皆様のご健勝を祈ります。
堀内はグリペンの検査のため八代通と一緒に残った。
試験飛行前にもう一度機体の点検をしておこうと宮鍋は技本棟を出た。
「宮鍋」
技本棟から格納庫へ向かう途中呼び止められる。
小松基地の306飛行隊所属、
敬礼する宮鍋。
「お前あのアニマと接触したな。初顔合わせか?」
「はい、初めてです」
「N-0開発ですでに会ってるのかと思っていたが、そうでもないんだな。率直に聞く。お前、あのアニマをどう思う」
「人型と聞いていましたが、あのような外見とは思いも―」
「そうじゃない、お前はあれがザイのコアを培養した人形だってことに抵抗はないのか?」
「自分自身はあまり抵抗を感じません。ザイに対抗できる戦力として見ております」
「…お前自身にもザイの部品が入ってるからか? 基地の奴は薄気味悪がって近づきもせん。俺も配備に反対の立場だ。正直お前らN-0開発陣にも良い感情は持っていない」
串谷の表情は硬い。
未知の、まして敵の部品を使い戦おうなんてどうかしているという雰囲気だ。いつ味方を裏切り牙を剥くか判らぬ存在など置いておきたくもない。
しかし普通の神経ならば至極当然であった。宮鍋もN-0と堀内のおかげで感覚がズレているのかもしれないと思った。
「心中お察しいたします。ですが、接触した身としては彼女に反抗の意思は無いと思われます」
「ほう?」
「彼女は人類の役に立ちたいと申していました。敵であるならばこのようなことは有り得ないと思う次第です」
「嘘をついているという可能性もある。それにまだ飛行試験すらまともにできん。あんなので役に立つとは思えんよ」
「いえ、彼女は必ず対ザイ戦の中核を担います」
「その自信はどこからくるんだかな。元教導群のお前も眼鏡が曇っちまったんじゃないのか? 隊のみんなの信用問題にもなるぞ。俺からの警告だ、あまりあいつの肩を持たないことだ」
そう言い残し串谷は去っていった。宮鍋も彼らの気持ちはよくわかっていた。異質なものに自分達の誇りを荒らされたくないのだ。通り過ぎる他の隊員たちが奇異の目を浮かべているのが大半だった。
こうなることはある程度予想していた。最初の選択の時の自分も同じだった。みんな同じなのだ。戦うべき未知の敵、ザイ。それを利用しているアニマや自分。いつ何が起こってもおかしくない。
「どうしました、一尉?」
堀内だった。グリペンの検査を別のスタッフと交代し、堀内もまた点検のためにN-0が鎮座する格納庫へ向かう途中に宮鍋を見つけたのだ。
あいかわらず状態は変わらないという。
「堀内か。お前も点検か?」
「ええ。念入りにしておこうかと」
「ひとつ聞きたいんだが、お前はザイのコアに恐怖心とかは無いのか?」
「ありませんね。銃口を突きつけられれば別ですが。この上ない研究対象になにを怯える必要があるんですか」
きっぱり言い放つ。眉一つ動かない。どうやら真実のようだ。聞いたのが馬鹿馬鹿しくなる。
「お前パイロット向きかもしれないな」
「僕は造る方専門です。適材適所という言葉があるでしょう」
つい大きなため息が出てしまう。他のスタッフがこういうのばかりじゃないことを願った。
「ところで一尉、僕達の配置先が決定しましたよ」
え? と宮鍋。
飛行停止からメーカーに出向し戻ってきて初飛行が昨日、試験が始まったばかりでまだ特性も完全に把握しているわけではない。
再配置にしては異様に早い。
「午後の試験を除いて残りの試験は配転後ということになりました。僕らは百里に配属されます」
「ずいぶん急じゃないか。昨日1回飛んだだけだぞ? まだまともに運用できる体制じゃないだろうに」
「ザイの襲来に備えて各飛行隊で戦力を整えたいのだと思いますよ。三沢にファントム、小松にグリペン、那覇にイーグルとバイパーゼロ。N-0も三沢と小松の中間点に置きたいんでしょう。首都圏ですし、最後の壁、という見方もできます。飛行試験自体は向こうでもできますから問題ありません」
堀内が眼鏡を指で上げながら言う。
しかし百里は太平洋側、前線からは遠いのではないか。本田空将補がそう配備しようとするかは疑問だった。
おそらくは空将補より上の決定なのだろうと思った。
「もしくは、彼女らが食い止めている間に完成させろ、という意味もあるかと」
「あまりいい気はしないが、戦略上それは正しいだろう。だがグリペンのことも考えると、どうもな・・・。設備はどうするんだ?」
