サキサキのバレンタインは色々まちがっている。   作:なごみムナカタ

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ちょっと難産で、土曜日に更新するつもりでしたが遅れてしまいました。

まだシリアス調が続いてます。
多少のネタは入れてみましたが展開が展開だけにハメを外し切れないのがつらい。
シリーズ開始当初はこんなことになるとは思っていませんでした。
伏線のためにもどこかにInterludeを挟みたい。また作業量増えちゃうな。


2020.12. 6 台本形式その他修正。


37話 パンドラの箱は、八幡の手により紐解かれる。

      ×  ×  ×

 

《 Side Saki 》

 

 

 あたしはときどき押しに弱いなっていう自覚がある。

 由比ヶ浜がこの話題を振ってきて拒み切れなかったのがその証拠だ。

 

『好きな人とかいるの?』

 

 そんなのにあっさり答えられるような性格じゃないから、少し意地悪にこう訊き返した。

 

『まず先に自分から話すもんじゃないの?』

 

 本当に知りたかったわけじゃない。

 実際、言われたら困るのはむしろあたしの方。

 告白したけど返事待ちで、その一因を担ってるのが間違いなくこの娘だから。

 

 正直、黙らせる意味でした意地悪だったけど予想外の返しにあたしの心は酷く揺さぶられた。

 

『入学式の日に犬を庇って車に轢かれた』

 

 そんなバカをあたしも知っている。

 同じことをされたあたしだから知っている。

 名前を口にしてないけど、その馴れ初めがあいつを指してるのが自然と理解(わか)ってしまう。

 映画前に喫茶店であいつから聞いた話が繋がったのも大きい。

 

 そっか。

 あんたは昔からそうなんだね。バレンタインの日に自分がされたことをまさか二年前にもしているなんて。

 いや、助けてもらったあたしが言えることじゃないか。結果二人とも無事だったけどあいつを危険に晒してしまったわけだし。

 それでも看過できないのは、対象がせめて自分の飼い犬ならまだしも、助けたのは見ず知らずの他人の犬という事実だから。これには驚きを通り越し最早呆れてしまう。

 どこか壊れてしまっているのではないかとすら思える自己愛のなさと異常性を垣間見て、抱いていた懸念が憂慮へと悪化し寒気立つ。一刻も早くあいつに自信を取り戻させ自己肯定感を高めてやらないと。

 さて、聞きっぱなしじゃ立つ瀬がないし、女子トークの礼儀としてはお返ししておかないとね。

 

 由比ヶ浜は好きになったキッカケを話してた。だからあたしもそれと同じものを返すのがルールってことでしょ?

 好きになったキッカケ……色々あるけど、やっぱり……これかな。

 でもこれを言ってしまっていいんだろうか。あの時はあいつも本気じゃなかったし、この場に持ち込むのにそぐわない内容な気がする。

 

 

 

 ――――止めておこう。

 

 ……でも、それと同時に湧き上がる葛藤。

 あたしと知り合う一年以上も前からあいつに選ばれたこの娘への羨望。それに対する精一杯の抵抗がアクセルを踏ませた。

 

「あたしはさ……言われたんだ」

 

 たっぷりと溜めて、強く印象付けるため倒句で由比ヶ浜の左頬を殴り返す一撃。

 

 

 

「……愛してるぜ! って」

 

 後ろめたさもあったあたしは素っ気無い風を装い窓外を眺めながら呟いた。

 目を白黒させていた由比ヶ浜だったが、すぐ我に返り負けじと反撃してくる。

 

「あ、あたしだって、二人っきりで夏祭り、行ったこと、あるんだから!」

 

 ……じれったい。主語(好きな人)を伏せたままの殴り合いを何度するのか。

 そんなに好きならどうしてハッキリ言ってくれないのか。

 

 ……何故カップル割であいつに自信を取り戻させてくれなかったのか。

 

 その歯痒さが再び由比ヶ浜の頬を殴りつける原動力となる。

 

