※141話のネタバレを含みます。ご注意ください。
しばらくお付き合いくださいませ。
「会長、一つ提案があります」
二月も終わりに差し掛かった季節。生徒会室で最後の書類を書き上げた白銀に、かぐやは何の前振りもなく、そう呼び掛けてきた。藤原たちは先に帰っており、部屋には二人だけである。
書き上げた書類をまとめつつし、白銀はかぐやの方を見た。
「なんだ?」
「今度の学年末テスト、私と勝負しませんか?」
不敵な笑みを浮かべるかぐやは、どこかで聞いたようなセリフを述べた。
学年末テスト!
期末テストの中でも、特に三学期末に行われるテストを、秀知院学園ではそう呼んでいる。名前の通り、一年の総まとめと位置付けられているテストであり、出題科目・範囲ともに一年間で最も多いテストである。教科によっては、一年間の内容を総ざらいするようなテストになっており、当然であるが一夜漬けで太刀打ちできるような代物ではない。
さらに、白銀やかぐやたち二学年にとっては、三年時のクラス分けや進路にも大きく関わる、非常に重要なテストとなっている。その重みは、学年の誰もが理解しているところであった。
自らのプライドを、あるいは将来を賭けた大一番。偏差値七七の秀才たちが、ありとあらゆる能力を総結集して行う、日本最高峰の頭脳戦。それが、秀知院学園の学年末テストであった。
だが、テストにかける想いという意味では、秀知院学園のどんな生徒とて、白銀とかぐやの二人には敵わない。秀知院学園でもトップの成績を誇る、学年一位と二位。両者の間にあるのは、単に将来とか、学力とか、順位をかけた戦いではない。
これはプライドの問題―――そしてそれ以上に、お互いの意志の問題である。
かたや白銀。勉学一筋でここまでやってきた彼にとっては、テストや模試こそが主戦場であり、努力と頭脳、愛用のシャーペンこそが唯一無二の武器である。才能に溢れ、何でもできてしまう
故に、白銀御行は負けられない。何があろうと、どれほどの犠牲を払おうと、
かたやかぐや。敗北もまた処世術と心得る彼女にとって、だがしかし
故に、四宮かぐやは勝利したい。自らの願いのために、あらゆる頑張りをもって、
二人の想いは、たとえ恋仲になろうと変わることはない。否、恋仲であるからこそ、譲れない。一つの遠慮もなく、相手と
お互いに何を言わずとも、両者はこれまで、そうやって勝負をしてきたのだ。そしてこれからも、そうして勝負していくのだ。
―――勝負、か。
かぐやの口から出てきた思わぬ単語に、白銀は一瞬思考する。
これまでのテストにおいても、白銀とかぐやは勝負をしてきていた。明確に言葉にしたのは、一年の時に白銀から一回だけ。だが以降も、お互いに言葉には出さないが、二人は確かに勝負をしていた。お互いの学力を競い合ってきた。
では今回に限って、なぜかぐやは改めて口に出したのか。
思い当たる節は一つ。多分、白銀の一回目と同じだ。
「俺と勝負、だと?」
まとめた書類を「済」の箱に入れながら、白銀は尋ねる。
「ええ、そうです。折角ですから、何か賭けましょう。負けた方は勝った方の
白銀の反応に、かぐやはあらかじめ用意していたかのように流暢な答えを返す。その間も、テキパキと部屋の手仕舞いを進め、全てを終えてから扉の前に立つ。
「・・・面白そうだな。いいだろう、乗った」
手仕舞いを確認し、電灯を消した白銀は、たった今出てきた生徒会室に鍵をかけて、答える。これで勝負は成立だ。
「言っておくが、手は抜かんぞ」
「その言葉、たっぷり利子をつけてお返しします」
火花を散らしながら、人気のない廊下を帰宅の途に就く、二つの影。ただ、燃え上がるような言葉と視線の応酬とは裏腹に、並んだ二人の間に慈しむようにして繋がれている小指の存在に気づいていたのは、今宵の満月のみであった。
