鬼殺し   作:からくりから

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第一話

 鍛冶屋の息子に生まれた。

 といっても名のある訳でもなく、かといって無名という訳でもなく、町からは外れた小さな村にある、普通の刀鍛冶の店だった。

 毎日困ること無く生活できる程度には繁盛していて、俺はそこの長男、つまり跡取り息子だった。

 物心ついたころから、鉄を打っていた。

 来る日も来る日も鉄を打ち、研磨し、何百度にも熱された火の中に鉄を入れた。

 一本一本に己の全てを込めるつもりで打ち、全霊を懸けて磨き、細心の慎重さをもって焼入れ、作り上げた。

 けれども出来たのはどれも鈍らだった。

 すぐに刃毀れし、あまりにも容易く折れた。

 刀匠であった父はそんな俺に根気強く教えてくれたが、しかし俺は何時まで経っても鈍らしか作り上げることは出来なかった。

 一年、二年、三年と、時を経るごとに父が俺を見る目には失望が織り交ぜられるようになり、代わりに弟に期待を向けるようになった。

 そして二つ下の弟は見事にその期待に応えてみせた。

 嫉妬する気も起きないくらい、弟は完成度の高い刀を作り上げた。

 それ以降、父は俺を見ることすら無くなって、俺は刀を打つことをやめた。

 弟や母はそんな俺を引き止めはしたが、しかし強く引き止めもしなかった。

 否、弟だけはしぶとく引き下がった、けれどもその時の俺にはそれがただただ不愉快だった。

 弟は俺と肩を並べたかったのだと、叫ぶように言ったが、それは質の悪い冗談にしか聞こえなかった。

 弟に悪気はなかったのだと思う、性根が酷く優しい子で、良く喧嘩に巻き込まれて泣かされていて、けれども次の日には喧嘩した子と仲良く遊べるような子だった。

 純粋に、尊敬されていたのだろうと思う。

 兄というフィルターがかかり、無能の俺がやけに立派に見えていたのだろう。

 俺はそのことを瞬時に理解はしたが、しかしその理解から溢れた感情は怒り以外のなにものでも無かった。

 言いたいことが湯水の如く溢れ出て、却って一つたりとも上手く言語化出来なかった俺は、ただ一言巫山戯るなよ、と言い捨て父にもらった槌を投げ捨てた。

 以来、弟と言葉を交わすことは無くなった。

 俺は槌を握らなったが、しかし何もしない人間を置いておくほどの余裕はなく、俺も何もせずただ居候するのは遠慮があり、所謂営業の方の仕事に就いた。

 こちらは、思いの外上手く順応できたと思う。

 少なくとも、刀鍛冶よりはずっと向いていた。

 生まれつき体力や筋力が他より多くあった俺は人との交流が人並み以上には出来る人間だったらしく、遠方にまで赴き、結果的に多くの客を連れてくることに成功した。

 町に出れば、多くの人に名前を覚えられて帰ってきたし、何人かには妙に気に入られたりもした。

 依然として父は俺を見ることも無かったが、しかし俺にはそんなことはもうどうでも良かった。

 それなりに仕事ができて、毎日の飯代が稼げ、多少の遊びができればそれだけで満足だった。

 そうこうしている内に、弟はその名を馳せるようになった。

 俺の思っていた以上に弟は才能があったらしい、その上で毎日研鑽を積んでいたのだから、それは当然のことだったとも言えるが。

 それでもたかだか二年程度の年月でここまでとは、と母が零していたのを思い出す。

 ある時弟は有名なお侍様に刀を頼まれた。

 俺や他の人が連れてきた客ではなくて、弟の名声が呼んだ人だった。

 既に父の実力を超えていたのだろうと思う、そうでなければ名指しにはされない。

 そうして弟はその依頼を見事こなしてみせた、お侍様が思わず感嘆の息を吐くほどで、多くの謝礼を貰っていた。

 この時俺は偶然その場にいて、頭を下げていた弟は何故だか俺をチラリと横目で見た。

