青空から降り注ぐ日光が地上を丁度よい具合に温める昼下がり。
連合艦隊旗艦大和の甲板には無数の海軍乙女が並んでいた。居並ぶ海軍乙女たちは皆釣り竿を垂らし、釣り糸がカーテンのように並んでいる。
ヤンと洋平の出処進退を賭けて唐突に始まった釣り勝負、軍楽長の岩田雫を始めとする赤チームが軍楽隊だけでなくその他の水兵達も含め数百人にも上るのに対し、当の賭け対象であるヤンと洋平を含む青チームは彼ら以外に司令部メンバーの山本五十子、宇垣束、渡辺寿子、黒島亀子の四人、合わせて六人だけの戦力である。ちなみに黒島亀子に関して言えば、もともと彼女は乗り気ではなかったが五十子が少しでも有力な戦力を、海のことをよく知っているから、ということでほぼ無理やり連れてきた。五十子直々のお願いということもあって亀子も渋々と受け入れたのである。
制限時間は二時間に定められた。
また、釣った魚を限定したほうがおもしろいという五十子の提案により、対象の魚はアジに限定された。
「山本長官と渡辺参謀はこの場所で待機を。宇垣参謀長と源葉参謀は、私についてきて」
驚いたことに、司令部チームを仕切るのは亀子であった。。面倒臭がる束を引っ張り、五十子達を残してヤンと洋平、束と亀子の四人は後部三番主砲塔を通り過ぎた辺りの、木甲板ではなくセメント・コーティング張りの水上機発艦用のカタパルトがある航空甲板に陣を構え、釣りを始めた。
対する軍楽隊は、兵力を分散させず一箇所に集中させる戦術の定石でいくようだ。
「主計科の子の情報では、以前この場所でアジがよく釣れたそうよ。全員がここで釣っていれば、無駄に移動するより効率よく釣れるはずよ」
「軍楽長さっすがー!」「参謀の素質ありますよ!」「そういえば、この勝負って何のためだっけ?」 「みんな、いつもみたく円陣組もう!」「軍楽隊ファイトーッ、オーッ!」
軍楽隊の威勢の良い掛け声が響いてくる。士気はあちらが上のようだ。
「・・・素人の集まり。可哀想」
亀子がポツリと毒を吐いた。
「亀子さん、二手に分かれたのは何か策があるの?」
「安心して。私は海洋生物の生態のスペシャリスト。絶対に負けない」
「そ、そうだんだ。で・・・どうしてここにしたの?釣り場所なら、残飯を捨てるスカッパーの近くが良いんじゃ」
「アジは潮の流れに乗って回遊する。今の大和周囲の潮流なら、一番の釣り場はここ」
そう言いながら、亀子自身は釣りを始める様子を見せない。というか釣り竿を持っていない。
「私はあなた達の頭脳。私の言う通りに手を動かせば必ず釣れる」
「マジかよ・・・」
束が嫌そうな顔をしつつも釣り竿を構えるのは、ヤンと洋平がいなくなると嫌だと一応は思ってくれているのだろうか。
「それにしてもヤン、てめえも考えたな。釣った量じゃなくて平均で勝負するなんてな」
釣り竿の様子を見ながら束がヤンに言う。
束の言うとおり、この釣り勝負のルールは少し変わっている。
本来、こういう勝負はそれぞれのチームが釣った魚の数で勝敗を決める。しかしながら、この方法では魚釣りの経験があり尚且つ人数も数百人と多い雫率いる赤チームに比べ、釣り未経験者が大半を占め、人数も六人しかいないヤンと洋平の青チームが著しく不利であることは明らかである。
そこでヤンは考えた。こちらにも十分勝ち目があるようにルールを変えられないか。例えば釣った数で勝負するのではなく別の方法で勝敗を決めるとか・・・
そうして思いついたのが釣った数ではなく、それぞれのチームで一人当たりが釣り上げた「平均」の数で勝負する、という方法だった。
