今宵は満月   作:生崎

10 / 14
レミリアちゃんとフランちゃん

 カツンッ、

 

 

 とレミリアの小さな足が石の床を叩く音が小さく響く。その小さな足音の反響はすぐに数多の妖しく光る瞳に吸い込まれるように消えていった。小さな吸血鬼の紅い瞳の先に座す紅い瞳。玉座に足を組み座る吸血鬼は、突如宙に浮かぶように現れたレミリアと従者を見てもため息ひとつ漏らさない。両脇に控えたメイド服を着た二匹の人狼の視線を払うように美鈴が一歩レミリアの前へと足を出し、レミリアは小さく一息吐いて周りで光る瞳に目を這わせた。

 

 ポエナリ城*1、難攻不落の要塞と言われるドラクル=スカーレットの居城は薄暗く、灯りは背の高い燭台が太い蝋燭の先に灯された小さな火だけ。ひび割れた石床や壁を照らすのはそのほとんどが窓辺から差し込む月光だ。柔らかな月明かりが生み出す影の中、数多の色に輝く妖たちの目を見てレミリアは「綺麗ね」などと少し場違いな感想を抱き自重の笑みを浮かべた。

 

「来たのかレミリア」

「私は帰ると言ったはずだわ」

 

 投げかけられたつまらなそうに紡がれた父の言葉に、レミリアもまたくだらないと言うように吐き捨てた。全て手の内と言うように余裕な態度を崩さぬ吸血鬼の姿が腹立たしい。「ノーレッジか」と呟くドラクルに、レミリアは微笑を浮かべて一歩、美鈴の隣に足を運ぶ。

 

「あら、分かっていたのではないの?」

「未来というのは幾つもの枝分かれしている。お前がノーレッジを頼るのは一番可能性としては低かったが、プライドもなく魔法使いを頼るか」

「貴様を倒しフランを取り返すためならなんでも頼るわ、私がこの旅で覚えた最初のことは誰かを頼ること」

 

 逃げ続けた東の果てで、頼れる時は誰かに頼った方がいいぞと用心棒が言ったから。誰かを頼る。その本当の意味をようやく旅でレミリアは知れた。妹を救うため使用人たちを頼り裏切られたが、その時はただレミリアは喚いていただけだ。ただ必死にお願いをしていただけで、レミリアはなにも差し出していない。自分が信じていないのに、相手からだけ信じて欲しいなどムシのいい話。自分が信じなければそもそも信頼など得られない。今は信じられる者がいると美鈴に横に立つレミリアにドラクルは目を落とし、「くだらない」と一蹴する。

 

「最近に覚えたのが誰かを頼ること? 随分無意味な旅をしたらしい。従者とは道具だ。ただ使うだけであろうが」

「変わらず傲慢ね、だけどそれは私もよ。一人でないからこそ私は負けない」

「口だけは達者になったか、ノーレッジを頼り自ら墓場に来ただけだろう」

 

 ドラクルの薄い笑い声に引かれるように、石の床を踏む鈍い音が影の中から伸びてくる。床に刻まれたヒビ割れの影からすら妖の手が伸びてきそうなほどに張られた緊張の糸にレミリアが小さく息を飲む。揺らめく眼光の軌跡は美しいが、そのひとつひとつが驚異の塊、気を滲ませる美鈴に触発されるように、影の外へと一歩妖の足が伸びた。月明かりを踏む妖をレミリアが睨んだとほとんど同時、

 

 

 ────ボンっ! 

 

 

 と、風船の弾けたような間の抜けた音を上げて妖の頭が弾け飛ぶ。「ふふふっ」と二の足を踏む妖たちの足を張り付けにするのは、少女の柔らかな笑い声。影の中七色の光線を引き瞬く紅い瞳。その輝きを目で追って、レミリアはほんの少しだけ目尻を下げる。

 

「フラン」

「お姉様が帰って来たわ! お姉様が帰って来た! 私に会いに!」

 

 窓辺に寄りかかるように影から這いずり出てくる笑顔のフランにレミリアも薄い笑みを返し、そしてすぐに笑みを消す。ドラクルは緩く手を振って、従者に下がれと指示を出した。爛々と輝くフランの前に足を出せば、何人たりとも壊されるのみ。狂気を磨き抜かれたフランの前に美鈴は足を出そうとするもレミリアがそれを手で制した。

 

