卑密の太陽   作:渡邉 実一

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#05 視界ゼロの海に落ちて(後)(2)

「はっはっはっ! よくやったな……認めるよ。景山の負けだ」

 

 川上だった。大げさな拍手とともに近づいてくる。

 由香里は俺の隣に走り寄って……手と手が触れる。

 

「いったいどうやったんだ? オレに教えてくれよ」

「企業秘密です」

「そうか、残念だよ」

 

 由香里の手の温もりが伝わってくる。

 

「改めて。オレは、川上清大(かわかみせいた)という。どうだい、記念に握手をしてくれないか」

 

 すぐ傍にまで歩いてくる。差し出された、左手。

 由香里も、恐る恐る、左手を差し出そうとする――止まった。

 ……いったんは止まったものの、またゆっくりと、その手を川上に近付けていく。

 握手、成功――ああ、わかった、そういうことか。

 由香里は、眉をひそめながら、

 

「どこまでも汚いんですね」

「……なんだと?」

 

 川上が舌打ちをする。握手のまま。

 

「あなたのそれって、系統的に、魔導……ですよね? それ、使ってる時って、大気中を舞っている原子とか、分子とか、あと、電子や陽子の状態とか、どこまでイメージしてます? 例えば、真空状態とか……あれ、もしかしてあたしの声、聞こえてないですか?」

「……!」

 

 途端に息苦しい様子になる、川上。

 別に、由香里が騙し討ちにしたわけじゃない。今しがた、確かに見えたから――由香里への殺意が。

 でも、このままじゃまずい。『由香里、逃げろ!』と叫ぼうとした。叫べない。かくいう俺も、息が苦しい。

 

「ぐ、……え……ゲ、ゲホッ、ゲホッ!」

 

 川上は、握手をしていた手を切り離すとともに、足を振り上げる――ゴッ、という乾いた音。放たれた上段への前蹴りが、由香里の額あたりに当たった。

 見ていることしかできないわけじゃない。傾いた由香里の体を抱き止める。

 

「ゆ……かり……」

 

 意識が危うくなってくる。どうしたって酸素が薄い。そんな中でも、俺の眼は、憎悪とともにこいつを睨んでいる。

 

「……て、めえっ、ぶっ、殺してやるっ!」

「ぬんッ!」

 

 ――風圧。

 濁った風だった。身体が、身体が押さえつけられているッ! 動けない……。

 由香里を抱きかかえたまま、膝をつかされてしまう。

 ――由香里を見た。

 鼻血が出ている。悔しそうな面持ちだった、肩で息をしている。術者にしたって、苦しい空間に違いない。

 川上を見ると、喉元を押さえていた。苦悶に満ちた顔つきで。

 

「渉。ごめ……んね」

「なんで、お前が謝るんだよ。俺が、俺が――あぐっ!」

 

 血が流れ出る。

 真上の方向からの風の刃。肩と膝頭が切られている。

 

「ほんっと、馬鹿ねぇ」

 

 景山の声が聞こえてくる。いつの間にか後ろの方に移動している。

 声の調子は良さそうだ。それなりに離れているのだろう。

 

「どうして握手なんかしようとしたの? 山野辺で、聚落(じゅらく)で、あんた達は、いったい何を学んできたの? まあ、こうなったら、もう詰みね。川上が操る大気の刃で、そのまま切り裂かれなさい……て、おーい、川上! もう、ほかの生徒がこっちに気づいてる。軽く二〇人はいそう」

 

 ――感覚を研ぎ澄ます。

 

「……」

 

 西門側には、掃除を終えた生徒らがいる。こちらの様子に気が付いている。

 一方で、東門側にはほとんどいない。大丈夫だ。でも、そのうち寄り付いてくるだろう。

 

「がッ!」

 

 風の刃が、肉体を切る。

 背中、首元、胸、上腕、ふくらはぎ。

 ロクに動けない状況で、ありとあらゆる箇所が切られていく。

 

「うおっ」

 

 すんでのところで、頭を直撃していたであろう一撃を回避する。

 身体中に血が滲んでいる。

 

「……」

 

 由香里の顔を眺める。目が合った。

 目が合っただけなのに、一瞬で自分が何をすべきかを理解する。

 顔を上げた。まずは敵の姿を捉える……すべてはそこからだ。

 

「う、ぐ、おおぉ……!」

 

 男の息苦しい姿が目に映っている。

 そうだ、どっちにしたって苦しいんだ。俺達だけじゃない。あとは……!