例えばAチームが百人、Bチームを五人として釣り勝負をするとする。Aが三百匹釣り上げ、Bが三十匹釣り上げたとする。釣った数で勝負すれば明らかにAの勝利であるが、一人当たりが釣り上げた「平均」でいえばAが三匹に対し、Bが六匹であり、Bの勝利である。一人当たりの釣った数の平均で勝負するというルールであれば、例えチーム当たりの釣った数が少なくとも、また、チームの構成員や技量が少なく相手に対し不利でも十分に勝ち目がある。
また、両チームはほぼ同じ条件の同じ海域で釣りをするわけである。それぞれの担当する海域に生息する魚の量が同じだったとすれば、構成員の多いチームが一人当たりが釣れる量は少なくなり、逆に構成員が少ないチームの一人当たりが釣る量は多くなる。
もちろん、これはあくまでも理論上の話。相手は数が多いだけでなく技量も高いし、こちらの技量は非常に低い。釣り、というより海に詳しい亀子もあくまで指揮官役で自らは腕を振るわない。だが、このまま釣った「数」で勝負するよりもはるかに勝ち目があることは確かである。
ヤンはおさまりの悪い黒髪をかきながら苦笑した。
「まぁ、あのまま勝負すれば私たちが明らかに不利だったからね。となると、戦場の条件状況を変えて、少しでもこちらに優位、あるいは勝ち目があるようにするしかない。で、これなら私たちにも勝ち目があると考えたのさ」
「軍人やってたっていうが、本当だったみたいだな。正直あたしには信じられなかったけどな」
束の言にヤンはますます苦笑した。束の言うことはもっともである。長めのおさまりの悪い黒髪、冴えない風貌、少し猫背気味で歩く中肉中背の姿、初対面の人間がヤンを見れば、彼が軍人であるということが信じられないだろう。
「まぁ、私の仕事は戦うことではなく作戦を考えて指揮をすることだったからね。そもそも、軍人自体、なりたくてなったわけじゃないんだ」
「なんだ、参謀だったのか?見かけによらず大した奴だったんだな」
束が感心したように頷いた。洋平も内心、ヤンに少なからず感心していた。最初彼が釣りで決める、勝負をするといった時には不安になったが、決して全く考えもなしにそのようなことを言ったわけではなかったのだ。彼なりに勝ち目や作戦を考えてのことだったのだ。
「確かに、平均で勝負すれば僕たちにも勝ち目がありそうですね」
「そうだね。もちろん、これでも相手のほうが有利ともいえるし、確実に勝てるわけじゃない。でもこのまま戦うよりは遥かに勝算がある。釣った魚の量が少なくても勝てる可能性がある、そこに私達の勝機がある。まぁ、最初から負けようと思って勝負をする人間はまずいないからね。勝ち目がないか、なければどうやって作るか、それを追求することだ」
「勝ち目を追求、ですか」
「それにこの勝負には私達の今後の処遇がかかっているからね。私の給料や君の待遇がかかっている以上、負けるわけにはいかないよ。まぁ、五十子のことだからそう簡単に大和から追い出すようなことはしないだろうけど・・・」
ヤンの言葉に洋平は改めて気を引き締めた。そうだ、この勝負には自分たちの今度の出処進退がかかっているのだ。負ければこの大和を追い出されるかもしれない。この頼るべき人や所のない世界に、立った二人で放り出されるかもしれないのだ。せっかく見付けた場所を、追い出されるわけにはいかない。
「まぁ、私達にできるのはここまでだ。ここから先はプロに任せてもらおう」
「・・・無駄な会話。時間の浪費に繋がる。口ではなく手を動かして」
亀子が静かに、しかしぴしゃりと言った。
亀子は甲板に腰を下ろすと、二人に矢継ぎ早に指示を出す。
「アジは深度4・5メートルの変温層の下にいる、深度5メートルを狙って釣針を投下」
「へいへい」
「かかった時の注意事項。引っ張る時は魚との位置関係が真っ直ぐ上下になるように。左右に引くと隣の仕掛けに絡まる」
「へいへい」
