今宵は満月   作:生崎

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レミリアちゃんと魔法使い

「困ったな」

 

 満月の短い一言がレミリアの心を削る。「うわぁ」と呻き頭を抱えるレミリアから少し離れたところにある石造りの壁。人相の悪い人相書きに混ざって貼られたレミリアの人相書き。旅の中、久しく見なかった手配書のことを忘れてしまおうと目の前に置いた葡萄酒を瓶ごとレミリアは口へと傾けた。

 

 レミリア一行はルーマニアまで既に手の掛かるところまで足を進めている。にも関わらず、ゴビ砂漠やヒマラヤ山脈を通る時以上に歩みが遅い。気力を振り絞り踏破しなければならない自然より、欲に目が眩んだ人の目を掻い潜る方がなにかと厳しい。なによりレミリアの紅い瞳と青い髪は、一度見られれば忘れる事は難しい目立つ容姿。ウズベキスタンからひと月もあればルーマニアまで辿り着けると見積もっていたレミリアたちの予想は見事に空振り、既に二ヶ月が経とうとしていた。

 

「ルーマニアまであとちょっとなのに……ッ! 進んでは戻って、進んでは戻って! 歯痒いったらないわッ!」

「そうは言ってもなんだかんだおすまん帝国だ。もうるーまにあまであとちょっとではないか」

「だから余計によ! 余計に歯痒いの!」

 

 オスマン帝国。

 

 今で言うトルコに、十三世紀、オスマン一世により起こされた帝国である。イスラム王朝であったオスマン帝国は、恐るべき勢いで地中海全域を手中に収め、二十世紀の初め頃まで存続する。

 

 レミリアたちが旅をしている十七世紀には、オスマン帝国はジャーン王朝の手前まで勢力を拡大している西洋圏最大の国家でもあり、レミリアの生まれたルーマニアも、この時代オスマン帝国の支配下であった。ので、正確に言えば既にルーマニアの地を踏んでいると言えなくもないのだが、それは人の世界の話。

 

 人の勢力圏と妖怪の勢力圏は当然異なる。旧ワラキア公国の領土全域。それがスカーレット家の領土であった。

 

 レミリアの父親、ドラクル=スカーレットがいかにしてそれほど広大な領土を獲得するに至ったのか、答えは簡単、人と手を組んだ。いや、利用したと言った方がいいかもしれない。

 

 十七世紀より数百年前、ワラキア公国にはある有名なひとりの王がいた。かの有名なヴラド三世、通称『串刺し公』。ブラム・ストーカーの小説『ドラキュラ』に登場する吸血鬼のモデルになったと言われるブラド=ツェペシュであるが、実際にモデルとなったイメージはレミリアの父親、吸血鬼ドラクル=スカーレット。

 

 小国家であったワラキア公国は、勢力を拡大し続けるオスマン帝国と対立し、大きな戦力差をものともせずに幾度となく撃退した。積極的な焦土作戦、人を百舌の速贄の如く野に晒す。このおよそ人間的でない非情な手法が吸血鬼の知恵からやって来たと思えば納得できる。強大な国に対抗するため、吸血鬼と手を組んだヴラド三世の心情を推し量る事は出来ないが、穏やかであったはずもない。

 

 ブラド三世が亡くなってより数百年、変わらずドラクル=スカーレットによって支配されているワラキア公国は、現ルーマニアの下部に座し、旧モルダヴィア公国、トランシルヴァニア公国に拠点を持つ吸血鬼の一族と日夜牽制しあっていた。

 

 そんな三竦みを崩そうとドラクル=スカーレットが目を付けた者こそ、実の娘にしてレミリア=スカーレットの実妹、フランドール=スカーレットである。

 

