赤レンガを出たヤン一行は近くの公園で止まった。
「ヤンさん、いくら何でもあれは失礼だよ。会話の途中で抜け出すなんて。お土産までくれそうだったんだよ?」
ベレー帽を被り直すヤンに五十子が口を開く。そこにはわずかに怒りや不満といった感情が明らかに込められていた。
「いいんですよお、あれで。お土産なんかもどうせロクでもないものを嫌味と一緒に差し出したんでしょうし。あの陰険ビッチ、絶対に膜から声出てないですよ。そんなのが海軍乙女の長とかもうね!首相と不倫してるって噂も本当みたいですし!おまけに長官に断りもなく連合艦隊所属艦艇をマスコミに公開してようとしているし!」
ヤンが答える前に寿子が口を開いた。不満げな五十子とは対照的に、寿子はよくぞやってくれたという顔をしていた。
「寧ろ、未来人さんがあの女に一言言ってくれて少しスカッとしましたよ!私見直しました!ただのぐうたらした中年の軍人じゃなかったんですね!」
「ぐうたらはともかく、私は中年じゃないぞ」
一方の束はというと呆れたように首を振っていた。
「お前なあ、いくら嶋野大臣や軍令部の連中が気に入らないからってそこまで言うか普通?相手からしたら初対面の知らない下っ端にとんでもなくいちゃもんつけられたようなもんだぞ?言うにしたっても直接言うんじゃなくてもうちょっと言い方ってやつが・・・お前確実に大臣に目ぇつけられたな、悪い意味で」
そんな束にヤンは平然とした様子で、ベレー帽をいじりながら答える。
「まぁ、でも実際あの大臣や参謀の連中を見ているとまるで汚れ切った下水でも見ているような気分でね。五十子や私達に終始嫌味な様子だったし、能力があるようにも感じられないし。少なくとも、私はそんな上司に気に入られようとは思わないし、気に入られたくないしね。それに上官の間違いを指摘して正すのも、給料分の仕事のうちに入るんじゃないかな」
束はますます呆れたように首を振り頭に手を当てた。その様子はまるで、懲りない問題児に手を焼く教師のようである。
「・・・お前、絶対前いた世界で上官に好かれなかったろ」
「まぁ、確かに上官や政治家には悩まされたね。勿論、頼りになる人も沢山いたが」
頭を掻きながら苦笑いするヤン。
束の指摘は決して間違っていない。
軍人として卓越した洞察と戦術・戦略構想を発揮したヤンであったが、一方で彼は自身の政治的な立場や対人関係に関しては鈍感あるいは無関心であった。救国軍事会議のクーデター時ではキャゼルヌに、自身が統合作戦本部長のドーソン大将に嫉妬されていることを指摘されながらも、面識もないのに嫉妬の対象にされるわけがないと言って彼を呆れさせたし、上官への意見具申も積極性に欠けついに果たせなかったり、またトリューニヒトやレベロといった政治家達に疎まれもし、最終的には同盟を追われることにもつながった。こうしてヤンの今までの経歴を見てみると、彼自身がいかに政治的立場や対人関係、それに関する保身等について無関心で、また上層部に疎まれていたかがよく分かる。要するに彼は世渡りが下手であった。
そんなヤンに寿子や束が感心したり呆れたりする一方で、洋平はまた違った感情を抱いていた。楽観論に染まり、自分達が国家国民の存亡がかかった戦争をしているという意識も責任も緊張感もない嶋野と軍令部の参謀達。その上早期講和の願いを込めた亀子の作戦案を一蹴し無碍に扱うそんな連中に対し一言言ってのけたヤンを流石だ、立派だと思う一方で洋平はそんなヤンの姿勢に対しどこか胸が締め付けられるような思いがした。
明らかに世渡りが下手なヤンに対する心配や不安の感情であろうか。いや、違う、と洋平は感じた。
この胸が締め付けられるような感情はヤンに対してではなく洋平自身に対して向けられているように感じられた。まるで、おのれの非を指摘され責められているような。なぜそのような感情を抱いているのだろうか。
――だからさあ、いい加減クラスの空気読めよ――
――源葉は優しいから。本当は嫌なんだろう?――