「……お嬢様」

「美鈴、フランは私の妹よ。貴女に頼るのはまだ後よ」

 

 微笑むレミリアの顔を見つめ、美鈴も笑うと一歩下がる。フランの前にレミリアが、レミリアの前にフランが立つ。レミリアが半年思い描いてきた再会とは少し違ってしまったが、再会であることに違いはない。瞼を落とし唇を小さく噛んだ後、レミリアは顔を上げてフランを見つめた。追って来た顔を愛おしげに。

 

「ただいま、フラン。迎えに来たわ」

「おかえりなさいお姉様! 本当に帰って来てくれた! でも迎えに来たってなに? どこかへ行くの?」

「ええ……、未来に、貴女を連れて」

 

 首を傾げるフランに、レミリアは苦笑しながら一歩足を前に出した。

 

「フラン、これからはもうなにも壊さなくていいわ。私がそんな未来を描いてみせるから。だから」

 

 ただ優しく手を取って欲しい。そう思い差し出すレミリアの手をただフランは得体の知れぬものを見るように眺め、少しの間唸ると尚も首を捻る。

 

「なんで? 嬉しかったら壊すでしょう? 悲しかったら壊すでしょう? 素敵なものもそうでないものも壊せばもう変わらない。私だけのものだもの。だからお姉様も、私のものよね? アハッ」

 

 

 大事だから壊してしまおう。

 

 

 いらないものも壊してしまおう。

 

 

 小さな手で握り潰してしまえば、万物はフランだけのもの。だからレミリアさえもその手で包みたい。そうすればもう永遠にレミリアはフランだけのもの。全てが行き着く先は破壊。ただ純粋にそれを願うフランの姿にレミリアの手が力なく下がる。ただその手を小さく握って。

 

「そう、フラン……。それが貴女なのね。今の、いいえ、貴女の全て」

「? 変なお姉様、私は私よ? だから壊していいわよね!」

 

 右手を前に伸ばすフランの姿に、諦めたようにレミリアは目を一度閉じた。全てはフランのため、そのために動き負けて始まった旅。フランに負けぬほど大事なものを拾い続けた長い旅路。どんな姿でもフランは大事な妹であることに変わりはない。しかし、そんな妹にも差し出せないものがある。

 

「フラン、私は壊れるわけにはいかないの。私を信じてくれる美鈴と満月のために、私のために、他でもない貴女のために」

「よく分からないけど、遊んでくれるのねお姉様! 久し振りに思い切りッ!」

「ええそうね。貴女にとって壊すとは遊ぶことなのね……。遊びましょうフラン、初めての姉妹喧嘩と洒落込みましょうか! 妹を叱るのも姉の役目ね!」

 

 窓辺に置いたフランの手に力が篭る。小さな手の圧力に耐えられず、ヒビ割れ割れた壁と窓が夜の空気を吐き出した。風に靡く青い髪から漂うように立ち上るレミリアの紅い妖気に呼応して、フランの身から迸る妖気。部屋に充満し鬩ぎ合う紅と紅の空気に弾かれるように美鈴が大きく背後へ跳んだのを合図に、レミリアとフランは足を踏み込んだ。

 

 

 

 

 

────────ドッ!!!! 

 

 

 

 

 

 石の床が乱暴に凹み、二つの紅い閃光と化した吸血鬼が空間を圧し潰す。空間が軋みズレたような音と衝撃に思わず美鈴は目を細めた。間髪入れずに美鈴の背後で弾け飛ぶ壁。同じく打ち崩れた外壁は、渦巻く紅い空気を外へと吐き出し、部屋の中を駆け巡ろうとしていた砂埃を外へと追い出す。その空気に乗るようにガラガラと音を立てのしかかっていた瓦礫をレミリアは手で強く弾き、夜闇に瞬く七色の輝きを睨み付けた。

 

「お嬢様‼︎」

 

 美鈴の叫びに応えるように、レミリアは牙を光らせ衝突の衝撃に詰まっていた息を大きく吐き出した。ただのぶつかり合い、力と速度に任せた衝突は引き分け。満月の光と大量に啜った満月の血がレミリアに力を与えてくれる。動きを確かめるようにレミリアは軽く手を握っては開き、普段より動きの良い体にレミリアは笑い声を零す。

 

「やっぱり私は一人じゃない方が強いみたい……、行くわよフラン! もう終わりなんて言わないでしょ! 私が貴女を満足させてあげる!」

「アハハッ! やっぱりレミリアお姉様は最高だわ!」

 

