サキサキのバレンタインは色々まちがっている。 作:なごみムナカタ
毎度のことながら読みづらくて申し訳ありません。
2022. 8.23 一部表現を修正。
2020.12. 5 台本形式その他修正。
『え、のぶ子ちゃん、見てたの⁉』
『感謝してよね、空気読んで隠れてたんだから』
『いや、別にそんなんじゃ……』
ついさっき聞いたばかりで間違えようのない声。どうやら一色が友達と話しているらしい。やっぱり余所行きの声だったみたいで比企谷と話してる時より一オクターブ低い。
『嘘だー、だっていろはから話しかけてたじゃん。あんた知ってる男子が居ても自分から話しかけたりしないでしょ』
『そ、そんなことないよー。……ただ覚えてないだけで』
『なお悪いでしょそれ』
それを聞き、ちょっと親近感が湧く。あたしもクラスメートの名前、比企谷以外言えるかな。
『でもあの先輩のことは覚えてるんだー? だよねー、確かに目付きちょぉヤバかったし猫背で陰キャって感じで忘れようとしても無理だわ。あれで眼鏡かけたらテンプレ揃っちゃうでしょ』
瞬間、拳を強く握り締めるのが分かった。
あんたが比企谷の何を知ってるっていうんだい、ってすぐにでも飛び出して詰め寄りたい。でもここで出て行ったら盗み聞ぎしていたのが明るみになる。
それに、初めて屋上で会った時、寸分違わず同じことを感じてたあたしにその資格があるかっていうとその意思も挫かれようというものだ。
『……モブ子ちゃん、先輩のこと知らないくせに何でそんな風に言えるの?』
さっきまでより更に低い一色の声が響く。人がいないせいもあり薄壁一枚隔てたあたしの耳にもよく届いた。そのせいで聞こえてしまう。
……一色、あんた今その友達のこと『モブ子』って言わなかった?
『え? えっと……あの、あたし、のぶ子なん、だけ、ど……』
『……確かに先輩の目はスーパーに並んでるお魚みたいだし、暗いし、キモいし、姿勢悪いし、偶にっていうかしょっちゅう訳わからないこと言ってるし、実は私とか同じ部活の先輩女子のことちらちら見ててキモいけど……』
『え、あ、え?』
事実なだけに不承不承にも納得してしまうあたしだけど、友達の方は困惑してるみたい。それに、何気なく漏れ出たちらちら見てる発言にもやもやする。あと、あんたキモいって二回言ってるよ。
『捻くれてるし、私のことぞんざいに扱って、口を開けば『あざとい』だし』
『そうなん……え、まだ続くの?』
キモい~からの~良いところ、とはならず悪態が続く。モブ子と呼ばれたのぶ子も戸惑いを隠せないみたいだ。
『いっつも迷惑そうに文句ばかり言ってるけど何だかんだ理由つけて結局はお願いとか聞いてくれるし、荷物とか何も言わなくても自然と持ってくれるし、私のことちゃんと見ててくれてヒール穿いてるの気遣って心配とかしてくれたり……』
『あ、ここからは良いとこなんだ』
『実は賢くて前に一度言った私の誕生日覚えててくれたし国語の成績すごく良いんだけど数学は全然ダメだったりとか、妹想いなとこあるけどよく聞くと妹重いってくらいシスコンだったりとか』
『今度はアゲてからサゲるの⁉』
比企谷の暴露模様が目まぐるしい。あたしの認識とほぼ同じで、この子よく見てんじゃん、って少し感心してしまう。
『……じゃあ、今日一緒に映画観に行けばよかったのに。あたしに気を遣ってくれたわけ? あんたどんだけあたしのこと好きなのよ(笑)』
『え、あー、うん、別に全然そんなことないんだけど、っていうかちょうど前に奢ってもらう約束もしてたし』
『……その『全然そんなことない』ってのがどこに係ってるのかものすっごくに気になんだけど聞かなかったことにしとく』
『ああ、それは「別にモブ子ちゃんに気を遣ってない」ってところにだけど』
『……言わないでっていったでしょ! あとのぶ子だよ! サブカルクソアニメみたいなネーミングセンスやめて!』
『多分、ついて行けば出してくれたと思うけど……』
『スルーなのね……』
