――似合っていると、言ったことを覚えている。
ああ、もしも。壊すことしか能のない、この爛れた腕で許されるなら――。
手の中にある髪飾りを見つめながら、アルヴィン=ゴッドフレイは静かに想いを馳せる。それはここに潜る前、学園で彼の後輩にあたる四年生、レン=ウィステリアから渡されたものだった。
それはいつかの日、オフィーリアが彼に似合っているかどうか聞いてきた時に付けていたもので、彼女の後ろにいるカルロスたちがニヤニヤと笑いながらその様子を見ていたこともゴッドフレイは覚えている。
懐かしい記憶の残滓であり、もはや失われてしまった思い出の一ページ。だからこそ、今この時になってその思い出の尊さが身に染みる。
だが何故と、何故ウィステリア四年生はこの髪飾りを渡してきたのだろうか。魔宮内にて役立つ道具でもなく、非常食のようないざという時のためのものでもなく、彼がゴッドフレイに手渡したのはこの髪飾りただ一つ。
それは、あるい神を零落させることにも等しい一手なのかもしれない。
『カルロス先輩に聞いて、同じものを購入したんです』
そう言っていたが、どうしてわざわざ?
魔宮に潜ってからも、彼はずっと頭の片隅でそのことを考えていた。
『先輩たちがやろうとしていることは、何となく察しがついています。だから俺は、もう少し足掻いてみようと思って。……仲間だったと、今でも思っていますから。彼女のことは』
ウィステリアはゴッドフレイと同じく変わり種の魔法使いである。彼は救えぬ魔法使いに救いの手を差し伸べることを目的とした魔法使いであり、それはこの学園が生徒たちにとって少しでも憩いの場所となればいいと考えるゴッドフレイの思想ともマッチするものであったために、彼らの仲間として参加していた。
しかし彼はオフィーリアと過ごした時間が他のメンバーと比べて足りず、彼女を引き止めることが出来なかった。そしてそれを悔やんでおり、故に彼女が魔に呑まれているこのタイミングを見過ごせるはずもない。
ゴッドフレイたち二人と行動は共にしていないものの、別口からウィステリアもこの三層へと入って来ているはずだった。
「……」
ゴッドフレイは考える。考え続けている。
果たして、これで良いのだろうかと。この髪飾りを渡された時から今に至るまで、ずっと。
――自分は不器用な男だ。
今まで自分が最適解を選び続けることが出来たなどとは口が裂けても言えないし、間違いを犯したことだってある。現に、この状況そのものが自分の間違いが引き起こしたとも言えるだろう。
何も彼女にしてやれず、また何も出来なかったことを悔やんでいる。過去は変えられないのだから、この状況を根本から覆すことは不可能で。
ならばきっと、自分はこの先もずっと、この後悔を抱えて生きていくのだろう。
だけど。
「……カルロス」
もしも、そうならない道があるのなら。
「なあに? アル」
ゴッドフレイに呼ばれたカルロスが彼の方へと振り向く。振り向いた先には、何かを堪えるような彼の表情があって。
「……やはりお前は、これから先も俺に着いてきてはくれないだろうか?」
「……アル?」
その問いに、カルロスは一先ず困惑をもって答えた。ここから先で、自分が何をするかわかっていないはずはないだろう。だというのに、彼は何を言っているのだ?
カルロスの困惑はしかし、「頼む」と言いながら頭を下げるゴッドフレイの前に霧散する。
もしや、彼は――。
そう察して、カルロスは頭を悩ませる。どうするべきなのか、逡巡して、やがて彼に答えを返す。
頭を上げたゴッドフレイの目には、決意があった。こうなった彼はもう止まらない。その決意のままに、この道を進むだけだ。
――もしも、そうならない道があるというのなら。
頼ってもらうだけでなく、後輩を頼ってみるのも……情けない話ではあるが、先輩としての務めであるのかもしれない。
そう自嘲しながら、彼らは再び歩き出す。
そして――。
“寂しがりの子は、どこかしら?”
