今宵は満月   作:生崎

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ただのおまけ。


おまけ 昨夜は満月

 十六夜咲夜はなんとも言えない顔で紅魔館の門を見つめた。

 

 普段門の役割を果たしているのかと考えてしまうほどの出入り自由な有様の鉄門は固く閉ざされ、その前にはいくつもの影が転がっている。まさに死屍累々。コハァッ! と山の息吹の音色にも似た重々しい呼吸音を吐き出す赤い門番の背に、咲夜は大きく目を見開いた。

 

 誰だあれ? 

 

 紅魔館が門番、紅美鈴。分かってはいる。咲夜だって分かってはいるが、咲夜の知る昼寝大好き美鈴の姿から五百四十度は捻られたような拳士の姿。瞳の奥で紅い閃光の瞬く姿は修羅そのもの。見ているだけで美鈴の身から滲む竜のように畝った紅い気に中てられて肌が粟立つ。控えめに言って別人にしか見えない。

 

 一撃決殺、二の打ち要らず。

 

 黒いとんがり帽子を風に揺らし、体を半分地に埋めて横たわっている普通の魔法使い。犬神家ごっこをさせられている氷精チルノ。木に引っ掛かり下着を晒している烏天狗の新聞記者。ただの一撃で災害の後、「またまた鈍ってしまいました」と、目を光らせたまま柔らかな声を出す美鈴のギャップに咲夜が萌えるようなことはなく、「たまやー」と、煙管を咥えて手を叩く執事服姿の男を横目により強く咲夜は口を歪めた。

 

「お見事でござる美鈴殿。三百年経っても腕は落ちていないようでなによりだ」

「よく言いますね満月さん、見ての通り鋭さに欠けます。久しく命の取り合いなどしていませんし、どうですかここはひとつ手合わせなど。久々に見せますよ、百年懸けて作った紅式八極拳」

「美鈴殿から誘ってくれるとは甘美であるが、ここら一帯更地にする気か? 本気でケンを抜かせるようなこと言わんでくれ。それに、帰って来て早々お嬢様に怒られたくはないな。それに今俺は見ての通り研修中の身でな」

「全く困った新人さんですね!」

 

 あっはっは! と二色の笑い声を聞き咲夜は顳顬を抑えて天を仰いだ。元メイド長と元執事長。吸血鬼大戦の真っただ中、レミリアの両腕として一騎当千、獅子奮迅、レミリアは三つの紅を持っていると言わしめた東の従者二人。普段の行いはどうであれ、積み上げられた実績だけで語れば伝説や伝承とそう違わない話に溢れている。最強の門番と不死身の側近。その気質を覗かせる二人の扱いに、咲夜は大いに困っていた。

 

 シエスタは修練の時間に。咲夜の仕事の半分などそつなくこなす新人擬き。「よろしくね咲夜」と満月を押し付けてきた紅魔館の主に咲夜は何も言うことなどできず、教えるどころか教わることの方が多い。

 

「どうかしたか咲夜殿」と、咲夜の気も知らずに紫煙を燻らす満月に咲夜は溜め息を吐きながら門から目を背けた。

 

「……お嬢様はどういう気なのか、ここ数日で思い知りましたが、私が満月さんに教えることなどありますか?」

「何を言うかと思えば、そんなのたくさんあるであろうに」

「例えば?」

「疲れた時に暇する場所とか教えてくりゃれ」

 

 そう笑顔で吐き出す満月の額にナイフが埋まる。呆れ過ぎて表情の死んだ咲夜は時でも止めたかのように(実際止めた)遠慮なしにナイフを突き立て、満月の額から髪の色と同じ朱色が噴水のように噴出した。それでも倒れることなく満月は笑みのままナイフの柄を持つと引き抜かずにそのまま顔の上にナイフを走らせ、「いい業物だ」と愉快そうに零す。

 

「流石はメイド長殿、聞いていた通り容赦がないな。良き事だ。お嬢様の刃であればこそそうでなくては」

「……試すためにそのようなことを?」

「うんにゃ、事実暇する場所を知りたいだけよ」

 

 再び突き刺さるナイフも気にせず、「真面目な童女だ」と笑う満月に頭痛を覚えて咲夜は深い溜め息を吐き捨てた。

 

 不死身の従者、永遠に欠けぬ紅い満月。レミリアが死なぬ限り死ぬことのない蓬莱人にも並ぶ不死性。運命が死を否定する軌跡の亡霊。二の打ち要らずの美鈴同様に、一撃必殺を繰り出せる咲夜をして絶対に殺しきれぬ相手。