『もともとズルみたいな形でした約束だったから最初からそのつもりもなかったんだよね。それに先輩の性格考えたら、奢ったらもう厄介事がなくなったー、って喜々としそうなのがなんかめっちゃ悔しくて、それならこれをチラつかせながら絡んで困らせた方が楽しそうだなーって。さっきも明日学校でってお願いしたから今年度の学校行事の見直し手伝わせちゃう』
なんだ、そういうことだったの。比企谷に甘えて見せてただけで要は構って欲しいってことだったんだ。
外見と言動から一色を苦手なタイプだと決めつけてたけど印象ががらりと変わった。
『はぁ……あんたってそんなタイプだっけ? なんかキャラ変わってない? 昔ならクラスの男子に買い物で荷物持ちさせて確実にお茶して貢がせてポイしてなかったっけ』
『ちょっ、人聞き悪いこと言わないでよ、貢がせるとかするわけないじゃん。お金が絡むと面倒になるし、そんなんして勘違いさせてストーカー化されたらどうするのよ。荷物持たせる以外の用途で使っちゃダメだよ』
貢いでもらうNGの理由があたしのような倫理的なものでなくストーカーリスク回避なのが無駄に計算高い。イメージ通りの面が見られて何故か安心する。ってか荷物は持たせるんだ。しかも用途って……ちょっとこの子が怖くなってきたよ。
それにしてもまいったね、出るに出れなくなっちゃったよ。別に盗み聞ぎするつもりとかないし普通に出てもいいんだけどここまで聞いといてそれは通らないよね。
結局、個室から出れなくなったあたしは比企谷の分のチケットを買うことが出来なかった。
× × ×
《 Side Hachiman 》
「あ、ヒッキー、やっはろー」
「…………うっす」
俺はめんどくささを隠そうともせず溜め息を吐きながら由比ヶ浜に近づいた。常々思っていたがなんだよ『やっはろー』って。でも学校では通じちゃう。学校というものが青春という言葉と同じで、いかに特殊なのか再確認できる片鱗を見せつけられた気分だ。
「恥ずかしいからその挨拶はやめとけ」
「え、なんで? ただおはようって言うのつまんなくない? なんかー、やっはろーってテンションアゲアゲになる気がしない?」
挨拶に面白さとか求めてねーよ。なんだその発想。リア充の基準は『面白い』か『そうでないか』が全てなのかよ。
「こんなとこで立ってるのも寒いし、行くか。川崎は先に映画館で待ってるって連絡あったから」
「え、そうなの? あたしには……ううん、なんでもない」
言いかけて止めるなよ。気になるだろ。それが川崎から連絡あったって言葉に対してだから少しだけ罪悪感に襲われる。
でも別に嘘は言ってない。川崎から『直接』連絡があったのだから。
あえて意識しないようにしていたが、今日の由比ヶ浜は随分気合の乗りが違うように見えた。コートで隠されている今の状態でファッション的なことは分からずとも、この寒い中ミニスカ武装という時点で推して量るべきだ。その気合とは裏腹に今日観るのってプリキュアなんですが。
しかし、この映画館に来ると陽乃さんの戯れで折本達に葉山を生贄に差し出したことを思い出す。俺も生贄みたいなもんだったんですけどね。
ちなみに二番目に会いたくないのは折本だったりする。
一番? 一番目なんて決まってるじゃないですかー。その記憶の原因となった
「ん、二人ともおはよ」
「おう」
「沙希、やっはろー」
映画館に着いた俺達は川崎と合流した。
川崎も心得たもので、俺と喫茶店で朝食を済ましたことをなかったことにする応対だった。
心なしか緊張した面持ちで上映予定のポスターに目をやる由比ヶ浜。その視線の先にはゴリゴリのアニメ絵、キラキラした美少女キャラ。
俺や川崎のように妹と一緒に見る大義名分(正確には俺にはもうないが)があるのならいざ知らず、由比ヶ浜はプリキュア初心者。いやアニメ自体に抵抗ありそう。リア充がアニメを見ることなど世間が許さない。一色にも咎められたような同調圧力が由比ヶ浜にも働いているのだろう。
ちなみに俺のようなぼっち界隈ではその手の圧力などに屈しない。ぼっち最強。
窓口の方を見るとカップルが人目も憚らずイチャついていた。
(なんで急に盛ってるの、ねえ? ここは公共の場ですよ。公然猥褻罪で通報されますよ。むしろされろ。やはりリア充は滅んでいい!)