束はやる気の無い生返事だ。なんだかゲーセンのUFOキャッチャー前でよく見かける、自分はやらずに後ろで評論してる人とレバーを動かしながらだんだん不機嫌になっていく人のコンビを彷彿とさせるその様子に洋平は収まりかけていた不安が再び大きくなった。
「びくっ、は軽くつついただけ。びくびくっ、で食いついた。びくびくびくんっ、は餌を食べ尽くされてる。びくびくっ、で合わせて。・・・聞いてるの参謀長?」
「いや、わけわかんねえし。合わせるって何をだよ」
「針を魚に食い込ますこと。参謀長は瀬戸内出身なのに、こんなことも知らないなんて可哀想」
「うるせえ。あたしは家が厳しくて、釣りなんてやらせてもらえなかったんだよ!」
思わず言ってしまった、というような様子で束は舌打ちをしてそのまま黙り込んでしまった。家が厳しいと言っていたが、彼女はもしかして良いところのお嬢様、だったのだろうか。その姿からは信じられないが・・・
「そう言えば、さっき軍人になりたくてなったわけじゃないって言ったけど、じゃあどうしてヤンさんは軍人になったの?」
洋平の何気ない問いにヤンは頭を掻きながら答える。
「うん、前にも言ったと思うけど、もともと私は歴史家を志望していたんだ。でも十五の時に父が事故死してしまってね。大学に行きたくてもお金がないから、タダで歴史が学べるところはないかと探したんだ。で、タダで歴史が学べる士官学校の戦史研究科に入学したんだが、なんとも運のないことにその戦史研究科が廃止されてしまってね。辞めようにも、辞めたら辞めたらで今までの学費を払わないといけないから泣く泣く在籍し続けて、気づいたら軍人になってしまっていたというわけさ。そのあとも何とかタイミングを見つけて辞めようとしたんだけどねえ。ところがどうも功績を挙げすぎたみたいで、階級も上がって、部下も増えて気づいたら辞めようにも辞められなくなっていたのさ」
「な、なるほど・・・」
「なりたくもないのに軍人になったのか。道理で軍人らしく見えないわけだ」
歴史をタダで学びたいから士官学校に入学して、気づいたら軍人になって辞められなくなった。
食い扶持がないから軍人になった、という人間は多いがこれはこれで少し変わった理由である。本人はなりたくなかったのに、気づいたら軍人になってそれなりに地位も得ていたらしい。人生とはなかなかにいたずら好きなようだ。
「そう言えば、亀子さんはどのあたりの出身なの?」
少し話題を変えて、洋平は亀子に聞いた。
「生まれは呉」
「やっぱり。道理で詳しいと思った。海に詳しいけど、小さい頃、親御さんに海釣りを教わったとか?」
「両親は顔も覚えていない。父親は私が生まれてすぐ死んで、母は私を捨てた。私を育ててくれたのは、呉鎮守府が運営する身寄りのない子どものための施設」
「え? ごっ、ごめん!」
つまり彼女はほとんど孤児も当然だったというわけだ。いきなりデリケートな話題に触れてしまった。隣の束は黙ったまま。知っていたのであれば止めてくれればよかったのだが。
「構わない。嫌な思い出ばかりじゃない」
亀子はゆっくり目を閉じ回想する。
「あれは4歳の時。江田島から兵学校の生徒達が施設に慰問に来た。私は皆の輪から離れて、部屋の隅にいた。壁と床の間から、アリが侵入していた。私はアリを一匹ずつ指で潰していた」
「へえ、それは良い話・・・じゃねえよ! 何さらっと虫殺してんだ! てめえは幼児の頃から既に歪んでたのか!」
これは初めて聞く話らしく、束が振り返って叫んでいる。亀子は無視して続けた。
「兵学校生徒の中で一人だけ、私に近付いてきた人がいた。頭に赤いリボンをつけて、大きな目をきらきらさせた人。傍にしゃがんで、その人は言った。『どうしてアリを殺すの?』と。他の人と違って、私のことを気味悪がらなかった。理由を訊いてくれた」
赤いリボンを付けた少女。それはもしや・・・ヤンと洋平は顔を見合わせた。
