太陽が沈み始める頃…空は茜色に染まり、烏が疲れたように罵詈雑言を吐き散らす。野は寂れた風に包まれ、虫の音が期待を胸に人生を謳歌する。そんな頃合いを見計らって日本の母たちは我が子のため、夫のためにまな板を敷く。
だがそれも一昔前の日の本ならではの風景。ここ、カルデアの厨房は最新設備が整っているおかげで和洋中華、トルコにインドにエスニック。その他諸々なんでもござれのパラダイス……のはずだった。
― カルデア厨房 ―
「アチチチチッ!!!ちょっと清姫!あたしの尻尾がドラゴンステーキになっちゃうじゃない!!!火加減くらいまともにできないワケ!?!?」
「何を言っているのですか。うぇるだん?というものです。」
「何バカなこと言ってるのよ!その炭の塊を見てみなさいよ!!」
「こ、これは少し気合を入れ過ぎただけです。」
「なーにが気合よ!?これで何回目かわかって!?!?」
やいのやいのと騒ぐ中、事態はエスカレートし、厨房内は阿鼻叫喚の地獄絵図。包丁を手に取る?そんなものではない。炎が上がり、怒号が飛び交う。盛り付けの皿はさながら
「今日も仲が良いな2人とも!良いぞ!続けるがよい!!」
「私はキュケオーンを作りに来ただけだから気にしないでくれ。邪魔だけはしないでくれよ?」
「今日はせっかくだしマスターにフィッシュパイでもご馳走しようかと思ったのだが…なんだこの惨状は?」
此処へ現れたのがローマ皇帝ネロ・クラウディウス。大魔女キュケオーン…否、キルケー。そして時計塔の小悪魔令嬢ライネス・エルメロイ・アーチゾルテ。
しかし彼女らにカルデア職員を満足させる料理が作れるか?些か、いや、結構心配である。
― 十数分後 ―
「あああぁぁぁぁ!!!私のキュケオーンがぁぁぁああああ!!!!!君たち!何をしてくれるんだ!?」
「うむ、我ながら見事な出来栄え!流石は余だな!!」
「いやぁ…そのオブジェは何なんだい?皇帝様。私のフィッシュパイもこの有様ではあるが……」
地獄を見たかった。地獄ならまだ良かった。地獄を知る者としてこんなことを言っていいのかわからないが、地獄のほうがまだ綺麗である。天井から床まで隈なく彩られ、シンクの中には高度な設計により食器たちが織り成す竜宮城、コンロ周りの輝く油汚れはまるで蓬莱の玉の枝のよう。ここなら、かぐや姫の難題もクリアー出来るかもしれない。
「何なのでちか…これは???」
「ハッ……!お前たち、なんてことしてくれるでちか!?!?この厨房で何をやったらこうなるのでち!?」
まあ、当然の反応だろう。特に、料理のできる者にとって、この惨劇は耐え難い。そして彼女らは未だに騒ぎを止める気はないようだ。
「ええい!いい加減にするでち!全員ここから出て行きなちゃい!!!!」
ポン、ポン、ポン、と次々に追い出される英霊たち。彼女らはまるで戦力にならない。せいぜい清姫が役に立つ程度である。
「ふぅ、まずは片付けからでちね。清姫、下手に創作料理に出まちたね?お前は上手に出来るのでちから、ちゃんとちなちゃい。」
「はい……すみません、紅先生…。」
「いいのでち。起こってしまったことは仕方ありまちぇん。」
「片付けの基本は覚えていまちゅね??」
「はい!調理は焦らず、片付けながら、次の作業を意識しながら、待ち時間を有効に、ですよね!ですが…この状態ではそれも……。」
「それでも大原則は変わりまちぇん。運良く、此処には食洗機が有りまちゅ。食器類を流しに集めた後、大きいものから食洗機に任せている間に天井、調理台、壁、床の順で綺麗にするでち。天井、壁、床は雀たちに任せて他を2人で進めるでち!」
「はい!」
―30分後―
「30分でこんなに綺麗に…流石紅先生!」
「なんとか…終われまちたね……」
「でも、これからが本番でち!まずは出汁からでちね!鰹と昆布の合わせ出汁、清姫に任せるでち。」
「はい。ではこちらは私にお任せください!」
(さて…出汁は決まった。何をつくりまちょうか。)
(まずは、そう、味噌汁。汁物は基本中の基本。出汁は鰹と昆布。それなら…いや、時間がなさすぎるでち。任務に出ている英霊が帰ってくるのがいつもどおりならあと1時間ほど。量を考えるとせいぜい3品が限界……何か素早く作れて皆が満腹になる、そんな一品……。
ん?一品、皆で……??お鍋!!鍋物があったでち!!せっかくでちから、和食に慣れていない英霊の皆ちゃまにも美味しく食べていただきたい。だったら……)
「SUKIYAKI!!すき焼きを食べてみたいのだが?」
(すき焼きでちか…良いでちね。時間もかからない上に調理技術は然程必要ありまちぇん。調理は各々楽しんでもらうでち。しかも鍋に具を継ぎ足しながら皆楽しく食べられまちゅし、味付けが濃いでちから日本の英霊以外の方々もきっと気に入るでち!)
