サキサキのバレンタインは色々まちがっている。 作:なごみムナカタ
もうちょっと先まで進んでいたのですが、このまま次の区切りまで行くと二万文字を超えそうだったので一先ずここで区切ります。
物語内時間の進みが遅い為、一度そのキャラが出ると連続で出演し続けます。今回もタイトル通り、城廻めぐり回です。
更新速度を優先(二週間も経ってるくせに)しているので、見直し足りないかも。
追加予定のとこ放置したままかもしれませんので見つけたら追記します。
ベストプレイスを後にして校舎に入る。廊下は暖房がないので決して暖かくはないが、むしろ風が無い分、外よりもいくらかマシに感じられた。
あんな環境で毎日昼飯とか、どういう神経してんだよ俺。得度でもしているの? 悟りを求めるという意味では合っているかもしれない。人を絶ち、俗世と関わらず、ぼっちの道を邁進する。
「…………」
「…………」
「…………比企谷くん」
「はい?」
「……どうして私の後ろを歩いてるの?」
「…………城廻先輩の「付いて来て」という指示を忠実にこなしているだけです」
無論、この言葉に多少の含みもある。女子と並んで歩くなどある種、罰ゲームだ――女子側の。大和撫子よろしく三歩後ろを奥ゆかしくついて行けと
自覚がないかもしれないが、めぐり先輩はモテそう……いや、絶対モテる。ソースは(中学の頃の)俺。
いくら可愛いかろうが、それが度を超えていたり、必要以上に派手な出で立ちの女子というのは男側が気後れすることも珍しくない。前者タイプは雪ノ下、後者タイプは三浦がその例に当たるだろう。その点、めぐり先輩は系統として海老名さんに近い。
整った顔立ちであるが、近寄り難さはない。ほんわかとしてた雰囲気、愛らしい仕種、男女の分け隔てない柔らかな態度がそうさせているのだろう。加えて純朴さを演出するお下げもポイントが高く『俺だけが知っている超可愛い子』に該当する。序列一位グループの下位集団から密かに好かれ、また中間層、果ては最下層あたりの男子までもが『ひょっとして俺でも付き合えるんじゃね?』くらいの願望を抱くようなタイプの女の子。
ここまでは海老名さんと似た評説だが、それでいて決定的に違うところがある。それはめぐり先輩が裏もなく人に対して積極的な面まで持ち合わせていることだ。こうした点を踏まえると間違いなく海老名さんの完全上位互換と言える。男子が理想とする女子像を具現化した存在、まさにDTキラー(最低の称号)と呼んでも過言ではない。
中学の頃に同級生として出会っていたのなら、それはそれはトラウマ級の勘違いをしていたことであろう。出会いが高校で良かった。
つまりだ。長々と論じてきた結果、何が言いたかったのかというと、それほどまでにおモテになるめぐり先輩の隣に俺が並び立つ手抜かりがあっていいはずがない。
ベストプレイスでの二人きりは、見られた時のリスクこそ高いがその可能性は低い。人が寄り付かないからこそのベストプレイスだからな。だが、こうして昼休みに廊下を練り歩くのは話が別だ。
「んー、じゃあ、こうすればいいんだ」
「えっ、ちょっ⁉」
とてとてと隣まで歩み寄り、俺の左腕にめぐり先輩の右腕がするりと絡みつく。抱くようにかかえられた為、お山が押し当てられる。
ふむ、これはまた……川崎家で大志と話したお山談義に含まれていなかったのが悔やまれるほど結構なものをお持ちで。由比ヶ浜達には及ばずとも
この調子で一丁悟りでも開いてくるか、なんて最寄りのコンビニにでも行くような乗りで悟りを開こうとしていたら、先にめぐり先輩が教室の扉を開こうとしていた。
「ここって……」
教室と呼ぶには少し手狭な部屋は俺達二人共が慣れ親しんだ場所でもある。いや、ある意味めぐり先輩は馴染みがないかもしれない。というのも、三ヶ月前にこの部屋の主が替わった時、しんみりと呟いたのが彼女自身であったからだ。
いまや一色の根城と化し、部外者の俺が馴染んでしまったここ生徒会室。本日の昼食は書類整理です、とか言われそうで軽く眩暈がしてきた。
まるで自室に入るような流麗な動きで扉を開き中へ。ベストプレイスは元より、廊下と比べても格段に暖かな部屋へ淀みなく導かれた俺の身体がいらっしゃいませ。なりたけ風にいえば「はい、らっせ」。今日はらっせの人がいるのか、ツイてるな。って待て、生徒会室にらっせの人がいるってどうなん? それって生徒会のお仕事も優秀な時のシフトなの? 俺、働かなくても大丈夫そう?
