再び長官公室。
夕食のためにヤンや洋平をはじめとする一同が再び集まっていた。
食卓には昼食会に劣らぬ豪華な料理が並んでいた。昼とは打って変わって旅館のような和食が並んでいる。瀬戸内海らしく刺身に天ぷら、焼き魚など旨そうな海の幸が並んでいる。戦艦大和の食事は本当に豪華だ。何も知らずに乗り込めば、今日は何かの記念日なのかと勘違いするだろう。
「黒島は今日も一日食事に出てこねえつもりか」
束ねが不機嫌そうに指で食卓を叩いた。見れば本来黒島亀子がいるべき席が空席のままだ。昼前に夢遊病状態で自室に運ばれた亀子は夕食の時間になっても姿を見せようとしなかった。
「ちなみに私達士官の食事代は、お給料から差し引かれてます。未来人さんの分は長官のおごりですから、長官に感謝して下さいね?」
「ちょっとヤスちゃん! 困った時はお互い様だよ。気にしないで沢山食べてね、ヤンさん、洋平君」
「ありがとう、恩に着るよ」
お言葉に甘え、早速手に箸を持つヤンと洋平。
早速ヤンは鯛の刺身に手をつけた。箸の使い方に苦労しつつも切り身に醤油とわさびをつけ口に運ぶ。鯛の旨味と醤油とわさびの独特の味わい、刺激が口内に広がる。ヤンにとって初めて味わう和食だったが高級士官の食事だけあって非常に美味なものだった。
洋平もアジのたたきに箸をつけている。これをご飯に乗せ醤油をぶっかけて書き込むのが洋平の好みだったりする。醤油を探すと、卓上には相変わらず粉砂糖が置いてあった。普通に食事するなら明らかに不要なはずの調味料だ。洋平は恐怖の砂糖フラグを回避するため、醤油をとる際にさりげなく砂糖の容器を動かして、五十子の手の届かない場所に遠ざけることに成功した。
「変態覗き魔宇宙人と覗き魔変態スパイ野郎のことはどうでもいいんだよ。みんな、黒島をちょっと甘やかし過ぎじゃねえのか」
寿子が話題を変えても、束は怒りっぱなしだった。
「僕の不名誉な称号が長くなってる気がするんですけど、それは・・・」
洋平の抗議も耳に入っていない。
「昼間はずっと眠ってる、飯の時間は守らねえ、脱ぎっぱなし散らかしっぱなし、挙句の果てには裸で艦内を徘徊。模範たるべき士官が規律乱してどうすんだ、下士官や兵に示しがつかねえんだよ」
言っていることが参謀長というより口うるさい母親のようである。規律の順守について口をうるさくする様子にヤンは一瞬ムライ中将の姿を思い出した。性格はまるきり違うが調度どちらも参謀長という同じ役職だし、規律や秩序については口うるさいほうだった。案外気が合うかもしれない。
それにしても今の束の言を聞いた限りでは、黒島は中々の生活無能力者のようだ。しかし作戦参謀という重要な役職に任じられているからにはそれなりに能力はあるのだろう。ヤンも人のことを言える立場ではないだろうが・・・
「うーん・・・あ、わかった」
ぷりっと肉厚な焼き牡蠣を前にきょろきょろと何かを探していた五十子が、急に頷く。一体何がわかったんだろうか。
「束ちゃんが機嫌悪い理由。糖分足りてないんだね? 直ちに糖分補給の要ありと認む、だよ」
その手にはいつの間にか、洋平が遠ざけておいたはずの砂糖の容器がしっかりと握られていた。いったいいつの間に手にしたのだろう?まるで見えなかったが・・・
「あ、あたしは規律の話をだな・・・」
さすがの束の怯んだ様子だった。寿子が無言で自分の御膳を安全圏に退避させている。ヤンと洋平もゆっくりと自分の御膳を移動させた。
「そっかあ」
五十子はシュガラーの布教をとりあえず諦めてくれたようだった。代わりに、自分の焼き牡蠣に砂糖をかけ始める。とんでもない組み合わせだ。漁師やシェフが見れば激怒することは間違いないだろう。片手にはラムネの瓶。食事開始と同時に「ぷっはー! やっぱり人生この時のために生きてるよねー!」とか言いながら1本飲み干していたので、今は恐らく2本目だ。こんなに大量の糖分を摂取していては、その内若いうちに糖尿病にかかってしまうのではないだろうか。
「もぐもぐ、ごっくん・・・ねえ、束ちゃん。規律って、そんなに大事かな?」
砂糖味の焼き牡蠣を満足そうに飲み込んでから、五十子はそんな軍人らしからぬことを言った。
「確かに亀ちゃんは、他の子にできてることができてないのかもしれないけど。その代わり、亀ちゃんは誰も思い付かないようなユニークな作戦を考えてくれる。だから亀ちゃんは今のままで良いんじゃないかな」
「いや良いわけねえだろ、海軍乙女としての規律以前に、常識的に考えて・・・」
「束ちゃん、美鰤と葦原の間には圧倒的な国力差があるんだよ。常識的に考えたら絶対に勝てるわけない。それと戦おうっていうんだから、常識的じゃない子も組織に必要だってわたしは思うんだ。それに亀ちゃんは、たとえ中央が決めたことでも、間違っていることにはちゃんと反対してくれる子だよ。そういう子はとても大事だよ」
「・・・そうかよ」
束は口をへの字に曲げてそのまま黙り込んだ。やり取りを見守っていた寿子がヤンと洋平を見て肩をすくめた。彼女は前に「長官はああ見えて頑固なところがある」と伝えていた。なるほど、確かに五十子の表情は穏やかで束に対する口調も終始穏やかなものだった。しかし亀子への評価は決して曲げようとしなかった。
そこへふっと寿子が思い出したように言った。
「作戦といえば、そういえばこの間のセイロン沖海戦の戦闘では、未来人さんたちの知識のおかげでより大きな戦果を挙げることができました。確か、リヴェンジ級戦艦4隻を撃沈でしたね。長官、例の件考えていただけますよね?」
寿子の顔には謎めいた笑みが浮かんでいる。
一体何を考えているのだろう?
