真・恋姫†外史 ~二人の姦雄~   作:当在千里

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【五】暗中金煌

 算盤を弾く音がする。それは、卓上で少女が弾いているものであった。彼女の髪は華琳と同じ金髪で、春蘭と同じくオールバックにアホ毛で、その長い髪を後ろで一本結びにしている。算盤を弾く彼女の目は真剣そのもので、一銭のムダも出すまいと細心の注意を払って計算をしているようである。その卓の向かい側では、華琳が手をつき、真剣な眼差しでそれを見つめていた。

 

「鮑信はん家の修理代と、鮑信はん自身への賠償金、ほいからもみ消しのための執金吾への付け届けを含めて……ざっとこんなもんやろか」

 

 計算をし終えた少女は、華琳に算盤を見せる。華琳はそこに示された金額をみて、ホッと胸をなでおろす。

 

「曹家の倉から出せるかしら」

「まぁ、大丈夫やと思うで。春蘭が暴れて壊したー! やったら、みんな納得するやろし。ただ……」

 

 少女は眉をひそめ、やや沈黙の後、口を開いた。

 

「師匠がごっつぅ怒るやろな……」

「金華には、私から言っておくわ」

「おぉ! さすがねーやん、ほんまありがとう」

 

 華琳の言葉を聞いて、彼女は満面の笑みで感謝を述べる。

 

「華月、いつもごめんなさいね」

「いまさらやで、ねーやん。春蘭の暴走なんていつものことやし、いちいち気にしとったらこっちが持たへんで」

「それもそうね」

 

 華琳がそう言うと、共に小さく笑った。華琳と話す彼女は、春蘭や秋蘭と同じく華琳の従姉妹である、曹洪、字を子廉、真名を華月と言った。商人肌な少女で、その口調も、師と仰ぐ人物を真似て、少し変わった風にしゃべる。数字の計算、特に、金銭の計算を得意としており、曹家の財政を預かっていた。

 

「しっかし、あれやな。ねーやん。女のケツばっかし追いかけとったねーやんに、ねんごろの若い衆がいるとは思わんかったで」

 

 華月はやや意地悪そうな笑みを浮かべて、華琳に言った。対して華琳は平然としたまま返す。

 

「あら、志遥はまだ、心許しあう「友人」よ」

「「まだ」ってところがねーやんらしいわ」

 

 また小さく笑う。挙動が同じところを見れば、流石、親族といえた。春蘭、秋蘭よりも遠慮がない。主君ではなく、親族として、華琳と接する数少ない一人である。二人の笑いはほどなくぴたりと止み、代わりに、二人の顔は主と臣のものとなる。

 

「あなたから見てどう? 洛陽は」

「どうもこうも、商売の張りが悪なっとる。一部の金なし専用御用商店は繁盛しとるみたいやけど、民衆寄りの店になるにつれ、げっそりしょげかえってしもとるで」

 

 金なしとは、金銭のことではない。趣味の悪い、華月の言い換えである。つまりは、去勢された宦官が使用してる商店のことを指している。

 

「やっぱり、そう思う?」

「せや。原因は確実に、これやな」

 

 華月は親指と人差し指で輪っかを作る。

 

「五銖銭……」

「ご名答。流通しとる五銖の質が明らかに落ちとる。……銅の流通が滞り始めとる証拠や」

 

 貨幣の質は、そのまま経済に影響を与える。貨幣の価値がその質で決まってしまうのだ。貨幣の質がしっかりしたものならば、その対価として物は提供される。そのため、良質な貨幣を作るための銅は、必要不可欠なものである。銅は、その多くが南方から来ている。

 

「最近、益州牧と、荊州刺史が変わったわ益州は劉焉、荊州は劉表のようね」

「江夏に、漢中のお山さんか。劉姓っちゅう目玉商品もおまけに付いとる」

「嫌ね、簡単に名乗られたら」

「……せやな」

 

 華月が商品と形容した劉姓とは、文字通り、劉邦から連なる劉氏一族、つまりは皇族であるということを指していた。後漢の創始者である光武帝は、劉氏という姓をもとに、自らを正統とし、冀州という一大人口集積地を背景に天下を再び統一した。もしかすると、この二つの州の劉氏は、第二の光武帝にならんとしているかもしれないのだ。特に、益州及び漢中は漢の高祖・劉邦ゆかりの地。一族の起源の地、ということから正統を称することは十分考えられたのだ。事実、史実における劉備は、そうした。今、二人の劉氏が、銅山のある地を抑えたことで、銅の流通を滞らせている。

 

「急がんとあかんな。色々と」

 

 為政者たるものが、己の権益のために経済を乱しているのである。民の余裕はなくなり、最低限の仕事もできなくなる。民に余裕がなくなればどうなるのか。人々が言うところの「災異」の発端となる。

 華琳はその言葉に物言わず頷く。華月はその様子を見て取ると、懐から折りたたんだ書状を取り出し、華琳に差し出した。

 

「あ、そ〜やった……これ、師匠からねーやんに。先行投資の御免状って言うとったんやけど、わかる?」

「あら、随分早かったわね」

「なんや。やっぱ知っとるんか。ワイには内緒の話なん?」

「いずれわかるわ」

 

 華琳はそう言いながら、その書状を読んだ。そして満足気な笑みを浮かべ、卓に置かれた茶をすする。その様子に、華月はやや不満げであった。

 

 

「やりましたわね、あの性悪女」

 

