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2016年2月23日 0825
上海沖、東シナ海の上空に金属の荒鷲が飛んでいた。40000フィートを超えた世界に雲はない。
那覇基地から飛んできたF-15DJには主翼下に増槽を2本、胴体下に技本があちこちいじったものだという偵察ポッドを吊り下げていた。武装は機銃だけ。国籍記号は削り取られていた。
国境を跨いでの任務、まして正体不明の勢力の偵察など映画くらいのものだと、今日を迎えるまでは疑わなかった。米軍に紛れての任務とはいえ完全に領空侵犯だ。今ここで飛んでいる自分たちは誰か別の人物なんじゃないかと思った。
「技本の連中、なに考えてやがるんだろうな、ナベ」
後席で機体に吊るされた偵察ポッドと計器を確認する男が言う。ホットマイク式のインカムはその声を正確に伝える。
「わからない。しかし自分たちが実戦に出るなんて、本当は有り得ない。ザイが本当に脅威度を増しているんだろうな。キリンは、ザイが日本に攻めてきたらどうする?」
前席で操縦桿を握るTACネーム、ナベと呼ばれた男は
後席のキリンは
「連中が見逃してくれるなら逃げたいところだがねぇ、そうも言ってられなくなるんだろうな。ナベは?」
と、東。
「戦わなければそれに越したことはないが、そうなった時は、戦うと思う」
「そうか」
「妻と娘がいるんだ。娘がこの前2歳になったばかりなんだ」
「へぇ、家庭持ちか」
「家族の無事が一番気になるんだ。《守りたい人がいる》、広報ポスターどおりの展開になったよ」
「違いないな」
くっくっく、と後席から笑いが漏れた。東は独身だった。
「それじゃあ、こんな任務とっとと終わらせて帰らないとな。特別休暇くらい貰いたいもんだ」
東シナ海上空 0835
『イエロー1、
上海を通り過ぎた頃、英語で無線が入ってくる。宮鍋たちの乗るF-15DJから20マイルほど先、空母ロナルド・レーガンから発艦していたF/A-18Eが編隊を組んでいる。
4機、間隔はやや広い。今回の偵察で少しの間行動を共にする。
『ずいぶん大胆だな、真珠湾はこっちじゃないぜ』
事前に周波数をあわせたチャンネルに合わせたスロットル側の無線スイッチを押し返答する。
「こちら《
と宮鍋が返した。F-15DJのコールサイン、ジーク、かつて連合国軍が恐れた零戦につけたコードネーム。
『HAHAHA、
無線のスイッチを2回鳴らす。ジッパーコマンド、パイロットが了解したという合図。正式なものではないが、挨拶みたいなものでパイロット同士では通じる。
「俺は女と一緒のほうがいいなぁ」
偵察ポッドの画像を覗き込みながら後席の東がこぼす。
「帰ったらどこか飲みにでも行けばいいさ。気の合う娘が見つかるかもしれない」
AN/APG-63(V)1 のレーダーON、VCTRモードに、最大レンジで走査させながら宮鍋が言う。
「妻子持ちは余裕だな。見つかりゃ愚痴も出ないっての」
自傷気味な東。
いくらか中国大陸の大地を過ぎたところだった。後方―といっても目視はできないが―には空母から発艦した新たなF/A-18Eの編隊が控えていた。スズメバチも鷲も、目を凝らして目標を探している。謎の飛行体は、しかし唐突にやってきた。
『アンノウンマージ。1時方向、中高度。2機だ』
先を飛ぶ
「キリン、こちらも感有り。始まったな」
「穴が開くほど見とけよ、ナベ、またとない機会だ。現代の空自が戦闘に巻き込まれるんだから、素晴らしい小説ができそうだ」
「出来上がったら見せて欲しいな。だけど、現実は甘くなさそうだ」
先行するスズメバチが距離を縮めた。目標はまだ見えない。口を覆う酸素マスクが息苦しく感じた。こちらも少しずつ距離が縮まっていく。
『間もなく目視可能な――なんだ? レーダーがおか…』
耳障りなノイズとともに火花と黒煙があがった。先頭のスズメバチが、なんの前触れもなく撃墜された。すぐさま残りの3機は身を翻していた。
「問答無用か…。キリン、少し近づく。レーダーにノイズ有り。…うまく捕捉出来ない。RWS、TWS、STTもだめだ。ジャミングにしても何かがおかしい」
「電子戦機も確認できない。気をつけろ、また1機落とされたみたいだ、洒落になってない」
東の声が強張る。戦闘機特有の遊びがほとんど無い操縦桿をわずかに左に倒す。機体がバンクし進路が左に流れる。レーダー走査範囲を右にずらしながら宮鍋の表情はもの悲しそうなものになる。見ることに集中しているのだ。