期待に胸を膨らませていると、控え目に膨らんだ胸を当ててくるもうすぐJDな先輩が、空いた手で机にスペースを作っている。もう生徒会室に引き摺り込まれたんだし、逃げませんから手を離してもいいんですよ。あ、離さない方が嬉しいとか決して思ってませんから、はい。
「……ここ使っていいんですか?」
「最近、よくお手伝いに来てるから多少の自由は利くし遠慮しないでいいよー」
「あのバカ、受験生の城廻先輩に手伝わせてるんですか……」
「年度末は色々と忙しいし、私も指定校推薦決まっててその辺は融通利くから。だから、あんまり一色さんを怒らないであげてね」
めぐり先輩を苦手としていた節がある一色からわざわざ頼むのは違和感があったが、これでようやく腑に落ちた。そういえばフリーペーパー作りの時なんか原稿の締め切りに追われてたな、何故か俺が。似たような案件が年度末という言葉の中に凝縮されているのだろう。そりゃ、めぐり先輩に頭も下げますわ。
「……それよりも」
「?」
「比企谷くんてさ、めんどくさがりだよね?」
おっと、話題が飛んだぞ。しかも、この決めつけから入る感じは高確率で言質を取りに来ているのだと経験則で分かる。
「そうですかね、意外と……」
待て、ちょっと待て。俺の経験則が正しい場合、これがブービートラップの可能性は高い。この先の展開が易々と想像できた。
①意外とそんなことはないですよ。 → じゃあ、生徒会の仕事手伝ってくれてもいいよね!
うん、まずいな。となると……
②意外とそうかもしれませんね。 → じゃあ、たまには生徒会の仕事手伝ってくれてもいいんですよ!
これはめぐり先輩の人物像には合わない答えだ。一色にこそ相応し……って、おい2番、これ完全に一色だろ、口調も。しかも、どこに「じゃあ」の要素入ってんだよ。前後の繋がりがおかしい。
得意とするリスクリターンの計算を瞬時に終えた俺は、交渉相手がめぐり先輩であって一色ではないという事実を鑑み、2番を選択した。
「……そんなことはありますね」
国語学年三位が口にする文法ではないが、途中から無理矢理内容を捻じ曲げたのだし言葉がおかしくなるのは仕方あるまい。妙な言葉遣いをスルーしてめぐり先輩は続ける。
「やっぱり、そうだよね。もしかして喋るのもめんどくさがっちゃうかな?」
また予想が付きにくい方向へと話を持っていくものだ。それに意外と毒舌だなめぐり先輩。『喋るのもめんどくさい男=いま喋ってる俺の完全否定』という図式が成立するのだが?
「めんどくさいっちゃめんどくさいですね」
文頭に「この会話が」と付けない常識くらいは持ち合わせている。
「そっかそっかー、そうだよねー、めんどくさいよねー」
絶対嘘じゃん。めぐり先輩お喋り絶対好きじゃん。しかもなんで嬉しそうなんだよ。
喋ってる俺の全面否定から、めぐり先輩の心にもない喋るのめんどくさい宣言とか、どういう意図があって、どのように終着するつもりなのだろう。逆に興味が湧いてきたわ。
超難解な推理ドラマのつもりでめぐり先輩を注視していると、ピッタリと目が合ってしまった。
「…………あ」
溜め息のように儚げな音が漏れ聞こえる。
頬を朱に染めてためぐり先輩は目を逸らし顔を伏せた。
……ああ、そういえばずっと左腕を拘束されてたんだった。
つまり? 近い、近いよ、めぐり先輩! なのに手は頑なに離さないどころか、むしろちょっと力強さが増した感じ。
つまり? むにゅむにゅっぽよぽよん、をより鮮烈に感じ、なるほど着やせするんだなというキモい感想を抱く。
つまり? やはり俺が変態であることにまちがいはない。―続―
差し止められていたはずが続刊されてたよ、
……語感が死ぬほど悪い。略称をSNSで公募しなければ。いやいや俺そういうのやってなかったわ。また(使い捨てられる)材木座に頼むか。
「…………」
「…………」
妙な空気が俺達を支配していた。室内の暖かさのみならず、身体の内からぽかぽかするような昂揚感とでも言おうか。左腕からもめぐり先輩の熱が送られてくる。
「…………」
「……あの……城廻先ぱ……」
「……それ」
「え?」
「
多少、珍しくはあるが普通の苗字だし、なんだったら「比企谷」のが珍しいし呼びにくいけど?
