サキサキのバレンタインは色々まちがっている。 作:なごみムナカタ
全プロット完成済みで臨んだ前シリーズと違い、今シリーズは行き当たりばったりなところが多く執筆に時間がかかっています。
なんとか最後まで書き結びたいので生温かく長い目で見てくださるとありがたいです。
2020.12. 5 台本形式その他修正。
2020. 1.24 書式を大幅変更。それに伴い、一部追記。
俺はベッドの縁に座りながらスマホをいじっている。
最近はスマホで映画の上映場所も時間も家で調べられるから最高。
スマホに視線をおとしながらぼんやりと回顧する。
家族のことを思い浮かべると必然的に小町の顔ばかりが思い浮かぶ。
小学生くらいまでは両親と小町と一緒に映画観に行ったもんだが、知らないうちに行かなくなったっけ。なんでだ……?
……そうだ、思い出した。
低学年の頃、家族で出掛けることになって俺が戦隊物の映画を観たいって言ったんだが、小町が興味なくて……あの頃はまだ俺もガキだったから譲ろうとしなくひと騒動になった。
結局、小町がプリキュアの映画を観たいって大泣きし、両親は小町を優先、俺は親に怒られる形でプリキュアを観に行くことになったんだっけ。
それがおそらく始まりだったのだろう。以降、家族で外食に行っても小町の好みが優先され俺の意志は蔑ろ。
これがまだ男兄弟なら好みも近かったかもしれないが、男女となるとまず噛み合わない。
しかも、両親、特に親父は小町を溺愛して可愛がり、その様は俺が引いてしまうほどだ。
そんな出来事が繰り返され、気づくと一緒に外食へ行くことがなくなっていた。
映画も同じで、他人と一緒に行くと好きな映画を観られない。なら俺だけ好きな映画を観ればいい。
生徒会のフリーペーパー製作の取材で映画を観に行くことになった時、別々に観ようとしたら一色に呆れられたが、この思考はそんな幼少の頃に芽生えたものだ。
しかし、そのプリキュアを俺も好きになり、今では小町が卒業したのにこうして観に行くことになるとは……世の中は分からん。
久しぶりの映画ということで、柄にもなく昔を思い出してしまう。過去なんて思い返せば悶えて死にたくなることばかりで、回顧の過程で迂闊にもトラウマに触れでもしたら目も当てられない。
俺は頭から振り払うように別のことを考えた。
そういえば2年になって奉仕部に入れられてからは特にあんまり時間が取れず映画に行くことなんてなくなったな。
といっても時間が取れないと言いつつ、ほぼ毎日、下手すると休みの日にまで駆り出される奉仕部なのに基本待ちの姿勢だから内容は暇が多いという訳のわからん状態。
おっとそうだ。それでも去年映画に行ったっけな。陽乃さんのセッティングで折本達に葉山を紹介する流れで道連れにされたんだった。
たまたま映画は興味あったやつなのが救いだったが、基本俺の意見は全否定されたしな。
まあ、折本には中学の頃に告白を拒否られて次の日、黒板にそれを晒されて……いまさら否定されることくらい何も感じないが。
文実の時の相模と違って、俺の告白を周りに知られても折本自身に得なんかないし、うっかり会話の流れで話しちまったのを関係ない奴が面白おかしく広めたんだろうな。むしろ、そうなることを予想できず勘違いした俺の自業自得まである。
……トラウマに触れないよう別のこと考えてたのにうっかり踏んじまったか。どんだけ迂闊なんだよ……。
『告白』という言葉で避けていた過去に捕まってしまった俺だがその呪縛から解き放ってくれたのは最近あったもう一つの『告白』だった。
スマホをベッドに置きそのまま後ろに倒れ込む。
……バレンタインからこっち、人生初めての告白をされた
……相手はあの川崎沙希。それも三度。
一度目はメールで。二度目は川崎の部屋に夕飯と湯たんぽを持って行った時。三度目は俺がドライヤーで髪を乾かしてやってる時だ。
そもそもその前に勘違いとはいえキスされるという衝撃の出来事があったから告白自体にそこまでの動揺はなかったが。
大体、なんで俺なんだ……?
