今宵は満月   作:生崎

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レミリアちゃんと二人の従者

 風が見えているようであった。

 

 畝る空気の流れが月明かりに煌めく爪によって裂かれる様はスクラッチアートのようである。獣の唸り声だけが辺りに響き、月明かりと影の中を行き来する眼光と爪の軌跡を漠然と視界に捉えながら、深く長く呼吸を繰り返し満月と美鈴はお互いを背に緩く拳を握り刀の柄を握る。

 

 人狼。ウェアウルフ。紀元前より書物に似た存在が記述される程歴史が古い怪物である。なにより、ヨーロッパ、中央アジアと、狼を祖と仰ぐ狼祖伝説は世界中の至るところで存在し、日本でも狼祖伝説が存在している程だ。故に人が狼に変身すると言う行為は、怪物と化すと言うよりも、神聖なものであると見られることも少なくない。だが、ことヨーロッパに限っては、神の天罰によって狼に変えられたという話が残されているように、獣人という存在は恐怖や禁忌の対象となり、十四世紀から十七世紀の魔女狩りにおいて多くの獣人が殲滅の対象となった。

 

 そんな神聖さと恐怖が同居している人狼の中でも、ドラクルの伴う女人狼、スコルとハティは別格と言えた。他の周りの妖は問題ではない。問題はたったの二匹である。目では追いきれない速度で玉座の間を駆け巡る人狼二匹に満月は舌を打ちながらも肘で軽く美鈴の背を叩く。

 

 本気のレミリアの動きと同じ、視覚で捉えられなければ、勘で対応するしかない。“勘”とは、漠然と五感が掴む情報の集積によって生まれる第六感。誰もが持ち合わせるものであるが、第六感を作り出すものは人によって大きく異なる。美鈴は“気”を追うことで、満月は間を読むことで第六感を作り出す。

 

 

 それでも尚────、

 

 

 チリッ……、と闇夜に小さな火花が散り、満月と美鈴の肩口から細かな血が宙に舞った。振られた刀と拳は空気を凪いだようになんの感触もなく、隙を縫うように走る爪が肉を裂く。

 

「よく合わせるなぁッ! ガハハッ! 悪くないぜぇ」

 

 爪先に垂れる朱玉を舐め取りながら笑うスコルの顔に満月も美鈴も目は向けない。そんな余裕はなかった。何かに意識を集中するよりも、絶えず肌で空気を感じていた方が対応できる。とは言え、それでも一歩出遅れる。

 

「さあいつまで耐えられる? あんまり早く死んでくれるなッ! 萎えちまうからなあ‼︎」

「口より手を動かしなさいスコル」

「へいへいハティ、テメェもな。ぼうっとしてると全部ウチがいただくぜッ!」

 

 口は達者でも油断はなく、狩に身を浸す狼の爪が門を無理矢理抉じ開けるが如く隙間に爪先を捩じ込んだ。どれだけ鋭かろうとこの世の万物には“流れ”というものがある。清流も激流も、同じ流れに取り込まれれば流されるだけ。五つの白線を反らすように緩やかに差し出された美鈴の手が狼の爪に添えられるが、

 

「痛ぅ……⁉︎」

 

 激流の中で佇む巨岩のように爪は流れを割り美鈴の左腕に五つの赤い線を引いた。筋繊維の避ける音に耳を傾け笑うスコルの顔を睨みつけ、腕の上を這う爪を筋肉の締め付けによって押し留める。一瞬静止した人狼の姿は朧げではなくなり、世界に固定されたように姿を現したスコルを目に、美鈴は足を踏み込んだ。

 

 ペキリッと、美鈴の二つの足の形に凹みヒビの入った石の床。気を爆薬に打ち込まれた足は杭と同じ、局地地震の揺れに耐えられず遠巻きで多くの妖が転がるのを見送りながら、美鈴の返しの拳が人狼の腹部に深く沈む。

 

 

 

 ────ぬるり。

 

 

 

「なッ⁉︎」

 