 その瞳にどんな感情が込められていたのか俺には分からない、蔑みだったのか、自慢だったのか、はたまたもっと別のものだったのか。

 ただ少なくとも悪意のようなものは無かった、父と同じように弟とも俺は一切話すことはなかったが、それでも俺はそう感じた。

 お侍様の一件から、弟は酷く有名になった。

 呼び込みの必要がないくらい刀を打って欲しい、という依頼は増えたから、俺は営業の他に会計にも携わるようになった。

 金勘定は不慣れだったが数日もすれば慣れた、ここにも俺は適性があったらしい。

 鍛冶屋に生まれておいて鍛冶の才は無く、それを支えるための才はあっただなんて、笑えるな、と誰かが言った。

 そのことに対して、母は恐ろしいほどに激怒したが、俺が怒ることは無かった、ただ、浅く笑った。

 以前の俺であれば、もしかしたら激怒していたかもしれないが、生憎と今の俺にはそこまで怒れるほどの熱意がもう無かった。 

 ただ、悠々自適に、そこそこのことをしてそこそこに生きていた。

 一本通すような芯は無く、目的もなく、何も考えずに生きていた。

 だからだろうか、俺は何時からか弟を直視できなくなっていた。

 あらゆる人間に持て囃され、それに応え、素晴らしいものを作り上げる弟。

 彼の抱えた魂が、通されている燃えるような芯が見えるような気がして、真っ当に見てしまえば目が焼かれると錯覚した。

 だから俺は逃げた、無様に逃げた、焼かれぬように、己が燃やされぬように。

 嫉妬だった、何時になく抱いた嫉妬だった。

 お侍様から謝礼を貰ったときの弟の目がありありと思い出される。

 今なら分かる。

 あの時、弟が浮かべていた感情は"罪悪感"だった。

 褒められているのが、まるで本当は兄である俺のものだったのだと言わんばかりの申し訳無さを込めた瞳だった。

 嫉妬と悔しさと情けなさがかき混ぜられて吐き気がする。

 ごちゃ混ぜになった感情のままに、俺は遠方の町まで走り出していた。

 営業という肩書を持って、俺は必死こいて走り続けた。

 疲れるということをあまり経験したことは無かったが、それでもずっとこうしていれば、この気持も発露されるだろうと思った結果だった。

 目論見はそれなりに上手くいった、体力が消耗されれば思考は酷く鈍くなった。

 考えたくなくても考えてしまうことに霞が掛かるのを感じながら、俺はその町で、妙に気に入ってくれている女将さんのいる宿に泊まった。

 女将さん曰く、その時の俺はひどい顔をしていたらしい。

 俺は大丈夫だと言ったが、傍目から見ても大丈夫ではなかったのだろう。

 何かあったのかとしつこく問い詰められて、俺はつい言葉を溢してしまった。

 言葉は一度吐き出し始めると止まることはなかった、止めようと思うことすら出来なかった。

 何故俺には才能が無かったのか、違う、俺は何故努力を続けられなかったのか、何故父の期待に俺は応えられなかったのか、どうして弟と話そうとすると身体が強張ってしまうのか、それなのに何故か俺と話したそうにする父を避けてしまうのはどうしてなんだ、何で何もしてないのに、研鑽を続ける人を相手にこんなに汚い嫉妬をしてしまうのか、分からない、分からない分からない解らない、理解らない、わかりたく、ない。

 何もかんも分からなくって、けれども己が醜い感情を抱いていることだけは分かってそれがたまらなく嫌で仕方ない。

 俺の中には何にも無くて空っぽなんだ、けれども弟はそんな俺を今でもキラキラした眼で見るんだ、それが嬉しくて、でもそれよりずっとずっと大きな淀みのような感情が心を埋め尽くすんだ。

 もう燃やすような熱意は何処にもないのに、何で無いんだって時折思って吐き気がするんだ、槌を握ろうとしても、もう握る資格は無いんだって思うんだ、誰にも認められていないっていう現実を直視するのが怖いんだ、誰も俺を見てなんかいないんだって、認識するのが嫌なんだ、気づきたく、無いんだ。

