真・恋姫†外史 ~二人の姦雄~   作:当在千里

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 遅れて大変申し訳ない。これ以外、もはや言葉はありません。


【七】饗宴至極

【七】饗宴至極

 

 その日、華琳、麗羽、志遥の三人は正式に日時を決めて会うこととなった。それぞれが、官に叙せられ、一時の別れとなったからである。場所は、袁紹の屋敷。相変わらずゴテゴテとした外観であったが、しかし、一時のところかまわぬ過度な粉飾は消え。やや、落ち着きのある佇まいを手に入れていた。それが、むしろ威を備えさせている。身を慎みて、むしろ飾らるといったところであろうか。また、そのように心境の変わった麗羽の立ち振舞いも、落ち着きが芽生え、それに加えて、彼女の生まれながらの気品が王者の気風を与えていた。

気風といえば、他の二人も負けてはいない。常に覇者の如くあれと自分に言い聞かせているのであろう華琳は、すでに覇者のそれを手にしていると言ってもいい。しかし、それは麗羽と華琳が、近しくも対極に位置していることを、むしろはっきりとさせているようにみえる。そして、志遥。彼のそれは形容が難しい。王と覇の間にあって、なお、その威に抑えられることのない異様な威容を備えているのである。覇道が陰、王道が陽とすれば、その陰陽両者を内包している、太極。であると言えるのかもしれない。言葉を借りるならば、前漢の武帝に仕えた司馬相如の、その賦に題された、帝王の仙意を知る、超越的な王「大人」と呼ぶのがふさわしいであろう。

三人が顔を合わせる。気勢の昂まりが、部屋に満ち満ちている。彼らが、まだ着任してもおらぬ若輩の見習い官吏や将校だと誰が思うだろう。三人の王がそこにはいた。

 

「中央に召されたのは俺だけか。大将軍も見る目がない」

「わたくしにも招聘の話は来ていたのですけれど……途中で唐突に美羽さんが招かれましたので」

「あら、袁術が? 袁家とは言え、その嫡流にはかなわないってことね。」

「ええ。そういうことですわ……華琳さんには、招聘は無かったと聞きましたけれど?」

「どうせ宦官の孫だからってあいつらとの結託を怪しんだんでしょ」

「そうでなくても何か企んでそうですものね」

「言ってなさい。麗羽も胸中の野心がこぼれないように気をつけたら」

「ご忠告ありがたく受け取りますわ。華琳さんも……ああ、そうでしたわね、華琳さんにはこぼれるほど胸はございませんでしたわ。」

「……胸の話はしてないでしょ」

「狭い器が、その胸に現れていると言いたいんですの」

 

 いつもながら軽い口調で、華琳と麗羽の口論が始まる。以前なら華琳が麗羽をいいくるめて終わることが多かったが、ここのところは、互いに拮抗していると言っていい。口が回るようになったのか、はたまた余裕が出来たのか。どちらにせよ、互いに良き好敵手に育ちつつあると、志遥は思う。

たしかに華琳の胸は小さいと思いつつ、志遥は止めに入った。

 

「まぁ、互いにじゃれあうのもそこまでだ二人共」

「別にじゃれあってなんて」

「そうですわ。わたくしは華琳さんに正直なことを……」

「わかったわかった。仲が良いのは大変結構。今日は祝いの席だ。そう突っかからず、互いの栄進を祈ろうではないか。ともに盃を交わすことも、これが最後やもしれんのだ」

 

 きっと「ただの友」としては。と、志遥は心でつぶやく。この日を境にして、骨肉相食む政敵になるやもしれない。それでなくとも、宦官との対立の中であらぬ過失をなすりつけられ、誅殺の憂き目に会わないとも限らない。死は驚く程そばに居る。だからこそ、今だけでも別れを爽やかなものにしたい。この世界では、性別がまるっきり変わっているくらいなのだから、後の歴史がまったく同じであるとは限らない。

 思いが伝わったか否かそれは定かではなかったが。志遥の言葉を機に、二人共おとなしくなった。軽口は相変わらずだが、棘はない。そこに志遥も加わり、和やかに会は進む。机に料理が並べられ、酒もなみなみと注がれている。

 

「旨い酒だ」

「我が家の特製よ」

「随分と発酵を重ねているな。苦労しただろう」

「我が家の蔵の中でもとっておき中のとっておきよ。奮発したんだから」

「袁家にも、これほどのものはそうそうありませんわね」

 