「先に運べる分は空輸で済ませますが、大型の専用の機材は後から陸送ですね。これからその段取りもありますし、向こうの受け入れ態勢も調整しなければなりません。試験と平行してやることは山ほどありますよ」
専属のスタッフも全て百里に移る。岐阜から小松の時とは違い今回は時間の余裕が無い。
「こっちの都合はお構いなしか。組織事の常だな」
「仕方ありませんよ。幸い向こうにも生産拠点はありますし、部品調達が滞ることはないでしょう」
やれやれ、といった表情を浮かべる宮鍋といつもと変わらない堀内は五格へと歩いていった。
同日 1347 能登半島沖 訓練用G空域
午後の試験が始まる。地表を離れたN-0はほぼ垂直に、まるでロケットのように加速していた。リヒートを使用し一気に高空へと躍り出る。随伴していたF-15Jはとうに引き離された。重力と加速度で本来はものすごく息苦しいはずだが、特異なこの身体になってからはあまり感じなかった。
レベルオフ、背面からプラスGをかけながら戻す。高度43000フィート。やはり過敏な側面が災いして一度では合わない。
『M2.5、まだ加速してます。2.7…2.8…。M2,85、加速限界のようです』
スタッフの一人がそう告げた。モニター越しにN-0は観察されている。
もう少しで音速の壁の3つ目を破れそうだが、しかし堀内の設計はこれを限度にしていた。断熱圧縮の影響でこれ以上は費用対効果が悪くなるとしてあえて持たせなかった。
最高速度試験は堀内の設計目標速度までの到達を確認し終了。
次は徐々に上昇。高度64000フィート到達。空気密度が劇的に低下している中での高高度評価試験。リヒートカット、減速。紫外線が非常に強く、装甲キャノピーでなければ宇宙服のような装備が必要だろう。
被弾時の破裂を防ぐため与圧を低くせざるを得ない戦闘機だが、N-0の飛行服は通常のものより高高度対応型となっているため息苦しさを感じることはない。酸素発生装置も強化され、加えてN-0が身体の内側を最適に保ってくれているおかげもある。
空気密度は極端に低く、酸素はほとんど無い高高度はエンジンストールとの戦いになりそうなほど燃焼が厳しい。インテークが最大に開き、薄い大気を貪欲に取り込んでいく。N-0がドライ推力で上ることができる限界だが、F-15Jは同条件だとそもそもズーム上昇でしか上ってくることが出来ない。
ここまで高度を上げると動翼による旋回は困難になってくる。しかしN-0は3次元推力偏向ノズルを有し、なおかつVFCをスラスター制御とすることで低空と変わらない旋回率を維持できるとしていた。
午前中のグリペンとのやりとりで得たヒントを試そうと思った。高空であればリカバリーの時間も稼げる。
まずスロットルレバーと操縦桿のイメージを頭の中から消した。次いでラダーペダル、そしてついには座席に座っているということも。自分の身体の感覚をN-0へと落とし込み、N-0のより深いところ全てに融合するような感覚を抱いた。
宮鍋はその身一つで空に浮かんでいた。揚力を生む翼も、衝撃波をいなす外装も、周囲を見渡す電子機器も全て繋がり、結合され一つになる。新しい身体が生まれる瞬間。これが本来のN-0との付き合い方だというのか、堀内や本田空将補が目指していたものなのだろう、と理解する。もしかしたらアニマ達も同じなのかもしれない。
「高高度機動実験を開始」
SHADOW01、宮鍋が言う。
上下ピッチ、右へ、左へロール、ヨー。低レートから最大レートまで無段階に。昨日の暴れ馬の如き挙動が嘘のように狙った位置でぴたりと止まる。とても良い感触だ。
リヒートがまともに作動する高度まで少し降下する。ふと戦闘機動じみたことをする。
右ロールからバレルロール。急激にジグザグに、そして直角に近い左旋回からまた反対に切り返し、おおよそ人の反応を超えた操作速度でN-0は大気の合間を縫っていく。境界層が剥がれた表面をVFCの気流が再び流れを作り直し剥離を遅らせる。大型機の範疇でありながらかつてない旋回半径の小ささを見せる。同時に、身体に襲い掛かる大Gに抗う宮鍋。
他人からはただの機動試験に思わせるそれらは、昨年ザイと初めて遭遇した時の記憶を呼び起こし、その状況を再現し、今ならどう動けるかをシミュレートしていた。
奴らの後ろを取ることができるだろうか。
慢心はいけないと宮鍋は気持ちを切り替えるために別のことをする。
90度の左バンクからピッチアップ。重力に引かれ減った揚力によりわずかに機体が落ちる分を修正してきれいな定常円を描く。180度反転し同様に動かす。2週したところで急激に機首上げし、出力を絞りわざと完全失速状態を作った。