「私は答えた。このアリ達は斥候。見逃せば建物の中に食料を見つけ、巣に帰って報告する。そうすれば何百匹もの本隊がやってきて、施設の大人達に見つかる。本隊も、外にあるアリの巣も駆除されてしまう。でも、私がここで斥候を殺せば、それだけの犠牲で済むかもしれない。そうしたら、その人はこう言った。『君ユニークだね、気に入ったよ。先でわたしが司令官になったら、君を参謀にしてあげる。待ってるからね』」
気づけば強引に良い話にされていた。黒島亀子(幼女)にプチプチ潰されたアリたちも草葉の陰で感動していればいいのだが。「リボン頭の誰かさんは、昔から他人に甘かったんだな」と、束が呟き、「まぁ、いかに味方や敵を効率よく殺すかが用兵の本文だからねえ」と、ヤンが頭をかいた。
「7年後、連合艦隊司令長官になったその人は、私を先任参謀にするよう人事局に頼んでくれた。あの時の約束を、忘れていなかった。軍令部に勤務経験のない者を先任参謀にするのは前例がなかったから、通すのは大変だったはず。・・・山本長官に、恩を返したい」
亀子が目を開ける。
同時に、束の釣り竿が大きくしなった。少し遅れて、ヤンと洋平の釣り竿も。
「やべえ、来た、なんか来た、びくびくいってるぞ! どうすりゃいい黒島!」
「一気に引き上げて! 源葉参謀もはやくっ!」
「ぐうっ!」
竿を握る手に力を籠め、前のめりになる体をまっすぐにし、釣り糸を水面から引っこ抜こうとする。
次の瞬間、体が軽く感じ、同時に銀色に光る三つのものがごく短時間空中を飛行し、甲板上に叩き付けられた。
背中に黄色味を帯びたアジが三匹、ビチビチと甲板の上で踊っている。
亀子はそれを普段の姿からは考えられないほどの素早さで掴みバケツに放り込んだ。
「はあ・・・はあ・・・凄い、アジだ、本当に釣れた・・・海釣りも初めてだけど、こうやって自分でちゃんと魚を釣れたのも初めてだよ」
「源葉もか! あたしもこれが人生初釣りだ」
お互い感無量で戦利品を一目見ようと近付いたヤンと洋平と束を、亀子は手で制した。
「浸ってないで、釣針に次の餌を装着。さっきと同じ水深に下ろして」
「ああ? 3匹も釣れたんだし少しくらい休ませろよ」
「駄目。アジの群れは短時間で移動する。釣れる時は釣れる、釣れない時は全く釣れなくなるのがアジ。今を逃さないで」
亀子の厳しい口調にヤンは肩をすくめた。
「専門家がそう言うのなら、仕方ない。君の言うとおりにしよう」
渋々戻った彼らだったが、やがて亀子の言葉の正しさを知ることになった。最初の釣果の後も順調にかかっていたアジが、ある時を境にぴたりと釣れなくなったのだ。
「やべえな、このままだとヤン参謀と源葉参謀のクビも現実味を帯びてくるぜ。長官は賭け事で取り決めたことは、相手がどんだけ下っ端だろうときっちり守るからな」
「・・・ど、どうしよう・・・ここを追い出されたら行くとこなんてないよ・・・」
「ううむ、そいつは困ったな。一応こいつには私の給料もかかっているんだが・・・」
こればかりは流石のヤンとてどうしようもない。悪化した状況に現実味を帯びてくる大和からの追い出しに洋平は不安になる。本当にここを追い出されたら、この世界で洋平に行くところなんてない。どんよりと暗くなる洋平を見て、ヤンは頭をかきながら言った。
「まぁ、たとえ負けてもやりようが無いわけではないからね。彼女はあくまで負けたら『大和から降ろす』といっただけでそれ以外は何も言ってない」
「ヤン参謀の言う通りだ。長官はいざとなったら連合艦隊の旗艦を長門辺りに移して、司令部ごと大和を降りるっていう算段だと思うぜ。引越すのは面倒臭えけど、長門だって良い艦だしな」
「その発想は無かった! いや、五十子さんに限ってそんな卑怯なことしないと思うけど」