 一呼吸の間をおいて、フランの姿が搔き消える。目で追うのも難しいフランの動きにレミリアは口端を痙攣らせながらも笑みは崩さず、逃げそうになる体を無理矢理前へと押し出すように足を出した。床を砕き目の前に落ちてくるフランの笑顔を目前に、大きく振られるフランの手にレミリアは逆に肩の力を抜く。雪崩を前に緩やかに立った美鈴のように。

 

「言葉では足りない。フラン、私の旅を教えてあげる」

 

 力で力にぶつかっても、破壊の象徴たるフランの前では意味がない。故に鋭く闇さえ斬り裂くようなフランの腕をその力の向き先をより力を与えて向きを変える。トンッ、と軽い音に押されるようにフランの腕はレミリアの顔の横を通り抜け、フランの体が周囲を取り囲む妖の壁へと強引に突っ込んだ。

 

 力任せに捻じ切れる妖たちの体をクッションに、フランは呆け降りかかる紅い液体に服を濡らし重力のまま床に落ちる。コツンと頭を床に打ち、それをスイッチにフランは再び笑顔を浮かべた。

 

「凄い凄い! 面白いわお姉様! もっと遊んで!」

 

 妖を足蹴に蹴り潰しながら、鮮血を蹴るようにフランが空を走る。レミリアは細く息を吐き出して、命に伸びてくる手をただ反らし続ける。自分が弱いなどということはハナからレミリアは知っている。だが、それでもやらねばならぬことがあることも知っている。だからすべきは引くことではない。降りかかる力に臆さず一歩を差し出して、弾くでも壊すでもなく与えるのみ。レミリアを中心に跳ね回るフランに巻き込まれ、周囲の妖が巻き込まれ壊れる。朱く染まってゆく部屋の匂いに鼻を擦り、フランは身にこびりつく血を振り払うように何度も舞った。

 

「アッハッハ! ほらお姉様いつまで踊っていられるの!」

「フラン楽しそうなのも良いけれど、もう少し周りを見たほうがよくってよ?」

 

 私の用心棒のように。そう口には出さずに、レミリアは一歩横へと足を出す。それを追うように駆けるフランの足が、地を濡らす血液に取られて滑り態勢が崩れた。開けたフランの腹部の隙に差し込むように、レミリアは拳を振り抜き弾く。空気を吐き出し壁に突っ込むフランからレミリアは目を離さず、隙を見せることもない。残心。決めた後も心は離さず。「そうよね?」と口は開かず目も向けず口角を上げるレミリアを見つめて、美鈴は小さく笑う。

 

「かはっ、お姉様、流石お姉様だわ! 私だけのレミリアお姉様! やっぱりお姉様はお姉様だった!」

「当たり前でしょう? 私は貴女の姉だもの」

「分かってるわ! 私は分かってた! みんなお姉様をバカにしてたけど私だけは分かっていたの! お姉様だけが私を見てくれる! 周りの奴らはみんな臆病者だもの! 誰も私の手を取ってくれない! 誰も私を見てくれない! でもお姉様だけは違うもの!」

「フラン貴女……」

 

 フランだって壊すことが良いことだと心の底からは思っていない。それでもどうしても、嬉しい時、悲しい時、楽しい時、気持ちが昂ぶるとつい手に取った大事なものを握ってしまう。そうすると何故かそれが壊れるのだ。

 

 

 

 

 握ってしまうフランが悪いのか? 

 壊れるような脆いそれが悪いのか? 

 

 

 

 

 それは蛇が自分の尾を飲み込むかの如く終わりのない問答。その悩みの摩擦がいつもフランの心を削ってゆく。遠慮して、我慢して、気にしなくていいとドラクルが言ったから、だからフランは好きにすることにした。堂々巡りする疑問に答えを出そうとするフランを引き止めてくれるレミリアが居なくなってしまったから。

 

 

 でも今は? 

 

 

 今はレミリアが帰って来た。目の前にいてくれる。

 

 

 レミリアが壊れるのかどうなのか? 

