サキサキのバレンタインは色々まちがっている。   作:なごみムナカタ

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平塚先生回。めぐりも多め。はちさきなのに沙希さん一章から出番が……

2020.12. 1 台本形式その他修正。
2020. 1. 2 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。


18話 一人だけ、心躍らぬコンペティション。

《 Side Meguri 》

 

~同時刻~

―奉仕部部室―

 

 

コンコン

 

「どうぞ」

 

「失礼しまーす」

「めぐり先輩、やっはろーです」

「めぐり先輩、こんにちはー」

 

「あら、一色さんここにいた。でもお手伝いに呼んでおいてあなただけ美味しい紅茶を御馳走になってるなんてさすがのわたしもちょっと怒っていいかな?」

「ち、違いますよ、お願いした時間にはまだ早いかなーと思って、その間ここで時間つぶ……お二人と雑談を交えながら生徒会のことについて話してたんです」

 

「はぁ……もう言い直さなくていいから」

「あはは……」

 

「わたしもここに用があったからちょうどいいけど、一色さんは生徒会と奉仕部、どっちの関係者かもう分からないね」

「そんなことないですよ。っていうか奉仕部と生徒会の活動内容照らし合わせると類似点多いし、生徒会分室みたいなとこありませんか?」

 

「一色さん、さすがにそれは看過できないわね」

「え、い、いえ、冗談です! ジョーダン!」

 

「でも確かにうちの備品谷くんを一番持ち出してるのは一色さんかもしれないけれど」

「あ、あはは……備品扱いはちょっとひどいけど……」

 

「と、ところでめぐり先輩はどんな御用でこちらへ?」

「え? ああ、うん。……ちょっとした依頼をお願いしたくて」

「珍しいですね。生徒会関連のイベントとかって何かありましたっけ? あ、卒業式関係とかですか?」

「その辺も当日の設営とか手伝ってくれると助かるなーくらいですから、特にはないと思いますけど」

 

「依頼っていうか個人的なことで訊きたいんだけど」

「城廻先輩が個人的な依頼をなさるなんて……いえ、失礼致しました。では依頼内容をどうぞ」

 

「……2年F組に『川なんとかさん』って人がいるらしいんだけど、その子の名前と容姿を教えて欲しいなって思って」

「え?」

「川なんとかさん?」

「それって誰なんですか? あ、いや、それを知りたいんでしょうけど、何で調べてるのかなって意味で」

 

「……ちょっと気になる子なんだ。出来れば逢ってみたいかなって」

「子……ということは女生徒ですか?」

「うん、確か弟さんがいて家族が多いから家事を率先してやってて料理が上手い人なんだって」

 

「2年F組って分かってるなら結衣先輩のクラスだし心当たりあるんじゃないですか?」

「んっと……それって多分沙希のことじゃないかな?」

「沙希さん?」

「そうです、川崎沙希さん。料理すっごく上手みたいですよ」

「ああ、バレンタインイベントの時に依頼に来てた人ですよね」

「わたしたちは弟さんにも会ったことがあります。条件と合致するし、おそらく彼女だと思われます」

 

「どんな外見の子なのかな? 可愛い?」

 

「可愛いっていうより綺麗っていう感じですね。ゆきのんよりも長い青み掛かったロングヘアを可愛いシュシュで結ってポニーテールにしてるんです。そのシュシュも手作りで、制服も改造して着こなしててカッコいいって言葉も似合うかも。背も高くて足もスラっとしててスタイルいいし」

「バレンタイン合同イベントの時に小さい妹さん連れてきてましたからめぐり先輩も見かけてるかも……」

 

「ああ、そういえばいましたね。ちっちゃくて可愛い子が。あの子って確かクリスマス合同イベントの時にケーキ配ってお芝居出てもらった園児でした」

「そうなんだ?」

「はい。クリスマス合同イベントの時、先輩と一緒にコミュニティセンターのすぐ隣の保育園に交渉に行ったんですよ。そしたら先輩の目つきがヤバすぎて中に入りづらくて、わたしだけ交渉に……」

 

「比企谷くんらしいわね」

「ああ……分かる……けど、なんか可哀想……」

 

「交渉が終わって出てきたら、その子を迎えにきたお姉さんと知り合いだったみたいで話してたんですよ。後で知ったんですけどその人が川崎先輩だったんですよね。ちょっと怖い感じでしたけど綺麗な方でしたよ」

 

「ふーん、美人でスタイル良くてポニーテールをシュシュでまとめた川崎沙希さんっていう人ね。ありがとう皆」

 

「いえ、依頼というほどのことではないですから」

「そうですよ、ほとんど雑談で分かっちゃったって感じでしたし」

 

「……それにしても先輩遅いですねえ、まさかサボりですか?」

「いいえ、さっき平塚先生からメールが届いて所用で比企谷くんを借りていくから今日は来れないという話らしいわ」

 

「ええー? なんで教えてくれなかったんですかー⁉」

 

「あなた、まさかまた比企谷くんに手伝いをさせる目的で来たの?」

「あ、いえ……そういうわけでは……(昨日あげたチョコの感想訊きたかったんだけどな……)」

 

「あんまりヒッキー連れてっちゃ困るよ、いろはちゃん」

「い、いいじゃないですか、他に依頼もないんですし」

 

 愛されてるなぁ、比企谷くん……

 そんな三人を見渡してちょっと意地悪な質問をしてみたい気持ちになったけど、したら自爆は目に見えてるし、やっぱりやめておこう。

 そんな風に自己完結していると扉がノックされた。

 

コンコン ガラッ

 

「ひゃっはろー♪」

 

「……姉さん」

「や、やっはろー……です」

「やっはろーです、はるさん先輩」

「こんにちは、はるさん」

 

「あらー、めぐりまで。今日はずいぶんと賑やかなのねー。……でも、逆にいつもいる子がいないわねえ」

 

「で、何をしにきたの、姉さん」

「えー、雪乃ちゃん冷たーい、遥々母校へ訪れたOGに対してもう少し優しくしてくれてもいいんじゃないかなー?」

「用件を言ってくれれば、それを可及的速やかに済ませるのに協力してあげるわ。優しいでしょ?」

「用件済まさせて早く帰らせたいのね。ふっふっふ、正直ねえ雪乃ちゃん。でも、目的の人がいないんじゃな~」

 

 その場にいる全員が『?』状態で次の言葉を待つ。

 凄く悪戯っぽい蠱惑的な笑みを浮かべながらはるさんは口を開いた。

 

「今日、比企谷くんいないの?」

「さっき平塚先生から連絡があって、今日は所用があるので部活には来ないそうよ」

「えー、無駄足になっちゃったかー、ついてないの」

 

「比企谷くんにどんな御用だったんですか?」

 

 質問しながらも予測はつく。はるさんが手に持つ赤いラッピングのされた箱をみれば。

 

「あー、いやね、昨日忙しくて時間作れなかったから、一日遅れだけどこれ……チョコ持ってきたの。比企谷くんに。でもいないんじゃしょうがないかー。あ、皆は比企谷くんにチョコあげたの?」

 

『‼』

 

 さっき飲み込んだ質問がこんな形で具現化されるとは思わなかった。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 三人とも仲が良すぎて遠慮し合ってる感じなのかな……。

 

「わたし、あげましたよ」

 

 小さく挙手して答えた。はるさんに訊かれたというのもあって思ったより自然に言えてしまう。

 

「おお⁉ めぐりが? ホントにー?」

「ふぇ⁉ ま、マジですか、めぐり先輩!」

「え⁉ めぐり先輩が……ですか?」

「⁉ ……一体どんな弱みを握られているんですか⁉」

 

「あれ? これってそんなに驚かれるようなことなのかな? わたし結構色んな人にチョコ配ってるんだけど……」

 

「そういうこととは別の意味で興味があるのよ」

 

「…………」

 

 やっぱりそういう意味だよね……ライバル的な。

 

「他の子達はあげなかったの?」

 

「あ、わたしも! わたしもあげましたよ!」

 

「あたし達もあげましたからね!」

 

「え、ええ……」

 