「もう告白もしてる」

 

 口にした瞬間、心がシンと冷えていく。

 その返事がもらえていない事実がわたしに冷や水を浴びせた。

 お陰で冷静さを取り戻す。

 

 

 

 ……何してんだろ。バカみたい。

 由比ヶ浜に乗せられて、対抗心で余計なことペラペラ喋っちゃってあたしらしくない。こんなの比企谷の為にもならないし、なんとか収拾しないと。

 幸い名前は伏せたままだからこっちは気付かれてないとは思う。だって普段のあいつを知ってたらこんなエピソードと人物像が結びつかないから。この時ばかりは由比ヶ浜のルール設定に感謝した。

 

 

 窓外に顔を向けながら興味の無い素振りで

 

「……冗談だから」

 

 それを聞いた由比ヶ浜は顔全体で「え?」を表現をしていた。

 果たして納得してくれただろうか。でも名前を口にしたわけではないし嘘を追及する意味もないはずだ。せっかく作ったこの流れに由比ヶ浜は乗ればいい。このまま話を終わらせれば誰も傷つかないから……。

 

 

 

「……ずるい」

「え」

 

 間の抜けた顔から一転、内に秘めた強い想いが滲む表情で真っ直ぐあたしを見据える。

 

「あたしは……ちゃんと言ったのに……」

 

 呟くと今度は悲しげに俯いてしまう。

 

 そうか……

 見ず知らずの人間が自分の大切なペットを助けてくれたという運命的な出逢いは由比ヶ浜にとって大切にされてきたモノであろう。もしかするとこれを話すのは初めてなんじゃないかとさえ思える。少なくとも教室でこの話題が出たことはない。由比ヶ浜や三浦達は目立つし教室にいると嫌でも会話が耳に入ってくるから分かってしまう。

 考えてみれば、あたしが先に話せと要求し由比ヶ浜はそれに応えた。なのに冗談で返されては裏切りと感じるのが道理だ。

 誰も傷付かないなんてあたしの勝手な押し付けだった。

 

 

 ちゃんと話したら、より強く意識させてしまう。

 

 きっと由比ヶ浜は止まらないだろう。

 

 それは雪ノ下にも伝播するかもしれない。

 

 あいつに自信をつけさせる為に焚きつけるのも悪くないといえなくもないけどそれを許容できるほどあたしの気持ち、まだ萎えちゃいない。

 だからあたしも精一杯の抵抗を見せてこう言うのだ。

 

「……冗談って言ったのは嘘」

「…………」

 

「……予備校のひと」

「え」

 

 

「あたしが……気になってるひと」

 

 由比ヶ浜も直截的な表現は避けてるから、こちらもこの婉曲な言い廻しが妥協点。

 これ以上ヒントはあげない。

 

 ……あたしだって、まだ結果(返事)待ちなんだから。

 

 

 

「……比企谷、遅いね」

 

 時計を見ると既に40分以上が過ぎていた。

 

 あいつが戻ってくる気配は未だに……ない。

 

 

× × ×

 

 

《 Side Hachiman 》

 

 

 未だ暖かくなる兆しすら見えない余寒真っ只中にあって電車とは炬燵と双璧を成すこの世の楽園と言っても過言ではないだろう。冬は特に自電車通学を選択した過去の自分を抹殺すべく、タイムマシンの開発を本気で考えたのは一度や二度ではない。その度に、今からでも電車通学にすれば開発自体が不要であると発見し「俺がクリストファー・コロンブスだ!」と偉人ごっこに勤しんでいたのを懐かしむ。中学生の頃なら当然「俺がガンダムだ!」になっていただろう。時の流れを感じる。

 

 陽乃さんと別れ電車に乗った俺はロッキングチェアのような心地よい電車の揺れに身を委ねている。さらに車内の温暖さによる二重のトラップにより危うくダメ人間が製造されてしまうところだった。だが既にダメ人間だったので製造は不可能でした。