そう言いつつも戦艦長門も悪くないかもしれない、と考える洋平だった。
亀子はアジで重くなったバケツを持っておもむろに立ち上がった。
「その必要はない。アジの群れが乗った潮流の先は、山本長官と渡辺参謀が待機する本陣。軍楽隊も隣にいるけど、先に沢山釣れたこちらの釣果を足せば私達の勝利。アジの群れが本陣に向かわなかった場合は、軍楽隊も釣れないので私達の勝利。全て私の計画通り」
「「それを先に言えよ!」」
しかし本陣に戻る途中、洋平達は釣り具を担いでうろつく寿子に出くわすことになる。
「渡辺参謀、あなたには本陣で待機を命じたはず!」
「え~、でもあそこ全然釣れないですしい、場所を変えて釣った方がいいんじゃないかと思ったんですよお。あ、皆さんの貴重品とかは長官に預けてありますから安心して・・・」
「今すぐ持ち場に戻って!」
珍しく亀子が声を荒げている。しかし、何で怒られているかわからない寿子はきょとんとするばかりだ。無理もない。残してくる時、亀子は寿子達に何の説明もしなかった。
「え? どうしたんです黒島参謀、あそこで待つ理由って何かあったんですかあ?」
「寿子さん、実は・・・」
洋平が亀子の作戦について話そうとした時、二番副砲の方から歓声が聞こえた。軍楽隊のものだ。
「大漁じゃん大漁!」「初めちっとも釣れなかったのが嘘みたい! この場所で粘ってた甲斐があったね!」 「うわあ、こんなアジばっか食べられないよ!」
最初に釣りをしていた場所に来るとそこにあったのは整然と三列横隊を組む軍楽隊の姿だった。
緩い仕事は裏腹にその動きは統制が取れており、呼吸の合った動きで代わる代わる海に釣針を投下していく。その姿は中世の戦列歩兵や統制のとれた宇宙艦隊の動きを彷彿とさせた。
「やれやれ、軍楽隊の動きと統制と腕前がここまでとはね」
軍楽長の雫は列の後ろで指揮棒を振るっている。
「釣れても失敗しても速やかに後ろに下がって、餌を再装着した兵と交代! 初心者なんだから上手に釣ろうと思わないで、とにかく絶え間なく餌を垂らし続けるの! そこ、もうすぐ餌のストックが無くなるわよ、烹炊所に行ってもらってきて!」
雫の足元に置かれたバケツには、洋平達が後甲板で獲ってきたのを上回る量の戦利品がびちびち跳ねている。亀子の読み通り、アジの群れがこっちへ移動してきたのだ。
一方で司令部チームはといえばヤンと洋平達のバケツにはそれなりにアジが入っていたが、留守番し一人釣り糸を垂らしている五十子のバケツは全くの空だった。
「あっ、お帰りみんな~。わたしやっぱり全然ダメだよ、何度か引きがあったんだけど、餌食べられて逃げられちゃった」
「うん、まぁ、初心者なら仕方ない」
屈託なく笑う五十子の隣にヤンと洋平は静かに座った。
一緒に釣り糸を垂らす。
「でもまぁ、別にまだ負けと決まったわけじゃない。たとえ負けかけていても、要は最後の瞬間に勝っていればいいんだからね。それにさっき寿子から聞いたよ。釣った数は相手さんのチームのほうが多いけど、平均のほうはまだ互角らしいね。まだ、巻き返すチャンスはあるさ」
慣れない手つきで竿を握りながら話すヤン。
制限時間が迫る中、釣った数だけで言えば軍楽隊チームのほうが司令部チームを大きく上回っていたが、平均では互角であり、一進一退の攻防が続いている状態だ。
束と寿子が舷側に並んで、亀子の指揮で次々と釣り上げ始める。
束と寿子も隣に座り釣り糸を垂らす。
寿子は中級者クラスの腕前らしいし、束も精鋭ではないにせよコツを掴むのが早い。猛烈な追い上げで、みるみる軍楽隊のリードを縮めていく。甲板の後ろには勝負の話を聞きつけて、見物の人垣ができていた。
「ご自分の進退がかかった勝負の最中にお喋りだなんて随分と余裕ですね、源葉洋平さん、ヤン・ウェンリーさん」
