たとえば、こういう親子喧嘩   作:オリスケ

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第9話

 爽やかな風が吹き込み、天蓋のレースを静かにそよがせている。

 王の寝室には、看護の為の女性が二人付いている。一人が薬研で薬草を磨り潰し、石が擦れる心地いい音を奏でている。もう一人はベッドの傍に座し、レースの隙間から差し出された手を、ぎゅっと握り込んでいた。

 時を刻むのをやめたよう。あるいは、時は動き続けるという事実に打ちひしがれたような光景であった。深い悲しみと共に、刻一刻と流れる時間を、ただただ静かに受け流している。

 その空気を割るように扉が開け放たれ、アーサー王が姿を現した。

 

「……外せ」

 

 一言そう告げると、看護師は弾かれたように飛び出して部屋を出て行き、扉が閉められる。

 寝室には王と、背後に立つグネヴィアだけが残される。

 異様な緊張に張り詰めながらも、寝室にはどこか成り行きを見守るような穏やかな空気が流れている。

 心地のいい風が、さあと吹く。

 天蓋の布の中から、けほっと咳き込む音がした。

 

「……なんだよ。ランスロットの糞野郎のケツを拭くのに、随分掛かったじゃねえか、父上」

 

 酷く掠れた声は、王を父上と呼んだ。見え透いた挑発を無視し、王は毅然と言い放つ。

 

「ここは私の寝室だぞ。なぜ貴様がここにいる」

「ハンッ、何ヶ月もほったらかしにする癖に、縄張り意識だけは立派だな、国王様よ」

「答えになっていないぞ。私の留守の内に、一体何をしたのだ、モードレッド卿」

 

 僅かに語気を荒げ、王は追求する。掠れた笑い声が上がるが、天蓋に阻まれて姿は見えない。

 

「オレの顔、覚えてるか? オレは、お前と瓜二つなんだよ。テメエの服を試しに着てみりゃ、家臣も民も、誰も気付かねえじゃねえか。随分と間抜けな野郎共だ……いや、テメエが誰にも信頼されてねえって、証拠かもな」

「私を、騙ったのか」

「ああ、そうさ……テメエが留守の間に、思う存分、好き勝手させてもらったよ。ハイハイ傅くバカ共を見下ろすのは、中々気分が良かったぜ」

 

 天蓋の前に立ったアーサー王は、静かに腰の剣を抜いた。

 聖剣の魔力が風になり、天蓋のヴェールを靡かせる。

 

「アーちゃん!」

「下がっていろ、グネヴィア。これは王への侮辱だ。捨て置く事はできない」

「か、はは……今更、何を偉そうにほざきやがる。手遅れになって声を荒げるのは、間抜けな愚者か、無様な亡者の仕事だぜ?」

 

 迸る魔力の奔流を感じても、モードレッドの侮辱は止まらない。天蓋の向こうで、静かに王へ侮蔑を捧げる。

 一閃。聖剣が蕭やかに振るわれた。天蓋のヴェールが横に一筋の線を描き、はらりと舞い落ちる。

 

 

 

 反逆者の姿が露わになり、王は戦慄する。

 ベッドに横たわるモードレッドは、死人に限りなく近い様相であった。

 

 

 

 幼い顔はアーサー王と瓜二つでありながら、顔に生気は無く土気色に掠れている。同じ色の瞳は、白内障に苛まれ淀みを讃えている。

 横たえた小さな身体は、さながら水気を失った泥人形のようであった。魂の灯火は、最早そよ風に吹き消される程に弱々しい。どうして生きているのかさえ不思議な程だ。

 

「卿は……」

「殺すなら、殺せよ。わざと切り詰められた寿命を全うする位なら、聖剣に錆を作る方が何倍もマシだ」

 

 モードレッドは王のベッドに背中を押しつけ、伸びをする。それだけで、パキパキと身体のどこかが割れるような音がした。

 