川崎はちょっと怖い系だけど美人だし弟妹の面倒をよく看るすごくいい子で俺じゃとても釣り合わない。
あいつはなんで俺なんかを……。
この前から何度もスカラシップの礼を言ってきたが、俺にとって本当に大したことじゃなかった。むしろそこまで感謝されるのが申し訳ないくらいに。
川崎の言葉を信じたい。が、他ならぬ自分自身の存在が彼女の告白の説得力を失わせる。
心のどこかで中学の頃の折本のトラウマが影を差しているのか、言い知れぬ恐怖が拭いきれない。
あの時、俺に話しかけてくれていたものの、折本にそんな気は一切なかった。ただ誰とでも気さくに話しかけるあの性格に勘違いして自爆しただけ。それと同じことが川崎にも言えるんじゃないのか?
あの言葉は冗談なんじゃないか……?
あの好きはスカラシップの相談にのったお礼の意味ではないのか……?
…………
…………
「……成長してねえな」
ぽつりと口を吐いたのがそんな言葉だった。
前にも考えたことあっただろ。折本ならいざ知らず、川崎は俺と同じで家族第一。学校の連中にほとんど興味なんて持ってなくて愛想も振りまかない。そんな川崎が容易く他人に好きなんて口にするもんかよ。
そこまで分かっているなら何故、俺は川崎の言葉を信じない?
一昨日、車中で平塚先生に言われた言葉がよみがえる。
『猜疑心を生み出しているのは心…………君の心なんだよ、比企谷』
そう……俺の猜疑心が、心が、川崎の言葉を否定している。これはおそらく本気で好きと言ってくれた川崎に対して失礼この上ない行いだ。
何度自問してもこの感情の正体が判然としない。たかが言葉を信じるだけ。だがそれが俺にとっては何よりも難しい。
……捻くれここに極まれ、だな。原因を探り当てて根治しないと、ちゃんと向き合えないかもしれない。このままじゃ申し訳なくて川崎の顔をまともに見られそうもない。
かつて平塚先生が言っていた。感情が計算できるならとっくに電脳化されている。計算できずに残った答え、それが人の気持ちというものだ、と。なら俺にできる計算をして答えを導き出すしかない。
とはいえ、もう幾度も自問自答を繰り返してなお拭えぬ猜疑心だ。このまま自分の感情に焦点を絞っても堂々巡りから抜け出せないかもしれん……。
…………
…………
「視点を変えてみるか……」
俺が川崎を信じられないか、ではなく、川崎が俺を好きになった感情を紐解いてみよう。
それに納得できる合理性があるなら……もしかしたら俺の猜疑心も少しは和らぐかもしれない。
俺にとってスカラシップの情報を教えるのは大したことじゃなかった。が、川崎にとって深夜アルバイトを続けるのは死活問題だった。あのまま続けていれば疲労で身はやつれ、家庭不和を招き心もボロボロになり、本気で人生が狂っていたかもしれない。それを回避できたんだから感謝するのも頷ける。
そう考えると俺が川崎にしたことは折本が俺に笑顔で話しかけてくれたのと関係性が似ているのかもしれない。折本はただの一男子に声をかけたり挨拶しただけ。そこに他意はなく、然したる労もかかっていない。しかし俺にとっては勘違いを起こさせるのに十分な出来事だった。
…………
…………
……あれ? それじゃ川崎が俺に抱いてる気持ちも勘違いなのか?
いやいや、そうじゃない! 折本は俺のことをその程度にしか捉えていなかったかもしれないが、俺は川崎のことを……。
……川崎のことを……なんだ……?
……好きだとでもいうつもりか……?