 わかった。ようやく。

 濁った風なら、なんとか見える。けど、こいつが出している風の刃は見えない。

 しかしながら、今まさに、これとはまた別の印章(シンボル)が漂ってきている。すなわち、誰かが発動させたであろう、これとは異なる概念力(ノーション)が、今この場に現出しているということ。

 篤? いや、砂羽か? とにかく、誰かがこちらを援護しようとしている。

 

「おい、由香里。おいったら!」

「は、はぁ、あ……!」

 

 呼吸が荒い。首元には風による切り傷が。流血している……庇ったつもりだったのに。クソッ!

 拳を握り締めて、正面を見据える。

 誰が概念力(ノーション)を発動させようとしてるんだろうか。わからない。懐かしいような、でも、この感じは明らかに違う。感じたことのない質料(ヒュレー)だ。

 ……このまま、何も動きがないんなら。やるしかない。

 

「決めた。アレをやる」

 

 その時だった。

 パアンッ! という、固い床に濡れた雑巾を打ち付けたような大きい音とともに――風が消えた。

 視界が、開ける。

 

「なんだ? 何が起こった? ……ウッ!」

 

 目の前には、人間の形をした物体が――石畳に突き刺さっているような、へばりついているような。そう、まるで、車に轢かれた犬や猫がアスファルトにこびりついている。そんな物体があるだけだった。

 

「誰だ?」

 

 いったい誰だ? こんな概念力(ノーション)を放ったのは。

 

「ああ、川上、川上ぃ!!」

 

 絶叫が響いた。

 切り裂かれるような、大事なものを失ってしまったような、心の叫びが伝わってくる。

 

「まさか、生きてる?」

 

 その物体は折れた腕を必死に伸ばそうとしている。

 

「渉! 渉ッ!」

 

 走り寄ってくる、何者かの姿があった。

 これは、そう――

 

「砂羽ッ!」

「やったぁっ♪、殺せちゃったぁ~!」

 

 砂羽だった。

 

「見てみて、渉。アレ、骨と内臓が剥き出しになってるよ♪ 駆逐数1ポイントゲット! これで累計1,435ポイント! うちエッセ使用者の数、ちょうど1,000ポイント……ねえ、渉。もっと敵いないの? 今度は、手二本と、足一本もぎ取りたい! 足が一本だけ残るんだよ! 一本だけ。なんかそれって、逆ミロのヴィーナスみたいでかっこいいでしょ? あ、まだいる! 残ってる! あのメスの手足、一緒にもぎ取ろうよ。それで、もぎ取ったら死体処理屋さんに持っていって、お金もらって、帰りにまた四人でラーメン食べよう?」

 

 朗らかな笑みを浮かべている。

 ……これは、ただの笑顔だ。感動に満ち溢れた恍惚だとか、頭がおかしいんじゃないかってくらいのスマイルだとか、嬉しすぎてよだれを垂らしているとか、そういうんじゃない――あれは、いつもの笑顔の範疇に入る。

 

「さてと」

 

 俺は、拳を握りしめると、

 

「あうっ!」

 

 砂羽の頬をひっぱたく。

 鈍い音とともに、砂羽が体勢がのけぞった。

 そのまま両肩を掴んで、

 

「横尾砂羽っ! 目を覚ませ!」

「ハッ! あ……わたし、また……」

 

 しばし、沈黙が支配する。

 ばつが悪そうな顔をしていた砂羽も、十数秒が経って、

 

「渉。詳しい話はあと。今は逃げよう」

 

 いつもの口調に戻る。

 

「……砂羽がやったのか。今の」

「半分正解。半分はずれ」

 

 砂羽はそのまま、座り込んでいる俺と、そして、由香里の手を取った。

 サッと身を翻して、三人で東門側にある駐輪場に進もうとする。

 すると、

 

「渉! 大丈夫だったか」

「集!」

 

 集が駆けつけていた。

 スリッパのまま、こちらに走り寄ってくる。

 

「集。さっき、校舎の中に入っていったんじゃ」

「これだけの印章(シンボル)が渦巻いてるってのに、公務どころじゃない。会議は中止にした」

「さっきの重力系統(グラビタス)のやつ、この人が、わたしに質料(ヒュレー)を分けてくれたの。だから、あんな早い時間で強力なやつが打てたの……さ、ふたりとも。今のうちに」

「今のうちにって?」

「だから。逃げるの」

 

 そう言って、砂羽は急かすのだった。

 

「……渉、横尾さん。もう遅い。時間切れだ」

 