「ふーん、なーんだ、比企谷くんモテモテじゃない。せっかくチョコ作ってきたのに喜んでもらえなさそう。もう皆のチョコは食べてもらったのかしら?」

 

 さっきからバンバン急所を突いてくる……さすがはるさんだなぁ。

 

「……いいえ。昨日渡した時、比企谷くんは予備校に遅れそうだったようでわたしたちのチョコは食べずにそのまま持って帰ってしまったわ」

 

「わたしのも多分そうですね。その予備校に行くっていう下校時に渡しましたし」

 

「わたしも食べてもらってないですね」

 

「なるほど……皆はチョコの感想が聞きたくてこうして集まっていたのに肝心の比企谷くんが来れなくてフラストレーション溜まりまくりと、そういうことなんだ?」

 

 はるさん、なんでそう正解をズバズバ当てちゃうんですか……。わたしなんて食べてもらってないの直接聞いてるからその核心は辛いです……。

 

「べ、別にそんなことで気を揉むとでも思っているのかしら? だとしたら姉さんの知能も大学生になって著しく低下したものね」

 

「おや~? 強がったってわたしには分かるんだぞ~? でも誰のチョコを最初に食べたかってのは気にならない?」

 

「あ~、あはは……ええっと……」

 

「…………」

 

「多分、持ち帰ってから食べると思われますし、誰が最初でもおかしくないですね……」

 

「……そうだね」

 

 ……もう誰のが最初に食べられたかは決まってるんだよ。……言わないけどね。

 四者四様を呈していたその場で唯一不敵な笑みを浮かべる人物がいいことを思い付いたと発言した。

 

「じゃあさ、誰のチョコが一番最初に食べてもらえたか賭けをしない?」

 

「賭け?」

 

「えー、ギャンブルですか? わたしこれでも生徒会長やってるので品行方正とはいかないまでも良識の範囲で行動しておかないと立場が危うくなってしまうし、推薦者の顔もつぶしかねないのでごめんなさい無理です」ペコリ

 

「あたしもお金賭けるのとかはちょっと……」

 

「やーねー、違うわよ。それに賭けというか、勝負に景品を付けるってだけ。景品を用意するのは発案者のわたしだから皆は何にも気にせずノーリスクで乗っかるだけでいいの。ちょっと言い方を変えれば……そうね、コンペティションかな?」

 

「え? なに? ペティー?」

「『コンペティション』よ。略すとコンペね。こちらの方が耳馴染みでしょう。それにしても由比ヶ浜さんの口からイギリスの経済学者の名前が出てくるとは思わなかったわ」

「え? どっからイギリスがでてきたの? コンペってイギリスが作ったの?」

「…………」

 

「あ、あはは、でもわたしもあまりよく知らないのでツッコミづらいですね。先輩がいらしたらちゃんと拾ってくれたんでしょうけど」

 

「それはどうかしらね一色さん。あの男もわたしの言葉に言及するより『ユキペディアかよ』という万能で無難な返しをして黙ると思うわ」

 

「うわー、雪乃ちゃんて比企谷くんのツッコミまで予測しちゃうんだ? 夫婦みたいじゃんそれ」

 

「ば、バカなことをいわないでちょうだい。誰があんな目が腐っていて友達のいない人間と番いになるというのかしら?」

 

「うわ、番いって普通動物に使う言葉だよ……雪乃ちゃんが比企谷くんをどう見てるか分かったよ、うん」

 

「ところで、どういう賭け……コンペなんですか?」

 

 コンペに興味があったけど、なかなか会話が進まないので先を促した。はるさんがバッグを探り出し満を持してわたし達に供覧する。

 

「じゃーん、ここにディスティニーランドの一日ペアチケットが存在します!」

 

「おおー!」

 

「最初にチョコを食べてもらった人にこのチケットを贈呈します! もらった子はこれで比企谷くんと一日ディスティニーランドデートができます! どう? 簡単でノーリスク。コンペでしょ?」

 

「あ、それいいかも……っていうか陽乃さんこの為にわざわざチケット用意したんですか?」

 

「まあ、コンペの為じゃないけどね。チョコ渡すの遅れちゃったし、お詫びも兼ねて比企谷くんと一緒に出掛けれればいいかなー程度に思ってたんだけど」

「まあ、比企谷くんだからねえ。わたしが誘っても絶対来てくれなそうってのも理解はしていたよ。だから一番にチョコ食べてあげた子が誘ったら可能性あるかなって急遽思い付いて景品にしちゃいました!」

 

「……別に比企谷くんとディスティニーランドに行きたいわけではないのだけれど、勝負というなら最初から負けるつもりはないわね」

 

「ふっふーん、素直じゃないなー、ゆきのんは」

 

「な、なにを言うのかしら、由比ヶ浜さんは」

 

「わたしもペアチケットには興味がありますけど。先輩と行くとかは別にして」

「でも確かに魅力的な提案ですけど、先輩が正直に誰のチョコを最初に食べたかなんて言いますかね? そこがちょっと心配です。昨日の帰りに渡した時だけでもわたしのを含めて6個貰ってましたし」

 

「え?」

「そんなに⁉」

 

「…………」

 

 多分6個じゃ済まないよね。川なんとかさんからのもあるし……あ、川崎さんか。

 

「あらー、比企谷くん誇張なしでモテモテじゃん。この四人の他に最低二つ以上は貰ってる計算か」

 

「あ、でも一つは平塚先生ですよ」

 

「……仮にそこが一番だとしたら正直チケットあげるのはさすがに控えたいんだけど……」

 

「あはは……ですねえ。前に結婚式の二次会でチケット4枚も貰ってわたしたちに取材目的でくれたくらいですし……」

 

「……平塚先生可哀想……」

 

「それにさ、逆に『皮肉か⁉ 皮肉だろ⁉ 結婚した同級生にならまだしも教え子にまで『一人で二回行けるね!』とか言われたらもう私は……立ち直れない……ぞ……』って身投げでもされたらこっちが困るし」

 

 その言葉に教室内がシンと静まり返った。

 

「……誠に遺憾ながら、その姉さんの意見には同調せざるを得ないわね」

 

「んー、雪乃ちゃんも他人の機微というものが分かって来てるみたいでお姉ちゃんは嬉しいぞ」

 

「……平塚先生が特殊なだけよ」

 

 はるさんもそうだけど、雪ノ下さんも容赦ない一言でこの場にいない恩師に止めを刺す。

 わ、わたしは何も言ってないからね⁉

 

「じゃあこの四人以外のチョコが最初だったら当初の予定通りやっぱりわたしが誘ってみようかな!」

 

「あ! ずるいですよー。確率が一番高くなるじゃないですかー!」

 

「(……年間パスポートを持っているわたしがコンペに勝っても、由比ヶ浜さんが一番だったとしても一緒に行くことになりそうね)」

「(ゆきのん年パス持ってるし、あたしとゆきのんどっちが勝ってもヒッキーと三人で行けるかも……)」

 

「そんなこと言ってもねえ。わたしも心苦しいけど、ここで始めたコンペの賞品をこの場にいない人にあげるってのもちょっとおかしな話だし」

 

「それは確かに一理あるわね。もともと姉さんが持ってきたチケットだもの。それくらいは譲歩するのが参加者としては当然の立場だわ」

「……でも多分、小町ちゃんからのチョコもあるから、そこが一番って可能性結構高いよ?」

「有り得ますね。先輩シスコンですし……」

 

「ああ、それは可能性高いっていうかむしろ100%そうなるかもしれないね。合同イベントの時も比企谷くんらしいっていえばらしい、ちょっとつまらない感じの態度で終わってたし、小町ちゃんのチョコに逃げるってことは十分有り得るわ」

 

――――シーン

 

 えっ? なに? この沈黙?

 あれだけ姦しかった教室内に耳が痛くなるような静寂が訪れる。話の流れから不自然過ぎる沈黙で空気も重い。はるさんの言葉にある含みを理解できていないのはわたしだけだったみたいだけど、気安く問える感じでもなかった。

 

「……まあでも、小町ちゃんだったら小町ちゃんにあげても面白いかもしれないや。あの子ならこのチケットの意図を理解してくれそうだし」

 

 互いを見合って無言になる。

 わたしは小町ちゃん? に会ったことはないけど、こういうことに鼻が利く子なのかな?