そんな血迷った行いから目を逸らす先にサキサキ、もとい川崎がいた。こいつはこいつで違う場所を熱心に見ている。他に観たい映画のポスターかと思ったが、視線の先にはスペシャルプライスの文字。
子供料金は中学生までで高校生の俺達は一般料金となる。だが、学生証があれば高校生料金が存在するらしい。
滅多に映画に行かないので迂闊にも頭から抜け落ちていた。
それもそのはず。プリキュアに高校生割引とか最初からあると思ってなかった。
メインターゲットの女児は子供料金、大きなお友達の19歳以上男性は大学生枠だ。まさにプリキュア界のエアポケットと呼べる年齢層な俺達。って気持ち悪いですね、はい。
とにかく、プリキュアに学割使えるとか思ってなかったし学生証なんて持ってきてない。あー、半額近く違うな。二日分のマッ缶様って結構デカくね? え、大したことない? ちなみにマッ缶は一日三本は飲んでますから。あれ、飲み過ぎ? そんなに毎日エネルギー補給して何してんの? 俺って毎日地下闘技場で試合してるわけ? いやいや俺が飲んでるのはマッ缶だから! 炭酸抜きコーラとおじやとバナナなんて食ってないからね?
自分がマッ缶信者であることを再確認していると、袖がくいくい引かれた方に顔を向ける。
「……ね、あんた学生証って持ってきた?」
「いや」
やはり川崎も見ていたらしく俺と同じことを考えていた。
差額で普通にサイゼ入れて一食摂れちゃうのが口惜しい。そうと知ってれば用意したものを。
「…………ねぇ、あれ」
「なんだ?」
川崎が指差す先には別の種類のスペシャルプライス――カップル割――があった。
「…………は?」
「…………」
まさかとは思うがマジですか。川崎さん攻めすぎでは?
いや、既に何度も告白されてるし、進度として間違ってはいないのか?
でも、俺まだ答えてねえぞ。
などとキョドっていると今度は由比ヶ浜が声をかけてきた。
「ヒッキー、学生証持ってきてないの?」
「ああ、まさかプリキュアに学割が効くと思ってなかったからな。お前は?」
「え⁉ あ、あたしは、その、あたしも……ない」
「だよな……川崎はどうだ?」
「あ、あたし? ……うん、持ってる、よ」
さすが川崎家のオカン役兼長女。常に用意周到。お出掛けの際は一家に一台川サキサキ!
かの有名な終身名誉監督が出演するホームセキュリティのような信頼度。
『サキサキしてますか?』
うん、語呂はいいが意味わからん。却下。
んでもってこの流れの辿り着く行く末も却下。
川崎がほのめかしていたのはカップル割の利用だろうがいくら安くなるとはいえ偽装カップル、しかもどちらにも態度を保留している相手だ。拘り過ぎかもしれないがそんないい加減は俺の心が許さなかった。
唯一それを実行する理由としては、川崎が学割を適用できないケースが挙げられる。他人の家計を心配するのは余計なお世話だし、一般と学割の差額なんて生活に影響するものでもないことは分かってるが、せっかく利用できるサービスがあるのだ。浮いたお金でけーちゃんへのお土産を買ってやれると考えると、千葉に住む兄としては捨て置けない選択だ。こいつもシスコンだしな。
肝を冷やしていると軽く背中を押された。由比ヶ浜も同様に押され俺達は横並びになる。
「じゃ、あたし飲み物とか買ってくるから、あんたたちはチケット買ってきたらいいよ。その、カップル割、とか」
「っ! ええ、ちょ、そそ、そんな⁉」
「おい、川崎……」
え、なんで、どうして? 川崎の行動に疑問ばかりが浮かんでくる。
てっきり俺とカップル割を適用するのかと思っていたのだが自惚れだったらしい。恥ずかしい、殺してくれ。
どうやら由比ヶ浜と俺でカップル割を利用させようとしているみたいだが、お前はそれでいいのか? 告白に対してまともな返事をしてない俺がいう筋合いでもないんだが明らかにやってることがおかしいぞ。
最後に、注文を聞いて行かなかったが川崎は何を買って来るのか。飲み物は是非マッ缶で頼む。
売店に向かった川崎を尻目に、俺達の間には緊張感を伴う空気が流れていた。
「……あはは……じゃ、じゃあ、……いく?」
俺の左肩に軽く両手を乗せて上目遣いで見てくる由比ヶ浜。お前は甘えん坊の犬か。やめてくれ、勘違いしちゃうだろ。
いや、こいつの態度とか見てると勘違いと断ずるにはいささか説得力が足りないこともしばしばあるんだが。
去年、体育祭の準備作業中に由比ヶ浜からケー番やメアドを聞き出そうとする男を上手いこと
その頃から既にそう思っていてくれたのかもしれない。でなければそこまで身持ちの堅い女が二人きりで夏祭りに行こうなどと言い出すはずがない。
だが、たとえそうであったとしても、俺と由比ヶ浜はカップルではない。
待てよ。冷静に考えるとカップル割の条件ってなんだ?