地獄で苦しむ少女の世界に、歌が一筋の道を作る。そして閉ざされていた彼女の世界に、異物が二つ混ざってくる。
世界の中で、魔に呑まれつつあるオフィーリア=サルヴァドーリと相対しているのはヴェラ=ミリガンと、彼女の手助けによりこの場へやってきたオリバー、ナナオ、ミシェーラ、そして彼らに助けられた一年生四人。他にもミシェーラ……シェラの血縁上の妹にあたるステイシーやその姉など幾人もの魔法使いたち。
そして、ミリガンたちと共にやって来ていたレン=ウィステリア。
オフィーリアを討つたった一度の機会を逃して、彼女に追い詰められつつあった後輩たちだ。
「間に合った……」
その窮地に現れたのは二つの影。言うまでもなくアルヴィン=ゴッドフレイと、カルロス=ウィットロウ。
「――カルロス……!? それに……」
先輩、と。カルロスの側に立つ長身を見ながら心中で呟く。
「ごめんね、遅くなって。――迎えに来たわ、リア」
「……っ、近寄らないで!」
中性的な風貌を持つ、彼女の幼馴染。この時のために生きてきた彼が、彼女の前に立ち塞がる。
そしてカルロスが柔らかな微笑みと共に、彼女の元へ歩こうとして――けれど。
歌が、止まった。
「……って、言いたかったんだけどね。もう一つ、ごめんねリア。……あなたの相手は、私じゃないの」
くるりと、カルロスは前ではなく後ろへ歩く。まるでそこにいる誰かと、選手交代するみたいに。
ならば誰と交代するかなど、一人きりしか存在せず。
それこそは、彼女にとって最も残酷な選択なのかもしれないとわかっていても、彼はそれを選んだ。いいや、選び直した。
何故なら彼の友人が、あんまりにも真剣に頼むものだから。それに応えてこそ、友人と言えるものだろう。それに、そう――幼馴染の恋路を応援することもまた。
「……先、輩……?」
「……オフィーリア君」
だから、この異物が混ざった空間において、オフィーリア=サルヴァドーリの相手は、アルヴィン=ゴッドフレイなのだ。
「ど、どうして……」
「――言葉はない。俺に、この場に立つ資格はないとわかっている」
ここへ立つに相応しいのはきっと、カルロスの方であるのかもしれない。彼女を救えるのは彼だけなのかもしれないと、そう思っていても自分はここに立つことを選んだ。
すまない、何もしてやれなくて――そうでなかったなら、カルロスの後ろでそう言うつもりだったのかもしれない。
『……じゃあ、何がしたいんですか? そんな面倒な女の隣に座って』
けれど、違うのではないか。そうではない、そうじゃないのではないか。何もしてやれなかったことを悔やむと言うのなら、今からでも、ここからでも、何かをするべきなのではないか?