ヤンと洋平は瞬間、部屋の空気が張り詰めるのを感じた。あるいは二人のほうが緊張したのかもしれない。
五十子は寿子の問いかけには答えず、先ほどまでと変わらない様子で手を叩いた。
「あっそうだ・・・ヤンさん、洋平君。悪いんだけど一つお願いがあるんだ」
「えっと・・・何?」
身構える洋平に五十子が頼んだのは拍子抜けする内容だった。
「亀ちゃんのお部屋に夕食を届けてあげてほしいの。亀ちゃん、今日一日何も食べてないから夜中になってお腹が空いちゃうと思うんだ。そろそろ目を覚ましてると思うから」
五十子はそう言って、手つかずのままの亀子の御膳を指さした。
「長官!そんなのは従兵にやらせれば・・・」
「そうですよお、何も未来人さんたちにやらせる必要は・・・」
束と寿子が驚きと不満を露わにしたが、五十子の意向は変わらなかった。
「今日、亀ちゃんだけがヤンさんと洋平君とお話しできてないでしょう。親睦を深めてほしいなって」
寿子は納得いかない顔だったが、五十子の性格を心得ているからかそれ以上何も言わない。それに五十子の言うことも一理ある。亀子とは初めて出会って以来一度も言葉を交わしていない。司令部メンバーと関わりを持った以上、彼女とも話をしておいたほうがいいだろう。亀子の部屋の場所なら午前中の一件で大体分かる。
「分かった、そうしよう」
「うん、行ってくるよ」
「ごめんね、洋平君」
五十子の声と寿子の未練がましい視線を背に、ヤンと洋平は亀子の分の御膳を手に長官公室を出た。
五十子が自分達を部屋から追い出して会話に参加させまいとした理由はなんとなく分かっている。
ヤンと洋平を元の世界に返したい、戦争に巻き込みたくないと、五十子はそう言っていた。
ヤンや洋平のような存在が戦時下の軍隊に見つかったら、普通ならこんな待遇はあり得ないだろう。自由を奪われ厳しい尋問を受けるか、亀子が最初に言っていたように変異種として解剖されるか。そうならなかったのは、ひとえに山本五十子のおかげだ。今の待遇に感謝こそすれ、不満を覚えるのはお門違いもいいところだ。
洋平はこの世界の人間ではない。ヤンに至ってはこの惑星の人間ですらない。異世界の、旧世紀の地球の帝政葦原中津国である。当然ながら、この国の戸籍に源葉洋平、ヤン・ウェンリーという人間は載っていない。二人は完全なる部外者であり、この国のために戦う義務など無い。単なる歴史の傍観者で居続けても非難する者はいないのだ。
それでも、洋平は自問せずにいられなかった。
自分はこれでいいのだろうか。このまま客人として「大和ホテル」に泊まって、毎日食べて寝て、そうやっていつか元の世界に戻れる方法が見つかるのを待つだけで。
部屋の外に立っていた従兵の少女が、はっとした顔で敬礼してくる。午前中に色々世話になった小堀一等水兵だ。残念ながら洋平は両手が塞がっているので敬礼できない。代わりにヤンが敬礼を返した。あまり様にはなっていなかったが。洋平も会釈をし、そのまま通り過ぎようとすると、まだ顔に幼さの残る少女は洋平に怯えつつも意を決したように話しかけてきた。
「あのっ!・・・先任参謀のお食事でしたら、私が」
「ありがとう。でも、これは僕が運ばないといけないんだ。山本長官に頼まれたからね」
「しっ、失礼しました!」
怖がらせてしまっただろうか。なるべく穏やかに話したつもりだったのだが。頭を掻きながらヤンが壁を見ると、ふと従兵の後ろの掲示板に貼られたポスターのようなものに気付く。艦内の注意書きか何かかと思って覗くと・・・。
「『来たれ華道部、部員募集中!』『軍楽隊、体験入隊希望は岩田まで』『茶道は乙女のたしなみ、お茶会への参加いつでも歓迎します! 茶道部』?・・・これって」
可愛らしいイラストがついた手書きのポスターの数々をよく読むと、どうやら葦原海軍には「別科」といって午後に一種の部活動が許されているらしい。艦の最下甲板には部室まであるようだ。その内容はいかにも女の子らしいものである。それにしても厳格な軍内部においてこのような活動が許されるとは、史実の連合艦隊とは違いなかなかの自由度の高さである。ヤン艦隊及び司令部メンバーのそれに勝るとも劣らないかもしれない。
「あのっ、何か・・・」
小堀一等水兵が困惑している。自分が凝視されていると思ったのか。
「君は、どこか部活には入ってるのかい?」
に質問されて、初めて背中のポスターのことだと気付いたらしい。顔を少し赤らめながら、
「私は・・・華道部に」
「へえ。ひょっとして食卓に活けてある花は、小堀さんが?」
「・・・はい」
小堀一等水兵は余計顔を赤くして、完全に俯いてしまう。
「それにしても、軍艦の中に部活か。まるで学校だな」
そう独りごちると、意外なことに反応があった。
「以前は、柔道部と剣道部しかなかったそうです。・・・山本長官が着任されて、文化系の部の設立を認めて下さったんです」
ずっとおどおどしていた小堀一等水兵は五十子のことを口にするときだけはどこか誇らしげだった。
小堀一等水兵と別れてヤンと洋平は艦内廊下を進む。
部員勧誘ポスター、昼下がりのブラスバンド、購買部に並ぶお菓子や化粧品、甲板で釣りや日向ぼっこをしてくつろぐ水兵達。今日経験した大和での日常がヤンと洋平の脳裏に浮かんでは消える。
戦線から遠く離れた柱島泊地の穏やかな海と、少女達の学園のような緩い日常。
史実の海軍はこれほど穏やかな組織ではなかったことをヤンと洋平は知っている。
ひどいシゴキや体罰、陰惨ないじめが横行していたとも聞いている。しかしこの艦においてはとくにそういった負の空気は感じられない。乗組員の性別がみんな女だから? それだけでは足りない。他に考えられる原因は、ひとつしかない。山本五十子だ。
時に頑固なまでの五十子の優しさと明るさが、この艦に限らず艦隊全てを包み込み、洋平の知る海軍とは異なるものに変えていた。五十子は階級に関係なく、大勢の海軍乙女ひとりひとりのことをちゃんと覚えて、気にかけていた。
そして、五十子はヤンと洋平のことも気にかけてくれている。海上で救出された時から司令部で彼女に差し伸べられたその手を握った瞬間から。そしてこれからも彼女は二人を戦争から遠ざけようと身を挺して守ろうとするのだろう。彼女がこれまで、彼女の艦隊の日常を守ってきたように。
しかし、本当に自分たちはこのままでいいのだろうか。
この日常が、本来このようにあるべきこの日常があと少しすれば続かないことを、その先にあるのは慟哭の運命であることをヤンと洋平は知っているのに。知っているのに、このままじっとしているだけでいいのだろうか?
