3-1
この間の小松防衛戦で一尉とN-0は確かにザイと戦闘に入りました。交戦記録とレコーダーを解析してみても、通常機では有り得ない恐ろしい機動をしたのは確かです。よく空中分解しなかったものだとしか言えないのですが、奇妙なことに、整備と検査においても許容範囲内の歪みしか確認されていないんです。いえ、自己修復の類ではなく…。HiMAT前提の機体強度で設計したとはいえ、どうにも腑に落ちません。今頃工場送りになっていてもおかしくないのですが…。鳴谷君とグリペンの件といい敵性技術というのは探求心を擽り実に興味深い結果を残すものですね。室長、僕はこの状況を最大限活用する一存です――。
2017年7月17日 百里基地
「うぇ、そんな…」
回覧を受け取りN-0の整備をしていた盛脇が愚痴る。
「好村さん、僕達また小松へ異動ですって」
「ぁあ? 馬鹿言え、もう繋げちまったんだぞ、コレ」
基地のシミュレーターにN-0を使えるようにするサーバーと変電設備、接続ケーブルやら整備用の足場、果ては機体予備パーツラックに脱着式ミサイル懸架装置の保管機材など。製造元の六菱重工から送られてきたものが格納庫の一角に配置されている。
それだけではなく建物内の宮鍋用の検査機器も撤去しなくてはならない。つい一月前に配転してきて機材を完成させて間もない。今更動かすとなってはやりきれないものだ。
「いつだ?」
「1週間後です」
じっとコピーを見る好村。その間N-0が飛行訓練を取りやめるわけも無く整備だって有る。
「大工事だな…」
「ええ…」
渋面を浮かべる好村と盛脇。頭の中はすでに作業日程を構築していた。
「まーた上の無茶振りが始まった」
昼時の仕官食堂。宮鍋の向かいに座っている弐国堂が豚の生姜焼きを頬張りながら眉をハの字にしている。階級は二尉。F-4EJ改のパイロット。
「弐国堂、不敬罪」
弐国堂の隣、茶碗に主菜である生姜焼きの一切れ載せた後のタレが染みた白米を食べていた有栖川がぼそり。宮鍋と同じ一尉であり、弐国堂の先輩である。同じF-4EJ改のパイロットであり、主に後席を任される。
「そりゃこうもなりますよ、宮鍋一尉この間来たばっかりですよ? それがもう配転なんて。アホなんですかね」
「小松の襲撃で、上が慌てて集中配備しようとしてるらしい。それに、その時結構な損害も出た。仕方ないさ」
宮鍋は小鉢のすみつかれを食べていた。
「俺や堀内はまだいいさ。大変なのは好村さんや盛脇さんはじめ整備員の人たちだろうな。それに施設隊か。機材ごと全部撤去して輸送する。シフトは調整するようだが、全く飛ばないわけにはいかないから、その合間に整備も。たぶん休み返上になると思う」
「うわぁ…」
気の毒に、と弐国堂。
「彼らも出向とはいえ技官だからな。上からの命令には従うしかない。俺達と同じだ」
きれいに平らげた有栖川がお茶を啜りながら言った。
「小松、か…」
宮鍋も食べ終わった小鉢と箸を置き、手に取ったコップの水を見ながら言った。
串谷二佐や飛行隊の皆、そしてグリペンとイーグルはどうしているだろうか。
2017年7月24日 百里基地滑走路
ランウェイ21手前のホールドライン上で停止。N-0のカメラには格納庫脇から手を振る見送りの隊員たちが見えていた。有栖川や弐国堂をはじめ基地の皆と過ごせた時間はかけがえの無いものとなった。
最前線の小松へ配転となればもう百里に戻ってくることはないだろう。いつかまたどこかで会えることを願った宮鍋。
先に出て行った技官たちはもうすぐ小松に着くころだろうか。次は自分のフライトなのだが、一向に許可が下りない。先ほど着陸した小型の民間機が動かない。なにかしら機体にトラブルが発生した様子だ。
滑走路上に停止している機体があるときは滑走路に進入してはならない。世界中の空港の共通ルールだ。
SC時ではなかったのは不幸中の幸いか。
なんだか見送りの隊員たちに申し訳ない気持ちが湧いてくる。ようやく動いたと思ったら今度は旅客機が進入するという。宮鍋は待つしかなかった。