 諦念を漂わせつつ、集はそう言うのだった。

 

「どういうこと……あっ!」

 

 今さっき、集が出てきたばかりの正面玄関。

 そこに、喬木の姿があった。

 茶色い革靴を履いている。ゆっくりと歩いてくる。

 

「……お前達。どうしてこうなった?」

 

 部下ふたりの前に聳え立つようにして、低い声で唸りを上げる。

 景山は、必死の形相で、

 

「そ、そ、それは……あの子たちが、その……山野辺という聚落(じゅらく)出身の使用者(エッセ)なんですが、その界隈でも特に強い家柄の子どもたちで……」

「強かったから、負けたと?」

「……いいえっ、ウチが弱かったからですっ!」

「そうか。お前さんが弱かったから負けたんじゃの」

「はい……」

 

 うつむく景山。

 

「川上よ、お前はどうなんじゃ?」

 

 川上に視線をやった。

 息も絶え絶えだった。なんとか痛みを堪えながら、

 

「そ、れは……不意打ちです!」

 

 辛うじて動く指先が、砂羽と集に向けられた。

 そんな姿を見下ろして喬木は、

 

「……二言はないのう?」

「は、はい! し、神聖な勝負を、そいつらが汚したからですっ、不意打ちで!」

 

 喬木は、おもむろに右手を顎髭にあてる。

 

「ならば聞くが、景山が双手刈りを受けて転んだ時、どうして醜聞を捨てて助けてやらなんだ? あの時点で、敵の巧さは悟っておったろう? なあなあで収めればそれで済んだろうに」

 

 見るまでもない。川上の顔は、絶望に覆われている。

 

「それはそれとして、あちらの女子との戦いについてじゃ。お前さん、握手の時、不意打ちの風刃であの子らを切ろうとしておったのう。問題は、周囲の真空化によってそれが使い物にならなくなったあの時じゃ。あの子の顔を、その靴底で蹴り飛ばして優勢に立っていたのう……川上よ。なぜ、さっさとトドメを刺さんかった? 真空化の効力は半減しておった、ある程度は風の刃も通る。ならば、全力をもってあの女子の心臓に風のナイフを突き立てておれば、お前の勝ちで終わったものを。どうして、嬲り殺しにする方を選んだんじゃ?」

 

 川上の震えが止まらない。

 

「お前、わしに嘘をついたな。不意打ちなどではない、お前が油断したからこのような結果になった……さてと」

 

 喬木は、倒れ伏している川上のすぐ傍に寄った。

 

「待ってください! 喬木様、お願いします。ウチの唯一の同郷なんです、おねが――も、申し訳ありませんでしたっ、ごめんなさい、ごめんなさいっ」

「景山よ。これが目に入らんか?」

 

 喬木がかざした手には、長さにして二〇センチはあろうかというニッパーが握られていた。

 刃先には、無数の血がついている。

 

「ひいぃッ!」

 

 景山が腰を抜かした。

 川上は、土下座に近い状態で頭を下げるばかり。

 

「……」

 

 その足が振り上がったと思った瞬間だった。

 靴底が、川上の首を踏み潰した――べキィッ! という、ある意味快活な骨の声が響いたなら、周りのざわめきが最高潮に達する。もう、すでに五〇人以上は集まっている。

 ……当の本人は、殺したばかりの男の亡骸を見て、澄ました面持ちを保っていた。

 

「さて。侍衛(プレシディオ)が一人いなくなった以上は、また転職エージェントに当たる必要があるのう。どこにするか……おお、大事なことを忘れておった……景山、もうひとり欲しいか?」

 

 景山は、震えた顔で亡骸を見ていた。何も答えない。

 

「どうした、いらんのか」

 

 無言で、うんうんとうなずく。涙が滴っている。

 喬木は、俺達の方を向いた。

 

「三良坂くんよ! 今日の会合は、もうナシなんじゃろ。また案内の手紙を出してくれ」

「わかりました。早い日にちをセッティングしますね」

 

 ……集の声がよく聞き取れない。周囲が騒がしいから。

 「人殺し」「またあいつら」「追い出せばいいのに」……様々な声が聞こえてくる。

 

「おお、忘れるところじゃった。そこのふたり」

 

 これで終わりじゃない。喬木は俺たちの傍へと。

 正直、凄まじい迫力だった。緊張の一瞬――

 

「ようがんばっとったの。一般人(エンス)しかおらん環境に来てみて、どうじゃ?」

「あの、まあ、元気で……」

 

 とは言いつつ、俺はこの人のことを知らない。この人は知ってるんだろうか?