「あの…すき焼きを………」
「所長殿。いらしていたのでちね。貴方もそこそこ台所に立てる人間だと聞いていまちゅ。是非お手伝い願いたいのでちが。」
「ああ、構わんとも。働かざるもの食うべからず、だったかな?その考え方は嫌いではないのでね!」
「「「あ、あの~~……」」」
「余たちも手伝いに来たぞ!!光栄に思うがよい!!」
「みなちゃん…先程はついカッとなってしまい申し訳ないでち。」
「ううん。私達もすまなかった。台所が汚いのは嫌だからね。」
「ふふっ。では、皇帝ちゃまは味見係をおねがいするでち。」
「お!重要な役割ではないか!!任せておくが良い!」
「閻魔亭とやらでは面倒な客も居ただろうし、こういうの、慣れてるんだねぇ…兄上にも見習ってほしいものだ。」
「ま、まあ!?私も具材を切るくらいなら?!キュケオーンしか作れないワケではないからね!?!?」
「やる気があるようで何よりでち。今日はすき焼きでちから、難しいことはしまちぇん。好きなように野菜を切ってくだちゃい。あちきはお鍋と食器の準備をしてくるでち。」
厨房内はつい先程まで叱られていたとは思えないほど賑やかになり、皆思い思いの具材を選んでいる。そして好きなように切り、皿に盛り付ける。手当たり次第に職員たちも集め、皆で取り掛かる。だがしかし、皇帝よ。なんだその芸術品は。誰が大根細工のヴィーナスを創れと頼んだ。お前の仕事は味見係の筈だ。
―数分後―
「お、随分賑やかじゃないか!お姉さん達が居なくてもちゃんとやれてるみたいで安心安心。」
「これは……ちゃんとやれているのか?」
「まあまあ良いではないか、赤いの。料理とは、まずは自分が一番楽しまなくてはダメだワン!」
「御三方、お戻りになったでちか。お疲れ様でち。色々とあって、今日の夕餉はすき焼きになったでち。各々好きなようにやっていまちゅから、お気になさらず。3人の分はあちきが用意してあるでち。」
「女将の作るすき焼きとなればそれは美味なのだろう。楽しみだ。」
「やっぱ鍋物は家族感が出ていいねぇ。」
「ここまでしてもらったからには片付けはMA☆KA☆SE☆RO。まあ、ほとんどは済ませてあるのだろう?」
「当たり前でち。……そういえば、ご主人はどうしたでちか?」
「ああ、すまないがマスターは疲れたから部屋で仮眠をとってから遅めの夕食にするそうだ。まあ、そのまま朝まで寝ているだろうから、朝食用に少しとっておいてくれないか?」
「それなら仕方ありまちぇんね。今はゆっくり休んでもらうでち。」
―そして―
「それでは皆ちゃん、席に着きまちたか??」
「それではお手を合わせて……いただききます!」
「「「「「「「「頂きます!!!!」」」」」」」」
ぐつぐつと煮える鍋の中。大気圏突入の如く湯気を抜けると、そこには肉の大地、野菜たちの森林、菌糸類のリアス式海岸、白滝の波、豆腐の雲。世界を繰る神のごとく好きに選ぶ。1膳の箸、言い換えれば景品を捕るアーム。挟まれて上空へと引きずり出される様はさながらアブダクション。拐われるのは乳牛ではない。
彼らを連れて征く先は黄金色のオケアノス。ひとつ、ふたつ、泳がせて海面が白濁する頃にはすでに暗闇の中。溢れ出る肉汁とだしの効いたつゆ、そしてそれらをまとめ上げる卵黄のまろやかさ。
すかさず葱に牛蒡に芹。シャキシャキと重たくなった口の中を再び軽快にしてくれる。そして白滝に豆腐。熱い、まだ熱い。押すなよ!と言わんばかりに受け入れてしまう。その先は灼熱地獄、だがその残酷は心地よい。