 

 

 そんな疑問を置き去りに、握ってしまいたくて仕方がない。もう手放さないように力を込めて、それでもし壊れてしまったなら……。

 

「仕方ないよね? それにそうなったら、お姉様は私のもの」

 

 

 フランの右手が虚空に伸びる。

 

 

 大事ななにかを掴むように。

 

 

 右手にレミリアの“目”を浮かべて。

 

 

「お嬢様!!!!」

「平気よ美鈴、下がっていて」

 

 飛び出そうとする美鈴にレミリアは微笑み、フランに顔を戻すとなにもせず立ったままレミリアは優しく笑顔を向けるのみ。その姿にフランの笑みの方が消える。誰もフランに“目”を掴まれれば焦り止めようと突っ込むのに、全てを受け入れるかのようにレミリアはなにもしない。少し躊躇するように手を握らないフランを眺め、レミリアはホッと息を吐いた。

 

「どうしたのフラン? 手が止まっているわ? 貴女の言った通り、私は貴女を拒まない。たったひとりの妹だもの。言ったでしょう? 貴女に与えられたものを返すと」

「お姉様……あっ」

 

 向けられた姉の優しさに、思わずフランは手を握る。パキリと日々の入る“目”の動きに合わせて、レミリアの体にヒビが入った。身を裂かれるような痛みの中、レミリアは歯を食いしばりながらも、決して笑みは崩さない。

 

 

「ぐっ……⁉︎」

 

 

 喉から外へ走る出そうとする叫び声をなんとか押し込め内に飲み込む。フランの“破壊”を受け入れる。無意味なことかもしれない。無謀と言われればそれまでだ。それでもこれしかレミリアには思いつかなかった。万物を握り潰すフランに、壊せぬものもあると教えるために。愛する妹と離れぬために。

 

 

(私はフランの姉だものッ!)

 

 

 これぐらい耐えられなければ、レミリアは望む自分にはなれない。美鈴と満月とフランと、自分を信じてくれる者の想いを手放すことなく応えたい。そんな自分に、当主になると決めたから。

 

 

(私は誰も裏切らないッ!)

 

 

 パキパキッ、と耳に心地いい破壊の音が鳴る度に、レミリアの体が崩れてゆく。血を撒き散らしながらも身動ぎせず、詰まったような吐息と呻き声を零しながら、レミリアは手のひらに爪が食い込むほどに手に力を入れて拳を握る。自分を決して離さぬため。

 

「お姉、様……私」

「手が、止まってる、わ、フラン。私は、貴女の姉よ。舐めるなッ!!!!」

 

 

 

 

 ────ペキリッ。

 

 

 

 

 握り潰された“目”に合わせ、レミリアの口から朱が零れ落ちる。ぱたぱたと床に垂れる朱玉と合わせて床に崩れるレミリアの体からは力が抜け、ただ静かに床に転がった。手と足が千切れて地に広がる血溜まりは終わりを示しており、吐息も漏れないレミリアの体を見下ろして、フランの膝も弱々しく折れた。

 

「……お姉様?」

 

 返される言葉はなく、微笑みもない。動かないレミリアを穴が空くほどに見つめてもなにも変わらず、目を擦っても視界の先の景色は変わらない。静寂は静寂のまま、つまらなそうに椅子に座したままのドラクルの姿が分かっていた結果だと言っていた。それが運命と。

 

「お姉様? お姉様? あぁ……そうなのねお姉様」

 

 

 フランに壊せぬものはないと。

 

 

 愛も姉も、結局フランは握り潰せてしまうのだと。

 

 

「アハッ、アハハッ!」

 

 乾いた笑いが静寂を破る。転がった結果に笑う以外にできそうにない。どれだけ強大な想いも意志も、フランの小さな手に収まれば壊れるだけ。それを奪ってくれる者もいない。もしそんな者が居たのならどれだけいいか。壊れぬ者が居てくれたらどれだけいいか。でもそんな者はいないのだと、つまらぬことが分かっただけ。

 

 

「きゃははっ! そうなのね! やっぱり私は」

「────楽しそうね、フラン」

 

 

 笑い声がぴたりと止まる。ぴちゃりと血溜まりを叩き起き上がる青い髪。覆水を盆に返すように、血溜まりがレミリアのヒビを埋める。ヒビ割れてもレミリアの核は不思議と砕けず。

 

 

運ばれる命で運命と呼ぶ。

 

 

流されるそれを運べる者はただひとり。

 

 

流れて行くなと小さな手で掴めるのはひとりだけ。

 

 

「お姉様?」

「……なによフランその顔は。ひとりくらい……、壊れない奴がいてもいいじゃない?」

「レミリア、お前なにをした?」

 