 気付けば俺の眼からは涙が溢れていた、ぐちゃぐちゃに泣きながら、俺は女将さんに感情を無理やり言語化した支離滅裂な言葉を垂れ流していた。

 女将さんはそんな俺の醜い感情に汚れた言葉を黙って聞いてくれて、その上でゆっくりと俺の頭を撫でてくれた。

 女将さんは酷く優しい声音で、音を紡いだ。

 その感情は誰もが持つもので、決して醜くなんて無いのだと。

 貴方を見ている人は絶対にいると、貴方はとうの昔に多くの人に認められていると、そう言ってくれた。

 確かに一度は折れたのかもしれない、周りも失望したかもしれない。

 だけど、折れたのならもう一度立ち直りなさい、けれども己に向いていないと、本気でそう思ったのであれば他にも目を向けてみなさい。

 無理やり適合出来ない世界に留まって、その内にいる人間の熱意に焼かれるような真似は止しなさい。

 世界は広くて、多くのことがあちこちに転がっている。

 貴方が思う、一番燃やすことの出来る熱意を真ん中に据えられるようなものは、必ずどこかにあるのだから、狭い世界にばかり視界を広げるのはやめなさい、それは決して、逃げではないのだから、と女将さんはそっと俺を抱きしめてくれた。

 その言葉にまた、涙が零れて落ちた。

 その後の記憶はない、目が覚めたら朝だった。

 どうやらあの後寝てしまったらしい、すっかり陽は中天にあって、昼であることを告げていた。

 何だかすっきりした気持ちになっていた俺は一言女将に礼を言ってから宿を出た。

 申し訳程度の仕事をし、俺はそのまま真っ直ぐ村へと帰ることにした。

 一晩で駆けてきたとは思えないくらい長い距離をゆっくりと歩いて帰ることにして、のほほんと随分と楽になった精神を保ちながら歩を進めた。

 何だか心に余裕が出来ていて、少しの勇気は必要だが取り敢えず弟と話してみようと思った。

 その次に父と話して、それから俺は、この仕事をやめようと、そう思った。

 もう何年も前から思ってはいたことだった、けれどもそれに従うことがで全然出来なかったことだった。

 けれども今ならばこの止まってしまった足を動かせる、そんな気がしていた。

 そうして俺は一日と半日少しかけて、村まで辿り着いた。

 太陽はすっかり落ちて、明かりと言えば月の光だけの、静かな夜だった。

 ゆっくり歩いていたのもあったが、行ったときは良く一晩でたどり着けたものだな、と己に感心しながら見えてきた村へと足を早めて、ふと違和感に気付いた。

 声も音も、聞こえてこない。

 俺の住む村は確かに酷く小さな村ではあったが、それ故に鍛冶師が鉄を打つ音は良く響いたし、少なくも元気な子どもたちの声が良く通る。

 何かがいつもと違う、そう思って足を早めれば、半壊した村が、そこにあった。

 近づく度に、濃い血の匂いが漂ってくる。

 怖気が背筋を素早く駆け抜けて、嫌な予感が頭をガンガンと殴りつけた。

 歩いていた足は、自然と早足になっていて、気付けば俺は走り出していた。

 一体何が、どうなっている、そう思って村へと入れば視界の隅に小さな人影を見た。

 子供だった、村でよく見た、小さな子供が、腹から血を垂れ流して、死んでいた。

 悲鳴すら出てこない、小さく息を呑み込んで、次の瞬間俺は全力で駆け出した。

 あちこちに死体が転がっていた、どれもこれも五体満足じゃなくて、どこかしら欠損していた。

 鍛冶場に、つまり己の家に近づくほど、死体は人の形を保っていなかった。

 家の扉は大胆に、派手にぶち壊されていた。

