人は生まれながらにして平等ではない。
力の強い者、知恵のある者、持つことが出来るのは生まれながらにして才能がある強者だけだ。だけど、子供の時の彼はその通りに必死に抗おうとしていた。いつか自分も強くなって誰かを守れる力が欲しい。そして偉大なる英雄の一人になりたい、そう願っていた。
だがどれだけ自分を追い込んでも結果が来ることはなかった。
彼は酷く濁っていてそれでいて朧げな夢をみていた。
思い出したくもない忘れたい思い出。そう冒険者を目指すことになったあの日のことだ。
夕暮れに照らされたとある部屋の一室で彼とその姉「アイズ・ヴァレンシュタイン」は二人で向かい合うように座っていた。その日は冒険者になる前日で、彼とアイズは各々の夢を語っていた。
「私は……私は強くなりたい。誰よりも強くなって、それで……」
「それで?」
「ううん、何でもない。とりあえず強くなりたい」
「そっか……」
アイズは何かを言いかけたのを途中で辞めて話を切る。弟は特に気になる様子もなく話を続けていく。この頃のアイズと彼は強さに憧れを抱いていた。両親が消え、二人とも自分達が強くならなければと感じていたのかもしれない。特に姉であるアイズは弟である彼を守らないといけないと思い込んでいた。
「俺も強くなりたいけど、お姉ちゃんや皆が元気ならそれでいいかな」
「そう……ありがとう」
この時の彼は今よりも純粋でそれでいて臆病だった。だから戦わないで済むならそれに越したことはないと思っていたし、残された家族である姉が元気ならそれで良かった。
思いがけず自分のことを心配する弟の言葉にアイズは少しだけ嬉しそうに微笑む。
この夢をみている彼は思わず目を背けたくなった。見ていて気色が悪いと思ったし何より姉とこんなやり取りをしていたのかと思うと身の毛がよだつ。気持ち悪いとしか言いようがない。
だが夢というのは目覚めるまでは見続けなければいけない。それはまさに止めることの出来ない物語のような物であった。だからこの次の言葉もしっかりと覚えている。
幼いアイズが同じく幼い自分へあのことを伝えていた。
「私がずっと守ってあげる。だから約束して、ずっと側にいるって……」
今だったら間違いなく拒絶しているであろう言葉を吐くアイズに彼は吐き気にも似た胸糞の悪さを感じてしまう。だがそれ以上に嫌なのはこの後に自分が言った言葉だ。
「約束する!ずっと一緒だよ!」
そんな約束をするなと言いたいがこれはあくまで過去の出来事を夢に見ているだけなので何とも出来ないのが歯がゆかった。
この頃の自分と比べて今の自分はどれだけ惨めなことだろうか。力も知恵もなく運すらも付いてこない惨めな冒険者。それなのにまだ力を望んでしまう。そんな憐れな存在である自分が嫌で嫌で仕方ない。
もう沢山だ。これ以上こんな悪夢は見ていたくない。そう思い彼は明晰夢から抜け出そうと必死に叫ぶ。
◆
叫び声を上げて目を覚ました時には自分の部屋の清潔なベッドの中で眠っていた。
どういうことなのだろう?自分はダンジョンからの帰り道で雨に濡れて倒れてしまったはずだ。それなのにどういう訳かベッドに寝ている。服まで着替えさせられてあるし。周囲の状況を確認しようと横に目をやるとそこには椅子に座りながら腕を組んで寝ている姉アイズがいた。
何故、アイズが自分の部屋にいるのかは分からないが取り合えず起き上がるかと思い上半身だけでも起こすが強い眩暈と頭痛に襲われる。体は熱く、関節は痛みを感じておりなにより強い気怠さが体中に感じ取れた
風邪でも引いたのか?それとも何か別の病気でも……どちらにしろ自分は誰かに助けてもらったのは事実だ。それを確認するためにもロキに会いに行かないと。あととりあえずトイレに行きたい。
何とかふらつきながら立ち上がり、アイズを起こさないように部屋から出る。姉に手助けをしてもらうのはどことなく気が引ける。姉の世話をすることは良くても姉の世話になることは彼のプライドというか、気持ちが許さなかった。
「はぁ……はぁ……」