 

 紅美鈴、十六夜咲夜、フランドール=スカーレットという最大級の終止符を数多く内包する紅魔館の中にあって、レミリアと同じく終止符を打ち消す武士。だからこそ咲夜はこの新たな古の執事長がどうにも苦手で、また同時に少し羨ましい。己が成長の時を止めれば咲夜とて永遠にレミリアとは居られるが、満月のようにレミリアとの繋がりがある訳でもなし、鼻を鳴らす咲夜を前に満月はナイフを体から引き抜くと放り捨て肩に背負った刀を背負い直す。

 

「咲夜殿は俺といるときいつも眉間にしわを寄せるな、もっと気楽に生きればよいのに」

「あ、満月さんがそれを言うんですか?」

「別にいいだろう美鈴殿、昔の話じゃ。なあ咲夜殿?」

「知りませんよ、だいたい満月さんも執事長ならもっと整然と振舞ってください。妖精メイドに示しがつかないでしょう」

「そうは言うてもこうも平和だとな、俺の身には余る。一つ処で平和に過ごすというのはどうにも性に合わん。だからそれを教えてくれと咲夜殿には言っておるのさ」

 

 レミリアと共にあって満月が血を見ない時など長くなく、満月にとってのレミリアは言わば総大将、戦場で家臣を率いる殿である。ルーマニアを目指した旅路も、ヨーロッパでの大戦も、そんな時しか過ごしていない。戦時の刃が満月ならば、太平の世の刃が咲夜であると一人頷く満月に咲夜は唇を尖らせた。

 

「なんですかそれは、私は寧ろ」

 

 戦いの場でこそ主と共に居たい。そう言おうと口を動かそうとした咲夜の目の前に満月の手のひらが伸ばされ制される。

 

「昨日があるから今日があるというものぞ。俺が居なければ今に至らず、咲夜殿が居なければ今はないとな。これも軌跡よ。なあ美鈴殿」

「まあ私はどちらも知っていますけどね」

「ほらこれだ、聞いたか咲夜殿、美鈴殿はああ見えて意外と辛辣よな。言外に旅に出た俺を虐めて楽しんでいるのだ。どう思う?」

「美鈴、貴女は仕事をしなさい」

 

 鉄の門を挟んで言葉の突き立てる咲夜に「はーい」と、美鈴は頭を掻きながら返し、嬉しそうに満月は手を叩いた。が、「貴方もですよ」と、同じく咲夜に言葉の刃を突き立てられ、「委細承知」と零して満月の肩が落ちる。

 

「……それで、平時の今の何が知りたいのですか満月さん。私に教えられることなどそうそうあるとも思えませんが」

「だから暇するための」

「それ以外で」

「そうだな、では、うむ、そろそろ咲夜殿のことを教えて貰おうか。まずはそこからよ」

「私の?」

「そうとも、貴殿の軌跡を教えてくりゃれよ」

 

 そう言って微笑を浮かべる満月の笑みの鋭さが、咲夜はやはりどうにも苦手だ。

 

「私のことなんて、お嬢様が歩んだ旅路と比べれば酷く短い。語るようなことなど」

「そんなお嬢様の旅路の一端を咲夜殿だってもう歩んでいるだろうに。軌跡に長い短いは関係ない。うむ、幻想郷はいいところのようだ。結局外にいた間妹君は変わらなかったが、今は柔らかくなったな。それも咲夜殿が近くに居たからだろう」

「そんなことは……」

 

 ないと咲夜は言おうとしたが、言葉の先を満月の笑みが否定する。レミリアだけでも、美鈴だけでも、満月だけでも無理だった。狂気を掴んだ者が他に居たとして、それまでにフランドールを支えていた者がいたことは事実。

 

 いざ手を伸ばそうとしたところで、その手を押し出す元がなければそもそも手が伸びることなどない。常に守ってくれる門番が居て、決して壊れぬ姉が居て、助言をくれる偏屈な魔法使いが居て、遊び相手の小悪魔が居て、常に傍らにメイドが一人立っている。そう口にしながら、満月は静かに指を折り畳んだ。

 

「あの頃に比べて随分増えたの。掴むには両手で足りやしない。目移りしてしまって手を伸ばす先を選ぶのも大変であろうよ。なあ咲夜殿、愉快でござる!」

「貴方は入ってないんですか?」

「俺は流れてなければ気が済まん質でな。一つ処に留まるのはどうにもむず痒い。昔はただ流れていただけだが、陽の光に照らされ雲となった海水が雨となり海へと帰るように、帰る場所があるからこそ流れられるというものだが。そんな俺を妹君の側に置くのも申し訳ない」