俺なんかが川崎みたいな人間を好きになっていいわけがない……。
‼
まただ! また戻った!
堂々巡りのお手本のような思考ロジック。ただ、少しずつ答えに近づいていってる。そんな気がする。
他者の言葉を信じられない要因は元より、俺自身の考えに影響しているのが、自己評価の低さであることに気付いた。
自分を卑下しないでって川崎にも言われたし、平塚先生と小町にも注意されたな。過去の自分に戻ってやるとも誓いを立ててはみたが……自分を卑下するのは好きって言ってくれた川崎に失礼なんだろうが…………。
…………
…………
はは……だってしょうがねえじゃねえか。昔と違って事実、今は死んだ魚みたいな目なんだしコミュ障だし捻くれててキモイし数学は赤点だし……逆に世の中の奴らはなんで自分に自信あんだよ。葉山ならともかく、大抵の奴はそれ以下のスペックだろ。
川崎のことは前から知っている。大志の相談にのって多少はあいつのことを知ったから。雪ノ下とは違った意味で尊敬できるし信頼できる人間だと思っていた。あんなにも家族の為に自分を犠牲にして自ら行動する綺麗な人間が本当にいるとは思わなかった。俺みたいなのが川崎を好きになったら川崎の価値を下げちまうんじゃないかとすら心の何処かで思って……る……?
…………だからか。
俺は川崎の言葉を信じることが出来なかっただけじゃなかったんだ。俺の存在が川崎の価値を下げることに……川崎を傷つけてしまいそうだから応えることができないでいたんだ。
…………
…………
……やっぱり、いまの俺じゃ川崎の想いには応えられない……。
俺は屈してしまったのだ。猜疑心と……川崎を大切に思うが故、生まれた臆病な心に……。
結論が出るとズシンと身体が重く感じる。五月病などとは比較にならないくらいの倦怠感。
冬の寒い朝、布団から出れない呪縛レベルの億劫さ。
それでもこれから川崎と由比ヶ浜に映画の待ち合わせの連絡をしなければならない。
自分の中で結論が出ただけだが、それでも川崎に直接電話するのは気が重い。先に由比ヶ浜に連絡することにした。
× × ×
《 Side Yui 》
―結衣の部屋―
……今日は沙希んちでカーテンの外だったな……(※蚊帳の外)
ゆきのんは相変わらず難しいこと一杯しゃべっててヒッキーに褒められてたし、沙希とヒッキーは小町ちゃん達も一緒になって家族? みたいな感じだった……。
「……今日はあたしだけいいとこなかった気がするなぁ……」
いつの間にあんな仲良くなったんだろう……。
言葉にできない不安と焦燥。胸の奥が冷たくなっていく。
そんなあたしの心も奉仕部での時間を思い出すとぽかぽかして、やっぱり大切だって感じて、でも今日のヒッキーは、まるでそんな日々を忘れてしまったんじゃないかっていうくらい振り向いてくれなくて……。
~♪... ~♪...