 滑るように拳の勢いから逃れる人狼の体。美鈴の驚愕の声に笑い声を合わせて、人狼の爪が美鈴の額を薄く裂いた。飛び散る血潮を拭うことなく、跳び去るスコルを見つめながら異様な感触だった人狼の体に見舞った拳を美鈴は軽く振る。ただ避けられたのではない。まるで美鈴の動きに呼応するように完璧に合わせられた動き。それも、“気”の揺らぎの一切ない完璧な。

 

「激流だろうが清流だろうが、どんなものもウチを捉えることはできない。ハティもな」

 

 苦笑するスコルに美鈴は僅かに背後へと目を向けた。変わらず佇む満月の背。呼吸の乱れも気の乱れも、一切ないが血に塗れた満月に、小さく美鈴は口端を引き結ぶ。

 

「……満月さん?」

「美鈴殿の震脚に合わせたつもりだったのだがな……、掴めなんだ……」

 

 揺れに耐えることなく身を任せ、ブレた満月の隙に伸びたハティの爪に満月も刃を合わせたはずだった。地の揺れに乗り体のブレを逆に大きく、揺れ動く剣先は無数に増え、飛び込む獣を串刺しにしたように満月には見えたが、切り裂かれたのは満月の体。まるで幻を斬ったような感覚のなさに、満月は内心で大きく舌を鳴らす。

 

「思ったより遅いのですね人間」

「言ってくれるッ」

 

 月光を反射する眼鏡を睨み満月は軽く刀の背で肩を叩く。始まりと終わりのない軌跡でも、己より速いものに触れることは叶わない。住んでいる世界が違うと言わんばかりの速さの違いに、満月は舌を巻いた。

 

「……満月さん、面倒ですよアレ」

「同じく、あの眼鏡殿、あの感触はアレに近いな」

 

 拳と刃を避ける人狼の感触は、膂力によって起こるものではない。身で感じる空気の畝りが普通とは異なる。速さ力が異なろうと、世界に肉体を置いている限り、身を浸している空気に嘘はつけない。で、あるならば、美鈴の拳と満月の刃を避けた要素は別のもの。美鈴と満月は目を細め、互いに前に立つ人狼を見つめた。

 

 

「影ですね」「光だな」

 

 

 二つの答えに返される笑みは二つ。

 

 

 

 常に太陽を追いかけて、日食はこの狼が太陽を捕らえた為に生じると考えられたと北欧神話で伝えられる狼、スコル。

 

 絶えず月を追いかけて、月食はこの狼が月を捕らえたために起こると考えられたと北欧神話で伝えられる狼、ハティ。

 

 

 

 太陽を追い続ける限り影は消えず、この世にいる限りどんなものにも影がある。速度も大きさも関係なく共に同じ動きをする影は捉えられず。

 

 月を追いかける限り陽の光は追いつけない。時の中にいるために生物はこの世に存在できる。故にハティの速度は最も光に近く、目に映る姿は虚像と同じ。目に映る姿の数歩先に眼鏡の人狼は立っている。

 

『影になる程度の能力』と『先を行く程度の能力』。文字に起こせばこうであろう。太陽を追う者と月を追う者。二対で一体の狼。満月と美鈴は小さく互いに目配せし、そしてほんの少し笑みを零した。

 

「美鈴殿、影を捉えられるかな?」

「満月さんこそ、光を掴めるんですか?」

「……満月? 美鈴?」

 

 弱音を吐いているような従者たちに心配そうなレミリアの声が掛けられるが、二人の従者が主に返すは柔らかな笑み。「試してみよう」と口には出さず、満月は刀を、美鈴は拳を握り直す。四つの笑みが向かい合い、四つの音の違う足音が静かに響く。

 

「ウチを殴れるか門の妖ッ!」

「それが私の役目ですッ!」

 

 突き出される狼の爪に細く息を吐き出して、美鈴はそのまま突っ込んだ。構えもなく前に出る美鈴に僅かにスコルは目を見開き、美鈴の腹部に深くめり込んだ爪に舌を打つ。

 

「捉えた!」

「んだとッ⁉︎」

 