本当に呼びにくい認定されたければ「城廻」で小噺の一つでも作っていただきたい。世の中には「寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の……(以下略)」なんてのもあるからな。これ、人名なんだぜ。嘘みたいだろ?
「いや、そんなことは……」
「呼びにくいよね」
「いや、そうでもな……」
「呼びにくいよね」
昔のゲームによくあるあれだ。ほら、無限ループってやつ。ああいうのは、開発者がルートを脱線しないように用意するもんじゃないのかい? おっかしいなぁ、ここは現実のはずなんだが。
世の中の摂理について問答したいところだが、生憎俺は神様と交信できないので目の前の「四月からJD先輩」と問答するとしよう。うん、これは確かに呼びにくし、やっぱ城廻先輩って呼ぶわ。
「城廻先輩、それはどういう……」
「呼びにくいよね」
お、折れねえ……。
というかこのままだと話が終わらず先に昼休みが終わるまである。呼びにくいと認めて前進した方がいいのか、したらしたでこの先どういう展開になるのか、脳内でシミュレーションしているとあちらの方から話しかけてきた。
「……しろめぐりって長いよね」
察しの悪い俺に業を煮やしたのか、自ら会話に変化を付けてしまう。いみじくもループを抜けてしまった。
それにしても――
しろめぐり……長いか? 雪ノ下と由比ヶ浜も同じ五文字だし、特に長いとは思ってないが。
めぐり先輩の意図が全く読めないことで、俺の脳は一時的に思考放棄を選択してしまう。
「……そうかもしれませんね」
「うんうん、だからさ、短くすればきっと呼びやすいと思うんだー」
「はい」
「うんうん、だからさ、めぐりって呼んだ方が短くていいと思うんだー」
「はい?」
「そうだよねー、じゃあ、早速呼んでみて欲しいなー」
いやいやいやいや、あなたは一体何を言ってるんですか?
呼ぶことを了承した「はい」じゃありませんから。二度目のは同意じゃなく疑問形の「はい?」ですから。
「さん、はい、どうぞー」
聞いちゃいねー。いや言ってないけど。
それに助走なしでいきなりどうぞじゃ、その気があっても言えないと思うぞ。
「落ち着いてください、別に城廻先輩は呼びにくくないですから」
「ええー、呼びにくいよ。だってみんな私のことめぐりって呼ぶよ?」
「みんなの中に俺は入っていないので城廻先輩と呼ぶんですよ。あと雪ノ下も」
「雪ノ下さんにも今度言っておくから、まずは比企谷くんがお手本を示してほしいな」
「誰に向けるお手本なんですか。雪ノ下に向けたら『あら、妙齢の女性を名前で呼ぶなんて、あなた葉山君にでもなったつもりかしら』って蔑視されますね」
「わー、すごーい、雪ノ下さんが喋ってるみたい」
控え目な拍手で賞賛してくれるが、その間も俺の左腕は抱えられたままである。むしろ拍手する度、身体が捩れ肉感をそそるので厄介極まりない。
「城廻先輩、取り合えず離れてくれませんか?」
じゃないと色々と問題が……って、めぐり先輩の表情が見る見る険しくなっていく。
「…………めぐり」
「は?」
「めぐりって呼んでくれなきゃ離れませんー!」
ぇぇ……なにこの駄々っ子……。
それに無茶だろ、異性を名前呼びしたことなんて小町と……留美くらいだぞ。その数少ない経験も片方は妹でもう片方は小学生。つまり今回のミッションにおいて全く助けにならないキャリアである。
それにしてもこの態度はルミルミを彷彿とさせるな。俺より年上だけど、意外と精神年齢は留美並みなのか? 留美が大人びているのか、めぐり先輩が無邪気なのか、議論の余地がありそうだ。
「城廻先輩の五文字から二文字とったところで大差はないんで」
「えー、あるよー、だから呼ぼー?」
にこにこ笑顔で楽しそうにおねだりしてくるめぐり先輩。
くそ、なんだこれ⁉ 可愛いな、おい! 一色とは違う天然物に心が激しく揺さぶられる。
だが、言ってることが可愛くねえ。手を離してもくれないし、このままだと本当に昼休み終わるのでは? 現時点の結果だけ見ると、この昼休み何をしていましたかという問いに、俺は迷いなく「生徒会室に監禁されていました」と答えるであろう。軟禁じゃないところが割とガチで怖い。だって拘束されてますもん!
