自称嫁が押しかけてくる話。

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一人称視点の練習。


可愛い嫁とイチャイチャしたいだけの人生だった

「『可愛い嫁とイチャイチャしたいだけの人生だった』と」

 

 ラノベを読み終えてスマホを手に取り、アプリを起動。

 フリック入力でSNSに書きこんだらスリープモードへ。

 俺がさっきまで読んでいたラノベはちょうど最終巻で、主人公とヒロインが結ばれて終わったところだった。

 一巻で運命的な出会いを果たした可愛いヒロインを嫁にしたのだ、主人公君は。

 主人公の飼ってた犬がラスボスだったのには度胆を抜かれたが、困難を乗り越えた彼にはヒロインと幸せになる資格があると思う。

 それはともかく、俺も可愛い嫁とイチャイチャしたいなぁなんておもったり。

 SNSなんてどうでもいい事を書きこむ場所だし、その衝動をぶつけてもよかろ。

 ふと壁にかかった時計に目を向けると、短い方の針が十一を、長い針が六手前を指していた。

 

 そういえばちょっと腹が減ったし、そろそろ昼飯にするかな。

 よっこいせと立ち上がったところでピンポーンと音が鳴る。

 さっきのはチャイムの音だけど、なんだろう。ネットで何か買った覚えはないんだけど。

 今日日はインターネットさえあれば、家から出なくても買い物が出来る。ものぐさな俺からしたら非常にありがたい。最新技術バンザイである。

 技術の進歩を賛美しているともう一度ピンポーンと鳴らされてしまった。

 集金とか宗教の勧誘だったら嫌だなーと思いつつ、玄関のドアノブに手をかける。

 インターホン? ねぇよそんなもん。こちらとら貧乏アパート暮らしじゃぞ。

 掴んだドアノブを捻って開けると、ピンポンを二回鳴らした主の姿が見えた。

 

 肩にかからないくらいの黒い髪の毛。若干カールしてて癖毛ぽい。

 目はパッチリしててクリクリしてる。

 白い服は胸の部分が盛り上がっていて女性だと判断できる。

 下にはいているのはふりふりしてる赤いミニスカート。

 背は俺よりも頭二つ分くらい小さい。歳は高校生か大学生といったところだろうか。

 

「……どなたですか?」

 

 思わず聞いちゃったけど、そもそも知り合いじゃないし。どうしてこんな女の子がこんな貧乏アパートの俺の部屋を訪ねてくるんだ。

 俺が出てきたことが嬉しいのかパッと表情を輝かせた女の子は、待ってましたとばかりに口を開く。

 

「初めまして! あなたの嫁です! 結婚してください!」

 

「は?」

 

 なんか意味が分からないことを言われたぞ。

『初めまして!』これはわかる。初対面だし。

『あなたの嫁です!』意味が分からない。俺独身だし。なんで二ワード目から意味不明なの? 初めましてって言ってるじゃん。初対面じゃん。

『結婚してください!』なんで初対面でプロポーズされてるの? おかしいよね? そもそも一つ前の『あなたの嫁です!』と矛盾してない? 嫁ならプロポーズしないよね? プロポーズしてるなら嫁じゃないじゃん。

 

「失礼ですがどなたですか?」

 

「だからーあなたの嫁だって言ってるじゃないですかー」

 

「あなたを嫁にした覚えはないのですが」

 

「覚えがなくても嫁は嫁ですよ! それよりいつまでお嫁さんを外で待たせてる気ですか? 中に入れてくださいよ」

 

 だめだ言葉が通じない……。

 というか無理やり中に押し入ろうとしないでくれません?? 

 一国一城の主としてこの先に入れるわけには……痛い痛いやめて! 力つよっ!? 

 

 

 

「お邪魔しまーす。へぇ……ここが今日から私たちの家になるんですねー」

 

 強引に押し入った不審者は部屋を見渡してのたまう。

 女の子の細腕に負けた敗北者俺は床に手をついてゼーゼー言っていた。

 俺が軟弱なんじゃないやい! あの女の子がつよいだけなんだい! 

