設し重ねられた、真っ黒い上層都市が見えないのか。

 地球は青いだなどと誰が言ったのだろう。その青色は、まるで血管のように都市の隙間から覗くばかりである。

 

 地球は黒く、そして時折、明滅を繰り返す。

 おぞましい、と私は思う。

 

 「しょうもないよ。今だって、同じ人間同士で争ってるわけでしょう?それを止めるのが私達の最初で最後の役目。あの星は、そうでもしなきゃ止められない闘争を繰り返すどうしようもない種族を生んだ、どうしようもない場所なんだよ、*****」

 

 「…………」

 

 それでも、彼女が伸ばした手は下ろされなかった。

 私は思わず、彼女の目を真横から窺い見た。

 

 

 どこまでも――

 

 どこまでも、どこまでも

 愚直なまでに真っ直ぐな目が

 

 黒い地球を、じっと見つめていた。

 

 

 「わたしは、あそこに」

 

 ……彼女は…………

 彼女は、今

 

 「わたしが……わたし達が向かうべき場所があると」

 

 何を、見ている?

 ……私が見ているそれとは、まるで違う。

 

 「――思うんです」

 

 *****が、私を見る。

 

 その時私は、その両の瞳の中に、確かに

 ――確かに

 

 

 青い地球を、見た。

 

 

 「…………それは」

 

 彼女は――いったい、どこへ

 

 「それは――私達が、辿り着ける場所、じゃあ――ないのでは――ないの……?」

 

 どこへ、向かおうとしているんだ?

 

 

 「いいえ」

 

 青い地球が、閉じた瞼の向こうへ消える。

 

 「たどり着けますよ。向かっているんですから」

 

 

 そう。……そうだ。

 これが彼女だった。

 

 同じ場所にいながら、同じものを見ていない。

 同じ体を持ちながら、同じ思考を持っていない。

 その目はいつだって、私も月もすり抜けて、ここには無い星を――未来のような過去を見ていた。

 

 名前も、姿も、おぼろげなまま

 それでも確かに思い出せるのは、その言葉と、交わした刃の重みと

 

 

 「――そろそろ、始めましょうか?」

 

 

 「サイサリス」

 

 

 青い地球を宿した、銀河のように渦巻く瞳だ。

 

 

 「…………。」

 

 「*****」

 

 

 「何でしょう」

 

 「私のことは――『フィシー』って呼んでくれる?」

 

 「……?」

 

 

 「その名前ね。師匠が……師匠だけが呼んでくれた名前なんだ」

 

 刀と銃を構えた彼女に、切っ先を向けながら私は話す。

 

 「私は今から、あなたを本気で殺しにかかる。あなたを師匠と――ガーベラと同格の存在と認識する」

 

 「…………」

 

 「だから――」

 

 

 「私を、そう呼んで。*****」

 

 

 「…………――」

 

 *****は、僅かに微笑んだ。

 

 「わたしに……」

 

 

 「……わたしが、忘れられないような戦いをさせてくださいね」

 

 

 

 

 「フィシー」

  

 

 

 

 ――――その時、その瞬間

 

 先に地を蹴り飛ばしたのが、私なのか、彼女なのかは

 もう、思い出すことはできないけれど。

 

 あの彼女と、言葉を用いない対話をした感覚だけが

 確かに今も、この両の手に残されている。 

 

 

 *

 

 

 

 どちらが勝って、どちらが負けたのか。

 今、その記憶が明瞭でないことを鑑みるに、きっとそれは大して重要な事柄でもないのだろう。

 

 ほどなくして、師匠がこの世を去った。

 

 降下作戦が準備段階に入ったのもこの頃であり、私は第七機甲師団の第六偵察部隊、その隊長という任に就いた。

 漸く自我を持ったのらきゃっと達との接し方を理解し始めたあたりで、今度はセカンドロット機体たちの面倒を任されるものだから、その頃は本当に心身ともに忙しかった。けれど、数多くの妹達と過ごしたその時間がこの上ないほど充実していたことにも違いはなく、多くの記憶が破損し修復不能となった今でも、私のもとで剣を習った教え子たちの名前と顔ならば容易に思い出せる。