 吸血鬼たちの闘争にいつ妹が駆り出される羽目になるか、目と鼻の先で勃発一歩手前であるルーマニアの吸血鬼大戦を想えばこそ、レミリアの不安と焦りは相当なものであり、なにより早く妹を救い出したいのだ。少なくとも約半年もの間、極東からゴビ砂漠、ヒマラヤ山脈を横断し渡って来た。今ルーマニアがどうなっているかレミリアにはまるで分からない。

 

 国と妹のことを考えれば考えるほど嫌な空気に身を包まれ、乾いた喉を潤すためにレミリアはまた葡萄酒を煽る。小さな布塗れの人と思われる者が昼間から自棄酒している姿はおかしいもので、突き刺さる視線に満月と美鈴は愛想笑いで受け流すが、満月と美鈴もまた異国の者であるが故に目立つ。

 

 振り払えない視線に辟易しつつ、満月と美鈴も酒を舐めた。十七世紀、多くの王国が乱立していた世のワインは、コルクに詰められたもので現代とそこまで遜色なかったとされる。そんな西洋の酒に舌鼓を打ちつつ、茹だったように煮詰まっている雇い主へと満月は再び顔を向けた。

 

「焦っても仕方ないものはどうしようもないぞお嬢様。だいたい困り事はもう一つあるのだからな」

 

 そう零す満月にまたレミリアは大きく頭を抱える。ルーマニアまでの旅路で転がっている困り事は大きく二つ。ルーマニアに着くまでに賞金稼ぎや刺客に所在がバレて殺されないかというのが一つ。もう一つは単純に戦力の問題だ。

 

 レミリアが旅の中で信頼できると助力を頼んだ満月と美鈴が弱くないことはレミリアが誰より知っている。だが、ドラクル=スカーレットの戦力が低くはないことを誰より知っているのもレミリアだ。一国家の君主であるドラクルとどうやって戦うか。戦う事は既に決定事項とは言え、三人で堂々と真正面から突っ込んだとして、訪れる結果は死体が三つ転がるだけだ。

 

 いかにして大きな戦力差を覆すか。これが二つ目の問題である。

 

「ここに来て城攻めを考えねばならないとはの」

「私も何度か戦には参加しましたが城を落とすのは初めてですね」

「ほいほいそういうこと言ってくれるのは頼もしいけど、何か案はあるわけ?」

「あるにはある。俺の経験から言わせれば、敵の敵は味方と言ったところだな」

 

 酒を口に含んで舌で転がしながら、見つめてくるレミリアの前に満月は二本の指を立てた。旧モルダヴィア公国、トランシルヴァニア公国、二つの国の夜の王。それを焚き付け力を借りる。そう言い笑みを浮かべる満月に、レミリアは強く首を横に振るった。。

 

「いや、ダメでしょ。アイツらはないって」

「二つの国の吸血鬼のことを知っているのですか?」

「まあ、一応社交界でね」

 

 敵対していても穴熊のように領地に引き込もっているわけではない。王であり貴族。権力をひけらかすように夜に絢爛なる宴を開き客を呼ぶ。まるで気に留めないと言うように、スカーレット家も招かれたことは数知れず、他の強大な吸血鬼のこともレミリアだって少しは知っていた。

 

「トランシルヴァニアにいる吸血鬼は表でハプスブルク家に名を連ねてる貴族趣味の嫌な奴らよ、旧モルダヴィア公国にいる奴らは古くからの吸血鬼、頭が固くてどうしようもない。なによりスカーレット家の私が力を貸してなんて言って出向いたら笑いながら殺されるわよ。うちの父親と同じで野心にしか興味ないんだから」

 

 人の生き血を啜るが故、人を人と思わず家畜のようにしか扱わない。力で夜を支配する人を超えた貴族たち。優しさや愛情など抱くことなく、ただ力を誇示し、力を求め、同族、親子供であろうと貪る夜の主。

 

 それをつまらないと、悲しいとレミリアは想うが、だからこそ落ちこぼれだなどと言われるということも分かっている。同じ吸血鬼でありながら、どうにも噛み合わない吸血鬼たちが、レミリアの求める願いを聞き入れないと試さずとも分かる。