 華琳の持ってきた酒は、普段飲むものよりも幾分も強い酒であった。すでに搾り取った酒に、にさらに穀物を足し、それを再発酵させることを繰り返す「(うん)」という方式によって作られたものである。これを三度繰り返すことによって「(ちゅう)」という酒が出来上がる。火によるアルコール分強化を行った酒を「焼酎」と呼ぶようになったのは、この酎が所以なのだろう。ちなみに、曹操は史実でも、この醞を九度行って作った酒の作り方を上奏している。世に名の通る所の「九醞春酒法」である。

 志遥はこの美酒に陶然とした気持ちとなった。それは、他の二人も同様であろう。美食美酒を堪能するとき、人は、どのような気持ちになるだろう。答えは言わずもがな。歌を歌いたくなるのである。酒が回れば歌声も滑らかに、どこからか、琴も取り出された。それを爪弾くのは、華琳である。その一つ一つ旋律は、その場の二人の琴線をも弾き、場は厳かな雰囲気が流れ始める。歌うのは、古く詩経にある歌。鄭風の調べに乗せて、心を詩に託す。

 

青々たる子が衿 悠々たる我が心

 

縦え我れ往かずとも 子(なん)ぞ音を嗣がざらんや

 

青々たる子が(おび) 悠々たる我が思い

 

縦え我れ往かずとも 子寧ぞ来たらざらんや

 

挑たり達たり 城闕に在り

 

一日見ざれば 三月の如し

 

 歌を歌う華琳の声は、水晶の透明さと、牡丹の荘厳さを併せ持っていた。酒のために少し紅潮した頬と、感極まった心がうるませた瞳が、堪えようもないほどに艶っぽい。志遥は彼女が、洛水のほとりにいるという女神なのではないかと思った。かつて息子の曹植が言葉にした洛神の姿は、およそこのようなものであっただろうと、酒気を帯びた嘆息をはく。歌は、恋の歌だ。青衿という詩である。女が男を待ち詫びる心を歌った詩だ。若々しい男女の青春。だが、会えずに悶々とする女の心。どうして便りをよこさないのか。どうして逢いに来ないのか、女にとって一日逢えないことは、三ヶ月会えないことと同じだと、そう恨めしく男に歌っているのだ。志遥が華琳に目を向ける。少し拗ねたような、伏し目がちな表情でこちらを見つめていた。酒で紅潮していた頬が、さらに赤みを帯びている。志遥もその華琳のいじらしい様子に、愛おしさを覚える。いつものような不敵な笑みを返した。詩は心を歌う。だからこそ、伝えるものも、受け取るものも、偽りのない気持ちで感じなければならないのだ。その点で、二人の心は通じ合っていたと言える。恋の歌として青衿を読んだ華琳。それを詩に出てくる、男の気持ちで笑みを返した志遥。この濃密な情交は、燃えたぎる火のように、二人の心身を火照らせた。

 しかし、この場にいるのは、二人だけではない。今や天下の一雄たる麗羽が、二人の空気を感じぬはずもない。しかし、彼女もまた、態度を崩さず、涼しげな表情にうっすら笑みを浮かべながら華琳に言った。

 

「華琳さんも、味なことを致しますわね。学友を思う歌なんて」

 

 華琳は。やっぱりと言った風に呆れ顔になり、志遥は、その一言に、ニヤリとした。酒宴の場において、士人達が必死になって唱和する、訓詁の解釈を持ち出されたのだ。

後漢の時代とは、前漢後期より重視され始めた儒教が、過剰に奉られ始めた時代でもある。新しい思想や、学問の出現を拒み、むしろ、経書解釈におけるひたすらな神聖化、清純化が進められた。言葉一つ一つの些細な字句表現にも、聖人の意図を慮り、本来の意味を歪めてまで、経書を神聖なるものとして扱うようになったのである。易、書、詩、礼、春秋の五経の中でも、詩経はその歪み具合がわかりやすい。恋歌は、恋歌として読まれず、もっぱら、しきたりや為政に対しての言葉として受け止められた。純朴な感情が、格式張った聖人の言葉や、社会への風刺として受け取られたのである。麗羽はその訓詁による詩の解釈を持ち出したのだ。ある意味で、華琳が仕掛けた、目くらましとも言える。この場にふさわしい詩を吟じているように見せて麗羽をたばかり、その実、志遥への自らの思いを伝えんとしたのだから。

しかし、麗羽の次の言葉は予想外であったようである。

 

「……と、少し前のわたくしでしたら、きっとそのように言ったでしょうね。華琳さん?」

 

 麗羽はそう言うと、華琳に意地悪く笑いかける。詩の真意を悟られたと気づいた華琳は、苦々しげに、そして恥ずかしそうに、麗羽を睨みつけた。

 