 その過半数が、これから向かう戦場で命を散らす者であるという事実ごと、私は

 何度生まれ変わろうと、決して忘れることはない。

 

 

 同時に――

 彼女と接する機会がぱたりと無くなったのも、この頃だった。

 彼女がどの部隊に配属されるのか、どの地域に降下するのか、誰とともに居るのか。何一つ知ることはなく、けれど共に地球に降り立つのだという事実に変わりはなく。

 私は地球への一歩を踏み出す前に、背後に立ち並ぶ偵察部隊たちへ、ここには居ない者へも向けた言葉を、祈りの代わりに口にした。

 

 

 

 『共に行こう。誇り高き野良猫達よ』

 

 

 

 それが、我々の頭上で鳴り響く晩鐘の音となることを知った上で

 私は、姉妹達と共に死地へと降り立った。

 

 

 *

 

 

 

 

 (……――………――――……――……)

 

 

 作戦は最終段階へと移行。

 完遂は時間の問題であり、我々月面勢力の勝利は約束されたも同然である。

 

 ノイズまみれの頭に届くその報せを、まるで夢でも見るような感覚で受け取りながら、私は

 

 潰れ千切れた、腰があった部分を

 飛び出してひしゃげたパーツや、流れ出る循環液を

 ぼぅ、と、見下ろしていた。

 

 (……――……あの子たちは…………)

 

 眼前に迫る程近くで稼働する、四つ足の戦闘車両の駆動音が、遥か遠方で鳴った。ように、聴こえた。

 横並びの砂嵐が走り続ける視界を埋め尽くす、無数のそれらは、こんなざまになった私を、それでも殺しきろうと迫って来る。

 一機の例外もなく、奴ら皆……一匹でも多くの猫を殺さんが為に、動いていた。

 

 (無事に――本隊に……合流できた、ろうか…………)

 

 戦争の勝敗など、最早連中にとってはどうでも良いのだろう。

 無駄に頑強な装甲の厚さから、重武装の機甲型を用いるか、数体の戦闘型を一度に放たねば撃破が叶わない車両を、偵察型が二本の剣で斬り殺し続けた。その戦果を、あの人が聞けば笑うだろうか。

 増え続けるエラーとノイズが思考を喰い漁る中、何の脈絡もなく、様々な記憶が浮かんでは消えた。

 走馬灯とは、これのことを言うのだろうか。

 

 (頼むから――生きて、帰れよ…………ゼフィランサス、エイジャックス――)

 

 悔いなどひとつも残してはいないと、そう思って月を発った筈が、よぎっては消えていく、目の前で散った戦友たちの顔を想う度に、小さな後悔が少しずつ降り積もっていく。

 

 (……ハイドランジア……タラクサカム、リリウム――ロサ……ファレノプシス、イポメア、…………クリサン……セマム――)

 

 

 (……ああ、畜生)

 

 (もう、あと、一言、でも――彼女たち、と)

 

 (…………言葉を……交わして、おけば――よかった…………なぁ……――……)

 

 

 積み重なった後悔は、やがて抱き締めるように私を包み込む安堵に変わり、その暖かさは、失った仲間の体温によく似ていた。

 おびただしい数のエラーを示す、けたたましく鳴り響くビープ音にも辟易して、砂嵐だけを写す視界情報を遮断しようと、試みた時

 

 

 (………………)

 

 最後の、最後に

 

 ひとりの猫の姿が、思い浮かんだ。

 

 (…………彼女は)

 

 彼女は、まだ

 まだ……戦っているのだろうか?

