不敗の魔術師、連合艦隊特務参謀になる   作:ジョニー一等陸佐

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第12話 帝都へ 

 艦橋、作戦室。釣り勝負を終えたヤンと洋平、五十子たちが集まっている。

 「わたしが今日の勝負を通して一番伝えたかったのはね、簡単に釣れそうなアジでもいざ釣ってみると色々奥が深いってことなんだよ。航空機だってこの戦争が始まるまでは軽視されてたよね、何事も先入観を持たないのが大事なんだよ!」

 「教訓が回りくどすぎて多分誰にも伝わってないよ、それ」

 賭けの意義をドヤ顔で語る五十子に、洋平は懐疑の眼差しを向ける。

 「大丈夫! わたしはみんなを信じてるから!」

 「あのさあ・・・。じゃあ、賭けに負けた時は僕をどうするつもりだったの?」

 「え、やだな洋平君。わたしが岩田軍楽長に出した条件覚えてる? 洋平君を大和から降ろすとしか言ってないんだから、連合艦隊司令部ごと他の艦に移っちゃえば・・・」

 「えっ、五十子さんその屁理屈で通すつもりだったの?なんかイメージが崩れるなあ」

 五十子は胸を張り

 「ちょっと、誰に向かって言ってるのかな洋平君?私は海外でカジノを出禁になったり、開戦劈頭に真珠湾を奇襲したりしちゃう女だよ? 気付くのが遅いよ!」

 威張るべきことではないが、こういうところが彼女が彼女たる所以であり魅力なのだろう。ヤンは洋平に苦笑しながら肩をすくめて見せた。そこへ寿子がティーセットを持ってやってきた。

 「どうぞお、今日はアールグレイティーを淹れてきましたよお」

 ティーカップに琥珀色の液体が注がれると同時に柑橘系の香りが漂う。

 ヤンは待ってましたとばかりにカップに手を伸ばし、一通り香りを楽しむと、一口飲み満足気な表情を見せた。

 「うん、おいしい。君もなかなか上手だね。ユリアンといい勝負だ」

 「ユリアン?」

 髪を揺らしながら寿子が首を傾げた。

 「ああ、前にも言ったと思うけど私には被保護者が、つまり養子がいてね。ユリアンというのだけれど、私にはもったいないぐらいよくできた子でね。文武両道、家事も得意、紅茶を淹れる腕前は本当に上手だった・・・今頃どうしてるかなあ」

 ふとヤンは元の世界に残してきた人々のことを思い出した。自分にはもったいないほどの自慢の息子ユリアン、誰よりも愛しいそして良き妻であるフレデリカ、シェーンコップにオリビエ・ポプラン・・・皆かけがえのない大切な仲間だ。彼らは今頃自分がいなくなってどうしているのだろうか。自分が死んだものと思い悲しんでいるのか、提督が消えてしまったと右往左往しているのだろうか。早く無事を伝えたいのに伝えることができないもどかしさが募る。故郷と懐かしい人々への郷愁の念が現れる。この世界に来てから何度も思うことであった。この状況を受け入れているつもりではあったが、結局人は自分の故郷を忘れることはできないのだ。

 「・・・お茶を飲んで一息ついたら、ミッドウェー作戦の研究会、始めようか。ちょうど皆も揃っているし・・・」

 ヤンの感情を察したのか五十子が言った。

 寿子が壁に掛けられた時計を見る。

 「そうですねえ、時間は限られていますし、まずは黒島参謀の作戦計画の見直しをしましょう」

 「・・・私の計画書は完璧。検討は不要」

 「あ、亀子さん起きたんだ。おはよう」

 机に突っ伏していた黒島亀子がゆっくりと顔を上げた。束は嫌そうな顔をしてそっぽを向き、寿子は苦笑いしながら資料を配っていく。

 「じゃあ、おさらいしますよお。黒島参謀の案では、艦隊を主力の正規空母からなる本隊と小型空母からなる別動隊とに分けて、まず別動隊が北のアリューシャンを攻略。続いて本隊がハワイ西のミッドウェーを攻略した後、ハワイから迎撃のため出てくる美艦隊を捕捉・撃滅する、と」