 

「それ以外の子だとどうしようかな……本人がしゃべるとは思えないし、小町ちゃんが知らない子から貰ってたらアウトだしねー」

「まあいっか。その時は相手探すのも面倒だし、やっぱり比企谷くんにあげちゃおう」

 

「そうですね。その方がなんか納得ですし」

 

「でも陽乃さんはそれでいいんですか? 用意したの陽乃さんですし、チョコも一日遅れだから今から渡せたとしても多分一番には……」

 

「あ、いいのいいの。さっきも言ったけど最初から一緒に行けると思ってないし。ただ比企谷くんがこのチケットで誰と行くのか見たかっただけ」

 

「正直言ってあの男に渡して誰かを誘うとも思えないけれど。人混みが嫌いだし、なによりも人が嫌いだし、好きなものは妹というシスコンよ」

 

「…………」

 

 どうなのかなー……そのルールだと比企谷くんに贈呈されることは分かってるんだけど、本当に妹さんと行くのかな……。

 

「一応ルールも決めたし、それならそれでわたしは構わないよ? 妹ちゃんを誘うなら比企谷くんが未だにそんななんだなってのが分かるだけだし。皆、大変ねえ」

 

 冷たい笑みを浮かべたはるさんに睨まれたわたし達は一言も発せなかった。

 一通り見渡すと徐に電話をかけ始めた。

 

「…………ガチャ もしもし? 小町ちゃん? わたしわたし、陽乃ちゃんでーす」

 

 はるさんが掛けた先は今話に出てきた比企谷くんの妹さんらしい。早速解答を訊き出すのだろうか。受話器のマイク部分を押さえて声が入らないようにする。

 

「シーッ スピーカーにするね」

 

 そういって沈黙を要求するとスピーカーモードに切り替えて電話を再開する。

 

「突然で申し訳ないんだけど、ちょっと小町ちゃんに訊きたいことがあって電話しちゃったんだー」

『はい、なんでしょう? あ、でも小町これから出掛けるので、あんまり長電話は出来ませんよ?』

 

「ああ、うん。それは大丈夫。手短に済ませるから」

『分かりました。なんでしょう?』

 

「比企谷くん、昨日チョコ貰えたんだよね?」

『ああ、はい、そりゃもう! 小町ビックリしちゃいましたよ! お兄ちゃんの人生最大のモテ期ってやつです!』

 

「いくつくらい貰えたのか教えてくれないかな?」

『えっとですね…………確か小町のを合わせて9個ですね』

 

「え」

「えっ⁉」

「え⁉」

「えっ⁈」

 

 沈黙を破ってしまうくらいの衝撃が全員を襲った。

 

『あれ? 近くに誰かいるんですか? なんかハモってた気がしますけど?』

「あ、ああ、ごめんねー、変なボタン押しちゃったみたいで聴こえがおかしくなっちゃったかなあ~? 音量調整し直すね」

 

「(なんなんですか一体⁉ 最後に確認した時から3個も増えてるじゃないですか~‼)」

「(あれ? あれ? 小町ちゃん以外で2個も増えてる? 誰だろ?)」

「(……もしかしたら比企谷くんには母親が二人いたのかしら? いえ、でも親にも愛情を注がれていないと自虐していたこともあったし母親ではないわね……)」

 

 小町ちゃんと川なんとか……川崎さんと、もう一人増えてる……⁉

 

 川崎さんのことを知っていたわたしですら驚いたのだ。他の三人はそれ以上だっただろう。昨日話した『俺がモテるとかどこのフィクションですか?』という言葉に対して冷ややかな気持ちになる。

 

「もうチョコって食べちゃったのかな? ホントかどうか見せてもらいたいなーって思っちゃったんだー。だって、あの比企谷くんだよ? 9個も貰えたなんて信じられないじゃない?」

 

 多分、怪しまれないように適当な情報を混ぜて訊きだそうとしている。『誰のチョコを食べた? 誰のを最初に食べた?』なんて訊き方をされたらさすがに訝しむだろうから。

 

『チョコを食べたか……ですか? そうですねえ、食べたとは思いますけど小町は食べたところ見たわけじゃありませんから、兄に確認してください。それじゃ、そろそろ出掛けるのでこれで! 失礼しまーす!ガチャッ』

 

 声音から一瞬歯切れが悪くなったような気がした。わたしが気づいたのだからはるさんが気づかないはずもないが、小町ちゃんは上手くぼかして早々と電話を切ってしまう。

 

「あ~、切られちゃったか。ざ~んねん」

 

 恐らくはるさんの質問に何らかの意図を感じたのだろう。瞬時に自然な会話を組み立て核心を察知して躱したのかもしれない。だとしたら比企谷くんもそうだが、妹さんも想像よりずっと敏い子だ。

 

「うーん、これで比企谷くんに訊くしかなくなったかー。あの子が素直に言うわけないしなー。まいっちゃったなー」

 

「全然まいってる風には見えないのだけれど……」

 

「まいってるよー? だって、あの捻デレくんに会って嫌そうにしてる顔見ながら誰のチョコ食べたか探らなきゃいけないんだものー。楽しくって楽しくって」ニコニコ

 

「いやもう楽しいって言っちゃってますから……」

 

 はるさんも比企谷くんのこと気に入ってるよね……。

 憧れのはるさんが障害になりそうだと分かると、わたしの中にあった僅かな希望が摘み取られる感覚に見舞われる。でも妹さんと仲がいい数少ない男の子だからっていう可能性もあるのかな。うん、そうに違いない。

 そう結論付けて不安を無理矢理押し殺したわたしは本来の予定を思い出した。

 

「あ、一色さん、そろそろ生徒会室に行こうか? すっかり長居しちゃった」

 

「はっ! そ、そうですね! 完全に失念してましたよ! それでは皆さん、お邪魔しました!」

 

「じゃあ、わたしも目的なくなっちゃったし退散するね」

 

「はーい、三人ともまたねー」

 

「さようなら。姉さんはもう来なくていいから」

 

 

《 Side Hachiman 》

 

~買い物中~

 

 

「いやー、平塚先生すみませーん、車出してもらった上に材料費も出してもらっちゃって」

 

「気にするな。今はプライベートだし、わたしも無理を言って御馳走になろうというのだしな。これくらいはさせてくれ」

 

「……だからって買い過ぎだろこれ……米(5キロ)まで買うなんて聞いてねえぞ……オモイ」

 

「いいじゃん、お兄ちゃん昨日おかわりしてたし、沙希さんとこの米櫃にダメージ与えちゃったんだから回復させるのはマナーってもんだよ?」

 

「おい、ちょっと待て。ご飯味噌汁おかわり自由の店でフードファイターが競技しましたみたいに言ってるけど、おかわりしたの一杯だけだからね? いくら川崎の飯が美味くて俺が成長期でも、ぼっちで文化部の俺は余計な動きしないから燃費いいんだからな?」

 

「おや? 二人とも、昨日も川崎家で夕飯を食べたのかね?」

 

「そーなんですよー、お兄ちゃんが沙希さんにお呼ばれしちゃって、その時もう小町も夕飯の準備終わってたんで一緒にどう? って感じで。家族ぐるみのお付き合い? ってやつです!」

 

 うぐぅ! 小町め……また先生にいじられる材料を提供しやがって……。

 

「ぐはぁ‼」

 

 いじるネタではなく先生にとってダメージになりえる口撃だったか。最近は『結婚』ってワードだけじゃなくて『家族』もダメなの……?

 

「あれ……? 先生どうしたんですか?」

 

 小町の戸惑いはよく分かる。こんなのまで口撃判定されたらNGワード多すぎて会話できねえよ。普通の会話にどんだけ密集した地雷原敷いてるんだよ? だから婚活パーティとかでロクに話せず追い出されちゃうんじゃないの、この人?

