「さて、と。とりあえず、こんなところまで来てみたけど……」
エルキドゥが少年を抱えて降り立ったのは、宣言通りウルクの外壁。某円卓領域程ではないものの、腐っても国を守る壁。相当に高さもあり、時折強い風が頬を撫でる。常人が落ちればただでは済まないだろう。
ポツリ、ポツリと独り言を、困り果てたように、しかし計算して吐く。
「どうしようか。流石に突き落とす訳にもいかないし」
すると、突き落とす、のあたりで抱えていた少年に変化が見られた。ほんの一瞬、エルキドゥでなければ見逃してしまう程度ではあるが、体がピクリと動いたのだ。よくよく見ると冷や汗を流しているようにも思える。
「……ねぇ、実は起きてるとか、無いよね?」
「……」
沈黙が流れる。どうやら寝たふりを決め込むつもりのようで、キュッと目を瞑っているようだ。顔に皺が寄っていて、その行動が逆に起きている証になっているのだが。
「無いよ、ね?」
「……」
さらに凄んで尋ねてみるも、相変わらず返事はない。しかし、体の震えは大きくなる一方で、最早痙攣の域に達している。正直何故バレないと思ったのか疑問に思うレベルだ。
陸に打ち上げられた魚のようにビクンビクンと腕の中で跳ね続ける少年を呆れ顔で見てから、エルキドゥは壁の縁へと近づいた。
「ふぅん。じゃあ、いいや。どうせ棄ててこいって言われたんだし、ここから放り投げてあげ……」
「わー!わー!起きてます起きてます!だから突き落とすのはやめてぇぇ!!」
漸く起きる気になったのか、少年はエルキドゥの腕の中で大声を上げもがき始めた。無論、その程度でエルキドゥが手を離すわけもなく、ジタバタともがくだけの結果となった。
「……やっと起きる気になったんだね」
「殺されそうになったら誰だって起きるよ!というか、はーなーせー!!」
儚げな寝顔とは裏腹に、少年はかなり快活に騒いでいる。先ほどまで眠っていたにしては元気が過ぎた。どうやらかなり前から起きていたらしい。
「離せというのなら、事情を話してもらおうか。あんなところで睡眠をとっていた理由をね。どうせ、あそこでも起きてたんでしょ」
「え、そ、それは……」
途端に、少年の威勢が弱くなった。何か特殊な事情がある事は間違いないだろう。
多分ギルも気づいてたんだろうな、と予想しながら、エルキドゥは子供に甘い親友にため息をついた。その気になれば拷問でもやりそうではあるが、基本的に子供に警戒が緩いのだ、彼は。だから、代わりにエルキドゥがこんなことをしなければならない。
「さて、今僕は君を抱えてる。手を離せば瞬く間に君は肉塊になる訳なんだけど……。
「ヒェッ……」
エルキドゥは、とてもいい笑顔でそう微笑んだのだった。笑顔の理由は、少年を安心させるためである。……多分。
「ふーん。記憶喪失、ね。ニンゲンにそういう故障があるとは聞いたことはあるけれど………本当?」
「だからさっきからそう言ってるじゃんか!人を疑うのも大概にすいません調子乗りました落下死やだぁぁ!」
この少年は自分の名前以外、己が
「じゃあ、ギルの寝床に居たのはなんでだい?」
「ギルって、さっきの金ピカの人?僕、あの人の名前も知らないし、気づいたらあそこに居ただけだから!本当に何も知らないんだって!」
吐瀉物が汚いから、と酷い理由で壁から鎖で吊るされている少年がそう主張する。ぷらんぷらんとエルキドゥの指示一つで動くから、拷問にはもってこいというわけだ。
ちなみに少年、一切嘘をついていないのに、ここ数分でウルクの高い外壁から3回ほど落とされかけている。かなり哀れだ。
「それで……アンヘル、だったかな。聞いたことない名前だけど」
「そ!僕はアンヘル。記憶喪失でも名前だけは覚えてるんだよね……」
「ふぅん……」