 

 グラスの縁をなぞりながら、どうにも変わらないだろう吸血鬼の性質にレミリアはため息を転がした。

 

「はぁ、自分で言っててアレだけど、私って本当に吸血鬼らしくないわ……。なぜなのかしら」

「俺や美鈴殿に言われてもな、だいたい吸血鬼がどんな妖怪なのかも分からぬ。日光に弱く、生き血を啜り、速く力が強い。要素は多いが、どうにも本質が掴めぬな」

「どんな妖怪ってそれは……」

 

 言いながらレミリアも首を傾げた。吸血鬼がどんな妖怪などと真面目に考えたことなどない。生まれた時から吸血鬼なのだ。冷徹で非情で野心家で、夜の世界の頂点に座す。それは知っているが妖怪としての本質とは違う。

 

 鬼ならば力の妖怪、天狗ならば風の妖、河童なら水流の妖怪と形容する事ができるが、吸血鬼を敢えて形容するならなにがあるか。夜の妖怪と言っても、妖怪は基本闇の、夜の住人だ。月の妖怪と言っても人狼というもっと月に関わっている妖怪がいる。ぐるぐる頭の中を流れるイメージが言葉にならずレミリアは眉を潜めて、ふと美鈴の方へ目を向けた。

 

「そう言えば美鈴ってなんの妖怪なの? 気っていうのを使えるっていうのは知ってるけれど」

 

 一見見目麗しい美女にしか見えない美鈴がなんの妖怪であるのか今ひとつ分からない。レミリアに向かい美鈴は困ったように笑いながら九つ指を折った。

 

「えぇと、なんと言いましょうか、竜生九子*1と最近では呼ばれてるそうなんですが」

「りゅ? なんかよく分からないわね」

「私もそれを知ろうとしている最中ですので」

「なんだ。それでは俺はなにかよく分からない妖怪二人とずっと旅をしていたのか?」

 

 レミリアと美鈴は揃ってそっぽを向き、満月は人間でよかったと頭の後ろで手を組み椅子に深く寄り掛かる。考えたところで分からないものは分からない。「そんなことはどうだっていいの!」とレミリアは強引に話を打ち切って、机を一度強く叩いた。

 

「私や美鈴がどんな妖怪より、どうやってあのくそったれの下まで行ってぶっ倒すのかよ! 言った通り吸血鬼から助力を得るのは無理だと思って、スカーレット家の領地の妖怪たちも力を貸してくれるとは思えないし……」

 

 一度レミリアを裏切った相手。信用できなければ、レミリアもあまり信じたくない。肩を落とすレミリアに、「私がついております」と美鈴が微笑み、少しレミリアの肩の位置が持ち直す。

 

「ならるーまにあにおらず、吸血鬼でもなく力を貸してくれる者はいないのか? 一人や二人思い付く人物がいるだろう?」

「そんなのがいたら最初に会いに行ってるわよ…………あっ」

「お嬢様?」

 

 机に項垂れたと思えば、急に顔を上げたレミリアに美鈴は呼び掛けるが全く届いていないのか、ぐにゃりと表情を歪めて再び机の上に頭を落とす。と、思いきやまた顔を上げ、再び表情を歪ませては机の上に崩れ落ちる。

 

「お嬢様、どうかなさいましたか? アテでも?」

「顔を見る限りなにか思い付いているようには見えるが」

「ええそうね……でも、いや……どうなのかしら」

 

 向けられる用心棒と従者の顔に、なんと言おうかレミリアは考えるも、どうにもいい言葉が見当たらない。長らく言い澱みながら、結局思いついたままの言葉をレミリアは並べる。

 

「一人……、うちに何度か顔を出して、他の吸血鬼のところにも顔を出してた誰の味方でもないような奴がいるの。力は確かよ、丁度この近くに……ただ、私苦手なのよね、アレ」