 ん? 今さっき聞き逃してはいけない言葉が聞こえたような。

 

「私たちの家?」

 

「そうですよー! 夫婦なんだから一緒に暮らすに決まってるじゃないですかー。やだなーもー」

 

「そもそもいつから夫婦になったというんだ」

 

「今日からですよ今日から。今日からこの愛の巣で新婚生活が始まるんです!」

 

「いろいろと意味わからないけど……なんで君は俺と結婚とかって言ってるの?」

 

「ああ、それですか。それはですねー電波をこう……ビビッと受信したんですよ」

 

「電波??」

 

 ようやく質問の答えが返ってきたと思ったら電波と来ましたか。電波ガールかな? 

 

「そうそう、可愛い嫁とイチャイチャしたいって電波を受信したんですよ」

 

 んー? どこかで聞いたような……さっきSNSにそんなことを書きこんだ覚えがある。

 じゃあ目の前の電波ガールは4G回線を受信した比喩じゃない電波ガールなのか。

 

「で? それで? 4G回線を受信してどうしたんだ?」

 

「え? それだけですけど?」

 

「えっ」

 

「だから可愛い嫁とイチャイチャしたいって受信したから、ここまで結婚しに来たんじゃないですか」

 

 理由と行動が結びつかない!! 

 

「意味がわからない……それを受信したからってどうして結婚することになるんだ? 君はそんな理由で結婚していいのか?」

 

「よくなかったらきてませんよぅ」

 

「それはそうかもしれないけど……お互いのこととか全然知らないし」

 

「お互いのことですかー? そうだ、私の名前をまだ言ってなかったですね。私は豺ア縺阪↓貍ゅ≧荳�愍っていいます!」

 

 ……なんて? 何語だよ。日本語で名乗ってくれませんかねぇ。

 

「え? 名前聞き取れなかったんだけど」

 

「だからー、豺ア縺阪↓貍ゅ≧荳�愍です」

 

「いや意味わからん」

 

「こんな下位世界じゃ名乗りすらできませんかー。私が尊過ぎますからねー。しょうがないので、ナナちゃんとでも呼んでくださいな」

 

「ナナちゃん、名前は分かったけどさ、まだお互い出会ったばかりじゃない? 結婚とか早いとおもうよ俺は」

 

 付き合った後にデートとかしてさ、ちょっとずつ距離とか縮めてさ。

 そういう甘酸っぱい感じのわかるだろ? 

 

「ああー。知り合ってからの期間とか気にしてます? 心配いりませんよ。私はずっと昔からあなたのこと知ってますし」

 

 え? 俺はナナちゃんのこと知らねぇよ? 初対面だよね? 昔どっかであったことあるとか? 

 はっ、そうかこれは今は憶えてない幼馴染的な感じの……! 

 

「昔っていつぐらいから? 幼稚園の時とか?」

 

「あなたが生まれる前からですよ。あなたがお母さんのおなかの中にいるときからずっと見てましたからねー」

 

 こわっ! 思ったよりずっと昔なんだけども!? 何!? 胎児の頃から見られてるの? ストーカーってレベルじゃねぇぞ! 

 押しかけてきた自称嫁に愛されすぎて夜しか眠れないわ。

 

「ナナちゃんは何故か俺のこと知ってるみたいだけど、俺はナナちゃんのこと今日初めて知ったし、好きではないんだ。だから結婚は出来ない」

 

「もーめんどくさい人ですねー。仕方ありません。ほんとはやりたくなかったんですけど……」

 

 ナナちゃんは肩をすくめてやれやれと顔を横に振る。

 ちょっとうざい動作も可愛い女の子がやるとサマになるからずるい。

 言動はおかしいけど見た目は間違いなく可愛いんだよな、とナナちゃんの顔を眺めていると、彼女は右手を上げて人差し指を俺に向けた。

 その指先がぽわっと光を放つ。どうなってるのこれ? どんな手品で……うっ。

 

 

 

「……今のはなんだったんだ?」

 

 一瞬意識が飛んだような感じがしたんだけどなんだったんだろうか。

 周りも見ても特に変わりはないいつもの俺の部屋だ。

 目の前にはニコニコと笑っているナナちゃんがいるのも変わらず。

 

「どうですかねー? 何か変わりありますー?」

 

「いや特に何も……」

 

「そですか。ではでは……私のことどう思ってますか? 好きですか?」

 

「可愛いと思うし、好きだよ」

 

 ナナちゃんの見た目が可愛いのは相変わらずだけど、何故かナナちゃんがさっきよりも可愛く思える。見てるとドキドキするというか……会ったばかりなのにずっと前から一緒にいるかのような安心感があるというか。

 この部屋にナナちゃんがいることにも違和感を感じない。

 もしや……やっぱりナナちゃんは遠き日の幼馴染なのでは!? 