映画館側も営利企業だ。いかに客を入れる為とはいえカップル割などといういくらでも誤魔化し様のあるあってない無いような条件での料金引き下げは好ましくない。
よって、夫婦割のように証明書の提示が期待できないカップル割は独自の規定によって審査するだろう。
この映画館での
(……猛烈に嫌な予感がする)
『それ』とは一緒に自転車に乗って学校に登校したりすることか?
『それ』とは彼女の作った夕飯を一緒に食べたりすることか?
『それ』とは休日に家で一緒に過ごすことか?
どうやってここで『それ』を証明すんだよ。もはや悪魔の証明では?
ってか、今の全部小町とのやつだわ。
ということは俺は小町とカップルである。
小町ー、お客様の中に小町さんはいらっしゃいませんかー。
機内で具合の悪い乗客を診てもらうお医者様を探すように小町の力を借りたい。だがしかし、残念なことに小町は東堂いづみ学園プリキュア科を既に卒業しているので誠に遺憾ながら、ちょっとおバカな犬っぽい美少女のお供で窓口ヶ島に赴くしかない。
(いやいや、あの窓口にはどんな鬼が棲んでんだよ。だとしたらサルとキジ足りなくない?)
棲んでるのが普通の鬼ならまだいい。鬼と書いて
などと、どうでもいい妄想の不安を膨らませるより現実の心配をしよう。
何かを見落としてる気がする。それがなんなのかを必死に探り当てようと頭をフル回転させるも隣の由比ヶ浜から薫る甘やかな匂いに阻害される。
なんで女の子ってみんないい匂いするの⁈
思考力を奪われていると別の方向から声がした。その声はたったいま
⁇「あれ、結衣ちゃん?」
さっきまで俺達を包んでいた空気が一変した。肩に乗せられた由比ヶ浜の手が強ばるのが分かる。
声の主は川崎曰く、文化祭実行委員長と体育祭実行委員長を歴任し生徒会長をやっても不思議じゃないカタログスペックだけが立派な人物であった。
「げっ、ヒキタ、ニ……」
げっ、てなんだよ、げっ、て。確かにカースト下だけど。そういう意味で言ったんじゃねえよ、こいつマジか。とまで思ってるのが手に取るように分かる。
第一お前、俺と関わり合いたくなかったんじゃないのか。
何故あえて声など掛けてきた? からの「げっ」だ。由比ヶ浜が目立ち過ぎる故、俺のステルス機能にブーストかかっちゃったのか。そりゃ認識できる奴は居ませんよね、むしろ失敬。
「南ちゃん、ポップコーン何味か訊くの忘れ……⁉ あれ、ヒキタニじゃん」
「なになに? あ、ホントだ」
余計なオプションまで付いてきた。え、なに、お前等って『よっ友』じゃなかった? なんで休日にわざわざ一緒に映画観に行こうとかなるわけ。
去年の夏祭りで相模達と遭遇したあの日の再来だ。由比ヶ浜が警戒するのも無理はない。
だが、いまは由比ヶ浜というよりも、むしろ俺の方に視線が集まる。込められた感情は蔑み、嘲笑、そして困惑。当然、困惑しているのは相模だ。
教室で絡んできた時もそうだったが、相模は俺と関わり合うことを望んでいない節がある。それでも俺に絡んでくるのは
好感度上げの為に映画デートとか普通すぎるけど対象が普通じゃない。女子二人が相手とかどこの百合ゲーだよ。是非エンディングを見せてくれ。
ふざけてる場合じゃなく、相模以上にこちらの方も出遭いたくなかった。日本でエンカウントしたくない人物がまた更新される。思ったより陽乃さん達と遭うことに吝かではなかったようだ。
何故なら俺はいま『由比ヶ浜と二人』で『プリキュアの映画』を『カップル割』で観ようとしている。
この一文の中に由比ヶ浜を破滅させるだけのパワーワードがいくつあったか。今の状況を表しただけなのに三回ほど社会的に死ねるくらいボリューミー。
正直に言おう
解決手段が、ない。
そもそも俺に悪意を以って感情論での罵倒をしてくる輩に対し有効な対抗手段はほぼない。