 そんなダメ人間でも落とし物を拾うことくらいはできる。いま膝の上に乗せている紙袋がそれで、陽乃さんが走り去るとき落としたものだ。中を覗くとナマモノ的な急を要する物ではないようだったし、電話する気分にもなれなかったのでこうして預かっている。

 

 なぜ気分じゃないのか。偏に俺の愚かな行いに因るものだ。合せる顔がないと言ってもいい。

 さっきは一体どうしてしまったのか。あの陽乃さん相手にあんなことを口にするなど命が惜しくないのかと過去の自分に問い質したくなる。やっぱりタイムマシン開発は必要だわ。だが明日考え直してまたコロンブスになる無限ループから抜け出せない。こうしてタイムマシンは永劫完成しないのであった。

 そんな現実逃避をしても忘れていられるのはほんの僅かな時間だけ。

 

 己と照らし合わせ、雪ノ下陽乃という人間はこうであると勝手にイメージし、意気揚々と本人に指摘してしまった。

 勝手に理解した気になって他人を評するのは俺が最も嫌悪するものだったはず。しかも内容がよろしくない。

 

 『雪ノ下陽乃はドス黒い心を持って妹に接し苦しめ、愉悦を感じる性悪女』

 

 本人にこう伝えたのだ。

 

 …………

 …………

 

 控え目に言って頭おかしい奴ですね。その頭のおかしい人間として十七年間暮らしてきた本人がいうのだから間違いない。

 

 

 車内にアナウンスが流れ、そろそろ降車駅だと確認する。

 自宅大好きな俺にとって天使のささやきにも等しい音色……のはずが、今は胸が詰まる思いで聞いていた。

 これから家に帰って俺が愚かな行為に走った原因たる人物に詰責しなければならないからだ。

 いつもならこれくらいの粗相など笑って許すか、そもそも問題にすら挙げず聞き分けの良いお兄ちゃんを演じるのだが。先ほど陽乃さんのK2を……もとい胸を言葉の刃で抉った頭のおかしさから分かるように、いつもの精神状態じゃない。なにより陽乃さんをあれほど極み付けておきながら、小町にはお咎めなしなど身内びいきがすぎるのではないか。

 

 電車を降りるとまるで別世界の寒気が肌を撫でた。皮膚に鈍痛が走り、徐々に感覚が鈍くなっていく。その影響もあって、急く気持ちを抑えきれず足早に家路につく。

 不意に俺の身体が震えた。いくつかの原因で起こる日常的な現象である。

 

 1.寒さ

 2.不安

 3.疲労

 4.カフェインの過剰摂取

 

 順当なところで1番が本命、っていうか人が震える99%はこれだろ。まぁ、これから家に帰ってすることを思えば2番の可能性が無きにしも非ずといったところか。むしろ俺の場合、マッ缶の過剰摂取で4番が穴どころか対抗まで迫る勢い。

 

「ん?」

 

 震えの発信源がポケットの中であることに気づく。

 普段、スマホなんてゲームか目覚ましにしか使っていないからバイブ機能あるの忘れてたわ。

 まさかの「5.スマホの着信」でした。

 

 とはいえ最近ではそう珍しいともいえない。二年生になってから番号を登録する相手は増えたからな。それでも片手の指で足りるくらいだが。

 着信名を見るとディスプレイには【川なんとか】の文字が表示されていた。いい加減ちゃんと登録しとかないと、本人に見られたら主に肉体的な恐怖に基づく2番の理由で震える未来しか見えない。

 

「おう、もしもし」

『あ、比企谷、あんた大丈夫なの? まだかかりそう?』

「え」

『え』

 

 一瞬なんのことか理解できずにいると川崎もオウム返しからの沈黙。

 

『え、って……ちょっとあんた、いまどこにいるの?』

「どこと言われても、もう駅降りてそろそろ家に着くくらいだが?」

『は?』

 