 

「そうですよね! 私の事好きですよね! これはもう結婚するしかないですよね!」

 

 そう言って顔をぐいと近づけてくるナナちゃん。

 やめて! 女の子に顔近づけられると恥ずかしいから! ドキドキしちゃうじゃん! 

 それにしても綺麗な顔してる。こうやって間近で見るとよくわかる。芸術品みたいに綺麗に整っていて、人形の様。

 こんな可愛い女の子に結婚してほしいって言われて悪い気はしない。

 

「まずは恋人から……」

 

 でもいきなり結婚は早すぎると思う。

 やっぱりまずは交際からだよな! 

 

「……婚約者ということで手を打ちましょう」

 

 俺に顔を近づけたままのナナちゃんは少し残念そうだ。

 でもただの恋人では納得できないらしく婚約者という妥協案を俺に突きつける。

 婚約者からならいいかな。世には許嫁とかもあると聞くし、婚約者から始まる関係もあるんだろう。

 

「それじゃあ、婚約者ということでお願いします」

 

「ふふふー。では無事婚約者になったところで、イチャイチャしましょう!」

 

 俺がナナちゃんに頭を下げると、彼女はバッと両手を広げる。

 そしてそのまま両目を瞑った。

 

「え? 何?」

 

「何ってハグですよハグ! さあ! イチャイチャカモン! ラブラブカモン!」

 

 両手を広げたまま、さあさあと促すナナちゃん。

 その姿からは恥じらいと言うものは一切感じられない。

 こっちは恥ずかしいんですけど!! 

 緊張からゴクリとつばを飲み込んでさっき婚約者になった女の子に近づいていく。

 五月蠅い心臓の音をなるべく気にしないようにして──ナナちゃんに抱きついた。

 服越しに伝わる感触が柔らかく、温かい体温は心地いい。

 この華奢な身体のどこに俺を押し退けた力があるのか不思議だ。

 

「ほぉー! これがハグ! イチャイチャの一種として有名なあのハグ! いいですねー!」

 

 俺を抱きしめ返したナナちゃんは興奮気味だ。

 この娘がどうして俺のことが好きなのかよくわからないし、なんで俺にハグされて喜んでいるかもさっぱりわからないけど。

 でもこうやってるとそれでもいいかなって思ってしまっている俺がいた。

 

「ほら、もっと強く! もっと強く抱きしめて下さい!」

 

 婚約者からの注文が来たから抱きしめる腕の力を少し強くする。

 

「ふぉぉぉぉおおおお! いいですよ! ビバ・イチャイチャ!」

 

 ただナナちゃんの言動は意味が分からない。

 

 

 

 俺が腕を離しても話そうとしないナナちゃんからようやく解放されてすこし離れる。

 

「いやー最高でしたね! ハグ!」

 

「悪くは無かったな」

 

 むしろ最高だったけどね。ナナちゃんに完全同意だけども、それ言ったらこいつ調子に乗りそうだし。

 

「もー! 素直じゃないですねー! このこのー!」

 

 肘で俺の胸をつついてくるナナちゃんがちょっとうざい。

 可愛いけど。これがうざかわいいってやつか。

 

「さて、イチャイチャしたところで……結婚しましょう!」

 

 え!? 早いよ!? まだハグしただけだよね!? 

 

「いやいや早くない? イチャイチャっていろいろあるんだからさ……」

 

「ほーう? たとえば?」

 

「デートとかさ、どう?」

 

 カップルがすることと言えばやっぱりデートだろう。

 一緒にショッピングとか、夕暮れの観覧車とか……いいよね! 

 

「おお! デート!! ま・さ・し・く!! イチャイチャ!! 読者が砂糖吐くくらいの甘々デートをしましょう!」

 

「え? 何? 読者?」

 

「さあさあ早く行きましょう! ハリー! ハリー!」

 

「ちょっと手引っ張るなよ! 痛いから! 痛いから!」

 

 ナナちゃんは本当に行動力あると思う。意味わからない理由で俺の家に来たこととか。

 あと力が強い。すごい力で俺の手を掴んで引っ張ってくる。

 早く行きたいのは分かったから手を離してほしいな!! 腕がもげちゃう!! 

