左肩が、疼く。
肩が疼く日は決まって、悪いことが起きる。右よりも左の方が、より悪いことが起きる。
恭介から、腕が治らないと聞いた翌日。
俺は数日振りに学校をサボり、土手で寝転んで思案していた。
治らないと宣告された、想いを寄せる幼馴染の腕。
それを知った時、さやかはどんな顔をするだろうか。
そして、如何な決断をするだろうか。
分からないほど、疎遠な兄弟仲ではない。
更に、魔法少女に対する考えを改めさせる為最終的には賛同した『魔法少女体験コース』の経過も、俺が思うものとは異なる道へと逸れつつあった。
彼女は……巴マミは、強過ぎた。
間違いなく俺の知る魔法少女達の中で、3指に入るほどに。
相手が魔女であろうと使い魔であろうと、危なげなく勝利を飾る。
リボンとマスケット銃という見た目からも華やかな武器で、いっそ華麗なまでに。
その強さ故、華麗さ故に。
恐怖や血生臭さよりも、憧れが勝る。
巴のようになりたい、ああ在りたいと願ってしまう。
結果としてさやかと鹿目の心は、魔法少女へと傾きつつあった。
もしこの状況で、さやかが恭介のことを知ってしまえば。
直情的でこうと決めたら、兄である自分の言葉さえ聞こうとしない愚直なまでに真っ直ぐな妹は……すぐにでも、契約してしまうことだろう。
巴に諌めさせるべきか、とも思った。
けれど駄目だ。彼女は確かに正しく2人を導ける人材だけれど、しかし心の奥底では2人が魔法少女になることを望んでいる。
隠しているつもりだろうけれど、俺には分かった。俺にだけは分かった。
巴マミは、仲間を欲しがっている。
以前魔法少女体験コースの最中で語られた、彼女が魔法少女になった時の出来事。
かつて死に目に遭い、魔法少女となることを代償に、
そんな彼女の、本心にそぐわない中途半端な正論じゃあ、さやかの意志を曲げることなんてできない。
「けど……なら、どうすればいいんだよ……」
答えの見付からない自問に、思わずそんな言葉が口を突いて出て。
その直後……ポケットに入れた携帯電話が、少し前に流行ったロックを鳴らし始めた。
こんな時に誰だと思い、受話口を耳に当てるとほぼ同時に。聞き慣れた声が俺の耳にやかましく突き刺さる。
『もしもし、あや兄ぃ!? ねえ、マミさんの携帯番号知らない!? 今、孵化しかけてるグリーフシードが恭介の病院に――』
言葉の途中で、奇妙なノイズがさやかの声に混ざり、そして通話が切れた。
何が起きたのかなど、火を見るより明らかで。
「――――ッ、畜生が!!」
俺は考えるより早く、弓に弾かれたかのように寝転んでいた身体を起こし。
そしてすぐさま病院へと駆け出し、先日念の為に聞いておいた巴の携帯へと繋げるのだった。
「あやか君! こっちよ!」
丁度病院の前で、巴と合流し。
結界の入り口で顔を青くしていた鹿目を引っ掴んで、俺達は結界の中へと飛び込んだ。
そこは、胸焼けのするような世界だった。
周りを見ればお菓子だらけ。幼児の描く夢のような場所。
鹿目の証言曰く、さやかの大馬鹿野郎はキュゥべえと共に1人結界の中心へと残ったらしい。
確かにそれならキュゥべえのテレパシーを通じ、いち早く結界の最奥まで辿り着けるが、無謀が過ぎる。
戦う力を持たない者が魔女と相対することの危険性は、誰よりも理解しているつもりだ。考えただけで身震いする。
ここから出たら、あの愚妹を1発引っ叩いてやると。
歯噛みしつつ心の中でそう呟き、結界を駆けて。
「――待ちなさい」
突如目の前に、この前の黒髪の魔法少女……暁美ほむらが、現れた。
どんなタネを仕込んだというのか、何も無い筈の場所に前触れもなく姿を見せたこいつは、俺と巴、鹿目を順繰りに見据え。
そして。引き返せと、言い放った。
今回の魔女はこれまでと訳が違う、自分が狩るから大人しく引き返せ。
結界内のさやかとキュゥべえの身の安全は、保障する――と。
