時折吹く寒風に体を縮ませながら帰ってきた俺は、制服から普段着に着替え冷蔵庫にあったmaxコーヒーを開けた。世間が未だ寒さを忘れえぬ中、暖房の効いた室内で冷えたmaxコーヒーを啜る、これぞ至高の娯楽である。
しばらくすると妹の小町が帰ってきた。生徒会の引き継ぎがどうたらで最近の帰りは俺より遅い。
「お帰り、小町も飲むか?」
「お兄ちゃん…、小町疲れてるから冗談は後にして」
俺は本気だったがどうやら小町にはまだ早かったらしい。仕方なく俺は温かいココアを淹れてやった。
それからダラダラと午後を過ごし、夕飯を食べ、歯を磨き、一っ風呂浴びてから自分の部屋に戻る。そして机の上にある帰ってきてからコツコツと進めてきた再提出のプリントを見やった。
途中、カマクラとじゃれたりケータイを弄ったりしながら書いたので中身はどーもはっきりしないがそれでも後は纏めるだけになっていた。
さて、どうしたものか、再提出のプリントなんて適当に済ませればいいのだがまとめとなると俺の中の真面目さが顔を出す。下手をすると全体が悪くなってしまう事も無くはない。終わり良ければすべて良しなら、逆説的に悪ければ駄作なのである。例え今まで何度もアニメ化された作品でも顛末が悪ければ今まで良いとされてきた部分でさえ叩かれる。
う~ん、と唸っていたところで、そういえば再提出の期限が決められていないことに気がついた。
あの教師はどうやらそそっかしいところがあるらしい。俺も気づかなかったが。これで提出を後らせようものならグチグチ嫌味を言われるに違いない。
なんだかどうでもよくなってきたので俺は最後の一文をささっと書き足した。
『終わり良ければ~と言うように最後まで貫きたいと思います』っと良しできた。
それを鞄にしまうと一仕事終えた後のmaxコーヒーを頂こうとリビングへと足を向けた。
すると小町もちょうどリビングに降りてきていた。
「あっ、お兄ちゃん、良いところに!」
何やら不穏な事を言っている。これは良くないことだ、少なくとも俺にとっては!
「あー、お兄ちゃんったら、またそんな顔して」
「なんだよ、何か頼み事か?俺作文書いたばっかで疲れてるんだけど」
「へー何の作文?」
「高校生活を振り替えって」
その言葉を聞いた小町がヨヨヨと泣き崩れた。
「ごめんねお兄ちゃん、今日はゆっくり休んでいいよ」
「小町ちゃん?何でそんな温かい眼差しを向けるのかな?」
「だってお兄ちゃんの高校生活って良いこと何も無いでしょ?」
こいつ、なんてどストレートに言いやがるだ。
「いいんだよ、作文なんて適当に済ませたんだから。それより何かあるんだろ?聞くだけ聞いてやるよ」
「否定はしないんだね…、まあお兄ちゃんが良いなら良いけど」
そう言うと小町は事の次第を話し始めた。どうやらシャーペンの芯が無くなって困っていたらしい。なんだそんなことか。
「なら俺のをやるよ」
「ほんと?ありがと、お兄ちゃん!」
フッ、親の金で妹の尊敬を得る、人は俺を妹の錬金術師と呼ぶ!カッコ悪いとか言わない。
というわけで二人して部屋へと戻る。
「ほら、これで良いか?」
「うん、ありがとお兄ちゃん」
そう言って小町はトタトタと部屋を出ていった。
さて、俺は自分のシャー芯を用意しなければ。
実は俺もあまり持っていなかった。しかし小町は今年受験生でできることはしてやりたかったのでこれくらい大した事じゃない。
というわけで今は皐月の夜英語にするとメイ ナイト、マックロクロスケでも出てきそうな暗い夜道を俺は自転車で駆けていた。目的地は最寄りのコンビニだ、そう時間はかからない。10分程無心でベダルを踏み続け、自転車を停めると俺は店内の文房具エリアへと向かった。こじんまりと最小限の物だけが陣取っているスペース。いつも来ているので特に迷うことはなかった。なかったが目当てのものはそこにはなかった。もう夜も遅いし何もかかってないフックがあるので在庫があればそこに掛かっていたのだろう。念のため店員にも確認するが無いとの事だった。仕方ないので別のコンビニへと向かうことにする。しかし運悪くそこにも在庫がなくシャー芯を買うことができたのは家から三番目のコンビニだった。
自動ドアから外に出てmaxコーヒーを啜る。風とともに火照った体を心地よい涼しさが癒してくれる。
時刻は既に10時を過ぎている。思ていたよりも時間がかかってしまった。
けれど目当ての物は手に入れることができた。静かな宵闇を照らす車のライトが目に眩しい。俺はそのまま、名残惜しい気持ちと一緒に最後に一口を流し込んだ。
そ の と き だ っ た ! !