いいや彼女と袂を分かった後、すぐにでもどうして――。いや、今、後悔はすべき時ではない。
「来い、オフィーリア君。学生統括として……いいや。ただのアルヴィン=ゴッドフレイとして、全てを受け止めるとここに誓おう」
「――――っ、ぁぁぁあああアアアアっっ‼︎」
炎と触手がぶつかり合う。だが、その拮抗が長くもつはずもない。
威力が違う。質が違う。たかだか触手の数本ごとき、この炎を前にすれば炭の材料としかならない。
ここに来るまで、何体もの
「ふ、ふふ……本当に、学生統括様が直々にわたしを殺しに来たってわけね」
わかっている。これは、あの日の続きなのだ。あの日、決定的にオフィーリア=サルヴァドーリが彼らと袂を分かった時、彼は結局彼女を殺さなかったから。
だから今も、こうしてオフィーリアは生きているしこんなことにもなっている。結果論に過ぎないが、彼が彼女を殺していればこんなことにはなっていないのだから。
彼女が何度誤っても、彼はそれを許すのと同じ。悪意をぶつけたとしても、断罪することはなかった。
「だったら、今度こそちゃんと殺さなきゃねえ」
生まれ出でる魔獣たちを従えて、女王は静かに狂笑を浮かべる。
その様を見ながら、彼は思う。どうしてこうなったのかと。
わかっている。これは全て、全て己の未熟さが招いた責なのだと。そこには何の言い訳も通用しない、自分が背負うべき過ちと責任に溢れているだけだ。
魔獣たちを灰へと変えながら、しかしゴッドフレイの内にあるのは後悔の感情だ。彼女の言う通り、事ここに至ってはもはや殺害することでしか彼女を止める術はない。
そして自分は戦うことしか出来ない男だ。殺すことでしか止められない女と、殺すことしか出来ない男が揃えばどうなるかなど文字通り火を見るよりも明らかだろう。
それしか出来ないからこその後悔。もっと、上手くやれていた時間もあったはずなのに。
ゴッドフレイ、オフィーリア、カルロスにそして仲間たち。
「どうしたんですかゴッドフレイ先輩? 学園統括の名が泣くんじゃなくて?」
いくら焼き尽くされても、
例えば、ゴッドフレイの力が災害の如きものだとしよう。規模が小さなものでも多くの人を虐殺出来るのが災害というものの恐ろしさだが、しかしここはオフィーリアの世界なのだ。どれだけ強大な災害でも世界そのものを壊すことは出来ないように、今この景色を塗り替えている世界は例え“煉獄”の炎であっても消し飛ばすことは叶わない。
だが、それがどうしたという。
「そちらこそ、まさか数で押せば俺を殺せるなどと勘違いをしているわけではあるまいな。俺を殺したいのなら、もっと本気で来るがいい」
「言って、くれるじゃない……!」
たった一人の男へ殺到する魔獣たち。そこらの一年生ならば何十人いようと何も出来ずに質量だけで圧殺されるだろう数だが、しかし。
「ふっ――!」
ここにいるのは学生統括を務める五年生、魔炎操る煉獄の長。断じて並みの魔法使いではない。
大抵の呪文ならば弾くはずの鱗の装甲、硬き皮膚、強靭なる肉体、全てが灰と化していく。獣たちの一体すら、彼の元へと届くことは出来なかった。
これが学生統括。これがゴッドフレイ。
魔法の威力に関してならば、この場の魔法使い全員を合わせたとしても彼に届かないのではないかと思わせる圧倒的な熱量がそこにあった。
ナナオ、オリバー、ミシェーラは優秀だ。同じ一年生の中でもその実力は頭一つ抜きん出ており、間違いなく一年生最強候補の三人だろう。
この学園で四年間生きてきたミリガンもまた“蛇眼”の名で呼ばれるだけはあり、ナナオとオリバーの二人を相手取りながら余裕を持って“遊ぶ”ことが出来るだけの実力を持っている。
そのミリガンをして実力がふた回り違うと言わしめるオフィーリアも、尋常の強さではないことがわかるだろう。
しかし、そんな彼女たちと比較しても尚、ゴッドフレイの炎は桁が違うと言わざるを得ない。
ミリガンやオリバーたちでは弱点を探りながら工夫をして倒さなければならなかった
「どうするオフィーリア君? まさか炎への対策はしていなかったのか?」
そんなわけはない。彼女の知る最も恐るべき男の攻撃手段だ、当然炎の呪文への耐性だって――しかし、その上から焼き尽くされるという現実。
少し離れている間に、彼への評価を見誤っていたとでもいうのだろうか。もしくは魔に呑まれつつあるこの瞳が節穴にでもなったか。どちらにせよ、半端な手段ではこの男をどうすることも出来はしない。
ならば、オフィーリアに勝機は絶無であるのか?