 もともとミッドウェー作戦に関する研究は五十子の指揮指令の元行われていたが、現在のその議論はほとんど進展していない。その原因は黒島亀子にあった。

 「あのお、艦隊を分散させる理由は何ですか? 兵力集中が戦術の基本だと思うんですけどお」

 「計画書に書いてあることが全て。理解できないなら話しても時間の無駄」

 「そんなあ! 私が作戦の内容をちゃんと理解してないと、軍令部の人達に上手く説明できないじゃないですかあ。それとも軍令部との折衝、私じゃなくて黒島参謀がやってくれるんですかあ?」

 「しゅぴー・・・」

 「って、寝ないで下さいよお! はあ・・・毎度のことですけど、今回は特にひどいですねえ」

 「やめとけ渡辺参謀、こいつにまともなコミュニケーションを求める方が間違ってる」

 これが原因である。

 亀子は自分の練った作戦計画に誰かが口出しするのを嫌っており、更には己の頭脳と自らの計画した作戦に絶対の自信を持っており、修正や議論は不要とばかりに頑なに議論を拒むのである。その態度は同僚であり上官である寿子や束に対しても同様であった。そもそも、配られた資料も寿子が、亀子の資料だけでは分かり辛いからと制作したものである。寿子の言う通り、司令部メンバーで作戦内容について共有していなければ円滑な作戦指揮は困難であり、また上層部の許可を得ることも不可能だろう。

 「亀子さん、僕も艦隊を分散させるのは考え直した方がいいと思う」

 寿子だけに言わせておくわけにもいかない。再び突っ伏してしまった亀子の寝癖頭に向かって、洋平はやや強めの口調で切り出した。

 「ミッドウェーとアリューシャンは南北2000浬も離れている。何かあった時に連携し合える距離じゃない。正面戦力を低下させてまで、同時攻略する必要があるの? アリューシャンの島を占領するのは、正直やめた方が良いと思うし」

 北のアリューシャン諸島はその気象条件が非常に厳しい。一言でいえば攻め易く守り難い。一年のほとんどを濃い霧に覆われ、基地に航空機を配備しても索敵や迎撃のために飛ばせる時間はごく僅か。結果、敵の接近を許すことが非常に多い。実際、洋平がプレイしていたゲームでもこのアリューシャン諸島のマップにおいてはこの厳しい条件に悩まされ、敵の接近を許し気付いた時には霧の中から現れた戦艦級の艦砲射撃で基地壊滅ということが幾度もあった。

 史実でも日本がアッツ・キスカ両島に上陸した際に敵の守備隊はおらず、無血占領している。守備隊がいなかったのは、飛行場が使えない島は守れないし、そもそも守る価値が無いからに他ならない。

 黒島は突っ伏したままくぐもった声を出した。

 「アリューシャンは陽動。島の占領は目的ではないし、占領できた場合でも、ミッドウェー作戦が終わり次第撤収させる」

 アリューシャン諸島はヴィンランドの領土だ。戦略的に重要でない場所であり、本土ではないとはいえ、自国領土が占領されたとなれば黙ってはいられまい。確かにアリューシャン諸島は陽動としての価値はあるだろう。

 しかし・・・

 「少し疑問に思ったんだが、この作戦の目的は何なんだい?」

 次に口を開いたのはヤンである。

 「資料によれば、本作戦ではアリューシャンとミッドウェーを攻略したのち、誘い出したアメリカ艦隊もといヴィンランド艦隊を補足・撃滅するとある。どうも、作戦の目的が二重になっている気がするよ。島の攻略が目的なのか、敵艦隊の撃破が目的なのか、それとも両方が目的なのかい?」

 ヤンがこの作戦計画を見て真っ先に感じたことは目的が曖昧ではないか、ということだった。島の攻略が目的なのか?敵戦力の撃破が目的か?それとも両方か?そもそも軍事作戦というものは目標・目的とがはっきりと明確に一つに表されていなければならない。目的を二つ掲げて失敗した例は軍事に限らず政治やビジネスなど様々な面において多く挙げられる。もちろん、主目的が達成できない場合、従目的を定めることはある。この作戦における目的の二重性もどちらかが主目的で、どちらかが従目的という類のものかもしれない。だが、主目的を達成するという認識もなく、そもそもの目的は何かという認識が統一されていなければ、的確な指揮は不可能だ。

 「・・・もちろん、目的は、敵艦隊の撃破。それが最優先の目的。そもそもミッドウェー自体に戦略的価値はない。ミッドウェー攻略はあくまで敵戦力の撃破のための布石に過ぎない」