 

「ああ、先生この先のドラッグストアに寄ってください」

 

「……う、うん……わかった……」

 

 

『アリガトーッシター』

 

 

「お待たせしました」

 

「おう、またかさばる物を買ってきたな」

 

「何買ってきたの? ……2リットルのスポーツドリンク2本にマスクにうがい薬、冷えピタと……お菓子?」

 

「川崎の療養用品とけーちゃん対策……ってかお菓子は皆で食えるしな。また甘やかすなって川崎に怒られそうだけど」

 

「へぇー、沙希さんと京華ちゃんの為にいろいろ買ってきたんだ? 気遣い出来るじゃんお兄ちゃん。ホントどうしちゃったの?」

 

「……風邪引いてる小町に俺がどういう行動するかってトレースしただけだ。そう考えたらそこまで驚くことでもないだろ? ただ俺のお兄ちゃんスキルを任意で発動させただけだ」

 

「うわー、いい心がけだー」

 

 なんかここ二日間、小町が俺に驚きっぱなしな気がする。そんな評価されるほど俺なんかしたか? いや普段評価されてなさ過ぎるからそう感じるのかもしれん。そりゃそうですよね、普段からお兄ちゃん妹に介護されっぱなしですから。そんな俺が他人に何かをしてあげるなど妹君にしてみたら天変地異の前触れに思えても不思議ではない。

 

「……まあ、あれだ。小町にはこれから夕飯の支度で世話になるわけだし、最低限のサポートはしようと思ってな。これもお兄ちゃんスキルの範疇だ。どうせ俺が料理を手伝うと足手まといになるだろうしな」

 

「お兄ちゃん自分を弁えてて小町的にポイント高いよ!」

 

「バッカお前、俺はいつも弁えてるだろ? 弁えてるから普段からクラスでしゃべらず空気になるし、昼休みには誰にも気づかれず教室からいなくなるわけで」

 

「ひきがやぁ……」

 

先生は本当に呆れながら、それでいて寂しさを内包した顔を見せた)

 

「……君はその手の自虐ネタを少々控えることから始めた方がいいかもしれないな」

 

「これはネタじゃなくて事実を的確に表したまでですけど」

 

「……あのな比企谷、『言霊』という言葉を知っているか? 言葉には力が宿ると昔から言われていて、ネガティブな言葉にはマイナスなエネルギーを生み出すという研究結果も出ている」

 

「なんですかその、祈ることで世界は救われる、入信することで病気が治る、と宣うカルト宗教の言葉みたいなものは? そんなの信じるなんて国語教師らしくないですね」

 

「国語教師だからこそ言葉というものを重んじるのだよ。まあ聞け。言葉というものはな、それ自体が人を傷つける道具になることは君が身をもって知っているだろう。そしてその結果、言葉にはそれによって人を変えてしまう力を秘めているといえる」

 

「…………」

 

「君がそんな性格に染まったのも過去に裏切られ続け、悪意や人の醜い部分を言葉にされ浴びせられてきたからだろう。その腐った目こそが、言霊の存在証明となっているじゃないか」

 

「…………」

 

「…………」

 

「もう慣れきってしまったから普通に接しているように見えるかもしれないが、君の自虐を聞く小町くんはそのネガティブな言葉に宿るマイナスのエネルギーを長年浴び続けて傷ついてきた被害者でもあるのだぞ?」

 

「…………あー、それは……そんな感じも少しだけしますねぇ……」

 

「そうだろう? 自分に向けられているわけではないが聞いてて気分のいい言葉じゃない。小町くんはそのエネルギーをその身に浴びないよう受け流すため君を(ざん)するのではないのか?」

 

「……讒言(ざんげん)じゃなく事実ですから」

 

「……それだよ、君自身が事実として自らを貶める言葉を発することで己がそうだと脳が錯覚し、その自虐のマイナスエネルギーを受け流す為に小町くんが自身では思ってもいない貶しを君に返す。そしてまた君がその讒言(ざんげん)を事実として受け止める。その結果、サブリミナル効果となり、自己暗示がかかり、超ネガティブ思考となる……それが繰り返されて負のスパイラルの完成だよ」

 

「…………」

 

「…………」

 

 最初あんなに先生の言葉を否定していたはずなのに、何も言えなくなってしまう。いや、まだ先生の説を100%信じるわけではないが小町が一部肯定した上、今沈黙を続けているのが俺の心に圧しかかった。

 

「雪ノ下を変える切っ掛けとして君を仕向けたつもりだったが、あれほどいい感触を得られたのは嬉しい誤算でね。今回のような問題まで頭が回らなかった」

 

 ちょっとー? 仕向けたとか言わないでくださいよ。それは先生の内に仕舞っておいてほしかったなー。

 まあ、俺なんかよりも明らかに雪ノ下の方が問題を抱えていたのは何となく理解していた。出会ったとき、俺の事を『本人が問題を自覚していないせいです』と宣っていたが、俺の問題を自分自身に重ね合わせて漏れ出た言葉のように思えた。

 

「君と雪ノ下の問題を同時に改善しようという考え自体に無理があったようだ。すまん、これはわたしのミスだ」

 

 もうはっきり雪ノ下に問題があるって言っちゃったよこの人。俺はまだしも小町もいるのに言っちゃっていいのかよ。

 

「……そんなことは……」

 

「君と雪ノ下の孤独体質は種類が違うしアプローチの仕方を間違えたようだ。君の場合、改善させるにはまず自信をつけさせる方向で接してやらなければならなかった。雪ノ下にはある程度、釘を刺しておかなければいけなかったが彼女はそういう面に関して狭量だからな。言ったところで上手くいかなかったかもしれん」

 

 矛先は雪ノ下にまで向いた。ただそれは無理からぬことかもしれない。雪ノ下のような優れた人間から見れば周りの人間は凡庸で、瑕疵も目につきやすいだろうから。それを口にするしないはまた別問題だが。

 

「いえ、別に雪ノ下は悪くないですよ。本気で言ってるわけじゃないってのは分かってますし、あれは弁論大会みたいなもんでディスリを競い合ってたみたいなとこありますから。特に最近はそんな貶されませんし、何だったら庇ってくれたりもしましたしね」

 

 戸部の依頼……葉山に連れられた戸部が俺に対して非礼な言い草で依頼してきた時、二人に退出を命じたことがあった。ただ、惜しむべくは、前後の言葉に整合性がなかったくらいか。

 

『まあ、比企谷くんが悪いのだし、仕方ないわね。では悪いけれど出て行ってもらえるかしら』

 

 こう続けば誰だって俺に出てけ、って思うだろうよ。なんでそれで戸部達に向けて出て行って、になるんだよ。これが国語のテストで出題されたら全国を見渡しても誰も正解できない難攻不落の読解問題として伝説になるわ。なんだったら抗議の電話が鳴り止まないまである。

 

「仮に俺の体質改善を『褒めて伸ばそう方針』で取り組んでたとしても、俺はその言葉を信じませんからね。無意味です」

 

「そうとは限らない。当初からそうしていれば今頃は違った結果になっていたかもしれないだろう。もう入部して何ヶ月になると思っている? 君のその性格が醸成されるのに歳月がかかったのと同様に、更生させるのにもまた歳月が必要なのだ」

 

「…………」

 

 また黙ってしまった……沈黙は肯定と受け取られかねない。我が部の長から教わった社会通念だ。

 

「ただ、今日の君からはわりと素直な面を見れた気がしたな。何か心境の変化でもあったのか?」

 

「あー……そういえばお兄ちゃん昨日辺りから結構デレてるの見るよね?」

 

「…………」

 

 ……心当たりがないわけでもない。

 俺は昨夜スマホに届いたメールの内容を思い出す。

 

 

 ――――『その自虐禁止』

 ――――『自分を卑下しないで』

 

 実際はメールでそう言われる前から俺が俺じゃないみたいな態度がいくつもあった。その主因たり得たものは……

 

 …………おそらく

 

 …………川崎一家と接したからなんだよな。

 

「…………」

 

「……そうやって言われると思い通りになりたくないのが俺なんだよ」

 

「相変わらず天邪鬼だなー」

 

「これも先生の言う歳月が成した功罪だ」

 

「いや、罪しかないから!」

 

「はぁ……」

 

 一旦話が区切られ短い沈黙の後、平塚先生が真剣な口調で呟いた。

 

「比企谷……わたしの言葉を全て肯定しろとは言わない。ただ、これだけは言いたい」

 

「……なんですか?」

 

「これから川崎家で夕飯を御馳走になるわけだが、そこでは自虐やマイナスになる言葉を発さないと約束してくれ」

 

「……結構難しい約束ですね。俺は油断すると自虐が身体から漏れ出る体質なので……」

 

「じゃあ油断するな! 常に緊張して夕飯に望め! この食事会を戦場だと思え!」

 

 どこの大家族の話?