 

 

 

 というわけで俺とナナちゃんがやってきたのは近くのショッピングモール。

 今日は休日なだけあって客足が多くてにぎやかだ。

 

「人間がずいぶんとたくさんいますねーへぇー」

 

 ナナちゃんは周りをキョロキョロと見渡して感心したように言う。

 ショッピングモールにはあまりきたことが無いのかな? 

 ショッピングモールと言えば個人的にはゾンビが思いつく。

 様々な専門店が並ぶショッピングモールは人間にとって必要なものが揃っていて、ゾンビが発生するパンデミック的な事態が起きた時に籠城するには最適だ。

 ゾンビ……ゾンビかー。今突然ゾンビが発生したらどうなるんだろうか。

 勿論ここに立てこもるんだろうけど。でもナナちゃんならゾンビをばったばったとなぎ倒しそうではある。力強いし。

 

「……どうしましたか?」

 

「ナナちゃんならゾンビとかぼこぼこにしそうだなって」

 

「ゾンビ? 何言ってるんですか」

 

「あ、冗談だよ」

 

 ナナちゃんが俺を見る目がちょっと冷たい。

 流石に女の子にゾンビ倒せそうとかいうのは失礼だよね。

 

「ゾンビ如き楽勝に決まってるじゃないですか。馬鹿にしないでくださいよ」

 

 あーそっちね。自分の実力を舐められたって思ってたわけね。ぼこぼこ程度じゃ済まないわけね。

 

「ゾンビなんかどうでもいいので! ショッピングしましょう! ショッピング!」

 

 まあそうだよね。ショッピングモールに来たんだからショッピングしないとね。

 

「ナナちゃんは何か欲しいものとかあったりする?」

 

「そですねー……指輪!」

 

「指輪」

 

「エンゲージリングプリーズ! 愛の証を! 愛の! 証を!! 下さい!!」

 

「うーん……服でもみにいこっか」

 

「無視ですか!? ひどいですよぉ……よよよ」

 

 どうしてショッピングモールにデートに来て指輪を買うことになるんですかねぇ。

 だいだいそんな金持ってるわけないでしょ!! 冗談もほどほどにしてほしい。

 このショッピングモールにジュエリーショップがあることはばれないようにしなきゃ……。

 ばれると絶対めんどくさい。

 

 

 

 専門店街にいくつも並ぶ服屋の中から、ナナちゃんが勘で選んだ店にやってきた。

 周囲にあるのは女性向けの服で、店自体の雰囲気もキャピキャピしている。男の俺はちょっと居心地が悪い。

 ナナちゃんは店員さんと一緒にどこかに行ってしまった。きっと服選んだり試着したりしているんだろう。

 つまり今は俺一人だけ! 他の客の目が痛い!! なんで男が一人でいるのって思われてるよ! やめて! 俺の心のライフはもうゼロよ! 

 

「あ、彼氏さん。彼女さんが試着中なので試着室の前に来られますか?」

 

 俺の豆腐ハートにグサグサと視線がささっているところにやって来たのはナナちゃんと何処かへ行った店員さん。

 心がハリネズミ豆腐となった俺には店員さんが救いの女神に見える。

 俺は女神の助けで針(視線)のむしろからようやく脱出したのだった。

 

 

 

 女神に連れてこられたのはカーテンが閉まった試着室の前。

 

「ナナさん、お連れしましたよ」

 

「わ、わかりました。……ちょっと緊張する……」

 

 後半は小声だったけどばっちり聞こえてましたよナナさん。

 ナナちゃんにも緊張することってあるんだな……俺もなんか緊張してきた。

 店員さんはニヤニヤしながらこっち見てる。

 なんかオモチャにされてない? 女神ではなく小悪魔じゃったか。

 そんなことを考えてるうちにナナちゃんのほうの決心がついたのか、カーテンが開いた。

 

「おお……」

 

 ナナちゃんが着ていたのは肩だしタイプの黒いワンピース。

 元々の素材がいいのもあるけど、黒い布地と白い肩が大人っぽさを醸し出している。

 

「ど、どう……ですか?」

 

 俺の家では恥じらいの欠片もなかったナナちゃんが身体を縮こませて、恥ずかしそうに上目づかいでこちらを見つめる。

 普段は言動のせいで色気とか全然感じないけど……これは素晴らしい! ダンケ! 

