まどろみの中寝返りをうつ。
意識は半分夢の中にあって、視界はぼんやりと灯りを教えるのみだ。
もう朝なのだろうと直感的に理解する。
けれど無意識にその事実を拒否しているのか俺の頭は停止したままだ。
直後まっ逆さまに急落下した。
「むぐっ」
床にたたきつけられおもわず声が漏れる。
そこでようやく俺の思考は活動を再開した。
自室のベッドは雪ノ下に貸し与え俺はリビングのソファで夜を明かしたのだった。
昨夜の事を思い返すと背中が痒くなる思いだ。
危うくリア充どもよろしく性欲に身を任せてしまうところだった。
俺は眠気を冷ますために寝起きのmaxコーヒーでも飲もうと台所へ向かう。
そこで目にした光景にまたもや俺の思考は停滞してしまう。
「おはよう、比企谷君」
台所にはエプロンをつけた雪ノ下がたっていた。
まるで普段からそうしているかのように自然に挨拶してくる。
昔の人は女性の一番美しい所作は振り替える事だと言っていたらしい。
作業を止めわざわざ振り替えって声をかけてくる彼女の姿は確かに心動かされるものがある。
しかも料理するためか髪は後ろで一つに纏められていた。しょよう、ポニーテールである。
別に髪型とかどうでもいい派の俺ではあるがやはり目新しいものには関心を向けざるをえない。
「?、…どうしたの?」
「いや、何でもない」
「ははーん、さては雪乃さんのエプロン姿にときめいたんでしょ?」
すると横から小町が横槍をいれてくる。
きっとサーヴァントになったらクラスはランサーに違いない。
もしくはマイラブリーシスター。
「そうだな」
俺は適当にあしらって冷蔵庫をあける。
しかし目当てのものはなかった。
そういえばmaxコーヒーはきらしていたのだった。
仕方なく俺は冷蔵庫を閉める。ふと横を見ると小町が梟みたいに目を見開いていた。
「お兄ちゃんが変だ」
「何いってんだお前」
「だって素直に誉めるなんて、まさか既にお赤飯案件なの?!」
「バッカ、朝っぱらからお前の騒がしさに付き合いたくないの」
「何それ、小町的にポイントひくーい」
「いいかげんにしねーと遅刻すんぞ」
小町は頬を膨らませ抗議しているがこれもかわいい妹のためなので心を鬼にしてスルーする。
「何作ってるんだ?」
俺は台所で何やら腕を奮っている雪ノ下の元へ向かう。
しかし集中しているのか彼女からの返事はない。
いやよく見ると動きそのものが止まっていた。
「雪ノ下?」
俺が声をかけるとビクッと痙攣した。
「なっ何かしら?」
「いや、何つくってんのかなと…」
「別に大したものではないわ、朝御飯だもの。もう少しだから座って待っててくれるかしら」
邪魔をしたら悪い。
俺は席に座って朝のニュースを眺める。
すると昨日の事がちょっとした騒ぎになっていた。
集団催眠とそれに便乗したデモ行為だとされている。
とくに病院が一部破壊された為、テロじゃないかという憶測も広がっているらしい。
病院を破壊したのはバゼットだが、千葉市を中心に都市機能が一時麻痺したのだ。その被害は想像以上だろう。
あの葉山をここまで変えてしまったものが正直恐ろしい。
「お待たせ」
物思いに耽っていると雪ノ下が朝食を運んできた。
テレビを消し一先ず朝の食卓に舌鼓をうつことにしよう。
テーブルに並べられたのはどっかのレストランにでも出せるような端正な和食だった。
ご飯に味噌汁、ちょっとした和え物と焼いた魚の切り身。
「あるもので作ったから大したものではないけれど」
「いや十分だろ」
まずはご飯を箸で持ち上げ口に入れる。
ただの白めしではなくワカメと黒ごま、しらすが混ぜ込まれていて、塩味がアクセントになっている。
栄養も考えられているのがよくわかった。
続いて焼き魚、橋を刺すとホロリと身が割けた。
謎のソースがかかっていて恐る恐る口に運んでみると魚のさっぱりとした味に粘性のあるソースの濃厚な旨味がうまく乗っていて、なんというか、あれだ、とてもうまい。
「これ何がかかってるんだ?」
「お味噌と卵を牛乳で溶いたものよ」
そんなものがあるのか、専業主夫を目指す俺としてはレパートリーに加えておきたいところである。
