サキサキのバレンタインは色々まちがっている。 作:なごみムナカタ
《 Side Saki 》
いつもなら帰りのSHR終わりを号砲に下校するあたしだけど、この日はぼんやりと窓の外を眺めていた。
いや、こうして頬杖を突きながら外を眺めるのもいつも通りではあるんだけど、今日はいつにも増してペシミストぶってる。
良いことがあったのに、どうしても素直に喜べないのだ。
理由は簡単。同じくらい悪いこともあったから。
そういえば、昨日電話で話して以降、比企谷とまともに喋ってなかった。それも悪いことの一つに入るだろう。
窓の外から教室へ目を向けると、部活に行く者、下校する者は既になく、放課後に友達とお喋りを楽しむ暇人達のみが残っていた。
くだらない。
どうして今しかない大切な時間をそんな無駄に浪費できるのか。自然と表情が険しくなる。
いや、時間の使い方は人それぞれだ。あたしがとやかく言うことじゃない。
悪いことの一つを払拭しようと再び教室内を見渡すも、当然のようにいなかった。
そういえば、あいつも部活をやってたっけ。
あたしとあいつを繋いでくれた部活を、一瞬であっても失念するなど惚けていた証左だろう。
今日は帰ったら夕飯を作るくらいで予備校も京華の迎えもないけど、用のない教室にこれ以上留まる理由もない。
ようやく教室を出たあたしはゆったりと下校する。
下駄箱から自分の靴を出し、無造作に放った。京華に真似でもされると困るので、家では絶対に出来ないけど。実はちょっとした発散の為、無意識にしてしまったのかもしれない。
比企谷の下駄箱につい目が行く。この中に誰の物とも知れぬチョコが入っていたのが随分と昔に感じられた。
駐輪場で回収した自転車を押しながら、買い物が必要だったかどうか思い浮かべる。とはいえ、ここ数日は風邪で寝込んでいた為、うちの冷蔵庫の中身は比企谷の妹の方が熟知していそうだった。
失敗したなと項垂れていると、よく知った人物が下校する姿を発見した。
自転車を押す比企谷と隣を歩く一色。
あたしも追従して遠らかに後を付いていく。
バレンタインの日を焼き直すような光景。
今日もあいつは誰かと一緒だった。
その光景は、昼休みに生徒会室へ足を運んだあたしを嘲笑うかのようで、何となく居心地が悪い。
× × ×
――それはほんの三時間前。
生徒会室を訪れたあたしに起きた出来事。
肩を押されたあたしは、まるで連行されるようにひと気のない屋上へ辿り着いた。ヒーターの効いた教室や生徒会室と違ってやっぱり寒い。
発端となった城廻先輩は、あたしには一生真似できないであろう笑顔でほんわかと話し掛けてきた。
『あはは、なんか無理矢理連れてきちゃってごめんねー』
『いえ、あたしの方こそ……会いに来といてやっぱりいいとか変な態度とっちゃって、その……すいません』
『そこが気になっちゃって逆に連れ出しちゃったんだけど、差し障りがなかったら教えてくれないかな?』
『…………あー……えっと……』
普段のあたしからは想像もつかないほど歯切れの悪い反応に、自分自身戸惑ってしまう。
城廻先輩の要求に応じたくないわけではないが、一度翻意したことを穿られる決まりの悪さに困惑しているのと、口にするのが憚られる理由もあったからである。
当初あたしが生徒会室を訪れたのは城廻先輩に伝えたいことがあったからだ。
城廻先輩が悪評を信じていない上で比企谷を讒言していると母さんは言っていた。もしもその逆、比企谷の悪評を真に受けていたとしたら……。
あたしはそれを正しにここへ来たのだ。
しかし、比企谷が生徒会室に居る時点でその必要はなくなった。
生徒会室で一緒に昼食など凡そ比企谷らしからぬ行動に、城廻先輩から発案されたのだと想像がついた。その行動は比企谷が文化祭で見せた挙措の真相に辿り着いたことを意味する。つまり、母さんの見立ては間違っていなかったのだ。
さて、状況を鑑みると既に満足する結果を得ていたあたしは、これ以上この件に触れることなく比企谷達から離れたかった。だが、それを城廻先輩に阻まれ答えに窮している。
なんせ、”あなたが母さんに伝えたのは虚妄であった”と非難するようなもので、口にするのが躊躇われたからだ。