少し黙って、エルキドゥは少年、アンヘルを観察してみる。端正な見た目に、絢爛豪華とは行かないものの、決して貧相ではない服装。孤児や浮浪児の類ではない。
嘘をついている風はないがこうして縛られて吊るされながらも発狂していないあたり、常人より肝は座っているようだった。
「……ねぇ、そろそろ解放してくれないかな。……そろそろ、その、ムズムズするというか……。用を足したいので行かせていただけないかな、と……」
暫く黙ったエルキドゥを見てもう質問がないと判断したのか、アンヘルは少々震え気味の声で解放を要求する。外壁から落ちかけて漏らさなかったのは割と奇跡だったろう。
「ねぇ、アンヘル。これから君は、どうするの?」
エルキドゥは素朴な疑問を口にした。少年の今後にも関わる、かなり重要な話だ。
「どうする……って?とりあえず用を足したいんだけど……」
「それはそれとして、さ。その後。君の言葉を信じるなら、君は家もなく、物もなく、この街の市民ではない人間だよ?それこそ、用を足す場所すらないだろう」
「そうだね。とりあえず降ろしてくれない?今、鎖が左右に揺れるのも辛いんだよ……?」
「ウルクは来るものを拒まない。働けばここで暮らすこともできるだろうけど、それにしたって住居と元手は必要なはずだ」
「確かに、それはそうなんだけど、降ろして?ね?用を足してからでも話は出来るよ?僕逃げないから。割と本当に、マズイんだけど」
アンヘルは何度も催した訴えを出すが、しかしエルキドゥは排泄を必要としない神造兵器である。尿を我慢するときの緊迫と辛さを知らないのであった。
勿論、彼に知識を授けた聖娼婦シャムハトが尿を我慢する鬼気迫った心情なんてものを教えているはずもなく、エルキドゥは悠々と話を続ける。
「でも、僕としても君を放置しておくのは反対でね。もしかすれば何かしらの火種になる君から目を離すのは非常によろしくないんだ」
「わかる、わかるから!うん!降ろしてよ!?本当ヤバいんだって!うわ、風が!ちょっ、ホント!待って!」
揺れる。風が吹いたことでアンヘルを吊るす鎖が左右に。撓んだ鎖が、ジェットコースターの落下時のような感覚を持ってアンヘルの膀胱を刺激した。良い加減、アンヘルは涙目になっている。
「もしよければ、ギルの直轄で働いてみない?無論、悪いようにはしない。君の働き次第だけど、住居も用意してくれるだろうし、普通のウルク国民と同じように扱われるだろう」
悪くない条件だろう、とエルキドゥはアンヘルに問いかける。考える余裕は相手側に無いのを分からずに、割とドヤ顔で話を進めた。
しかし、良い話であることは確かである。メリットの殆どが推測なのは不安だが、アンヘルには二重の意味で是が非でもない話だ。喜んで飛びつく。本音としては、とりあえず早く降りたい。今なら奴隷契約でも喜んで結べる気がした。
「なる!なるから!降ろして!ほんと!なんでもするから!!」
「よし、言質は取ったよ。じゃあ、早速ギルのところに許可を……」
「ッッッッぁぁあああぁ!間に合わないやつだこれぇぇぇ!!」
ウルクの城壁に、悲痛な嘆きが響き渡る。
後に兵士が市民からの要請で聞き込みを行なったところ、城壁から鎖に吊るされた少年が泣きながら何かを乞う、という摩訶不思議な目撃証言が多発したらしい。
ちなみに、何とは言わないが間に合ったことを少年の名誉のために記載しておく。
真名:アンヘル
☆5(Lv90)HP13556 ATK7050
身長/体重:150cm・35kg
出典:ギルガメシュ叙事詩
地域:バビロニア、ウルク
属性:善・秩序 性別:男性
クラス適正:???
左右で表情差分。ドヤ顔と満面の笑み
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