いつの間にか、右隣に雫が立っていた。餌を取りに行かせた部下の帰りが遅いので、自らローテーションに入ったようだ。
「さっき君のチームの様子を見させてもらったけど、すごいチームワークだね。良く統制が取れていた。日ごろの訓練の賜物かい?」
ヤンは素直にそう評した。
ヤンの評価が皮肉の混じっていない素直なものであることを感じたのか雫は不快な表情や様子は見せなかった。が、生真面目な様子で答える。
「お二人に恨みはありませんが、受けた以上は勝たせて頂きます」
「・・・やっぱり、男の人は嫌い?」
そう訊ねたのは五十子だ。また食い逃げされたらしく、革手袋をはめたままの手で器用に餌を釣針に刺していた。
「はい。男は私達から大切なものを奪ってしまいますから」
「大切なもの?」
「団結です。源葉さんが先ほど軍楽隊の団結力を褒めて下さいましたが、団結できるのは女だけの組織だからです。もし男が混じったら、嫉妬とか三角関係とかそういう破廉恥なしがらみに囚われる兵が出るに決まってます。きっと今のままではいられません」
「軍楽長はまだまだ浅いですねえ! 同性同士だって嫉妬も三角関係もあるんですよお!」
後ろで寿子が何やら喚いているが、雫の言うことにも一理あると洋平は思った。
元の世界の学校でリア充とそれを中心に輪形陣を組んだキョロ充共が男女関係を巡って繰り広げる醜い人間模様は、見聞きさせられるたび生理的嫌悪感を催したものだ。男女共学を導入した人間たちはいったい何を意図していたのだろうか。まさか、男女間の、人間関係を醜くさせるために悪意を持って導入したのであろうか。せめて学校が共学でさえなければ・・・
「まあ、男を嫌いになるのも分からなくねえな」
ふと、ヤンの隣に座っていた束が呟いた。
「あたしたち海軍乙女はな。自分は海に入って戦うことができないくせに、陸の上で何も知らない苦労していない大人や男どもが威勢よく声張り上げて、威張って、あたしたちに義務と責任を押し付けるいるその尻拭いをさせられてきたんだ。海軍乙女達自身の血を流してな。・・・なんだってあたしらが」
束が吐き捨てるように言う様子を見て、ヤンはこの世界も自分のいた世界と同じなのだと感じた。外に向かっては威勢の良い愛国的な言動をしながら、内では己の利権と保身のみを考える腐敗した政治家。戦争に対し何ら疑問を持たず、さらなる戦果を求める民衆。衆愚政治と化した民主共和制。それらのツケを前線の将兵たちがその血で払ってきたのだ。それは他ならぬヤン自身も経験したことだった。しかもこの世界ではそのツケをただの兵士ではなく、本来その権利と未来と才能とを保護されるべきうら若き少女が、子供たちが払わされているのだ。しかも誰もそれを異常なことと感じていない。いや、あくまでそれはヤン自身の常識や観点から見ればの話であって、この世界ではそれが常識なのかもしれないが・・・
「・・・私のいた世界も同じさ」
ヤンは言った。
「自分だけ安全な場所に隠れて戦争を賛美し、愛国心を強調し、他人を戦場に駆り立てて後方で安楽な生活を送るような輩によってどれだけ流血が起きたことか。私の嫌いな人種さ。少なくとも、私はそういう人間に何度も苦労させられた」
「・・・あんたは違うって言いたいのか?そんなこと言うのなら確かにそうかもしれないな。あたしもそう思いたいよ。けどな、皆が皆、長官みたいに寛容なわけじゃないし、海軍乙女にとっちゃ、陸の男や人間は皆、あんたの言うような人種なのさ」
もしかすると、男子禁制の背景にはそのような感情もあるのかもしれなかった。
「私達が私達でいられる場所は、海軍しかないんです。だから」
雫がそう言いかけたその時であった。