「さてと。ヤスちゃん、一局どうかな」
源葉洋平とヤン・ウェンリーがいなくなった長官公室。私室から将棋盤を持って戻ってきた五十子に、戦務参謀の渡辺寿子は口を尖らせた。
「長官、どうして人払いのようなことを? 未来人さんを、あくまで蚊帳の外に置くつもりですか」
五十子は何も答えずに自分の陣地に駒を並べる。寿子はため息をつくと五十子と一緒に自分の陣に駒を並べ始めた。
「・・・で、何の話だ?」
束が苛立ちを含んだ声で寿子を促した。
五十子の視線は盤上から動かぬままだ。
「東洋艦隊の主力を補足できたのは未来人さんの予言を長官が採用されたが故です。今後も彼らの協力を仰いでその知見を作戦に活かすべきです」
進言する寿子に束が割り込んだ。
「待てよ、渡辺参謀。あいつの言葉にみんなの命を預けろっていうのか?結論の出すのが早すぎるぞ。それに協力を仰ぐってどういう意味だ?尋問するだけじゃねえのか?」
「彼らに参謀として、連合艦隊司令部の一員になってもらいたいという意味ですよ」
束は目を眇める。五十子はといえば、先手の寿子の飛車が五十子の歩を取っていくのを眺めているだけだ。
「未来人さんたちがすごいのは、東洋艦隊の主力がどこへ逃げたのかをあてたことだけじゃないんです。二人に聞いてみたんですよ、今後の戦争はどうあるべきかと。そしたら二人ともブリトンと相手をするべきではない、今はヴィンランドを攻めるべきだと。そういう戦略的なことまで話してくださったんです。参謀長が内緒にしている子の大和の詳しい性能も未来人さんはご存じのようですしねえ」
束が苦い顔をした。寿子は笑いながら続ける。
「要するに私たちが欲しいのは、欲すべきなのはこの戦争が終わった後の、何十年何百年も経た世界で生まれ育ったという彼らの大局的な視点から戦争を俯瞰できる見識なんです。確かに彼らの持つ未来の知識も貴重なものですが、それ以上に彼らの未来人としての見識にこそ価値があるんです。それにヤンさんに至っては軍人だったというじゃないですか。間違いなく私たちにとって大きな戦力になりますよ」
束がふんと鼻を鳴らした。
「あの宇宙人が軍人?おいおい、あいつはどう見たって売れない学者か良くて下っ端の三等水兵にしか見えねえよ」
多くの初対面の人間がヤンに抱く第一印象と同じ感想を述べる。
「まあまあ。いずれにせよ、幸い未来人さん達は私達に対して好意的なようですし、洋平さんについていえば積極的に協力したいという意思も見受けられます。彼らの尊厳を奪うような尋問ののようなやり方ではなく、仲間として迎え入れ作戦に協力してもらうほうが得られるものは遥かに大木かと思います」
「・・・驚いたな。お前がそこまで熱くなるとは」
「この戦争を一日でも早く終わらせるためなら、私なんだってしちゃいますよ」
「ん?・・・なら賭けようか、ヤスちゃん」
相変わらず将棋盤を見たまま、五十子がうっすらと微笑む。
「この対局でヤスちゃんが勝ったら、ヤスちゃんの言う通りにするよ。でも、もしわたしが勝ったらヤンさんと洋平君のことは・・・」
寿子もまた微笑んで、五十子の誘いを断った。
「えー、それは嫌ですよお。将棋で長官に勝てるはずないじゃないですかあ」
「ふふっ、そうだね。・・・ヤスちゃん、王手」
黒島亀子の部屋は、思いのほかあっさり見つかった。
その個室の前だけ、お香のようなにおいが漂っていたのだ。
気になって立ち止まった洋平は、ノブに「瞑想中! 亀子」と書かれたプレートがかかっているのに気付いた。
「瞑想中・・・?」
何度かノックをしてみるが反応はない。恐らくこのプレートはDon't disturbという意味なのだろう。
扉の前に御膳を置いて引き返すことも考えたが、それだと恐らく、五十子の思いに反する。しばらく逡巡して二人はドアを開けた。
扉を開けた瞬間、二人の嗅覚は部屋に充満する強烈なアロマテラピーのにおいで麻痺しそうになった。
電気が消されて舷窓も閉められ、明かりといえるのは一本の蝋燭の炎だけ。それでも次第に目が慣れてくると、足の踏み場がほとんどない室内の惨状が見えてきた。いたるところに食べかけのお菓子や脱ぎかけの軍服、衣類が散乱している。一緒に書類や海図が床一面に散らばっている。ぶつからないよう注意しながら乱雑に積み上げられた書類に目を落とすと、「軍機」の朱印が押してあった。これでは束が起こるのも無理はない。ヤンの部屋に負けず劣らずの惨状だ。相当な生活無能力ぶりである。キャゼルヌやシェーンコップあたりが見れば「ヤン以上の生活無能力者がいるとはな。世界は広いものだ」とか「やれやれ、こいつがヤンの家族の一員でなくてよかった、でなきゃユリアンが過労死してしまう」などと言いそうだった。
部屋の主は、五十子の見立て通り起きていた。幸いもう全裸ではなく、パジャマ姿だ。多分、五十子と小堀一等水兵が着せてあげたのだろう。
「勝手に入ってごめん。五十子さんに言われて食事を運んできたんだ」