 

 満月はレミリアの刃である。その鞘を持つのはレミリアだけ。他の者の懐に収まることはありえない。だから気軽に出ても行けると千切れぬ赤い糸があるからこそ満月はそう言い切り、始まりの日本刀に手を這わせる。

 

「……お嬢様の放浪癖は満月さんに似たのですかね。昼でも気にせず出て行かれて」

「旅も悪くない。いずれどこかに辿り着ける。なあ咲夜殿」

「……そうですね」

 

 誰もが足を止める場所を探して旅をする。パチュリー=ノーレッジは祖母の遺言に従いルーマニアへ。咲夜もまた同じ。ただそこにあったのは輝かしいものではなく、もっと大分血生臭い。満月は悪戯っぽく笑うと、少し咲夜に顔を寄せて小声で告げた。

 

「俺もずっとよーろっぱを回っていてな? 白銀の髪を持つゔぁんぱいあはんたーの話は風の噂でよく聞いた。誰とも組まぬ一匹狼。吸血鬼にさえ恐れられた銀の小太刀。くははっ、愉快よな。出会えて光栄ぞ西洋の忍」

 

 名声のため、報酬のため、夜を支配する吸血鬼を追い、己を懸けて刃を握る者。戦者であるからこそ、強者をなんだかんだと気にしてしまう侍の性が咲夜へと向き、同じく狩人の気性が顔を覗かせる咲夜の瞳とかち合い火花を散らす。結局のところ、レミリアの友人であるパチュリー以外、血を追い求める狂戦士。その血が館を染めている。

 

 相変わらずそういう者を探すのが上手いと満月は口元に大きな三日月を浮かべて笑い、ふいっと咲夜は目を逸らす。

 

「別にそんなんじゃ……他にやることがなかっただけです」

 

 いつどこで生まれたか咲夜は知らない。誰もいなかった廃れた村でヴァンパイアハンターに拾われたという事を後で聞いただけ。師匠であるヴァンパイアハンターと別れてから、できることなど狩ることだけで、より強い吸血鬼を追い求め夜を彷徨った。

 

 名が上がれば誰かの目に付くかもしれないと信じて。

 

 ただ他人に勝手に付けられた名で呼ばれ続ける。それが誰でもないことを咲夜に叩きつけた。きっと自分も知らない己の名前を呼んでくれる者が何処かにいるはずだと夢を見て。

 

 言ってしまえば承認欲求。人が生まれて初めて認めてくれるはずの者がきっと何処かに……。

 

「満月さんは……その名は偽名なのでしょう? 本名は名乗らないのですか?」

「俺は十五夜満月よ。それ以外の名など知らんなぁ。どうしても知りたければ島原の乱の戦没者名簿でも捲っとくれ。どこかにあるさ。それでいいかな十六夜咲夜殿」

「ふふっ、吸血鬼の従者は死人を気になど致しません。私は十六夜咲夜ですから」

「咲夜ー! 満月ー! どこにいるのー! 今日は博麗神社に行くわよ! 今日こそ霊夢に勝つわ! 戦の準備をしなさい! ほら満月法螺貝吹いて!」

 

 主が名を呼んでいる。二つの月の名を呼んでいる。満月と咲夜の止まった時を動かした名を。まん丸い月一つでは足りないらしい欲張りな主の声を聞き、満月と咲夜は顔を見合わせて肩を竦め小さく笑った。

 

「法螺貝って、まーた時代劇でも見て感化されよったな。あの流行り物になんでも飛びつく癖どうにかならんもんかね。昔からそうだ。咲夜殿、散歩の途中で傘をちらっと退かしてやろうぞ。きっと面白いものが見られるぞ。お嬢様の一発芸が」

「全く満月さん……是非やりましょう。そう言えばヨーロッパとは言っていましたが、満月さんはどこを目指して旅に行かれていたのですか?」

「ぽるとがる。今度紅魔館の全員で行ってみるか?」

「私は絹の道を歩いてみたいですね」

「おいおい苦行好きか? まあまた世界を巡るのも悪くはないか、それも数を増やしてぞろぞろとな!」

 

 壮大な旅行計画を思い描きながら、主に投げ付けられた法螺貝を満月は叩き割り、咲夜は日傘を広げて待ち受ける。悠々と歩き博麗神社に着いた矢先、ゴビ砂漠が生み出したレミリアの一発芸が炸裂した。

 


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