 急に飛んできた男の声に、レミリアはふらつきながらも立ち上がり振り向かずに手を振った。

 

「あら、お前が驚くの? ひょっとして()()()()()()()のかしら?」

「貴様……」

 

 怒気を滲ませた吸血鬼の呟きにレミリアは笑い、呆けるフランをレミリアは見つめる。血を繰り体の形は整えても、体はふらつき立っているのがやっとでも、それでもフランの前に立ってみせる。ただ姉のプライドを芯に。折れないように突き立てて。

 

「フラン、私は貴女を否定しない。破壊が貴女の純粋さなら、私はそれも受け入れてみせる。私に大事なことを教えてくれた貴女だから。私もそれを貴女に返すわ」

「お姉様、私、私ッ!」

 

 弱々しく歩いてくるレミリアにフランは手を伸ばし再び“目”を浮かべるも、手が石になってしまったかのように動かない。自分の手とレミリアを何度も見比べ口を歪ませるフランの体をレミリアは優しく抱き締めた。手で払えばすぐに剥がれてしまうようなレミリアを、どうにもフランは振り払えない。

 

「フラン、私は貴女の破壊を奪えない。でも、それでも一緒にいることはできる。弱い姉でごめんなさい。でも、私を姉でいさせてくれる?」

「そんなのッ! お姉様はお姉様だものッ! でも私! 私ッ!」

「いいの、今はただ眠りなさい。こんなに月が綺麗だから、きっといい夢が見られるわ。明日からはきっとずっと一緒」

「うん、うん……お姉様」

 

 レミリアの身から湧く紅い力に意識をゆだねるかのように力の抜けるフランを抱き締めながらレミリアの膝からも力が抜けた。なんとか保たせていた気が緩んでしまう。そんなレミリアに突き刺さるもう一つの紅い視線に、レミリアは小さく息を吐き出し顔を向ける。苦い顔をした吸血鬼の顔を見るために。ずっと見たかったその顔を。

 

「どうしたの? 顔から余裕が消えたわよドラクル=スカーレット」

「……どんな手を使ったのかは知らないが、不愉快だレミリア=スカーレット。お前の顔を見ているだけで頭痛がするようだ」

「あら寝不足なんじゃない? どんな手なんて、ただ私は諦めたくないだけよ。で? どうするの?」

「どうするだと? 決まっているだろう。邪魔者は消すのみ。お前は新たな当主になると言っていたな。なら当主として相手をしよう」

 

 ドラクルが指を鳴らすのに合わせて妖たちの呼吸が合わさる。踏みならされた足に床に散らばった血溜まりが爆ぜ、無数の妖気の色が沸き立った。フランを抱えたままレミリアはぐるりと周りを見回してため息をひとつ。そうして小さく笑い、レミリアの言葉を待ち望んでいるだろう相手に待ち望んでいるだろう言葉を向けた。

 

「美鈴、頼らせて」

「はい、お嬢様」

 

 踏み鳴らされる足音を、美鈴が一歩で踏み潰す。足の形に凹みヒビ割れた床と揺れる城。レミリアの前に門が聳える。決して崩れぬ強固な門が、紅い髪大きく振って、白い布に覆われた腕を緩やかに広げた。そんな妖一匹を見つめ、城主の冷笑が差し向けられる。

 

「たったひとり従者を従え当主になるか? レミリア、それが私とお前の差だ。それでいったいなにが成せる? 一人が二人に増えたところでなにが変わる」

「二人なら、少なくとも私だけではできないことができる」

「なら三人ならなんでもできましょう」

「────は?」

 

 妖たちの足音に、無音の足音が静かに混ざる。新たに挟み込まれた声色は、蠢く流れる読点を打つかのように、にじり寄ってくる足音を堰き止めた。実態のない無数の剣先に意識を貫かれ、呼吸の止まった妖の中で何体かの首が滑り落ちる。始まりはなく終わりもない。軌跡に乗る侍が、時を飛ばしたかのように景色を切った。使用人の洋服に身を包んだ面頬を付けた見慣れぬ男。鮮血のように紅い髪を血に濡れた白布で一纏めにした男は、肩に担いだ刀を鞘に納めるとレミリアの前に膝をつく。

 

「お待たせしましたお嬢様。るーまにあまでと、約束は違えますまい。ですから置いていくなどと言わないで頂きたい。俺は、俺は貴女を主と決めました。今からでも、俺も貴女と歩みましょうぞ。貴女の未来に連れて行って下さい。その小さな背に」