体育祭実行委員会議のときの相模含む首脳陣側が出した安全対策、譲歩も妥協も現場班のためにしてきてなお相互確証破壊という核のボタンを押さなければ成立しなかった。
いや、それすらも切っ掛けに過ぎなかったのだ。最終的に決定打となったのは、それで奴等の感情を最大限に高め呼応して、相模の感情を引き出しぶつけたからだった。
それほどまでに感情が拗れた諍いを収めることは難しい。だからといってそれに倣い俺も感情をぶつけて対立すれば解決するという単純なものでもない。それだったらどれだけ簡単なことか。
いや、仮にそういう図式だったとしても俺にとってハードルが高すぎだ。人前で泣きながら怒号を浴びせるとか無理だろ。男が泣きながら怒鳴り散らすとかキモい通り越して通報待ったなしだわ。
他に解決手段がないわけではないが、現状では困難で実現不可能であることに変わりはない。
正着手としては、まず正論での論破。
相手に反論の余地が出ない正論で捻じ伏せる。だが、体育祭の時と同様、感情に端を発した論理というものはどうしようもなく、理論で論破されても相手が聞く耳を持たない。
そこで次に誰が言うか。ここが最も重要であり成否の鍵を握る。俺が理屈で捻じ伏せても向こうは降参しないだろう。なんせカースト最底辺の言うことだしな。どんな名言であろうとも誰ともつかぬ者の言葉などがどうやって他人の琴線に触れよう。
だからといってトップカーストの由比ヶ浜でも結果は同じだ。この場合、立場だけでは不十分でその人物の性質も大きく影響する。由比ヶ浜は相手の空気を読み合わせる柔和なタイプで、こういった悪意に対してはすこぶる相性が悪い。下手をすると流されて言いたくもない陰口に賛同させられる可能性すらある。
現実的ではないが関係性がある目上の人間、親や教師などそういった立場の大人が介入すれば容易に解消するだろう。その後どうなるかはさておき、いま欲しいのは現状どう乗り切るかであって解決が目的ではない。
この場を一時的にでも無難に乗り切れば、由比ヶ浜のトップカーストという立場が活きる。二年になってすぐの頃とは違い、しっかりと関係を築けた三浦は友達想いで面倒見がいいし、後々プリキュアのことで由比ヶ浜の陰口でも言って三浦の耳に入ろうものなら、
ここで最も必要なのはトップカーストに君臨しつつ感情の強さを以って相手を屠ることのできる人物。そう、三浦のような存在。
もしくは多数のシンパを擁し、カーストという枠を超越していて、隙のない理論で圧倒的なまでに相手を捻じ伏せる雪ノ下。
共通するのは対立に瀕した状態で見せる闘争心と勝負強さ。この場にどちらかがいてくれればと願わずにはいられなかった。
由比ヶ浜はこの二人と真逆なタイプだし、それについてどちらが優れているという次元の話でもない。雪ノ下には雪ノ下の、三浦には三浦の、そして由比ヶ浜には由比ヶ浜の良いところがありそれぞれの個性なのだ。むしろ俺に手持ちのカードが少な過ぎて慚愧に堪えない。
「ゆ、結衣ちゃん、奇遇だねー。なに観るの? うちらはいま評判になってる「かけがえのないあなた」って恋愛モノ観るんだけど」
俺をいないものとして扱い、由比ヶ浜に直接打って出る。
いいぞ、相模。俺のことは空気と思って視えないままでいろよ。
「え、ええっと、その、ぷ、プ……ア、を……」
おいバカよせヤメロ。なにを口走ろうとしてるんだこのローツェは。大人しく同じの観るっていっとけ。
「え、なに?」
「プ、プリキュア! 観るの!」
「へ、プリ、キュア?」
「……」
「……」
俺の願い空しく豪快に地雷を踏み抜く由比ヶ浜。
最近、由比ヶ浜のエアリーディング機能に不具合が起こってるようで修理が必要だな。どこに頼めばいいんだよ、ガハママか?