「何だよ、その目……オレは、ホムンクルスなんだよ。それも、魔女が国を貶める為に産み出した、とびきり悪趣味な……使い捨ての、テメエの模造品だ」

「……」

「もしかして、オレの寿命に気付いてなかったのか? ……あの時、洒落や冗談でテメエを呼び止めたと思ってるのか? どんな気持ちで、父上と呼んだと思ってる……そんなだから、『人の心が分からない』なんてコケにされるんだぜ」

 

 ひゅうと喉が鳴り、モードレッドは咳き込む。肺から空気を吐き出す事さえ、もう満足にいかなくなっている。

 そんな状態で王を見上げる相貌には、得も言えない超然とした迫力が宿り、王をひどく狼狽えさせる。

 

「よお、父上……テメエは本当は、ダメダメな王だったんだな。民は飢えていたぞ。兵は怯えていたぞ。幸せな国なんて、嘘っぱちじゃねえか……何が完璧な王だ。模造品のオレの方が、よっぽど良き王になれたぜ」

 

 愉しそうに、掠れた喉を揺らして嗤う。

 

「オレが目一杯頑張ったお陰で、アーサー王は、民に好かれる人気者になっちまったよ……これから思い知るがいいさ。沢山の民がお前を頼るぞ。困難を見て見ぬ振りなんてできねえぞ。これでもう、心が分からねえなんて、お高く澄ましてらんねえな。へ、へへ……っげほ、ごっ……ほぉ」

 

 モードレッドは静かに身体を折りたたみ、錆だらけの管楽器を鳴らすような、ざらつく重篤な咳を繰り返す。

 

「っ喋るな、モードレッド卿。直ぐに医者を――」

「うるせえ。今更、優しさを見せびらかすんじゃねえ……もう、手遅れなんだよ。ずっと前から、テメエがオレを見放したあの時から」

 

 思わず差し出したアーサー王の手を、モードレッドは掴まない。あの時、キャメロットの廊下で掴みたかった手を、侮蔑を籠めて静かに睨み付ける。

 ぜひゅー、ぜひゅーと喘ぐような呼吸を繰り返し、モードレッドはようよう、唇を吊り上げて嗤って見せた。

 

「本当は、この国をぶっ壊す事もできた。その方がよっぽど簡単だったし、オレを産み落とした魔女は、それこそを望んでいた。けれど、そうはしなかった……オレは、この国が好きだから。父上が統べるこの国を、愛していたから」

 

 譫言のように言葉を紡ぐ。ホムンクルスの耐用年数なんてとうに過ぎているのにも関わらず。

 命を失う寸前の、淀みきった目が王を捉える。得も言えぬ迫力と、今にも崩れ去りそうな儚さに、王が絶句する。

 瞳に宿る微かな灯火は、まさしく執念のなせる業だった。

 

「ブリテンの王でなきゃ意味が無いんだ。王座を継ぐに値すると思われなきゃ、何の価値も無かったんだよ……だってオレは、愛するアーサー王の、ただ一人の息子なんだから」

「モー、ドレッド……」

「へへっ。分かんねえよな。分かんねえだろ、父上? ……どんなに優秀な人間をドブに捨てたか、せいぜい思い知るがいいさ。そんでテメエがどれだけ愚図で間抜けな、思慮の浅い愚か者だったかを悔いるがいい」

 

 そう言って、モードレッドは全身の力を抜いた。

 いびきのような不格好な喉の音が、命の導火線の縮む音だ。命を失った身体が、まるで人形のような冷たい気配を纏い始める。

 思わず、王は一歩を踏み出していた。振るう場所を失った聖剣が、手を離れてカシャンと床を打つ。

 

「ダメだ、モードレッド。まだ逝くな、逝かないでくれ」

 

 王の手は、精霊に選ばれし剣を握るよりも、今まさに死にゆこうとするホムンクルスの胸に添えられる事を選んだ。

 弱々しい鼓動が、王の掌に伝わる。モードレッドは、命の炎を殆ど失って、ようやく父の掌の温みに触れる事ができた。

 