「えっと……、えっ? あ、貴方満月⁉︎」

「どこからどう見てもそうでしょうに」

「どこからどう見ても分からないわよ! なによその髭は!」

 

 首に掛けられたフランの十字架がなければ残された満月の面影など全くない。せいぜいより紅くなった髪くらいのものだ。被っている黒い面頬の髭に口元を歪めながらぽかんと口を開けたレミリアだったが、満月と分かれば話は別。なにやらものすごく改まっている満月の面から覗く青い瞳を見つめて、レミリアは言いづらそうに唇を小さく舐める。

 

「嬉しいけど、でも貴方……、だって、死に掛けたのに……。今だって、死ぬかもしれないのよ?」

「俺は一度島原で死んだ。その命を拾ったのはお嬢様です。ならこの命、貴女のために使いましょう。俺は貴女の刃となろう。だから、どうか俺の手を取っていただきたい。俺も貴女の隣に。ですから」

 

 首に掛けていた十字架を外し満月はレミリアに差し出す。報酬は要らず、この先も共にいるために。その十字架にレミリアは手を伸ばし受け取ると、そのまま満月の首に掛けた。

 

「それはもう貴方のものだわ満月。それは私の大事なもの。だから貴方が持っていて。これから先も私のそばで。これからも一緒に……いてくれるの?」

 

 レミリアの笑みに満月は深く頭を垂れた。そうして差し出されたレミリアの小さな手を取りその甲にほんの少し額をつける。

 

「はッ! この命ある限り! ここで死んでも本望でござりますが、お嬢様にその気はないのでございしょう?」

「ええ、勝つわよ満月! 美鈴! もう私に迷いはない! 最高の従者が二人揃った! もう私に足りないものはないわ!」

「ええお嬢様。お嬢様はそのまま妹様を抱いててあげて下さい。お二人は必ず私がお守り致します。塞がった左手の代わりは私が」

「右手の代わりは俺が致しましょうぞ」

 

 立ち上がり並んだ従者たちの背を、ただ安心してレミリアは見つめる。レミリアの紅い二つの瞳を写し取ったかのように紅い髪を靡かせる従者たち。三人揃えばなんだってできると満月の言った通り、どんな脅威が立ち塞がっても、美鈴と満月なら大丈夫だとレミリアは知っているからこそ、ただ優しくフランを抱き締める。ドラクルに続く壁は美鈴と満月が砕いてくれる。

 

 そんなたった二人の従者を潰すため、無数の瞳が引き絞られた。多くの妖気に囲まれる中、しかし、美鈴と満月が気にするのはたったの二つ。いつの間にかドラクルの両脇から消えている影。無数の妖よりも頭一つ二つ抜きん出ている殺気を辿り、影から伸びてくる煌めく爪を美鈴と満月は上方へと反らす。

 

「ガッハッハ! やるねぇ、やるね! 悪くないぜぇ、久々のイキのいい獲物だぜ! なあハティ! もう辛抱堪らねえ! 狩だッ! 狩の時間だぜッ!」

「はしたないわスコル。そうやって血走った目を振り撒いて、ただの獣のようじゃあないですか。もう少し落ち着きを持って貰いたいものだわ」

「よく言うぜ! テメェみてえに取り繕ってる間に獲物を逃すのは御免だからな! テメェも内心涎だらだらだろぅ?」

 

 牙を剥き出して喉を鳴らし笑うスコルと呼ばれた人狼の頭を、ハティと呼ばれた人狼が遠慮なしにぶっ叩く。鈍い音と共にスコルの足は僅かに石の床に埋まり、「キャンッ⁉︎」と耳障りな声で大きく吠えた。

 

 馬鹿みたいな二匹の人狼だが、満月と美鈴は笑うこともなく満月は肩を、美鈴は頬を一度撫ぜた。指に付いた赤い雫を二人とも手を振って払い落とし、目は変わらず二匹の人狼に向いたまま決して動かしはしない。

 

「オィオィそう見つめないでくれよぅ、濡れちまうぜガハハ! テメェらの首を食い千切った時、どんな顔するか想像しただけで……くくくッ」

 

 深い茶色の跳ねた髪を振り乱し、ナイフのように鋭い目を三日月のように細めて笑う女の人狼、スコル。口内に溢れる涎に際限はなく、口端から垂れそうになるそれを頻りに舌を伸ばし舐め取っている。爪を研ぐように人差し指と中指の爪を擦り合わせ、目からは数度火花が散った。