――否だ。
「……だったら、望み通りに……」
オフィーリアの触手が、
「――――殺してやるわよぉ‼︎」
彼女の
それは殺到というレベルではなく、もはや獣の津波となってたった一人の男を殺すために獣たちが重なっていく。
サルヴァドーリの魔道を完成させた魔女が、ついに本気を出した瞬間だった。
ゴッドフレイもその類稀なる火力をもって襲い来る獣を次々に焼き尽くしていくが、なにぶん今度は先ほどまでと数が違う。一匹殺せばその間に後ろから二匹も三匹も現れる始末だ。
獣の包囲網は、着実に男を敗北へと追い立てていく。
しかし、それを見てもオフィーリアの内に芽生えるものは嘲りでも、ましてや憎悪でもなかった。
(……凄いなぁ、
子たる
魔に呑まれつつある身と心を、自ら証明するかのように。
(あの頃は、もっと魔法の扱いが下手で……術を使うたびに失敗して。そんなだったのに、今はもうこんなに上手くなったんだ)
彼が自分の魔法で自分を傷つけるたびに、彼に治癒の魔法をかけていた頃を思い出す。――何故か、そんな記憶だけはまだはっきりと思い出せた。
『……いつ火傷しても……わたしがいます。……ちゃんと治します、から』
もう、そんな必要はなくなってしまったのだ。
ズキリと、胸が痛む。
自分の体質が集団の和を乱すと言われた。治癒の魔法も、もっと上手い使い手がいると言われた。だからもっと違う方法で、自らの価値を見出すしかなかった。
彼の側にいるに相応しいだけの強さを自分が持っていると、売られた喧嘩全てを買って全ての相手を倒して証明した。
……けれどそんなことをしているうちに、かつて笑い合っていたはずの、仲間と呼んでいたはずの者にまで手を上げてしまうことになった。
勝手に漏れる
治癒すらもう必要ないと言われて。
ならばと実力を示せばますます集団を壊す羽目になって。
自分はとことん、彼の隣に相応しくない女なのだと自分で自分に思い知らせていくだけだった。
最後の砦だった自分の本当の実力すら、今や彼には必要ない。五年生になった彼は学生統括という地位にまで昇り詰め、そして学園中からその存在を恐れられるようになったのだ、わたしなんか居ても居なくても変わらないだろう。
ズキリ、ズキリと痛みが走る。
何故、どうしてこんなに痛い。
そうとも、実るはずのない―ぃ―だったなんてわかっている。だから、未練なんて無いはずなのだ。……無いはず、なのに。
「……ぅ、うぅ……っ……」
合成獣たちが炎で焼かれるたびに、存在しない痛みが走る。痛覚の共有などしていないのだから、あれらがどれだけ焼かれようとも痛みなんてあるはずはない。だと、いうのに。
燃える炎の煌めきが、その明るさが、自分は所詮彼という光に惹かれて飛んでいた一匹の羽虫だったのだと思い知らされるようで。彼に相応しくない自分が暴かれていくようで。
まるでそれこそが、この胸に残り続ける自分の後悔なのだと――。
「――っ、違う‼︎」
違う、そんなことはあり得ない。
「していない、後悔なんて、絶対に!」
自分は魔法使いなのだ。魔道を歩むことこそ本懐で、この身はそのための歩く器に過ぎないのだから。その使命と狂気に従い、ご覧の通り自分はサルヴァドーリを完成させた。
代償として魔に呑まれることにこそなったものの、そこに後悔なんてあるわけがないだろう。