「私が間違っていた。貴公に向き合う事をしなかった。完璧を目指すあまりに、民から目を背けていた。貴方の心を遠ざけていた」

 

 声を震わせ、ふるふると力なく首を振る。

 今になって、後悔が押し寄せてくる。モードレッドの願いをどうでもいいと遮ったあの日、彼女の激情の叫び声を聞いていた筈なのに。

 

 

 下らない戯言だと思ってしまった。なぜ息子という呼び名を欲したのか、理解しようとしなかった。

 彼女はあの時、王に救いを求めていたのだ。余りに短すぎる命に、せめてもの手向けを欲したのだ。

 彼女の目を、心を、正面から見ていれば、それに気づけたはずなのに。

 心が分からない。まさしくその通りだ。

 自分は、同じ血が流れる息子の心さえ見放したのだ。

 

 

 激しい自責の念に、王は心を締め付けられる。

 彼は腰の革ベルトを外し、据えていた聖剣の鞘を、モードレッドの手の傍に差し出した。

 ”全て遠き理想郷”。剣と同様に精霊の力を授かったそれは、持つことを許された人間に、傷を癒す治癒の奇跡と、不老不死の命を与える。精霊に愛された王のみが持つことを許された、聖なる逸物である。

 それを差し出し、王は死にゆく息子に悲痛に願う。

 

「握れ、モードレッド。其方には、これを持つだけの資格がある」

「……」

「まだ死ぬな。やり直す機会をくれ、モードレッド……頼む」

「っ……へ、へ……」

 

 王の懇願を、モードレッドの掠れた哄笑が遮った。

 残り少ない命を振り絞って、モードレッドは唇を吊り上げ、獣のように嗤って王を睨み付ける。そして目の前に差し出された聖なる鞘を、手を振り払って弾き落とした。

 

「嫌だよ、バーカ」

「っ……」

「よく聞け、父上……オレはお前を許さねえ。あの時オレを突き放した事を恨み、憎み、恩讐の果てに死んでやるんだ」

 

 もう既に、顔に力を籠める事さえ満足に行かなくなっている。ブルブルと震えながら、歯を見せびらかして嗤う。

 

「ざまあみろだ……これからお前は、王都を巡る度に、オレの事を思い出す。民の笑顔を見る度に、息子を殺した罪に苦しむ」

 

 モードレッドはゆっくりと拳を持ち上げて、どうしていいか分からず狼狽える王の胸を、力なく叩いた。

 鎧越しに拳を打ち付ける。こつ、こつと、何度も何度も。叩き付けた釘を、より深くまで打ち込むが如く。

 

「オレは、お前の中で生き続ける。お前の人生最大の過ちとして、完璧な王を否定し続ける……オレは父上の汚点になるんだ。胸に刺さって抜けない棘になるんだ。オレはそうやって……自分の人生に、意味を与えるんだ」

 

 これが、モードレッドの選んだ叛逆であった。

 より良い治政を敷くことで、自分に息子たる素養がある事を見せつける。

 民の不満をを明るみに晒し、王が完璧で無いことを突きつける。

 ただ一人の息子として、王をありふれた人間に貶める。

 彼女は、誉れ高き王の、ただ一つの過ちになる。

 

「道具でしかないホムンクルスが、意味を持って死ねる。偽物の人間が、王の息子として逝ける……こんなに贅沢な事はねえ」

 

 思えば、偽物の王としての日々は、充実していた。

 焦りと苦しみに身を焦がされ続けた日々だったが、同じくらいに強い目標があって、その分必死に生きる事ができた。

 そんな必死な日々が、ある強い実感を、モードレッドの心に温かく満たす。

 

 

 ブリテンは、良き国だ。王を信じ慕ってくれる、良き民が沢山いた。

 ここに産まれられてよかった。騎士として、この国の為に剣を振るえてよかった。

 

「モードレッド……」

 