 

 アレと言われてもどれか満月と美鈴には全く分からない。だからこそ口から飛び出すのは「誰?」という問い。その問いへの答えを随分長いことレミリアは引っ張ったが、それしか手がないであろうことに白旗を振り、あまり言いたくないその名を告げる。

 

「変わり者の魔法使いよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オスマン帝国、イスタンブール。

 

 十九世紀半ばまで王宮として帝国政治の中心となっていた、今尚トルコ最大の都である。これまで西洋を支配していた帝国とオスマン帝国の一番の違いは、なにを隠そう宗教であった。キリスト教が主体の西洋国家と違い、オスマン帝国はイスラム教。オスマン帝国の侵攻は、異教徒の侵略でもあった。

 

 だからこそ尽力するのは、支配した国の意識改革。モスクの建造。学校や病院の普及。敵を知り己を知れば百戦危うからずというように、勢力を拡大してゆく中、あらゆる技術や情報をオスマン帝国は掻き集め、新たな世界を押し広げた。

 

 それを表すかのように、トルコ料理は世界三大料理に名を連ね、王の住まうトプカプ宮殿は、『味の研究所』とまで呼ばれている。

 

 集められたのは王に献上する料理だけにあらず、武器、書物、魔術に至るまで。技術と情報の圧縮炉のようなオスマン帝国には、勿論それを追い求める者も集中する。

 

 故にトプカプ宮殿には多種多様な民族が出入りし、レミリアたちもそんな中に紛れていた。

 

「魔法使いとやらの名前を出すだけで入れるとは恐れ入ったな。お嬢様、魔法使いなどと言っていたがどんな御仁なのだ?」

「とにかくなんて言うか、変人? 私もよく分からないわ。って言うかここどんだけ広いのよ」

 

 周りを取り囲む石造りの建物たち。紫禁城のように巨大でもなく、ウズベキスタンのモスクのように映える青に包まれているわけでもない。だが、小ぶりながら刻み込まれた装飾と技術の結晶は見れば見る程目が惹かれる。

 

 トプカプ宮殿は宮殿と言いながら、大きな城が一つあるわけではない。比較的小さな建物と部屋が連なり、また数多くの庭園と離れを持つ建造物群。故に敷地は広大で、皇室専用の調理場、更に学校、図書館までもを敷地に有している。

 

 幸福の門と呼ばれる図書館へ通づる門を超え、第三の庭園の中に足を進ませる中で、周りに視線を散らしていた美鈴はこれまでの国とは違う行き交う人々の様相に目を瞬いた。

 

「なんと言いますか、ここは女性が多いのですね。それも豪華と言いますか」

「女性が元気な国は良い国だと言うぞ?」

「そんな健全な感じには見えませんが」

 

 勿論そんな健全なものではない。

 

 十七世紀のオスマン帝国は、君主の母后が政治を自由に動かす『女人の天下』と呼ばれる時代であった。それもこれも“ハレム”と呼ばれる女性の居室のせいだ。言わずと知れたハーレムの語源とも言える一夫多妻の形。日本人に分かりやすく言えば大奥。一度生んだ息子が王になれば、その母は最盛期千人もの女性が居たと言うハレムの頂点に立てる。陰謀と策略、激しい権力争いは多くの君主を亡き者にし、王座に座る者は幼子となり、上皇が名だけの天皇を傀儡にしていたのと同じく、ハレムの女主人がオスマン帝国を動かしていた。

 

 そんな事とは露知らず、満月は差し迫った江戸時代の未来を一足先に見送りながら小姓に連れられ図書館の一室の前で足を止めた。閉じた木製扉の重厚さは世界を隔てているようであり、中の様子を伺えない。緊張をほぐすように大きく深呼吸をするレミリアの肩に美鈴は優しく手を置いて、その熱に押されるようにレミリアは取手に手を掛け引いた。