千年、千年だ。その長き歴史を最高の形で終わらせることが出来る、その栄誉が今そこにあるのだから。だから、何も、悔やむことなど。
「どうして、来たのよ」
体が引き裂かれるようなこの痛みは、呑まれていく際に生じる痛みなのだろう。そうに違いない。そうでなければ、痛みなんて感じる理由があるわけない。
悲しくなんて、ないのだから。
「どうして……っ!」
サルヴァドーリと呼んだじゃないか。わたしを、その名で呼んだじゃないか。
『初めまして、オフィーリア君。姓で呼ばれるのは嫌いだというから、不躾だがこう呼ばせてもらう』
『もう何も語らん。――だが、けじめは付けてもらう。
出会ってから一度も呼んだことのない名前を、あの時呼んでいたじゃないか。
あの時わたしは安堵した。これでもう、分不相応な光を求めないで済むのだと、苦しみながら、痛みに喘ぎながら、みっともなくジタバタと無駄に足掻いて、みっともない真似をしなくて済むと思ったから。
なのに、どうして。
「その顔は何なのよ……!」
どうしてそんな顔をする。あの時のように、怒りをぶつけて来ればいい。憎めばいい。仲間を傷つけられたことを許せなかったように、学園の生徒を傷つけたわたしに戦意をぶつけてしまえばいい。
間違えている。わたしに向けるその炎は、怒りの象徴でなければならないのに。
なのに、どうしてそんな、初めて会ったあの時のように……どこまでも真っ直ぐに相手を見つめる目をどうしてしている。戦意の中に、どうして微笑みすら浮かべている。
「やめて、やめなさい。そんな目で見るな……」
「見るなあぁぁぁッ!」
頬を伝う、瞳から溢れた水滴に気づかないまま……少女は、童女のように泣き叫んでいた。
――そう、間違えている。最初から間違えていたのだ。
理性が擦り切れる寸前、寸前だからこそ、しっちゃかめっちゃかな心のまま少女が一人叫んでいる。
「最初から嫌いだった、大嫌いだったのよ! カルロスも、あんたも‼︎」
それは安堵を取り戻すための足掻きだ。……彼に嫌われるための、自分が楽になるための。
「こんな女に夢なんか見させて、いいお笑い種よ! いっそ、最初から……最初から遠ざかってくれればよかったのに」
あなたという光が、わたしなんかに近づいてくるから。だから、泡沫のような夢を見てしまった。
こんな汚れたわたしでも、光に手を伸ばしても許されるのだと。
「自分で自分の股間に魔法を使うところなんて滑稽だった! 笑ったのは、おかしかったのは、そんなあなたが馬鹿にしか見えなかったから! 何度も何度も会いに来て……ますますわたしが周りから変に見られると思って辞めて欲しかった!」
幻滅すればいい。わたしはそういう女なのだ。
だから何度でも、わたしは。
「あなたの仲間を傷つけた! いい気味だった! わたしを影で笑ってたんだからあんな目に合って当然よねぇ、痛がって泣いてる姿が面白くって笑ってあげたわ。だから、だから……」
お願いです。嫌ってください、構わないでください。わたしに希望なんか持たせないで。
胸がどんどん痛むんです。辛くて仕方がないんです。そんなあなたの顔を見るたびに。
まだ――あなたに惹かれている自分を自覚してしまうから。
「オフィーリア君……」
どうですか? 酷い女でしょう? 敵としてしか見れないでしょう?