結局40分ほど待たされてようやく離陸となった。
同日 小松基地
「三格が賑やかじゃないか」
小松に到着したN-0と宮鍋。エプロンまで誘導を受けながらタキシングし、機体停止措置を施し酸素マスク、各ハーネス類を解除、キャノピーを開け待機していた堀内にそう言う宮鍋。
タラップが掛けられると宮鍋は降りる段階でヘルメットを取り座席に置いた。
小松防衛戦の爪跡はすっかり無くなっていた。アプローチ体勢から見えていたエプロンに3機のカラフルな機体が見えていた。迷彩塗装が施される軍用機において、そこだけ花が咲いたようだった。
「アニマが3体になったのはいいんですが、順風満帆とはいかないようです」
地上に降り立つ宮鍋に対し、堀内が三格を見ながら言う。
「ん? それは一体?」
「よう、今頃到着か、どこで油売ってたんだ? 遅いじゃねぇか」
そこに串谷が現れた。二佐、宮鍋のかつての直属の上官。
「申し訳ありません。宮鍋久司一等空尉、ただ今着任しました。―どうされましたか? 串谷二佐」
敬礼。串谷に若干疲れが見えているように思えた。
「ちょっと心労がな…。まあ、そのうち分かるさ」
そう言い残し去っていった。どういうことだろう、と思う宮鍋。
「慧、この人」
聞き覚えのある声。そっちを見やると薄桃色髪のアニマ、グリペン、とその横に高校生くらいの男の子がいた。
「こんにちは」
「こんにちは。――堀内、今日は基地解放日だったか?」
ぼそぼそと耳打ちをする。こんなところに一般人がいるのはいささかおかしい。見たところ航空学生でもなさそうだ。しかし耐Gスーツ着てるのは何故だ? 催しか何かで着させているのだろうか。
「彼はグリペンのパートナーですよ」
「え?」
予想だにしていなかった堀内の言葉がうまく入っていかなかった宮鍋。
「ですから、グリペン覚醒のキーマンということです。詳細は後で話しますが、グリペンに乗っています」
「鳴谷 慧って言います。訳あってグリペンと一緒に飛んでいます」
驚愕を露に目を丸くする宮鍋。一般人がグリペンに乗ってるだって?
慧と堀内を交互に見やる。
「本当に…?」
「は、はい」
「小松にザイが侵攻して来たときも慧が乗っていた」
とグリペン。
「えぇ!? あの時乗ってたの!?」
さっきから仰天しっぱなしの宮鍋。
空戦は日ごろの訓練と体力がものを言う。目の前の学生はどう見ても自衛隊の訓練に混じって過ごしているどころか特別な体力があるようには見えなかった。さらに乗っていたのがドーターだ。全力で動き回られたらひとたまりもなかっただろうに、と思う宮鍋。
「といってもGに耐えられなくて気絶しちゃいました。帰ってからのほうが大変だったというか…」
「鳴谷君、と呼べばいいか? よく無事だったね…」
「皆さんに心配されました…」
「堀内、お前黙っていたな?」
「他基地にこの事実を広めるわけにもいきませんでしたからね。一尉経由で知れ渡る可能性もあった。噂の拡散は予想以上に早い」
宮鍋は半眼になりながら堀内を見る。こほん、咳払いを一つ。
「ドーターに乗り込んで飛んでるというのなら、これから行動を共にすることもあるだろう。改めまして、本日付で小松基地に配属となりましたN-0γ KATANAと宮鍋久司一等空尉と言います。よろしく」
「よろしくお願いします」
握手。まだ幼さが残り成長し切る前なのだなと、その掌から感じ取った。
「それはそうと鳴谷君、名乗っておいて何だが、基地の外ではこの機体の事と俺の名前を出さないで欲しいんだ。自衛隊の守秘義務ってやつで。脅すようで申し訳ないが、うっかり口に出してしまうと怖いお兄さんが――」
口元に人差し指を持っていく。内緒にしておいてね、というサイン。
「大丈夫です、嫌ってほど経験しましたから…」
慧の目が泳ぐ。この1ヶ月ほどの間に何があったのだろう、と思ったがそういえばこの上なく機密事項に関わっているな、と宮鍋もそれ以上詮索しなかった。グリペンは慧の隣で頭の上に「?」を浮かべている
その光景を見ていた影が一つ。