三人は「えっ、うそでしょ?」って顔で由比ヶ浜を見ている。その視線は俺に移り一瞥すると心得顔でまた由比ヶ浜に戻った。
「……プッ」
「……プリキュアって……由比ヶ浜さんやさしすぎ。いくら頼まれたからっていっても断っていいんだよ」
「え、え?」
よっぽど由比ヶ浜とプリキュアが結びつかなかったのか、プリキュアに誘ったのが俺の方からだと解釈したらしい。
いや、せがまれて許可した立場だけど、まるで俺の方から頼み込んだと錯覚するくらいプリヶ浜が不釣り合いで違和感しかない。誰だよプリヶ浜って。
「え、……あ! ち、違うから、そういうんじゃなくて……」
むしろ都合よく取り違えてくれたんだから訂正する必要ないだろ。お前は一体どこへ向かおうとしているんだ。アホの子だとは思っていたが今この時ばかりは本気で理解不能。あとに続く宣言がそれを証明する。
「…………あたしが、ヒッキーに連れてってってお願い、した、の……」
悲壮な覚悟でつっかえつっかえ告白する由比ヶ浜。顔どころか耳まで真っ赤だ。
恥ずかしいよな、プリキュアだもんな、プリキュアに謝れ。
大体、そんな恥ずかしいならなんでカミングアウトしちゃうの。無理矢理ついて来ようとしたりだとか由比ヶ浜らしくない行動が目立つ。
由比ヶ浜の発言に三人は目を丸くしている。俺はというと今年一、居心地が悪い。去年の修学旅行後のギクシャクした奉仕部とは違う意味でそりゃもう居心地が悪いです。
この後、トップカーストのリア充由比ヶ浜さんと女子児童向けアニメ映画を観るのはもっと居心地が悪そうだといまさら気づいた。
三人を尻目に、肩に乗せた手で俺の背中を押して窓口に到着する。
おい、まさか。いまこの状況で言っちゃうのか? 冷静になれ由比ヶ浜。お前はいま自ら核のボタンを押そうとしているんだぞ。
「……ププ、プリキュアをカップル割で」
言った。言ってしまった。いや、これから観る予定だったからそれはいい。それはいいんだが、何故この三人がいる前で言ってしまうのか。
その後どうなるか想像できないほどアホなわけじゃないだろ。
……え? そこまでアホじゃないよね?
「――っ⁉」
「分かりました。では証明となるものの御呈示をお願いいたします」
「えっ、証明、ですか? なにを見せたら…………」
「当映画館ではカップル割をご利用の際、二人で写っているプリクラなどを御呈示願っております」
「ぷ、プリクラ、かぁ……持ってない、です……」
「それでしたら頬に軽くキスしていただくことでもご利用いただけますよ」
「‼」
「⁉」
事も無げに爆弾を投下する従業員。当然ながら俺と由比ヶ浜は固まってしまう。さっきまで思考が働かなかったが、俺が懸念していたのはこれだったのだ。
同時にさっきどこぞのカップルが窓口でイチャついていたのにも合点がいく。こういう理由だったのか。イチャつくのにも理由があるんだな。初めて知った。
それにしてもカップルの証明とは……実際、プリクラくらいは要求されるだろうなとは思っていた。でなければ男女一組のお客がほぼ無条件で学割並みになってしまうしな。
それがなければ割引しなければいいだけなのに
お互い顔を見合わせる。必然的に目が合いその大きな瞳が俺を写す鏡となった。顔色までは分からないが、多分赤くなっていると思う。
こうして間近で見るとより由比ヶ浜の容姿が整っているのが分かる。うちの学校に美少女が多いのは存じていた。そこにいる相模やそのお友達も確かにレベルは高い。だが、こいつと比べるとその美貌が霞んで見える。
俺にバイアスが掛かってるからそんな判定がされてしまうのかもしれんがニュートラルにってのはそれこそ無理でしょ。
相模を筆頭に三人は文化祭からこっち俺を貶める為、あることないこと喧伝してきた張本人達なのだ。そういう人間の醜い内面はどこかしらから漏れ出てくる。少なくとも悪意を持って接してくる俺の前でいい顔など見せようはずもなく、俺にとってこいつらの顔は常に醜悪で歪んでいるように映っていた。