「あれほど熱っぽく言葉を紡いでいるのに、気づかないと思いまして? わたくしをあまり見くびらない方が良いですわよ?」

「……いいわ。認めてあげる。あなたは私の宿敵よ」

 

 二人は志遥をはさんで、火花を散らすように互いににらみ合う。

 

「しかしまぁ、華琳さんも大胆ですわね。志遥さんへ直接思いを告げるなんて」

「あら、少し前までの詩を解さない誰かさんなら、あっさり学友を思う歌だと、騙されてたんじゃないかしら」

「どちらにしても、おこがましいですわね。戦いは平等にするべきじゃありませんの?」

「あら、兵は詭道よ。相手の意表を突くことこそが大切じゃないかしら?」

「孫子にかぶれるのはいいですけれど、戦においても堂々とした威風を備えなければ、王とは言えませんわ」

「威に頼って、実をおろそかにした戦なんて浪費が激しいだけじゃない。威なんて後から身についていくわ。大切なのは、何もないところから何かを生み出せる力よ。実の伴う威こそ、王にとって必要なものよ」

「然るべき威は、こちらが整えておかなければ身につきませんわ。それに、威を示してこそ、それを実にせんとする力が生まれるのではなくて?」

 

 平凡な恋模様から、王の対話へと舞台は変わっていた。

 志遥はその変化に感心しつつ見つめている。麗羽の成長は目覚しい。備える威は王者のそれである。華琳の元々磨かれていた覇者の資質も、麗羽の成長を敏感に感じて、さらにその輝きを磨いているようだ。そして、なによりその二人の中心に自分が鎮座しているという事実。それは志遥を大いに興奮させた。

もはや曹操であった時からの性癖とも言っていいが、彼は人材を愛す。そして人材が育つこともまた愛している。いま彼は、これ以上ないほどの強大な人傑が目の前で育つ様を見守っているのだ。興奮せぬはずもない。

 

「志遥さん!」「志遥!」

 

と、志遥は不意に二人に呼び止められた。座った目でこちらを恨めしそうに見つめてる。おそらくは先ほどの口論の答えを本人に求めているのであろう。

 

「あなたはどちらを選ぶ(んです)の!?」

「今の段階では、華琳だ」

 

 そんな二人の問いに使用は間髪入れず答えた。ふたりの反応はその答えに沿って正反対のものが生まれている。しかし、志遥の回答は止まらない。

 

「ただし、麗羽、お前が完全に劣っているわけではない。その差は驚くほど近いといっていい。俺は、華琳も麗羽も愛している。そしていずれ、どちらか一方とは答えられなくなるだろう。美しく気高く、その容貌を飽くことなく見つめ続けられるほどに、お前たちは俺の心を掴んで離さない。お前たちは、俺の心を照らす太陽と月だ」

 

 志遥はよどみなく答えた。曇りない言葉に、二人は顔を火照てるのを感じる。

 

「そこでだ。俺はこう考えた。もしお前たちのお互いが独立し、群雄となったとき、俺もまた独立する。まずは先に俺と接触があった方に俺はつく。一方はそれに納得できないだろう。そのときは、もう一方に戦を仕掛ければいい。そしてそれに勝った方に、俺は寄り添う」

 

心は決まった。闘争心が、互いの体を大きく撫ぜる。

 

「志遥さん、どちらにしろわたくしがあなたの身も心もいただきますわ」

「あら、麗羽。すこし賢くなったくらいで私に敵うなんて本気で思ってるのかしら。だったらその驕り、たたきつぶしてあげるわ。志遥、あなたは私のものよ」

「華琳さんこそ、才覚が常にあなたを助けるとは思わないことね。あなたにないものをわたくしは持っているのですから……」

 

 両雄並び立たず。その争いの中心である志遥はただ笑うだけであった。

 




詩の解説

詩経の鄭風にある青衿と言う詩です。曹操の短歌行で「青々たる君が衿、 悠々たる我が心」とあるのは、この詩からの本歌取りと言えるでしょう。曹操の詩にはこれ以外にも、そういった引用があります。まぁ、曹操に限った話ではありませんが……

ちなみに鄭風というのは、鄭の国の詩を集めているという意味。
鄭風というのは古くから淫蕩の詩が多いなどと呼ばれてひどい扱いを受けてるのですが、実際に覗いてみれば非常に素直な男女の恋模様が描かれていて非常にキャハハウフフとしています。ちなみに朱子学でお馴染みの朱熹はこの鄭風が大嫌いなんだろうなってくらい注釈の解説がひどいです。

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