洋平が声をかけても、亀子は反応しない。お香がもうもうと焚かれ機密書類が散乱する部屋の真ん中で、ちゃぶ台に向かって一心不乱に筆を動かしている。
邪魔にならないようちゃぶ台の端に御膳を置きながら、洋平は念のためもう一度声をかけた。
「長官公室で皆夕食をとっているけど・・・君は行かなくていいのかい?」
数秒の後、今度は応えがあった。
「・・・雑音を聞きたくない」
一瞬、二人は自分のことを言われているのかと思った。だが違ったようだ。
「将棋は一手でも無駄に指した方が負ける。敵の王将そっちのけで他の駒を取って喜ぶのは、幼い子どもの指す将棋。・・・山本長官から、そう教わった」
亀子の告げた二の句に、洋平は動きを止めた。何故今、将棋の話を?
「王将は、ハワイのヴィンランド太平洋艦隊。軍令部の人達は優先順位が理解できない。頭が幼児レベル、可哀想。そんな軍令部の立てた目標をやらされる、山本長官が一番可哀想」
相変わらずの聞き取りにくいぶつ切りの口調だったが、戦争に対する彼女なりの感想を述べいるのだとすぐに分かった。
親睦を深められたか否かに関してはおいて置くとして作戦参謀の部屋に食事を届け会話をせよという五十子のミッションは達成できたわけだ。問題はこれからどうするか。少女の部屋のため長居するわけには行かないが今すぐ長官公室に戻るというわけにもいくまい。女しかいない艦内で男が二人だけでうろうろしていれば不審者扱いされ面倒なことになる。もうしばらく彼女に付き合うことにしようか。二人はそう決めた。
「・・・そこに立ってられると、危ないから」
筆を持つ手が止まっている。今度こそ邪魔だから出て行けと言われているのだろうか?
「だから書類を動かさなければ、座っても良い。動かされると、何がどこにあるかわからなくなる」
振り返ると、亀子は毛先を硯の墨汁で濡らし、再び筆を動かしていた。さっきのは、ただ筆が乾いただけだったらしい。亀子の左手が、下の座布団をつつく。大きな座布団はよく見るとウミガメをかたどったクッションで、小柄な亀子のお尻をのせてもなお左側が半分以上余っていた。
「そのぬいぐるみに座れってことかい?」
「誕生日に、山本長官がくれた。ふかふか。座ると作戦が捗る」
「いやはや、そいつは恐れ多いね」
ものぐさなヤンとはいえ、他人の大切な物の上に躊躇なく座れるほど無頓着ではなかった。
二人は適当に機密書類の山に気をつけながら、座れそうな隙間を見つけ腰を下ろした。ヤンは胡坐をかいて、洋平は体育座りで、である。
亀子が意外そうに洋平を見た。
「・・・胡座」
「えっ何?」
「胡座、かかないの」
「ああ、胡坐。かかないんじゃなくて、かけないんだよ。僕の家は床が全部フローリングでさ、畳の部屋が無かったから胡座かく機会が無くて。あれって小さい頃にやっとかないと関節が硬くなって無理なんだって。現代人には珍しくないよ、最近はお座敷の店も掘り炬燵が無いと若者が入らないっていうし・・・あ、ごめん、未来の話で」
「海を泳げるのに、ヒトより退化した部分もある・・・意外。そっちの宇宙人とは大違い」
「ヒトより、って、僕をまだ海底人だとか思ってないよね」
「帰りたくないの? 長い深海の生活で身体が退化して、胡坐のかけなくなった種族の棲む国へ」
「どうしてそこだけ退化するんだよ! あのさあ、胡坐がかけないのは別に退化とかじゃなく生活様式が西洋風になったからで、僕と同年代でもまだ胡坐かける人はいるよ! 帰りたくないかって、そりゃ勿論、帰りたいに決まって・・・」
帰りたいに決まっている、と最後まで言おうとして洋平は途中で口を閉ざしてしまった。首をかしげ内心戸惑っているように見える洋平を見てヤンはその内心を察した。
帰りたい、か。確かにその思いは二人とも同じだ。洋平は洋平で地球の日本という国に家族や友人を残しているだろうし、ヤンもできることなら早く帰還方法を見つけユリアンやフレデリカ、シェーンコップ達に無事を伝えたい。だがその一方で、この世界で目覚めてから、あり得ない超常現象にパニックになることも、元の世界に帰れないかもしれない恐怖で泣き喚くこともなかった。そんなことよりも、知的好奇心を満たすことにずっと夢中だった自分も確かに存在したのだ。生の連合艦隊を、古代地球の世界をこの目で直接見ることができ、海軍マニアの洋平と歴史家志望であったヤンにとっては夢のような時間でもあったのだ。
洋平が口を開いた。
「・・・タイムスリップ物でさ、たまに元の世界に帰りたがる描写が一切無い登場人物がいるよね。最近読んだ小説で、主人公は目が覚めたら昔の戦場にタイムスリップしてるんだけど、難しいことは一切考えずにすっごく軽いノリで戦いに参加してて。そういうの読むたびに、不自然だろって突っ込んでたんだよ。元の世界に家族や友人だっているはずだし、ちょっとくらい悩むのが自然なんじゃないのって。でもこうして実際に同じ目に遭うと、意外とそうはならないもんだね」