⁉ スマホに着信が! このメロディ聴くの実は初めてなんだよね。
すーっ……深呼吸をして心を落ち着け、いつもの、紅茶の香り漂うあの部屋で挨拶するみたいに、
「ピッ やっはろー、ヒッキー! 珍しいよねヒッキーから電話くれるなんて! ってか初めてじゃない⁉」
『大声出すなよ親に怒られるぞ。まあ、お前の目に悪いスパムメールのような文章読むよりこっちのが早いからな』
「スパムじゃないし! ヒッキーキモい!」
『はいはい、キモイキモイ。それより明日は9時に駅集合な。んじゃ』
「早い! 短い! そんだけ⁉ もっとこう会話のキャッチボールとかあるじゃん⁉」
『その牛丼みたいな三段活用なんだよ。別に用件伝えたんだし無駄に話すこともないだろ』
「ヒッキーは女心が分かってないよ! こういう時は女の子の話を少し聞いてあげるだけで好感度爆上がりなんだよ⁉」
『お前、小町と同じようなこと言うな。なに? 女子って義務教育でそれ習ってたりするわけ? 私立ならそんな教育受けなくて済んでたのかな。だとしたら無理にでも小町は私立の小中学に入れてやるべきだった』
「いやいや、そうじゃないし! まずあたしの話を聞いて? ね?」
『由比ヶ浜の「少し」は俺の感覚からかけ離れた「少し」だからちょっと勘弁願いたい。それにこれから川崎にも連絡するからな。油断して長電話しちまうと川崎にも悪いし』
「あ、そ、そうなんだ。あたしが先なんだ……」
『まあ、そういうことだ。悪いな』
「うん……それじゃヒッキーも明日は遅刻しないでね」
『しねーよ。俺には小町がいるからな』
「なにそれ、小町ちゃん頼り⁉」
『冗談だ。明日はプリキュアの映画だぞ。堂々と観に行く理由ができたんだ。楽しみで仕方ないしすぐ寝るし早く起きる。なんなら全然眠れなくて朝まで起きててそのまま駅に向かうまである』
「そこは寝よう! 映画館で寝ちゃうよ⁉」
『律儀にツッコまなくていいから。ま、それだけ楽しみだってことだ。じゃあ、お前も早く寝とけよ』
「あ、うん、ヒッキーもね」ガチャッ
ゴンゴン……
ドアを叩く音がするけどノックなんかじゃない。あたしがドアを開けてあげると勢いよくサブレが部屋に飛び込んできた。
「わんわんっ!」
「あは、ご飯だから呼びに来てくれたんだ。えらいねサブレ」
サブレを撫でながら抱きかかえると首輪が目に入った。去年ヒッキーにプレゼントしてもらったものだ。
……ううん、ヒッキーはヒッキーだ。サブレを助けてくれた優しいヒッキー……。
明日はデートに行くんだから、服とか選ばないと! ……沙希と三人でだけど。
それに! 実は沙希とはあんまりおしゃべりしたことなかったし、今日もよく話せなかったから明日いっぱいおしゃべりしよう! うん、それがいい!
× × ×
《 Side Haruno 》
―陽乃の部屋―
「――うん、うん、そーなのよ」
静ちゃんがつい口にした情報――川崎のチョコを食べた――を元に、比企谷くんにチョコを渡しそうな川崎という子を探してみた。
奉仕部の活動内容を全て把握してる訳ではないものの、関係者の情報くらいは得ており、その中に川崎沙希という少女がいた。きっとその子だと興味を持ち調べている。
わたしは顔が広いし総武在学中の生徒からも情報が拾える。今電話しているのがわたしが気に入ってる数少ない後輩、城廻めぐりなのだが、話していく内にどんどん生気のない声音になっていく。
めぐりからの情報は興味深かった。タイムリーなことに昨日、噂の川崎沙希ちゃんと会ってきたそうだ。それだけじゃなく家族と一緒に食事もしたという。ただ、明らかに何か隠してそうなめぐり本人にも興味が湧いたが、いまはスルーしておこう。
「ええ、ありがと。助かっちゃったわ、めぐり。時間取れたら明日も総武に顔出すから。んじゃまた♪」ガチャッ
電話を終えると集めた情報を整理する。
川崎沙希。総武高校2年F組所属。長い髪を結ったポニーテールと泣き黒子が魅力な外見レベルはトップカーストな子だけど、実際は誰とも関わらないぼっち気質。その辺、比企谷くんに似てるなー。
でも内面は家庭的で弟妹達を大事にする家族大好きな女の子。
やだ、ちょっとなにそれ、ポイント高すぎなんじゃない?