◇
白銀御行は、いつだって
勉学では、かぐやに負けられない。負ける訳にはいかない。だからこそ、バイトも減らし、寝る間も惜しんで、猛然と勉強をする。常に完璧を求め、ミスを徹底的に潰す。教師の出題傾向を予測し、一方であらゆる問題に対応できる演習を行い、そして当日に臨む。一夜漬けで効果がないのなら、十夜漬けだろうと何だろうと平気でやってのける。
なぜそこまでするのか。学年一位がそこまで重要か。それは、彼に言わせれば、少し違う。白銀が見ているのは、いつだってかぐやだけだ。白銀はかぐやと対等であるために、かぐやに勝てるだけ勉強をする。彼女に勝つためには、学年一位になる必要があった、それだけだ。
これほど努力をしてきたから、自分に無理を強いてきたからこそ、今の白銀がある。かぐやの隣に立つことができたのだって、元はといえば死ぬほど勉強をしたからだ。それを否定することは、断じてできないし、したくはない。
ただ、近頃思うことは、ある。それはかぐや自身の願いのこと。彼女が聞かせてくれた、彼女自身のロマンティック。
―――「疲れた時は、少しだけ一緒に休みませんか?」
半分の月が照らす夜。かぐやは白銀の肩に寄り添い、そう言った。白銀の意志を否定することも、肯定することもせず、ただそれだけを言ったのだ。
白銀に、頑張らないという選択肢はない。凡才の白銀が、秀才と並び立つには、あらゆるものを犠牲にしてでも、頑張らなければならないからだ。それは至極当然のことだと、白銀は思っている。
だが他方、かぐやの願いをないがしろにはしたくないのだ。無理はしないでほしい。たまには強がらなくたっていい。それもまた、至極もっともなことだと思う。白銀だって、かぐやが明らかに無理をしていたら(おそらくそんなことはないであろうが)、同じことを思うに違いない。気に病むほど心配だってする。
で、あれば。このタイミングで、かぐやが「勝負」などと言い出した意味とは。そして、彼女が言った「お願い」とは、何なのだろうか。
「お願い、か」
眠気覚ましのコーヒーに口づけ、白銀はぽつりと呟く。だがそれもほんの一瞬だ。白銀は再びペンを取り、残り少なくなったノートと向き合う。
なぜならすでに、彼の中で答えは出たのだから。
*
四宮かぐやは、今回に限って
勝負を吹っ掛けたのはかぐやだ。「お願い」を賭けたのもかぐやだ。自分から言い出しておいて、むざむざと負ける訳にはいかない。四宮の名にかけて、そんなことは許されない。
かぐや自身の願いを、白銀に叶えさせるために、かぐやは何としても勝たなければならない。そのために、これまでにも増して勉強をする。過去問から出題傾向を絞り込み、早坂を使って情報収集をし、徹底的に勉強の方向性を効率化する。最低限の努力で最大限の効果を発揮するように効率化を推し進め、その上で白銀に負けないくらい努力すれば、必ず勝てる。
―――「そうしてなければ、俺たちはきっとこうしていない」
どこか切実な声で言った、白銀の言葉がよぎる。
白銀は努力の人だ。自分のために、誰かのために、いくらだって頑張れる人だ。そんな彼はとても素敵だと思う。とてもかっこいいと思う。
けれど、時に無理をしそうになる白銀のことは、やはりどうしたって、心配になる。
頑張っている人を、応援するのは簡単だ。けれど逆に、頑張ろうとしている人を、「無理をするな」と止めるのは、果たして正しいんだろうか?それは少し違うと、かぐやは思っている。
白銀の言った通りなのだ。白銀が頑張っていなければ、死ぬほど努力をしていなければ、果たしてかぐやは彼の方を向いていただろうか。彼に好かれようと、努力をしただろうか。