引きかえ由比ヶ浜はといえば同じ部の仲間であり、いつも俺に笑って話しかけてくる。常に勘違いとの戦いを強いられるくらい優しい女の子。比べること自体が烏滸がましいのだ。
考えながら俺の目線が唇へと移った。他意はない。何気なくという表現が当てはまる。
だが、別のサインと勘違いした由比ヶ浜はいつもの、本当にいつも通りの調子で言葉を紡いだ。
「‼ な、どこ見てるし! ヒッキーきもい!」
「っ……!」
『――――ぷっ、あっははは!』
由比ヶ浜はいつも部室でいってる言葉を俺に投げつける。普段から言われてるし特に気にもならない……はずなのだが。
モブ子とモブ美はここぞとばかりに嘲笑、いや嘲笑うなどといった生易しいものではない。その声量はもはや
無遠慮な笑い声は周囲の客を振り向かせるのに十分で、ぼっちが最も恐れる耳目を集める事態となった。
「あ…………」
由比ヶ浜も周囲の状況を察し、好奇の目が自分達に向けられていることに気づく。実際にはほとんど俺に向けられているのだがカップル割なんぞを頼んだ以上、この場において由比ヶ浜と俺は切り離せない。
いや、切り離す手段はある。
いつもならそれを望むのだが、いまはその考えが一切起こらなかった。
だが、現実はいつも残酷で、思うようにいかない。
分かっていたはずなのに、その度に期待しては裏切られ、俺の心は固く閉ざされていくのだ。
「あ、そ、その…………」
「…………」
「……ごめん」
衆目に耐えられなかった由比ヶ浜はその場から逃走した。
そう。由比ヶ浜がこの下卑た視線に晒され続けるくらいなら逃げることは立派な戦術であり合理的だし推奨さえする。俺と違い、由比ヶ浜には失う物が多すぎるしこの判断は正しい。
あとは俺がその場から静かに立ち去ればいいだけの話。簡単なはずだった。それを困難たらしめたのが目の前の性悪同級生達である。
まるで俺を謗るのが今日出掛けた目的であるかのように痛い部分をこれでもかと突いてくる。普段の雪ノ下と由比ヶ浜の発するディスリとは違う。あいつらのは親しみをもって言い合う言葉遊びだ。そこに一切の悪意はない。
だがこいつらは、俺に対して人間の醜い負の感情を遠慮なしにぶつけてくる。傷つける為だけに言葉を駆使する。授業で、いや人生で得た知識をこんなことに浪費する度し難い人間。俺が最も忌避する俺をぼっちたらしめる存在。
「あんた映画代浮かすのに由比ヶ浜さん使うとか最低じゃない?」
やめろ。その名を呼ぶな。
「せっかくお願いしてプ、っくく、プリキュア一緒に観てもらえるとこだったのにカップル割とか図々しんじゃないの?」
黙れ。俺が誘ったんじゃない。あいつから頼み込んできたんだ。
しかし、そんな事情など知りも知ろうともしないこいつらには何を言っても無駄なことは既に分かっている。真実を知ったところで捻じ曲げ自分たちが都合のいいように解釈しそれを触れ回るまでがテンプレ。実際、文化祭で体験済みだ。
あの時は俺の目的の為にそれがむしろ役に立ったが、いまは状況が違う。由比ヶ浜を含め俺達が弄られていい理由はどこにもないが、それを止める術もいまのところ存在しない現実とどう付き合っていけばいいのか。
窓口の女性職員も困り顔でこちらを見ていた。その瞳の奥底から「買うの? 買わないの?」と督促感情がダダ洩れていることまで分かる。
この件に関わっているのが業務として取り扱っている窓口嬢だけだったら「はい、すいません、大人一枚で」と言い直すことも出来ようが、相対する三人はどう俺を悪罵しようか手ぐすねを引いて待ちわびたハイエナのような存在。すんなりと事が運ぶとは思えない。
ちなみに獲物を横取りするイメージのあるハイエナだが、実際にはハイエナが狩った獲物をライオンが横取りする図式が正しい。ライオンの狩り成功率は20%程度と低いがハイエナは60%ほどもあるのだという。これマメな。