 川崎の反応がおかしい。

 ちなみにこの「は?」は確実に怒っている「は?」だ。普段から部室でも耳にするのでこうした一文字を察することにかけては定評がある。

 ちなみに「は?」は一般的にただの疑問形だが、小町や一色が用いると不機嫌を形容する言葉だろう。特に一色はいつものあざとい猫なでヴォイスが恋しくなるくらい冷たく低い声音で「は?」と表現するので分かり易い。これ川崎にも適用できるな。あと三浦とか。三浦の場合は「はぁ?」とか伸ばしそう。不機嫌つーか威嚇っぽいけど。

 他にも

 

 「ひ!(川崎の驚動)」とか

 

 「ふ……(雪ノ下の嘲笑)」とか

 

 「へ?(由比ヶ浜の疑問)」とか

 

 「ほー?(平塚先生の感心?)」

 

 とか、色々と一文字の感情は目の当りにしてきた。ってかハ行すげえな。あらゆる感情を表現できる。

 要するに女子の「は?」は何を表しているかというと、ただただ機嫌が悪いことを意味している。

 結論、川崎はいま不機嫌。

 

 長々と考えた挙句、声音で簡単に分かる結果だけが導き出されたという、時間と脳のリソースの無駄でしかなかった。リソースを割くなら何故不機嫌なのかを推測することに使えよ俺。

 

 

 …………あー

 そうか、さっきまで俺は陽乃さんを追い払……もとい、駅まで送るという使命を帯びて席を外しただけで、別れた後は喫茶店に戻らなきゃいけなかったんだ。連絡もなく放置してれば、そりゃ怒るよな。よし、原因解明。

 

 ……ソースが分かってもアンサーどうすればいいのこれ。

 

 『たまたま二人のこと忘れててうっかり帰っちゃったよ。ほら、俺って家大好きじゃん?』

 

 ……だめだこれ。あまりに正直すぎて、川崎から金の斧を、由比ヶ浜から銀の斧をふりおろされて(・・・・・・・)しまいそうだ。いや斧貰えないどころか制裁されちゃうのかよ。嘘で斧没収されたほうがまだ平和だな。ふりおろされるほうがご褒美という危篤(ドM)な人間もいるが。

 それに重要な部分を隠している以上、やはり斧は貰えないだろう。どんだけ斧欲しいんだよ俺。いや別に斧いらないんだけどね、比喩だし。

 答えに窮していると川崎が問いかける。

 

『……なにかあったの?』

 

 さっきまでと雰囲気の違う声音。

 「は?」鑑定では、不機嫌または怒りと判定したがただの疑問形だったようで、どうやら本気で心配してくれているらしい。

 

「……わりぃ、なんつーか……色んな事で頭一杯になってて気がついたら電車乗ってた」

 

 口を吐いたのは、都合の悪い部分を上手く避けた自然な言い回しだった。

 

『……そう』

 

 言外に納得してないのがありありと伝わってきたが、続いたのは沈黙だった。これ以上は触れないでおいてあげる、という意味らしい。

 実際、追及されたらどう説明していいのか分からないし、自分でも納得いく答えがまだ出てないのかもしれない。

 

『……じゃ、このまま解散ってことでいいね?』

「ああ、すまん。由比ヶ浜にも悪かったって伝えてくれ」

『ん……あんたも気をつけて帰んなよ』

 

 通話を切るときの気遣いに応える余裕もなく、家が近づくにつれ足取りが重くなっていく。

 

 

      ×  ×  ×

 

 

―比企谷家―

 

 

 家に着いて玄関の扉を開けると親の靴が両方なかった。小町の靴はあるから外食に出掛けたとは考えづらい。決算前で最近ばたばたしてたし、今日も休日出勤だろう。いや、時期に関係なく両親が忙しいのはもはや恒常化してると言っていい。

 案の定、小町はリビングの炬燵でぐでーっとしながら膝に乗った愛猫のカマクラを撫でていた。

 

「ただいま……」

「おかえり~、ってずいぶん早いんだね、何かあった?」

 