亀子は無言で筆を走らせている。ヤンも微かに笑いながら口を開いた。
「私も似たようなことを考えていたよ。実というと私は昔歴史家志望でね。でもお金がなくて仕方なく軍人になったんだけど、正直言って今でもその夢を捨て切れていないんだ。この場所にいれば、何百年、何千年も昔の歴史を直接この目で見ることができる。正直とても新鮮で面白い。もしかすると、今はまだここにいたいのかもしれない。まだ帰りたくないのかもしれない」
「・・・小説といえば。私はジュリー・ヴェルヌの『海底二万里』が好き。知ってる?」
唐突に亀子がそう訊ねてきた。ヤンと洋平の話を一応聞いていてくれたようだ。
「知ってるよ、子どもの頃にあれの映画版を観させられてさ、ノーチラス号が巨大なタコに襲われるシーンが怖くて泣いたなあ」
「旧世紀の地球の小説のことかい?私も子供のころに映画をソリビジョンで見た記憶があるよ。もちろん小説も見た。往時の地球の歴史を知ることもできるSF小説だね」
「・・・映画版?」
「あ、ごめん今はまだ無いのか。原作もちゃんと読んだよ」
「読んだことがあるなら、話が早い。ノーチラス号に乗艦してからの、主人公の感情の移り変わりを思い出して」
亀子の謎の要求に、洋平は首をひねりながらも回想を試みる。読んだといっても小学校の課題図書なのでうろ覚えだが。
確か、主人公達は国籍不明の潜水艦ノーチラス号の捕虜になって、ネモ船長から死ぬまで外界には戻れないと言われたが、主人公は序盤からストックホルム症候群全開でネモ船長と仲良くなり、職業が海洋生物学者ということもあってノーチラス号の海底旅行を素直に楽しんでいた。しかし、時が経つにつれて艦を降りたいと思うようになり・・・ああ、そうか。
「わかった。僕も『海底二万里』の主人公と同じで、今は目先の興味で頭がいっぱいだけど、時間が経つとホームシックになるって言いたいの?」
だが妙だ。ホームシックを説明したいなら、わざわざSF小説を持ち出さずとも直接そういえばいいだろうに。
「ホームシックだけじゃない。『海底二万里』の主人公はネモ船長のしていることに耐えられなくなって、艦を降りたくなった。ネモ船長がノーチラス号を使ってやっていたのは、列強の艦船に対する無制限潜水艦作戦。まだ潜水艦の無い時代に、無抵抗の艦船を一方的に沈める大量殺戮行為」
そういえば確かにそういう設定もあったような気がする。見方を変えればそういう見方をすることもできるだろう。だがそのことと今の状況にどのような関係があるのだろうか。大量殺戮行為、戦争、海軍乙女・・・様々なキーワードを思い浮かべ考えるうちにヤンははっとしたもしや・・・
「・・・彼女が、五十子がネモ船長のように私たちに嫌われると考えているのかい?」
亀子は頷いた。
「そう。山本長官は、自分がネモ船長のようにあなたから嫌われると思っている様子だった」
亀子はそれまでと全く変わらぬ様子で淡々と語り続ける。
「無論この比較は不適切。山本長官に私達、交戦する美鰤の海軍乙女達も皆、国の命令に従い、国を守るため戦う正規の軍人。一方のネモ船長は、己の意思以外の何物にも束縛されないいわばテロリスト。戦いの質が異なる。それでも山本長官は、『ヤンさんと洋平君は、わたしのことを許さないと思う』と」
その言葉を聞き、洋平が思わず立ち上がった。ちゃぶ台の周りの書類が少し崩れる。
「そんな・・・僕は、それにヤンさんだって五十子さんを嫌いになったりしないよ!」
ヤンは思わずベレー帽を手に取り握りしめた。
ヤンを、洋平を戦争に巻き込みたくない、元の世界に返してあげたい。五十子はそう言ってくれた。
しかし彼女はこうも言っていた。「私と一緒とか、嫌だよね?」と。
何も知らない人が聞けば、この人は謙虚なのだ、ぐらいにしか受け取らないであろう。だがあの言葉の裏には重く、辛い理由があったのだ。その思いを想像するだけで、辛い、悲しすぎる。
彼女は己と同様自分を虐殺者としてみているのだ。戦争という名のもと敵も味方も無数の命を死に追いやる重罪人として。それ故にそんな悲壮な思いを胸に二人に接し、部下達にも明るく振舞っている。当然ながらヤンは五十子のことを嫌ってなどいないし軽蔑などしていない。彼女はあくまで一軍人として、国家公務員の一員として、その職務を全うしているだけだ。それどころか、ヤンは世知辛さや憤りを感じていた。これほど聡明で、懸命に生きる彼女が、少女達がなぜ海軍乙女として殺し合いをしなければならないのかと。自分だけの道を見つけ、未来へ進む権利を持つはずの彼女達がなぜ、海に入れるからという理由だけで戦争を、殺し合いをしなければならないのか?そして、戦争をさせる政府や大人ではなく、何故一人の少女がそんな悲しい思いを抱かねばならないのか?いくらなんでも理不尽すぎる。・・・本来、虐殺者と、犯罪者と罵られるべきはヤン・ウェンリー自身であるはずなのに。・・・自分はこのままで良いのだろうか?