だが、考えてみればあたしは先輩が悪評を信じていようがいまいが、始めからどちらでも構わなかった。むしろ、城廻先輩の思惑に乗って目的を果たすべきだ。
『……うちの母が城廻先輩を車で送った時、話したことについて……なんですけど』
『……!』
一瞬だけど先輩に緊張が走ったのが分かる。この感じだと、やはり作為あっての虚説であると確信できた。少なからず落胆するが、この虚説が母さんの言うあたしを牽制する為のものなら、それだけ比企谷に固執している証明でもある。なら、自分の感情よりも、あいつの為に出来ることを優先しよう。
あたしは城廻先輩が風評に踊らされているスタンスで話を続けた。
『文化祭の噂話はただの逆恨みでほとんどが虚言だったって話、信じてくれますか?』
『え……』
真に迫ったその驚き様は演技に見えず、内心こちらが驚いてしまう。
もしかしたら、この人は本当に噂を信じていたのかもしれない。真実を知ることによって虚聞を流したと自覚させられ、こんな反応をしたのではないか。
どちらでも構わないとは言ったものの、出来ればそうであって欲しいとどこかで願ってしまう。
ただ噂を鵜呑みにしてしまっただけの、純粋で素直な城廻先輩……。
そういう人物であった方が、あたしも心から頼ることができるからだ。
昨日、喫茶店で比企谷から聞いた事実――比企谷視点での文化祭の顛末――を城廻先輩に説明した。
あいつの性格から口外されることを嫌がるのは分かっている。だが、口止めされていたのは大志としていた山談義。それにむやみやたら触れ回るわけではないのだ。必要な場面、必要な人物に対してはやむなしだろう。今がそうだと感じた。
あたしはなるべく事実のみを伝え、城廻先輩を変に刺激しないよう細心の注意を払う。先輩は途中で口を挟むことはせず、真剣な表情で話を聞き続けた。
『……そうなんだ』
信じていたことと真逆に近い事実を聞かされ、揺るがぬ人間はいないだろう。話す度にどんどん消沈していくのが分かる。
それにしても、比企谷から聞いたことだと前置きはしたけど、こうも容易くあたしの言葉を信じてくる純真さに驚く。
やはりというか、この人は噂を信じてしまっていただけのようだ。比企谷本人が否定しなかったし、彼女の人柄では誤解する方が自然だったのかもしれない。
『だから…………っ!』
『……そう、なんだ……』
あたしの言葉は力ない声音によって遮られる。悔悟の念がそうさせているのか、声の主は俯き小刻みに震えていた。
――いけない、こんなつまらないすれ違いで先輩が持つ光を消しては……。
その光とは朗らかでほんわかとした、周りに幸せと安らぎを与えるあたしにはない笑顔。
きっと、あいつの疑心を解くのに必要で、いまそれを失うわけにはいかない。
『……えっと、その……』
こうなるともう罪悪感を意識させずに励ますのは無理だろう。とにかく城廻先輩の気持ちを少しでも軽くする。その一点を優先すべきだ。
『……これは、誤解を解かない比企谷に原因があるからで……気にしないでいいと、思います……』
『…………』
無言で俯いたままの先輩からは感情が読み取れない。気遣いを込めた内容でも、捉え方によっては皮肉めいて聞こえそうだ。
余計気にさせてしまったかもしれないけど、何を置いてもこれだけは言っておかねばならなかった。
『……だから、比企谷に』
――寄り添ってあげて欲しい。
そう城廻先輩に伝えようとして言葉に詰まってしまう。まるで口が自由を奪われたように声を発することが出来なくなっていた。
それに引き替え、言葉の続きを待つ城廻先輩は徐々に立ち直りつつあり、あたしをじっと見つめる。
『…………』
自分が一体どんな顔をしていたのか、城廻先輩にはどう見えていたのか、あたしには知る術がなかった。
やがて、あたしから次の言葉が期待できないと察すると、眩しい笑顔が向けられた。
城廻先輩らしく、穏便な会話の打ち切り方である。
× × ×
これが今日あった”良いこと”である。更に言えば、今その比企谷が後輩女子と一緒に歩いていることも”良いこと”に分類されるだろう。
あいつを憎からずどころか告白までしたあたしからすれば、到底そうとは言えない内容であるだけに、複雑な気持ちになる。迷いを振り切るように自転車に跨り、二人とは別の道から帰路へ着く。