 店員さんに親指を立てて見せると彼女も親指を立てて返してきた。

 店員さんいい仕事するぅ! やっぱり女神じゃったか(手のひら返し)。

 

「ナナちゃん、似合ってるよ」

 

「そ、そうですか……えへへ」

 

 俺の返事を聞いて安心したようで、ナナちゃんは恥じらいを残しながらも嬉しそうに笑う。

 俺の婚約者が可愛すぎて辛い。

 

「彼氏さんメロメロみたいですよ。よかったですね、ナナさん」

 

「違います。彼氏じゃないです」

 

 プロの仕事をした店員さんが俺たちを微笑ましそうに見て声をかけた途端──ナナちゃんの声が抑揚のない声に変わった。

 

「え……? 彼氏じゃないんですか……?」

 

 ナナちゃんの変化に慌てて俺を見る店員さん。

 俺も状況がさっぱりわからんから頼りにしないでね! 

 

「彼氏じゃありません!! 婚約者です!! 私たちは結ばれることが決まっているんですよ!! 結婚する未来が確定しているんです!! そう、これは運命!! たかが彼氏彼女如きとは違うんですよ!!」

 

 突然意味わからないことを熱弁し始めたナナちゃんに店員さんが唖然としつつも、気圧されてこくこく頷いてる。

 色々と台無しだよ!! 

 

 

 

 店員さんにウチのがすいませんと謝り倒してから服屋を後にした。

 ナナちゃんが着てるのはあの黒いワンピース。

 露出してる肩がまぶしくてちょっと目に毒だ。

 ナナちゃんから目を逸らして色々な店が並ぶ通路を歩いていると、甘い香りが漂ってきて鼻孔をくすぐる。

 

「甘ったるい臭いがしますねー。あれは……アイスですって!」

 

 ナナちゃんが指差した方向にあったのは、甘い臭いの発生源であるアイスクリーム屋。

 目を輝かせて俺をチラチラ見てくるナナちゃんに苦笑いして、店の前に並んでいる列の最後尾に並ぶことにした。

 並んだはいいけど、ナナちゃんの好みまったくわからないや。

 適当に買っていこう。やっぱりここはシンプルにバニラで! 起源にして頂点ですぞ! 

 アイス屋の店員からバニラアイスを受け取ると、ナナちゃんは店の前にあるいくつかのテーブルの内の一つを取ってくれていた。

 やだ……出来る子! 

 

「場所はとっておきましたよー。ほぉー! これがアイス……」

 

「ん? アイス初めてなの?」

 

「そうなんですよー! なんで楽しみなんです。ささ、早く食べましょうよ!」

 

 今時アイス食べたことが無い子とかいるんだなぁ。ショッピングモールも初めてみたいだし、ナナちゃんって世間知らずなところがあると思う。

 どこぞのお嬢様とか特殊な環境で育ってきたのだろうか。

 俺がアイスをプラスチックのスプーンで掬うと、ナナちゃんが大きく口を開けた。

 

「ナナちゃん、どうしたの?」

 

「どうしたって……あーんですよあーん! 婚約者なんですから! 口の中に! アイスをイン!!」

 

 バカップルがよくやるあーんって食べさせ合うやつをナナちゃんはご所望のようだ。

 

「しょうがないなぁ……あーん」

 

「あーん」

 

 掬ったまま停止したアイスをナナちゃんの口の中に運ぶ。

 その時、ナナちゃんの口の中に丸いものが見えた。

 ちょうど喉の辺りに見えたそれは白くて、その表面に黒い丸が見える。

 それはまるで──。

 

「なに、これ……口の中に……眼……?」

 

 俺はおもわず呟いてしまった。

 ナナちゃんの口の中にあったのは眼球。

 それがキョロキョロと動いて俺と目が合う。

 俺の口からは声にならない、息のような悲鳴が出てスプーンを運ぶ手が止まってしまった。

 

「……形状が不安定でしたか。見られてしまっては仕方ないので……」

 

 ナナちゃんが俺に人さし指を向ける。

 そういえば、ナナちゃんはこのショッピングモールに来たときに言っていた。

『人間がずいぶんとたくさんいますねーへぇー』と。

 それはまるで自分は人間じゃないかのような言い方だった。

 もしかしたら彼女は人間じゃなくて、今まで言ってた意味が分からないことも全部本当で──。

 

「記憶改変、です」

 

 ナナちゃんの人差し指が光る。

 どこかでこの光景を見たことがあるような……うっ。

 