無理はしてほしくない。けれど、頑張るなとは、何があろうと決して、口が裂けたって言えない。言ってはいけない。頑張っているところも含めて、白銀御行なのだろうから。
では、かぐやにできることは、何なのだろうか。
結局のところ、側にいることが一番なのだろう。側にいて、いつだって見守っていて。そうして、いつもと違うな、明らかに無理してるな、という時に、そっと手を差し出せる距離にいること。そっと暖かなお茶漬けを差し出せる距離にいること。そっとふかふかの毛布を掛けることができる距離にいること。そっと背中を抱きしめる距離にいること。
今回だって同じだ。やることは変わらない。これまでも、これからも変わらない。
「・・・お願い、です」
カモミールティーで唇を湿らせて、かぐやは月に呟く。だがそれも束の間だ。今は、かぐやも頑張るときである。
頑張って、頑張って。白銀と同じように、白銀と同じだけ、白銀と一緒に頑張って。それが、終わったら。
つまるところ、かぐやの願いとは―――
◇
白銀とかぐや、二人の天才による史上空前の頭脳戦は、四日間で終わりを告げた。それぞれの事情と理由から可能な限りの努力をし、両者の脳は心地よい疲労感に包まれる。
その疲労感が収まり始めた頃、学年末テストの結果が張り出された。
結果は―――
一位、白銀御行。
二位、四宮かぐや。
軍配は白銀に上がり、勝者・白銀で決着となった。
「俺の勝ちだな」
生徒会長の執務机で、白銀は勝ち誇った笑みを浮かべる。
とっくに陽も沈んだ、テスト結果発表の夜。生徒会室には、再び白銀とかぐやの二人きりである。もっとも、今日に関しては、かぐやが意図的にそう仕向けたわけであるが。
応接用の机で紅茶を淹れるかぐやは、明らかにふくれっ面だ。他の役員がいる間はいつも通りだったが、二人きりになった途端、遠慮なく恨めし気な視線を送ってくる。もっとも、その表情すら、白銀には愛しくてたまらないわけだが。
「今回こそは、勝てると思ったのに・・・」
悔し気な呟きとともに、かぐやが紅茶を淹れ終わる。音もなくポットを置いた彼女が、目配せだけで白銀を呼んでいた。一息入れましょう、そういう合図だ。
執務机を立った白銀は、ソファに歩み寄り、いつも通りにかぐやの正面に座ろうとした。
が、かぐやは無言で首を振っている。それからちょいちょいと、仕草だけで右隣りを示した。そこへ座れ、ということだろうか。
かぐやの言う通りに、白銀はかぐやの隣に腰を下ろした。
「はい、どうぞ」
淹れたてで暖かな薫りを燻らせる紅茶が差し出される。茶葉の良し悪しなど、白銀は詳しくないが、かぐやの淹れる紅茶がおいしいことだけはわかっていた。今日もまた、一点の曇りもない、穏やかな温もりが体の中へと浸透していく。
「四宮の紅茶は、うまいな」
「それは何よりです」
微笑して答えたかぐやも、一口紅茶に口づける。ほうっと吐く息。この一時が堪らない。
しばらくして、かぐやが白銀との距離を詰めてきた。何気ない所作で拳一つ分の距離を詰め、ぴたり、白銀に寄り添う。白銀がチラリと左を窺えば、すぐそばで、ルビー色の瞳と視線がぶつかる。
それから、かぐやは何も言わず、その身を白銀に預けてきた。軽い体重が、それでもしっかりとした彼女の存在感を伝える。制服ごしの温もり。女性らしい柔らかさ。そしてコテンと、まるで甘えるように、肩に乗っているかぐやの頭。
「どうした?」
「いえ、今回のテストは少し、頑張りましたので。一旦休憩です」
「・・・そうか」
幾ばくか迷って、白銀はかぐやの頭に手を伸ばす。絹のように細く滑らかな髪に触れ、二度三度と撫でる。それから、自分の額を、彼女の頭にコツンと当てた。