深呼吸をする。バイザー越しに視力の限界まで使い右下方向を睨みつけた。晴れた日なら25マイル先の目標を見ることが出来た。もう見えてもおかしくはなかった。
「キリン、ちゃんとリンク16経由でホームにも流れてるよな? ノイズが激しい」
「ポジティブ。これで機材が壊れてたなんて抜かしたら呪ってやるさ」
その姿を捕らえてやる、と東は偵察ポッドを操作していた。ふと何かが光ったようだった。陽光を反射させながら、それは進路をこちらに向けてきた。その後ろでまた一つ火の玉があがった。
気付かれた、しかし宮鍋はぎりぎりまで肉眼で捉えようとした。どんなやつなのだろうか――。
それは透明なガラス質といえばいいのか、おおよそ現代の航空機では見られない材質のようだ。デルタ翼機ともいえない三角のシルエット。
なにかが吐かれた。宮鍋はそれがミサイルだと瞬時に判断した。撃たれた。戦後のこの時代に、まして謎の飛行体に。アラートが鳴り響く。
「逃げろナベ!」
言うが早いか宮鍋は増槽を投棄。痕跡は残したくなかったが仕方ない。スロットルを最奥へ押し込んだ。アフターバーナー、最大出力まで一気にもっていく。身体がシートに押し付けられる。ミサイルの進路と互い違いになるよう修正しチャフ、フレアを撒く。下方からミサイルがせり上がってくる。右に30度バンクし操縦桿を引く。さらに上昇、同時に一瞬スロットルを戻し熱を拡散させミサイルをフレアに欺く。ミサイルは一瞬迷った末、フレアの方に吸い込まれていった。再び最大出力へ。飛翔体の上空を交差し、そのまま振り切る算段でいた。しかしその飛翔体は食いついてきていた。身体ごとひねって見回していた東が叫んだ。
「ナベ、まずい、後ろに着かれた!」
「馬鹿な!? 今、
「あの状況からすると、その場で反転でもしなきゃこうはならない。イカレてやがる」
頭にチリチリとしたものを感じつつ、宮鍋は元来た方位へ旋回しながら補足を逃れるように機体を振った。コックピットのなかは緊張と焦燥で満たされていた。そしてまたもミサイルが放たれた。
「ブレイク! ミサイルだ!」
右へ、左へ、上へ下へ、高速ジンキング。再びチャフ、フレアを展開。切り返すたびにハーネスで固定されている身体があちこちに叩きつけられる。痣、打撲はそこかしこにできているだろうが気にしていられなかった。とにかくミサイルの運動エネルギーを消費させる。空気密度の濃淡をくぐらせるように大きなバレルロールを2週ほどしたところでザイのミサイルは失速し着いてこられなくなった。
しかし
殺られる。身の毛がよだつ。めまいにも似た感覚を覚え、ザイの姿がぼやけた気がした。
ここで俺は死ぬのだろうか。最愛を誓った茉莉と、娘の清美を残して? 必ず帰ってくると約束した二人を残して?
宮鍋はそれを否定する。生きて帰る。家族と歩む未来を望む。強く、強く。
操縦桿を一瞬思い切り前へ倒す。同時にウエポンセレクターをGUNへ、マニュアルモード。スロットルを絞りエアブレーキ展開、強制フラップダウン。マイナスGによるエンジンの潤滑不良の恐れや機体の傷みを気にしている余裕は無かった。急激なブレーキがかかり、ガラス細工のような翼はキャノピーの直上を舐めていくようにオーバーシュート。宮鍋にはそれが永遠にも引き伸ばされるように感じた。そして歯を食いしばり、渾身の力で人差し指のトリガーを潰さんばかりに握りながら操縦桿を引き上げる。内蔵された機関砲は毎秒100発の間隔で20mm砲弾を吐き出し、ガラス細工の翼を粉砕した。
爆発が生じ、舞い散る破片の全てを避けることはできなかった。上昇に転じていたため腹側で受けるようになった。嫌な音が機体から響く。いくらかは外装を貫通したが破滅的な損傷はなかった。荒ぶる鷲は水平を取り戻す。エアブレーキを閉じフラップも元に戻す。エンジンに吸い込まなかったのが奇跡的だった。
撃たれた、撃った、そして撃墜。全身から噴き出す汗と震え、広いとはいえコックピット中に身体を打ちつけられた痛みが生の実感を取り戻した。酸素が足りない、と身体が訴え心臓が激しい鼓動を打っている。後席の東は呻いていた。
「やったのか…?」
「あぁ、撃墜、した。1機、そうだもう1機は? チェックシックス」
東はハーネスを外し、身を乗り出さんと後ろを見やった。
先の戦闘で大分高度が下がっていた。燃料もかなり使ってしまった。日本へ帰れるか怪しい。
宮鍋は進路を東へとりつつ、往路の途中に浦東国際空港があるのを思い出し、緊急着陸するべきかと迷ったが、任務の性質上それもかなわないだろうと思った。
「ナベ、最悪だ追ってきてるぞ。――前方に感。F/A-18Eの編隊有り。方位197からレーダー波、中国軍か」