ストール警告が発せられる。動翼も修正をさせず、静安定性が負の特性を持つN-0は簡単にスピン状態に突入する。この操作においても吸気に問題がなくフレームアウトを起こさないことを確認した宮鍋はエンジン停止、ストール試験も行う。
『ああ! まずい!!』
随伴のF-15Jから無線越しに狼狽した声が上がった。航空機としては致命的となる挙動。機首があちこちでたらめに振られる。アンコントロール、錐もみしながら落下していく。ぐるぐると回る世界で、しかし宮鍋の胸中は穏やかで、焦りによる心拍の乱れは皆無だった。すでに意のままに操る信頼をN-0に見出していた。
地表に向かって加速していくN-0。ある程度速度が乗ったところで各動翼をミリ単位で、1枚ずつ独立して調整し、最適な空気の流れを作っていく。錐もみを止め、90度横転した状態にした。
そこから機首を真下に向ける。対気流によりタービンが回転しエンジン再始動、圧縮は正常に行われ混合気に点火成功。出力を上げ、状態の回復を試みる。
カナードは主翼の乱流を受けることなく真っ先に気流を受け止め進行方向を決定し、主翼のエルロン、フラップ作動、推力偏向ノズルを用いて機体後部を積極的に動かしそこから徐々にピッチアップ、同時にVFCから背面側を流れる圧縮空気が機体の表面をなぞり圧力差を造る。再び揚力が戻る手応えを感じながらN-0はまるでサーフィンでもするかのようにその身を大気に滑らせた。何事も無いかのように水平飛行に戻った。地球の丸みに沿っている。
地表にはまだ大分余裕があった。
「これは…」
堀内をはじめスタッフ全員があっけにとられる。
βの時と同じように明らかに墜落まっしぐらだったN-0が、何事も無かったかのように平静に飛んでいた。モニター越しに宮鍋の状態が表示されているが、ほぼ全ての信号は乱れることなく更新されていく。心拍の乱れなら堀内の方が大きいくらい。
「み…SHADOW01、無事ですか?」
『ポジティブ』
「その様子ですと、なにか掴んだようですね」
『ああ。どうやら俺はN-0の操縦の解釈が悪かったらしい。正しく理解できていなかったようだ。確かにN-0は普通じゃない。しかし普通のやり方ではかえって駄目だったんだ』
どうも堀内の理解を超えたところに宮鍋はいるということだった。
今までとは違う言葉の端々に浮かぶ、悟りのような口調。
『ちょっと別メニューになってもいいか?』
「? 構いませんが…」
『Roger』
その交信の直後、N-0はアイドリングまで推力を絞りエアブレーキを効かせる。みるみる速度が低下していき、またもストール警告が発せられる。なおも宮鍋は減速。揚力が無くなっていく機体は小刻みに揺れだした。ついには限界に達し自由落下を始める寸前で機首上げ。同時に空気と燃料の混合を最適化、ノズルの絞りも微調整。エンジン出力を調整し加速も減速もしない、重力と釣り合った状態に持ち込む。間もなくN-0は完全に静止した。風に煽られる度にノズルが動く。
推力重量比がドライ推力においても1を超えている機体の特権。通常時のミサイル搭載量でも1を切らず、非武装状態ならウェット最大推力で2を超えるまでエンジン出力が高められていた。
宮鍋自身はコクピットで逆立ちしたような体勢だったが、頭に血が上ったために起こるむくみや紅潮は起こらなかった。N-0に積まれたコアが血流を完璧にコントロールしていた。
この状態で宮鍋はのべ2分間完全静止した。
ノズルが絞られ燃料流入量が増える。その場から加速しまた上空に舞い戻るN-0。今度はわざと飛行機雲を曳いて鋭角的に曲がっていったり、はたまた緩い曲線を描いたり。急減速、リヒートを使用し急加速。意のままに追従するN-0。急激に機首上げし180度回転、高度をほとんど変えることなく進行方向とは正反対を向き、後ろから前に流れる世界を垣間見る。失速し揚力が消失するまでその姿勢を保ち、降下と同時に3次元推力変更ノズルが上を向く。同時にVFCの噴射孔から勢いよくガスを放出した反力でぐるりと270度向きを変え、地表から垂直に達したところで再び上昇していく。
「宮鍋さん、楽しそうですね」
モニターを見ていた盛脇が言った。
「意外とお茶目なところがあるようです。ところで好村さんは?」
堀内はいつの間にか好村の姿が消えていたことに気づかなかった。
「あのお方は格納庫に行きました。異動の準備してくると」
「仕事熱心な方ですね。いつの間に?」