――お前だってあいつに話しかけられうの嫌だろ?先生に頼んで席離してもらえよ――
不意に、灰色の教室の光景を思い出しかけ、やめた。
頭痛を感じ首を振る。思い出したくない記憶だ。そして、その記憶が今抱いている感情と関係があることも確かだった。
そこでふと、洋平は疑問に思った。なぜあそこまで嶋野や軍令部の参謀達に言われても五十子は最後まで怒らなかったのだろう、と。いくら忍耐力や寛容さがある人間でも、ヤンのように一言いたくなるはずなのに。
「五十子さん・・・どうして怒らなかったの?あそこまで言われて」
「え、だってミッドウェー作戦は検討して貰えることになったし、洋平君やヤンさんが連合艦隊司令部にいることも駄目とは言われなかったし、お土産までくれようとしたし。怒る理由が無いもの。それにわたしは貧しい田舎者だよ」
五十子は飄々とした様子で歩を進めていく。時折、歌を口ずさみながら。
彼女の周囲には綿菓子のように桜が咲き誇り、時折、その花びらを散らせていた。
今は四月の中旬、洋平の世界なら今頃は散っているはずだが、恐らく温暖化等の影響だろう。ヤンもまた、資料でしか桜の存在を知らなかったが、初めて見るその光景は十分美しいと評するに足るものだった。世の時世など気にしないように咲き誇る桜を背景に五十子はぽつりとつぶやいた。
「私の故郷はね、敗戦国なんだ」
そう言って五十子は悲しげに微笑んだ。
「・・・敗戦国?」
「私は越後の生まれなんだけどね・・・越後は、葦原平定戦争で幕府側についたんだよ」
葦原平定戦争。ヤンも洋平も聞いたことがない単語だ。だがヤンにはある程度の予測がついた。ヤンの知る歴史では、かつてこの島国では幕末と呼ばれた頃、江戸から明治へと時代が内り替わる際、戊辰戦争と呼ばれる一国の支配の座をめぐる新勢力と旧勢力の内戦が起こった。ヤンの知る歴史とリンクしているこの世界、葦原平定戦争とやらもその戊辰戦争のような時代の過渡期における内戦だったのだろう。そして、五十子の故郷はおそらく、その内戦で敗北した旧勢力に属していたのだ。
「ブリトン製の近代兵器で武装した新政府軍に勝てるわけないって皆分かっていたのに、幕府への古い恩義や他の藩との関係、色んなしがらみがあってね・・・長岡の城下町は、三日三晩燃えて、灰になったんだって。私はその戦争を直接経験したわけじゃないけど。戦争で負けた側の苦しさは知ってる。皆、大変な思いをしていた」
大和での昼食会で、五十子が同郷の少佐達に水饅頭をふるまった時のことが頭をよぎった。少佐の一人が饅頭を五人姉妹で一つしか食べられなかったから水でふやかして分けて食べたといった。その裏には、敗戦故の過酷な記憶があったのだ。
「私の村の人たちは力を合わせて何とか頑張っていたけど、ある年の冬を越せなくてね。栄養失調と流行り病。十分な食事と西洋の医薬品があれば簡単に治る病気で、大勢の人が亡くなるのを見たよ。・・・代われるなら私が代わってあげたかった」
気付けば風が止んでいた。花びらが静かに五十子の方に落ちる。
死について語る五十子の口調はどこまでも淡々なものであった。彼女はすでに心の整理がついているのか、それとも思い出したくないのか。代わってあげたい、という言葉は洋平の胸にずしりと重くのしかかった。
ヤンは思わず上を見上げていた。本来、国が負けるとはこういうことなのだ。彼の祖国、自由惑星同盟が皇帝ラインハルトによって滅亡した時、彼とその旗下の提督達は敗者である同盟市民に対し寛容に、平等に接し善政を敷き、またヤンをはじめとする一部の敵の将兵や政治家・役人に対しても寛容に、そして時には敬意をもって遇した。だがそれは非常に幸運な例であり、本来、負けた側には過酷な運命が待っている。それは歴史を見れば明らかだ。彼女は国が負けるということを、敗戦とその後に待ち受ける悲惨な運命を身をもって知っているのだ。
そしてヤンと洋平もまた、この国が敗戦の運命にあること、そして彼女たちがたどる過酷で残酷な運命を知っている。