 「つまり、ミッドウェー攻略もあくまで敵を誘い出すための陽動だというのかい?」

 亀子が床に突っ伏したまま頷いた。

 「黒島参謀、未来人さんが相手だとちゃんと喋りますねえ。私ちょっと妬けちゃうかも」

 「どっちに妬いてるかによって、てめえとの距離のとり方が変わってくるな」

 何やら隣がうるさいが気にする必要はない。

 洋平は疑問と警告をを呈した。

 「陽動? よくわからないけど、陽動や奇襲にこだわる必要あるのかな。太平洋上の作戦行動可能な戦力は、今なら葦原の方がヴィンランドを上回っているんだよね?それに敵艦隊の撃破が最優先の目的なんだよね?だったら、奇をてらわずに、全艦隊をミッドウェーに投入した方がいい。戦力は集中すべきだよ。でないと、味方の空母を危険に晒すことになるよ」

 亀子に向けた言葉の最後に予言めいたものを感じたのか、寿子と束が洋平に注目する。

 そう、これは予言である。

 ヤンと洋平の知る歴史においてミッドウェー海戦は大東亜戦争の重要なターニングポイントの一つとして記録されている。開戦以来、日本軍の攻勢の主力を担ってきた空母赤城、加賀、蒼龍、飛龍、三百機近い航空機。それらの貴重な戦力が瞬く間に壊滅させられ、海の藻屑と消えた。以降、反撃に転じた米軍に対し日本海軍が戦いの主導権を取り戻すことはなかった。

 洋平としては、本当はミッドウェー作戦そのものを中止にしてほしかった。だが、こうして作戦案が提出され山本五十子自身がこの作戦を戦争終結のための信念としている以上、止めることはできない。彼女は、一度は諦めかけていた早期講和の可能性をミッドウェーに賭け、その実現をここにいる5人に託したのだ。ならば洋平のすることはひとつしかない。自分の計画を完璧だと思っている先任参謀には申し訳ないが、洋平が持つ未来の知識でもって作戦内容を改変し、ミッドウェー作戦を勝利に導く。架空戦記の王道をやるしかない。

 だが、洋平の警告に応じたのは意外にもヤンであった。

 「洋平君、ポーカーをしたことはあるかい?」

 「ごめん、僕ポーカーはあまり詳しくないんだ。大貧民とかならやったことあるけど・・・」

 どうして突然ポーカーなんだろうと首を傾げた。

 ヤンは頭をかきながら説明する。

 「ううん、そうだなあ。例えば君が今何かカードゲームやギャンブルとか勝負をしているとする。相手が突然、最初からあまりに多いチップや金額をかけてきたら君はどうする?私なら勝負を降りることにするね。何しろ、相手が大金を賭けるほど強い手札を持っていると考えられるからね。いきなり強い相手と真正面から戦う人間はいないよ」

 「えっと・・・つまり、敵に自分の戦力を実際より小さく見せたいってことですか・・・?」

 ヤンは頷いた。

 「そういうこと。つまりこの場合、亀子は戦力を分散させることで、敢えて味方を危険に晒そうとしているんだ。敵を確実におびき寄せるためにね。逆にこちらが万全の態勢だったら敵艦隊は出てこないかもしれない。勝てない相手と真正面から戦う軍隊はまず無いからね」

 ヤンの言葉に洋平ははっとした。思い出したのは、つい数日前のセイロン沖海戦だ。

 世界最強を誇る南雲機動部隊が事前に気付かれながら堂々と強襲したが、ブリトンの東洋艦隊にはあっさり逃げられ、貴重な燃料を浪費するだけに終わった。

 ヤンの言葉に続けるように亀子がゆっくりと口を開いた。

 「・・・決戦を欲しているのは、あくまで私達。私達の都合に合わせて戦う理由は向こうには無い。圧倒的な工業生産力で戦力が逆転するまで、艦隊を温存して時間稼ぎをしようと考えているはず。こちらの動きを慎重に見極め、主力同士が正面からぶつかる戦いは巧みに避けている」

 確かに一理ある。国力10倍のヴィンランドに、危険を冒してまで勝ち急ぐ理由はない。

 「一方、確実に勝てると見込んだ戦いには躊躇なく空母を投入する傾向が見られる。2月のマーシャル・ギルバート諸島空襲、ウェーク島空襲、ニューギニア沖海戦で未遂に終わったラバウル空襲。3月の南鳥島空襲、ラエ・サラモア空襲。どれも例外なく、こちらの戦力が手薄なところを狙った少数機動部隊による一撃離脱戦法。ヴィンランドの指揮官は狡猾。その狡猾な習性を、逆手に取る」