 いつの時代の食事風景?

 食事が戦場とか世間一般的に真逆な解釈を強要してきたよこの人!

 

「これは何となくで約束しろと言ってるわけじゃない。明確な目的があって必要だと思うからだ。確かに君は今まで数々の悪意に晒されてきた結果、猜疑心が育ち常に言葉の裏を探り疑念を持つようになった」

 

「…………」

 

「だが君は、あの川崎の妹にも疑心を抱くのか?」

 

「⁉」

 

「違うだろう? あの子はまだ純粋な子供に過ぎない。君を絶対に嫌いにならないとも言ってくれた。人の持つ醜さが生み出し、歳月が培ってきた君の猜疑心という化け物が通用しない無垢な存在だ。逆にあの子に猜疑心が働くのなら、問題は相手ではなく君にあるべきだと思わないか?」

 

「…………」

 

 確かにけーちゃんにそんな心を向ける理由はない……この腐った目ですら怖がらずに懐いてくれるあの子に。

 

「……お兄ちゃん……」

 

「いや、あの子に限らず全ての相手に対してそれが当てはまってしまうのがこの問題の難しいところだ。あの子と他の人間の違いは、濃いか薄いかという差に他ならんしな。猜疑心を生み出しているのは心…………君の心なんだよ、比企谷」

 

「ただ、あの子は疑い深い比企谷でも比較的楽に信じることができる数少ない相手だろう?」

 

「…………そうですね」

 

「…………」

 

「うむ。だから君の自虐癖を矯正していくのに最適なカウンセラーはあの子だということだ。あの子の言葉に耳を傾け、素直になってみるといい。決して『年上』や『お兄ちゃん』という役にならず、『比企谷八幡』として応えてみることだ」

 

「…………」

 

「……ふむ、まだ怖いか。それでは少しハードルを下げてやろう。それにこちらも目的の一つだしな」

 

「え?」

 

「先ほどわたしは言ったな。言葉には力が宿ると。そこには君も多少の納得はしてくれたと思う。なんせその腐った目を作り出した原因の一つだからな」

 

「……はぁ」

 

「ならその腐らせる負のエネルギーに、無垢なあの子を晒してはいかんだろう?」

 

「あ……」

 

「君との15年にも及ぶ生活で身につけた小町くんの受け流しスキルなど、あの子が持っているはずもない。君の負の言葉――悪意――に晒されたら下手をするとあの子の目が腐ってしまうぞ? それでもいいのか?」

 

「…………」

 

「……まずはあの子の為でいいんだ。あの子の為に自虐をしない。ただそれだけでいい。今まで他人に軽んじられ否定されてきた自分から自然と漏れ出してしまう言葉も、あの子の為なら呑み込むことができるだろう? 君はそういう人間だ」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………お兄ちゃん」

 

「…………なんだ? 小町」

 

「小町からもお願い。先生の約束守って……」

 

「…………」

 

「お兄ちゃんは沙希さんと京華ちゃんのお陰で変われるチャンスがもらえたんだよ?」

 

「…………でも俺は……」

 

 …………変わりたいと望んでいるのか?

 

 …………人に言われたくらいで変わるのか?

 

 …………なぜ今の自分を、過去の自分を肯定してやれない?

 

 …………言われたくらいで簡単に変わる自分が『自分』なわけねえだろ!

 

 …………て、言ってたな。過去の俺……

 

 …………

 

 …………

 

 …………

 

 ……それじゃ過去の自分よりも、もっと過去の自分を肯定してやったらどうだ?

 

 ……我ながら詭弁でしかない、まさに屁理屈だが

 

 ……人から悪意を浴びせられる前の自分……まだ目が腐っていなかった頃の自分を肯定してやれ比企谷八幡

 

 『変わる』ではなく『戻る』

 

 ただの言葉遊びかもしれないが、それで変わるきっかけに……俺の中で変わっていい理由として成立するなら……

 

 この猜疑心のせいで川崎に対して本当に向き合うことができないというのなら……

 

 …………その言葉遊びに……

 

 …………騙されてやるのも悪くない。

 

「…………」

 

「…………」

 

「……ああ」

 

「‼」

 

「けーちゃんに自虐ネタ言わないだけだろ? 簡単じゃねえか。そんなことで可愛い小町のお願いが叶うなら安いもんだ」

 

「お兄ちゃん‼」

 

「そうか……なら今日の夕飯は覚悟して挑めよ? 君が約束を違えた瞬間、衝撃のファーストブリットが炸裂するからな」ニコッ

 

「いや、いい笑顔で傷害事件予告せんでくださいよ……けーちゃんが見たら間違いなくトラウマになるでしょ……」

 

「なら、それを含めて約束を守るようにしないとな」ニヤリ

 

 そう言って平塚先生の顔に浮かぶ笑みに、俺は恐怖しか感じなかった。

 

 

《 Side Saki 》

 

―沙希の部屋―

 

 

「すぅ……すぅ……」

 

「…………うっ」

 

「ゴホッゴホっ!」

 

「……うう」

 

 迂闊だった……ここまで拗らせるなんて……咳まで出てきたし落ち着いて寝てられない。

 明日病院行ってこなくちゃ……京華送っていくついでに車乗せてってもらおう。

 

 まいったね……明日は大志と小町の合格発表の日だってのに。

 そういえば、大志は絶対安静、黙って寝てろって言ってたけど夕飯どうすんだろ……?

 さっきは辛すぎて疑問抱く思考力すらなかったけど、これって一大事だよね……? 今日も母さん遅いし、京華もお腹空かせてるんじゃ……。

 あたしは力を振り絞って身体を起こそうとするが、節々の痛みまで出ていて思うように動けない。

 っていうか、頭が……

 突然、世界がぐにゃりと歪むと、地面が襲い掛かって来た。畳の冷たさが気持ちいい。

 

「…………」

「…………」

「…………死ぬ……」

 

「…………いやダメだ、まだ……死ねない……」

 

 あたしは家族の顔を思い浮かべて気力を振り絞った……つもりだったが、気力ってそもそも健康な身体に宿るものだし、風邪なんて引くと気弱になって当たり前なんだよね。

 だから教室で比企谷に背負ってもらうなんて有り得ないことしちゃったんだし、あんなに目立つことさせちゃって比企谷、あたしのこと嫌いになったりしないかな……

 

「…………」

 

 やば……思い出したらにやけちゃう……

 文化祭の時の『愛してる』が冗談だと分かったのはしばらく経ってからだった。

 昨夜、間違ってキスしたのが夢だったんじゃないか、あの時みたいに勘違いだったんじゃないかって思ってしまったくらい今朝の比企谷の態度は普段と変わらなくて……。

 

 本当になかったんじゃないか?

 なかったことにされてしまったんじゃないか?

 って心配でメールの履歴何度もみたりしてたんだけど。

 あんなことまでしてくれたんだから、やっぱり少しは意識されてるはずだよね……

 比企谷……

 

コンコン ネエチャーン ハイルヨ?