突如かん高い音が響き俺の耳を襲った。
「!?」
思わず持っていた缶を落としてしまう。幸い全て飲み干していたので中身をぶちまけずにはすんだがカラカラと転がっていってしまう。
とっさに追いかけて拾い上げる。
と同時に、まるで鍋をひっくり返したかのように思考が氾濫した。
いったい何が起こったんだ!?
突如辺り一帯に響き渡った轟音。未だ耳の中で反響している。
その音は鈍く響きまるで爆音上映のような、そう思うのはそれがあまりに非現実的だからか。いやだとしてもここは立川シネマではなくよくあるコンビニの駐車場だ。
だが不可解な事は音だけではなかった。
あれだけの爆音が鳴り響いたというのにまるで何も無かったかのように周囲が反応を示さないことだ。
すぐそこにたむろしてる連中がいるがせいぜい俺がマッカンを落としたときに顔を上げる程度、車もまばらに走っているが特に変な様子はない。
コンビニの店員が様子を見に出てくるかともおもったがそんな素振りはなく、のんきに欠伸をかきながら営業を続けている。
明らかにおかしい。まさか俺の聞き間違い?そんな筈はない。飲み終わっていたから良かったもののこっちは驚いてmaxコーヒーを落としているんだ。
「はっ」
思わず変な笑いが漏れた。
以上なのはどっちだ?俺か周りか?確かに俺はおかしいのかもしれない、だが周りはもっとおかしい。何処かで見た光景に似ていた。何時か感じた疎外感に似ていた。
無論それだけで済む話ではないがその感傷は少しだけ思考の氾濫をごまかしてくれた。
問題はこの後どうするかだ。
音は何故発せられたのか?聞こえる者とそうでない者がいるのは何故なのか?
今の状況は仕組まれたのか、それとも何かの手違いで起きているのか。
俺個人を狙ったものだとは思えない。俺はボッチだからな、狙われることがあるとすれば嫌がらせとかだろうが、こんな大がかりな嫌がらせもない。
だとすると他にも聞こえたやつがいるかもしれない。
そいつらを探すか?