「勿論、今は新政府も幕府も関係ない、みんな同じ葦原人。けど、戦争で負けた側がどれだけ悲惨な目に合うか、そのことだけは忘れちゃいけない。負け戦は、絶対にやっちゃダメなんだよ」
ヤンや洋平たちが沈黙する中、五十子は振り返り方をすくめて微笑んだ。
「さてと。なんだか辛気臭くなっちゃったね。甘いものでも食べに行こうか。洋平君の言いつけを破ることになるけど」
どうやら、あの時の冗談をまだ覚えていたようだ。
「こっちだよ」と歩く五十子についていくと同時に周囲の景色も変わっていく。
レンガや石造りの建物が居並ぶ官庁街を出て、噴水や池のある広い公園の光景が視界に移った。少し目を移せばすぐ近くには花屋やレストラン、喫茶店が並んでいる。
公園では花見にでも来たのだろうか、家族らしき人々が桜を見て微笑んだり、くつろいでいる一方で街並みのほうを見れば多くの人々が店や建物を出入りしている。学生やスーツ姿のサラリーマン、着物姿の主婦、袴姿の老人・・・ハイネセンに負けず劣らずの活況。戦時下であるという雰囲気が一向に感じられない平和な光景が広がっている。たとえ社会がどんな状況であっても人々の本来の生活の営みというものは続けられるものなのだ。決して少なくない人込み、気を付けなければ土地勘のないヤンや洋平などはすぐに迷ってしまうだろう。
五十子の後に続きながら洋平は赤レンガでのやり取りを振り返る。
あの嶋野とかいう女と軍令部の連中の言動は気に入らないが、組織としての性質には思い当たる節があった。
この世界に来る前、洋平が好んでプレイしていた戦略ゲーム『提督たちの決断』は作戦目標というシステムが存在した。クエストの一種であり、資源や要所の確保を挙げてくるがこれらは実際の戦況や敵艦隊の位置は考慮されておらず、司令官であるプレイヤーにとっての攻略すべき優先順位とかけ離れた目標を提示されることがしばしばであった。
だが、クエストを無視することもできなくはないが、これを達成すればボーナスがもらえる。ゲームの序盤から金欠状態であるプレイヤーにとって、ボーナスはゲームを有利に進めるためにも喉から手が出るほど欲しい。
さらに深刻な問題として、作戦目標を達成しなければ所属提督たちの昇進が行われない。ゲームでは少将以上が空母に、中将以上が戦艦に乗れるようになっており、逆に言えばどんなに能力のある提督でも昇進しなければ空母や戦艦に乗せられない。結果として、プレイヤーは本来の戦略や戦況に関係のない作戦目標に従わざるを得ないのだ。
隣を歩く寿子にこのことを話すと「未来のゲームはリアルですねえ」とため息をついた。
「私達の海軍も同じですよお。連合艦隊司令長官は、国民からは海軍で一番偉い人みたいに思われてますけど、作戦目標は軍令部が決めますし、人事考課は海軍省人事局が決めるんです。中央の命令通りに戦わないと、手当も勲章も貰えないですからね。海軍乙女は実家に仕送りしてる子が多いですから、結構切実な問題なんです」
嶋野や軍令部に一言言ってのけたヤンも、かつて所属した軍隊でそのような経験をしたのだろうか。
そう思い洋平は振り返り――そこにヤンの姿はいなかった。
「あれ?ヤンさんは?」
「・・・え?」
「着いたよ、皆。ここが私の行きつけの甘味処で・・・え?・・・ヤンさん?どこ・・・?」
今まで赤レンガからここまで五十子達についてきたはずのヤン。
気付けばその姿はどこにもなく。彼は忽然と、姿を消していた。
五十子達を取り巻く空気が凍り付いた。
「・・・おい、これって」
「・・・大変です長官!ヤンさんが、迷子になってしまいましたあ!!」
「ヤンさん!?どこ行っちゃったのお!?」
ヤン・ウェンリーはいつの間にかこの広大な見知らぬ帝都で迷子になっていた。
五十子達が慌てふためく中、当のヤン・ウェンリーは特に取り乱した風もなく、帝都の街並みを静かに歩き回っていた。勿論、彼の顔にはまいったな、という当惑の感情が浮かんでいたがそれは外から見れば若干のものであり、ベレー帽をもてあそんだりおさまりの悪い黒髪を掻きながら猫背で歩を進めるその姿は、一見すればどうでもいいことで悩んでいるか、ただぶらぶらしているだけの人間に見えるだろう。