 引こうとした手が美鈴の腹から引き抜けない。爪が肉を破り赤い水音を立てる音だけが鳴り、美鈴は口端から血を垂らしたままゆっくり差し伸ばした拳をそのまま人狼の胸に当てた。

 

「……この体勢で避けられますか?」

 

 踏み締められた足のエネルギーをそのまま体を捻り腕へと伝え押し出す。拳の動きに追従し動く人狼の肉の感触をそのまま巻き込み美鈴は抉ろうとするが、

 

「甘いんだよ」

 

 そのまま千切れずスコルの体は溶けるように掻き混ざる。拳を支点に回るスコルの牙が美鈴の右腕を削ってゆく。カリッっと、骨を噛むような音に美鈴は奥歯を噛みながらそのまま放つ腕を止めず、拳を打ち終わった衝撃で無理矢理人狼の牙を弾く。右手から滴る美鈴の鮮血を目の端に捉えながら、満月は差し出した足に合わせて刀を薙いだ。

 

 頭で描く軌跡の数歩先に置くように、振り切られた刃が硬い音を打ち鳴らす。その感触に満月は笑みを浮かべることもなく、宙に突如浮かび上がった割れた眼鏡に眉を顰めた。

 

「私の世界にようやく指先を漬けた風情で触れられると思われるのは不愉快です」

 

 手探りに差し出された手如きに触られる人狼ではない。後を追って来たものが隣に並んだだけであり、そこはようやくハティの普段。同じ場に立った人と人狼のどちらが先に一歩を踏むか子供にだってすぐに分かる。一撃を外せば返しの一撃は避けられず、満月の目の前で瞬いた光が満月の額を貫いた。

 

「満月⁉︎ 美鈴⁉︎」

 

 砕け散った黒い面頬がパラパラと地を叩く音にレミリアの悲鳴が混じる。その悲痛な声を嘲笑うように叩く男の声。

 

「レミリア、お前の従者(どうぐ)では勝てないぞ」

 

 未来を覗く吸血鬼の一言に、レミリアのフランを抱く手につい力が入った。右腕を抑える美鈴と額を抑える満月。未だに命の灯火は消えず、ただ二人の荒くなった吐息と身から溢れる赤い血が、その灯火を萎ませてゆく。そんな従者二人を見上げ、レミリアの顔は固まった。

 

 傷も血も気にせずに、二色の青い瞳にブレはない。目の前に居座り続ける人狼から目を離さず、戦いの色は衰えない。

 

 “勝てない” などと言われようと、そんな言葉はレミリアの二人の従者の耳には届いていない。ただ今に没頭する二人の従者に、レミリアは溢れそうになる弱い言葉を強引に胸の内へと飲み込んだ。従者が諦めるよりも早く主が諦めるわけにはいかない。

 

 

 だから引き金を引くのは別の者。

 

 

 獲物を追い込む二匹の人狼。

 

 

「ガッハッハ! まだやるかよ! 悪くねえ、だがもっと必死になってほしいぜ? それこそ獣みたいに!」

「面倒ですね、先にレミリア様を殺りましょうか」

「おっお〜、そうすりゃ必死になるか〜?」

 

 

 楽しげに笑う人狼の声が引き金となって美鈴と満月の顔から苦痛の表情が滑り落ちた。美鈴も満月も傷を抑えていた手を力なく落とし、数歩足を下げるとお互いの背を着ける。

 

「……面を破ったな、破りおった……。よくも破ったな……よく破ってくれたッ」

「……誓いとは己が己に突き立てるもの。それを引き抜くのもまた自分ですか……、私の前で……また門に手を掛けたな……」

 

 

 待ち望んだ戦場がここにある。

 

 

 待ち望んだ脅威が門を開けにやってくる。

 

 

 地獄のような日々の中、それでも残されたのは修羅である。

 

 

 どれだけ日々を重ねても、闘争心は冷めてはくれない。どこにいようと結局身を置く場所は戦場だけ。逃げることも、守ることも、形を変えても残されたものは(ケン)(ケン)。行き先を変えても、それは手放せないものだから。

 