雫の言葉が途中で途切れた。彼女の釣り竿が激しくしなる。ほとんど同タイミングで、洋平の握る竿にもびくっと感触があった。
「おっ、軍楽長もしかして初釣果?」「軍楽長がんばって!」「男に負けるな!」
観衆から声援が送られる。雫の顔が紅潮していく。見ると、釣り竿の握り方が少しおかしい。ヤンと洋平は今更ながら、彼女もまた釣り初心者だったのを思い出した。
「きゃっ・・・」
バランスを崩し、雫の身体が斜めになった。彼女の釣り糸は魚に引かれるまま、左に流される。
「危ないっ!」
五十子が叫ぶ。洋平が自分の釣り竿を引き上げるより早く、雫の肩がどん! とぶつかってきた。
「つつ・・・大丈夫?」
「ごめんなさい・・・ああっ!」
小さく悲鳴を上げた雫の視線を目で追う。
洋平と彼女の釣り糸が絡まってしまっている。釣り用語で「おまつり」という状態である。
二人の釣り糸はそれぞれまだピンと張っているが、このままではすぐに食い逃げされるだろう。
どうにかしなければ。
次の瞬間、洋平は後ろに向かって叫んでいた。
「誰か、何か切るものを! 軍刀でもなんでもいいから!」
「おい、源葉てめえまさか・・・」
「ソーイングセットならあるよ!」
五十子が裁縫鋏を差し出す。洋平は掴み取ると、躊躇なく自分の釣り糸を切断した。
「軍楽長さん、引いて! 急いで!」
反射的に、雫が彼女の釣り竿を引き上げた。これまで見てきたより一回り大きいアジが甲板に落着し、ギャラリーが沸く。同時に、制限時間終了。
両チームの戦果、一人当たりの平均は偶然あるいは皮肉にもその一匹によって、僅かに軍楽隊チームが上回り、勝負は軍楽隊チームの勝利となった。
「訓練とはいえ、利敵行為だ。てめえは軍人失格だ」
束が怒っている。
「とにかく、山本長官が約束したんだから仕方ねえよな。こいつらを(足に重りを付けて)大和から(海に)降ろすってことで全員異存はねえな?」
「参謀長、それもうただの処刑になっちゃってますよお」
「待って。彼を大和から降ろす(とみせかけて解剖)なら私に任せて欲しい」
「黒島参謀は少し黙ってて下さいよお!」
「・・・やれやれ」
参謀達が言い争っているのを眺めながらヤンは頭をかいていた。
「・・・その、ヤンさん、ごめん。とっさに体が動いちゃって」
「・・・どうして、彼女に勝ちを譲るような行動をしたんだい?」
謝る洋平にヤンは至って平静であり起こっている様子はなかった。むしろ興味深そうな様子でもあった。
「・・・別に勝ちを譲ろうというわけじゃなくて。ただ・・・」
「ただ?」
「ただ、なんと言うか。軍楽長も釣りが初めてなんだなって。僕も初めて釣れた時うれしかったし、皆もきっとそうだったから。だから・・・」
「彼女にも、達成感を味わってほしかった?」
ヤンの言葉に洋平は頷いた。
ヤンは微笑み、小さく拍手した。
「うん、そいつは、その心がけは素晴らしいことだと思うよ。少なくとも人間としてはそれで正解だ。それに人間、勝ち負けにばかり拘っていると醜くなるからね・・・でもまあ、これからどうしたものか・・・」
ヤンがそう言って頭をかいているとしずくがこちらに歩み寄ってきた。
「・・・お待ち下さい。最後に釣れた一匹は、源葉中佐との協同釣果です。ですので、当方の勝利という判定には納得できません」
軍楽隊はじめ甲板上の少女達がざわざわする。驚いたのは洋平とて同じだ。
「軍楽長さん、どうして・・・」
「逆にお訊ねします。どうして私に勝ちを譲るようなことを?」
遅れて気付いた。雫の声が微かに震えている。怒っているのだ、それも束の比ではなく。
「美鰤人が言うレディーファーストとやらですか? ああして情けをかけてやれば、女なんてちょろいと? 酷い侮辱だわ。そんな勝利は、こちらから願い下げです!」
ヤンと洋平は理解した。