 

「玉子粥持ってきt……な、なにしてんだよ、姉ちゃん」

 

 布団から出てドアに向かって行き倒れてるあたしに大志が駆け寄ってきた。

 

「ほら、布団戻って。熱下がんないよ」

 

 大志があたしを抱きとめ、布団に戻るのを手伝ってくれた。まだかなりあたしの方が身長が高いのでお姫様抱っこは無理だろう。大志にそんなことされたらすぐ元気になりそうだけど。

 

「……ごめんね大志……迷惑かけちゃって……ゴホッ」

 

「何言ってんだよ。いつも姉ちゃんに世話かけてるのは俺達の方じゃないか。こんな時くらいゆっくり休んでなって」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……たいしぃ」

 

 やばい……涙腺がやばい……昨日堰を切ってから、涙が簡単に漏れ出るようになっている気がする。

 

「お粥一人で食べれる? ……食べれなくてもさすがに食べさせるのは……その……なんで、なんとか一人で食べてよ」

 

 そうか、頭撫でられるのも照れるくらいになってきたから、そんなことできないよね。食べさせてもらえたらホントすぐ治っちゃうのに……ってこれってやっぱブラコン? 比企谷のこと言えないかも……。

 

「あとこれ、スポーツドリンクで適時水分摂って。喉乾燥させないように苦しいかもしれないけどマスクもしといて」

 

「……うん……ありがと大志……」

 

 いつの間にこんな気遣いできる子に成長してたの? 明日、絶対総武受かってもらってお祝いと一緒にお礼したい!

 身体を起こしてもらい、お粥を食べる。

 

「フーッフーッ……ハフ……ん、おいしい……」

 

 風邪の時は嗅覚味覚が鈍くなって何を食べてもとても美味しいとは感じないはずだが、この玉子粥はカツオの匂いが効いていておいしく食べれる。

 

「砂糖とかじゃなくて、たっぷりの粒状カツオ出汁で自然な甘味を強くしたんだ」

 

「へぇ……甘くておいしいよ。それに最初にはっきり塩気が感じられるから後からくる甘味がより引き立つんだね。相当お塩入れた?」

 

 これだけしょっぱさが感じられると、かなり塩分があるはずだけど大志は首を横に振る。

 

「表面に塩を振ったんだよ。混ぜちゃうと使った塩分のわりに全然味を感じないから、食べる直前こまめに少量ずつ振るんだ。そうすると塩の総量少なくても味の満足感がでるんだ」

 

 大志が一生懸命説明する間もあたしはお粥を口に運んだ。この子いつの間にこんな料理できるようになったんだろ?

 

「腎臓病の人が塩分制限されても少ない塩でより味を感じさせる方法なんだってさ。でも姉ちゃんはいま熱出して汗から塩分出ちゃうからむしろ摂った方がいいみたいだけど」

 

「なるほどね……あたしも今度から普段の料理で試してみよう。無理に塩分減らさなくていいし、同じ塩分なのにより味が感じられるのはいいね」

 

「まだあるからお代わり欲しかったら言ってね。洗濯物はこのカゴに入れといて。京華の面倒もちゃんと見てるから食べたらまた休んでて」

 

「うん……ありがと、大志」

 

 風邪なんていつだったかもう覚えてないくらい引いてなかったし、引いてる暇もなかったけど、たまにならいいかな……って何考えてんのあたしは……でもそう思えるくらい大志に甘えられるのが嬉しくて……。

 夜のバイトしてる時、奉仕部に相談してくれたりとか、この子、ちゃんとあたしのこと心配してくれんだよね。

 いい弟をもって、あたし……幸せだな……。

 

 お粥を食べ終わると大志に迷惑をかけないよう布団をかぶって目を瞑る。

 なんだか京華の声がいつもよりはしゃぎ気味な気がする。大志も大変だろうな。でもそろそろ母さんが帰ってくる頃だと思うし、もう少しの辛抱だよ……

 

 ……たい……し……

 

 おや……すみ……

 

 

      × × ×

 

《 Side Hachiman 》

 

 

 川崎にお粥を食べさせ人心地ついたところで、誰かが帰宅した。

 この声は母親だろう。父親だったら意味もなくぶるってしまうまである。川崎にもぶるってるので母親も怖かったりするとぶるってしまっても不思議ではない。

 何それ、川崎家って俺の天敵なわけ?

 

「ただいま、沙希の様子はどう?」

 

「母ちゃんお帰り、さっき寝たところだよ」

「ママ、おかえりー」

 

 長女とは対照的に優しそうな面差しで、しかし川崎一族であることを証明する青みがかった黒髪。

 京華みたいな小さい子供がいるんだし、うちの母親より若いだろうか。そうでなくても最近見た母ちゃんの顔は仕事から帰って来て仕事を持ち込む疲れ切ったものや、消えない隈を刻み付けたものばかりだ。逆に母ちゃんのが若くても外見年齢がひっくり返るほど息子の印象は悪い。ごめんな、母ちゃん。

 

「お邪魔しています。総武高校生活指導の平塚と申します。今日は沙希さんが熱を出したのでお送りさせていただきました。それと誠に勝手ながら夕飯の準備とお嬢さんのお世話をさせていただいております」

 

「あ、そんな、これはこれはご丁寧に。沙希がご迷惑をかけてしまい申し訳ございません」

 

 そんな平身低頭合戦を眺めながら、大人になるのってめんどくせえなぁ、と何とも言えない表情を見せてしまう。

 

「どうもー、お邪魔してます。大志君のお友達の比企谷小町です。こちらの目つきがちょーっとアレなのが兄の八幡です」

「どうも、お邪魔してます」

 

 小町ちゃん、俺を褒めて伸ばそう方針はどうしたの? まあ目つきがアレっていうのはマジ的確だしディスりではないか。

 

「お兄さんは姉ちゃんのクラスメイトなんだ」

 

 すかさずフォローを入れる大志。

 なんだよ、お前のが血を分けた兄弟みたいじゃねえか。

 でも悪いな。俺に弟はいらないんだ。そればかりか、うちの子だったらきっとお前も親父にもいらない子認定されてるぞ。

 

「まあ、そうなの? えっと比企谷くんだったわね、沙希がいつもお世話になっております」

 

「いえ、どっちかというとこちらのが世話になってるって感じなので……」

 

 ああ、堅苦しいのが辛い! こうして考えると大志とけーちゃんといるのってメチャクチャリラックスできてたんだな。

 

「ささ、母ちゃんも手洗って。今日は比企谷さんが夕飯作ってくれたんだ。一緒に食べよう」

 

「え? 本当に? まあまあ何てご迷惑を……」

 

「いえいえ、いつも兄と自分のご飯を作ってますから。御口に合うか分かりませんけど召し上がってください!」

 

 こういう時は小町のコミュ力が遺憾なく発揮される。初対面の親御さんとの会話なんて俺なら普段よりもキョドりそうだわ。

 

      ×  ×  ×

 

 正直、けーちゃん相手だと平塚先生との約束を破るような場面はなかった。

 なんせけーちゃんは本当に俺のことが好きなようで、俺を貶すような負の言葉など一切言わない。それどころか褒めまくってくる。照れくさいというのはあったが、けーちゃん相手だと素直に答えられるところがいい。

 

 だが、川崎母が食卓に着いてからというもの状況が一変。先生のファーストブリットを撃たせないようにするのがハードモードになっていた。

 何故なら大志のアシストを受け川崎母が俺を褒めまくるせいで照れ隠しに無意識に自虐ネタを放り込もうとしてしまうからだ。

 そんな大した男なんかじゃねえのに……。

 

「姉ちゃんがバイトで朝帰りしてる時、相談に乗って解決してくれたのがお兄さんなんだよ」

 

「まあ…………」

「忙しさに感けてて、あの子に家のことを押し付けているのが申し訳なくて……」

 

「いえ、うちの親とかも忙しくて主に小町が家のこととかしてますし、しょうがないことだと思います」

 

「お気遣いはありがたいです。けどね、親はそれじゃダメなのよ比企谷くん。特にあの時の沙希のように本当に苦しんでいる時、ちゃんと力になってあげられないなら親失格だわ」

 

 ああ、時間が経っても自責の気持ちがなくなるわけじゃないか。俺のトラウマだって消えないしな。

 

「しばらくして帰りが遅くなることがなくなったと聞いて、自然と解消されたものかと思っていましたけど……そうでしたか……あなたが……」

「……あの子、あんまりそういう話はしてくれなくて……」

 