一通り味わった後、白米に手を伸ばす。すき焼き鍋の中が地球ならば、さしずめ月といったところか。なるほど、米粒の間隙一つ一つがクレーターというわけか。だが気ままな宇宙人はそこへ更に大きなクレーターで塗りつぶしてゆく。この漂白された大地が太陽の光をその身に受けるとき、そこには絶望的なまでの「
きっと宇宙が幾千、幾万、幾億と生まれたであろうその時は未だ始まりでしかなく、本当のSUKIYAKIはここからはじまる。
―――― そう、シメだ。 ――――
鍋を再び火にかけ、これでもかと残りの具材を詰め込む。そこへ多めの溶き卵を流し、軽くかき混ぜる。未確認飛行物体から伸びるアームはすかさず天之逆鉾へと。そう、一味違う新たな世界が待ち受けている。
そう、それはまるで―――
「フォウ!」
ん?今「“えい”!」という掛け声とともに私のZIPANGが本能寺なんだが?しかも、目の前に転がる小瓶は見覚えがある。京都に有名なお店があったはずだ。いや、気のせいだろう。ではこの柔らかくも不定形ではない、蠱惑の食感と味が織り成す新世界へ………
「ウ゛ェッッッホ!!!ゥ!ゴゥォオッホ!!!な、なんだ!?!?何事だ!?!?!?」
「フォフォウ!フォフォフォッフォフォウフォフォフォウ。フォウゥ?(特別意訳:ふふん!七味という物らしい。美味いか?)」
「お、お前ェ!今朝の私のベーコンだけでなく、すき焼きまでも!!!うぅ、、楽しみにしていたシメが…藤丸に教えてもらった最高のシメが……」
「ま、まぁ気にしてもしょうがないでち。こら、フォウ。食べ物でいたずらは行儀が悪いでちよ。」
「フォウ…」
「なぁに、このぐらいでは諦めんよ、私は不死鳥のムジーク!何度でも黄泉帰るッ!辛くなったものはしょうがない、ならば旨辛くすれば良い。流石、自分。そうだな、チーズ、チーズを入れてタッカルビ風に……」
「くぅ~~!こいつぁビールにも合うねぇ!!」
「ランサー、はしたないぞ。」
「どれ、セイバー。器に盛ってやろう。」
「お願いします。アーチャー。」
「姉さま方、何が食べたいですか?」
「あら、気が利くじゃないメデューサ。私はお豆腐が良いわ。」
「私は白滝が気になるわ。アステリオスはお肉が良いって。」
「じぶんのは…じぶんでやる。」
「アステリオスさんはしっかりものですね。」
「あら、小さいメデューサ、何か言ったかしら?」
「いえ……」
「ふん……くだらんことを言うからそうなるのだ。」
「うぅ…大きい私の言うとおりです…。」
「うんうん、皆ちゃん楽しそうで何よりでち。」
「珍しいですね、紅先生。」
「清姫、何がでちか?」
「台所に料理のできない人を入れるどころか自由にやりなさい、なんて。ふふっ、不思議ですわ。」
「お客様ではなく、家族みたいなものでちからね。このカルデアという場所は。であればこそ、美味しいだけならあちきと清姫の手伝いがあれば十分でちた。でも、楽しくてお腹いっぱいになるには、これが一番でち。」
時は経ち、賑やかな…いや、少し五月蝿い夕餉時は終わりを迎えようとしていた。
閻雀裁縫抜刀術、それさえあればいかなる食材も絶妙な一品に仕上がる。だが、それは料理の話であって、「食事」の話ではない。もちろん、食事のことも考えられてはいるのだが、それでも用意出来ないものがひとつだけ、ある。それは――団欒――。どんなに美味いものも、これがなくては話にならない。そして、ときにこの温かさは技をも超える。
「本日の夕餉はいかがでちたか?宴も酣、そろそろお開きにしまちょう。」
「それでは皆ちゃん、お手を合わせて……ごちそうさまでした!!」
「「「「「「「「ご馳走様でした!!!!」」」」」」」」
――――またの名を“円満”、それは「さしすせそ」にも無い、何よりも大切な隠し味。――――