「どこへ行く気? 長官室から人払いされて、ここへ来たのに」
衝動的に扉に向かおうとする洋平の背中に、亀子の冷ややかな声が突き刺さった。どうして彼女は、洋平が話していないことまでわかるのか。
「・・・できた。これで完成」
振り返ると亀子は、筆を置いたところだった。洋平が崩した書類の山をもそもそと直し、ゆらりと立ち上がる。
襟がはだけて、全く日焼けしていない白い肌がのぞく。
彼女がパジャマの下に何も着ていないことに、今更ながら気付いた。
「源葉洋平。あなたは今すぐ元の世界に戻りたいとは思っていない。理由はこの世界が面白いから、だけじゃない。あなたは、山本長官の力になりたいと思っている。山本長官があなたを戦争から遠ざけていることも、不満に思っている。それはヤン・ウェンリー、あなたも同じ。あなたもこのままでいいのか迷っている。このまま傍観しているだけでいいのか、介入すべきではないかとどこかで考えている」
「・・・」
自分の中でもやもやしていた感情を他人に言い当てられるのは、不思議な気分だった。
「私に協力して。そうすれば、あなたの望みもかなう。いや、協力すべき。あなたたちは山本長官に恩がある。特にヤン・ウェンリー、あなたには。返しても返しきれない恩がある」
「?どういうことだい」
「山本長官はあなたにとって命の恩人だから」
亀子は表情一つ変えることなく、ただ淡々と事実を述べる。
「・・・あなたたちが海上を漂流しているところを発見されたとき、源葉洋平はともかく、あなたはとても危険な状態だった。左大腿部の銃創からの大量出血ですぐにショック死してもおかしくない状況だった。すぐに応急処置が必要だった。そんな状態のあなたを山本長官が海から引き揚げて人工呼吸をして止血帯を巻いて応急処置をした」
執筆が終わった原稿をめくりながら亀子は淡々と続ける。ヤンも洋平も彼女の口から延べられる新たな事実に耳を傾けていた。
「すぐに手術と輸血が必要な状況だった。この大和は最新鋭の戦艦、医療設備も充実している。治療自体は簡単だった。でも問題が一つだけあった。それは血の量。あなたは大量出血で輸血が必要だった。それも大量の輸血が。でもストックが足りなかった。あなたにできる輸血のための血液のストックが。それがなければ応急処置ができない。手術をしても無駄になる。あなたの銃創からの出血があまりにもひどくて、このままでは輸血をしても不十分になり、結局治療が無駄になって死に至ると思われた。助かるにはせめてあともう一人血液の提供者が必要だった。そんな時、山本長官があなたに手を差し伸べた。丁度あなたと血液型が同じだった。周囲の反対を押し切って、山本長官は一切躊躇することなくあなたに輸血のための血液を提供することを申し出た。大量の献血をして、山本長官はしばらく数日間の間体調を崩して寝込んだ。・・・そしてあなたは何とか一命をとりとめた。もしあの時誰も献血を申し出なければあなたは今頃、墓石の下か水葬にされていた。今あなたが生きているのは山本長官のおかげ。あなたの体には山本長官の血が流れている」
「・・・衣食住を無償で提供してくれただけでなく命まで提供してくれたというわけか。なるほど、確かにこいつは返しても返しきれない恩だね」
ヤンはかつて暗殺者にブラスターで打ち抜かれた自分の左足をさすった。無頓着でものぐさな性格のヤンではあったが、命を救ってくれたことへの恩を忘れるほど、そしてそれに報いることを忘れるような性格ではなかった。
五十子は見ず知らずの自分の命を躊躇することなく助けてくれた。そして衣食住を無償で提供し、一切の見返りを求めずにいる。それどころか、自分達を戦争から遠ざけようと、元の世界へ返したいとも思っている。それなのに彼女は裏で悲壮な思いを持って自分に接している。己を虐殺者ととらえ関わらせまいとしている。なんて悲しいことなのだろう。なんと辛いことなのだろう。
暗い室内で、蝋燭の炎を反射して亀子の目が妖しく光る。
ヤンと洋平はその目に、ぞくりとする何かを感じた。
「・・・それで、私に何をしろというんだい?言っておくけど解剖ならお断りだよ」
そこには、さっきまで亀子が熱心に執筆していた原稿が紐で綴じられ、一冊のファイルにまとめられていた。赤い表紙はめくってあり、1ページ目が読めるようになっている。ヤンと洋平はそこに目を凝らす。
「・・・ミッドウェー作戦ニ於ケル各部隊ノ行動要領。海軍航空部隊ハ上陸数日前ヨリ、ミッドウェー諸島ヲ攻撃制圧ス。海軍ハ有力ナル部隊ヲ以テ攻略作戦ヲ支援援護スルト共ニ、反撃ノ為出撃シ来ルコトアルベキ敵艦隊ヲ捕捉撃滅ス。兵力配備ハ別紙一ノ通リ・・・これって、まさか!」
表紙を手にとって、表に戻してみる。
『ミッドウェー作戦計画書 連合艦隊司令部』。
血で染めたように赤い表紙に、亀子の筆ではっきりとそう記されていた。
セイロン沖海戦が史実通りに起こった時点で、当然に予測できていたことだ。
ヤンと洋平は目を見合わせた。
なんということだ。こんなにも早く、もうここまで、ここまで来てしまうのか。
もし運命や宿命とやらが存在するとすれば、その横顔は間違いなく醜悪な魔女のそれであるはずだ。
「これが私の考えた、第二段作戦」
「第二段作戦・・・?」
「そう。第一段作戦の目標だった南方資源地帯の確保は概ね完了した。開戦前に陸海軍で打ち合わせて決められたのはここまで。ここから先は白紙だから」
亀子は、洋平の背後の壁に貼られた世界地図を指差した。