 聞いていると川崎は家族とよく話すが、自分のことをあまり親に言わないらしい。エンジェル・ラダーでのバイトはもとより、学校であったこともあまり話さず、せいぜい成績のことくらいだそうだ。

 

 確かに、俺が言うのもなんだがお世辞にも友達の多い充実した高校生活を送っているわけでもないしな。また、それを話してしまうと、そうなった理由が両親が忙しくて家事と弟妹の世話を川崎が担っているから、という部分に帰結する。つまり話すこと自体が両親を苦しめることに繋がってしまうのが川崎には分かっていたのだ。

 

 そう考えるとエンジェル・ラダーの話なんてもっての外だよな。言ったら両親の稼ぎに対して無言の抗議になってしまうし、そのつもりがなく、ただ助けになりたいと思ってても親の方が勝手に負い目を感じてしまうかもしれない。

 苦労してんだな、あいつ……。

 

 この時とばかりに、大志は事の顛末を説明し出した。

 ……このバカ。ここには平塚先生がいるんだぞ、分かってんのかよ。

 

 あの時の依頼は大志から小町へ、小町から俺へと伝わってきたもので平塚先生を経由していない。その上、明確に法令違反だったので意図的に詳細な報告はしなかった。

 まあ、この人のことだからいまさら事を荒げようとはしないだろうが、それでも大志が話す度、横目で様子を窺ってしまう。

 

 ただやはり杞憂だったようで、平塚先生は話を聞いて驚きはしたものの満足気に目を細めていた。川崎さん(母親)も驚きと感心した表情を見せる。

 大志の話が終わると、川崎さんは俺の方へと向き直り姿勢を正してゆっくりと丁寧に頭を下げた。

 

「……本当に……比企谷くんには何とお礼を言ったらいいか……」

 

「いえ……そんな、気にしないでください」

 

 などとお礼を言われっぱなしで照れ隠しの自虐を考えれば平塚先生が目を光らせているという、なにこれ、どんな罰ゲーム? 状態になっていた。

 

「わたしも相談に乗ろうとしたのですが、沙希さんに頑なに拒まれてしまって……教師として力が足りず御両親には申し訳なく思っています」

 

 そうなんですよ、あなたがあそこでちゃんと川崎の相談に乗って学費と家計の問題を聞き出せてればスカラシップを教えることもできたというのに『親の気持ち』や『結婚』というワードを出されただけであっさり返り討ちにあったのはいただけませんでしたねえ。

 

「いえ、わたしたちが沙希に苦労をかけっぱなしだったせいで、このようなことになってしまって……」

 

 お母さん、大志もけーちゃんもいるんだしやめたげて!

 

「ですが、この比企谷が娘さんの悩みを解決してくれて、奉仕部顧問としてわたしも誇らしいです、あっはっは」

 

 そう豪快に笑いながら肩を叩いてくる平塚先生。豪快とか表現させるなよ、妙齢の女性だろ……。

 

「平塚先生痛いですから……あんまり肩バンバンしないで……」

 

「そう……比企谷くん、これからも沙希と仲良くしてあげてくださいね」

 

「あ、はあ、こちら……こそ……」

 

「けーかとも仲良くするの!」

 

 人に感謝されるのって……それを受け止めるってのがこんなに面映ゆいものだったとは……でも

 

 ――――『そうやって自分のしたことに向き合わないからいつまでも卑屈なんじゃないの?』

 

 ……はは

 

 こういうのを受け入れることも変わることへの第一歩なのかね……

 

 ……おかしいな、さっきから頭に響いてくるのが全部あいつの言葉ばっかりだわ。

 

 ……奉仕部に入ったばかりの頃、雪ノ下も俺を更生させようと色々言ってたな。

 

 あの時は今の自分に誇りをもってるって否定してたっけ。

 

 ――――『本人が問題を自覚していない』

 

 当時の俺は本当にあの生き方に悩みを感じていなかった

 

 他者との関わりがないからこそ、知らないからこそ問題と思わない、足りえない、それがぼっちたる所以。

 あの頃より少しは人と関わりが出来たから……問題であると知ってしまったから……変化を望むようになってしまったのが、今の俺なんだ。

 

 ……今言われたら、素直に雪ノ下の言葉を聞き入れていたんだろうか……

 

 …………

 …………

 …………わかんねぇ……

 

 差し当ってはこの川崎家での俺リスペクトの空気に耐えることから始めなければなるまい。

 今までの訓練されたぼっちとは真逆の訓練をすることになるとは……人生とは分からないもんだな。

 

      ×  ×  ×

 

《 Side Saki 》

 

―沙希の部屋―

 

 

「すぅ……すぅ……」

 

「…………」

 

「…………ん」

 

 ……少しは眠れたかな……今何時……?

 あたしは体温計を脇に入れてから時計を見た。

 11時過ぎか、もう京華も寝てるね。

 

 歯も磨かずに眠ってしまったんで口の中が気持ち悪い。まだ何か食べる物があったら少しお腹に入れて歯を磨いてまた眠ろう。そう思って部屋を出た。

 

 ん、歩く分には平気なくらいふらつきもなくなったね。

 

 部屋を出ると母さんとばったり会った。お風呂上がりみたいだ。

 

「あ、母さんおかえり」

 

「ただいま沙希。熱下がった?」

 

「いま、計ってるとこ……」

 

ピピピッ

 

「……38.2℃」

 

「あまり下がってないわね」

 

「これでも下がった方だよ。ピークは39超えてたし。38℃台だとそこまでふらつかないからまだ楽かな」

 

「無理しないでね。何か食べる? お粥まだ残ってるからおかずになりそうなもの作るわよ?」

 

「ん……お願い。ちょっと食欲出てきたし、食べたら歯磨いて着替えてまた寝る」

 

「はいはい。その前に汗出たでしょ? 着替える前に身体拭いてあげる」

 

 部屋で背中を拭いてもらい、自分で出来るところは自分で拭く。

 

「そういえば今日もお弁当ありがとね。明日はわたしが作るから」

 

「うん……そうだ、あたし今日お弁当食べれなかったんだ……無駄にしちゃってごめん」

 

「いいのよ、しょうがないわ。あんなに熱出してたんだしとても食べられないわよ。それに」

 

「?」

 

「今日のお弁当いつもみたいに美味しくなかったし」

 

「‼」

 

「作ってもらっといてこんなこと言うのは悪いんだけど家族だし、いいわよね?」

 

「ちょ、ちょっと待って、それは別にいいんだけど、不味かったって本当?」

 

「ええ、味のバラつきすごかったし、珍しく沙希が料理失敗してたなって思ったけど朝から体調悪かったのなら納得だわ」

 

「――ぅわぁ…………」

 

 

「? どうしたの沙希?」

 

「…………よりによってこんな日に……」

 

「! ああ、そういうこと」

 

「え?」

 

「大丈夫よ、比企谷くんお弁当全部綺麗に食べてくれてお礼言ってたわよ?」

 

「あれ? なんで比企谷のこと知って……お弁当のことも……?」

 

「ああ、言っちゃいけなかったんだっけ。……まあいいわ」

 

「え……なんのこと?」

 

「今日ね、平塚先生と比企谷くんが沙希と京華を送って来てくれて」

 

「うん」

 

「その後で平塚先生が比企谷くんと小町ちゃんを連れてうちに来てくれたのよ」

 

「⁉ ふ、二人が来てたの⁉」

 

 気付かなかった……もちろんずっと寝てたし仕方がないことなんだけど。

 

「小町ちゃんがおうちでも料理してるからって沙希の代わりに作ってくれたのよ。このお粥も小町ちゃん作」

 

「……道理で、大志が作ったにしては上手く出来過ぎてると思ったんだ」

 

 これで合点がいった。大志が優しいのはいつも通りだったが料理が出来過ぎていたのがずっとひっかかっていた。

 

「平塚先生ともお話して、去年の夏頃に比企谷くんが沙希にどんなことをしてくれたのかも教えてくれたわ」

 

「! …………」

 

 バツが悪い……あんなことがあったけど大志も黙っててくれたから親には隠し通すことが出来たと思ったのに……

 