「正確無比に呼んでこそ相手を正しく認識できると思いますから」
「じゃあ、比企谷くんが呼んでるのは鎌倉市にある地名なんだね」
うわぁ……そうきたかー。いや、確かにあるけどさ、神奈川県の地名に城廻って。でもそれ、神奈川県鎌倉市城廻先輩ってことでしょ? 先輩って付いてるのに人名と地名をアンジャッシュ状態に持っていくのは斬新過ぎない? 土地が先輩ってどういうことよ。俺、来年度から鎌倉市に新土地神として納まっちゃうの? ちっす、今年度から鎌倉市立土地神校に入校した八幡です! ……待て待て、土地神(女神)って女子校じゃなかったっけ。まずはタイで施術してから願書記入するわ。ってか既に八幡神社とか鶴岡八幡宮とかあるじゃん。まさかのアンジャッシュ状態成立で論破されかけてた⁉
いやいや、ボケ殺しのマジツッコミでここは乗り切る!
「その場合は、神奈川県鎌倉市城廻先輩って言うんで、正しく認識してないのは城廻先輩の方ですよ」
「うわー、比企谷くん真面目過ぎだよ……」
自分がやりたくないことに関しては真剣に取り組むこの姿勢、もっと誉めそやして欲しい。
「それに、もしこれが試験だとして、解答を略して記入したら不正解にされますよね」
「私の名前って教科書に載っちゃってるの?」
日本史の教科書に載っていてもおかしくはないですけどね。なんせ平山城があった場所ですし。
このまま正論で押していこうと、さらに追い打ちをかける。
「最近はラノベのタイトルなんかも長いものが多いですしね」
「そうなんだー。「らのべ」って私読まないからよく知らないけど、どういうタイトルがあるの?」
「そうですね、例えばですが「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」とかありますよ」
「ふーん……それって毎回言うの大変じゃない?」
「だから普段は「ダンまち」って略して呼んでますね」
「………………………へー」
「あ…………」
おふぅ……。
何の為につらつらと至言を並べ立てたのか分からなくなるくらいに芸術的な自爆。
こんな簡単に襤褸が出るとか至言の使い方間違ってんだろ。国語学年三位が聞いて呆れる。
「……比企谷くん」
「…………はい」
勝ちを確信して嬉しさを隠し切れないのか、隠すつもりもないのか、それはそれは素敵な笑顔で名前を呼ばれた。俺の表情はきっと対照的なものであっただろう。
「略したほうがいいよね」
「…………んぐぅ……」
思わず気持ちの悪い呻き声を上げてしまった。それもそのはず。ここで易々と屈服してしまうと、今後一切はこの人のことを「めぐり先輩」と呼び続けなければならなくなる。心の中ではいつもそう呼ぶが、口に出して呼べとなると、この世界で魔法を唱えろというレベルのミッション・インポッシブル。俺にめぐり先輩のような癒しの魔法は唱えられないし、一色のように
「いいよね?」
返答のない俺に最後通告のような圧を込める一押しを放ってきた。
ぐ……まだだ、まだ終わらんよ!