「軍令部は、今後ヴィンランドが豪州を拠点に島伝いで北上、葦原に攻め上ってくると思い込んでいる。それを前提に戦力を南方に集中させ、ヴィンランドと豪州の海上交通を遮断、併せて南方資源地帯の支配を盤石にして、長期不敗体制を確立したいと言っている。『自分達が南方に注力したいから、敵も南方から攻めてきて欲しい。きっと攻めてきてくれるはず』軍令部はそういう自己本位な人達の集まり。可哀想。ヴィンランドは、そんな迂遠なことはしない。遠い南方に私達が主力を送っている間に、遮るものが無い中部太平洋を真っ直ぐ西進して、手薄の本土を直接攻撃してくる」
亀子は太平洋のハワイに置いた人差し指をぐいっと左の葦原に動かした。洋平は小さく息を呑む。
「そもそも、ヴィンランドの国力は葦原の十倍。戦いが長期化するほど、資源や工業生産力の差が出る。それを相手に『長期不敗体制』とか言って持久戦を考えている軍令部は、本当に頭が可哀想」
亀子は、人差し指を再びハワイに突き立てる。
「短期決戦、早期講和。それが山本長官の願い。これをかなえるには、ハワイ攻略しかない。ハワイはヴィンランド海軍の本拠地。ヴィンランド中から海軍乙女の適性のある少女が集められている。ここを陥落させて彼女達を捕虜にすれば、ヴィンランドは海上における継戦能力を失って講和に応じるしかなくなる。この戦争を、終わりにできる」
それはヤンと洋平が寿子に語った独自の戦略構想とほぼ一緒だった。
かつて帝国と同盟が際限のない争いを繰り広げていたころ、彼らにとっての最重要の戦略要素は帝国と同盟を結ぶ狭い回廊に位置する帝国軍が誇る無敵の要塞イゼルローンであった。その要塞を同盟が攻略し回廊を確保できればそれは同盟にとって大いに有利にし、そして帝国にとって大いに不利なことになるはずだった。なにしろ同盟は帝国への侵入経路を手に入れ帝国に対し圧力をかけ、逆に帝国は同盟を押さえつける蓋を失うことになるのだから。うまくいけば和平に、そうはならなくても戦勝は小康状態を迎えるだろう。上層部とヤンはそのように考えイゼルローン要塞攻略に向かったのだ。結局作戦は成功したが、戦争の終結には至らなかったが。
そして亀子達はハワイをイゼルローン要塞のような最重要の戦略要素と見ている。一度でも攻略すれば戦争の趨勢をひっくり返すことが可能な切り札として。そのための第一歩としての作戦が、このミッドウェー作戦。ハワイを攻略することで彼女達は戦争をできる限り早期に終わらせることを目標にしている。
「ハワイ攻略の妨げになるのが、真珠湾攻撃で討ち漏らした空母。そこで、まず空母をおびき出して撃滅する。そのために罠を仕掛ける。・・・ここ、ミッドウェーに」
ハワイ・オアフ島の北西約1000浬に位置する、ゴマ粒のような島。
地図上でそこだけ、鉛筆で矢印や数字が何度も書き込まれた跡があった。
彼女にしては珍しく長く話して疲れたのか、そこまで言って亀子は黙る。
ヤンと洋平は作戦計画書と地図を見つめて硬直していた。この艦で幾度となく感じた悪寒の正体がようやく分かった。史実を知っているが故の悪寒だった。
亀子の情勢認識は正しい。戦略も決して間違っておらず理にかなっていると考えることもできる。確かに彼女は五十子が一目置くだけの頭脳の持ち主であった。
だが二人は知っているのだ。この戦いが歴史のターニングポイントになることを。この戦いが惨敗で終わることを。そしてその先に待ち受ける悲惨で過酷で残酷な運命を。
「・・・それで、協力って僕達は一体何をすればいいの」
「私と三人で、帝都に行く。そこで、あなたたちが未来から来た人間であることを海軍中央に喧伝する」
そんなことをして何の意味があるのか。その疑問に答えるように、亀子は言葉を継いだ。
「私の作戦は完璧。絶対に成功させる自信がある。けれど、作戦の決定権は軍令部にあって、私達の意見具申は却下されてばかり。この計画を持っていってもどうせ、『連合艦隊司令部は実戦指揮だけしていればいい。軍令部の専権事項に口を出すな』と言われるのが目に見えている。このままでは軍令部の立てた目標に従わされ、やる意味の無い美豪分断作戦をやらされる」
ヤンと洋平は亀子が自分に何をさせよつ押しているのか見えてきた。
「ミッドウェー作戦を軍令部に認めさせるために、あなたたちの存在を利用させてもらう。未来から来たあなたたちが、必ず成功すると保証してくれれば、軍令部もこれまでのようには却下できない」
ヤンはため息をついた。失敗するとわかっている作戦にお墨付きを与えよというのだ。皮肉というべきか、喜劇というべきか。
ヤンは黒髪をかきながら口を開いた。
「うーん、私達が未来から来たことを宣伝するのはいいが、はたして軍令部の人達は信じるかな?多分素直に信じてはくれないと思うけどなあ」
「光線銃がある。それを彼女達の目の前で発射すればいい。彼女達は間違いなく驚く。それにいくつか予言をすればいい。短期間で証明出来て、なおかつ未来人でなければ知りえないことを。予言をあてて、さらに実物を見せれば嫌でも彼女達はあなたたちが未来人だと信じる」
「いや、無理だよ! 僕は海戦にちょっと詳しいだけで、歴史博士じゃないんだから。4月のセイロン沖海戦はもう終わっちゃったから、5月の珊瑚海海戦までの間は知ってることは特に何も・・・ていうかこの話、五十子さんは了承してくれるの?」
「山本長官には内緒で、あなたを大和から降ろす。長官の筆跡を真似た命令書も用意してある。それで飛行艇を用意して、密かに横浜航空隊まで飛んで、帝都に入る」