 麗羽は目の前の竹簡に対してそう呟いた。顔には、悔しげな表情を浮かべ、唇を噛み締めた。竹簡に書かれていたこととは、曰く、「袁本初を渤海太守に任ず」と。

 無官である麗羽にとっては一見、栄転のようにも思える。しかし、蓋を開ければ、中央から切り離され、袁家の本拠がある汝南からも遠ざけられた形となっている。これでは、袁家の影響力を封じ込められたと言っていい。

 都での彼女の名声は日に日に高くなっていった。志遥と共に学を身に付け、武を収め、互いに議論を重ねることで智を磨き、才あると目された人物、これと目をつけた人物には自ら会い交友を広げ、自他共に認める袁家の実力者となったのである。しかし、それをよく思わぬものがいる。彼女の従妹であり、現在の袁家嫡流である袁逢の愛娘、袁術の一派である。袁術自身は麗羽に対してさほど敵対心を燃やしているわけではない。むしろ、自分より目立つ従姉妹の姉が羨ましい、恨めしいといった程度の気持ちである。親族としての親愛の情も当然あると言って良い。故に、麗羽の言葉の向かう先も、袁術自身には、向いていない。そのそばに仕える傅役。張勲に向けられていた。袁術のそばに長らく仕えている彼女は、都での麗羽の名声が、袁家嫡流としての袁術の立場を危うくするものと判断し、都から遠ざけ、且つ、表向き利であるようにみせて、麗羽を貶めた。雄飛をせんとした麗羽の羽を、むしり取ったのだ。

 

「姫~、会いたいってひとが来てるよ~」

 

 と、不意に声をかけられ、麗羽は顔を向ける。見れば、文醜、真名を猪々子がそこにはいた。来客は珍しくないので、いつものように、猪々子に通すよう伝える。しばらくすると、深い灰色の髪をした少女が入ってきた。ややツリ目がちで、鼻筋に、ちょこんと小さなメガネを乗せ、物腰は柔らかだが、どことなく、油断ならない。麗羽の眼前に立つと、礼をとり、その場に跪いた。

 

「お目通り感謝致します。袁本初様」

「かまわなくてよ。家に訪ねたる士を迎えるのは、当然のこと。それで、わたくしになんの御用ですの?」

 

 麗羽は早く先を言えと暗に促す。その様子を少女はチラと見て、口の端をニマリと歪ませた。

 

「袁家の檻から抜け出された、袁本初様のご栄転を祝しに参りました」

「……なんですって?」

 

 一瞬の怒りをどうにか抑えた。どうやら目の前の少女は、どうやって仕入れたかは分からないが、麗羽の渤海太守就任を知っているようであった。そして、おそらく、その意味するところも知っている。その上で祝しに来た。と言ったのだ。

 

「お聞き逃しになりましたか。袁本初様。袁家の檻を抜け出された、貴殿の栄転を祝しに参ったのです」

 

 麗羽は思わず立ち上がった。怒りからである。そして目の前の少女を睨む。しかし、少女の顔は以前不敵で、睨みつけた麗羽を歪な笑顔のまま見つめ返す。

 

「あまりお怒りになられますな。少し、考えて見てくだされ。確かに渤海に行くということは、袁家の勢力下である洛陽や汝南から離れることにはなりましょう。しかし、逆にこうであるとも言えます。名声はあれど、袁家では下風に立たされている貴殿が、自らの力を手に入れる機会であると」

 

 その言葉に、麗羽の怒りが下がっていく、この少女は、自分に何を話すつもりなのか、その興味が、怒りに勝ったのである。

 

「……お続けなさい」

「ありがとうございます」

 

 少女は歪んだ笑みをさらに歪め、今一度拝礼してから、話を続けた。

 

「そもそも、渤海は冀州に属す土地。冀州は光武帝の時代より都のある司隷と並んで、人口の集積地として栄えております。事実、光武の覇業はその根拠地を冀州として始まっており、覇者の地、と言ってもいいでしょう。つまり、冀州を勢力地盤として押さえれば、今の袁家など比べるべくもない力になる。袁家の袁本初、ではなく、袁本初の袁家を手に入れられるということです」

「けれど、わたくしが任ぜられたのは、一郡の太守。冀州の牧には、韓馥殿がすでに着任しているはずですわ」

「わたくしは韓馥の為人を存じておりますが……庸人です。どっちつかずな凡愚と言えます。配下には有為の人材が幾人かいるようですが、それを見出し、使いこなす器量を持ち合わせてはいない。わたくしの案ずる策を講じれば、有為の人材を切り離し、孤立させ、ほどなく貴殿が冀州牧となりましょう」

 

 少女の顔は歪な笑顔に歪みながら、その自信を隠すことなく表に出している。麗羽はそんな彼女に一種の嫌悪を感じながらも、話に引き込まれずにはいられなかった。

 

「あなたはそれが出来るおっしゃるのですね」

「無論」

「それが果たされたとき、あなたは何を望みますの」

「……貴殿の闇になりとうございます」

 

 不可思議な言葉である。地位や、褒賞ではなく、闇になりたいと、彼女は言った。

 

「闇とは、どういうことですの?」

 

 単純な疑問。麗羽の口からこぼれた言葉に、少女はやはり、ニヤリと歪めて答える。

 

「貴殿の欲すもの、消したいものを言葉にし、実現する。貴殿が言葉にできないものを、包み隠さず。私が言う。そういうことです」

 

――外史を律す。

 

 麗羽は少女の側に歩み寄る。その顔は、およそ彼女らしからぬ、仮面のような冷ややかさが宿っている。

 

「名乗りなさい。あなたの名を」

 

 麗羽が紡いだ言葉に応え、少女は、こうべを垂れて返した。

 

「――逢紀、字を元図。真名を暗思と申します。我が君」

 


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