「……とっておきを使うかよ美鈴殿」

「……生を拾うのですか満月さん」

 

 どうにも本質は変えられない。(ケン)(ケン)を握るしかない。それしか、それを手放してしまったら、己が己ではなくなってしまう。島原と山門の軌跡をなぞるように、満月と美鈴の構えが変わる。

 

 

 逃げるのも守るのも、これまでの自分を飲み込んで、結局握るのはケンだけだ。

 

 

「望む私でお嬢様を守れぬのなら、これまでの私でお嬢様を守る」

「逃げることに飽いたなら、元の道へ引き返すしかないであろうよ」

「追い返すのも面倒だ。封じた拳を今握ろうッ! お嬢様に届く前に、お前をただ殴り殺しお嬢様を守るッ!」

「追う者がいなければ逃げる必要もない。だから俺に勝利を寄越せッ! もう俺に敗北は必要ないッ! だからただ勝利を俺に寄越せッ!」

 

 

 ギラつく青い瞳に人狼の唸り声が返された。激しい流れも緩やかな流れも踏み潰すように踏み出された美鈴の一歩に、僅かにスコルの足が下がり、自分の足を見下ろして人狼は忌々しそうに牙を剥く。

 

「テメェ……、なんだそりゃあ、さっきと百八十度感じが変わった……。その拳で殴る気か?」

「心配も、傲りも、油断も、必要ない。もっと必死になれ人狼。私に二の撃は要らず」

 

 地に根を張ったような真逆の構え。拳銃を差し向けられたような緊張感に、思わずスコルは生唾を飲む。満身創痍に見える門の妖から滲む妖力とも魔力とも異なる修練によって質を上げる“気” の輝きに、突っ込む事をついスコルは戸惑ってしまう。

 

 

『二の打ち要らず、一つあれば事足りる』

 

 

 そう言わしめた大陸の武術家、李書文。中国拳法の中でも屈指の破壊力を誇ると言われた八極拳の門派の一つ李氏八極拳の創始者である。とは言え八極拳が表舞台に出て来たのは十八世紀の話。だが、それ以前に八極拳の源流となったと言われる拳がある。

 

 

 巴子拳。

 

 

 五指の第二関節を折り曲げて握る中空の手形。差し向けられた独特の形の拳から目を反らさず、スコルはゆっくり姿勢を倒した。美鈴の言葉に嘘はないと感覚で察する。たった一撃、それだけあれば事足りると美鈴の瞳が言っている。強く引かれてゆく緊張の糸に、スコルを追い越し無数の影が美鈴に迫った。高速で動く人狼が立ち止まったのなら、他の妖の道が開ける。

 

 雪崩れ込むように走り出した妖たちに、スコルは舌を打ちつつ影に紛れた。それでも美鈴のやる事は変わらない。ただ迫る敵の門を撃ち開くのみ。口から余分な力を細く吐き出しながら、身を焦がすような“気” だけに身を浸した。

 

 

(────私は親のようにはなれないのでしょう)

 

 

 竜生九子。

 

 

 竜が生んだ九人の子。場所を変え手を変えそれぞれの子がどれだけ功績を打ちたてようと、どれだけ努力を続けようと竜には至れず。

 

 

 力を求めた結果、戦場で倒れた。

 

 

 師に助けられ、技を学び、それでも尚力を求めて竜を目指し、大事なものを全て失った。

 

 

 竜を目指し学んだ拳を二度と振るうまいと美鈴は誓ったが、

 

 

(私が竜を目指す事はもう二度とない。私に居場所をくれた人がいる。だから私は私になろう)

 

 

 これまでを飲み込み、自分になる。

 

 

 そのために美鈴は拳を握る。

 

 

「これが私の全てッ!!!!」

 

 

 美鈴は美鈴のまま拳を放つ。間に合わなかったあの時とは違う。今美鈴の背には、大事な者が居てくれる。迫る脅威が居てくれる。美鈴がいればきっと大丈夫だと、背にいる者の顔が決して歪む事がないように。

 

 踏み落とされた足が地を砕く。突き出された拳が空を破る。微を辿るような細密な動き。針の穴を通すように、空間に目掛けて点を穿つ。吐き出されるのは“気”の息吹。陰陽混じる太極拳の気の流れを一点に纏めて放たれた拳は、脅威の壁に穴を開けた。

 

 

 

 ────ドッン!!!! 