この勝負は雫にとって魚釣りではなく、彼女にとって大切な「男子禁制の海軍」を守るための戦争だったのだ。
「・・・僕は、そういうつもりじゃなかった」
「じゃあ、どういうつもりで!」
「その・・・軍楽長さんも、魚釣るの初めてなんだなって思って。僕もさっき初めて釣りに成功して、楽しかったし嬉しかったんだ。だから、同じ楽しさや達成感を軍楽長さんにも味わって欲しかった。ただそれだけだよ。軍楽長さんを馬鹿にしたと言われれば、返す言葉もない。すまなかった」
ヤンに話こととと同じ内容を、正直に話しただけのつもりだった。雫は怒りの表情のまま、数秒間固まってしまった。
「えっ・・・あ、貴方、一体何を・・・え?」
混乱する雫の肩にヤンが静かに手を置いた。
「うん、まあ・・・つまりそういうことなんだ。彼は君にただ楽しんでほしかっただけで・・・別に下心があったわけじゃない。十分信頼に足ることだと思う。・・・別に勝敗で決めても良かったんだが・・・私としては勝負に負けて無理やり納得するよりも信頼してもらうほうが遥かにいいと思うんだ。私を信頼しろとまではいわないけど、彼のことを信頼してもらえないだろうか。一人の仲間として」
「・・・信頼・・・仲間・・・」
更に、後ろから静かに寿子が忍び寄り雫に抱き着く。
「ひゃあっ! わ、渡辺中佐? 渡辺中佐は、海軍に男がいても構わないんですか? 乙女共栄圏の理想は・・・」
「いいですかあ軍楽長、未来人さんは海軍の運命、この戦争の趨勢を左右する特別な人なんです。それに未来人さんは、私達海軍乙女に死んで欲しくない、自分の身はどうなっても構わないから海軍のために尽くしたい、そう山本長官に願い出たんですよお。ね、長官?」
いやそこまで言ってない、盛り過ぎだろと思ったが、五十子はにっこり頷いてしまった。軍楽隊はじめその場の少女達にまじまじと見つめられ、二人は訂正するタイミングを逃す。
「そんな・・・私達のためにそこまで」「もういいんじゃないですか軍楽長。良い人ぽいですよ」「男は男でも陸軍みたいに偉そうじゃないし」「海を泳げるって意味では男より女に近いし」
今度は雫に視線が集まる。口をぱくぱくさせていた雫は、どうにか凛々しさを取り戻して寿子を引き剥がすと、こほんと咳払いした。
「し・・・仕方ないわね。皆がそこまで言うのなら。か、勘違いしないで下さいお二人とも、貴方がたを認めたわけじゃありませんから。渡辺中佐の持ってる本に出てくるような、は、破廉恥な行為を誰かにしたら、私、絶対に許さないですから! わかりましたか!」
「ああ、うん。寿子さんの業がいかに深いかよくわかったよ・・・」
「ところで、賭けの決着はどうしよう?」
五十子が「うーん」と悩むポーズをとった。束が大きく息を吐き出す。
「・・・面倒臭えから引き分けで終わり、でいいんじゃねえか。そもそも言っちゃあなんだが、仲間として認めるかどうかなんてのは個人の気持ちの問題だ。賭ける対象じゃねえ」
「うん、言われてみれば。束ちゃんの言う通りだね!」
自分の誤りを指摘されたのにと五十子は満足げだった。
後で聞いた話によれば、大和一の男嫌いで知られる軍楽長が折れたことで連合艦隊の中で洋平がいることに公然と異を唱える者はいなくなったという。
こうして、釣り勝負が行われた西暦1942年4月13日はあるい意味では葦原海軍および連合艦隊の歴史のターニングポイントとして記録されることになる。
次回予告(CV:屋良有作)
晴れて仲間として認められ連合艦隊特務参謀となったヤンと洋平。司令部メンバーと共にミッドウェー作戦と今後の戦争指揮について協議する中、軍令部から五十子達のもとに帝都への一時帰還を要請する連絡が届く。
次回、「不敗の魔術師、連合艦隊特務参謀になる」第12話「帝都へ」。銀河の歴史がまた1ページ・・・