勿論当の本人は、自身がこの見知らぬ街で五十子達とはぐれ迷子になってしまったという事実を正確に認識し、その問題に対しどう対処すべきかその脳内で取り組んでいた。
「・・・やれやれ、見知らぬ街ではぐれて迷子になるなんて、いい大人が情けない。ユリアンやシェーンコップが見たら笑われてしまうな」
が、特に大きく困った風でもなく、時折そんなどうでもいいことを考えながら頭を掻き、ただ歩いているだけというあたりいかにもヤンらしい。
さて、迷子になった場合の対処法はいくつかある。その場を動かない、あるいは事前に決められた場所に向かう等々である。
前者はヤンがこうして帝都をうろつきまわっている以上、すでに有効な手段でないことは明らかである。となると後者であるが、五十子達一向は本来の予定であればとあるホテルに向かうことになっていた。この帝都でしばらくの間彼女たちが滞在することになるホテルだ。ヤンと洋平も勿論、そこにしばらく居座ることになっていた。ホテルの名前自体は事前に知らされ記憶している。そこに向かうか、あるいは赤レンガへ戻るというのもありだろう。おそらくそれが有効な方法であった。
問題はホテルの場所である。名前は知っていても肝心の場所を知らない。いや、知っていたとしてもヤンがそこにたどり着ける保証はないし、恐らくたどり着けないだろう。赤レンガもこうして迷子になっている以上、元来た道をたどって戻ることはできないしヤン自身あの場所には戻りたくなかった。嶋野やその取り巻き連中も、『生意気な身の程知らずの男』の顔は見たくないだろう。赤レンガに戻るのは上策ではない。やはりホテルに向かうしかないのだが、どうやってその場所も知らないホテルに向かうかだ。名前は知っているのだが・・・
街並みはますますヤンの知らないものばかりになっている。レンガ造りの官庁街や高級住宅街、木造建築の日本家屋・・・
ふと立ち止まってヤンは思案した。やはり、思い切って人に聞いてみようか。あるいはその場所まで連れて行ってもらおうか。しかし、ここはヤンのいた世界とは全く違う世界。憲兵の目もあるし、怪しまれないだろうか。なるべくことを穏便に済ませるにはどうすればよいか・・・
その時、クラクションの音が鳴り響きヤンの思考を一時中断させた。
見ると、そこには(ヤンの目からすれば)古い型の黒い車があった。タクシーだろうか。何度もクラクションを鳴らしていたのだろう。運転手の目と表情には明らかに不満と苛立ちがあった。どうやら、立ち止まって思考していたヤンがそのタクシーらしき車の進路を塞いでいたようだ。
ヤンよりも先に、運転手が窓を開け顔を出し抗議の声を上げる。
「困るよ、あんた。何ボケっと突っ立ているんだ。こっちは客載せて急いでるんだよ。さっさとどいてくれ」
「いやあ、すみません。ちょっと考え事をしていまして。というのも道に迷ってしまいましてね、どうやってその場所に行こうか考えていたもので・・・ちょっと教えてくれませんかね?」
ベレー帽を脱いで、ヤンは頭をかきながら謝罪した。ついでにホテルへの道を聞いてみようとする。対して運転手は顔をしかめたままだ。
「あのね、さっきも言ったけどこっちは急いでるんだ。道ぐらいそこの警官か憲兵に聞いてくれ」
「まぁまぁ、良いじゃないか。そこまで急いでるわけじゃないんだ。そう邪険にしなくたっていいじゃないか。少しぐらいなら話を聞いてもいいだろう」
ヤンに対し邪険に対応する運転手を遮るように、後部座席からふと声が響いた。
後部座席には一人の男が座っていた。
浅黒い肌をした細長い顔。年齢は四十代くらいだろうか
高級な、仕立ての良いスーツに身を包み、こちらを見てニコニコと笑っている。笑うたびに歯が見えるが、一目で出っ歯と分かる。決して美男子とは言えないが、しかしその笑顔は他意のない明るいもので、また同時に見る人に好感と活動的な印象を与えるものであった。