基地指令への挨拶が終わり自室へと荷物を運ぶ。これから八代通技官に挨拶しに行くとなると、昼食をとる時間は無さそうだった。百里で足止めを食らったのが痛い。着替えを適当にしまい込み、机に写真立てを立てかける。写真には妻の茉莉と娘の清美。自分と彼女達を繋げる唯一のもの。あの日俺は死んだんだ。もうこの世にいないことになっている。生身はしかしこうして彷徨い歩いて、あまつさえ未練たらたら。度し難いな、と自嘲気味になる。
もう少しの間、俺は人間でいたい。
八代通がいる技本棟室長室に向かうと、ちょうど堀内と出くわした。
「室長なら席を外してますよ」
「? なにかあったのか」
この時間ならいると思ったのだが。
「イーグルを連れてどこかへ外出したそうです」
「アニマを連れて…って、機密事項を外へ持ち出して大丈夫なのか?」
世間にバレたらどんな反応が起こるだろう。極々一部だけには理解される可能性は有るかもしれないが。
「室長の世間体がどうかは判りかねますが、大丈夫と判断したんでしょう」
「そういうものなのか…? そうそう、鳴谷君はいつごろから基地に通うようになっているんだ?」
「僕たちが百里に配転したあと、6月の半ばだと聞いています」
「入れ違いだったんだな」
「ええ。そして興味深いのが鳴谷君の脳波とグリペンのEGG、脳波みたいなものが完全に一致しているんです。時系列を考えても普通は有り得ません。まるで最初からそうなっていたかのようだと室長が言っていました。グリペンの不安定な覚醒は鳴谷君が近くにいるということで解消されることが判明しました」
八代通が手を尽くしても解決できなかった問題があっさりと片付いてしまったが、これはこれで新たな問題が出てきそうだ、と思う宮鍋。
「だから小松防衛戦で鳴谷君が乗っていた、というわけか。彼が覚醒の鍵だったとはね。ただ、どうしてそうなっているかが見当付かないな」
「技本は解き明かそうという気まんまんですよ。僕もその関連性については研究するに値すると思っています」
「ほどほどにな…。さて、八代通技官が戻るまでは待機だな」
いないものは仕方ない、出直そう。
「僕はまだ確認することが有りますのでまた後で」
「ああ、俺はまた格納庫へ行く」
技本棟、情報管理室に着いた堀内は早速パソコンのデータ整理を始める。
N-0に関するものは責任者である自分が行わなくてはならない。外部漏洩防止のため空自の専用回線も使わずに複写となる。暗号化を解いて手作業で入力する部分も多い。机の上には缶コーヒー(砂糖、ミルク入り)の中身を移し、ガムシロップを追加で3杯入れた猫柄のマグカップがある。昼食はこれとカバンに忍ばせてある固形の携帯食で済ませるつもりだった。
ふと背後に気配を感じた。
「お邪魔します」
身体をひねり視線を後ろに向ける堀内。
お嬢様然とした佇まい、エメラルドグリーンのおかっぱ髪、ファントムだった。
「遠巻きに見ているかと思っていたけど直接来るとはね。N-0と一尉のことかい? ファントム」
「察しが良いようで。メーカー自主生産という名目のあの機体、本気で量産化、特殊部隊化する気なんですか? 堀内治郎さん」
「将来的にはそのつもりだよ。そのための宮鍋一尉とN-0だからね」
体勢を戻し作業を進めながら言う堀内。
「アニマは機種固有のキャラクターであり複数存在できない、現状世界の研究機関が出した結論はこれだ。そしてそう易々とアニマが生み出されるわけでもない。これではどうがんばってもザイ相手には圧倒的に戦力が足りない。じり貧するのが容易に想像できる。なんとかして補うにはどうするか、ドーターとアニマと同等と言える存在、すなわち素であるザイを利用することではないか? と僕達開発陣は考え付いた。N-0もまた回答の一例でしかない」
「そのために人間そのものを生贄にした、と。あの機体のためだけに断行した。非常識極まりないとしか言えませんね。もっと別の手段があったはずでは?」
「夢さ」
「夢?」
データを打ち込んでいた指を止めファントムへ向きなおる堀内。
