そろそろライバルを明確にしていきます。
篠ノ之束による簡単な診察を終えた後、早速なにやら作りにかかった天才を他所に、Oちゃんことオータムと奈桜は過去の諍いなど無かったかの様に小さな食堂に向かい合って腰掛けていた。
適当に出された柿ピーに酒は飲まないからとお茶を出され、一方でオータムは何の遠慮もなくビールを搔っ食らう。客人の前だろうが好みの女の前だろうが関係ない、飲みたい時に飲むのが彼女なのだ。
「……大人の人は本当にお酒が好きですね。」
「あん?なんだ、織斑千冬も結構飲めるタイプなのか。」
「ええ、まあ。流石に身体に悪いので飲む量は私がお酌をしながら管理しているのですが……」
思い返せば、あの日のことがきっかけで千冬が部屋に戻らなくなってから、彼女は全くお酒を飲んでいなかったのではないだろうか。
自分が居なくなって部屋に戻れる様になれば、その反動でベロベロになるまで飲んでしまわないかと奈桜は心配になった。
自分が居なくなったおかげで気軽に部屋に帰れる様になるというのはなんとも嬉しくない気持ちであるのだが、あんな衝撃的な言葉を直接聞かされた後ではマイナスに考えるのも難しい。
……もっとも、"女"という言葉に複雑な感情を抱いたのも事実だが、きっとあれは自分の性別を隠す為にああいったに違いない。
いや、ほんとに、千冬にまで女認識されてしまえば奈桜は確実に心が折れてしまうので笑い事ではない。
「おうおう、こんな美人に毎晩酌して貰えるなんて羨ましいな。私にもしてくれよ。」
「別に私は構いませんよ?今日は手の調子が一段と悪いので台無しになるくらい溢してしまうかもしれませんが……」
「OKわかったまた今度で良い。その代わりいつか絶対やってくれ、頼むわ。」
「……まあ、それくらいでしたら。その時になっても貴女がまだ生きていれば、いくらでもしますよ。」
「おうやめろや。兎であの反応なら私が表に出たらどうなるかとか、その辺全部考えないようにしてんだから。」
「私はフォローはしませんよ。責めることもしませんけど。」
「……ならいいや、それだけでも助かるわ。恋人残して死ねねぇからな。」
恋人という言葉にピクリと反応し、(恋人居たんですか……)という顔の奈桜に誇らしげな顔で応えるオータム。
彼女自身は(どうだ私はモテるんだぞ)とばかりに胸を張るその姿はまあなんとも自信に満ち溢れているが、しかし奈桜は不誠実は嫌いな人間である。
驚きの顔は段々とジト目に変わっていく。
「恋人が居るのでしたら私なんかに構っていてはいけませんよ。」
「別にいいんだよ、合意の上だし。それに私はな?どうせ死ぬなら、好きなもん食って、好きな女抱いて、色んな人間の記憶に焼き付いてから死ぬって、そう決めてんだ。それだけは誰にも譲らねぇ。」
「……合意の上でしたら、まあ、私から言えることは何もありませんが……けど、抱かれることはしないです。」
「ガード固ぇなぁ。もしかして、ほんとに織斑千冬とそういう関係だったりするのか?」
「やめてください、それは本当に違いますから。……それに、千冬さんには私なんか勿体無いですよ。私は大切に想って頂いているだけで十分です。」
「……妬かせるじゃねぇか。」
「えぇ、なんでですか……」
全く意味がわからないと言った様子で引き気味な顔をする奈桜であるが、そんなこと、こうして客観的に見ている側からすれば当然の話だ。
満足そうに、けれどほんの少しだけ哀愁漂う健気な顔をしてそんなことを言っていれば、奈桜が相手のことをとても大切に想っているということは嫌でも分かる。
そんなものを目の前で見せられては、奈桜を気に入っている人間としては少しくらい嫉妬心を覚えてしまっても仕方ないことだろう。
実際、オータムにとっては今日のどんな言葉よりもその様子が一番キツかった。
「あーあ、面白くねぇ。私もそれくらいお前に愛されたいもんだがなぁ。」
「最初の出会いがあんなのでどう愛せばいいんですか。むしろこうして世間話をしているのが奇跡の様なものです。学園を出る時にも結局約束を守ってくれませんでしたし、私の貴女への好感度は絶望的ですよ。」
「それに関してはマジで何も言えねぇし、今になって本気で反省してる。」
「私、誠実じゃない人は大っ嫌いです。」
「ごぶっ……」
お前なんか嫌いだぞ。
そう言われてしまったオータムは心に大ダメージを受けて倒れ伏してしまった。酒で忘れられることは多いが、酒でも誤魔化しきれないものというのもあるのだ。
それまで物凄く美味しく感じていた口の中のビールが一気に苦味を増した様な気がした。
「オータム!貴様こんなところでなにを……いや、本当に何をしているんだお前は……?」
「うるせぇエム、こんだけ生きてりゃ一度や二度くらい死にたくなることくらい有らぁ。」
バンっと突然開いた扉。