男は笑顔のままヤンのほうを向く。
「さっきナニを、ホテルを探してるだか何とか言ってたが、どこのホテルなんだね?」
ヤンは五十子達が滞在する予定であるホテルの名を口にした。
「ああ、そのホテルか。僕も行ったことがある。ここからそう遠くはないが歩いていくには少し遠いだろう。君はなんだかここら辺は初めてのようだし・・・よし、なんなら僕がナニしてあげよう。一緒にナニしていかんかね」
ナニだ、ナニするというのがこの男の口癖のようである。
「ナニとは?」
「一緒に乗っていかんかというんだよ。そのホテルまで連れて行ってあげよう」
突然の男の申し出にヤンは驚いた。見ず知らずの人間を目的地まで連れて行こうというまで言うのだ。運転手も驚きと困惑の表情である。
「はあ。よろしいんですか。私は、その、今手持ちがなくて」
「良いんだ良いんだ。そのナニだ、人助けというやつさ。困っとる人間をそのまま放っておくわけにもいかんだろう。そこまで急いでいるわけじゃないし、ちょうど行く途中の近くにあるホテルだからね」
男は相変わらず笑顔のままヤンに乗車を進める。
「さあさあ、乗った乗った。同じ方向なんだし、いいじゃないか。何、料金なら僕が払うから心配しなくたっていい。君、ちょいと行き先を変更だ。そのホテルまで頼む。料金は僕が払うから」
男の申し出に、ヤンとは対照的に運転手は素直に承諾する。
結局男に勧められるままにヤンは後部座席に乗り込んだ。
車がホテルに向かって進む中、男はヤンに話しかけた。
「ところで、君、そのホテルに行ってナニをするつもりなんだね?ナニでもしてるのかね?」
「まぁ、ちょっと人と会う約束をしていまして。そこでしばらく滞在する予定なのです」
「待ち合わせ。誰とだい?」
「いや、言っても信じてもらえるか・・・ちょっと、海軍軍人と会う予定で」
「なるほど、軍機か。それじゃあ僕も詮索はやめておこう。しかし君は見ない顔だねえ。顔立ちも何だか葦原人というより、支那人みたいだし。どこの生まれだね?」
生まれを聞かれ、ヤンはどう答えようかと頭をかいた。素直に、正直に惑星ハイネセン、宇宙歴の生まれといったところでこいつは頭がおかしいと一笑に付されるか警戒され、最悪車から降ろされ警察に突き出されるかもしれない。
どう答えようかと悩むヤンに男は続ける。
「何だか、ナニだな、見ていると君は何となく僕たちの住んでる世界とは違う世界に住んでいるように感じられるよ。服装も珍しいしねえ」
「・・・本当にそうだと答えたら、どう思われますか?」
「・・・何だって?」
「いえ、何ほんの冗談ですよ」
少し気まずい空気が流れ、ヤンは少し話題を変えようと思った。
「それにしても、すみません。貴方にも用事があるのにわざわざ乗せてもらって・・・」
「ははは、良いんだよ別に」
「あなたも人に会う用事で?」
男は歯を見せながら笑い、首を振った。
「何、郷里に、山口のほうに向かうんだ。ほら、君も聞いてるだろう今度ナニがあると」
「ナニとは?」
「選挙だよ。今度衆議院の総選挙があって僕もそれに出馬するんだ。それで、選挙区のある地元に行かなきゃならんのだ。とはいえ本職のほうも色々忙しくてねえ。ただ、国民の信を得るためにどうしても必要なんだ」
選挙。そういえば、大和で軍令部から呼び出しを受けた時も、近々選挙があるということを聞いた。そしてこの男も出馬するという。この男は政治家、議員なのだろうか。
「政治家をやっているんですか?」
「いや、選挙に出るのは今回が初めてだ。政治には以前から関わっていたがね・・・しかし君も変なこと聞くね。新聞読んでりゃ、僕が大臣やってて議員はやってないって分かると思うんだが」
ヤンは思わず喉が詰まりそうになった。今この男は何と言った?大臣をやっていると言わなかったか?もしやこの男は政府の意思決定にかかわる重要人物なのか?その男と自分は車の席を同じにしているというのか?