 

「喬木議員、すいません」

 

 由香里だった。

 ティッシュで鼻を押さえながら会話に入ろうとする。

 

「おかげさまで平和に過ごしています。その切は、どうもお世話になりました」

「ゆっくり休みなさい。三年か、早いものじゃな。少年よ、なにか苦しいことはないか?」

「大丈夫……です。おかげさまで、その……友人に恵まれてます」

「それはよかった……うん、なら、もうええ。じゃあの」

 

 一瞬だけ。

 ただ、その一瞬だけで、その場から喬木一行、という空間要素のひとつが消えた。

 見ていた者たちは、何事もなかったように校舎へと吸い込まれていく。やがて、こちらを見ている者はいなくなった。

 俺達は、四人で固まっていた。由香里が肩に寄りかかっている。鼻血が止まっていない、ティッシュで拭いてやる。

 

「!」

 

 ふいに、また別の印章(シンボル)を感じる――!

 

「みんな、伏せろ!」

 

 叫んだとともに、由香里を押し倒していた。

 ナニカ。燃えたぎるナニカが差し迫っている。わかるのは、それだけだった。もう少し、もう少し時間があれば……! 

 その時だった。ガキィンという、金属がレンガに跳ね返ったような音とともに――灼熱に燃え上がる槍が、玄関前に落ちた。

 バウンドを経て石畳の上に横倒しになった槍。橙色の火がしっかと燃え盛っている。

 

「おーい、大丈夫か!」

「篤!」

 

 真上を見上げる。

 校舎屋上、落下防止用のフェンスを乗り越えたところ――

 篤だった。離れていてもわかる。その瞳を、獲物を捕らえるために研ぎ澄ましている。

 

「すぐに行くからな!」

 

 そう叫ぶやいなや、屋上から飛び降りる――

 俺は、いまだに燃え上がっている槍を見た。概念力(ノーション)を解いたことで、あっという間に消えていく炎。

 槍の正体は、長さにして一メートルほどの鉄杭だった。篤が得意とする核熱系統(ニュークリウム)の魔導だ。

 また上の方を見る。人間が落ちるにはあまりに遅いスピードで、篤がゆらゆらと落ちてくる。地面まで数メートルまできたところで、概念力(ノーション)を解いて、さっと着地を決める。

 

「ずっと、見てたんだ。あのふたりと戦ってるところから」

「さすが、元班長はレベルが違う」

「もちあげるな。それより、由香里の様子は」

 

 由香里は、俺の肩から離れて歩き出す。

 ぎこちない足取りだが、大丈夫そうだ。

 

「篤、ありがとう。来てくれたんだ。大丈夫よ、もう少し休んだら質料(ヒュレー)も戻るから」

「ならいいんだが。でも、もう私闘はやめた方がいい。使用者(エッセ)にとって、新たな概念力(ノーション)を知るのは大事なことだけど……もう僕たちは、違うんだから」

 

 言い終わると篤は、集の方を向く。砂羽も。俺も。

 由香里は向いていない。

 

「なあ、集。教えてくれよ。さっきの人って」

「なんだ、知らなかったのか? 喬木直利(たかぎなおとし)。ハッピーマウンテン市議会議員七期目。広島県水平委員会委員長。ここ数十年、破竹の勢いだ。文教族で、若い頃から被差別集落問題について取り組んでいる」

「そういうことじゃなくて……」

「いろいろとガチな人だ。子どもの時から差別を受けていることもあって、一般人(エンス)に対する憎しみは相当なもんだ。水平委員会の言うことを聞かない企業や学校への襲撃も行っている」

「いや、それよりも」

「わかってる。あの人の概念力(ノーション)についてだが……さっき見たとおりだ。喬木議員にとっての人間の心というのは、まるで気心の知れた機械製品みたいなもんだ」

「……俺、もう疲れたよ」

「よし。頑張った渉くんにご褒美だ」

 

 集は、カバンから封筒を取り出す。

 

「なんだ、これ」

「今日、ここに来たついでに渡そうと思ってな。渉と由香里さん宛てで」

「……すいませんけど、名前で呼ばないでもらえます? 助けていただいたことには感謝してますけど」

「すまない、汐町さん。今度からそう呼ぶよ、うん」

 

  解散となった。

 俺は、由香里の手を引いて教室に戻っていく。砂羽も、由香里の手を引いている。そんな砂羽の手を篤が握っている。

 ああ、もう。なんだよこれ。

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