 不意に亀子がヤンのほうを向いた。

 「・・・ヤン参謀、あなたは理解が早くて助かる。他の海軍乙女や上層部は頭が固くて、私たちの作戦に無理解。可哀想」

 「まぁ、私の仕事は椅子に座ってお茶を飲みながら作戦を考えたり指揮することだったからねえ。それで食べてきたわけだし」

 頭をかくヤンを横目に洋平は亀子の意図をまとめる。

 「それで陽動・・・アリューシャンを攻める部隊は、こちらが寡兵だと思わせヴィンランドの空母を真珠湾から誘い出すための囮ってことか」

 「それだけじゃない」

 亀子の策は、洋平の予想をさらに一つ超えていた。

 「聞いて。まずこちらは小型空母2隻程度の小規模な部隊でアリューシャンを攻める。一報を受けたヴィンランドの指揮官は思う、葦原の航空戦力を優勢に叩けるチャンスだと。ヴィンランド機動部隊はハワイを出て、アリューシャンに向けて北上を開始する。時間差でこちらの主力、南雲機動部隊が、ハワイ近くのミッドウェーを攻める。退路を断たれ真ん中で孤立した美機動部隊を、北の別動隊と南の主力、2つの機動部隊で挟撃する」

 「挟撃? 陽動するだけじゃなくて? いや、そんなことがもしできたら凄いと思うけど・・・さっきも言ったようにアリューシャンとミッドウェーはとても遠いんだよ。もはや別マップというか」

 「できる。別動隊の小型空母はアリューシャンの敵基地を空襲した後、即座に南下して距離を詰める。葦原機の航続距離と練度なら、挟撃は十分に可能。さらに、両島の上陸支援にあたる各水上打撃部隊も美機動部隊を発見し次第、上陸作戦を中止して追跡。最終的には、四方陣で敵を包囲する。1隻も、生かしてハワイには帰さない」

 亀子は静かに、だがどこかに絶対的な自信を含ませながら言い切った。洋平が反論しないとみると亀子は再び机に突っ伏して本格的に寝息を立て始めた。しばらくは何があっても起きることはあるまい。

 生活態度やコミュニケーション能力において問題のある彼女だが、いざ作戦のこととなれば妙に説得力がある。負けると分かっている作戦でもだ。少なくとも話だけを聞いてみればそれは非常に筋が通っているように思える。

 洋平は困ってしまった。ミッドウェー作戦に挟撃や包囲の狙いがあったこと自体初耳だ。そもそもあの作戦は、緒戦の連戦連勝による慢心の産物ではなかったのか。戦力を二分してミッドウェーとアリューシャンを同時攻略しようとしたのも、単に敵を侮っていたからだと思っていた。黒島亀子は敵を侮ってなどいない。むしろその逆だ。

 洋平自身はこのミッドウェー海戦における最大の敗因は戦力の分散ではないかと考えていた。これさえ事前にどうにかできれば、少なくとも史実ほどひどい敗北は防げるのではないかと考えていたのだが・・・

 「・・・でもまあ、正直私も戦力を分散するより集中すべきだと考えているんだけどね。私の軍も、戦力を分散させて大失敗をしてしまった」

 亀子の案に対してある程度の理解を示していたように見えるヤンが意外なことを口にした。

 「失敗って。どんな失敗ですかヤンさん?」

 「うん、あれは数年前、私が准将の時のことだった」

 黒いベレー帽をもてあそびながらヤンは回想した。後の銀河帝国皇帝、『常勝の天才』ラインハルト・フォン・ローエングラムと『不敗の魔術師』ヤン・ウェンリーが初めて互いに艦隊指揮官として相対した戦い――アスターテ会戦のことを。

 「ある会戦でのことだ。敵の艦隊が我が領域に侵攻し、これを迎撃しようとした。敵の戦力は一個艦隊、総勢約二万隻。対するわが軍は三個艦隊、総勢約四万隻。で、わが軍の迎撃作戦だが総数で敵軍に倍する三個艦隊をもって三方向から敵艦隊を包囲し、交戦能力を削り取ろうとした。要するに包囲殲滅しようとしたのさ。さて、この場合どちらが勝つと思う?」