あの時、どうして言葉が出なかったのかが分かった。
《 Side Hachiman 》
寒空の下、なぜか自転車を押して歩く俺がいる。この自転車に跨り本来の性能を引き出してやれば、今の十倍は早く帰れるであろう。そうしないのは、隣を歩いている後輩のせいだ。
登校時の小町よろしく、後ろに乗せてやればと思えなくもないが、生憎後部座席(ただの荷台)は小町専用で一色が乗るには凡そ14年は早い。
いや、単純に【小町との付き合い年数】-【一色との知り合い年数】=凡そ14年としたが、これでは小町が苦節15年で俺の後部座席に座る資格を得たようではないか。実務経験15年とか『比企谷八幡の妹』という職種が如何に困難な専門業種であるかが窺えた。
24時間同じ屋根の下、兄の世話(老後込み)をしながら寝食を共にする15年。
この労働でインセンティブが『自転車での二人乗りによる学校への送迎(送りのみ迎えなし)頻度は応相談』というやばさ。マスターアップ直前のゲーム会社も裸足で逃げ出すブラックな職場である。
――閑話休題。
そもそも、こいつはどうして一緒に帰ろうなどと言い出したのだろう。
仕事を手伝わせる気があったのなら、たとえ奉仕部が休みであっても俺に直接頼むはずだ。というか、俺だけのが扱いやすいとは本人の弁でもある。
それをしないということは他に目的があったのか。相変わらず、俺にとって一色いろははよく分からない後輩である。
頭の中で一色の思惑を戦わせていると、長い長い沈黙が打ち破られた。
「……あの後、川崎先輩とは話しましたか?」
出し抜けに掛けられた言葉に強烈な違和感を抱く。
これが雪ノ下や由比ヶ浜の名前ならまだ分かるが、川崎と関係の薄い一色の口から出たのだから、異質さも分かろうというものだ。
「……なんのことだ?」
あまりにも突飛な発言のせいで頭が回らず、意図を探るより出方を待つことしか出来なかった。
「いえ、なんとなく。お昼休みに川崎先輩が来た時、なんか余所余所しかったので。先輩が居るのに気づいたなら話くらいするかなと思いましたけど、それもなかったし」
一色が知るはずのない俺と川崎の関係性。それを匂わすような分析にどきりとさせられた。
こいつ、まさか俺が告白されたことを知っている?
いや、昨日川崎と二人でいるところに出くわしているし、由比ヶ浜も来ることを話していなかった。川崎と二人きりで映画を観たと誤解され、この発想に至ったと考えるのが自然だろう。
「……言っとくが、昨日は別に川崎と二人きりだったわけじゃないからな。由比ヶ浜も一緒だったし」
「なに的外れな返ししてんですか。それに結衣先輩と一緒だったことくらい知ってましたし」
は? 知ってた? 待って。それ俺知らない。
「ちょっと待て。知ってたならその質問自体が出てこないだろ」
「なんでですか?」
「なんでって……」
一色は当然のように疑問を投げかけるが、心配の原因は俺と川崎を男女の仲と誤解してたからだ。映画に由比ヶ浜も帯同したと知っているなら、その疑いはなくなり前提が崩れる。
そんな情状を伝えようとすると、想定外の言葉で遮られた。
「そりゃ、カップル割で映画観た二人がギクシャクしてたら気にもなります」
ひと際大きな脈動と同時に、ヒュッと内臓がせり上がる感覚。身体は石のように硬直し歩みが止まる。
並んで歩いていたはずの俺が視界から消えたことに気づき、一色は振り返った。
「……見てたのか」
動揺を隠せず誤魔化し切れないと判断した俺は、らしくもなく素直に応じた。
いや、この『カップル割』という言葉で観念させられたのだ。これは、相模達が気づけなかった川崎の演技を、一色が見抜いたことを意味する。
「まあ、わたしもあの場にいましたし。結構、っていうかすんごく衆目引いてましたんで、見ない方がレアですよ」
あきれ顔で状況説明されてしまった。ごめんね、バカップルみたいな痴態で精神汚染しちゃって。
再び歩き出した一色は、前を向いたまま続けた。
「……それで、先輩はどうするつもりなのかなって」
「どうするって……」
また様々な意味を含んでいそうな言葉で、返答に窮してしまう。
再び歩き出して横並びになると、一色はこちらを見据えて立ち止まった。
「……女の子があそこまでするのがどういう意味か、いくら先輩でも分からないわけないですよね」