…いや、駄目だ。闇雲に探しても意味はないだろう。
家に帰ろうとは思わなかった。
家も安全とは言えない、むしろ被害を増やすだけだ。
だとすればもう道は一つしか残っていない。
俺はお袋にお腹を壊したとメールを送った。
…………
音がしたと思われる方へと自転車を走らせる。幸い家とは逆方向だ。
音はあれからも数秒おきに鳴り響いている。時折道を修正しながらそれらしき場所に辿り着いた。
そこはまさにうってつけと言わんばかりの既に使われなくなった廃工場だった。
一部が錆びて潰れてしまった柵から中に入る。自転車は直ぐに使えるよう鍵をかけずに置いておくことにして、俺は廃工場へと足を踏み入れた。
何を作っていたかは知らないが、かしましく動いていたであろう機械達は既に撤去され、今はいくつかの備え付けだったものと錆びついた建材、広大なスペースが物悲しく残るだけだ。
そこを、俺は足音を殺しながら進んでいく。音は間違いなくこの建物から響いているが最初に比べて小さくなっていて、さらに反響して距離感が掴めない。
だがいちおう場所の目処はたっていた。建物内は暗い、しかし壁の割れ目から少しだけ光が漏れてきている。
そうやってソロソロと歩を進めて目的の部屋に辿り着こうというとき、突然光の中を一筋の光が遮った。
思わず声が出そうになる。口に手をやってそれを押さえながら横にあった機械に身を隠す。
そこから少しだけ顔を出して影が通り過ぎた場所を確認した。
影がむくりと起き上がる。
明らかに人のスピードではなかったが驚くべき事に影は人の形をしていた。
気持ちもう数ミリ首を伸ばし、改めて影の正体を確認する。
服のところどころに赤色が滲んでいる。あれは模様ではないだろう、血だ。
そう理解した瞬間体が冷たくなるのを感じた。
しかしそれは次の瞬間、驚愕の波に押し流された。艶やかな黒髪と起伏のある肢体。その姿は何処かで目にしたような、いや、影の正体は平塚先生その人だった。
は!?いやいや、ちょっとまて!
あの人こんなとこで何やってんだ!?
しかし数々の疑問は直ぐに消し飛んだ。
額から一筋汗が溢れる。
先生はボロボロだ。一つ一つの傷は浅いようだがあの数ではかなりの血を流している筈だ。
すると先生の向かい側から声が聞こえてきた。こっちは聞き覚えのない男の声だ。
「どうした?もう終わりでいいのか?」
どこか余裕の感じられる声音。その声に先生が返事をする。
「そんな訳ない、だろう。私は、まだやれるぞ」
そういいながらまるでボクシングのようにファイティングポーズをとってみせる。だがそれが強がりであることは明らかだ。
「…良いねえあんた。俺のマスターにも見習って欲しいくらいだぜ。だが生憎時間切れでな、悪いが次で最後にさせてもらうぜ」
先生からの返事はない。ただ拳を握って構えるだけだ。
「この一撃、手向けとして受け取りなぁ!」
その言葉が終わる前に俺は走り出した。壁材の影から得体の知れないものが見え思考が急激にブレーキをかけた。
そこに居たのはまるでハリウッド映画から飛び出したかのような珍妙な格好をした男。
全身真っ青なタイツを着こみ手には深紅の槍を携えている。
先生の「ひっ、比企谷!?」という声が意識の隅から聞こえてきた。
もしかするとこれは本当に映画の撮影だったのかもしれない。
血は特殊メイクで轟音に誰も反応を示さなかったのは、事前に通知があったからなのかもしれない。
なんて名演技だ、完全に騙された。
というか何故俺は飛び出したのだろう?
しかし既に何もかもが遅い。俺は転びそうになりながらも青い男に飛び付いた。
「ズ、っっ、ヴぁ」
瞬間、今度は俺自身が影となって吹っ飛んだ。
そのまま床に体を引きずりながら転がっていく。脇腹に強烈な痛みが走り思わず声が漏れる。吐き出させられた空気と一緒に血が数滴飛び散った。
「なんだ?気配がしねぇから警戒したんだが、ずいぶんと軽いな。アサシンのサーヴァント…にしちゃあ御粗末だし」
言葉の意味が判らないのは知らないからか脳に響くこの痛みのせいか、判るのはこれが撮影でないということと奴がそうとう手加減してくれたということだ。
何故物陰から飛び出したのか、自分でも判らない。前に犬を助けるために車に轢かれたのとは訳が違う。先生に死なれたら状況を知る手がかりが無くなると思ったからか。
それともただの錯乱だったのか。
ガツィーンッ
その時例の音が俺の真横で響いた。
痛みで霞む意識の中、つられて俺は音がした方へと目を向けた。
すぐ目の前に平塚先生の背中と、そこから生える紅い棘があった。