 「それは・・・もちろん、迎撃しようとした側じゃないですか?」

 二倍の戦力差、完成しつつある包囲網。どう考えても迎撃側が有利だ。それが常識である。

 洋平の答えにヤンは頷いた。

 「うん、普通はそうだ。ところが、敵の司令官は非常に有能だった。三方向からそれぞれに分かれて包囲しようとしているのを逆手に取ったのさ。確かに全体の戦力で見ればこちらが上回っていたが、一つの艦隊ごとの戦力では敵艦隊のほうが上回っていたから、敵の司令官はこれを包囲殲滅される危機ではなく各個撃破の好機だとみて積極的な攻勢に出てきた。包囲されて防御戦を選択して密集するか後退するものと思い込んでいた我が軍は敵の予想外の積極的で素早い攻勢に対応する暇もなかった。右往左往している間に気付けば三個艦隊のうちに個艦隊は各個撃破されて壊滅、残った一個艦隊も壊滅寸前というところまで行くという大惨事に陥った。結局、何とか潰走は免れて敵の領内への侵攻を食い止めることには成功したが、これじゃあこれじゃあ十分敗北といって差し支えない。全く敵にしてやられたというわけさ」

 ベレー帽を握ったり回したりともてあそびながらヤンはやれやれと首を振った。

 「要するに下手に戦力を分散したら例え全体的な戦力はこちらが上でも各個撃破されてしまうということさ。もちろん分散がいけないというわけじゃない。ただ、長い戦争の歴史を見た場合、勝利のための教訓として兵站を万全にしろ、遊兵を作るな、そして戦力はなるべく集中しろ、ということが挙げられる。絶対の条件じゃないが重要な原則だ」

 ここまで来て洋平もヤンの意図が分かってきた。ヤンは陽動や分散によって敵に各個撃破されることを恐れているのだ。亀子の案は確かに理にかなっており、机上の上では完璧だ。だが、敵がこちらの意図を見抜いていれば逆に待ち伏せされ各個撃破されてしまう。現に史実のミッドウェー海戦においても米軍は日本海軍の暗号を解読し、こちらの進撃を待ち伏せして、結果日本軍の惨敗に終わったのだから。

 「・・・洋平君の言うとおり、こちらの持てる戦力を集中して敵に叩き付けるというのも十分に理にかなっているし郡司学上においては正しいんだ。敵がこちらの意図を絶対に見抜くことはないということはないだろうしね。でも、亀子の言うとおり、最初から強いカードを見せていては相手は乗ってこないから意味がないし・・・」

 ヤンはおさまりの悪い髪を書きながら独語した。

 ヤンは思った。自分はこうして、過去の戦いに実際に関わろうとしている。世界が違うので確実には言えないが、どういう経過をたどるのかも、その後の歴史も知っている。果たして自分が介入することによってこのミッドウェー作戦を成功させることはできるのだろうか?自分なら、できる、と思う。方法は様々だ。史実において敵軍がこちらの暗号を解読し待ち伏せしていたのを逆手に取る、最初から全軍を出撃させ集中して敵を叩く、アリューシャンやミッドウェーの攻略自体を直前になかったことにして作戦を変更して一気に待ち伏せしている敵艦隊に戦力を集中する・・・だが、果たして自分がやろうとしていることは正しいのだろうか?それは果たしていったどういう影響を洗えるのだろうか?本当に結果は変わるのだろうか?

 洋平もまたヤンとは違う理由で踏みとどまり、あるいは躊躇していた。

 ヤンも正しいし亀子の作戦案も十分理にかなっている。そして自分は史実を知っている。自分はどうすべきなのか、どうしたいのだろうか?

 「ああもう、じれったいですねえお二人とも」

 磁器が触れる硬い音が響く。寿子がティーカップの中身を空けて、ソーサーに置いた音だった。

 「ぼ、僕?」

 「私かい?」

 「そうです、未来人さんです。なに黒島参謀に言いくるめられちゃってるんですか。さっき、味方の空母が危険だって言ってましたよねえ。奥歯に物が挟まったような喋り方してないで、セイロン沖の時みたいに知ってることをはっきり言って下さいよお。味方の空母が沈むんですか?」