 心臓がやけに激しく鳴っている、恐る恐る中を覗いて、吐き気を催した。

 室内は赤々と染まっていた、おぞましい人の血で、染め上げられていた。

 その中で唯一、赤以外の色で出来ている何かが、ポツリと真ん中に落ちていた。

 思わずそれを見て、一瞬思考が止まる。

 それは手だった、人間の、左手。

 男性よりも女性のものに見えるそれに近づいて、そしてそれは、母のものであるのだと、ようやく気付いた。

 血に染め上げられてはいたが、その周りには母の着ていた着物の破片が落ちていたからだった。

 そっとそれを握れば、まだ温かい、明らかに人の温もりを残していた。

 それはつまり、母がこうなってからまだそう時間は経っていないということに他ならない。

 ぞっとする、父と弟は今どうなっている、と素早く頭を上げた。

 血の泥濘に足を取られながらも走り出す、仕事場はここからもう少し奥だ。

 そっと慎重に、ふすまを開ければより強い血の匂いが鼻をついた。

 鳥肌が立つ、吐き気が胃袋で暴れまわる。

 それを無理矢理抑え込んで、片足を踏み出した。

 何だか悪寒が走り、杜撰に落ちている刀を拾い上げ、強く握る。

 身体は震えていた、けれども足を止めるわけにはいかなかった、家族の安否だけが気にかかっていた。

 奥へと進む、ゆっくりと、慎重に。

 そうして俺は見た、壁に背を預けた、父の姿を。

 頭部だけを失った、父であったものの、姿を。

 嗚咽がゆっくりと喉を通って吐き出される、ゆっくりと近づいて、父の遺体を見た。

 父の片手には刀が握られていた、抵抗はしたのか、その刃は血に濡れていた。

 着物の間から、何かの柄が顔を覗かせている。

 なんだろうと思って手にとって見れば、それは何時か俺が父よりもらい、そして投げ捨てた槌だった。

 もう随分と経つというのに、それは新品同然のように輝いていた。

 そう、まるで、毎日磨き上げられていたかのように。

 涙が頬を伝う、ごめんなさい、ともう聞くことも出来ない相手にそう呟いた。

 それより先は、言葉が出なかった、喉を通るのは吐き気ばかりで、何も言えない。

 誰がこんなことを───いや、こんなことができるのは、鬼くらいだ。

 そうだ、弟は、弟はどこだ。

 槌をポケットに入れてから、何度も辺りを見回すが、しかし弟の姿が見つからない。

 焦りに急かされて、幾度も注意深く見ていけば、裏口の方に点々と血が続いていた。

 考えることもなく、走り出す。

 それが弟のものなのか、そうでないのかは全く分からなかったが、それでももしかしたら生きているかもしれない、という希望的観測からは逃れられなかった。

 どうにか生きていてくれと心中叫びながら血の跡を追う。

 血の跡は、林まで続いていて、そこから先は酷く傷つけられた木が散見されるようになった。

 不自然に、拳大のサイズで抉られている。

 それを目印にして、走る、走る、走る。

 そうして見つけた、見つけて、しまった。

 酷く小さな人影が、木に寄りかかっている。

 歩み寄る、葉に遮られている月明かりを頼りにその人を見れば、それは弟だった。

 下半身を失って、今にも死にそうな呼吸をする、弟がそこにいた。

 そっと、頬に触れる、弟はまだ確りと意識を残していた。

 弟が、にいちゃん? と掠れて小さくなった声でそう呟いた。

 にいちゃん、ごめん、ごめん、なさい。僕は、僕はただ、にいちゃんと一緒に、仕事をしたかっただけなんだ、それだけ、だったんだ。