そこから入ってきた少女は、黒のフードを深々と被っているがために顔はよく見えないが、歳は奈桜よりも少し下くらいに見えた。
言動からして、彼女もここに住んでいる仲間の1人なのだろう。
驚いた奈桜を他所にビール缶を片手に倒れ伏しているオータムに対し、彼女は開けられた扉をそのままにズンズンと近寄り、何時ものことの様に早々と煽り掛ける。
「なんだ?私が暮桜を回収している間に大問題を起こしていたことを反省でもしているのか?はっ、殊勝な心がけだな。介錯なら私にやらせろ。」
「ぶっ飛ばすぞテメェ……」
「貴様のおかげでこちらがどれだけ脱出するのに面倒な手順を踏んだか分かるか?教師連中がゾロゾロと徘徊している所を潜り抜けた私の苦労が分かるか?3回くらい殺しても当然の権利だろう。」
「過剰過ぎるわボケ。姉妹揃って似たような事言ってんじゃねぇよ。」
「……姉さんから連絡があったのか?」
「正しくはこっちから、だがな。ここに居るのが織斑千冬のお気に入りでな、流石にやべぇと謝罪の連絡を入れた。」
「つまりお前のせいではないか。」
「そうだな。」
「……やはり死ぬべきなのではないか?」
「やめろ、やめろ……マジで反省してっから……」
フードを被っているせいで奈桜からはよく見えないが、エムと呼ばれる彼女がオータムに向けてとても冷たい目を向けていることは分かった。そしてそのオータムも段々と反省の色が濃くなってきているということも。
しかしそんなことよりも、話の内容で気になることがいくつもあった。
姉妹……?
姉さん……?
3回殺す……?
バカでもない限り、話の流れから大まかな予想することはできる。しかし奈桜は当の本人からそんな話は聞いていない。その弟からもそんな事実があるということは聞いていない。
……いや、もしそのような事実があったとすれば、あの2人は確実に"妹"を気にかける様な様子を隠す事など出来ないはずだ。
だが、彼等の言動からもそのような反応を見る事など、一切できなかった。
昔からの幼馴染であるはずの箒や鈴音からも何もなかった。
それならば……
奈桜がそう考えながらジッと見つめていた事がバレてしまったからなのか、エムと呼ばれる少女はオータムから今度は奈桜の方へと目を向けた。
ピクリと身体が跳ねた奈桜に対して興味深げに近付いてくる彼女からは、顔が見えないせいか上手く感情を読み取れない。少しだけ嬉しそうな雰囲気がある気もするのだが、そんなことよりも思い切り近付けられた頭に、そして眼前まで迫った彼女の大きな黒い瞳に奈桜は引き込まれる。驚きと恥ずかしさに慌てて目を下に向けるが、その瞬間目の前の彼女に微かに笑われてしまった様な気がした。
「……ほう、なるほどな。やはりこうして観ると容姿だけなら一流だな。」
「バーカ、容姿だけじゃねぇつってんだろ?そんな面しといて私に食らいついてくる根性と腕っ節があんだ。しかも中身は貞淑な聖人と来た、最高の女だろ?」
「ああ、これで女で無ければ最高だったんだがな……」
「ンな男が居るかボケ。ま、こんだけ顔が良ければ別に男でもいいんだけどよ。」
(あ、あはは、男なんですよねぇ……絶対言わない方が良さそうですけど……)
とは思いつつも、実は内心『女で無ければ最高』『男でもいい』と言う言葉に物凄く喜んでいる奈桜である。
性別を隠している上では仕方ないのだが、学園にいた時にはどうしても女としての自分を求められていた。そんな奈桜からすれば、そんなさり気ない言葉ですら嬉しくなってしまうのは当然のことなのかもしれない。
とりあえず、いつまでもこうしているのはマズイと思い、奈桜は彼女から離れる様にして立ち上がり、改めて丁寧な所作でエムに向けてお辞儀をした。自己紹介と最初の挨拶は大切にするのが奈桜のポリシーである。
「えぇと、はじめまして。綾崎奈桜と言います。貴女は……」
「ああ、私は……」
しかし、バサリとフードを脱ぎ捨て、見せつける様にしてその顔をさらけ出した少女に対し、奈桜は失礼だとは思いつつもその驚愕の表情を隠すことができなかった。まさかフードを取ってくれるとは思わなかったというのもあるのだが、原因はそれではなくて……
「織斑マドカ。いつも姉が世話になっているな。」
ニコリと笑う見慣れた顔。
けれどいつもの様に堅い表情ではなく、少しだけ子供っぽい雰囲気もそこにはあって……
『私は男のお前を好ましく思っている。』
「えっ……!?」
息を吹きかける様に優しく耳元で囁かれたそんな言葉に奈桜が驚き顔を向けると、彼女はニッと悪戯な顔を私に向けて笑っていた。
オータムどころか、篠ノ之束ですら知らない奈桜の正体を彼女は知っていた。そして、その上でその性別を直接的に肯定した。
あまりの衝撃に、奈桜は珍しく上手く言葉を返すことができなかった。
そんな驚愕と羞恥に染まった奈桜に対して、エムの顔には優越感と微かな独占欲が滲んでいた。
ライバル(主人公のとは言っていない)