感情を表に出さないように気を使い、ヤンはベレー帽を脱ぎ、頭をかく。
「まぁ、あまり新聞は読まないもので。特に私は政治情勢には疎いもので・・・」
「ふうん。まぁ、商工大臣ならそういうこともあるか」
しばしの沈黙。
外を見れば、日が落ちかけ、空が青からオレンジへと移り変わっている。夕暮れ時だ。
男が再び口を開く。
「ところで、君はこの戦争をどう思うかね」
「というと?」
「そのままの意味だよ。今葦原とヴィンランドがやっている戦争のことさ」
男は不意に、ヤンに対してこの戦争に対する考えを問うてきた。なぜそんなことを突然ヤンに聞いてきたのだろう。
「はあ。私が答えることでもないと思いますが。それにどうして私にそんなことを?」
男は相変わらず笑ったまま、ヤンの顔を見る。
「何、別に拷問にかけようってわけじゃないんだ。僕は憲兵や特高じゃないんだしね。ただ、君の目を見ているとまるで君が何かこう達観しているかのように見えてね。こう、物事を第三者的な立場から、高いところから見下ろしているような、そんな風な気がするんだ」
この男はもしやヤンが違う世界の人間であることを見抜いているのだろうか。
「・・・これはあくまで私個人の考えですが」
ベレー帽をかぶりなおしながらヤンはゆっくりと答える。
「どうにも戦線を広げすぎたように思います。確かに今は連戦連勝ですが、相手は圧倒的な物量と国力を誇るヴィンランド合衆国。極端なたとえですが買い物で言えばこっちは財布に入っているのが千ディナ・・・千円なのに対し、相手は百万円持っており、その状況で十万円の買い物をするようなものです。今のうちに落としどころを見付けないと、そのうち相手に逆襲されるでしょう。圧倒的な国力差、物量作戦という巨大なハンマーを持ってね」
「・・・」
男はただ黙って、ヤンの言に耳を傾けている。
「それに、国民や上層部も少し浮かれているように感じます。私は五十子・・・山本連合艦隊司令長官が帝都に来た時の様子を見ましたが・・・皆万歳万歳と拍手喝采を送っていました。もうすでに戦争に勝ったかのように。私にはそれが危うく見えました。国民から上層部に至るまで、すでに戦争に勝ったかのように思い、楽観論で染まっているようで。勝っていたはずの軍隊や国家がその慢心に付け込まれ逆転され、そのまま敗北・滅亡した話は歴史を見ればいくらでも出てきます。己の国力を超えて広げすぎた戦線、圧倒的な国力と物量を誇る敵、連戦連勝に酔い楽観論に染まった国民や軍や国家。確かに今は勝っています。ですが・・・このまま落としどころを見失って、逆転されればそのあとに待ち受けているのは、敗北に次ぐ敗北そして・・・敗戦。私はどうもそんな風に考えてしまうのです」
そして実際にその歴史を辿るのだ、と付け加えるのはヤンの心の中だけにとどめた。それにしても言い過ぎたかな、と思う。それも大臣を名乗る男の前で、悲観論を述べ敗戦まで口にしたのだから。きっと目の前の男は不快な気分と顔をしているだろう。
「思い切ったことを言うなあ。まるで実際に見てきたかのようにしゃべったね」
一気にしゃべり一息つくヤンに対し、男の顔は不満な様子や怒りを見せるでもなくただ微笑んだままであった。それどころか時折頷いてさえいる。この男もまた、ヤンと同様の考えを抱いているのだろうか。
「うん、本当に見てきたかのようだ。まさか、君は本当にナニだ、未来でも見たのかね?」