 血の混じった涙を流して、弟はそう言った。

 すっかり軽くなってしまった弟の身体を抱きしめる。

 違う、俺だ、俺が悪かったんだ、勝手に目を背けて中途半端に逃げ出した俺が、悪かったんだ。 

 すまない、すまない、すまない。

 そう言えば、弟はお互い様だね、とそう言い薄く笑った、笑ってから、逃げてと、そう言った。

 鬼だ、鬼が来たんだ、村人達は皆殺された、父さん達は抵抗しようとしたけど、呆気なく首をとばされた。

 僕は父さんたちに逃されて、ここまで走ったけれども追いつかれて、足をもがれた。

 痛かったけど、もう、痛いって感覚もないんだ、きっと、もう助からない。

 だから、僕のことは置いて、にいちゃんだけでも逃げて、頼むよ。

 あいつはまだ近くにいる、だから、早く、音を立てないように、逃げて。

 あいつは首を斬っても元に戻るんだ、どこを斬っても元通りで、殺せないんだよ。

 だから、逃げて、逃げて、逃げて───にいちゃんだけでも、生きて。

 そう言い遺してすぐ、弟の身体からは力が抜けた。

 だらりと腕が垂れ下がって、瞳からは光が転がり落ちた。

 何度呼びかけても反応はなくて、そうしてやっと弟は今、たった今、ここで死んだのだと理解した。

 理解した途端、俺の身体からも力が抜けていくような感覚に陥った。

 どうして、村が、母が、父が、弟が、こんな目に合わなければならないのか。

 フラつく足取りで立ち上がる、片手には刀を握ったままで、ポケットには己の槌を入れたまま。

 フラフラと、確かではない足取りで林を抜けようとする、早くしなければと思うが、しかし足はあまり早く動きはしなかった。

 何だか自分の中からごっそりと、大きなものが抜け落ちたような感覚だった。

 一歩一歩があまりに重い、どれだけ力を込めようとしても込められなくて、それでも逃げなければと思えば思うほど、涙が目から零れて落ちた。

 止まらない、止まらない、止まらない。

 絶え間なく涙は流れ続けて、視界はずっと歪んでいた。

 何故こんなことになったのか、それだけが頭の中でグルグルグルグルと回り続ける。

 いや違う、もう理由はわかりきっている。

 鬼だ、鬼だ、鬼が全て悪い、鬼さえいなければ、こんなことにはならなかった。

 巡り続ける思考をそのままに、少しづつ進んでいた俺は一つの人影を、月明かりに照らされた誰かを見た。

 額の端から禍々しく捻れた一本角が伸びていて、その拳と口元が、凄惨な赤に塗れている。

 呆然として、思わず立ち止まってしまった、同時にそいつは俺を見て、そして笑った。

 

 「何だ、まだいたのか」

 

 そいつの手元から何かが落ちる。

 血にまみれた何か───人肉が、ボトリと野に落ちた。

 あぁ、そうか、お前か。

 お前が、やったのか。

 静かに問いかけた、酷く冷静に、努めて平坦に、そう聞いた。

 そいつは何のことかと少し頭を傾けたが、やがて、あぁ、さっきの村のことか、と言って笑った。

 そりゃ勿論俺だ、と。

 鍛冶場にいた男は思いの外抵抗してきてうざかったが、その家に居た女は美味かった、逃げ出したガキは少々手間取ったから腹いせに半殺しで放っておいた、と。

 勝手に語りだして、このことがどうかしたか? とにやけ面のままそう言った。

 腹に熱の籠められた何かが走り抜けるのを感じた、背中を酷く冷たい何かが駆け抜けるのを感じた。

 感情のまま、言葉が溢れて零れていく。

 あぁ、良い、もう、良い、喋るな。

 

 「ぶっ殺す」

 