動き始めると完全に体調の悪さを自覚し始める。歩くことさえ苦痛に感じる。だがこの程度なら動けない訳ではないと心を決め音を立てないように扉を開け通路に出る。体からは自然と汗が出てきて風邪の症状もあることが何となくだが分かった。
とりあえずトイレに行ってからロキの所に行こう。そう決めた後は壁伝いに一歩ずつ一歩ずつ進んでいく。息が苦しくなり途中力のない咳をケホン、ケホンとこぼしてしまう。
トイレまであと少しというところで、遂に歩くことさえできなくり地面にへたり込んでアヒル座りをしてしまう。やばいこのままじゃ確実に漏れてしまう。あの時大人しくアイズを起こして手伝ってもらえば良かった後悔するが所詮それは後の祭り。彼が絶望的な状況に落ち込んでいるときに偶然にも誰かが通りかかった。
「弟くんじゃん。大丈夫!?」
「はぁ……くっ……ティオナか……」
助かった。という訳でもないか……正直に言えばティオナの手を借りるのも憚られるがこんな状態では文句は言えなかった。率直に頼みこむことにした。
「ティオナ……悪いけど肩を貸してくれないか?トイレまで行くつもりだったんだが……足がおぼつかなくて……」
「そっか!それなら任せてよ!」
そう言ってティオナはへたり込んだ俺の体を、両手ですくい上げた後に歩き始める。
何というかこの体勢はお姫様抱っこに近い状態であった。近いではなくお姫様抱っこそのものだ。逆の状態ならまだしも自分がされる側になるというのは恥ずかしいとかいうレベルではない。それにこんな情けない状態を誰かに見られるという心配もある。ただでさえ惨めな自分が更に羞恥を晒すのは情けないにも程がある。
「……あの、肩さえ貸してもらえれば……良かったんだけど……」
「だめだめ、昨日倒れたんだから無理はしないの」
「……ティオナが俺を見つけて運んでくれたのか?」
「ううん、私も探しに行ったけど見つけて運んだのはリヴェリア」
そうかリヴェリアが……。朧気ながら昨日のことを思い出す。たしかにリヴェリアに背負われていたような記憶が微かに残っている。その後に芋づる式で昨日のことを思い出してきた。
彼としては自分の失態でファミリアの皆に迷惑を掛けてしまった事が何より辛かった。彼自身はファミリアの中でも下っ端の下っ端であると自負している。そんな自分何かのために同じファミリアを動かせてしまったことは反省すべきことだと考える。
「昨日は……迷惑を掛けて悪かったよ」
正直に謝る。普段から役に立っていないというのにこんな時ばかり迷惑を掛けてしまった事を彼は申し訳なく感じていた。そんな露骨に落ち込んだ様子を腕の中で見せる彼に、ティオナは笑って励ます。
「良いって!困ったときはお互い様でしょ、それに弟くんが無事ならそれが一番だよ」
「…………」
その笑顔が今の彼には眩しすぎた。
返す言葉を頭の中で必死に探すが結局見つかることはなかった。ただ一つ分かることがあるとすれば自分にはない何かを彼女は持っているということだけだった。
その後無事にトイレまで送ってもらった。途中、誰ともすれ違わなかったことだけが救いである。
「後は……ロキにも謝って、それと問題ないことを報告しないと……」
「体調は悪いんだったら寝てた方が良いよ。ロキには私から言っておくから」
「いや、これは俺の失態だ。俺の口からしっかりと伝えない……と」
ティオナは呆れたような顔をしているがこれは俺にとっては重要なことだ。自分の口で謝罪の言葉を述べたい。と思っていたのだが尿意が消え去ったことで如実に体調の悪さが露になってきた。
「……やっぱり、部屋に戻る」
「その方がいいよ。じゃあ、屈んで!」
「またあれで移動するのか……」
「うん!だってまともに歩けないじゃん。それに肩を貸すよりこっちの方が早いし楽だし」
確かに歩けないがだからと言って全面的に世話になるつもりもない。だが全面的に世話になっている以上従う他は無かった。自分は恥ずかしいがティオナは恥ずかしくないのだろうか?と思いながら彼女の腕に乗り込む。
まあティオネの場合はこうはいかないから乗り心地が良いと言えば良い。
ティオナに揺られながら今度は来た道を戻っていく。もうこの際、誰に見られても文句は言えないと諦めていたが結局誰ともすれ違わずに自室の前の通路まで来ることが出来た。