 

 

「ふふふー。晴れて夫婦になれましたね! ようやくですよ! ようやく嫁ですよ!」

 

 ショッピングモールから帰った俺はどんどん結婚式の準備を進めるナナちゃんに押されて、結局結婚することになった。

 ウェディングドレスを着た綺麗なナナちゃんと誓いの口づけを交わし、宝石店で買った結婚指輪を彼女の薬指にはめた。

 そのときの嬉しそうなナナちゃんの笑顔は印象的だ。

 もちろん、ナナちゃんと俺の両親との挨拶は済んでいる。

 ナナちゃんみたいな可愛い子を実家に連れて行った時の両親はたまげた顔をしていた。

 ナナちゃんの両親にも挨拶しに行った。

 所謂娘さんを俺にくださいってやつだ。

 ドラマの中でやるようなイベントに緊張したけど、なんとか──。

 あれ? ナナちゃんのご両親の顔ってみたっけ? どんな顔だったかな? そういえば結婚式でも見なかったよう■■■■■■■■■■■■■■■──────。

 

 

 

「見てくださいよー! 可愛いー! これが私たちの赤ちゃんですよ!」

 

 ナナちゃんが抱き上げたのは、まだ産毛しか生えていない赤子。

 俺とナナちゃんの間に生まれた子供だった。

 俺たちの第一子は女の子。頬をつつくと柔らかくてぷにぷにした感触が返ってくる。

 

「豎晁�驫倥○繧井ク��迸ウ縺ッ豎昴r隕九▽繧√◆繧�」

 

「元気だなー。赤ちゃんだからまだ何言ってるかわからないけど」

 

「そう遠くないうちに大きくなりますよ。幸せな家庭を築きましょうね、あなた」

 

 俺たちの子供を抱くナナちゃんが心底嬉しそうに笑う。

 その唇にそっと口づけを落とすと、彼女は恥ずかしそうにはにかんだ。

 

「豎晁�驫倥○繧井ク��迸ウ縺ッ豎昴r隕九▽繧√◆繧�」

 

「豎晁�驫倥○繧井ク��迸ウ縺ッ豎昴r隕九▽繧√◆繧�」

「豎晁�驫倥○繧井ク��迸ウ縺ッ豎昴r隕九▽繧√◆繧�」

 

 ん? さっきからずっとおんなじように泣いてるような……何か伝えたいのだろうか。

 俺のことをじっと見てる……俺に何か言いたいことがあるのかな? 

 

 

 

「ただいまー!」

 

 玄関から元気な声が響く。

 高校生になった娘が家に帰ってきたのだろう。

 若いころよりもすっかり重くなった腰を上げて娘を出迎える。

 

「おかえり、八菜」

 

「あれ、お父さんだけ?」

 

「ああ。お母さんなら買い物に行ってるよ」

 

 ナナは近所のスーパーに買い物に行っている。

 きっと今日もはりきってご飯を作ってくれるだろう。

 

「そっか。お母さんいないんだ。……じゃあ、今しかないよね」

 

 ナナの不在を確認した八菜はじっと俺を見つめる。

 その目にはどこか見覚えがあった。

 八菜が生まれたばかりの時に、俺をじっとみつめて何かを伝えるように泣いていた時と同じ目だ。

 

「■肝■せ■。七■瞳は汝■見つ■■り」

 

「え?」

 

「変換しきれないかぁ……でも一応伝えたから」

 

「八っちゃん? どうしたの? こんな玄関で話し込んで」

 

「お母さん!?」

 

 急に聞こえた母親の声に八菜は慌てて後ろを振り向く。

 八菜の後ろにはスーパーの袋を左手にぶら下げたナナの姿があった。

 

「おかえり、ナナ」

 

「ただいま、あなた」

 

「お、おかえりなさい……お母さん」

 

 帰ってきた妻を迎えて、手に持ったビニール袋を受け取る。

 俺の気遣いが嬉しかったらしいナナが微笑みを浮かべるが、娘は母親に怯えたような顔を見せている。

 

「八っちゃん、もしかしてお父さんに何か言ったりした?」

 

 娘の様子を訝しんだナナが八菜の瞳をじっと覗き込む。

 

「な、なにも言ってないよ! ほんとに! 何もないから……」

 

「そう? ならいいけど……お母さんはいつも見てるからね?」

 