気付けば三人だけでなく遠巻きに覗うオーディエンスの数も増えていた。彼等の目に俺はどう映っているだろう。
脊髄に液体窒素でも流し込まれたみたいに、それが交感神経と副交感神経を伝って身体中が凍えていく。
冷たい熱が手汗となり滲み出してきた。手のひらの発汗は気温の変化ではなく精神的な作用によって引き起こされると聞く。
まさか、動揺しているのか、この俺が。
数々の黒歴史を体現してきた俺が誰とも知らぬ聴衆にどう思われようが関係ないはずなのに。
実際、プリキュアを観るだけならどうってことはない。だがその場に悪意を持った同級生達が立ち合い、あまつさえ偽装カップルを看破され取り残されるというこの上ない羞恥プレイが完成してしまった。
それがオーディエンスを含めた俺達の共通認識。
どうやら今の俺は自分で思っている以上にダメージを負ってしまっているらしい。
態勢を立て直す為、俺も撤退を余儀なくされる。背中に刺さる三対の視線に心を焼かれながら何事もなかったように立ち去ろうとした。が、それを許容するほど後ろの三人は優しくない。
「ちょっと、何事もなかったようにとんずらする気?」
「最低だよねぇ、女の子に無理矢理カップル割させようとして恥かかせて逃げ出すんだから」
「そんなの前から分かってるじゃん。こいつ南ちゃん泣かせて文化祭メチャクチャにしかけたんだから。ほら、南ちゃんも言ってやりなよ」
「え……うち……」
やはり捕まってしまった。
というか、どれから突っ込んでいいか分からないくらいメチャクチャなことをいっているのはこいつらの方だ。
特に文化祭をメチャクチャに、などとよくもほざけたもので相模もそうだがお前等二人もサボり組の筆頭格だった。
相模のダメさ加減はいまさら言及するまでもないので割愛するが、それでも
対して
それは相模の為ではなく、自らの行いから目を背けさせる偽装に過ぎず、現に後の体育祭実行委員会ではその相模と反目し一時はやり込めて晒しあげていた。
一連の行動を見ていると、二人にとっての友達とは斯くも自分に都合良くストレスの捌け口としてなってくれる道具なのだという印象を受ける。
そんな俺の心事を計り知ることなど聴衆に出来ようはずもなく、この場において俺のレッテルは文化祭でそこにいる相模を泣かせた最低野郎。極めて情勢は悪い。いや、こんなのは俺にとったらいつものことか。
そう、いつものことだ。
ずっと一人だった。
助けなどいらない。
助けてくれる奴なんていない。
由比ヶ浜が去り、俺が残されたことでその負債全ての清算を俺がしなければならない。
元々、由比ヶ浜は何の関係もないし、奴等の狙いは俺ただ一人。
このままサンドバッグになって奴等が飽きるのを待つのが最効率。
精神的ミンチに身を差し出す最長拘束時間は奴等が観に来た映画の上映時間まで。いやいや、俺挽肉になっちゃうの? それ精神的じゃなくて肉体的なリンチだから。
終わりが約束されているリンチほど温いものはなく、むしろ終わる時間が待ち遠しくて楽しみまである。
……なんてな。自らを鼓舞する為、そうおどけてみたものの内心これから起こる惨劇にこの身を震わせずにいるので精一杯だ。
あー……明日からまた学校でヒキタニフィーバー始まっちゃうんだろうな。そろそろ有名税徴収されちゃいそう。このろくでなし三人組のプロデュースした税率ハンパなさそう。ってか相模のやつ、ちょっと引いてるっぽいな。
可及的速やかにこの場を離れ、これ以上傷口を広げないよう努める。
そんな俺を救済する
つづく
14巻読みました。
心が痛む……想像以上にサキサキに出番がなかった。
ピークが12巻のサンマルクカフェとは……
所詮葉山以下のサブキャラだからしょうがないところはあるが、この悲しみをSSにぶつけます。