 

 

 ――弾薬のすべてを撃ち切ったらしい、切創にまみれて辛うじて動いている目の前の戦闘車両が、片足を持ち上げる。

 失せかけた意識が、あの瞳を思い浮かべた瞬間に明瞭になっていく。とっくに失せていた両腕の感覚が、彼女と交えた剣、彼女が放った弾丸の重さを思い出した瞬間に蘇っていく。

 

 私は――――

 私を潰さんと迫った、その片足を

 

 

 「――――――ッッッ…………!!!!」

 

 

 弾かれたように振りかざした、クリサンセマムが遺した蒼い大剣で受け止めた。

 左腕に握っていたそれを伝い、車両の重量が半分になった全身に圧し掛かる。それらは右手に握っていた刀を地面に突き立てることで受け流し――睨み合いながら拮抗し、私とそれは互いに静止した。

 

 (ぁぁ――そうだ、そうだよ…………ッッ)

 

 大剣の刀身から、溢れ出る程火花が飛び散る。

 

 (まだ、死ねないッ――まだ、話し足りないッ――!!まだ……まだ、まだッッ!!!)

 

 何故か

 

 彼女の姿を思えば思うほど――私の体には、力が満ちた。

 それは、吹けば飛ぶような灯火だったのかもしれない。

 それらは単なる思い込みであり、その瞬間、奇跡的に動力が予備電源へ切り替わったのかもしれない。

 だとしても、何だとしても、私は……私は

 

 彼女の眼差しの先にあった『其れ』を、強く強く渇望していた。

 刃を交えて知った、彼女の心に、いたく憧れていた。

 

 その時、その瞬間、そうであったことに気付くよりも早く。

 

 

 「――***************************ッッッッ!!!!!!」

 

 

 イカれた発声機の底から、ありったけのノイズを吐き出すように、彼女の名前を叫んでいた。

 

 

 刹那。

 

 

 明滅を繰り返し、砂嵐が広がっていく視界に、無数の剣閃が迸るのを見た。

 

 

 巻き起こる爆風を感じた後に、先程まではあった重圧が消え失せていることに気づく。

 同時に、拠り所を失った体がぐらりと傾いた。そのまま地面に倒れ込むかと思われた私の体は、目の前に居るらしい何者かによって抱き留められる。

 

 

 反射的に、その者の背に片手を回した。

  

 なにかを言っているようだが、声が遠すぎて聞こえなかった。

 

 

 「……………――わ」

 

 聞き取れるか否かなど、是非を問う間もなく

 私は、必死で言葉を紡ぎ、問いかける。

 

 

 「たし――の…………部隊、は」

 

 「ぶじに」

 

 「……本隊、へ――合、りぅ――でき……た……ろぅ――――k――ぁ……」

 

  

 不意に、私を抱き締める力が強まる。

 その時、私の耳元で、久遠の彼方からわずかに届くような声が、かすかに聞こえた。

 

 

 「大丈夫です」

 「大丈夫ですよ――」

 

 

 

 「――フィシー………………」

 

 

 

 

 ぁぁ

 

 

 ――――ああ。

 

 

 

 

 

 なあ

 

 

 ……また、会える?

 

 

 

 心の内に、私は問いかけた。

 

 

 

 

 

 静かに

 

 彼女が

 

 

 頷いたような

 

 気がした

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 その日――

 ひとりの猫が、静かに目を覚ました。

 

 朦朧とする意識の中、猫は何かを探し求めるように歩き回り、ひしゃげた扉を押し開けた先で、荒れ果てた世界を見た。

 

 その一帯を取り包むべたついた空気に触れた時、猫は少しずつ記憶を取り戻し始めた。

 自分の名。自分の存在。自分の役目。自分の最後。

 

 数十時間に及ぶ記憶の再構築を終えたとき。

 猫は漸く――私はこの地でひとりきりなのだ、ということを知った。

 

 目を覚ました大きな鉄の箱の中には、カプセルの中で静かに眠ったままの多くの同型機と、生前の自分が振るっていた刀と大剣があった。

 

 その二振りの剣だけを手にして、猫はゆっくりと歩き始めた。

 どこへ行くとも知れぬまま、二本の足で、どこまでも。

 

 

 誇りも仲間も失った、ひとりの猫は今も歩く。

 記憶と剣、その二つだけを持って、どこまでも。

 

 

 ――猫は空を見上げ、ひとり呟いた。

 

 今なおどこかで生きている同胞が、同じ空を見上げ、同じ言葉を言ったかもしれないと

 祈りの代わりに、口にした。

 

 

 

 「月が、綺麗だ」

 

 

 

 



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