だが、問題は唐突に発生する。
最悪なことに彼の部屋からアイズが通路に出てきたところで鉢合わせになってしまったのだ。アイズと彼はあまりの光景に思わず素っ頓狂な声を上げる。
「「あ」」
「アイズおはよう!」
「…………おはよう」
ティオナだけが呑気に朝の挨拶をしてそれにアイズが返答している中、彼とアイズの視線が合った。その瞬間にその場の空気が固まってしまう。よりにもよって一番情けない姿を一番見せたくない相手に見られてしまった。
彼は必死に釈明というか良い訳というか、とにかく仕方なくこの状態にあるということを説明する。
「……あの、ほら、ちょっと調子が悪くて、でもトイレに行きたくて、だから偶然通りかかったティオナに運んでもらったんだ……」
彼のつたない説明に全く納得の様子は見られなかった。というよりもこれは前にも感じたことがある。これはどちらかと言えば嫉妬のような……
彼の言い訳にアイズは少し冷たい声で聞き返す
「どうして私じゃなくティオナに手伝って貰ったの?」
「あ、いや、姉さん寝てたし。無理に起こすのも悪いかなと思って」
「……どうして私じゃなくティオナに手伝って貰ったの?」
同じことを二度言うアイズが妙に怖い。
余程、自分が頼りにされなかったことが頭に来ているらしい。そんなアイズを落ち着けるためにティオナはお姫様抱っこしていた俺を下すとアイズをなだめる。
「アイズもそんなに拗ねないでよ!弟くんを運んだのは本当に偶然廊下であっただけなんだから!それにそんなに弟くんが心配ならこれから付きっきりで看病すればいいじゃん!」
「……確かにその通り。ありがとうティオナ」
「うん!それじゃあロキへは私が報告して来るからゆっくり休んでね!弟くん!」
「ああ、助かったよティオナ……」
姉であるアイズに付きっきりで看病とか勘弁して欲しい。ただでさえ一緒にいるだけで居心地が悪いというのにそれが一日中となると精神的負担は計り知れない。それくらい今の彼はアイズに苦手意識を抱いていた。
まあ、愚痴を考えていても仕方ないと部屋に戻り再びベッドに潜り込む。さっきよりも熱が上がったように感じてしまう。無駄に姉を意識してしまったからだろうか。
ベッドに入った俺に布団を掛けたアイズは、ベッド脇の椅子に腰を掛けると再び沈黙が訪れる。
率直に言えば気まずい。
先にこの異様ともいえる沈黙を破ったのは意外にも彼の方であった。
「姉さんも昨日は俺を探しに行ったの?」
「うん。いつも時間通りに帰ってくるのに、今日は遅いって聞いて居ても立ってもいられなくてベートさんと一緒に探しに出かけた」
「そっか……迷惑かけてごめん」
「気にしないで……たった一人の家族なんだものこれくらい普通だよ」
その言葉に自分がアイズを避けていたことに罪悪感を抱いてしまう。アイズは純粋な気持ちで助けてくれたり、一緒にいようとしたりしてくれた……それなのに自分は自身の醜い感情でアイズと距離を置こうとしてしまった。それが悔しくて、胸を締め付けるようだった。
彼は少しの間位なら一緒に過ごしても良いかもしれないと心に決めたのだった。
「そう言えば俺が目覚めた時からずっとそこに座っていたけど、いつから居たの?」
「寝付いてからずっといた」
「え?」
「頭に置く濡れタオルを交換したり、汗を拭ってあげたりしていた。それと久しぶりに見た寝顔は可愛かった」
「……そうか」
それからはアイズに一日中お世話をされまくっていた。
朝食や昼食、夕食の時などは一人で食べれるというのに無理やり食べさせてもらったし、汗で寝巻を着替えたいときなどはタオルで体を拭いてもらった。そうして自分が世話をされるたびに彼はアイズに対して申し訳ない気持ちにさせられた。
だが、アイズはアイズでかなり楽しそうにお世話をするので無碍にも出来ずに受け入れたのだった。さすがに添い寝をし始めようとした時には止めに入ったが。それでも目覚めてからずっとアイズに看病され、複雑な思いを抱いて一日を過ごしたのだった。
特殊スキル関係なくただ伸びないっていうのも理不尽でいいかも