あなたの敵になれたから、わたしはこの思いから逃げられるんです。
――――
「
「――っ!」
けれど、彼はオフィーリアを嫌わなかった。
そう、間違いは正さなければならないから。
「側にいながら何も出来なかったこと。今も悔やみ、恥じている」
何故何も出来なかったのだろう。何故何もしてやれなかったのだろう。
この学園を、生徒にとって少しでも憩いの場所となるように。そう考えていながら、何故大切なことを見逃していたのだろうか。
集団を導くリーダーとしてまだまだ未熟だったなど、言い訳としては何も通じない。
何故なら生徒にとっての憩いの場所というのなら、自分の一番近くにいた彼女たちにこそ、まずは居場所を確実なものとしなければならなかったと……何故考えなかったのだろう。
わかっていたことだろう、オフィーリアという少女が周囲からどう思われていたかなど。彼女を受け入れたのは、あの時自分たちしかいなかっただろう。
カルロスが自分に彼女を紹介したのは、そんな彼女を思ってのことだったのだから。
ならばこそ、彼女の立ち位置を明確なものにしなければならなかった。
人が増えれば、それだけ考え方や思想が違う者も例え同じ集団内だとしても多くなる。それは彼女を排斥しようとすることもそうで、そのことについてまずは考えを及ぼすべきだった。
その結果、自分という男が汚名を被ることになっても……彼女の苦しみが少しでも和らぐなら何のこともないはずだった。
なのに自分は慣れないことに右往左往するばかりで、そんなことすら見失っていた。だから彼女が過ちを犯すことも止められなかったし、最後には彼女と敵対することになった。
ああ本当に、自分はここへ立つに相応しくないと痛感する。
カルロスが彼女を説得しようてしている間、自分は何をしていた。彼が彼女を気にかけている間、自分は何をしていた。
彼女の前に立つのは、カルロスこそが相応し位のだろう。けれど……けれど、だからこそ……ここで動かなければ、何が学生統括、何がアルヴィン=ゴッドフレイ。
「オオオォォォォ……ッ!」
一歩、前へ。気合いが、気勢が、気迫が、彼を前へと突き動かす。怪物たちの津波を押しのけ、火炎となって彼は前へと。
間違いは正す。許すのではなく、敵するのでもなく、まずはしなければならないことがある。
「来ないでぇぇぇぇっ!」
いつの間にか攻守は逆転されていた。合成獣や触手を守りに使うオフィーリアと、それらを灰にしながら進むゴッドフレイ。
――一足一杖の間合い。
その距離まで到達したゴッドフレイの全身に力が漲っている。この戦いで最高純度の力の高まり。
その杖から発せられる炎を受ければ、オフィーリアとてただでは済まない。絶命は免れないだろう。
これで、終われるのだろうか。
やっとここで、終わりになれるのだろうか。この苦しみから解放されるのだろうか。
自分を終わらせてくれるのがこの人だというのなら……他の末路よりは、幾らかマシか。
(ごめんなさいカルロス……ごめんなさい、先輩)
不出来な後輩でごめんなさい――そう心の中で最後に謝りながら、オフィーリアは触手を繰る。
未だオフィーリア=サルヴァドーリとしての自我は少しだけ残っているが、しかし今の彼女はそれでもオフィーリア=サルヴァドーリだったものへと変わる寸前なのだ。
どれだけ何を思っても関係ない。オフィーリアは、彼を攻撃しようとするだろう。そうすることしか、もう出来ないのだから。
だが触手は当然間に合わず、彼の炎が放出される方が速い。
「……さようなら、リア」
その光景に後悔がないとは断じて言えない。けれど、瞬き一つせずに見届けるのが、自分の最後の役目だと思おうとして、カルロスは彼らを見つめている。
そして、炎が放たれて――。
『――最初に呪文を学んだ時から、俺はずっとこうでな』
『生まれ持った魔力量に対して魔力の扱いが下手すぎるんだそうだ』
そして――呪文は、彼の
「――アル!?」
カルロスを筆頭に、戦いを見守る学園生たちが驚愕する。この時に、最後の最後の瞬間に、学生統括が呪文の制御に失敗したという事実。もう克服したと思われていた魔力制御、それがよりによって今失敗した。