あれだけ派手に
「百歩譲って、長いものを略すのは効率的だと言えなくもないですが、いま例に挙げたタイトルはあくまでラノベであってこのスタイルをそのまま人名に対して用いるのは些か乱暴ではないかと思うのですよ?」
一色の振り芸が乗り移ったかの如き早口で一気に捲し立てる。
めぐり先輩は目を丸くして「お、おぅ……」とでも返答しそうなご様子。
「で、でもね比企谷くん、人の名前でも愛称で呼ぶときは本名より短く略すことってあるんじゃないかなー?」
正論だ。が、気持ちを強く持て。ここで押されるな。下がれば一気に持ってかれるぞ! 一体何と戦ってるんだよ俺。
「確かにそういうケースもありますが、そうでないケースもあります。むしろ俺の周りではそうでないケースが多いですよ。例えば妹が呼ぶ「お兄ちゃん」ですが、よく「ゴミいちゃん」という愛称で呼ばれます。両方六文字ですよね?」
「そ、そうだね」
それって蔑称でしょ、とツッコまないめぐり先輩の優しさが滲みる。
「由比ヶ浜は俺のことを「ヒッキー」と呼びます。比企谷と同じく四文字です。どうです? これって別に略されてないですよね?」
「う、うん」
それも蔑称だよね、ってツッコまないめぐり先輩(以下略)。
ポム・スフレのように中身のないこの説得が今のめぐり先輩に通用するだろうか。冷静に聞くと、だからどうした? と一蹴されてもおかしくない。さっきから駄々っ子モード(初めて見る)に入ってるし。
「でも比企谷くんの愛称が略されてないからって、私を呼ぶ文字数を減らさなくていい理由にはならないよね?」
駄々っ子でくるかと思ったら割と理路整然に反論してきたよ。
それにしても諦めないなこの人、しぶとすぎだろ。ダイハードシリーズのブルース・ウィルスかってくらいにしぶとい。この二人、つるりとした綺麗なおでこがきらりと眩しいという共通点もあるしな。むしろ、そこ以外全ての要素が真逆まである。
真面目な話、俺がこれから先の人生でめぐり先輩を何回呼ぶのだろうか。
俺達は文化祭でたまたま知り合い、奉仕部を通じてより理解を深めた。しかし、学年が上であるめぐり先輩は、今年でこの学校を卒業してしまう。
この間、連絡先の交換はしたが、俺の性格上、わざわざ自分から連絡などしないだろう。卒業して新しい環境に飛び込むめぐり先輩は俺達在校生よりも遥かに忙しく目まぐるしい日々を送り、過去を振り返る暇などない。
つまり、たとえ要望を叶えたとしても、卒業まで一ヶ月を切ったこの期間内でしか「めぐり先輩」と呼ぶ機会はないのだ。
一向に諦めてくれないめぐり先輩に嘆息しつつ、そう論理立てて説き伏せなければと重い口を開く。
「……いいですか? 一回呼ぶ毎に二文字短縮する効率と、こうして問答している文字数のどちらがより多くロスしているか比べるべくもないでしょう。その上、城廻先輩は来月卒業式ですから、俺が今後何回呼ぶかは想像に難くないですよね?」
「……………………え」
驚きの声と同時に表情が固まる。
まさかこの人、自分がもう卒業することに気づいていなかったのか?
先程までの抵抗が嘘のように軽く茫然とするめぐり先輩。このままあっさり説得出来てしまうのではないかという希望を抱き、畳みかける。
「だってそうでしょう。俺と城廻先輩の進路は違うし、この先の人生で交わる場面も想像出来な……い……っ」
「……………………」
視界に飛び込んできためぐり先輩の表情に思わず言葉が途切れた。
眉根を寄せ今にも泣き出しそうなそれは、文化祭の後に見せた暗い表情を遥かに超える。腕を掴む右手にきゅっと力が込められた。まるで言外に何かを訴えている行為のように。
俺達二人を支配する沈黙の間隙をつくように、かつんかつんというヒーターの音が耳に滑り込んでくる。音があることで、より静寂を意識してしまう不思議さに思考を奪われ、いつしか熱に浮かされたようにぼんやりとしてしまう。
自然とただ見つめ合っているだけの状態が続くと、めぐり先輩の表情が幾分落ち着いてきたように見えた。
脳が再起動し、俺達は一体何をしていたんだという疑問が浮かんで、ようやく正気へと戻る。
「え、えっと……」
めぐり先輩の表情に意識を奪われ、記憶も奪われてしまったのか、どこまで話したのか認知障害と名の付くレベルの物忘れを発揮してしまう。
上手く口が回ってくれず困っていると、助け舟を差し出すように微笑み、言葉にならない会話のバトンを引き取ってくれた。
「何が起こるかなんて、先のことは誰にも分らないよー」
打って変わって明るさを取り戻しためぐり先輩に、重かった俺の口調も軽やかになる。
「いや、城廻先輩が卒業することは誰だって分かるでしょう」
「分からないよ? もしかしたら、今から留年するかもしれないもん!」
異常なまでに困難な未来を力強く示唆するめぐり先輩に戦々恐々としてしまう。
指定大学推薦が決まっており、現在自由登校の時期にどうやったら留年する分岐ルートが発生するのか。これで卒業出来ない未来を引くには、留年ではなく退学の方がよほど手っ取り早い。
「留年したら比企谷くんと一緒のクラスになれるかもしれないし」
留年したらその可能性は少なくないかもしれない。文実の時、めぐり先輩の文理選択は文系だと傍聞きしたからな。ただ、
「比企谷くんが私と同じ大学に進学するかもしれないし」
めぐり先輩が今から留年するよりは可能性がありそうだ。先輩の進学先知らんけど。
「もしかしたら私達がこの先、付き合ったりするかもしれないし……」
そっかー、そうなったら確かに「めぐり先輩」と呼ぶ機会は爆増するよなー。
同じ大学に進学出来なかったとしても、最低週一くらいの頻度では会いそうだし、週10回くらいはめぐり先輩って呼ぶかもしれない。いや、電話とか毎日しちゃうスタイルだったそれ以上だよなー。
付き合っていけば当然、将来一緒になる可能性も出てくる。あれ? そうなるとそもそも「城廻」って無くなっちゃうんじゃね? めぐりと呼ぶことを義務付けられた、どうも比企谷です。いやいや、その時はめぐり先輩も比企谷だから……。おっと、危うく妄想の中で金婚式を迎えるところだったぜ。
そんな長い長い妄想の果てに、ふと出発地点の記憶を辿ると、とんでもない発言があったことに気がついた。
――ん? 今この人、なんてった?