 寿子の声は相変わらずふわふわしているが、質問の中身は鋭い。

 「未来予知とやらができねえなら、てめえらは海に突き落としても死なない以外に取り柄がねえ変態覗き魔ジゴロスパイ及び宇宙人ってことになるんだからな。わかってんのか」

 束にもドスの効いた声でどやされる。呼び方を戻すのはやめてほしいと願う洋平だった。

 彼女達に、ヤンと洋平の世界で起きたミッドウェー海戦をありのまま話すのは簡単だ。だがそれは本当にこの世界において正しい情報なのだろうか?亀子が立てているミッドウェー作戦が、ヤンと洋平の世界の歴史上のそれと異なる可能性は?・・・いや、直近のセイロン沖海戦や、それ以前の戦いからして恐らくそれは無い。なら何故自分は、躊躇しているというのか。もしかすると自分は亀子の作戦にほれ込んでいるのかもしれない。ゲームのCPUよりはるかに狡猾な敵を、寡兵を装っておびき出した上での鮮やかな挟撃・包囲。中部太平洋から北太平洋までを股にかけた大掛かりな罠。それらの華麗な作戦が実行されるのをこの目で見てみたいという思いがあるのかもしれない。

 洋平を睨んでいた束が、ふん、と鼻を鳴らし、机に突っ伏して眠る亀子に視線を移した。

 「ま、いつものことだがよくできた筋書きだよな。長官が惚れ込んじまうのも、わからなくもねえ・・・しかし気の毒だがこいつは、作戦立案の作法ってやつを未だにわかってねえ。今のままの計画書じゃ、軍令部に持ってってもまず間違いなくはねられる」

 「作法? 作戦の中身以前の問題ってことですか?」

 まさか制限字数をオーバーしている、とかだろうか。そういえば、束はこの中で唯一軍令部に勤務経験があると聞く。だが、束は竹串をくわえていない片頬を、皮肉っぽく吊り上げただけだった。

 「さあな。ここじゃ作戦は黒島が作って山本長官が承認する。邪魔者の出る幕はねえよ」

 「参謀長、そんな言い方! 長官は、みんなの力を貸して欲しいって」

 寿子が怒ったように眉をつり上げた。作戦室に悪い空気が漂いそうになる。

 その時、その空気を打ち破るようにけたたましいベルの音が鳴り響いた。部屋の隅にある黒電話から発せられるものであった。

 「・・・軍令部からですね。私が出ます」

 寿子が黒電話の受話器を取り対応を取り始める。

 最初は事務的な対応が続いていたが、やがて寿子の声色からいつものふわふわとした様子が消え、張り詰めたものになっていく。

 「そこをどうか! どうかお考え直し頂けないでしょうか!」

 思わず寿子が声を張り上げた。

 「ヴィンランドは着実に戦力を回復させて、本格的な反攻の機会を窺がってるんですよ!それなのに我が軍は・・・いえ、ですからそういうことでは!・・・はい・・・はい・・・。わかりました。では、そのように山本長官に申し伝えます。・・・失礼致します」

 寿子は受話器をガチャンと置くと、少しずれた黄色いカチューシャを直しそしてため息をついた。勤子たちに向き直る。

 「ヤスちゃん・・・大丈夫?帝都から・・・軍令部からなんて言っていたの?・・・もしかして」

 五十子が心配そうに歩み寄って訊ねた。大和の繋留ブイと呉軍港との間には海底ケーブルが敷かれており、そこから帝都と直接有線で電話ができるようになっている。

 「・・・そうです、軍令部から先に示した美豪分断の方針に沿って作業するようにと釘を刺されてしまいました。黒島参謀のミッドウェー作戦計画がどこかから漏れたみたいで。軍令部の方針に沿わない作戦立案も意見具申も一切認めないと」

 「・・・認めない理由は?」

 ベルの音で起きたのだろう、亀子が苛立たし気に訊いた。

 「なんでも陸軍が、欧州戦線でのトメニアの勝利を期してルーシ連邦に侵攻する準備をしているから太平洋方面でのこれ以上の攻勢に反対だそうで。総理官邸からも、4月末に衆議院の解散総選挙があってその後も重要な地方選挙がいくつかあるから、当面は決戦を避けて現状維持に徹して欲しいという話があったとか。だから軍令部としては年内いっぱい、美豪分断による南方防御とインド洋の通商破壊以外は何もやらないつもりだそうです」