 いつの間にか、駆け出していた。

 先程まで力の入らなかった身体は嘘みたいに軽くなっていて、感情のまま刀を振り抜いた。

 切っ先が、浅く肌を傷つけて血を飛ばす。

 鬼が何かを言っているが、耳は貸さない、聞く価値は無い。

 空けられた間合いを力任せに食い破る。

 勢いよく近づいてもう一度刀を振るう、盾にするように両腕が前に出されていたが関係なかった。

 昔から、力と体力だけは人一倍あったんだ。

 腕力だけで、ぶった斬る。

 ザンッ! と派手な音と共に腕をぶった斬る、悲鳴のような叫び声に煩わしさを感じてそのまま刀を開けられた口にぶち込んだ。

 骨すら貫き刀は木へと突き立った、瞬間強烈な一撃が腹へと走り身体が吹き飛んだ。

 そうか、そうだったな。

 鬼は再生するんだった、あの程度じゃ、死なないよな。

 刀を杖のようにして、立ち上がってみれば両腕は既に再生していた。

 だが、関係ない、生えたならまたぶった斬る、それだけだ。

 再度、走り出す。

 叫びながら右の拳を振りかぶったそいつの手前で踏み込んだ左足を捻り、拳を紙一重で躱しながら回転、ちょうど半分まで回った所で右足に全ての回転力を乗せて、回り斬る。

 首元と右腕に刃が走る。

 首を半分、腕を完璧に断つ、同時に拳が俺の頬を抉るように殴りぬいた。

 視界が明滅する、グッと捻られた身体を勢いよく戻しながら刀を振り抜く。

 頭部を切り裂き、同時に蹴りが横腹を叩き折って吹き飛ばす、野に全身を擦りながら転がり、それでもすぐに立ち上がった。

 頭にあるのは殺意だけだった。

 殺意に染まった頭は嫌になるくらい鮮明で、痛みはあまり感じてなくて、鬼の動きが良く見えた。

 死なないなら、死ぬまで殺そう。

 殺して殺して殺して、殺し尽くせば、いつか死ぬだろ。

 そう思って我武者羅に走る、今己に出せる全速力で刀を振るった。

 流石にもう警戒されているのか当たりはしなかったが、ようやく俺は刀を振るという感覚に慣れてきた頃だった。

 次はもっと上手く振れる、次は斬れる。

 トン、と地を蹴って加速する。

 それよりもっと早く鬼は動いたが、何とか眼で追えた。

 振り抜かれた拳は避けられなかった、だから、受け止める。

 左手で受け止めて、潰れていく音を聞きながら刀を撃ち放った。

 刀身が、首を貫き血飛沫があがる。

 奇妙な声を出したそいつを見ながらそのまま横に刀をスライドさせた。

 皮一枚で繋がる首を返す刀で切り返して吹き飛ばす。

 けれども頭を失った身体はそのまま襲いかかってきて、それを蹴り飛ばす。

 鉄を蹴ったかのような鈍重感が伝わるが、お構いなしに全力で足を振り抜く。

 派手に吹き飛び木にあたって止まった体にある、その首の断面へと、勢いよく刀を刺し込んだ。

 肉も骨も、全て切り裂き身体を物理的に地に縫い止める。

 それでも動く手足を、蹴りだけであらぬ方向へと折り曲げた。

 が、それでも死なない。

 バキバキと音を鳴らして骨折を直し、ピクピクと身体は動き、未だ生きていると自己主張をしていた。

 おぞましいものだな、と思った直後、肩へと鋭い痛みが走った。

 何だ、と思えばそこには切り落した筈の頭が、短い手足を生やして、俺の肩へと噛み付いてた。

 鋭く尖った歯が、肉を裂く。

 反射的に、その頭を掴んだ。

 未だ無事な右手で、肩が裂けることも気にせずもぎ取り、小さな手足が俺の腕を叩くことも気にせず、木へと叩きつけた。

 何度も、何度も、何度も何度も何度でも。

 鬼は何かを叫んでいた、だけどそれは音だけで、声にはなっていなかった。

 何度潰しても再生するから、何度も叩きつける必要があった。

 既に頭部を失った身体はぐったりとしていた、握った頭部は再生し続けていたが、それも遅々としたものになっている。

 それでも死なない、まだ、殺せない。

 なぁ、どうやったら死ぬんだよ、と聞いてもそいつは許してくれ、とうわ言のように呟くだけだった。

 いや、許すわけが無いだろう。

 ハッと笑って叩きつける。

 何度骨を折り、何度斬り、何度潰してもそいつは時間をかければ再生した。

 これは手詰まりだな、と思った時、朝日が差し込んできた。

 もう、随分と時間が経っていたらしい。

 これ、どうすれば良いのだろうか、そう思って陽を浴びた瞬間、一際大きな悲鳴が響き渡った。

 手元にいる、鬼の頭から発せられたものだった。

 光を浴びたところから、たちどころに焼け、蒸発していっている。

 身体も同様に、煙を上げていた。

 あぁ、そうか、お前、陽の光が駄目なのか。

 そう察して俺は一番陽の当たるところへ、ポイと頭を投げた。

 頭は、地に着く前に蒸発しきり、身体も後を追うように消え去った。

 ───終わった、勝った、殺した、仇はうった。

 そう思うと同時に気が抜けたのか、今まで感じていなかった痛みが全身へと駆け巡った。

 あまりの痛みに、ガクリとその場に崩れ落ちて浅く短く息を吐く。

 あぁ、俺はここで死ぬのだと、そう思った。

 まぁ仇はとれたし、あの世にいったら、父と母に謝ろう、弟とももう一度話して、それからゆっくりと、また皆で話そう。

 そう思いながら目を閉じた。

 意識が落ちる瞬間、誰かの足音を、聞いた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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