 王の胸にぶつけていた拳が、両手でそっと握られる。そこにぽたりと、涙が落ちた。

 

「んだよ……泣いてんのか?」

「すまない。本当に、すまなかった」

「へ、へ……やっぱり、ただの人間じゃねえか、テメエ」

 

 ああ、自分は生きてて良かった。

 この作り物の魂には、ちゃんと生きるだけの価値があった。

 良き王になれた。民は自分を慕ってくれた。

 それに……王に、人の心を取り戻させる事ができた。

 

 

 きっと、この国は長く続く。崇高な王は、更に人として成長し、民を導くだろう。

 自分は、その礎になれたのだ。

 大好きな父上が収める、大好きな国の、かけがえのない歴史になれたのだ。

 

 

 

 夢のようだ。これ以上なく、最高の気分だった。

 心がふわりと浮き上がる。幸せに、身体が軽くなっていく。

 

 

 

 最後に焼き付ける光景は、父上の顔だった。

 涙でくしゃくしゃになった、みっともない顔。

 およそこの世界で自分が初めて拝む、人としての顔。

 今この瞬間、王が自分だけを見てくれる。心を開いてくれている。

 それが嬉しくて、嬉しくて。勝手に涙があふれ出す。

 浮かんでいく魂が、温かな幸せに包まれる。

 

 

 

「ざまあみろ、ざまあみろだ……せいぜい、悔やむがいいぜ」

「待て、まだ逝くな、モードレッド……! 私はまだ、貴方を――」

「あばよ、クソ親父」

 

 

 

 そうして、モードレッドは涙で溢れる目を閉じた。

 最後の灯火は、自分で吹き消した。とっくに限界を迎えていた身体は、モードレッドの願ったまま、あっけなく生命活動を停止させた。

 王が胸の前で握りしめた両手から、事切れた手が落ち、シートにぽすりと落ちる。

 生きる理由を求めた彼女の、静かで健気な叛逆は、終わり方も静かに、強烈に、一人の王の心に深く温かな傷を植え付けた。

 

 

 王の涙も、喉から振り絞られた声も、何もかも全て手遅れ。

 最後まで息子と呼ばれる事なく、モードレッドはその短すぎる生涯を終えた。

 己の命に誇りを抱き、満足げに笑顔を浮かべて。

 母と父に見守られながら、息を引き取ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは、無数にある"もしも"の一つ。

 幾つもの選択肢が枝分かれする運命の大樹、その一節に過ぎない話。

 有り得なかった話。彼女がもう少しだけ優しければ、有り得たかもしれなかった話。

 分岐した支点、その先の未来では、ブリテンは永劫の興隆を謳歌している。

 心ある、優しき王が君臨する、騎士と精霊に守られた、平穏な素晴らしき王国。

 その中心、王城キャメロットの庭園の一画には、木洩れ日に照らされ淡く光る石柱がある。

 

 

 

 『ただ一人の息子へ』と記された墓には、今も欠かさず、美しい花が添えられている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




くぅ~疲れましたwこれにて完結です!(様式美)

あんなにかわいくてかっこよくて頭も切れるいい子なモが、そもそも叛逆するほうがおかしいよね、という話でした。
元々はとある企画に載せるために書いたお話だったのですが、想定よりずっと長く、また良いお話になったので、ここに載せた次第です。

これを機に皆もモードレッドをすころう。滅茶苦茶かわいいから。オラついてるように見えるのもきっと自分に対する劣等感と不安を誤魔化すためでそういう不器用で儚い所も含めて尊いから。
すころう。な?(圧力)


このモが良かった人は、前作『もう二度と剣を持てないモードレッドとの優しい隠匿生活』もよろしくね。
こっちはかわいくて、更にエロいから、尚の事すこれるよ。



感想いただけると飛び上がって喜びます。
また、文章についても思うことがあれば申していただけると、今後よりよい作品が作れるようになるので大変嬉しいです。



以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。
また次のモードレッドでお会いしましょう。

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