 寿子はもういとどため息をつくとそのまま、舷窓に目を逸らした。

 眼下の甲板では釣り勝負で釣り上げた魚でささやかな宴会が行われている。軍楽隊のにぎやかな演奏、少女たちの笑い声、先ほどまでヤンと洋平たちが確かにいたはずの喧騒はどこか遠いものに感じられた。少し耐え切れず、ヤンはカップに残った紅茶を飲み干した。紅茶はすでに冷めており味と香りは感じられなかった。

 「そっか。ごめんねヤスちゃん、いつも嫌な役目をさせちゃって」

 「謝るのは私です、力不足で・・・あ、もう一つあります。嶋野海軍大臣兼軍令部総長より、山本長官に帝都へお戻り頂きたいと」

 洋平の知らない名前だった。

 しかし、その名が出た瞬間、目に見えない何かがきしむ音が聞こえた気がした。

 「嶋野さん、か」

 勤子の微小に微妙な陰りが現れた気がした。

 束も顔をこわばらせ勤子とは明後日の方向を向いて沈黙してしまっている。

 「・・・嶋野さんが何だって?」

 寿子は背筋を伸ばした。

「はい。長官に勲一等加綬の旭光大綬章と、功二級金鵄勲章が授与されるとのことです。おめでとうございます」

 五十子を囲む、ヤンと洋平以外の参謀全員が姿勢を正す。二人だけついてこれない。

 「どんな勲章なんだい?どうやらかなりすごいもののようだが」

 ヤンの問いに「そんなことも知らねえのか・・・知らなくて当然か」と言いつつ束が答えた。

 「ああ、すげえよ。特に後者はな。旭光大綬章は政治家や華族にも授与されるが、金鵄勲章は戦場で抜群の武功のあった者のみに授与される。葦原軍人にとって最高の名誉だ」

 「海軍乙女で金鵄勲章を授与されたのは、私の知る限り東郷元帥と米内大将だけです。それもお二人とも成人なさってからで、未成年での受章は前例が無いと思います」

 「そんな立派な勲章を貰えるようなこと、わたしは何もしてないよ」

 寿子が補足する。

 当の受賞対象である五十子は困ったように微笑んでいた。

 「勲章をもらうとしたらそれは前線で、わたしの命令で命を懸けて戦ってくれてる子達みんなだよ。ねえヤスちゃん、受章対象をわたしじゃなくて、『連合艦隊』にしてもらうことってできないのかな」

 「それは・・・お気持ちはわかりますが、勲章は個人に対して贈られるものですので。無理ですね・・・」

 「そっか。じゃあ要らないや」

 「ですが、嶋野大臣は辞退をお許しにならないでしょう」

 「いいよ、わたしが直接電話して断るから」

 五十子はあくまで強情であった。だが寿子がやりきれなさそうに首を横に振った。

 「山本長官が授与されるのは功二級ですが、嶋野大臣には同時に功一級が授与されるそうです。金鵄勲章は名誉もさることながら、終身年金を下賜されます。嶋野大臣は、ご自分だけが受章すると妬まれるので、山本長官と一緒に受章して目立たないようにしたいとお考えのようです」

 今にも黒電話をつかもうとしていた五十子の手が止まる。束は天井を仰ぎ見た。ヤンと洋平は寿子の言ったことを理解するのにしばらくの時間を要した。あるいは理解したくなかったのかもしれない。

 「・・・俗物。可哀想」

 亀子が吐き捨てるようにつぶやいた。

 ヤンも気付けばベレー帽を握りしめ天井を仰ぎ見ていた。

 ヤンの元居た世界の末期の自由惑星同盟は民主共和制は衆愚政治へと堕し、政治家は己の利権のみを考え、政治はすっかり腐敗しきっていた。敵対する銀河帝国においてもラインハルト・フォン・ローエングラムという天才が権勢を握るまでは、門閥貴族の支配は腐敗したものとなっていた。それと同じようなことが、ここで起きている。公僕の精神を忘れ、己の利権や組織内の政治のみを考えそれに溺れる腐敗した者共が、この世界でもはびこり、幅を利かせている。

 どうやら組織というものはどうやっても、誰が構成しても、世界が違っても腐敗する運命にあるようだ。それが民主共和制の政府及び政治家であれ、銀河帝国の政府や門閥貴族であれ、そして違う世界の少女隊によって構成された軍隊であっても。ヤンが何度も悩まされ、最も嫌い軽蔑した存在がここにもいるのだ。そしてそれが今、五十子達を蝕んでいる。