 

「申し訳ございませんこんなので、ですがここが貴方方の墓場であることには変わりなく、骨だけ残して後は美味しくいただきますので」

 

 スコルを諌めながらも、言うことは同じ。眼鏡を掛けた茶髪の三つ編みを揺らした姿勢のいいもう一匹の女の人狼、ハティ。能面のように変化のない表情の中で、圧縮された殺気が光となって瞳の中で瞬いている。体の前で重ねられた両手からは目に見えて爪が伸び、表面は整えられていても闘争心は隠されていない。

 

 良い子ちゃんぶっているハティが気に入らないとスコルはハティに向かい唾を吐き捨てるが、ハティは微動だにせずそれを頬に受け、取り出したハンカチで綺麗に拭った。

 

「ッチ! つまんねえ女だな。まあいい、さあどう料理しようか? 内もも? 外もも? スネ? あばら? どこから食って欲しい? ウチらの動きも目で追えないようなトロイ奴らが従者なんて、レミリアお嬢も見る目ねえよなぁッ!」

「……よく喋る、寝起きに聞く鳴き声ではないな。困ったものだ、なあ美鈴殿? 俺たちは犬の餌なのだそうな。骨までしゃぶるとは見かけによらず、いや見かけ通りか? 倹約家らしいぞ」

「そのようで、犬に吠えられ目は覚めましたか満月さん?」

「あの二匹の人狼よりはな。すまないな美鈴殿、待たせてしまって」

「ふふっ、大丈夫ですよ。まだ私たちの闘いは始まっていませんし、私は、きっと来ると思っていましたよ」

「はあ? テメェらなにくっちゃべって──……」

 

 怪訝な顔を浮かべたスコルの視界が、薄っすら朱に染まりスコルは目を瞬いた。手を伸ばした先の額は薄っすら切れ、赤い雫が垂れている。およそ一瞬の間を縫って交叉された美鈴の拳。伸ばされたスコルの爪の下を潜るように伸びた美鈴の拳の鋭さに、ようやく気付いたスコルの顔が破顔した。

 

 それと同じく、首を傾げたハティのヘッドドレスがパサリッ、と音を立てて地に落ちる。綺麗に走った刃の跡に目を落とし、月光を反射するハティの眼鏡の奥でより殺気が圧縮される。爆発しそうなそれをハティは飲み込み、我慢せずにスコルは吠えた。

 

「ガッハッハ! なんだおいッ! 予想よりずっと野蛮で素敵だぜッ! ウチはスコル! 最上の獲物を追い続ける狩の僕! さあ、ずっとお預けくらってたんだ! ウチを楽しませろよなあッ‼︎」

 

「……私はハティと申します。獲物の先を行く神速の僕。ただ一言、おくたばり下さいませお三方」

 

 叫ぶスコルと恭しくお辞儀をするハティ。二匹の人狼を前に満月と美鈴は肩を寄せ合い、刀と拳をそれぞれ構える。美鈴をちらりと満月が見やれば、お先にとウィンクされるので、満月は遠慮なく胸の内に燻る熱を吐き出した。

 

「その意気や良しッ! 命を賭けるは今ッ! 待ち望んだ戦場を彩ってくりゃれよ人狼殿! 我が名は十五夜満月ッ! 東の極よりやって来たレミリアお嬢様の従者が一人‼︎ さあ俺に勝利を寄越したもうッ‼︎」

 

「ふふっ、久々に気が高ぶるッ! 我が名は紅美鈴ッ‼︎私の背の先へは何人をも通さぬ門の妖ッ! 大陸より背を追ったレミリアお嬢様の従者が一人‼︎ 覚悟はいいか? 門の下で朽ちる覚悟はッ‼︎」

 

 二色の青い瞳が輝き、二色の赤い髪が隣り合う。向かい合うは二匹の獣。東の流儀に身を染めた、武侠の従者たちがケンを抜く。狩で磨き抜かれた犀利(さいり)な爪と、武に磨き抜かれた破邪のケンが光と影を同時に裂く。

 

 

*1
十三世紀にワラキアの最初の統治者によって設けられた要塞、十五世紀にヴラド=ツェペシュが改造し、主要な要塞の一つとなる。十七世紀に廃墟となる。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。