 

 

 

 気の震えは空を揺らし、空間ごと轢き潰す。その一撃竜の咆哮が如し。世界に打ち込まれた頸の衝撃は、影を生まずに万物を貫く。細胞が震え崩れる妖たちの煙を吐いた吐息で美鈴は打ち消し、床に崩れる人狼を見下ろした。

 

(息がッ……できねえ⁉︎」

 

 ごぽりと血と唾液の混じった息を吐き出し、立とうと力を入れてもスコルの体は言うこと聞かず、定まらない視界の中でもこつりと落とされた足音に、慌てて人狼は身を引いた。それでも体は上手く動かずただ石の床の上を転がるだけ。

 

「……久し振りに拳を抜いたからか、上手くいかないものですね。一人残った。でもそれは、今からまた磨きましょう。お嬢様のための拳を」

「カハッ……⁉︎ テ、メェ……、デタラメな拳を……ハティ! こっちから先に殺れ! おいハティ!」

「黙れスコルッ! 自分でなんとかしろッ! そんな余裕はないんだよッ! ……貴様ッ‼︎」

 

 一歩も足を動かさず、脂汗に身を包むハティを歪んだ視界にスコルは捉え目を瞬き強く擦る。ハティの相対している影が増えている。揺らめく紅い髪が一つ二つ三つ。数の増えた人間の男、耳を叩く心臓の鼓動のリズムから、一人であるはずなのに一人ではない。実態を持った虚像たちに、ハティの歩みが遂に止まった。

 

「貴様ッ、それはなんだ⁉︎」

「口が悪くなったな人狼殿、貴殿の世界には行けぬから、俺の世界に来て貰っただけのこと。貴殿のような感覚が鋭敏な相手ほど俺の世界は特別だろう?」

 

 呼吸で、動きで、視線で、剣気の揺らめきで、描き出される軌跡を勝手に相手が虚像として拾う。感覚の鈍い老人などにはまるで効果がない歩法だが、相手が達人や怪物であればあるほど囚われる軌跡の世界。始まりがなく終わりもない。永遠に蠢く軌跡の道。一度手を突っ込めば抜け出す事は難しく、それを決められる者はたった一人の男だけ。

 

「負けはもういい。だから俺に勝ちをくれ。手からすり抜けるものはもういらない。俺は主を決めたから、主に俺は勝利を与える。勝てない? 知るか。まだ見ぬ未来などなぜ信じられる。俺は勝つから、お嬢様、俺は勝ちますから。俺とお嬢様と美鈴殿なら。だから勝てると言ってくれ、そしたら俺は“今”勝ちますから」

「……勝つわ満月、貴方なら。だって私の最高の……」

「それだけ聞ければ、俺は何処へでも行けますともッ! 貴方と共にッ‼︎」

 

 一歩を踏み出す人間に、人狼の深い笑みが向けられる。

 

「馬鹿が人間ッ! 私を斬るのは貴様だろうッ! それが本物の貴様だッ! それさえ分かればッ‼︎」

 

 腕を振り被ったハティの体を銀の閃光がずるりと舐めた。人狼の一歩よりなお速く、人狼の腕が転がり、足が一本踏み出したまま残された。地に転がる人狼に突き付けられる無数の刃に、ハティの目が点となる。青空のような青い瞳と、月光に輝く紅い髪が揺れる姿は、人の様で人ではない。

 

「貴様…………人間か?」

「なんだっていい、俺はレミリアお嬢様の従者十五夜満月。それだけ分かっていれば他のはいらない」

「……お前たち、なにを寝ている。さっさと立て」

 

 牙を擦り合わせる人狼二匹に突き刺さる夜の王の声。スコルもハティも肩を跳ねさせ立ち上がろうとするが、言うこと聞かない体は無様に石の床を舐めるのみ。再度口にされる「立て」と言う言葉の無力さに、レミリアは目を引き絞る。