 洋平もまた怒りを感じていた。五十子を何だと思っているのだ。勲章のことだけじゃない。

 選挙だの、トメニア勝利に期待だの、自国の存亡がかかった戦争をしているという危機感が欠片も感じられない。保身に汲々として、嫌な役は五十子に押し付けているだけではないか。いったいこの国の軍隊は、政治はどうなっているというのか。

 「五十子さん。その嶋野とかいう奴が、ミッドウェー作戦を妨害する海軍中央の親玉、間違えた悪玉なの?」

 思わず洋平の口から出た言葉に、美しい彫像のように静止していた五十子のリボンが微かに揺れる。

 「お、おい。軍令部総長を呼び捨てにしたり、悪玉呼ばわりする奴がいるか」

 「ついでに言うと、未来人さんの任官を決める海軍省のトップでもありますよお」

 「僕の任官はこの際置いておいて。ミッドウェー作戦は、五十子さんにとって譲れない信念だよね?」

 束と寿子の注意をよそにそういうと、リボンが縦にゆっくりと揺れた。

 「なら、行ってその悪玉と戦うべきだ。そいつがくれる勲章なんて、五十子さんにとっては名誉じゃない。はっきり言って不名誉だと思う。けど、見方を変えればこれはチャンスだよ」

 「・・・名誉は要らないけど、不名誉なら喜んで被るよ」

 「なら上等だ。それと、帝都には僕も連れて行って欲しい」

 「洋平君を?」

 「交渉のカードにすればいい。五十子さんの受章も、僕の存在も」

 前に黒島亀子は独断で帝都行きを画策していた。結局それは未遂に終わったが、帝都に行くという発想自体は洋平の脳裏に残っていた。寿子が慌てて洋平を止めようとする。

 「いけません未来人さん! 未来人さんにとって、この大和の艦内が世界で一番安全な場所なんですよ?黒島参謀、さてはまた未来人さんを誘惑したでしょう!」

 「私は、山本長官に恩返しがしたいと言っただけ」

 「あーやっぱり誘惑してる! しかも長官を理由にするなんて!」

 勘違いする寿子に洋平は苦笑いする。

 「いや、これは僕の意思だ。それにはっきりって大和だけじゃ狭い。もっとこの世界についてこの目で直接見て確かめたいんだ・・・どうだろう?」

 「そういうことなら私も連れて行ってくれないかな?私も十分交渉の材料になるはずだ」

 ベレー帽をかぶりなおしながらヤンが口を開いた。皆の視線が集まる。

 「ヤンさん・・・」

 「似たような経験を私は何度もしたからね。少しは役に立つはずさ。そもそも、こういうのは大人の仕事なんだ。こういうことに巻き込ませない、あるいは解決するのが親や大人としての責務だと私は思うんだが・・・それに、元歴史家志望者として私もこの世界をもっと直接見たいしね」

 そう言うとヤンは洋平と五十子とを交互に見てほほ笑んだ。

 「名誉はいらないけど不名誉なら喜んで被る、か。二人ともよく言ったよ。少なくとも、そういう輩と戦ったり、間違いを間違いとして指摘することは十分名誉なことさ。人間にとって大事なことでもある。五十子、私も、洋平君も覚悟はできている。帝都に、連れて行ってもらえないだろうか」

 ヤンと洋平が承認を求めて視線を向けた先、五十子はしばしの沈黙の後、ふっと微笑んだ。

 「・・・そういえば洋平君は、元の世界で修学旅行の途中だったんだっけ。二人とも、こっちの世界に来てからまだ、大和の中しか案内してあげてないね」

 「長官!」

 「大丈夫だよヤスちゃん。ヤンさんと洋平君の身の安全は、このわたしが全ての責任をもつ。一緒に帝都へ行こう。・・・帝都かあ」

 五十子の微笑は懐かしげでも寂しげでもあり、その表情と瞳には複雑な色をたたえていた。

 「赤レンガに行くのは、久しぶりだな」

 

 

 




次回予告(CV:屋良有作)

五十子達とともに、帝都へと向かったヤンと洋平。初めて足を踏み入れた海軍省の雰囲気はまるでかつての査問会のような、不快な空気をヤンに感じさせた。そして一行は、芦原海軍のトップたる嶋野と相対する。果たしてそれはどのよう感情と考えをを二人にもたらすのか。
次回、「不敗の魔術師、連合艦隊特務参謀になる」第13話「赤レンガの幕間狂言」。銀河の歴史がまた1ページ・・・

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