 

 建て付けのいい扉は音もなく開き、部屋の中の温い空気がレミリアたちの肌を撫ぜる。揺らめく燭台に刺さった蝋燭の火が照らすのは積み上がった本の山。紙とインクの匂いに支配された部屋の中にレミリアが一歩を踏み出した途端、世界が崩れたように本の塔たちは崩れ去り、その奥に隠されていた人物の姿を世界に落とす。

 

「よく来たじゃないかい小さな吸血鬼。随分とみすぼらしくなって会いに来たねぇ」

「……お元気そうねノーレッジ卿、お変わりないようで」

 

 長い紫色の髪を揺らした眼鏡を掛けた老婆が柔らかな微笑を浮かべてレミリアの引き攣った笑顔を見下ろす。吸血鬼の少女から目を離した魔法使いは、床に散らばった本を見回しながら長いパイプを咥えて口から煙を溢れさせながら軽く手を振れば、独りでに無数の本が浮き上がり勝手に本棚に収まってゆく。「陰陽師みたいだ」という満月の呟きに魔法使いは小さく笑う。

 

「いつの時代も権力者というのは知識を欲するものさ。権力を追い求める人間たちがこの老いぼれに縋る姿はなかなかに見ていて面白くてね。そういうお嬢ちゃんもだろう? 権力を追い求めているわけではなさそうだけどね」

「そうですね、いつも通りお見通しのようで」

「伊達に千年も生きていないさ。部屋に篭っていても知るべき事は知っている」

 

 紫煙を零す老婆の言葉に、満月も美鈴も間の抜けた吐息を吐いて口を開けた。千年。老婆の肌に刻まれたシワは伊達ではなく、脳のシワと同じく、遥かな叡智が刻まれている。なんと言おうかと言葉を選び目を泳がせるレミリアをしばらく見つめ、レミリアが鋭い犬歯を口から覗かせるのに合わせ魔法使いは「帰るなら扉は閉めてきな」と言って緩く手を振った。

 

「ちょっと⁉︎ 私まだなにも言ってないんですけど⁉︎」

「妹を救うために力を貸せと言ったところだろう? お嬢ちゃんが妹のためにあの野心家に反乱したのも半年前かい。私のとこにもこんなのが来たよ」

 

 手を振る魔法使いの動きに合わせて、レミリアの手配書が宙を泳ぐ。レミリアの目の前まで泳いで来た手配書にレミリアは爪を伸ばすが、裂かれる前にひらりと手配書は宙を舞い老婆の手に収まった。

 

「父を倒して当主になるかい? 当主になってどうする? 当主になっても吸血鬼たちの権力争いに巻き込まれるだけさ。だいたいお嬢ちゃん勝てるのかい? あの未来を覗く覗き魔に、私には勝てるとは思えないし、敗者に力は貸したくないね」

 

「だからお帰り」とそっぽを向いて、魔法使いは新たな本を手に取り開きもう目を向けてはくれない。

 

 殺されないだけマシと言うべきか。興味なさげな魔法使いの姿に寧ろ少し安心さえする。元々望みは薄かったこともあり、レミリアは弱々しく足を下げるが、不意に背になにかが当たった。小さく振り返ったレミリアの背後に不動で立つ用心棒と従者の二人。帰る気はないと言うような二人の姿に口を引き結び、レミリアは二人の顔を見上げる。

 

 なにも言わず見下ろしてくる二色の青い瞳。旅の道中幾度となくあった無言の眼差し。なにかを期待しているような、やるべき事は分かっているだろうと言うような静かな視線。なにも言わずに満月も美鈴もなにかをレミリアに期待している。それはレミリアにも分かっている。だが、なにを期待しているのかが分からない。

 