「コピー。もう彼らに任す他ないな」
撃墜した手前、見逃してはくれないだろうと思っているとコックピットにまたも警報が鳴り響く。ミサイルアラート。再び加速するも今度は先ほどよりも近くで放たれている。迫り来るミサイルをぎりぎりまで引き付け最後のチャフとフレアを放出。運よくフレアに吸い込まれるも、回避手段が無くなった。ついに年貢の納め時か、新たなミサイルが放たれた。
宮鍋は操縦桿を引き、少しでも高度を稼ぎながら機体を振った。直撃と思われた瞬間、操縦桿を左前へ倒し込み、左のラダーペダルを蹴飛ばした。ミサイルが通り過ぎるのを願った。
コックピットの横腹を掠めたそれは無慈悲にも役目を果たした。少ない燃料に引火し黒煙が上がり、破片は外装とキャノピーを食い破り二人を襲った。右主翼損傷、エアインテークがひしゃげ、右エンジンが悲鳴を上げ、片肺になる。計器パネルはほとんど死んだ。
宮鍋の痛覚が右のわき腹と大腿の傷を知らせる。激痛に顔をしかめると脂汗が頬を伝った。油圧が低下しバランスの崩れた機体と自らの身体に鞭を入れ東を目指す。消化剤が延焼を食い止めるが、しかしザイは変わらず狙いを定めている。万事休す、だが宮鍋の頭の中には死の恐怖よりも妻と娘の姿がよぎる。
まだ死ねない、死にたくない、彼女たちのもとへ帰りたいと願う。
刹那、なにかが直近を抜けていった。幾筋かのそれは増援としてやってきたスズメバチのものだった。後方のザイに向かっていくミサイル。しかし迷走し虚空へと消えていくが少しばかりの回避機動を取らせた。またすぐに何本ものミサイルが続く。ザイはたまらずブレイク。間もなく、スズメバチの群れと交差した。
『ヘイ、
ノイズ交じりの無線から心強い声が聞こえた。
「ありがとう、グッドラック」
痛みに耐えながら返す。短く簡潔に、感謝の念を込めて。
ふと後ろの東が先ほどから一言も喋らないのが気になった。わき腹が裂けているため振り返るのが辛い。
「キリン、大丈夫か!? おい!」
声を上げるも返事が無い。もう一度呼びつけるもやはり返ってこない。嫌な予感がした。宮鍋はぐいと首を後ろに向けた。そこには力なく項垂れ、全身をを真っ赤に染めた東がいた。息を呑みかぶりを振った。おそらくもう生きてはいないだろう。命の灯火が消えたのを間近に感じ取った。
傾く機体をなだめながら大陸の東端を少しばかり過ぎたころ、ついに燃料計が0を指し終焉がやってきた。
エンジンが止まる。あとは少しずつ稼いだ高度を切り崩し、滑空の後に機体を東シナ海へと沈めるだけだった。速度、高度ともに徐々に下がっていく。自衛隊員として最後まで悪あがきを試みる。高度が下がり速度が上がってきたところで操縦桿を引き、緩く上昇、再び緩降下。ほんの少しの延命だったが、他にやることが思いつかなかった。無線傍受防止のため救助要請を送ることが出来ない。
いよいよ海面が近くなったところでフラップダウン、減速。ベイルアウトを宣言し股の間にあるレバーを引いた。キャノピーが破砕され、後席からロケットモーター点火、ほんの少し遅れて前席。瞬間的に15Gを超える射出は、宮鍋の身体をさらに痛めつけた。加速度の終わりが浮揚感に変わるあたりでパラシュートが開かれた。気絶しかけた眼下に今乗っていたF-15DJが流れ、激しい水飛沫をあげて海中に突っ込んでいった。水泡と轟音が断末魔の声のようだった。
シートが切り離され小型救命ボートが自動で展開した。はっと我に返るや否や急いでヘルメットと酸素マスクを捨て着水の寸前にパラシュートを切り離し巻き込まれるのを防いだ。海水が傷口にしみる。水温も低い。海面に顔を出し空気を思い切り吸った。
自動で展開した小型救命ボートにすら宮鍋は思うように上がれなかった。右わき腹と大腿の裂傷に加え射出の衝撃で左足首を骨折していた。ひたすらに辛い。持てる力全てを使ってボートへよじ登り滑り込んだ。今度は乗ることが出来た。失敗していれば次は無かっただろう。
仰向けになった宮鍋は周りに視線を巡らし、自分のほかにもう一つパラシュートがあるのを確認した。東はあの下でライフジャケットの浮力で浮いているはずだ。
海原で漂う。力が入らなくなってきた。今更ながら意識が遠のいてきた。
ザイ、あれは人類の脅威だ。今のままでは奴らを止めきれない、圧倒される、そして日本も遠からず戦場になるだろうと予想した。そして妻と娘は生き残ることが出来るだろうか。守ってやらねばならないのに何も出来ないのだろうかと悔やんだ。
薄れ行く意識に何かが飛んでいるのが見えたが、もう判らなくなった。ザイでありませんようにと心の中で手を合わせた。
やがて意識は暗転した。