そしてそれは至極当然のこととして、敵にとっては千載一遇の好機となる。
触手が迫る。
一足一杖の間合いで魔法使いが先手を失えば、後に攻撃するものが新たな先手となって魔法を、あるいは剣を振るう。その致命的な隙は、例え魔剣でなかろうと簡単に避けられるものではない。
そしてこの距離では、どう足掻いても他の誰かの助けは間に合わない。
だからここで、ゴッドフレイの敗北は決定した。
『……だ、大丈夫、です……』
言葉が届く暇もなく、オフィーリアの杖剣がゴッドフレイに向けられる。
自分はここで死ぬ。けれどそれはそれで、この愚かな男に対する罰になるだろう。そう思うものの、けれど彼は決めていた。
――許すのではなく、敵するのでもない。
『……いつ火傷しても……わたしがいます。……ちゃんと治します、から』
そして杖から、
「リ……ア……?」
会話は出来れど言葉は通じず。理性も擦り切れる寸前のはずだった少女が最後に使ったのは、攻撃のためではなく、サルヴァドーリの魔道でもなく、誰かを回復させるための魔法。
もう必要なんてないのに。誰かさんに使うことも、もう二度とないはずなのに。
それでも一人で、こっそりと……何故だか辞められずに練習していた、彼女のもう一つの得意魔法だった。
「どうして……」
治癒を続けながら、オフィーリアはゴッドフレイに尋ねる。
「どうして、わざと失敗したんですか……?」
今の彼がこんなタイミングで、あの頃のような制御の失敗なんて起こすはずがない。ならば考えられる理由としては一つしか思い当たらず、彼女はそれを尋ねる。
けれど、彼はそれを否定して。
「……さて、何のことだかわからないが……。仮に、もしもこれがわざとだと言うのだとしても……俺は、
「――――」
少女の頭に、一つの誓いがよぎる。彼に代わって、彼を治癒する役割は自分が受け持とうという誓い。
誰にも渡したくないと思った、自分の居場所を。
「ごめ、ごめんなさ……先輩、わたし……」
溢れる涙が地に落ちる。――その瞬間、レン=ウィステリアの持つ術式の発動条件が整った。
魔法使いを現世に留めるための楔として必要なこと。思い合う相手がいることや、術式を掛ける隙があること、彼自身が対象の側にいることなど複数の条件をクリアして、空っけつになるはど魔力を持っていかれてようやく発動が可能になる魔法。
救われぬ魔法使いに救いの手を。そんな最も優しい狂気によって作られたそれは、発条仕掛けの神が如き結果を生み出す。
幾つもの条件を乗り越えた時、魔に呑まれた魔法使いを魔の喉元から引きずり戻し再び理性を回復させる。それだけの魔法。
それを使うと、パタンとウィステリアは倒れる。力を出し切ったのだ。
「……道中大して何もしていなかったし、何か隠しているだろうなとは思っていたが、まさかこれが君の隠し札とはね」
倒れたウィステリアを、ミリガンが見下ろしている。
「役立たずでごめんなさいね。いいだろ別に、ハッピーエンドが好きなんだよ」
「悪いとは言ってないだろう。おかげさまで怪我はしたけどね?」
「……あー、大丈夫? 怪我は」
「心配が遅い。……ま、大丈夫だけどね。君が軽く治癒をかけてくれたおかげで」
同学年であり友人でもある彼らは軽く会話を交わした後、後輩たちを立ち上がらせる。
……お世話になった先輩に対して、このくらいの気遣いはしてもいいだろう。
二人は皆を連れて、この場に三人だけを残してゆっくりと静かに立ち去っていった。
そして……。
「ごめんなさ、ごめんなさい先輩、ごめんなさい……」
泣きじゃくるオフィーリアと、その側に座るゴッドフレイ、そして彼らを見守るカルロス。この場には、その三人だけが残された。
理性を取り戻され、命が助かったオフィーリアだがだからといってそれがイコール救済に繋がるわけではないのだ。
犯した過ちが、その過去は消えずに残っているのだから。
だが泣いているオフィーリアを見ながら、ゴッドフレイは別のことを思い出していた。初めて出会った頃、会うたびに自らの股間へ魔法をかけていたことを。