「そう。製造当時、計画初期の頃か、僕達だってアニマという存在に希望を見出した。中国で突如出現したザイはやがて日本にも飛来するだろうと予測されたからね。しかしそれに頼りっぱなしというわけにもいかない。もし何らかの原因で飛行不能になったとき対抗手段を失う。バックアップは不可欠、しかし通常機ではおそらくザイに追従できない、とN-0開発陣は交戦データを見て確信していた。結果は知ってのとおりだね」
小松防衛戦における被害は大きかった。保有するF-15Jを何機も失った。
「ザイや君達アニマが現れる前から国産戦闘機を望む声はあちこちあった。メーカー側にもね。僕達はそれを纏め上げ、長年の夢であった国産戦闘機を造った。資金調達に抜け道を使い、メーカーには無理を圧して製造してもらい、一尉にはおよそ人間の所業ではないことまでやった。その夢と犠牲の結晶がN-0と現在の宮鍋一尉、というわけだ。そして量産化するとなれば、宮鍋一尉の例を元にすればいい。その材料は敵が自ずと提供してくれる。アップデートは必要だろうけど、理想的だよ。でも、本当に必要なものはこの夢から醒めること、そしてその過程を作り上げることなんだろうね」
「それを理解しているのならまあ良いでしょう。経緯と詳細を一般公開しなかったのは賢明な判断ですね。無駄ないざこざを増やすべきではありませんし」
「人間の愚かな部分を知っているからね。仮にザイを掃討できた場合、今度はこれを巡って大義名分を掲げてまた争い始める。どうしようもない。だからザイとの戦争が終わっても詳細は公開しないことになっている。――それでも、別の道を歩む人類の可能性に賭けているのさ、『僕達』は」
どこか遠い目をする堀内。
「私は理由はどうあれ人類を救済すべきものとして造られました。堀内さんもその対象であることはお分かりでしょう。シミュレーターを繰り返し、人類が滅亡するそのときまでどう行動すれば最適であるか、そうなるために実行すべきことは何かを突きつけられました。小を殺してでも大を存続させるために、最後まで生き残るべく私は私の思いつく限り、堀内さんの言うその可能性が繋がるよう行動を起こしますのでそのつもりで。あなた方も大局のうちの因子であることの例外ではないので悪しからず」
少々そっけない態度のファントムを見てため息を漏らす堀内。
「やれやれ、生まれたてのときはあんなに素直そうだったのに。室長も罪な事をする」
孤軍奮闘かな、とファントムを見て頭をかく。
「…は?」
ファントムが予想だにしていなかった発言に目を丸くする。
「ちょっと待ってください、なんで私の出自を知っているんですか!?」
「N-0を造る際にファントムとドーターを参考にしたからね。人工子宮の培養液に浸っていたときから知っているよ」
「――見たんですか?」
「誕生の瞬間なら」
「違います、そうではなくて、見たんですか!?」
顔を真っ赤にしたファントムが詰め寄る。
「何を? …ああ、そういうことか。全部見た、これでいいかい?」
「~~!!」
実際当時はドーターの研究をしたこともあり、その過程でファントムを見ていた堀内。
「艦と飛行機はよく女性詞を使うせいか、人間の欲が集中したのかな、と思った」
ファントムの『全て』を見た堀内だが、しかし研究中にそうなるのは当然のことだろう、と特に意に介さずの立場だった。
「今すぐ記憶から消して下さい! 手伝いますから!」
堀内の襟元を掴みぐわんぐわんと揺すりながら狼狽するファントム。幸いなことにマグカップの中身を撒くことは避けられそうだった。
「別に広める気は無いから安心すると良いよ。あと、落ち着いてから外に出て行くこと。他者に悟られないことが肝心だろう?」
ずれた眼鏡を直しながら堀内が言う。表情はいつもと同じだった。
「…忠告は受け取っておきます。ですが、記憶の
少し不機嫌な表情を残しながら、冷静さを取り戻したファントムが出て行く。
堀内は、良かった、まだ普遍的な感情が残っていてくれていた、と安心した。