「…………」

 

「…………あの」

 

「……ごめんなさい沙希」

 

「ごめn……え?」

 

「わたしたち両親が不甲斐ないばっかりにあなたに苦労ばかりかけてしまって……」

 

「そ、そんなこと! あたしが勝手なことして皆に心配かけたんだから、あたしが悪いんだよ。母さんが謝るなんておかしいから!」

 

「いいえ、浪費してるわけでもないのに学費のことで子供に心配させてしまうなんて親失格よ。そうでなくてもあなたには家のこと弟妹のことで苦労かけっぱなしなのに……」

 

 母さんは本当に申し訳なさげに頭を下げている。

 ……ああ……だからイヤだったんだ、これを知られるのは……

 

「あ、あたしは苦労だなんて思ってないよ、大志も京華もいい子に育ってるしお世話してるの楽しいよ」

 

「……でもそのせいでお友達が作れないのも事実なんでしょう?」

 

「‼」

 

 …………ああ

 …………言わせてしまった。

 だからあまり学校のことはしゃべらなかったのに……

 なんでこうなっちゃったんだろう……

 あたしは苦労だなんて……

 

 エンジェル・ラダーでバイトをしていた時だけは……ちょっとだけだけどペシミスティックになったこともあった。

 でもあの出来事があったから、あたしは比企谷に出逢えたんだ。

 いや、クラスメイトだしバイト先で会う以前に屋上で会ってるんだけど、でもその時は進路希望表欄の『専業主夫』が印象を最悪なものにしていたし、実際名前も忘れていたからノーカンだ。

 本当の意味であいつに出逢う機会をくれたのは、いまの家庭環境があったからだ。

 多分、ああいう出逢い方でなかったら比企谷の本当の良さを知ることはなかったろう。そこに関してはむしろ感謝すらしているのに、母さんはそうは思ってない。

 

「…………」

「…………」

 

「……と、言いたいことは言えたし、これからはあなたもなるべく話してくれると嬉しいわ」

「え?」

 

「……うちの事情のせいで友達を作りづらいことは事実かもしれないけど、そのせいだけにされてもね。あなた不器用でぶっきらぼうだし」

「う…………」

 

「それに比企谷くんも言ってたわ。沙希がどれだけブラコンでシスコンかって」

「っ」

 

「予備校で大志とメールしてる時のあなたの顔がニヤニヤしててちょっとだけ気持ち悪かったとか」

「う……」

 

「大志に向かってちょっと暴力的な冗談をいうと本気で睨んできてシメるよって言ってきたりとか」

「あいつ、うちの親に何言ってんのよ!」

 

「学校であったクリスマスイベントとかバレンタインイベントの時なんて京華のこと写真に撮りまくってて普段の沙希じゃないみたいだって」

「……あいつ……熱が下がったらシメる……!」

 

「だから沙希が弟妹の面倒みるのは本心から楽しいんだろうって……あなたのこと、よく見てるじゃないの比企谷くん」

 

「そ、そんなこと…………」

 

「京華はベッタリだし大志もベタ褒めでね。あなたが家に友達を連れてくることなんてなかったから、本当に誰も仲が良い人がいないのかと心配してたんだけど今日彼をみて安心したわ」

 

「ううっ……」

 

「苦労かけて悪かったと思ってるけど、それで比企谷くんと御縁ができたと考えるとそんなに悪くなかったかなって。あ、親のわたしが悪びれないでこう言うのもどうかと思うんだけどね」

 

 恥ずかしい……けど、あたしの考えが伝わってくれたのが嬉しくて……ちょっと瞳が潤んでくる。

 

「……あ、そういえば、さっきの『言っちゃいけなかったんだっけ』ってのは何だったの?」

 

 『スカラシップを教えてもらって問題を解決した』ってことなら確かにあたしに話して欲しくはなかったかもしれない。親に謝らせて負い目を感じさせてしまったのは事実だし、母さんの胸の内にしまっておいてほしかった。でも、それとは違ったみたいだ。

 

「実は、今日比企谷くん達が京華の面倒と夕飯の支度をしたのを沙希に知られたくないから黙っててくれって口止めされててね。それをさっきお弁当の話が出ちゃったから言わざるを得なくなっちゃって。それが申し訳なかったなって」

 

「え? 比企谷に口止めされた? なんで?」

 

 またあいつは人から感謝を受けるのが苦手とか、あたしが気にするからとか、そんな風に考えてたのかと思ったが……

 

「比企谷くんは、沙希が気にして療養出来ないから黙っててくれって言ってたんだけど、比企谷くん達が帰ってから大志がね」

 

「『普段世話されてても、いざって時に弟が頼りになるとこを見れれば姉ちゃんは安心するし喜ぶから』って比企谷くんが言ってたって」

 

「だから、沙希に気兼ねさせないようにってのは口実で本当は大志に花を持たせようとして口止めさせてたんじゃないかって」

 

「ひ、比企谷が……そんなことを?」

 

 …………

 …………

 …………ヤバイ

 あたしのことをよく理解した行動と気遣いが、本当に嬉しい……。

 

 俯いて心の中で喜んでいるところを母さんの声で現実に引き戻された。

 

「……ふふ、確かに友達はあまりできなかったみたいだけどいい人は見つかったみたいね」

 

「! ……べ、別に! そんなんじゃ……」

 

 ……あ、でも忘れそうになってたけど勘違いとはいえ、キ、キスしちゃったし、メールだけど告白もしたんだよね。

 

「それでね、口止めの約束を破っちゃったから、沙希にも協力してほしいんだけど」

 

「え? え?」

 

「今のを聞かなかったことにしといてくれない? お粥を作って京華の面倒をみてあなたの看病をしたのは大志だったってことにしといて」

 

「ま、まあ別にそれくらい、いいんだけど。さすがに明日は学校休むし、わざわざ比企谷に言う機会なんてないけど?」

 

「それが、比企谷くんと小町ちゃん明日も来てくれて京華のお迎えもしてくれるのよ」

 

「え⁉」

 

「だから、明日二人が来た時にうっかり『昨日はありがとう』とか言わないようにね?」

 

「あ、あ、明日も?」

 

 …………

 ……嬉しい。

 ……嬉しい嬉しい嬉しい。

 

 迷惑をかけてるのは分かってる。けどバレンタインの日から今日……は気づかなかったけど、明日も比企谷とうちで夕飯を食べることになるなんて……

 

 お互いの家族と共に逢っていくうちに……ってのをちゃんと意識してくれてるのかも……

 

「……」

 

「あなた、いま大志とメールしてるときみたいな顔になってるわよ?」

「え? 嘘?」

 

「はぁ……おかず作ってあげるから、早く食べて寝なさい。明日京華を車で送る時に一緒に乗っけてってあげるから病院で薬もらってきましょ。早く治さないと」

「あ、うん……」

 

「…………」

「…………」

 

「……治るの長引けばそれだけ比企谷くんが家に来てくれるとか考えてない?」

「そっ⁉ そそ、そんなことないから!」

 

「本当に分かりやすい子ね」

「ホントにないから!」

 

「はいはい、早く食べちゃってね。明日も早いから」

 

 母さんはあたしの部屋から洗濯物を持って行きつつ食事を促した。ああ……熱上がってないかなこれ……

 

      ×  ×  ×

 

 お腹も満たし歯磨きが終わってまた眠るのだが、すぐには寝付けなさそうだ。あれだけ寝たからね。

 無理にでも寝ないと……そう思っていると、ハンガーに掛かっているブレザーに目がいく。

 

 あ……比企谷にブレザー返すの忘れてた……

 一度は返したものの、車の中でまた借りてしまいそのまま忘れてしまっていた。

 

「…………」

 

 なんとなくそれを手に取ると掛布団の上になるべく皺にならないよう広げた。襟元がちょうどあたしの鼻先にくるように。

 本当は包まって眠りたかったけど、さすがにしわくちゃになってしまいそうなので躊躇われた。

 

 比企谷の匂いを感じながら、幸せな夢が見れればと淡い期待を抱いてあたしは微睡んだ……。

 

 

 

つづく

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