 質問したところで、望む答えを満月も美鈴も言ってはくれないだろう事はレミリアにだって分かる。必要な事は言うが、決して己の全てを二人は口にしない。故に静かに口を閉ざし、子供のように澄んだ青い瞳をただ向けてくる。

 

 

 レミリアは口を一度開き、なにも言わず静かに閉じた。

 

 

 頼りにはなる二人。だが、全ては知らない。

 

 

 二人がなにを望んでいるのかも。

 

 

 唯一手に持っている二人のことも知らないのに、新たな助力を得られるはずもないかとレミリアは弱々しく手を握った。

 

 

 それどころかレミリアは自分のことだってよく分からない。

 

 

 吸血鬼はどんな妖怪か? 

 

 

 自分の力はなんなのか? 

 

 

 レミリア一人ではゴビ砂漠など横断できず、

 

 

 ヒマラヤ山脈でもウズベキスタンでも死んでいただろう。

 

 

 妹を救うと息巻いていても、

 

 

(私にはなにもないじゃない……)

 

 

 ここまで来れたのは一重に幸運。結局ルーマニアから追い出されてから変わったことなど一つもない。

 

 半年、旅でなにかが変わったと信じたくても、用心棒を雇い従者がひとりできた以外、目に見えるものなどなにもない。魔法使いひとり仲間にできない自分にできることなどなにもないと、恥ずかしく、惨めで、悲しくて、逃げるように部屋を去ろうとレミリアが更に足を一歩踏み出しても、満月と美鈴はまたも動かずレミリアを静かに見つめるのみだ。

 

 

「満月、美鈴……」

「なんだお嬢様」「なんでしょうお嬢様」

 

 

 重なる紅い瞳と青い瞳。

 

 

 動かず、

 

 

 静かに、

 

 

 変わらず、

 

 

 期待している瞳。

 

 

 

 

 

 

 ────パァンッ!!!!

 

 

 

 

 

 

「痛ったぁ……」

 

 小さく見開かれた青い瞳にレミリアは小さく笑みを向けた。自分で叩き赤くなった頬を擦り、レミリアは魔法使いへ振り返る。

 

 レミリアだって分かっている。こここそが分水嶺。ルーマニアに踏み入れば味方はいない。力があっても相手はレミリア以上の力も財力もある相手。レミリアが思い付く唯一の手は偉大な魔法使いの力を借りるただ一つ。それも掴めず、なにも掴めなければ、本当になにも失くなってしまう。

 

(馬鹿か私はッ!)

 

 なにもないなどそんことは初めから分かっていたこと。

 

 ルーマニアから追い出され嫌という程身に染みて分かっている。

 

 そんな身の程を知ってしまった矢先に、ようやく掴めた用心棒と従者の二人。二人のことをよく知らなくても、ついて来てくれるということをレミリアは知っている。頼っていいことをレミリアは知っている。

 

(二人に見合う私になるって決めたでしょ!)

 

 少なくとも、満月と美鈴を率いれるだけの当主になる。誰でもなくこの二人の前でだけは格好をつけたい。三人の時は馬鹿みたいに騒いでいても、二人が後ろにいてくれる時は、二人の先に足を出したい。そのためなら力が足りずとも力を振るおう。威厳がなくても覇を吐こう。そうでなければならない。レミリアが望む自分でいるために、今からでも掴めるものを掴むために。踏むべき地は目と鼻の先。ここから先はなにも取りこぼしてしまわぬように。

 

 急に部屋に木霊した大きな音にレミリアに向かって魔法使いの瞳が再び向いた。それにレミリアは睨むのではなく、被っていた黒布を脱ぎ柔らかな笑顔を差し出した。そんな吸血鬼に魔法使いのパイプが下へと落ちるのを可笑しそうにレミリアは見つめる。

 

「見過ごすのですか? 大きな見返りを」

「……なに?」

「私は勝つために戻った。敗者に力を貸したくない。それはそうでしょう。ですが勝者にも力は貸さないのですねと、言っているのですよ」

 