「お兄ちゃん、そんなことよりまずはあれでしょ、あれ」
そんなことってなんだ、料理スキルは必須案件だろう。
「あれってどれだよ」
「料理の感想!」
あー、なるほどね、完璧に理解したわ。
「普通にうまいぞ、これを毎日食べられる奴は幸せだな」
「もー、そこは毎日食べたいくらいだなって、無意識にプロポーズするところでしょー」
「俺がそんなラノベ主人公みたいなことするわけないだろ。ていうか食事中に変な声出すなよ」
「これはお兄ちゃんの真似だもん」
マジで?俺そんな低い声でボソボソ喋ってんの?ちょっとへこんだ…。
「貴方達は本当に仲が良いのね」
突然雪ノ下がそんなことを言い出した。
「そうだな、確かに誰も俺と小町の間には入れないしな」
「まあ、かわいくない猫みたいというか、そこがむしろかわいいって言うか、そんな感じですけどね」
マジかよ、俺ってカマクラと同レベルの扱いだったの?もっと下だと思ってたわ。やったー。
「少し、羨ましいわ」
そういわれてやっと雪ノ下の言わんとしていることがわかった。
姉との関係を俺達と重ねているのだ。しかしそれはいくら近づけたところで少しも重なりはしないだろう。
だから俺にもよくわからない。
朝食を食べ終わった俺は自室へと戻った。
「今日の学校は休みにしましょう」
すると雪ノ下がそう進言してきた。
まあ確かに世界の命運をかけた戦いの前にわざわざ授業を受けようとは思わない。
「わかった、んじゃそれまでは自由だな」
俺がそういうと雪ノ下は一枚の紙を取り出した。
横から覗いて見るとそれは写真だった。
小さい頃の雪ノ下ともう一人よくにた少女が写っている。
恐らくキャスター、雪ノ下陽乃だろう。
「姉さんは第四次聖杯戦争の時に受けた傷が原因で十二の時に息を引き取った。これは一枚だけ二人で撮った写真なの」
雪ノ下は屈託のない少女らしい笑顔を見せている。
陽乃さんの方はこの時から顔に仮面を張り付けていたらしい。
しかしその写真を見ているとなんだか妙な気分になる。
「私は姉さんが死ぬまで古傷に苦しめられていたなんて知らなかった…」
当然だろう、俺も雪ノ下の笑顔を知るまでは騙されていた。
何より陽乃さん自身が弱味を見せるのを拒んだのだ。
「今も、姉さんが何を考えているのかわからない。どうして姉さんは世界を壊そうとするの?」
その問いは一生解ける事はないのかもしれない。
例えキャスターに答えを聞いたとしてもそれを信じられるとは思えない。
ならば彼女は一生それにさいなまれ続けるのだろうか。
「外に出ないか」
「え?」
「せっかく、ずる休みできることだし、満喫させて貰おうぜ」
こんなことしかできないが己の逃避癖に雪ノ下を巻き込んだ昨晩よりはいくらかましだろう。
「行かないのか?」
俺が部屋を出ても雪ノ下はまだその場に立ち止まっている。
しかし、さすがに手を引いていくわけにはいかないだろう。
しばらく待っていると雪ノ下も吹っ切れたのか後についてくる。
そうして俺達は平日の午前中へとくりだした。
しかしとりわけ用事があった訳でもなく、ただ宛もなく家の近所をフラフラと歩く。
「ここで自転車の練習したなぁー」
「昔は諦めがよくなかったのね」
「ほっとけ」
近くの小さい公園でそんな話をした。
その後もなんてことない話を繰り返す。
だが人と話すことなどほとんどしない俺だ。
少し歩くうちに話題はつきてしまった。
お互いに黙ったままただ足を動かす。
言葉を交わさずとも俺と雪ノ下の距離は変わらずお互いの隣を歩く。
隔てる物は何もなく少し手を伸ばせばその白くて清らかな左手に触れることもできるだろう。
けたたましく行き交う自動車の群れ、時おり覗く畑に青々と茂る春野菜。
彼女が隣にいるだけで普段とは少し違って見えることに気づいてなんだか照れ臭くなる。
そうして何も言わずともよいのについつい口が出てしまう。
「昨晩は悪かったな変なこと聞いて」
一緒に逃げないか、俺は雪ノ下にそう提案した。
元々逃げ腰な俺だ、キャスターにやられてそれがさらに悪化してしまった。
あろうことか雪ノ下の悩みにつけこんだ。