「ん? めぐり先輩、今なんて言いました?」
「‼ あ、わわわ、えと、えと…………ん? 比企谷くん、今なんて言ったの?」
俺がスタンド使いであれば「質問を質問で返すなぁー!」と怒り狂い、手だけ残して爆殺しているところだが、めぐり先輩はラッキーだった。比企谷八幡は静かに暮らしたい……吉良吉影と全く同じスタンスであるが、スタンドは使えないからな。
もし使えたら、手ではなくオデコを残して爆殺していたかもしれない。やだ、なにそれ、手を残すよりグロい話になってるじゃないですかー。
ともあれ、俺は吉良吉影ではないのでめぐり先輩の疑問に答えるべく、指摘された発言を顧みる。
…………
…………
…………
――ん? 『めぐり先輩』 今なんて言いました?――
……あれ、これ言ってますやん。
かなり恥ずかしい、というかそれ口にしたら負けでしょっていう禁を犯していた。ジャッジメントチェーンを仕込まれてたら心臓が握りつぶされているところだった。危ない危ない。
ギリギリセーフ風を装っているが、もう口に出してるので完全にアウトだった。
あれだけ宥め
その原因は、質疑するまでもなく聞こえていたし覚えている。俺の耳に異常がないかの診断も含めた質疑であり、それくらい衝撃的で望外な発言だった。
もう一度、同じ問いをめぐり先輩に向けてみる。
「…………何て言ったのか、もう一度言ってみてくれませんか?」
めぐり先輩は一瞬たじろいだが、胸に左手を当て(右腕はしっかりと俺の腕を拘束中)大きく深呼吸すると平静を取り戻した。
「……私たちが、もし付き合うことになったら、城廻先輩って呼ぶのは変でしょ?」
当たり前のことであるかのように答えるめぐり先輩の表情は酷く穏やかだった。あまりの明朗さに、こちらの方が気後れしてしまう。心臓が早鐘を打つのが分かる。
どうしてこの人はなんの気なく男子の心を揺さぶりにくるのか。川崎家での「はーちゃん、大好き!」って悪戯も忘れてないぞ、ちくしょう!
「そういう無邪気で悪意のない言動が多くの男子を勘違いさせ、結果、死地へと送り込むことになるんですよ?」
「? 死地って?」
やべ、口に出てた。
「と、とにかく、城廻先輩は呼びにくくないんで大丈夫です」
「呼びにくいよぉ……」
お互い一歩も引かず、振り出しに戻る。
一体何と戦ってんだよ状態に些かじりじりとしてきた俺は、ふと始まりまで時を遡る。状況を打破できないかと見失っていた目的を探す為に。
俺、ここに何しに来たんだっけ。
そうだ、昼飯食いに来たんだった。
「城廻先輩、そろそろお昼食べないと時間なくなっちゃいますよ?」
「えっ、あー! そーだった!」
慌てた様子で包みを開ける。流石に片手では巾着を解きにくいのか、ようやく、ようやく! 腕を離してくれた。
俺の分であろう大きい方の弁当箱を両手で持ち、向かい合って座る。それを差し出してくれるだろうという期待を見事に裏切って、めぐり先輩はこう切り出してきた。
「…………これ……めぐりって呼んでくれたら、食べさせてあげる!」
…………このやりとり、まだ続くようです。
もう勘弁してくれ……。
つづく