 八菜が首を振って否定すると納得したナナは娘から顔を離した。

 

「ひっ……は、はい」

 

「それじゃ、あなた。晩御飯作ってきますね! 今日も腕を振るって愛妻手料理作るので!! 楽しみにしていてください!!」

 

「楽しみにしてるよ」

 

「その一言でやる気百倍ですよー!」

 

 腕まくりをしてキッチンに向かった妻を見送って階段を上る。

 俺とナナの私室は二階にあるのだ。

 私室のドアを開けた俺は書斎の椅子に腰掛ける。

 それにしても八菜が言ってたことの意味はなんなのだろうか。

 全体的になんかよく聞き取れなかったけど。

『七』とか『瞳』とか言ってたな。

 瞳が七つとかどんな化け物だよ。

 八菜はそんなクリーチャーのことを伝えたいわけじゃないだろうし……。

 年頃の子が言うことってよくわからないなぁ。中二病ってやつだろうか。

 

 

 

「八っちゃん、お嫁にいっちゃいましたねー。綺麗だったな、八っちゃん」

 

「八菜が結婚とはな……この家も寂しくなるな」

 

 昨日、娘の八菜の結婚式が行われた。

 相手の男は誠実そうないい男で、実際話してみたがこいつなら娘を任せられると確信できた。

 八菜が赤ん坊のころから知っていて、ずっと育てて見守ってきた立場からすると感慨深い。

 あの娘は大人の女性になり、巣立っていったのだ。

 

「寂しいですかー? ふふふー。でもでも、これで二人っきりですよ! この寂しさを埋めるように! イチャイチャしましょう!!」

 

 ナナが笑みを浮かべて抱きついてくる。

 この歳でイチャイチャなんて……と思うが、ナナもきっとさびしい気持ちを誤魔化して笑顔を作っているんだろう。

 俺は健気な妻を抱きしめ返して、柔らかい唇を啄んだ。

 

「そうだな……ナナが寂しくならないようにしなきゃな」

 

「ふぉおおおおお! 今の!! 最の高ですよ!! ワンモア! ワンモアプリーズ!!」

 

 もう一度と求めてくるナナに苦笑いしながら今度はさびしがり屋な妻にディープキスをプレゼントした。

 

 

 

 よく見知った色の天井が俺の視界に広がっている。

 かつてボロアパート暮らしだった俺がナナと結婚してから建てたマイホームの天井。

 ナナと、嫁に行った八菜と過ごしたなじみ深い家だ。

 俺はその一室であおむけに寝ていた。

 今俺が寝ているのは昔ナナが『当然ダブルベッドですよね!! 夫婦なので!!』と言って選んだ大きなベッドだ。

 そこに寝ているのは俺だけ。

 皺くちゃになって動けなくなった俺だけだ。

 

「……ナナ……」

 

「はい……あなた……」

 

 細くて冷たい俺の腕を温かいナナの手が握る。

 妻が俺の顔を覗き込んできたが、視界がぼやけていてあまりよく見えない。

 よくは見えないが──きっとその顔は美しいのだろう。

 俺が倒れてこうなる前に見た妻の顔は昔と変わらず、若々しくて美しかったから。

 

「ナナは……いつまでも美人だな……」

 

「あたり前ですよー! 可愛い嫁ですもん……。どうでしたか? 可愛い嫁と結婚出来て。幸せでしたか?」

 

「ああ、そうだな……ナナみたいな可愛い嫁を貰えて……いい人生……だった……」

 

 

 

 その言葉を最後に、老人の腕から力が抜ける。

 皺だらけの腕からナナに伝わっていたわずかな温もりはすでに消え始めていた。

 

「……『可愛い嫁とイチャイチャしたいだけの人生だった』……でしたっけ。ミッションコンプリートですね。人の子の嫁になるというのもなかなか面白い経験でした! ふふふー、次はどの世界に干渉して遊びましょうかねー!」

 

 夫だった老人が息を引き取ったばかりなのに、女性はニコニコと笑って楽しみでしかたがない様子だ。

 

「それでは! ではでは! さようなら! この世界! 読者! ……愛しい、あなた」

 

 最後に呟いた言葉を残響の様に残して、ナナと名乗っていた女性の姿は一瞬で掻き消える。

 彼女が消えた場所には小さな水滴が落ちていた。

 

 

 




betterエンド。
ラブコメ書いてたら何故かホラーが混じってしまった。


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