酷く醜悪で愚かな逃亡の提起。
「謝る必要はないわ、貴方の及び癖は今に始まったことじゃないもの」
そうバッサリと切って落とされる。その潔さが清々しい。
「それに、少し、嬉しかったもの…」
その後はまたお互い何もはなさずにただ足を前に進めた。
しばらくすると広めの公園にたどり着く。平日だからか人は誰もおらず周囲は静まりかえっていた。
「ねぇ比企谷君」
その静寂を雪ノ下の静かな声が遮る。
「もし私が、私でなくなったら、どうする?」
そしてそんな簡単な質問をしてくる。
雪ノ下が雪ノ下でなくなったら、当然それは言葉通り雪ノ下ではなくなるということだ。
なら今までの全てはなかったことになるだろう。
けれどそこから思考を前に進めることができない。
今までであれば、人との間に積み重ねたもの等皆無だった俺だ、今まで通りだと答えただろう。
けれど今はそれが惜しいと思っている。
雪ノ下と過ごした日々を失いたくないと思っている。
けれど彼女の本質が変わってしまったらそれは失われてしまう。
もう彼女の隣にいることはできない。
やはり簡単な問いかけだった。
答えは直ぐに見つかった。
いや答えなんてはじめから一つしかないのだ。
俺の規則化されたプログラムがそれを瞬時に導きだし回路に載せ起動する。
ただ正しいままに事実を吐き出す機械になる。
しかしふと、俺の中の思考回路が疑問をそうきした。
そんな簡単な問いを、簡単だからこそ、なぜ雪ノ下は口にしたのだろう。
雪ノ下が雪ノ下でなくなれば当然関係はリセットされる。
そんな当たり前の疑問をなぜぶつけたのだろう。
それは当たり前にしたくなかったから。それ以外の答えを聞きたかったから。当然を覆して欲しかったから。
だから彼女は答えのわかりきった問いかけをしてきた。
ふと彼女の方を見る。すると雪ノ下も俺に向き直っていた。
その瞳は不安そうに濡れている。
雪ノ下も俺と同じように今までの時間を失いたくないと思っているのかもしれない。
であるならば、そのままを回答する訳にはいかない。
けれどそれは言わばわがまま、夢物語だ。
神話の英雄が口にするような幻想だ。
それは比企谷八幡にとって、もっとも忌避するものではなかったか。
ならば口にしなくてはならない筈だ。
彼女を前にして嘘はつけない。
そんな継ぎ接ぎだらけの糸で彼女を繋ぎ止めていたくはないのだから。
残酷なまでの真実を叩きつけねばならない。
「そうなったらもう一緒にはいられないだろうな」
雪ノ下の視線から目を離さずにそう言い切る。
目の前の瞳は今すぐに崩れ落ちてしまいそうなほど濡れていた。
それをどうにか救い止めたかったけれど俺にそんな手はない。
どんな彼女でもいいなんて言えない。それではいったい何を好きになったのかわからないから。
「そうね、貴方なら、そう言うわよね」
ついに雪ノ下は俺から目を背けうつむいてしまう。その声は止まりかけの独楽のようにゆれていた。
「それでもお前が俺を必要とするなら、手を貸すくらいはしてやるよ」
「え?」
雪ノ下がこんな事を言い出すってことはそうなる可能性があるってことだ。
キャスターとの戦いでする何かにそんな副作用でもあるのかもしれない。
俺の言葉を聞いた雪ノ下が再び俺を見上げてくる。
「それは…、貴方が私のサーヴァントだから?」
「違う、俺がそうしたいと思うからだ」
例え二人で積み重ねたものが崩れてしまっても俺の中にはまだのこっている。
それを返していくこと位はできるだろう。
すると俺の右手と雪ノ下の左手がそっと触れた。
別に手を動かした訳じゃない。
それくらいの位置に気づけば立っていたというだけだ。
俺はそのままその手を握る。
俺の手を彼女の手が抗うことなく迎え入れる。
体の中がなんだかポカポカと暖かくなってくる。
春の陽気に誘われた訳ではないだろう。
二人分の体温を感じているのかもしれない。
もう一度雪ノ下の方を向く。
雪ノ下は既に俺の方を見ていてまた目があった。
それだけでなんだか笑えてきてしまう。
俺が少し笑うと雪ノ下も同じように笑った。
二人の距離は徐々に近づいていく。
そのまま影は一つになった。