 柔らかく、淡々と、静かに言葉を並べるレミリアに、魔法使いも薄っすら笑う。「だって勝てないだろう?」と投げ掛けられる魔法使いの言葉を、レミリアは鼻で笑い飛ばす。

 

「私を恐れる吸血鬼ひとり、勝てないわけがないでしょう? 負ける方が難しい」

「ほぅ、未来を覗くアレに勝つと? 未来を知るアレにどうやって勝つ? 少なくとも真正面からやり合えば私でも勝てない。それにお嬢ちゃんはどうやって勝つんだい?」

「私にはアイツに勝てるだけの力がある」

「それは?」

 

 笑みを深める魔法使いに向けてレミリアも笑みを深めた。ただ背後で強く手を握り締め、手のひらを濡らす汗を握り潰すように。気を抜いてしまえば笑う膝が折れそうになるのを堪えて、笑みのまま頭をなんとか回す。

 

 自分の中にあるかもしれない特別なもの。それがなにか分からないが、満月と美鈴、三人で進むと決めている。だからその旅路の終着が望むものであるように。そんなものであることを願って。レミリアは喉にせり上がってくる熱いものを飲み込んでゆっくり、言い間違えぬように、誓いを立てるように心を言葉に変換する。

 

「私の力は未来を捻じ曲げる。私の欲しい未来を私は掴む」

「そりゃあ凄い、本当ならね。運命を変えるとでも言うのかい?」

「敗北が運命だというなら私はそれを否定する。悲劇なんて蹴っ飛ばし、望む幸せを私は掴む。私は人さえ率いる夜の主。奴隷でも家畜でもなく友として。私に掴めぬものはない! だから魔法使い! 私がお前も率いてやるぞ! 権力? 力? 知識? そんなものより大事なものがあることを私は知っている! 私が当主になった時、それをお前にも与えよう!」

 

 爛々と輝く紅い瞳は血より濃く、太陽よりも輝いている。目に浮かぶ二つの宝石に魔法使いは大声を上げて笑い、お腹を抑えて本を背後にほっぽった。

 

「あっはっは! みすぼらしくはなったが、強くはなったねお嬢ちゃん。あの城の滲みのように佇んでたお嬢ちゃんが。吸血鬼らしくないお嬢ちゃんが吸血鬼の当主にか。見たくはあるね、魔法使いは好奇心に弱くてねえ。確かに私ならあの野心家のいるポエナリ城までお嬢ちゃんたちを送ってやれるよ。ただそこはあの野心家の本拠地だ。傍らには最強の人狼二体を連れている。ルーマニアで、力だけならスカーレット家が一番だ。吸血鬼一匹と人間一人と妖一匹で勝つ気かい?」

 

 レミリアは不敵に笑うと背後にいる満月と美鈴の顔を一度見上げた。笑う二人に笑い返し、レミリアは強く胸を張る。

 

「最強の人狼二体? ならこっちは最高の用心棒と最高の門番。負ける方が難しいわね。私の持つ宝物は、決してなににも劣らない。貴女もそれに加わりたいでしょノーレッジ卿?」

「いやあ私は歳だからね、好奇心を満たすだけで、それは孫でもできたらそれに任せようかね。それを見返りに貰おうか」

「構わないわよ、未来に未来を賭けるわけね」

「そういうことさ、面白いから引き受けはしよう。術式は組んどいてやるからまた明日来な。その時にはお嬢ちゃんたちが少なくとも真正面から勝負できるようにしてやるさ」

 

「だからお帰り」と手を振る魔法使いに、今度はレミリアは可愛らしくお辞儀をし、身を翻して部屋を後にする。重々しい扉が閉まり世界が隔てられるのを背に感じて、レミリアは崩れ落ちるように満月と美鈴に寄りかかった。

 