しかも美人でスタイルもいいとか聞いたんだけど。
めぐり曰くバレンタインイベントの時に妹さん連れて来てたらしい。だからわたしも会ってるみたいだけど、その時は周りなんて特に興味なくて覚えてないや。
記憶力には自信ある方だし家の仕事柄人の顔覚えるのも得意だけど、さすがにバレンタインイベントでそんな気を回す必要ないから覚えてない。油断してたな……。ズズッ
珈琲カップに一口つけて、改めて川崎沙希という少女像を形作る。
なんでも、あの目立つことが嫌いでめんどくさがりな比企谷くんが、川崎さんの代わりに妹さんのお迎えに行ってあげて、人嫌いなのに川崎さんの家で夕飯を一緒に食べるとか。
…………
「なにそれ! わたしにはたまにカフェで会っても『遭っちゃったよ』って顔して嫌そうな顔するくせに、態度違い過ぎでしょ⁉」
突然声を荒げて独白してしまう自分にびっくりだ。誰もいなくてよかったと、雪乃ちゃんと血縁者なのかと疑わしい自分の胸を撫でおろす。
「……まあ、そんな顔がたまらないとこもあるんだけど」
ついさっき憤ったばかりの前言を肯定的なものに変貌させる。比企谷くんもわたしのこういうよく分からないところを恐れてるんだろうなあ。
続いてスマホを操作し血縁者なのか疑わしい辛辣な応答をする大好きな妹へ電話する。
『……もしもし』
「ひゃっはろー、雪乃ちゃん!」
『……用件は何かしら?』
「雪乃ちゃんつめたーい。もう少しちゃんと相手してくれてもいいと思うんだよね。お姉さん悲しいなー」
お約束ともいえる定型挨拶だ。雪乃ちゃんってすぐ剥きになって予想しやすい言動だから揶揄いやすいのよね。あの子のそういうところは可愛いと思うけど割と重篤な欠点だし、直るまでわたしはこれを続けていくからね。
「ちょーっと訊きたいことがあるんだけど……」
わたしは川崎さんについて情報収集するのだが、予想以上の収穫があるとはこの時、思っていなかった。
× × ×
《 Side Saki 》
―沙希の部屋―
「……そういえばそろそろ期末試験なのに映画なんか観に行ってていいのかな……あ、休んだ分のノートも借りなきゃ……」
京華は母が寝かし付けてくれているので、軽く勉強してから寝ようと思ったが明日の映画のことに気持ちが奪われやはり手につかなかった。
それ以外に昨夜母さんと話したことの結論がまだ出ていないのも尾を引いている。
コンコン
『いま、いいかしら?』
「あ、うん」
ちょうど懸案事項の一つがあっちからやって来てくれた。
「昼間は色々聞けて楽しかったわ。もう少し友達を家に呼んでくれればいいのに」
友達かは微妙なところだが、わざわざ否定するよりも流した方がいいだろう。それよりあたしの憂患を取り除くことが先決だ。
「……あの、昨夜話してたことなんだけど……」
恐る恐る訊ねてみるが、母さんの返答は実にあっけらかんとしたものだった。
「ああ、比企谷くんの悪い噂についてだっけ? あれなら一応本人に確認とったし、元々あなたを
「⁉ はぁっ⁉」
「わたしがそこまで人を見る目がないって思った? むしろあるからああ言ったんだけど」
「なっ⁉ どういうこと?」
「あなたが比企谷くんを見つめる目で全部分かっちゃうもんよ」
「……そんな分かり易い?」
「この上なく」
そんな風に言われたらもう俯くしかできない。碌に目を合わせられなくなってしまった。