彼女の、暁美ほむらの狙いが何なのかなど知ったことではないが。
妹が危険に晒されていると言うのに、はいそうですかと。素直に俺が言う事を聞くとでも、本気でそう思っているのだろうか。
だとすれば、見当違いも甚だしかった。
俺の横に居た巴も、同意見だったらしい。
彼女は一瞬だけ手を地面に翳したかと思えば、直後暁美の足下から拘束用のリボンを出現させ。
虚を突かれた明美の全身を、瞬く間に縛り上げた。
「なッ……!? 何を……こんなことやってる場合じゃ――」
「怪我させるつもりはないけど、こっちも急いでいるの。あんまり暴れたら保証しかねるわよ」
行きましょうと俺達に声をかけ、リボンで雁字搦めになった暁美の横を通り抜ける巴。
それにおずおずとした仕草で、鹿目が。次いで俺が後に続く。
こうしている間にも、さやかがヤバい目に遭おうとしている。立ち止まっている時間は、無かった。
――ただ。
「待ちなさい! この奥に居る魔女は……これまでとは訳が違うのよ!!」
今まで鉄面皮を貫いていた暁美の、本気で焦ったようなその声音が。
少しだけ、気がかりだった。
複雑怪奇な結界内を、最奥に居るキュゥべえのナビを受け迷いなく進む俺達3人。
その途中で、鹿目が巴に言った。
「マミさん、わたし……魔法少女に、なろうと思います」
「え……?」
得意なこともなく、自慢できる才能もなく。
誰の役にも立てないままずっと過ごしていくことが嫌だったと、妹の親友は言った。
そして、誰かを助ける為に戦う巴を見て。
自分にも同じことができるかも知れないと、知って。
それが何よりも嬉しかったのだと。
かつて考える暇もなく、魔法少女になるしか生き延びる道さえなかった巴は、故に鹿目とさやかに何度も繰り返し告げていた。
選択の余地があるからこそ、願うなら後悔のない選択をして欲しいと。
けれど鹿目は、『胸を張って生きていけること』が。
言うなれば、その自信となる魔法少女になることそのものが願いで。
だからもしなることができたのなら、それだけで願いが叶ってしまうのだと。
こんな自分でも憧れている巴同様、誰かの役に立てることが証明できるのだと。
そう言った鹿目を見て、巴は僅かに呆然とした風な目をして。
そして。じわりと涙を滲ませながら、嬉しそうに笑うのだった。
「…………」
ああ、ままならない。
さやか達を魔法少女にさせない為に、敢えてその実態を見せようと思い賛同した魔法少女体験コース。
しかし結果は、この通り。鹿目は既に、決意を固めつつあった。
これで鹿目が名実共に魔法少女となれば、親友であるさやかの気持ちを揺らぐだろう。
恭介の腕が今の医学では決して治らない事を知ってしまえば、尚更に。
ふと脳裏に浮かぶのは、とある少女の姿。
この世の全ての慈愛を詰め込んだような笑みを浮かべる、少しだけそそっかしい所のあった愛すべき友人。
そんな彼女は、魔法少女で。
そして俺の目の前で。魔女に殺された。
あんな思いをするのは、もう御免なのに。
だからさやかにも鹿目にも、魔法少女になって欲しくなどないのに。
何故そんなささやかな願いさえ……叶わないのだろうか。
「あっ……あや兄ぃ! マミさん、まどか! 良かった、間に合った……!」
辿り着いた結界の最奥部。
白饅頭ことキュゥべえを抱いたさやかの無事な姿を見た瞬間、知らず張り詰めていたらしい俺の心が安堵する。
色々と小言を言ってやりたい所だったが、それどころでもなさそうだった。
お菓子の詰まった空間の中央に鎮座している、黒い輝きを放つグリーフシード。
何度か見たことがある。あれはもう既に、孵化する寸前の代物だ。
「下がってて、みんな!」
いつにも増して覇気のある声音で、巴が俺達を下がらせる。
ソウルジェムを翳し、変身した彼女の魔力に刺激されたグリーフシードが、辛うじて保っていた静寂を破り姿を変えた。