「お見事お嬢様、未来を捻じ曲げる力とはよく言ったの」

「ええお嬢様、正しく当主のようでした。素敵でしたよ」

「あ、当たり前でしょ、私は貴方たちの主なんだから」

 

 背に感じる二人の熱が暖かい。どんな場所でも二人が居ればレミリアは望む自分に背伸びできる。実際できた。それがどうにも嬉しくて、振り返るのは少々恥ずかしくレミリアはそっと前へと振り返らずに足を出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜のオスマン帝国ほど煌びやかな国も少ないだろう。松明に照らされた石造りの街は、静かに堂々と光を照り返し、月のように美しい。その中を歩くレミリアの足も軽く、重力を感じさせず軽やかに石の道へと足を落とす。鼻歌交じりに踊るように街を歩くレミリアに満月も美鈴も苦笑するばかり。

 

「おいお嬢様、そんなにはしゃぎ動くと転ぶぞ」

「いいじゃない満月、明日にはルーマニア、遂に、遂に妹の元に辿り着くのよ! はぁ、長かった……」

 

 明日には闘いが待っているんだが、と満月は思いはするも、レミリアを見ていると下手な心配はいらないように思えてくる。手を振るレミリアに手を振り返す美鈴を尻目に満月は煙管を咥えようと懐へと手を伸ばし、その動きがふと止まる。

 

 

 

 ────カツンッ。

 

 

 

 と、道端に小石が跳ねたような軽い音。そんな小さな音にレミリアと美鈴の動きも止まる。夜に虹が架かったように、七つの光が暗闇の中線を引く。金色の髪を夜風に揺らし、二つの紅い瞳が紅い瞳を静かに見つめる。誰か? などという無粋な問いなど必要のないその姿。浅い呼吸を繰り返すレミリアの喉に言葉がつっかえ声が出ない。見間違えるはずなどなく、そして忘れることもない。

 

「……お姉様?」

「フ、ラン……?」

「お姉様だ……レミリアお姉様! お姉様がいる‼︎」

「フラン……、貴女なの? 本当に……貴女なの?」

 

 目の端から雫を零して破顔する吸血鬼の妹に迷いはなく強く何度も頷いた。そんな姿にレミリアの視界も潤んでゆき、カツリッ、と差し出される足が合図となって、フランがレミリアの胸へと飛び付いた。

 

「お姉様! 会いたかったお姉様! 私ずっと! ずっとずっと!」

「フラン! フランフランッ‼︎ ごめんなさい私ッ! 私もッ! 私ッ‼︎ 遅くなってッ‼︎」

「いいの、私本当に嬉しいの! お姉様に会えて嬉しくて! 私!」

「れみぃッ‼︎」

 

 フランの金色の髪に指を這わせる。その顔を覗こうと涙を隠そうともせずに顔を寄せようとしたレミリアの体が強く後ろに引っ張られた。力任せに引っ張られ、掻き混ざる視界に地を転がっているのだと気付くの一瞬の時を要した。

 

 最後の一瞬にレミリアの身を叩いた満月の声の残響を振り払うようにレミリアは顔を上げ、カランッ、と転がり石道を小突く煙管の音にレミリアの表情が滑り落ちる。

 

 

 ぽたぽたと。

 

 

 ただ、ぽたぽたと滴る赤い雫。

 

 

 満月の胸を貫いて伸びる鋭く綺麗な白い爪。

 

 

 それがフランの手から伸びている姿が夢のようで、

 

 

 フランの笑顔が変わらないのが幻のようで、

 

 

「お姉様、会えてとっても嬉しいわ!」

 

 

 笑顔で無邪気に再会を喜ぶフランの表情に嘘はなく、

 

 

 だからこそ何かが壊れた気がした。

 

 

 

 

*1
中国の伝説上の生物、竜が生んだ九匹の子。各々の性格に合わせた場所で各々の活躍を見せるが、親である竜になることはできなかったとされる

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