一色の言いたいことはよく分かる。その意味を、気持ちを、他ならぬ川崎の口から聞かされていたのだから。だが、その前にカップル割を由比ヶ浜に勧めて疑念を抱かせたのも、他ならぬ川崎であった。
過去を紐解くと、急速に気持ちが冷め、ぶっきらぼうに結論だけを口にする。
「……ただの演技だろ。お芝居だよ」
わざわざ事情を話す必要はないと判断し、仔細を伏せたが、その言葉は思ったより胸を締め付けた。
この苦しみは、俺がまた希望を抱いていたと自覚させるものだ。
もう期待しないと決めたはずなのに、釣り合わないと自ら拒絶したくせに、どこまでも卑しく、未練がましい。
自戒の念に苛まれていると、一色が深いため息を吐きながらゴミを見る目で語りかけてきた。
「……クズだクズだとは思ってましたが、さすがにクズ過ぎません?」
「お、おう……」
俺の中に渦巻く自己嫌悪が、清々しいまでの
「いいですか、先輩」
呆れ顔で俺を見据える一色。
ゆっくりと、子供に言い聞かせるような口調で諭してきた。その声音は表情と不釣り合いなくらい真剣で、こちらの身も引き締まる。
「女の子の唇は、安くないんですよ」
「……っ」
それは、カップル割を演技と断ずる俺の言葉を否定するもの。俺自身、昨日から何度も川崎の行動について考えていたことである。
彼女が向けてくれた感情は、俺にとって理解することが困難な類いのもので、時には猜疑心を生み出すまで悩み抜いた。
あまりに辻褄の合わない行動に、川崎が向けてくれた感情をも疑い始めたが、それに待ったを掛けたのが一色の言葉である。
――演技で唇を捧げるなど有り得ない。
同じ女子の口から聞かされたその言葉には重みがあった。
胸のつかえが取れた気がしたが、それも束の間、一色は新たに煩悶させてくる。
「……だから、ちゃんとしてください」
真っ直ぐに俺を見据えて言い放つ。
川崎に対して、ということなのだろうが、あえて暈すような言い方に、別の意図も込められているように聞こえた。
以降、別れるまで互いに一言もしゃべることはなかった。
× × ×
一色の言葉で川崎への疑念が晴れた俺は、別の部分に焦点を当てることが出来るようになった。
川崎の感情に疑いがないとなると、目を向けるべきは由比ヶ浜に譲った行動の方である。前はそこが不可解であるが故、川崎の好意の方を疑ってしまったわけだが、ここがブレなければカップル割を譲った理由にだけ注思すればいい。
(ま、これが難問なんだけどな)
易々と答えが出るなら、最初から川崎の好意に疑いを持ったりしないし、こんなにも悩んでいない。
懊悩していると知らぬうちに、家へ到着していた。
「……ただいま」
いつもなら小町のお帰りが迎えてくるはずだが、リビングから声はなかった。朝の感じから、よもや戦争へと変遷しないだろうが油断はできない。あれで思春期だし、今までも幾度となく小町の逆切れから、降伏を余儀なくされたのも事実である。
リビングへ行くと、テーブルの上に初めて見るであろう豪華な焼肉弁当とメモ書きが置いてあった。店のロゴから察するに、弁当屋の物ではなく、焼肉店のテイクアウト品だ。わざわざ買ってきたのだろうか。
『塾の友達と食べに行くので、お兄ちゃんはこれ食べてね☆』
書き置きの通り、どうやら小町はまだ帰って来ていないようだ。
この弁当がご機嫌取りのつもりなら、陽乃さんに情報を漏らしたことに対して、一応罪悪感は感じているのが窺える。
既に何人かに知られ、一色には自ら口にするくらい価値が薄れてしまったチョコ情報。一日経って冷静になった今、この弁当で手打ちにしてもいいとさえ思っていた。
しかし、妹の理不尽を受け入れ、無かったことにする。本当にそれでいいのだろうか。
こんな幼子のような甘えを残したまま高校生になることが、小町にとっていいことなのかと気懸かりでならない。その考えの甘さから対人関係でトラブルを起こさないとも限らず、間違ったことを正してやるのも兄の務めである。
今までは去年の喧嘩も含め、全て俺から頭を下げてきたが、今回は心を鬼にして小町から謝ってくるのを待つ。
この焼肉弁当に手を付けないことで、その可能性は高まるかもしれないが、あまりにも酷なお預けである。
つづく