「私、結構悔しかったんですよ」
「ああ、知ってる」
「地団駄を踏みたいくらいです」
そう言ったかぐやは、両の足で床をパタパタと蹴って見せる。白銀から小さく苦笑が漏れた。
「なあ、四宮。お願いの件だが」
「ええ、約束ですから。会長のお願いは、なんですか」
白銀は目を閉じる。何度目だって鼓動が早くなる。こうしているだけで幸せで、それ以上なんてもっと幸せで。本当にいつか、自分は幸せすぎて死んでしまうんじゃないかと思えるくらいだ。
だから、という訳ではないが。白銀のお願いは、ずっと前から決まっていた。
「近くに、新しいプラネタリウムができたんだ」
「そういえば、何かで聞いた覚えがあります」
「折角だから、行ってみたくてな」
「はい」
「四宮、一日付き合ってくれないか?」
それが白銀の願い。彼の中での折り合いのつけ方だ。頑張って頑張って、でもたまには休息を。
大好きな人と、何気ない一日を過ごせたのなら。ちょっぴり特別な日常を過ごせたのなら。それだけで十分なのだから。
かぐやが肩の上で頷く。
「ええ、もちろん。よろこんで」
かぐやの返答に満足して、白銀は頭を起こす。いつまでもこうしていたいのはやまやまだが、生憎とここは学校だ。いつまでも居座るわけにはいかない。それに、折角かぐやが淹れてくれた紅茶を、暖かいうちに飲みたかった。
紅茶を飲み終え、帰り支度を済ませた二人は、今日も今日とて仲良く生徒会室を出る。
電気を消して真っ暗闇になった生徒会室の扉を閉じ、白銀が施錠する。そこでふと、白銀はかぐやに問うた。
「そういえば、四宮は何をお願いするつもりだったんだ?」
今回の勝負を持ち掛けてきたのはかぐやの方だ。それは、かぐやに何かしらの叶えたいお願いがあったからだと、白銀は踏んでいる。結果的に勝者は白銀となり、かぐやがお願いをすることはできなくなったが、それはそれとして聞いておきたい。
かぐやは特に隠す必要もなく、答える。
「大したことではないんです。というより、
「?どういうことだ?」
通学鞄をパタパタと揺らしながら、それはそれは嬉しそうに、かぐやが言った。
「ちょっと休憩、です。会長と一緒に、会長に負けないように、頑張ったんですから。だからその分、二人で休憩したかったんです。お茶をしたり、お菓子を食べたり、おしゃべりをしたり。―――それが、私のお願いでした」
かぐやが笑っている。ただただ純粋に、それがどうしようもなく嬉しいのだと、伝えるように。言ってしまえばありきたりなそのお願いが、何よりも尊く、大切なものであるかのように。
白銀はかぐやの肩を抱き寄せる。どうしようもなく、その体を抱きしめる。大切に、壊さないように、それでいて自分の存在はしっかりと伝わるように。胸の内の温もりが、彼女まで届くように。
その行動は、至極当たり前な、喜びと幸せを伝えるものであった。
「なるほど。・・・ということは、俺はまんまと、
「ええ、はい。してやりました」
不敵に答えたかぐやを解放する。照れているのか、頬に朱を差すかぐやは、しかし大輪の花を思わせる笑顔を浮かべていた。
月光の廊下を、一組の男女が―――恋人たちが歩いていく。静まり返った冬の校舎。春の訪れをそこまで控えた、雪解け直後の寒々しさ。白い、淡い、柔い光に支配された世界でも、恋人たちの手は暖かい。互いに互いを包み込み、指を絡めて、重ね合わせて。冷たい手のひらだって、二人でなら暖められる。
それでいいのだと。それで幸せなのだと。そんな事実は、二人だけが知っていればいい、幸せなのだ。
言 葉 は い ら な い
推し二人の出した答えがあまりにも尊過ぎたので大暴走しました。自覚はあります。
これからも、二人で支え合って、幸せになってほしいですねー。