 さっき川崎にも言われてるので内心辟易としてしまうが、確かにその疑問は持つよな。十時前の上映時間を選んで帰宅が十三時前だ。映画だけ観て、はい、さよなら、なんてリア充じゃなくても不自然なことくらい分かる。

 

「……あー、ちょっとあってな。早めに解散になったんだわ」

「ふーん……」

 

 胡乱げにこちらを見つめるが、それ以上の追及はない。

 どうやらこちらが切り出すのを待っているようだが、未だにどう説明すればいいか自分でも分からず話しようがない。

 

「親父達は?」

「へ? ああ、二人とも休日出勤だって。ああいうの見てると働くのって大変だなって感じるよねえ。お兄ちゃんじゃないけど小町も専業主婦目指しちゃおっかなー」

 

 上手く話を逸らせたようだ。というより小町の方があえて乗ってくれたのか。

 あまりしつこく来ないのは去年の兄妹喧嘩が頭を過ぎったからかもしれない。

 

「……もしかしてお昼も食べないで帰ってきちゃった?」

「……まあな」

「小町もお昼まだだし作ろっか?」

 

 言うが早いか、カマクラが膝から飛び降り小町は昼食の準備を始めた。

 小町に料理を任せて自室で着替えているとテーブルの上に紙袋が置きっぱなしなのに気づく。

 

(おいちょっと待て、まさか小町へのお土産だって勘違いして開封しないよな?)

 

 陽乃さんから預かった(拾った)物を勝手に開けられたらどんな責め苦を味わわされるか分からない。開けてなくても既に味わわされるに値することしてるから結局不可避なんだが。

 慌ててリビングに戻ると小町はキッチンで料理に勤しんでいた。紙袋はそのままだったが、初期位置より少し動いた形跡がある。恐ろしいが訊かねばなるまい。

 

「……小町、この紙袋なんだが……」

「ああ、それね、お兄ちゃんありがとー♪」

「え……ってことはまさか……?」

 

 こちらも見ずにキッチンから謝辞を述べる小町。懸念していたことが現実となって血の気が引いた瞬間「なーんてね」と添えられた。

 

「最初、小町へのお土産だと思ったから開けようとしたんだけど、中みてみたら危険な感じがしたからお兄ちゃん待ってたんだよ」

「危険てなんだよ、中から『カチッカチッ……』って音でも聴こえてきたのかよ」

 

 誰にC4をプレゼントしようというのか。いくら陽乃さんでもそこまでは……と否定しきれないくらいぶっ飛んだ人物なので始末が悪い。たとえ爆発しなくともトリメチレントリニトロアミン(プラスチック爆弾の主成分)消え物(食べ物)として贈るとか未必的故意が成立するだろう。あれって甘いらしいし、バレンタインチョコの包装にカムフラージュしているあたり本気度が窺える。食ったことないけど。

 ひとまずは安心すると、小町が料理の手を止めずに疑問をぶつけてきた。器用なやつだ。

 

「で、それって誰のなの?」

「それは……、ん? ちょっと待て、勝手に開けられずにホッとしたが何をもって危険と判断したんだお前」

「えーっと、それは……財力?」

「は?」

 

 不機嫌ではない完璧なハ行(疑問形)を使いこなす。同じく疑問形で財力と答えた人物はその理由を滔々と話してくれた。

 

「袋から出して、綺麗なラッピングだなーって思ったんだけど、小町のお土産にこんなプレゼント然とした物買ってくるかなって。小町の誕生日来月だし」

「んで、今度は合格祝い的なやつかもとか考えたけど、お兄ちゃんがこんなさり気ない渡し方出来るとも思えないし」

 

 俺という人間を知り尽くした小町の分析力をまざまざと見せつけられる。ってか財力の話どこいったんだよ。箱の中身なんて分からんだろ。え、なに、高価な物か分かっちゃうわけ? ラッピングされた状態から中身が分かるとか、箱の中身は何でしょうクイズなんかより数段難易度高いぞ。箱振って判断したりしてたら中身やばくね?