「いや、それは・・・」
「いや、冗談だよ。しかし君の言うことは一理ある」
男は腕を組んで頷いた。
「僕は以前、ヴィンランドに行ったことがある。フィラデルフィアで製鉄事業を視察したが、わが葦原とはとはまず比較にならん規模だ。圧倒的な国力差を痛感したよ。この国と戦うのは無謀だ、とね。もちろん、僕も大臣として勅書にサインし国策に携わる以上全力は尽くすし、この国がヴィンランドと戦っているのだって好きでそうしているんじゃなく、已むに已まれぬ事情があるからだ。しかし、長期化は避けにゃあならん。何とか落としどころを見つけないと」
どうやらこの男は嶋野や軍令部の連中とは違う見識を持つようだ。少なくとも彼女たちよりは十分現実的な視点を持っている。軍や上層部も決して一枚岩ではないということか。
「ん、見えてきたぞ。あのホテルだ」
男がふと指さした先には立派な石造りの建物がそびえたっていた。一目で高級ホテルと分かる、その建物の入り口をよく目を凝らしてみれば、白い軍服に身を包んだ海軍乙女らしき少女が立っている。おそらく五十子や寿子あたりがここで待機しているのだろう。このホテルで間違いなさそうだ。
「ありがとうございます。おかげで窮地を脱することができました」
「ははは、いいさこれくらい。今度から気を付けたまえよ」
車から降りると、ヤンの姿を認めたのか、海軍乙女が手を振りながらこちらに駆け寄ってきた。黄色いカチューシャが特徴的な可愛らしい少女。間違いない、寿子だ。
「ヤンさあん」
そう大声で呼びかけながらこちらに手を振り、走って駆け寄ってくる。
ヤンもそれに手を振って応えた。間違いなく五十子達にずいぶん心配をかけたことだろう。早く安心させなければ。
そう思い車を離れようとするヤンを男が呼び止めた。
「そういえば君、名前を聞いてなかったね。折角だから教えてくれないかな?」
ヤンは一瞬考えるそぶりをしたが、男のほうに向きなおり答えた。
「ヤン。ヤン・ウェンリーといいます」
男は目をぱちくりとさせた。
「ヤン。もしかして君は大陸の出身なのかい?今の時勢には珍しいが」
「まあ、そういうことにしておいてください」
男もしばらく考えるそぶりをしていたが、やがていつもの笑顔に戻った。
「まあ、そういうことにしておこう」
「ところであなたの名前をお聞きしても?」
「おお、そうだったな僕の名前を言うのを忘れていた」
男は目を細めで静かに己の名を口にした。
「岸」
ヤンの手を取り軽く握手する。
「岸信介という。これが僕の名前だ。商工大臣をやっとる。まぁ、覚えておいてくれたら嬉しいね。それに君とはまたどこかで会いそうに気がするんだ」
それじゃあ元気でな、と言い残して岸と名乗った商工大臣を乗せた車はどこかへと去っていった。
この日の出会いが二人に、そしてこの世界の歴史に何をもたらすのか。それはまだだれも予測しえない。
次回予告(CV:屋良有作)
無事、滞在先のホテルに戻ることができたヤン。そこで彼らは今後のミッドウェー作戦について以下に了承を得、進めていくべきか話し合う。話を進めていくヤンたちのもとに一人の海軍乙女が訪問してくる。彼女は何者か、そして目的は――
次回、「不敗の魔術師、連合艦隊特務参謀になる」第15話「真夜中の訪問者、そして裏切り者」。銀河の歴史がまた1ページ・・・