「・・・それはまずいんじゃないかい?命令の偽造なんて明らかに法律違反だし五十子を裏切ることには・・・」
ヤンの言葉を遮るように、子供っぽいパジャマ姿の亀子が二人の前に一歩踏み出す。彼女の体と密着する。なんだか頭がくらくらして体が熱く感じるのは、昼間に砂糖を取りすぎたからなのだろうか、それとも室内に充満したお香のせいなのだろうか。できればそうだと信じたいが・・・
「問題ない。大丈夫。作戦計画が無事に通りさえすれば、長官は喜んでくれるはず。それがあなたたちの望みでもあり私の望みでもある」
亀子に押され、二人は思わず倒れそうになる。
「・・・ちなみにもし断ったら?」
「・・・海底人、および宇宙人として解剖する」
まだ海底人扱い、宇宙人扱いをしていた。解剖もあきらめていなかった。なんという恐ろしい少女だ。
シュルシュル、プチプチ、という音がするので見てみるとなんと亀子がヤンのスカーフをほどいたり洋平のシャツのボタンをはずしたりして二人の胸元を開こうとしていた。
「!?何をしているんだい!?」
「・・・おかしい。鱗がない」
「あるわけないじゃないか!」
「・・・ぺろ。しょっぱい。海水の味」
「それは汗だから!汗はだれでもしょっぱいから!そもそも人の汗を平気でなめるなんてどういう性癖の・・・」
「だったら確かめてみる?」
「え?」
「比較実験。私のもなめてみるといい」
そう言って亀子は自らのシャツのボタンをはずしにかかった。
「うわあ、待って!止めるんだ!止めなさい!ユリアンやフレデリカが見たらなんと言うか・・・」
たじろぐヤンだったが、亀子は指を動かすのをやめない。やがて胸がはだけ未成熟な、しかし見る人が見れば興奮を覚える未成熟な膨らみが露に・・・
「そこまでですよお、黒島参謀!」
ばあんと扉が開け放たれ、床の書類が舞い上がった。流れ込んできた外気がお香を薄めてくれる。
「話はばっちり聞かせてもらいましたよお。未来人さんの帰りが遅いと思ったら・・・抜け駆けは許しません!」
明るい黄色のカチューシャが特徴的なふわふわした声の少女。寿子だった。
その後ろでは、竹串を咥えた束が腕組みをしてこちらを睨みつけている。その後ろには五十子の姿も。俯いていて、表情は見えない。
「長官・・・! その、今のは、その」
亀子は動揺していた。普段の態度からは考えられないことだ。五十子達に聞かれたことがよほどショックだったのだろう。
「危ないところでしたねえ、未来人さん。知っていますかあ?竜宮城のおとぎ話の教訓は、漁師は怪しいカメさんについて行くべきではなかったということなんですよお」
「いや、そんな人さらい注意みたいな解釈じゃないと思うけど」
「大和の艦内を歩かせるのでさえ危なっかしい黒島参謀と三人で帝都に行ったりしたら、途中で黒島参謀は寝落ちして未来人さんは迷子、挙げ句の果てに怖~い憲兵隊や特高警察に捕まって拷問されていたかもしれないってことですよ! 陸にはそういうリスクがあるんです。ですから私は、この大和で未来人さんを参謀にして作戦を手伝ってもらおうって言ってるんですよ」
寿子の発言に亀子は表情を険しくした。
「渡辺参謀、私の作戦立案に不足があるとでも? 黒島亀子の作戦は、いつだって完璧。未来の情報は必要無い。欲しいのは、未来人という存在がもたらす政治的な効果!」
「そうやって外からの情報を受け付けずに引きこもって一人で作戦を立ててると、いつか足元をすくわれますよお」
二人の間に、割って入ったのは束だった。
「ややこしい話はさておきだな。黒島、てめえ命令書を偽造するとか言ってたよな。海軍刑法第32条違反だぞ。大体、書類の片付け一つ満足にできねえ分際で書類を偽造するなんざ、とんだお笑いなんだよ。なんだこの汚部屋は! 掃除しろ掃除!」
「参謀長、怒るポイントずれてますよお」
それまでずっと黙っていた五十子が咳払いをした。
「・・・ねえ、みんな。ちょっとヤンさんと洋平君と三人だけにしてくれないかな」
寿子がまた何か言いたそうな顔になったが、束がそれを手で制し、頷いた。
「ありがとう束ちゃん。・・・行こう、二人とも」
五十子に連れられヤンと洋平は部屋を出た。亀子は今にも泣きだしそうな目でこちらを見て立ち尽くしているが、ヤンと洋平には彼女にかけるべき言葉や行動が見つからなかった。亀子に会釈だけして二人は部屋を出ようとした。
「長官」
そのまま通路を歩きだそうとした三人を、束が呼び止めた。
「そいつらをどうするか、早く決めてくれ。こいつら馬鹿どもが何でこんなに思い詰めているか、長官だって分かってるだろ?」
「・・・うん」
五十子は振り返り、束を、寿子を、亀子を、そしてヤンと洋平を見た。
「ごめんね、みんな。ヤンさんと洋平君の気持ちを確かめたいの。後少しだけ、時間をちょうだい」
最後に亀子に向けて微笑んだ。いつも通りの暖かい笑顔だ。亀子が膝をついて震える両手で顔を覆った。
汚部屋の整理整頓を始めた束達を後にして、三人は最上甲板へと向かっていった。
次回予告(CV:屋良有作)
亀子とのひと悶着の後、星空の下で五十子はヤンと洋平に自らの思いを明かす。軍人としての葛藤や苦しみ、二人を巻き込みたくないという五十子の思いに、ヤンは、洋平はどう応えるのか。次回、「不敗の魔術師、連合艦隊特務参謀になる」第9話「星空の下、それぞれの未来」。銀河の歴史がまた1ページ・・・