 

「見れば分かるでしょうドラクル=スカーレット。貴方の従者の負けよ」

「それはないんだよ。私には勝ち以外見えていない。負けることなどあり得ない」

「随分都合のいいことしか見えていないのね。お前の目は節穴だ」

「…………レミリア=スカーレット。貴様か? 貴様がなにかしているのか? それともその異国の従者(どうぐ)か……不愉快だ」

 

 椅子を立ったドラクルに、周りの空気が薄ら寒く凍りつく。身から溢れる鮮血のような紅い妖気に、全身を地に染められたかのような自分を幻視した。それが未来の姿と言うような空気から逃げるように、たたらを踏んでいた妖たちが一斉に足を出す。その石の床を擦る合唱に、レミリアの前で満月と美鈴は再び肩を寄せた。

 

「お嬢様お下がりを。まだ壁は残っているようです」

「さて、どれだけ斬ればいいのやら、選り取り見取りでございまするな」

「うるさい奴らだ。お前たち、敵はたったの三匹だぞ、さっさと壊せ」

「はーい」

 

 重苦しい場の空気を、陽気な少女の声が撃ち壊す。七色の宝石をぶら下げた骨張った翼を揺らめかせ、レミリアの腕の中で小さな手が伸びる。差し伸ばされた破壊の使徒の手が伸ばされるのを目に収め、妖たちの壁は立ち止まるが、握られる小さな手に合わせて壁の一画が握り潰された。

 

 弾ける肉と骨と血飛沫にレミリアたち三人の目は点になり、間の抜けた姉たちの顔を見回してフランは大きく笑い声を転がし続ける。

 

「ちょ、ちょっとフラン?」

「お姉様! 今度は一緒に遊びましょ! 寝ていたら勿体無いわ! 凄い目覚ましもあったことだし!」

 

 あっ。と口を開けて美鈴は自分の拳へと目を落とし困ったように頭を掻いた。世界を揺さぶった修羅の拳は、破壊の眠り姫の夢の世界の門まで開け放ってしまったらしい。力なく笑う美鈴にレミリアも小さく笑いため息を吐くと、フランと共に立ち上がる。

 

「仕方ないわね……、フランは夜更かししたいのね?」

「ええお姉様! 今日は最高の夜になるわ!」

「フランドール……、貴様ッ!」

「娘に嫌われたな吸血鬼殿、父親なんてそんなものだろうさ」

 

 ギョロリとドラクルに紅い瞳を向けられて、満月はおっとと両手を上げた。高笑うフランの声が癪に触るとドラクルは妖気をより深く滲ませ、身を震わせてフランはレミリアの背へと隠れた。

 

「レミリアに続きフランドールまで……、私の血が薄いのか、役に立たない。結局、信じられるのは己だけか」

「あら、ようやく重い腰を上げるのね。まだ勝てると言うつもり?」

「当たり前だ。私は誰より私の勝利を疑わない。誰より私は私のことを信じている。見えるぞ私の前に転がる貴様らが。未来を今に持って来よう」

 

 石の床を踏む革の靴の音色に、レミリアの目が細められる。背にいるフラン、両脇に立つ美鈴と満月の顔を見回して、レミリアはひとり小さく笑った。

 

「フラン、後ろのは任せるわ、好きにしなさい。アイツとは私がケリをつける。私には二人の友がいるから心配なんて要らないわ。この旅を今宵こそ終わらせましょう。今宵は満月‼︎ 月の下では嘘もつけない! 貴様の全力を私の全力で叩き潰すッ‼︎ 私は私の未来を手に入れるッ!」

 

 今宵が夜の王を決める夜。吸血鬼と吸血鬼。満天の夜空に浮かぶ丸い月の下で、力が足りない、全力を出せない、そんな言葉を形作る言い訳など存在しない。空気を満たす血に染まった紅い月がレミリアの旅路の終止符のように瞬いた。永遠に忘れられぬ夜が幕を開く。

 

 

 今宵は満月。

 

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