「ああいえば反発して比企谷くんにアプローチすると思ってたけど、あんまりにも思い通り操作できちゃったから逆に怖くなったわ。この先、詐欺とかには気をつけなさいよ? 比企谷くんはそういうの用心深そうだしあの子とあなたならちょうどバランスがいいかもしれないけど」
「うぅ……」
「それと、あなたお風呂上りにバスタオル一枚でうろつくから今朝比企谷くんにちゃんと見て貰えた?」
「あうぅぅ……」
やっぱり今朝家を出た時に比企谷をうちにあげたのはそういう謀略があったからか‼
「昨日会った城廻さんもそうだけど今日来た二人もすごく可愛い娘じゃないの。三人とも比企谷くんのこと憎からず思ってるだろうし積極的にならないと奪られちゃうわよ?」
「え、今日来た二人はそうかもしれないけど、城廻先輩は……」
「あの娘が一番積極的だったじゃない。わざわざ信じてもいない噂話までして」
「信じてない⁉」
母さんのいうことに驚かされっぱなしで頭が追いつかない。
「信じてない? 城廻先輩が? じゃあなんで母さんにそんなこと話したの? 城廻先輩が比企谷を好きなら悪口を他人に言うわけが……」
「比企谷くんの悪印象をわたしに持たせて、あなたを牽制する目的だったんじゃないのかしらね」
「なっ⁉ 城廻先輩がそんなことするわけ……」
「色恋が関わったら女なんていくらでも醜い本性現すものよ。沙希だって比企谷くんを他の娘に奪られたくないでしょう?」
母さんの言葉に言い淀む自分がいる。まさに今日ブローしてもらう前に
「……あたしは……あたしと一緒にいても比企谷は幸せかどうか分からないし……」
「……はぁ? あなた一体どこまでバカなの?」
バカとか言われた……なんかここ最近、あたしの扱い酷くない?
「はぁ……いいこと? 比企谷くんに幸せになってもらいたいんだったら自分の手で幸せにする! くらい言えないのかしら? せっかく家の手伝いで培った家事や裁縫が役に立つチャンスじゃないの」
「……だって、あたしより奉仕部の二人の方が多分比企谷は好きだと思うから……」
それは自分を誤魔化すのに出た言葉かもしれない。比企谷に選ばれなかったら……それが怖くて張り巡らせた予防線……。
「……ごめんね、沙希」
「え?」
それが何に対しての謝罪なのか判然としない。
「あなたがそう考えちゃうのって下の子達の為にずっと我慢することが身に付いた癖なんだと思う」
「! そんな……こと……」
思い当たる節がないわけがない。
幼少の頃からあたしの生活全ては家族の、弟妹の為に行動してきた。
家族のことを思えば……そう言って自分を騙してきたのかもしれない。
だから常に一歩引いて考えてしまう。
「わたしが保証する。あなたはいい女よ。わたしたち親が至らぬばかりに苦労して、その境遇に僅かの泣き言すら漏らさず長女として家族に貢献して……」
「…………」
「家庭的で家族愛に満ちて……あなたが嫁げばきっと男性は幸せになれるわ。もちろん、あの比企谷くんだって」
「……そう……なのかな……」
不安げに聞き返すあたしを母さんはそっと抱きしめてくれた。
「ええ。あなたを産んで育てたわたしが断言する。あなたは比企谷くんを幸せにできる女性よ。それに、あなたには自分の幸せも掴んで欲しい」
自分の幸せ……言われて気付いた。そこが抜け落ちていたことに。でもちょっと考えたらすぐ解決する瑣末な問いでしかなかった。
「……あたしは比企谷が笑ってくれれば……比企谷が幸せなら、あたしも幸せだから」
言った後、反芻すると途端に頬が紅潮していく。
あたし母親になに告白してるわけ?