 

「そしたら袋の中からラッピングの他にディスティニーランドのペアチケットが出てきたんだよね、しかも大人用。小町のために買ってくれたんなら初めから中人用にするでしょ? 現地で中人用に変更できるけど手数料かかるしお兄ちゃんはそんな無駄なことしないから。つまーり、これは小町に買ってきたものではあーりませーん」

 

 妙なイントネーションでドヤる見た目は小町、頭脳も小町、その名は名探偵小町!

 うん、最高に語感いいけどただの小町だよね、それ。

 小町の言う通りディスティニーの大人ペアチケットなんて一万五、六千円はするだろう。スカラシップ錬金術もあるし、無理すればいけなくもないが俺にしては奮発し過ぎだ。

 

 考え方ばかりか懐具合まで熟知されていて軽く恐怖を抱く。十五年も一緒にいれば愛着も湧くという言葉の重みを今改めて実感している。

 

「ああ、それはあれだ。雪ノ下さんのだ」

「え、陽乃さん? ……あー、そっかー。そういう感じかー」

 

 フライパンを振りながら一人で納得している小町。その口ぶりが妙に引っ掛かりこちらから促してみた。

 

「……なにか思い当たることでもあったのか?」

「んー、何日か前に突然電話きたんだよねー」

 

「‼ ふーん……」

 

 心臓が大きく跳ねた。

 

「良かったねーお兄ちゃん、陽乃さんからもチョコ貰えて」

 

 ……何を言ってるんだこいつは?

 このチョコは陽乃さんが落としたのを一時的に預かってるだけだぞ。

 

 ……ん? チョコ?

 

「は? これ、チョコなのか?」

「チョコに決まってんでしょーが。陽乃さんだって忙しいだろうし、数日遅れたくらいでバレンタインの可能性を全否定するお兄ちゃんのがどうかしてるよ」

「あのな小町、これは落とし物だ」

「ほえ?」

 

 俺の言葉が理解できず目を丸くしていた小町だが、すぐ我に返って質問をぶつけてきた。

 

「なにそれ、さっき陽乃さんのって言ってたじゃん」

「だから雪ノ下さんの忘れ物だよ」

「えー、でもそれって明らかにチョコだし、ディスティニーペアチケットもお兄ちゃんに誘って欲しいから大人用なんじゃないの?」

 

 妄想レベルのご都合主義が展開され俺は言葉を失う。名探偵は継続中のようだ。

 

「それにさ、この忘れ物ってどうやって置いてったの? 陽乃さんならさり気なく忘れ物としてお兄ちゃんに渡したってことも考えられない?」

 

 そんなわけがない。

 俺の不躾で遠慮のない責めが陽乃さんを傷つけ、そのショックによりこのチョコを落としていったからだ。あれを演出に塗り替えるような機転のある人間などいないだろう。たとえ陽乃さんであろうとも。

 

「だって陽乃さんから電話きたとき、お兄ちゃんがチョコいくつ貰ったのか訊いてきたし誰のチョコ食べたのか気にしてたから、そーゆーことなんでしょって」

 

 無邪気に電話の内容を詳らかにする小町。これで陽乃さんが川崎のチョコのことを知っていた裏付けが取れた。

 

「またお義姉ちゃん候補が増えて小町的にポイント高いのであります!」

「あ、でも沙希さんのことは……どうするの?」

 

 不意に投げ掛けられたその言葉が俺の心を激しく揺さぶった。

 

 川崎のことをどうするか、……だって?