「ストールを立て直したあたりで。たぶん、あれを見て安心したんだと思います。あの男は必ず帰ってくる、もう墜ちねぇよと言ってましたから」
宮鍋は未だかつてない奇妙な高揚感を覚えていた。恐るべきポテンシャルを秘めた凶鳥と向き合い、手を取り合い、ザイへの対抗策となるなら、ああ、むしろこれが必然なのかと納得した。生半可なものはいらない、思い切り突き抜ける翼が必要なのだと悟った。
妖刀となるか、名刀となるか、それは宮鍋に委ねられることになった。
エンジン停止。キャノピーが開放される。リンクを切り、酸素マスクを外しヘルメットを取ると心地よい風が抜けた。些か身体にだるさを覚えるが昨日のような猛烈な吐き気は無い。固定具を全て外しタラップが掛けられ、整備員にヘルメットを渡すと自力で降りることができた。
「SHADOW01、ただ今帰還しました」
皆の方を向き敬礼。その瞬間を待ち望んだかのようにスタッフと整備員の歓声があがる。今度こそ祝福を受け取った宮鍋。
先に機体を見ていた好村がずいっと近づく。宮鍋と正対する。
「名前を付けたんだってな」
「N-0γ KATANA、そう呼ぶことにしました」
「こいつと上手くやれそうか?」
宮鍋は自信を持って答えた。
「はい」
「俺の目が黒いうちはいくらでも直してやる。負けんな」
肩をぽんと叩き好村は工具を取りに行った。
「あのお方も喜んでるんですよ、宮鍋さん」
傍らにいた盛脇はそう言った。師匠の態度は長年連れ添っていたためによく分かっていた。すぐさま早よ点検せんか、と盛脇が呼ばれる。会釈をし、盛脇は駆けていった。
たった1機の試験機のためにこれだけ多くの人員が付いてくれるのに宮鍋は頭が上がらないなと思った。
五格の入り口からそれに聞き耳をたてていた人影も内心はほっとしていた。
「串谷二佐も気になりますか」
なまず顔の整備員が小声で話しかけた。ネームプレートには舟戸と書かれていた。
「…まあ基地の周りで墜ちられたらたまったもんじゃあないからな。フナはあの機体どう思う?」
「素直にすごいと思いますよ。組み上げの時に立ち会って、こいつは一味違うなって。岐阜の件でどうなることやらと思ってましたが、あっちは軌道に乗ったんでしょうな。うちの眠り姫に爪の垢でも飲ませて欲しいくらいですよ」
「明日には配転でいなくなっちまう。上はいつも余計なことをする。飛行機なら大した距離じゃないが、大きな隔たりになってしまった」
これで2度目だ、と口から出そうになる串谷。
「できるものなら置いといて欲しいものでしたね。大体の技術は同じ、単純に防衛力の強化になるってのに」
「
串谷は腕を組み空を向いたまま答えた。
未完成の状態のまま出てくるな、そんな思いやりを隠しながら。
2017年5月28日 1013 茨城県上空
晴天の空を東へ進む。
他の人員よりも一足先に飛び立った宮鍋は輸送機が飛び立つのを見届け、先導するように輸送機の前方を飛ぶ。フェリー航行のため武装は積んでいない。おそらくはこれが最後の非武装状態での移動になるだろうな、と感じていた。
結局グリペンが覚醒しているときに挨拶も出来ないままの配転となってしまった。
百里に着いたら試験飛行と調整の毎日だろう。迫り来るザイに備えて、できる限りの準備をしなければならない。N-0を少しでも理解しなければ。
太陽光降り注ぐ中約30マイル先、宮鍋が調子の良い時に裸眼で見えるギリギリの空間にカメラが飛行する物体を捉える。望遠モードでは造作も無い、という感じだ。同時にそれらが放つ赤外線の波長も受け取る。
2機、それも編隊を組んでいる。逆Y字の尾翼に双発の上反角を持つ、ややずんぐりした機体。半世紀を経てなお現役で日本の空を守っている老兵。
『IFF確認、SHADOW01、フライトプラン通りで結構。後ろの輸送機ごとエスコートする』
「了解」
F-4EJ改、百里基地の所属機である。時間的におそらくは訓練飛行だったのではないだろうか。そのままこちらに出向いたようだ。
いったん交差した後、緩く旋回して追いついてくる。
「エスコートに感謝する。先に輸送機を降ろして欲しい」
『了解。――本当に前進翼だ。カナードも付いてるけど水平尾翼が無い。思い切った設計だなぁ』
『私語は慎め。下でいくらでもインタビューしたら良い』
近くまで寄ってきたF-4EJ改の狭いコクピットから興味津々に見るパイロット。ジェスチャーで挨拶でもしたかったが、しかし装甲キャノピーが宮鍋を映すことはない。このあたりはちょっと不便だな、と思う宮鍋であった。