俺は、彼女に歩み寄るたびにこうして痛みを背負う運命にでもあるのだろうかと思うと笑ってしまいそうになる。
だが上等だ。厄介な体質を生まれ持った彼女の苦悩と比べれば、ほんの少しの痛みなど比べ物にならないと言った言葉に嘘はない。
これから先、どれほどの痛みを追うことになろうとも――もう二度と、過ちは犯すものか。
「……俺はこの通り不器用な男だ。何年経っても、そう簡単には変わらないようでな。だが、この物騒な学園の中で、無用なトラブルに巻き込まれそうになっている生徒たちを力の及ぶ限り助けたい……その志にも変わりはない」
人を、助ける。そのための活動。
「だから君の助けにもなるし――もしよければ君の力も、また貸して貰えると……いや、違うな。こう、ではない」
それは二年だった時に彼女を誘った台詞だった。けれど、今彼女にかけるべき言葉はこれではない。
――オフィーリアを疎んだ者は確かに多かった。だが、全員が全員彼女を嫌ったのかと言えば、そうではない。
幼馴染であるカルロスは彼女の笑顔を望んでいたし、ゴッドフレイも彼女の親身になっていた。彼の仲間たちも、彼女を受け入れていた。オフィーリアは決して、一人ではなかった。
彼女の淡い初恋も、仲間たちは応援していただろう。カルロスやレセディが彼女の背を押そうとしていたように。
だから、もう一人――不器用な男の背を無理矢理押して“もしも”の可能性を生むことが、ウィステリアのしたいことだった。
「俺が、他の誰でもない……君に手伝って欲しいんだ」
「――ぁ」
彼にとっては、かつての仲間にもう一度手を伸ばしたに過ぎない言葉なのかもしれない。彼女が何度誤っても、それを許していたように……今度も再び、ただ許しただけなのかもしれない。
けれど、それでも――。
「わ、わたしよりも治癒が上手い人は、他にも……」
「俺は治癒魔法の使い手が欲しいわけではないよ」
他の誰でもない、オフィーリア個人を必要としてくれたこと。それを、命をかけて証明したこと。
その事実が彼女の胸を打つ。
「わたしの体質で、迷惑をかけるかも」
「だったら俺の、俺たちの近くにずっといればいい。誰にも文句は言わせん」
狙って言っているのか、それともやはり天然なのか。そんなことを言う彼に照れながら。
「わ、わたし、いっぱい迷惑かけ、て」
「謝ろう。こうなってしまったことには、俺にも責任はある。共に頭を下げて……ああ、まずはレセディ君とティム君に謝ろう。何、二人とも許してくれるさ」
「あ、ああぁぁぁああ……先輩、先輩……ごめんなさい、ごめんなさい……!」
ゴッドフレイの胸元で泣き崩れるオフィーリアを彼は優しく、戸惑いがちに受け止めた。
「もう泣かなくていい。俺も、カルロスも、もう二度と君を一人にはしない」
ああ、もしも。この爛れた腕で許されるなら――君を、もっと早くに抱き締められたのだろうか。
「アル……リア……」
二人に近づくカルロス。中性的なその顔に、一筋の涙を浮かべながら。
「カルロス……その、ごめ……」
彼女の言葉が終わる前に彼を首を横に振って、二人を上から抱き締めていた。
「いいの、いいのよ。おかえりなさい、リア」
「うん、うん……!」
大切な宝物がそこにあるのを確かめるように。
失われていた時間を取り戻しているかのように。三人は、いつまでも抱き締め合っていた。
――ああ、そうだ。彼から受け取ったこの髪飾りを彼女に渡そう。――とても、彼女に似合っていたから。
不器用な男は不器用な女のアプローチに気づけなかったが、けれど、もしも彼女が彼の隣に居続けたいと願い、同じ方向をこれから向くことが出来るなら。
その髪飾りはきっと、どんな王冠よりも眩く彼女の髪を照らすのだろう。
魔法使いたちの交わりは、烈しく儚いものだけど。
縁を断ち切り、因果を壊す。――けれど、剣を鞘に収める時があってもいい。
笑い合って、恋をして、大切な人とただ憩う。刃も呪文も必要のないそんな瞬間は、どんな魔法使いにも出来る魔法。
生死の間に揺蕩う世界に、七つの魔剣が在らずとも。