まるで人形のような姿の、小さな魔女。
卵から孵ったばかりのそいつは、ぱちぱちと目を瞬かせその場に留まっており。
「お出ましのとこ悪いけど、一気にカタをつけさせて貰うわ!」
十八番のリボンを無数に繰り出し、魔女を拘束する巴。
そして必殺の威力を持つ巨大な大筒を創り出し、そいつに向けて撃ち放とうとして。
――突如。小さな小さな魔女の口が開き、中からズルリと巨大な何かが姿を現した。
一瞬のことだった。
おそらく魔女の本体なのだろう、巨躯の怪物は。
そのでかい図体に似合わない凄まじい速さで、刹那の内に巴の眼前へと押し迫り。
ずらりと鋭利な牙の並んだ大顎を、ケーキを口に運ぶ子供のような仕草で、あーんと開いた。
「――え?」
予想だにしなかっただろうその光景に、巴は呆然とするばかりで動けない。
さやかと鹿目に至っては、今何が起きているのかさえ理解できていないだろう。
巨躯の魔女の大顎が閉じられようとしている様を、俺だけがハッキリと視認できていた。
今にも喰われようとしている巴の姿が、頭の中でフラッシュバックする『彼女』の最期と重なる。
『ごめんなさい……
最後の最後で、的外れな謝罪などしてきた彼女の姿が。
一瞬だけ、巴とダブる。
「――――ッ」
考えるよりも先に、駆け出していた。
幸いにも、他の面子の中で自分が1番近くに居た。
間に合う。
『前』は間に合わなかった。
けど、『今度』は間に合う。
俺は『彼女』を助けられなかった。
だが……『巴』を助けることはできる!
トン、と。
巴の身体を押し、横倒しにする。
そしてガチリとほぼ空を噛む形となった、魔女の牙の1本が。
――俺の『左肩』を、ほんの少し掠めた。
結界が、消える。
歪み変質した空間がグリーフシードのあった病院の駐輪場へと戻って行き、何事も無かったかのように元の世界として動き始めた。
暁美ほむらは、拘束の解けた身体を立ち上がらせ、服のホコリを数度払う。
そして、彼ら……へたり込むまどかとさやか、ガタガタと身体を震わせて怯えを露わとするマミと。
服の袖を血で染めながらも、そんな彼女の肩を抱くあやかの元へ、歩み寄った。
「……あ……あ、あぁ……」
嗚咽ともただの音とも取れるような声を漏らすマミは、震える手であやかの上着の裾を掴んでいた。
そうすることで、自分が未だ生きていることを自身へと示すかのように。
「何が……何が起きたの……ねえ、まどか……?」
「わかんない……わたしにも、全然分からないよ……!」
マミが死ぬ寸前であったことを、今更ながらに理解し。
けれどどうして助かったのか。そして、どうして魔女が跡形もなく
まるで理解することのできない2人は、ただ呆然と座り込んでいた。
そんな中。ほむらはただ1人常と変わらず、震えるマミを支えていたあやかの前で止まり。
彼のすぐ傍に落ちていた、グリーフシードを拾い上げた。
「……助けてしまったのね」
ひと言、そう呟き。
ほむらは手にしたグリーフシードを、あやかへと放る。
「巴マミに使ってあげなさい。彼女、だいぶ消耗しているわ」
「……言われなくとも、そうするさ。つーか、何なんだ手前。その態度、まるで何もかも知ってるみたいじゃねーか」
――さあ、どうかしら。
彼の言葉を、ほむらはそんな風にはぐらかして。
そして踵を返し、数歩離れ。
最後に首だけを振り向かせ、あやかへと告げた。
「美樹あやか。これからの行動は、よく考えて行うことね。じゃないと貴方は、死ぬまで後悔を続けることになる」
どこか、何かを諦めたような声音で、そんな言葉を残し。
暁美ほむらは、その場を去って行った。
「…………」
未だ正常に戻る様子のない3人と共に残されたあやかが、ふとそう呟き。
震えるマミの頭を優しく撫でながら、空を見上げた。
「……なんだってんだよ、一体……」
彼が彼女の発した、言葉の意味を知るのは。
これからもうしばらく、先のことだった。