母さんもポカンとした面持ちだったが、しばらくして目を細め慈愛に満ちた温顔を見せる。
「……すごいのね沙希」
「え?」
さっきから母さんが繰り出す
「相手の幸せを願うことができるのって、もう恋を通り越して愛なの。その若さでそう思えるって本当にすごいことなのよ?」
「え……」
今まで、あたしは比企谷が好きなのを
そしてその感情が恋だと思っていた。でも母さんは愛だという。その違いがすぐ認識できないくらいあたしが色恋に鈍感なのだと知った。
「じゃあ、恋は下心、愛は真心、って言葉、聞いたことないかしら?」
「え、あ、その……恋って漢字は心って文字が下についてるからで、愛は心が真ん中にあるからそう言われてる言葉遊び……だっけ?」
勉強は嫌いじゃないし、このくらいの雑学なら一応知ってる。……言葉の上でだけど。
それにどんな意味や感情が込められているのか考えたことがなかった。
「そう。恋はその下心――ひそかに考えてる企み――に因んで、相手に求める欲を示す感情だって揶揄されてるのよ」
そう聞くと恋に少なからず厭わしい気持ちを抱いてしまう。
もし恋という感情が本当にそういうものなんだったら、それこそ比企谷の猜疑心の餌食だろう。
「そして愛は、相手を思い遣って尽くそうとする純粋な心なのだそうよ」
「愛……」
その言葉を聞いて真っ先に思い出すのが文化祭の時の…………んん! やめよう。空しいしちょっと悲しくなってきた。
「若いと、どうしても感情優先で承認欲求が強くなる傾向があるから、好きな人に自分のことだけを見てとか思いがちだし娘に言うことじゃないけど、男の子の場合は下心しかないしね」
「あ、うん。それは……分かる」
承認欲求の話も分かるが、それ以上に男の下心には強く納得できた。常日頃からあたしの胸や太股に向けられる視線が証明していたから。
「だから、自分の欲望を押し殺して相手に尽くすなんてそうは出来ない。わたしがその感情を本当の意味で知ったのはあなたが産まれた時よ」
「‼ そ、そうなんだ……」
自分が愛されてることを直接聞かされるのは少し照れる。
あれ? 父さんへの愛情は?
「いまではお父さんにもちゃんと愛情はあるわよ。でも夫婦ってね、やっぱり他人なの。だからお父さんへ向けられたのはほとんどが恋心で、愛情は僅かだと思う。そう感じてるわ」
あたしの考えを見透かしたように言葉が続いた。
「だから、お腹を痛めた我が子ならいざ知らず、異性とはいえ他人に純粋な愛情だけを持って接するなんてやろうと思っても出来ることじゃないわ。沙希はその歳でそれが出来る大切な人と出会えたなんて、正直羨ましいわね」
そこで母さんはハッとなった。
「えっと、話が大きくそれちゃったわね、ごめんなさい。つまり何が言いたいかっていうとね」
あたしの両肩に手を置き、真っ直ぐ見据えてこう言い放った。
「沙希ほど比企谷くんを幸せに出来る女の子はいないって話」
さっきから言われていたことだけど、こうしてはっきりと断言する母さんの顔を見ていると安心と自信が湧いてくる。
「……うん」
「そう。それじゃ明日は比企谷くんと由比ヶ浜さんと映画に行くんだから早く寝ないとね。あとこれ、お小遣い。頑張ってらっしゃい」
「‼ こ、こんなに⁉ 多いよ。たかが映画なんだから、あたしなんかより大志と京華に何か買ってあげてよ」
「ほら、それがいけないって言ってるの」
「あ……」
あたしはまた無意識に弟妹を優先させてしまい、それを叱咤された。
「いい? これは普段からあなたに家のことしてもらってるお礼と、あと昨日おとといと沙希の代わりにうちのことを助けてくれた比企谷くん達の分も含んでるの。比企谷くんってしっかりしてるし気難しそうだからお礼って言っても受けなそうだし、難しいだろうけどこれで何とか喜ぶようなこと考えてあげなさい」
そういってあたしの手にお札を握らせた。なんか申し訳ないような気もする。あたしだってバイトしてるし、それをお小遣いにまわすのは全然構わないのに……。
「じゃあ、明日帰ったら報告しなさいね」フリフリ
母さんは手を振りながら部屋を出て行った。
「……それが本音か」
経費負担の交換条件は娘の色恋を肴にお酒を飲むことのようで、これならお小遣い貰わない方が良かったかなって思った。
つづく