 陽乃さんに口を滑らせたお前がいうのか。その川崎の説明がつかない行動と由比ヶ浜の拒絶で、今日はずっと混乱し懊悩してきた。そこへきて小町の口からこの発言は癇に障り、もやもやしたドス黒い感情を生み、内にこびりついて拭えない。

 そんな状態では普段気に留めなかった僅かな綻びが顕在化していく。

 

 ――――川崎の想いに答えられなかった、自身を無価値と断じた原因。それが最愛の妹にあるのではないか。

 

 映画館でふと浮かんだ『兄』となる通過儀礼。あれがその第一歩となって今の俺が作られた。

 下の子がいる家庭ならありふれた話だと一笑されるかもしれない。ただ、うちの家庭はほんの少しだけ環境が悪かった。

 

 俺達が小さい頃からうちの両親はひどく多忙で休日にすら仕事が入る社畜だ。そのせいで小町が小さかった時分は拙いながらも俺が家事などをこなしてきた。

 世間を知る歳になると、それがいかに異常なのかを理解する。事実、小学校で家庭科の授業を受けるより前から俺は自分と小町の分の料理を作っていたりしたのだから。

 

 

 

 いつからだろう。

 親が僕を見てくれなくなったのは。

 

 それは分かっていた。

 小町が生まれてからだ。

 

 小町が泣くと僕が怒られる。

 どうして?

 僕だって泣きたいのに。

 友達と遊びたかったのに。

 でもダメだ。

 僕はお兄ちゃんなんだから小町を守ってあげないといけないんだ。

 

 小町が家に誰もいないのを寂しがって飛び出してしまった。

 探しに行かなきゃ。

 僕はお兄ちゃんなんだから小町と一緒にいてあげないといけないんだ。

 

 小町が大きくなってきた。

 だんだんと自我を得て親へ甘えるのが上手くなる。

 同時に俺にも甘えてくる。

 俺は小町のために、今までお兄ちゃんとして応えてきた。

 だから小町は俺が好きだ。

 でもそれを見た親父が不機嫌になる。

 どうすりゃいいんだよ。

 

 俺の人間観察力はこうした境遇の産物だった。

 親父の顔色を窺い、親父の機嫌が悪くならないよう小町の顔色を窺った。

 そうした環境によって表情や機微を感じ取る慧眼が鍛えられた。

 

 親の愛情は小町に注がれ自分を押し殺す。

 そんな日々を過ごす内に、俺は『無価値』であるという自己定義が完成した。

 

 

 さらに小町が大きくなる。

 小町が俺の飯まで作って家事をするようになった。

 こんな無価値な俺の世話をする。

 両親の寵愛を一身に受け、俺を無価値に貶めたのは他でもない小町なのに……

 

 こんな俺にまだ利用価値があるとすれば

 

 

 

 ――ダメな兄の面倒を見て両親からさらなる寵愛を受けようとしているのでは――

 

 

 ⁉

 

 自分で出した結論に身震いした。

 今の俺は本当に醜い感情に支配されている。

 賤しく嫉みに塗れた思考は小町すらもこんな歪んだ見方をしてしまう。

 

 はは……こんな奴が川崎と釣り合うわけがない。

 俺の判断はやっぱり正しかった。

 

 先ほどまでの嫌悪や憤りが嘘であったように脱力する。

 

「そうだな。お前のお陰でお義姉ちゃんが出来る可能性はなくなった」

「え⁈」

 

 調理中の手を止めてこちらに振り向く。フライパンを持っていなかったら飛びかかってきそうな勢いだった。

 

「そ、それってどういう意味⁉」

「言葉通りだ、これ以上しつこく訊くなよ」

 

 言葉通り取ってもそうだが、去年の兄妹喧嘩をも言外に訴え拒絶する。

 結局、修学旅行のことは話したが、あれは小町が第三者であったから。

 だが、今度ばかりは言いたくない。

 

 言えばお前の本性を暴いて傷つけ、醜い感情を曝け出した俺も傷つく。

 それならばせめて、去年より成長した小町に程よい距離というものを維持できることに期待しよう。

 

 分かってくれたのか、小町はこれ以上追及してくることはなかった。

 

 用意してくれた料理がひどく味気ないのが印象的だ。

 その原因が作り手の腕によるものではなく、食べる側の心にあるのはこの濁った目で見ても明らかである。

 

 

 

つづく




あとがきっぽい活動報告はこちら→https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=248067&uid=273071

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